当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その25

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、まずは購入いただいた方の声から。

ワタシもそう思います(笑)。またこの夏、積読状態だったこの本を読んでくださった方もいる。

電子書籍、紙問わず積読の山に埋もれている方も少なからずいるはずで、その中からワタシの本を手にとってくれたのはありがたいことである。

個人的には、これまで読んだ「グッドバイ・ルック」の感想の中で一番受けた。でも、そうだよなぁ。

これはシビアな認識だが、その感想を持たれるのも無理からぬ話である。

あとこの方も「追加収録知らなかった」と書かれているが、バージョン1.1.1で「インターネット、プラットフォーマー、政府、ネット原住民」が追加収録している。紙版に初めてこの文章は収録されたが、電子書籍も無料で更新可能なのでよろしくお願いします。

Linux Journalの終焉とともに考える、ウェブがインターネット・アーカイブと同義になる恐ろしく悲しい未来

2017年にも終了かという話があった Linux Journal今度は本当に終了とのことである。

1994年の創刊以来、四半世紀にわたり Linux Journal に携わってきたドク・サールズが、その終焉について文章を書いている。彼がもっとも気にしているのは、まさに25年分のアーカイブである Linux Journal のウェブサイトの行方である。

上でリンクしたスラドのストーリーにも「Webサイトも今後数週間のうちに閉鎖される」とあるが、ドク・サールズも、もはや Linux Journal がサブスクリプションベースのデジタル雑誌として存続することは期待していないが、LinuxJournal.com の Drupal ベースのサイト並びにそのアーカイブは残せないものかと訴えている。そして残念ながら、その権限はサールズにはない。

「クールなURIは変わらない」というのも今や昔の話で、『クロサカタツヤのネオ・ビジネス・マイニング』第67回でワタシは以下のように言っている。

20年前は素直にデジタルなら残る、と思って世界に発信していた。ところが、実際にはどんどん消えていって、残っていない。なぜ、私たちは、デジタルはずっと残るんだ、と思ったんでしょうね。

これは『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』における問題意識にも関係する問題である。

ワタシが過去関わったウェブメディアでは、URL は変われども archive.wiredvision.co.jp ドメインでほぼそのままの形でアーカイブを遺してくれているワイアードビジョンは良心的、かつ例外的な存在だった。

ドク・サールズのブログを受け、デイヴ・ワイナーが archive.org(つまり Wayback Machine)へのリダイレクトという解決策があると書いている。IT 専門ポッドキャストとして有名だった IT Conversations(ワタシが「IT関係の講演・インタビュー音声が聞けるウェブログ」としてここを紹介したのが15年前なんだな!)もそのようにして現在も残っている(?)という。

デイヴ・ワイナー自身この考え方に抵抗があったことを書いているが、「もうすぐ絶滅するという開かれたウェブ」を考える上で、これはある意味すごく恐ろしいことである。

もしかすると我々は、ウェブの何たるかについての考えを変えるべきなのかもしれない。archive.org こそウェブの永久版なのだろう。そうなると当然次に来る疑問は、はじめから archive.org に公開すればいいのではないか? になる。

つい最近もヤプログ!Yahoo!ブログのサービス終了が予告された。ブログの移行は可能かもしれないが、サービス終了を機にウェブから消えてしまうブログが多いのは間違いない。そうして現実にウェブからどんどんウェブサイトは消えていき、それとともにウェブの多様性は少し減ってしまう。

それが行きつく先は……もはやウェブ自体がネットにおける主戦場ではなくなり、そのうちウェブが archive.org と同義になってしまうという未来である。

いくらなんでも悲観的だと思われるかもしれないし、ワタシもそんな未来は望んでいない。しかし、当たり前のようにあると思ってきたウェブ自体が、気が付いたら死に絶えているという未来が絶対ないと断言できる自信もないのである。

インテンション・エコノミー 顧客が支配する経済 (Harvard business school press)

インテンション・エコノミー 顧客が支配する経済 (Harvard business school press)

我々は今「オープンソースの黄金時代」にいるのか?

クラウド企業がイノベーションオープンソース化し、そして旧来からの企業もオープンソースに新たに参加しており、オープンソースの持続可能性はこれまでないほど高まっているという趣旨の記事である。

前者については GoogleマイクロソフトAmazon の取り組み、後者についても Home Depot などの例が挙げられているが、面白いのは記事中のリンクの多くが、GitHub ドメインということ。

「オープンソース」という言葉が発明されて20年あまり、そもそもフリーソフトウェアオープンソースでビジネスなんかできるのかと懐疑的に言われていた時代を知る人間としては、今が過去最高と言われても少し面食らってしまうところがある。

それでも、果たして「オープンソースの黄金時代」があるとしてそれは過去のある時期なのか、今が天井なのか、あるいはもっと栄える未来の可能性があるか考えてみるのは面白いかもしれない。

ネタ元は Slashdot

イノベーションを加速するオープンソフトウェア (静岡学術出版教養新書)

イノベーションを加速するオープンソフトウェア (静岡学術出版教養新書)

気候異常や地球温暖化など自然環境の危機がテーマの児童書の出版数が2倍になったという「グレタ・トゥーンベリ効果」

今の児童書業界では、気候異常や地球温暖化といった自然環境の危機がテーマの児童書がトレンドになっており、そうした書籍の出版数が過去一年で2倍以上になってるそうな。もちろん売り上げも2倍に伸びてるとのこと。

なんでそんなトレンドがと思うが、昨年スウェーデン議会前で地球温暖化問題のための学校ストライキを行ったことで一躍有名となったグレタ・トゥーンベリのおかげということらしい。つまり、この書籍の出版数(と売り上げ)の倍増は「グレタ・トゥーンベリ効果」であるというのだ。

日本ではグレタ・トゥーンベリの名前がまだそこまで人口に膾炙していない印象があるが、欧米ではそこまで影響力があるんですな。Guardian の記事でも彼女がいずれノーベル平和賞を受賞するかなんて記述があって、そんなことになってるとは驚きである。

で、実際にどういう本が出ているかいろいろ紹介されているのだが、そういえばグレタ・トゥーンベリ自身の講演をまとめた本が今年刊行されているのである。ペーパーバックで100ページ足らずの分量だが、彼女の知名度が日本でも上がれば邦訳が出るかも。

No One Is Too Small to Make a Difference

No One Is Too Small to Make a Difference

No One Is Too Small to Make a Difference (English Edition)

No One Is Too Small to Make a Difference (English Edition)

ネタ元は kottke.org

ワタシがこれまでNetflixで観てきたドラマをまとめておく

先月、「積みNetflix披露の会というアイデアはどうだろう?」というエントリを書いたのだが、そこで挙げた作品をまだほとんど消化しきれていないのに、新たにドラマやらドキュメンタリーが話題になって、そちらに目移りする有様である。

ワタシが Netflix と契約したのは2017年10月で、まだ2年足らずなのだが、備忘録の意味も兼ね、ここらでひとつこれまで観てきたドラマをまとめておこうと思う。

飽くまで Netflix で観たというだけで、Netflix オリジナルドラマ以外も含まれているのにご注意を。

ハウス・オブ・カード 野望の階段(公式サイトNetflixWikipedia

実を言うと、これは Netflix 契約前に DVD レンタルで観ていたので本当は入れちゃいけないのだが、Netflix ドラマの象徴的な存在だし、Netflix への信頼にこの作品の成功が寄与したのは間違いないわけで。

ただ、その契約後に始まったシーズン5は評判が悪かったので、ワタシはシーズン4までしか観ていない。ご存知の通り、その後ケヴィン・スペイシーがセクハラ問題で降板し、シーズン6はミニシリーズみたいな形で終了してしまったので、その判断で結果オーライだった。

マスター・オブ・ゼロ(NetflixWikipedia

Netflix に入ってはじめて観始めたドラマは、これと『ストレンジャー・シングス』だった。

アジズ・アンサリの才気が発揮された素晴らしいドラマで、シーズン2がこの後どう展開できるんだという感じで終わったのに、明らかに行き過ぎた不当なセクハラ告発があり(参考1参考2)、キャリアにダメージを受けたのは腹立たしい話である。

最新作『アジズ・アンサリの"今"をブッタ斬り!』を観ても彼が受けたダメージが分かるが、『マスター・オブ・ゼロ』のシーズン3始動を期待したい。

ストレンジャー・シングス 未知の世界(NetflixWikipedia

少し前にシーズン3を完走したのだが、良かったねぇ! はっきりいって、シーズン3がこのドラマのベストになる予感すらある。最終話まさかこのドラマでボロ泣きするとは思わなかった(が、冷静に考えると、あの歌の場面って、海外で爆笑されたという『海猿』映画版の携帯電話の場面と大差ない気もするが)。

シーズン3は本当にキラキラした魅力に満ちている。何しろ今シーズンは夏休みの話だから、少年たちグループがオタクというスクールカースト下位という描写すらほぼなく、その輝きをひたすら堪能できる。

特に素晴らしいのはスティーブで、個人的にはシーズン3はスティーブのシーズンだと断言したくなるくらい。スティーブも当初からのキャラクターだが、スクールカースト上位のいけすかないヤツだったのが、こんな感じにイイ役になった役ってアメリカのドラマで他にあるだろうか。

というわけでワタシはとても楽しんだわけだが、今シーズン特にその度合いが増した本作における1980年代のキラキラさ加減、礼賛ムードにはちょっと疑問も感じる。

本作に登場する少年グループは1983年に12歳という設定だったはずで、1971年生まれということになろうか。1973年生まれのワタシとは少しずれるが、基本的には同世代といって問題はなかろう。

当然ながらワタシにとっても1980年代は、その多感な少年時代を過ごした時期だったわけで、ワタシなりに思い入れはある。

しかし、1980年代はスカだった史観という呪詛にワタシがとらわれているところがある。ワタシの場合、洋楽情報のソースだった1990年代のロキノンの影響も大きいだろう。

このドラマのクリエイターであるダファー兄弟って、少年グループと同じく1970年代はじめの生まれ、つまり、ワタシとだいたい同年代かちょっと上くらいかとずっと思い込んでいたのだが、1984年生まれでワタシより10以上年少というのを知ったときにはちょっと驚いたものだ。

80年代リバイバル、という言葉もそれこそ90年代からあったはずで、「ストレンジャー・シングス」がその何周目かもはや分からないのだが、そのあたりを網羅的に論じる知識はワタシにはないので、この話はここで終わる。

13の理由(NetflixWikipedia

このドラマは間違いなく衝撃作で、そうした意味でシーズン1で終わってくれたほうがよかったかもしれない。

批評家がけなすほどシーズン2は悪くはなかったが、その最終回でこれはもうここで止めてよいかなと思った。

よって、もうすぐシーズン3が配信開始だが、多分観ないと思う。シーズン1からハンナの自殺シーンが削除されるというニュースもその気持ちを強めた。

ベター・コール・ソウル(NetflixWikipedia

『ブレイキング・バッド』はワタシにとっても特別なドラマだったので、そのスピンオフってどうよという懐疑的な気持ちがあったのだが、これはこれで『ブレイキング・バッド』とはまた違った意味で自分の中で大きな作品になっている。

というか、あの史上最高のドラマと言われた『ブレイキング・バッド』よりもこちらのほうが好きかもしれないくらい。

あとはどれくらいしっかりした完結を見せてくれるかでしょうね。

ブラック・ミラー(NetflixWikipedia


アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件(NetflixWikipedia

ワタシが観たのはシーズン1のO・J・シンプソン事件のみである。正直、『O.J.: Made in America』が Netflix になかったので、その代替として観た。こちらもさすがに見ごたえがあった。

マーシャ・クラーク演じるサラ・ポールソン、あとスターリング・K・ブラウンが『THIS IS US』とも共通する役をやっててよかったですね。

マインド・ハンター(NetflixWikipedia

今まさにシーズン2を観ているところである。

当代最高の映画監督の一人であるデヴィッド・フィンチャーが主力となって作る作品だから、これは観ないわけにはいかない。

登場人物たちの演技、フィンチャーらしい暗い色調で統一された強力なカラーコーディネート、70年代後半の再現、いずれも見事で満足なのだが、個人的にはシーズン1からもっとエグい殺人描写がみられると思っていたので、その点は少し肩透かしだったかもしれない。

The OA(NetflixWikipedia

ブリット・マーリングというと『アナザー プラネット』が大好きなので、彼女が手がけるドラマならと軽い気持ちで観始めたのだが……文句なしにヘンテコなドラマだった。

本当になんなんだこれはな回が続いた後で、文字通り呆然となるシーズン1の終わり方はもはや伝説だが、シーズン2は自分が観ているのはいったいなんなんだ感がさらに増していて、とんでもなかった。シーズン2も例によって終わり方に呆然となった。

先日、シーズン2での打ち切りが発表されてしまったが、ワタシのようなファンでもまぁ仕方ないかなと思ってしまうところがある。ブリット・マーリング(とザル・バトマングリのチーム)は、また違った形で『The OA』の続きを見せてくれるんじゃないかな。

オザークへようこそ(NetflixWikipedia

ジェイソン・ベイトマンが好きなのと評判が良かったので観始めたのだが、あまりにダークでストレスフルな展開にシーズン1のエピソード1だけで脱落してしまった。

いや、間違いなく面白いんだと思う。ダークでストレスフルなドラマも好きである。それこそ『ブレイキング・バッド』がそうだったように。

でも、ああいうのはワタシはもういいのだ。それなら『ブレイキング・バッド』をもう一回観るから。

アトランタ: Atlanta(NetflixWikipedia

今をときめくドナルド・グローヴァーが手がけるドラマということでシーズン1を観た。

ドナルド・グローヴァーがラッパーではなく、そのうだつのあがらないマネージャーを演じているのが面白い。

正直ワタシが好きなタイプのドラマではないのだが、だからこそリアルさ独特のシュールさのバランスが新鮮だった。

ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス(NetflixWikipedia

近年もっとも衝撃を受けたドラマかもしれない。

とにかく怖いし、映像表現が秀逸である。長回しに見えるカメラワークが効果的に多用されていて、屋敷のある部屋の中央でぐるりとカメラが回転する中で、現在と過去、生者と幽霊が同じ画面に普通に同居する離れ業を実現している。というか、それが普通に感じるまで視聴者は教育されてしまう。

あるエピソードのショック描写の意味が後のエピソードで分かるという手法をこのドラマも使っているが、それを一つのエピソードに凝縮した、ある登場人物の人生につきまとう首折れ女の正体が最後に分かるエピソード5は白眉。

このドラマのクリエイターであり、すべてのエピソードを監督するマイク・フラナガンは、スティーヴン・キング原作で『シャイニング』の続編である『ドクター・スリープ』の監督をやってるんですね。彼が監督した映画も Netflix に揃っているのを知ったので、『ドクター・スリープ』公開前にそちらも観ておこう。

After Life/アフター・ライフ(NetflixWikipedia

リッキー・ジャーヴェイスといえば何と言っても『The Office』だし、『エキストラ Extras』も好きだが、彼が手がけた映画はまったく評価していないし、Netflix にある『リッキー・ジャーヴェイスの人間嫌い』も期待を超えるものではなく、正直彼に対する期待値は下がっていた。

調べてはいないが、このドラマ、あまり評判はよくないんじゃないだろうか。今どきなんで無料の(しかも経営ガバガバっぽい)地方新聞が続いているんだとか、金銭的なシビアさがない主人公の暮らしぶりとか本国の人のほうが突っ込みどころはあるだろう。

それでもワタシは泣いた。最後の2話はボロボロ泣きながら観た。ジャーヴェイスには、『The Office』のクリスマススペシャルでも泣かされた。でも、これはそれとはまったく違う。

ジャーヴェイスもようやくモキュメンタリー形式に頼らなくても優れたドラマが作れるところまで来た(ワタシは『Derek』は未見だけど)。あとこのドラマは女性の主要キャストがそれぞれいいですね。

ラブ、デス&ロボット(NetflixWikipedia

Netlix で観たアニメは今のところこれだけかな。1話完結で、しかもどれも20分未満なので、サクサクすっきり観ることができる。

やはり性描写、暴力描写を遠慮する必要がないという環境はありがたいですね。18エピソードあって、作り手によって画のタッチもまったく異なるのだけど、しかし邪悪なクリーチャーの侵略が描かれるエピソードが複数あったりして、そういうところに限界を感じたりした。

今思い出せるのでは、「目撃者」、「グッド・ハンティング」、「シェイプ・シフター」、「氷河時代」あたりが面白かったな。

シーズン2も観るだろう。

ピーキー・ブラインダーズ(NetflixWikipedia

デヴィッド・ボウイが大ファンだったドラマということでまだシーズン1を観ている途中なのだが、正直辛い……このドラマの舞台となる第一次世界大戦後のイギリスについて基礎知識が足らなさすぎるからかも。

とりあえずシーズン1は完走するだろうけど、その先はその時点での積み具合によるだろう。

全裸監督(NetflixWikipedia

今話題のドラマだが、まだシーズン1を完走していない。

よくできているし、村西とおる役の山田孝之黒木香役の森田望智とも外見は違うのに見事に憑依した演技をしているが、本作はNetflix オリジナルのドラマの中で傑出したものではない。逆に本作がこれだけ話題になり、その制作体制が「黒船」扱いされることに、いかに今の日本におけるテレビドラマの制作現場がいろんな意味で貧しくなってしまったが逆説的に分かるように思う。

とにかく話題になっているので本作についての記事もウェブで多く読めるが、もっとも納得感があったのは松谷創一郎さんの文章だろうか。

シーズン1配信から間もなくシーズン2製作が発表された。90年代が舞台になるならば、必然的にその展開はシーズン1よりもよりダークに、そしてバイオレントになるのは避けられないはずで、正直それが怖くもあるが、ドラマとして成功してほしい。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その24

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、反応がある限りワタシはこのブログを更新続けると以前にも書いているが、それもそろそろ終わりになりそうである。

id:kent4989 さんが「2019年上半期に読んだ本」に拙著を挙げてくださっている。ありがたいことである。

Instagram に感想をあげてくださったのは大分前なのに気づかなかったのは不覚である。

「改めて読んでも面白い」とは嬉しいよね。WirelessWire 連載をたまに読んでた方も、夏休みのお供にいかがですか!

おそらく先がない5つのプログラミング言語?

おそらく先がない5つのプログラミング言語、といういろいろと怒りをかいそうな記事だが、どうせワタシが愛する C 言語なんかがまたやり玉に挙がってるんだろうと見たら、一番最初に Ruby が挙がっている……

この記事は TIOBERedMonkプログラミング言語ランキングに Dice 独自の求人票情報を加味してるようだが、Ruby は落ち目という認識らしい。うーむ。

それ以外には HaskellObjective-C、R、そして Perl が挙げられていて、この手の記事の定番といえる Perl、Swift 誕生後やはり定番である Objective-C はそうですかという感じだが、ビッグデータの時代に人気を高めた R 言語ですら、Python に追いやられつつあるというのはそうなんでしょうね。

それにしても Ruby が先がないという意見には異論が出るだろう。ネタ元は Slashdot だが、やはりそこでもその話題が多いし、「Perl は30年間「先がない」と言われ続けているが、まだ終わってないぜ」というコメントに笑ったりする。

たのしいRuby 第6版 (Informatics&IDEA)

たのしいRuby 第6版 (Informatics&IDEA)

Netflixドキュメンタリー『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』と出演者のその後

週末、ワタシも Netflix ドキュメンタリー『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』を観た。これは必見である。

ワタシは2016年に「今回の大統領選挙の結果についてフェイスブックに咎を負わせるのは、いくらなんでもやりすぎだろう」と書いたわけだが、そのときはケンブリッジ・アナリティカのことをよく分かってなかった。現実には、Facebook はワタシなんぞが考えているよりも遥かにユーザの人心を掴んでいた。そして、ケンブリッジ・アナリティカはそれをあくどくハックしたわけである。

市川裕康さんは「監視資本主義」という言葉を使っているが、ちょうど Wired にこの言葉の提唱者であるショシャナ・ズボフの本の書評が掲載されている。「監視資本主義」というコンセプトは、FacebookGoogle といった大手プラットフォーム企業のビジネスモデル、そして『グレート・ハック』で描かれるスキャンダラスな民主主義の危機を考える上で欠かせないものである。

『グレート・ハック』の主役の一人が、ケンブリッジ・アナリティカで事業開発責任者を務め、内部告発者となったブリトニー・カイザーなわけだが、市川裕康さんのエントリで、彼女が『Targeted』という本を今年の秋に出すことを知った。

ケンブリッジ・アナリティカの内幕、そしてトランプと Facebook がいかにして民主主義を破壊したか」という副題(本文執筆時点で、Kindle 版とハードカバーで副題が微妙に違うが)や手榴弾の表紙を見るに、彼女に求められているものをぶちまける本になりそう。これは邦訳が出ないといかんよな。

『グレート・ハック』における主要登場人物の一人がイギリスのジャーナリストのキャロル・キャドウォラダー(Carole Cadwalladr)で、つまりは彼女のブレグジットやトランプ周りのロシア疑惑についての記事が衝撃的だったわけだが、ブレグジット運動の首謀者から名誉棄損で訴えられているらしい。

サイモン・シンが英カイロプラクティック協会から訴えられた事例などで、イギリスで名誉棄損の裁判を起こされると多大な時間とエネルギーを割かれることで知られるが、今回も原告が彼女個人を対象にするのは、まだイギリスの名誉毀損法は改正されてないのだろうか。

『グレート・ハック』でも出てくるが、彼女がイギリスにおける過去100年で最大の選挙不正を可能にした Facebook の犯罪性と民主主義の危機をシリコンバレー人種に突きつける TED 講演をまだ見てない人は、この機会に一度是非見てほしい。

ジャーナリストが、脅しでその声を妨げられる事態を見るのは辛いことである。

エドワード・スノーデンの初の単著『Permanent Record』が来月刊行される【追記あり】

エドワード・スノーデンが初の回顧録を出すとのこと。日本では、彼が著者に名前を連ねる本として、『スノーデン 日本への警告』(asin:4087208761)と『スノーデン 監視大国 日本を語る』(asin:4087210456)があるが、共著の一人であったり、語り下ろしであったりで、ちゃんとした回顧録となるともちろん初めてになる。

Permanent Record

Permanent Record

Permanent Record (English Edition)

Permanent Record (English Edition)

エドワード・スノーデンに関する本というと、グレン・グリーンウォルド『暴露――スノーデンが私に託したファイル』、映画では『シチズンフォー スノーデンの暴露』がもっともよく知られている。

『暴露』は日米同時刊行で驚かされたが、あれから時間も経っており、今回はそういうことはなかろうが、邦訳はどこかが出してくれるに違いない。

スノーデンは、ウィキリークスジュリアン・アサンジ)のように自らの評判を貶めるようなことをこれまでしてないのは偉いと思うのだが、ロシアでの幽閉生活がどうなのかという疑問はあるわけで、そのあたりについてどのように書いているのか気になるところではある。

ネタ元は Slashdot

暴露:スノーデンが私に託したファイル

暴露:スノーデンが私に託したファイル

シチズンフォー スノーデンの暴露 [DVD]

シチズンフォー スノーデンの暴露 [DVD]

[2019年8月7日追記]山形浩生訳で11月に刊行されるとのこと。

女性作家によって書かれた必読のファンタジー小説50選

こういう企画は面白いし、今どきなんでしょうね。サマーリーディングリスト選びにも役立ちそうだし(上にも書いてるけど、ワタシ的には『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』を選んでほしいところだけど!)、編集者にはこれから邦訳を出すべき本のチョイスにも役立つかもしれない。

ワタシが調べた範囲で、邦訳が出ているのは以下の20冊足らずだった(抜けがあったら教えてください)。

紙版しかないと絶版が多かったり、N・K・ジェミシンなど同じ著者でも他の本なら邦訳があるのに、というのがいくかあって残念である。

ネタ元は Boing Boing

ローレンス・レッシグ教授のインタビューがしみじみ興味深い

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の中でもローレンス・レッシグ先生の名前は何度も引き合いに出しているし、というかインターネットの自由と民主主義について考える上でひとつの規範であると言ってもよい。

しかし、彼の議論は単純ではないし、後で彼の著書を読み直して、そうだったの? と思うこともある。そうした意味で、このインタビューは読みやすいけれど、その慎重さも出ているし、レッシグ先生がこういうことを語るのかとしみじみなるところがある。

こうした力学では、ユーザーが好む情報だけが掲示されます。すると二極化が激しくなり、集団の共通理解がなくなり、民主主義を成立させるための対話ができなくなってしまいます。このようにして監視技術は民主主義の脅威となり得ます。これはインターネット技術そのものによる問題ではなく、広告のビジネスモデルに起因する問題です。監視社会であることが、ビジネスモデルを前進させる仕掛けになってしまっているのです。民主主義に害をもたらす、重要な課題だと考えます。

MIT Tech Review: ローレンス・レッシグに聞く、データ駆動型社会のプライバシー規制

インターネットのプラットフォーマー和製英語)のビジネスモデルが民主主義の脅威になっているという(現在広く共有されている)認識だが、そこでそれは広告のビジネスモデルに起因する問題であり、インターネット技術そのものの問題ではないときちんと言うところがレッシグ先生らしい。

しかし今日では、些細な嘘をつかずに暮らせません。利用規約を読んだという嘘、そこに書いてあるということに同意したという小さな嘘を日常的につかなければやっていけません。ほんの小さな嘘かもしれませんが、ともすれば平気で嘘をつける世代を育ててしまっています。それは40年前、ソビエト連邦の人々が生き延びるために日常的に嘘をついていたのとよく似ています。文化が個人の誠実さを浸食してしまうというのは大問題です。このことだけを取っても、サービス規約やアクセスの規制手段として同意という基盤を続けるのを断念する十分な理由になると思います。

MIT Tech Review: ローレンス・レッシグに聞く、データ駆動型社会のプライバシー規制

これを読んで、話の内容はまったく違うはずなのだが、ワタシはブルース・シュナイアーの「プライバシーの不変の価値」を思い出した。「文化が個人の誠実さを浸食してしまう」こと、そしてそれにより形骸化するものがいかに害になるか。

いかにしてユーザーの同意をより良いものにしていくかを目指すというのは間違った戦略です。同意を根拠としてプライバシーを取り締まるべきではありません。なぜならユーザーはデータがどう使われるか実際には理解できず、またその判断のために時間を割く余裕もないからです。ユーザー側でさまざまな意思表示をできるように気の利いた技法を目指す取り組みは、どれも無駄な努力に終わるでしょう。

MIT Tech Review: ローレンス・レッシグに聞く、データ駆動型社会のプライバシー規制

レッシグ先生は欧州の GDPR に代表される「個人データの主権を市民に委ねようとする新しい仕組みづくり」についても安易に賞賛はしない。「インテンション・エコノミー」が実現すればそれは素晴らしいのだけど、この下に引用する発言にあるようにそれは難しいし、実際ドク・サールズが本で紹介している取り組みには、結局失敗に終わったものが少なからずあるわけで。

これらの戦略は、人々に自由意志を行使する力を与えようと見せかけていますが、実際には誰の意思も表さないことがわかっています。なぜなら人々は選択するために必要な知識を持ち合わせていないからです。みな暮らしの中でやることは山ほどあり、実際には選択する立場でいられないのならば、それは本当の選択ではありません。

MIT Tech Review: ローレンス・レッシグに聞く、データ駆動型社会のプライバシー規制

これだけ読むとレッシグ先生も人間を見る目が暗くなったと思う人もいるかもしれないが、水野祐さんが指摘するように「行動経済学的な知見の影響」とみるのが妥当なんでしょうか。

この後はレッシグ先生がこの10年取り組んできた(アメリカの)政治腐敗に関わる制度的な問題に絡んだ話になるが、思えば今年彼の本が2冊も出るわけで、マイケル・サンデルロジャー・マクナミーティム・ウーショシャナ・ズボフ(もっともレッシグ先生は、彼女が提唱する「監視資本主義」のコンセプトに批判的みたいだが)といった錚々たる面々が推薦の言葉を寄せる『They Don't Represent Us: Reclaiming Our Democracy』のほうは邦訳が出ないといかんのではないかと思うわけである。どこか版権取得に動いてないんですかね。

They Don't Represent Us: Reclaiming Our Democracy

They Don't Represent Us: Reclaiming Our Democracy

They Don't Represent Us: Reclaiming Our Democracy (English Edition)

They Don't Represent Us: Reclaiming Our Democracy (English Edition)

メイカームーブメントの火を絶やさないためにも、あらためてオライリー・ジャパンを称えたい

先月「Maker Mediaの操業停止とメイカームーブメントのこれから」というエントリを書いているが、Maker Media の後継となる会社 Make Community の立ち上げ、でも状況は楽観を許さないというステートメントが出ている。ワタシとしては、とにかくメイカームーブメントの火が消えないことを願うばかりである。

今週末 Maker Faire Tokyo 2019 が開催される。残念ながら地方在住のワタシは今回も多分参加できないが、オライリーの人たちはその成功のために粉骨砕身しているだろう。

オライリー・ジャパンが偉いのは、近刊でも『メイカーとスタートアップのための量産入門』のようなハードウェアスタートアップバブルに浮かれない地に足のついた本、『世界チャンピオンの紙飛行機ブック』のようなよくこんなヘンな本に目をつけたなと言いたくなる(失礼)本など、ずっとメイカー的本を出し続け、メイカームーブメントの火が消さない努力をたゆまなく続けているところである。

ソフトウェアエンジニアでオライリーの本のお世話になったことのない人はいないから、オライリーの偉大さは自明なことだと思ってしまうのだけど、Maker Faire のような大変な労力を要するイベントを続けていること、そしてその下支えもしていることは改めて称えられてよいのではないだろうか。

世界チャンピオンの紙飛行機ブック (Make: Japan Books)

世界チャンピオンの紙飛行機ブック (Make: Japan Books)

インターネットは書くことをより良いものにしている?

メディアが言葉に影響を与えるのは不思議なことではない。インターネットも言葉を変えるところはあるだろう。でも、それはどちらかという悪い影響として語られることが多かった。

それに対して、「インターネット言語学者」を自称するグレッチェン・マカロック(Gretchen McCulloch)の初の著書『Because Internet: Understanding the New Rules of Language』は、インターネットは我々の言葉をかつてないスピードで、しかも興味深い形で変えつつあると説く本である。

ワタシはこの著者のことを Wired に掲載された「デジタル時代の子どもたちは、絵文字からも「言語」を学ぶ」で知ったが、それこそ絵文字を含めた、インターネット上で使われる informal language の研究家である。

そして、著者はその informal language を formal language より劣るものとみなしていないのだが、それは彼女が新刊を告知するツイートでも明らかである。

おいおい(笑)。案の定ネタ元である Slashdot では、「んなわけねーだろ」的意見も多いが、コリィ・ドクトロウも賛辞を寄せている

彼も書くように informal language の研究は難しい。問題はここでの informal language とはすなわち informal English なわけで、必然的にネットスラングやら略語が多用される本の邦訳は難しいのかもしれないね。

果たしてこの著者の議論を日本語圏のインターネットに当てはめた場合はどうだろうか?

Because Internet: Understanding the New Rules of Language

Because Internet: Understanding the New Rules of Language

Because Internet: Understanding the New Rules of Language (English Edition)

Because Internet: Understanding the New Rules of Language (English Edition)

梶谷懐さんの共著新刊『幸福な監視国家・中国』が楽しみだ

梶谷懐さんのニューズウィーク日本版連載「中国の「監視社会化」を考える」は毎回楽しみの読ませてもらったが、KINBRICKS NOW の仕事でも知られる高口康太さんとの共作という形で来月書籍化される。

幸福な監視国家・中国 (NHK出版新書)

幸福な監視国家・中国 (NHK出版新書)

中国の監視社会については、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』最終版にも収録した「付録A インターネット、プラットフォーマー、政府、ネット原住民」の最初のほうでも触れたが(正確にはそれへの安易な憧れについて)、21世紀の情報社会を考える上でこのトピックは避けられない。

これについて、一方的な中国礼賛は論外としても、また一方で単純な監視社会批判だけにも終始せず、監視社会化する中国の何がうまくいっていて、何が問題なのか日本語で知るには梶谷懐さんの仕事が最適だろう。これは買いでしょう。

IndieWireが選ぶ2010年代の名作映画100本

えーっ、もう2010年代が回顧されてしまうのかと思ったが、思えば2010年代もあとおよそ5か月で終わっちゃうんだよな。今年後半すごい映画が公開されるかもしれず、こういう企画はそれを待ってやればいいと思うのだが、IndieWire が先鞭をつけた形である。

ベスト100の中でワタシが観たことある映画は以下の通り。半分くらいは観てるかなと思ったら、29本でした(抜けがなければ)。

この手のランキングって、何をどう選ぼうが文句が出るものだが、IndieWire なのでかなりアート系の作品が多いと思ったら、『フォールアウト』のような傑出しているとはいいがたいハリウッド大作が入ってたりして、ちょっと謎だったりする。

クリストファー・ノーランリチャード・リンクレイターポール・トーマス・アンダーソンといった人の映画が複数入っている一方で、クエンティン・タランティーノの映画が一本も入ってないとか、いろいろ文句をつけたいポイントも人それぞれあるだろう。

ランキングに入った日本映画はだいたい観ていたが、あと濱口竜介の『ハッピーアワー』が94位に入っている。失礼ながら、『風立ちぬ』の27位は過大評価だと思います。

さて、皆さんは何本観てますか?

ネタ元は kottke.org

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