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ティム・オライリーの経済指南「なんでイーロン・マスクはそんなにリッチなのか」

www.oreilly.com

ティム・オライリー御大が O'Reilly Radar ブログに長文エントリを寄稿している。URL を見れば分かるが、当初のタイトルは「なんでイーロン・マスクはそんなにリッチなのか」だったが、ちょっと釣りタイトル過ぎると反省したのか、穏当なタイトルに変わっている。性格が悪いワタシは、その当初のタイトルを改めて掲げて、その内容を大まかにまとめてみたい。

今年のはじめ、短い間ながらもイーロン・マスクは世界でもっともリッチな人になった。彼の会社テスラの株価が上がったおかげで、一時は2000億ドルを超えた彼の純資産は、今では「たった」1550億ドルばかしに落ち着いている。

こんなことをもたらす経済の仕組み、具体的には何がよくて何が危険か理解するのが、我々の社会を引き裂かんとする激しい不平等に対処するのに欠かせないとオライリーは考えているわけだ。

賭博経済(betting economy)対事業経済(operating economy)

イーロン・マスクが資産をむちゃんこ増やしたニュースを受け、バーニー・サンダースは「2020年3月18日、イーロン・マスクの資産は245億ドル。2021年1月9日、イーロン・マスクの資産は2090億ドル。一方、アメリカの最低賃金は2009年も2021年も時給7.25ドル」とイヤミをツイートした。

1979年以降の生産性向上を反映するなら最低賃金は現在24ドルになってるはずで、最低賃金が上がってないのに怒るバーニー・サンダースは正しいが、イーロン・マスクの富がテスラの労働者を食い物にした結果と見るのは間違っているとオライリーは予防線を張る。

イーロン・マスクはテスラの利益を搾取するぼったくり男爵ではない。というか、テスラはずっと利益を出してなかったし、2020年にしても7.21億ドルの利益は、売上高の2%強に過ぎず、全然大したものじゃない。

マスクが勝ったのは株式市場における美人投票なのだ。理論的には、株価は継続的な利益とキャッシュフローを生み出す企業価値の反映だが、実際にはその企業の現状と無関係に乱高下することがある。

なんでイーロン・マスクはそんなにリッチなのか? それは人々が彼に賭けているからだ。しかも宝くじなど一般の賭けと違い、株式市場ではレースが終わる前に賞金を現金化できてしまう。

これがアメリカにおける不平等の最大の要因の一つであり、コロナ禍で(庶民が苦しむ一方で)金持ちが大いに資産を増やした理由でもある。

yamdas.hatenablog.com

ここまで読んで、どうしても以前解説したオライリーの文章を思い出してしまう。betting economy と operating economy の対比はこの文章にも出てくるが、このエントリに対する反応にも以下のようなものがあった。

ティム・オライリーが「シリコンバレーの終焉」について長文を書いていたのでまとめておく - YAMDAS現更新履歴

イーロン・マスクを気候変動億万長者の例としてあげてるようだけど、テスラはbetting economyの代表株だと思うのだが。

2021/04/21 00:42

イーロン・マスクを気候変動億万長者の例としてあげてるようだけど、テスラはbetting economyの代表株だと思うのだが。 - doas1999 のブックマーク / はてなブックマーク

確かにワタシは、この文章でオライリーはテスラを operating economy と見なしていると読んだのだが、上に引用したように反対だろと見る人もいるだろうし、今回の文章をここまで読んだだけでは、オライリーもテスラ(というかイーロン・マスク)を betting economy そのものと思ってるんじゃないのと読めてしまう。どうなのか?

確率はどれくらい?

株式市場がレース中に賭け金を現金化できるものなら、それなら何をもってレースは終了なのか? 起業家や初期ステージの投資家にとっては株式公開が一種のゴールだし、買収や事業停止もまたしかり。一方で、企業の利益で投資を回収する時点をもって「レースの終わり」とも言える。

例えば、100万ドルかけて会社を買い、その会社が年間10万ドルの利益を出すなら、投資額は10年で回収できる。もちろん、今日得られる1ドルと10年後、20年後に得られる1ドルは同価値ではないが、単純化してしまえば、株とはその会社の将来の利益と現在の価値に対する請求権と言える。

成長率も企業価値に影響を与える。株を買ったときにその企業のライフサイクルのどの段階にあるかでその所有価値は決まる。例えば、今の Apple などビッグテックが5万ドルの利益しかあげてなかったころに運よく株を買えたなら、わずかな投資であっても長期保有で億万長者になれるかもしれない。テスラもそうした企業になれるかもしれないが、既にテスラの株式市場での評価は十分高いので、その「未来を買う」チャンスは過ぎ去っている可能性が高い。

テスラの PER(株価収益率)1396で(注意:リンク先の数字は、当然オライリーが原文を書いたときとかなり異なる)、今テスラの株を買ったら、その資金を利益分配で取り戻すのに1400年近くかかることになる。最近テスラの収益は上がり、また株価もかなり下がっているので、今ならおよそ600年待つだけで済むよ。

もちろんテスラが自動車産業で圧倒的な強さを発揮して利益を増やす可能性はあるが、Big Market Delusion: Electric Vehicles という分析によると、電気自動車メーカーは売上も利益も少ない上に、将来的に競争が激化する可能性があるにもかかわらず、既に既存の自動車産業とほぼ同等の評価を受けている。

ならなんで投資家はテスラの株を買うのか? 簡単に言えば、テスラ株はもっと高い値段で誰かに売れると考えるからだ。17世紀のオランダのチューリップ・バブルを引き合いに出すまでもなく、そうしたバブルはいずれは崩壊する。

この賭博経済は、合理的な範囲内であれば良いもので、未来への投機的投資はいろんな新製品、生産性や生活水準の向上をもたらす。テスラは再生可能エネルギーのゴールドラッシュをもたらしたが、これは気候変動の問題を考える上で重要なことだ。賭博の熱狂は(インターネットの構築がそうだったように)有益な集団的フィクションとなりえるし、革命的な新技術が受け入れられるサイクルでバブルは自然な現象である。

ここでオライリーは賭博経済が道を踏み外した例として、WeWork と Clubhouse を挙げていて、シリコンバレーには、利益も出さず、ビジネスモデルも機能せず、収益への道筋もないのに時価総額が数十億ドルの企業が溢れている、と苦言を呈している。オライリーさん、Clubhouse は評価できませんか(笑)。関係ないですが、ワタシも先月末に Clubhouse のアカウントを削除しました。

そしてオライリーは、前回同様ケインズの『一般理論』から、「事業の安定した流れがあれば、その上のあぶくとして投機家がいても害はありません。でも事業のほうが投機の大渦におけるあぶくになってしまうと、その立場は深刻なものです。ある国の資本発展がカジノ活動の副産物になってしまったら、その仕事はたぶんまずい出来となるでしょう」のくだりを引用し、ここ数十年、ドットコムの崩壊、サブプライムローンの崩壊、現在のシリコンバレーの「ユニコーン」バブル、と経済全体が投機の渦に巻き込まれるのを目の当たりにしてきたと書く。

なぜバブルが重要なのか

賭博経済のプレイヤーは不釣り合いに裕福なので、負けることを恐れていない。株式市場の価値の半分以上をアメリカ人の上位1%が保有している。アメリカ人の下位50%は、株式市場のたった0.7%しか保有していないのにね。

地元の個人経営の会社なら、1ドルの利益はそのまま1ドルの価値だが、テスラは1ドルの利益で600ドルの株式市場価値を引き出す。このバブルこそが、現代の経済において、金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏になる理由の一つである。金持ちと貧乏人は、現実には別のルールで仕切られる別の経済に生きているのだ。金持ちの多くは、資産が金融化され、賭博経済に参加でき、何十年分もの将来の収益を反映した株価で評価される、つまり未来から無利子の巨額融資を受けられる「スーパーマネー」の世界に住んでいるのだ。

さて、ここまで読んだところで、オライリーが改題したタイトル「Two economies. Two sets of rules.」の意味、そして、その下に添えられた「イーロン・マスクはスーパーマンではない。だけど彼には「スーパーマネー」がある」という文の意味が分かるわけですな。

イーロン・マスクは世界を変える会社を二つも作り上げた(テスラとスペースX)。でもいくらなんでも富が多すぎやしないか? バーニー・サンダースが「億万長者は存在すべきではない」と言ったとき、マーク・ザッカーバーグは蓄積される富の中には理不尽なものもあると認めたが、何十億ドルもの報酬がないと起業家がイノベーションを起こさなくなるという考え方は、悪質な幻想である。

ならばどうすべきか

富裕層に税金を課し、その富を再分配すれば問題は解決すると思うかもしれない。実際、1970年代まで、つまりはレーガノミクス登場前は、所得税累進課税率が90%に達していたため、富の再分配と幅広い中産階級の形成がうまくいった。オライリーはそれはそれとして、幻の富を生み出している「賭博経済」にも歯止めをかける必要があるのではないかと訴える。

不平等を解消するには、「スーパーマネー」が経済で果たしている役割を認識しないといけない。それなしに増税しても効果は薄いというわけ。

しかし、政府がスーパーマネーに甘いという現実がある。世界中の中央銀行は、インフレを引き起こさずに成長率を維持するため、サブプライムローン問題以降、刷ったお金を世界中にばらまく「量的緩和」によってこれを実現しようとしている。それにより金利は低く保たれ、理論的には実体経済への投資が活発になり、雇用や工場やインフラに資金が供給されるはずだった。が、現実はそうはならず、あまりにも多くのお金が賭博経済に費やされてしまった。

株式市場が経済の中心となってしまい、株価が下がるような政策をとった政府は失敗したとみなされる。これは公共政策や投資判断の誤りにつながる。

ここでオライリーは、ワシントンポストのコラムニスト Steven Pearlstein2020年に書いた記事から、「FRB連邦準備銀行)は市場が活況なときには手綱を締めず、市場が下降線となるや、市場は合理的でないと大量の融資を行う。つまりは FRB は株価に床を与えるが、天井は与えない」というくだりを引用する。

中央銀行がやるべきこととして、オライリーが主張するのは以下の3点。

  • 最初は小幅に、そして時間をかけて積極的に金利を上げる。それでバブルは崩壊するかもしれないが、投資の裏付けを合理的に判断するようになり、市場は資本の配分をより適切に行えるようになる。
  • 金利を上げるかわりに、より大きなインフレ率の上昇を受け入れる手もある。トマ・ピケティが『21世紀の資本』で論じたように、インフレは不平等を減少させる主要な力のひとつだ。
  • 賭博経済における株価上昇ではなく、事業経済(operating economy)における中小企業の起業、雇用、収益を目指す。

税制も重要だ。ここでオライリーは、税制に関するアイデアをいくつか紹介している。

ここでオライリーは、税金の抜け穴をソフトウェア企業にとってのゼロデイ脆弱性にたとえている。つまりは、気づいた時点でさっさと穴をふさぐべきだし、バックドアをシステムに組み込むべきでもないのだ。

そしてオライリーは、税制とソフトウェア企業のアナロジーを敷衍し、FacebookGoogleアルゴリズムを変更しないで、誤報やスパムで市場を混乱させることが許されないように、税制をもっとダイナミックに変えられるようにすべきという本文においてもっともラディカルなアイデアを披露している。Facebookアルゴリズムに責任を持たせることが可能なんだから、政府にも同じことができるんじゃないか? というわけ。

つまり、我々の社会や市場を設計する「アルゴリズム」は、我々の意図するものになっているか? という問いかけですね。

正直、ケイザイに明るくないワタシにはオライリーの提案の妥当性について偉そうに評価はできないが(そのせいで文意を取り違えているところがあればご指摘ください)、金利を上げるよりはインフレ率の上昇を受け入れるほうが良いかと思いますね。最後の税制に関するアイデアはワタシも大賛成です!

しかし、オライリーイーロン・マスクに対する評価には、なんともねじれたものを感じる。オライリーは彼のテスラとスペースXを「世界を変える会社」と評価する。しかし、テスラの株価は事業収益に見合ったものではまったくなく、まぎれもなくバブルだし、イーロン・マスクがリッチなのは、企業の PER に合致しない「スーパーマネー」を彼が株式市場から得ているからと断じる。けど、バブルが一概に悪いというのではなく、賭博経済が新製品や生産性向上の原動力になることもあるし、ただし、現在のバブルが合理的な範囲内かというと――と話が蛇行する感がある。

wirelesswire.jp

5年以上前に書いた文章だが、ティム・オライリーリバタリアンであるポール・グレアムの経済的不平等論を斬っていたが、ワタシはグレアムが経済的不平等を論じるのにトマ・ピケティ『21世紀の資本』を引き合いに出さないのはおかしいだろと思ったので(そう書いている)、オライリーがちゃんと『21世紀の資本』を援用していてそうだよな! と思ったものだが、そうした意味でオライリーの視座は一貫していると言えるだろうか。

とはいえ、リバタリアンの最後の拠りどころであるシリコンバレーのスタートアップを支持してきたオライリーが、前回の文章に続いて見せるシリコンバレーの賭博経済に対する強い嫌悪には少しギョッともしてしまう。

そういえば、そろそろピケティの新刊の邦訳も出る頃ですかね。

あと文中引き合いに出される Steven Pearlstein の新刊も、書名からしオライリーの主張と親和性が高そうだ。しかし、この人の本って邦訳出てないな。

元祖ウィキペディア構想? H.G.ウェルズの埋もれた作品『World Brain(世界の頭脳)』の新装版が出る

調べものをしていて、『タイム・マシン』、『宇宙戦争』、『透明人間』、『モロー博士の島』など近年まで何度も映画化されている SF の古典の作者で、「SFの父」とも呼ばれるハーバート・ジョージ・ウェルズH.G.ウェルズ)の『World Brain(世界の頭脳)』が来月再発されるのを知る。

World Brain

World Brain

Amazon

H.G.ウェルズというと、今年は没後75年で、そういえば英国の2021年記念硬貨にH.G.ウェルズ記念デザインが入り……おい、ちょっとおかしいぞ! というのが少し話題になったが、それだけで上に挙げた SF の古典に比べれば知名度が低い『世界の頭脳』の新装版が出るのか不思議になる。

これは、サイバーパンクの代表的存在であり、またハッカー文化サイバースペースにも造詣の深いブルース・スターリング(ワタシも『Make: Technology on Your Time』日本版で彼の文章をいくつも訳しました!)が「まえがき」、『Good Faith Collaboration: The Culture of Wikipedia(善意にもとづく共同作業:ウィキペディアの文化)』の著者であり、『Wikipedia @ 20: Stories of an Incomplete Revolution』の共編者であるジョゼフ・リーグルが「序論」を寄稿しているのがポイントなのだろう。

Of course, as Bruce Sterling points out in the foreword to this edition of Wells's work, the World Brain didn't happen; the internet did. And yet, Wells anticipated aspects of the internet, envisioning the World Brain as a technical system of networked knowledge (in Sterling's words, a “hypothetical super-gadget”). Wells's optimism about the power of information might strike readers today as naïvely utopian, but possibly also inspirational.

World Brain | The MIT Press

つまり、H.G.ウェルズの『世界の頭脳』で書かれる「世界百科事典」の構想は、ウィキペディア(というかインターネットそのもの?)の元祖とも言えるもの、という視座からの再評価なのだろう。もちろん今の目で読めば、ウェルズの構想がユートピアすぎるという見方はあるだろうが。

当然『世界の頭脳』にも既存の邦訳はあるが、1980年代に出たものでとっくに絶版なので(Amazon マーケットプレイスですごい値段がついている)、今回の新装版の邦訳は意味あると思うのだが難しいですかねぇ。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドキュメンタリーがカンヌでお披露目され、賞賛されている模様

variety.com

ベルベット・ゴールドマイン』や『アイム・ノット・ゼア』といった一癖あるミュージシャンの伝記的な映画をものにしているトッド・ヘインズがてがけるヴェルヴェット・アンダーグラウンドドキュメンタリー映画のことは、2019年5月に取り上げているが、それから2年余り経って、その『The Velvet Underground』というそのものズバリなタイトルの映画はカンヌ国際映画祭でお披露目された。

遺されたアーカイブ映像、そしてジョン・ケイルをはじめとする生存するメンバーへのインタビューが使われているのはまぁ当たり前だけど、ルー・リードの妹さんもインタビューを受けてるとな。

出ている評を見る限りだいたい好意的で、このバンドをこよなく愛するワタシ的にも嬉しい話だが、この Variety の記事における、トッド・ヘインズジョン・ケイルをバンドにおける純粋さのメタファーと見ているのではないか、モーリン・タッカーにインタビューしてるけどなんで彼女の革命的なドラミングについて触れないんだ、ヴェルヴェッツの音楽の素晴らしさと謎を語る批評家の意見を含んでいないのはトッド・ヘインズは重要な間違いを犯してると思うぞ、という感想は興味深い。

variety.com

同じ Variety の記事だが、こちらは「いかにしてトッド・ヘインズはドキュメンタリーでルー・リードを生き返らせたか」というタイトルで、監督にとってはそれが最大の課題だったようだ。

この記事を読むと痛感するのはアーカイブの重要性で、ワタシもルー・リードアーカイブについてはこのブログで何度か取り上げている。

そして、最後に引用されているトッド・ヘインズの発言、「この映画はこのバンドだけではなく、多分にニューヨーク・シティ肖像画でもあるんだ」という発言も奮っているね。

しかし……この映画は Apple TV+ でのストリーミング配信が決まっており、Netflix しか契約していないワタシは観れないのが残念である。

フー・ファイターズがマディソン・スクウェア・ガーデン公演でデイヴ・シャペルと演った「クリープ」の珍しいカバー

nme-jp.com

マディソン・スクウェア・ガーデンが公開した動画を見ると、フー・ファイターズのマディソン・スクウェア・ガーデン公演は、単にロックバンドの公演というだけでなく、ニューヨークにライブが戻ってくる! という感動が伝わってくるものになっている。

片や大観衆で満員のライブが再開できるところもあれば、一方日本では……とどうしても思ってしまうが、この話題をしだすと、どうしようもかく腹立たしくなってしまうのでここで止めておこう。

このライブ自体特別感があったようで、NME の記事にも「コンサートではコメディアンのデイヴ・シャペルがゲスト参加してレディオヘッドの“Creep”のカヴァーも披露されている」という記述があるが、この映像も紹介しておこう。

フー・ファイターズがこの曲をライブでカバーなんて通常では考えられないわけで、これはアメリカを代表するコメディアンであるデイヴ・シャペルの希望なんだろうが、なんでまたよりにもよってデイヴ・シャペルがこの曲を望んだのかすごく不思議というかヘンだけど、すごく盛り上がっている。

関係ないが、デイヴ・シャペルってワタシと同い年なんだよな。彼がプロデュースし、ミシェル・ゴンドリーが監督した『Dave Chappelle's Block Party』の DVD は絶版なのかぁ。

nme-jp.com

そうそう、フー・ファイターズといえば、デイヴ・グロールが少し前に面白い話を披露していたが、今年出た新譜も結構ダンサブルで良かったよね。

2021年上半期にNetflixで観た映画の感想まとめ

今年も昨年に続いて映画館に足を運ぶ機会がなかなか持てず、というか上半期で5本しか映画館で観れず哀しい限りである。

その代わりといってはなんだが、Netflix で映画を観たのでその感想をまとめておく。昨年もそうしたエントリを書いたが、一年分をまとめて書くと、ワタシもジジイのため思い出せなかったりして情けなくなるので、上半期で一度まとめておきたい。

基本的に観た映画でも新作、もしくはそれに近いものだけにさせてもらう。飽くまで Netflix で観た映画ということで、Netflix 制作に限らない。

この茫漠たる荒野で(Netflix

『キャプテン・フィリップス』以来のポール・グリーングラス監督、トム・ハンクス主演の映画である。

News of the World という原題が、新聞のニュースの読み聞かせをして各地を渡り歩く主人公の立ち位置を表していることを考えると、この邦題が損なっているものもあるが、「茫漠」という単語が邦題に入る映画を他に知らないので、このユニークな西部劇を表現するものとしては悪くない。

ポール・グリーングラスは本作でも器用に西部劇をものにしているし、トム・ハンクスが主人公なので安定感があって、はからずも旅を一緒にすることになる少女との関係を安心して観ていられる。


マ・レイニーのブラックボトム(Netflix

本作でチャドウィック・ボーズマンアカデミー賞主演男優賞は堅いと言われていたが、蓋を開けたら『ファーザー』アンソニー・ホプキンスがとってしまい、そのまま放送事故のような中継番組のエンディングを迎えるという不幸があった。

『ファーザー』も本作も舞台劇を元にしており、本作はバンドの控室とレコーディングスタジオのいずれかでだいたい話が展開するが、チャドウィック・ボーズマンは熱演で映画をドライブさせている。マ・レイニーを演じるヴィオラ・デイヴィスも負けておらず、個人的にはむしろ彼女がアカデミー賞で主演女優賞をとれなかったのが悔しかったくらい。

本作は音楽劇だけど、音楽はブランフォード・マルサリスが担当してるんですね。


メーキング・オブ・モータウンNetflix公式サイト

yamdas.hatenablog.com

AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは(Netflix

yamdas.hatenablog.com

愛してるって言っておくね(Netflix

『隔たる世界の2人』も短編だったが、こっちは12分とさらに短く、アカデミー賞短編アニメ賞を受賞している。

痛ましい実際の事件に材をとっているが、その事件そのものではなく、その悲劇がある夫婦にもたらした拭い難く深い傷が簡潔に表現されている。これはワタシがどうこう書いてもしょうがない種類の作品で、10分ちょっとなんだから観れる人は観ろとしか言いようがない。

ラブ&モンスターズ(Netflix

この映画はまったくノーマークだったのだが、真実一郎さんのツイートを見て、特に The The のあの名曲で始まると知って、俄然観たくなった。

真実一郎さんが書く通り青年の成長物語であり、壊れたロボットと交流の場面で流れるあの曲(タイトルを書けない)にオマージュにグッときたりするが、それならその後の場面で主人公は××に血を吸われているべきだろ、と演出が惜しいと思ったりもした。が、この映画でそれをやるとヤバいということだろうか(なにしろ生物が巨大化しているので)。

離れ離れになった恋人に会いたくて危険を顧みずに旅に出た青年が、果たして彼女に会えたら――だいたい見当がつくんですね。しかし、ここからの展開、そして最後の主人公の選択が良いんですよ。


オクトパスの神秘: 海の賢者は語る(Netflix

評判になっていたドキュメンタリー映画で、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したことで、ワタシも観てみようかと思った次第である。

確かにこれはよくできている。ワタシはもっぱらタコは食べるほうの専門だが、そんなワタシにも確かに主人公とタコの関係性の不思議さを感じさせてくれた。

しかし……こんなことを思うのはワタシが性格が悪くからに違いないが、ある意味世捨て人的に海に潜りだした傷心の主人公を、なんで最初からこんなしっかり撮ってるんだ? 特に本作のクライマックスであるタコとサメの攻防はどういう体制で撮影したんだろう、本作はどこまでドキュメンタリーなんだろう? とか思ってしまった。

はてな出身の文筆家をもう40人ざっと挙げてみる(主に2016年以降)

[2021年7月6日追記はじまり]

はてなブックマークコメントや Twitter でのご教示を受け、10人追加させてもらました(エントリタイトルや記述も一部変更しました)。

一部反応についてはリストに含めない理由を直接ご説明させていただきました。これでもまだ足りないと思いますが、一応ここまでとさせてください。なお、アカウントを削除されている方はそれ自体意思表示であり、こうしたリストに含めるべきではないと考えます。

[2021年7月6日追記おわり]

yamdas.hatenablog.com

pha さんの「結局みんなキャッキャウフフしたかっただけなのか」にリンクされたおかげで、このエントリのはてなブックマークが今になってぐっと伸びたのだけど、これは2015年末、今から5年前以上にまとめたエントリである。そこで自然と以下の疑問が浮かぶ。

これについて pha さんをはじめリプライをいただき、また前回のリストに入るべきだったのにワタシが見逃していた方を調べなおし、2016年以降編をまとめてみた(タイトルに「40人」と書いているが、実際には41人である。その意味は読んでいただければ分かると思う)。

リスト入りの条件は、だいたい前回と同様の「初めての著書を出す前からはてなブログはてなダイアリーをメインのブログとして利用していた人」とさせてもらう。ここでの「著書」は一般の出版社から刊行された紙の本の単著とさせてもらい、共著や編著、また電子書籍のみはカウントしないものとする(これも含めちゃうとワタシすら入っちゃうので)。また条件に合っているだろうと思っても、はてなのアカウントを削除済だと情報の特定が難しいので除いている。

前回のリストについて「卒業名簿みたい」という声があったが、今回にしても note などに移られた方が何人もおり、卒業名簿の気配はやはりある。前回30人、今回40人、合計70人を選ぶことで、極私的「はてな葬送の儀」を行ったとも言えるのかもしれない。

以下、あいうえお順。一部、敬称略。

ARuFa(id:arufaTwitterWikipedia

現在はオモコロ並びにそこでの匿名ラジオの更新が主になっているが、この方こそネットでとにかく面白いことをやり続けていたらそれが書籍につながった見本と言えるだろう。

石井あらた(id:banashi1Twitter

ご本人のブックマークコメントを受けて追加。この方の「山奥ニート」生活についてはスーモジャーナルのインタビューに詳しい。

石井てる美id:gotoshin_terumiTwitterWikipedia

前回のリストには、この方を「文筆家」として入れるのはおかしいと思って入れなかったのかもしれないが(正直記憶が不確か……)、10年以上前からはてなダイアリーをやられていた方であり、そういうこだわりはもういいでしょうと今回入れさせてもらう。

原千尋水辺遍路Twitter

全国の9000あまりの池をめぐるというライフワークを記録するブログについては、週刊はてなブログへの寄稿に詳しい。ご本人は「ブログらしくない使い方」と書かれているが、ここまで蓄積されたときにものすごいデータベースになるという見本だろう。

ワタシも故郷の西山ダム本河内高部ダム本河内低部ダムのエントリを見て、おおっ! と盛り上がった覚えがある。

井中カエル(id:monogatarukamTwitter

映画、アニメ、漫画のレビューブログはある意味定番なのかもしれないが、この方の場合カエルと主の対話形式というフォーマットがかっちり決まっているのが個性になっている。

尾登雄平(id:titioyaTwitter

世界史ブログというとワタシも「歴ログ」が好きなのだけど、この方の週刊はてなブログへの寄稿を読むと、それを支えているのは毎日の勉強なのだなと頭が下がる思いである。

紙屋高雪id:kamiyakenkyujoTwitterWikipedia

マンガ評論の分野で著名な方であり、ワタシも昔から名前を存じていたため、リストに入らないと思い込んでいた。申し訳ありません。近年は町内会についての著書も書かれており、2018年の福岡市長選への立候補も話題となった。

月山もも(id:happydustTwitter

この方は「つきやま」だと思っていたのだが、NHKラジオの記事で「がっさん」なのを知った([2021年7月6日追記]:ご本人より「つきやま」で合っているとのコメントをいただきました。失礼しました)。毎回写真のクオリティが高い「山好きの女子による温泉ブログ」だが、車の運転免許を持っていないので、基本的に公共交通機関を利用というのに驚いた覚えがある。日常の記録は note のほうにある。

亀田恭平(id:kkamedevTwitter

公式サイト。ネイチャーエンジニアを自称するこの方は、「自然×IT」という軸が定まっており、最近は電子書籍やアプリも多数公開されているが、ブログの更新頻度がまったく落ちていないのはすごい。

北村紗衣(id:saebouTwitterWikipedia

さえぼう(さえぼー)先生の呼称でも知られるフェミニスト批評の強力な書き手であり、ウィキペディアンとしての活動も知られる(参考:特別企画「ウィキペディアとフェミニスト批評」)。この方の意見に常に賛同するというわけではないが、だからこそ氏の書くものには本当に教えられることが多い。

くどうれいん(工藤玲音)(id:eyezonTwitter

既にはてなブログを閉鎖し、完全に公式サイトに移行されており、このリストに含めるのは違うのかもしれないが、ご本人がそのブログ「水中で口笛」の意義と閉鎖の理由について書かれている文章を読み、どうしても入れたくなった。

群像4月号に発表した「氷柱の声」は、第165回芥川龍之介賞の候補作になっている。藤野可織さんに続くはてなユーザの芥川賞受賞が実現してほしいところ。

gemomoge(id:gemomogeさっさっさっと毎日のごはんTwitter

レシピブログもワタシの守備範囲外なのだが、この方の週刊はてなブログの寄稿は、料理写真の撮り方のとても参考になるものだと思う。

佐々木拓郎(id:dkfjTwitter

ご本人のツイートを受けて追加。AWS を中心としたクラウド技術の活用についての本を多く執筆している。

柴那典(id:shiba-710TwitterWikipedia

かつてほぼ毎月購入していた雑誌 rockin' on のバックナンバーを取り上げるコーナー「ロック問はず語り」をやってたワタシ的には、この方の名前は約20年前からなじんでいたわけで、こういうリストに入れるのはとてもヘンに感じてしまう。というか、最初の著書が出たのは2014年なのだから、前回のリストに入れるべきだった。失礼しました。

Yahoo!個人をはじめ、CINRA.NET現代ビジネスなどに寄稿されているが、最近では「無力感の中で」を読んで感じ入るところがあった。

ジニ(id:arcadia11Twitter

現在は note に軸足を移されている。FINDERS で連載「ゲームジャーナル・クロッシング」、他にも 4Gamerリアルサウンドなどに寄稿している。

杉田俊介id:sugitasyunsukeTwitterWikipedia

雑誌「対抗言論」を立ち上げ、昨年末に刊行された『人志とたけし』も話題になった著者だが、思えば氏の初の単著『フリーターにとって「自由」とは何か』(asin:4409240722)を出された2005年は、はてなダイアリーの更新がもっとも活発であった時期でもあり、この方も前回のリストに含めるべきだった。

砂義出雲(id:sunagiTwitterWikipedia

砂義出雲先生(公式サイト)も前回のリストに入るべき方だった。本当に申し訳ありません。

はてなブログは近年は年数回の更新ながら、今年はゲーム『Outer Wilds』についてのエントリを二つバズらせており(その1その2)、素晴らしいことだと思う。

辰巳JUNK(id:outceptionTwitter

この方も note に移行しつつあるが、アメリカのエンタメ関係におけるワタシの情報源の一つである。昨年までは文春オンライン、その後も CINRA.NETRolling Stone Japan に寄稿されている。

たぱぞう(id:tapazouTwitter

ワタシ自身は投資関係は未だ門外漢に近いので、氏については週刊はてなブログへの寄稿を読んでもらうのがよいと思うのだが、今年6月に2冊新刊が出ておりすごいと思った。

斗比主閲子(id:topisyuTwitter

今回の特集の契機になった pha さんの文章を受けて、トピシュさんも「今から3年前の6月にHagexさんが亡くなられてから、ネットで誰かと接点を持つことが極端に減りました」を書かれている。それを読み、ワタシも Hagex さんが亡くなられたとき書いた文章を思い出したりした。

名取宏(id:natromTwitterWikipedia

2004年以来の言わずと知れたベテランユーザである NATROM 先生も本来なら前回のリストに含めるべきだった方であるが、やはり「文筆家」はおかしいと入れなかったのか。いずれにしても申し訳なし。

さすがに2010年代以降は更新頻度が下がっているが、コロナ禍においても変わらず有意義な情報発信をされていることに感謝したい。

乗代雄介(id:norishiro7TwitterWikipedia

2015年に「十七八より」で群像新人文学賞を受賞してデビューし、2018年に『本物の読書家』で野間文芸新人賞を受賞、そして今年2021年に『旅する練習』で三島由紀夫賞を受賞と小説家としてのキャリアを着実に積まれている氏だが、そのデビュー時点ではてなブロガーとしての長いキャリアがあり、ブログ名を冠した『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』が昨年書籍化されている。

速水螺旋人id:rasenjinTwitterWikipedia

ソビエト連邦/ロシアを舞台とする作品で知られる漫画家で、最初の単行本が出る前年の2007年からはてなダイアリーを使われていたのでリスト入りすべきだった。

昨年も安倍首相辞任を受けたエントリが評判になった。

はらぺこグリズリー(はらぺこグリズリーの料理ブログTwitter

料理ブロガーとして知られ、『世界一美味しい煮卵の作り方 家メシ食堂 ひとりぶん100レシピ』は第4回料理レシピ本大賞 in Japan の大賞を受賞している。

藤井太洋id:t_traceTwitterWikipedia

2012年に公式サイトに移管されているが、2003年から2008年まではてなダイアリーのヘビーユーザーだったのだからこのリストにも含めないのはおかしかった。今や日本を代表するSF作家であり、『オービタル・クラウド』で日本SF大賞、『ハロー・ワールド』で吉川英治文学新人賞を受賞している。

ふろむだ(分裂勘違い君劇場 by ふろむだid:fromdusktildawnTwitter

この方の「分裂勘違い君劇場」があまりに長く人気ブログだったので、2018年まで著書がなかったというほうが不思議に思えて仕方ないくらだい。

平民金子id:heiminTwitter

現時点で、はてなブログが非公開なのは残念だが、朝日新聞「神戸の、その向こう」を連載されている。

平民さんには一昨年にお会いする機会があり嬉しかったが、それよりもお互いのことをネットでそれとなく認知しながら、長らく同じ時間を別々に生きてきたこと、そちらの方が重要だったのだ。

ぼのこ(id:rmtnTwitter

正直、週刊はてなブログへの寄稿を読むまで、この方のサイトがはてなブログでできているのにも気づかなかったくらいである。漫画ブログ自体は珍しくないが、この方の場合、YouTube も同時展開しているのは特色と言えるだろう。

ネムラコーヒー(id:minemuracoffeeTwitter

ご本人のツイートを受けて追加。昨年カクヨムで多くの人を震撼させた衝撃の作品の書籍化『転生したらスプレッドシートだった件』については KAI-YOU.net の記事に詳しい。

山下泰平(id:cocolog-niftyTwitterWikipedia

公式サイト。この方の異才はゼロ年代からとんでもないもので、ワタシも2008年に一度お会いしたときに失礼なことを口走った話は以前にも書いたが、その異能がようやく書籍の枠に収まるところまで環境が整ったというべきなのかもしれない。

山田耕史(id:yamada0221Twitter

はてなブログで著名なファッションブログをやっているとなるとこの方しか浮かばない。現在ワークマンオンラインストアブログにも寄稿されている。

YUKIKAWA(ハングルマスターTwitter

韓国語の勉強というコンテンツが書籍化という夢の実現につながった方だが、一昨年は毎月100本、昨年は毎月80本、そして今年も毎月40本とずっと一定のペースでブログ記事を量産されているのはすごい。

なんでマイクロソフトは死ななかったのか?

www.nytimes.com

マイクロソフトは長年大きな失敗を犯したが、今ではまたテック界のスーパースターに返り咲いていることについての記事だが、これはかつて↓という文章を訳したワタシ的には取り上げないといけないでしょうね。

www.yamdas.org

ポール・グレアムが原文を書いたのは2007年だが、確かに当時マイクロソフトは明らかにイケてなかった。「悪の帝国」イメージも健在だったし、この記事ではマイクロソフトの暗黒時代をゼロ年代半ばから2014年までとしているが、「ジョークのオチに成り下がった」という表現が感じをつかんでいる。

しかし、今では再びテック界のスーパースターなわけで、ほとんどすべてに失敗しても企業再生は可能ということなのか、それとも独占企業というものはかくも殺しにくいものなのか(あるいはその両方か)。

これは現在いろいろと憎悪の対象になっている(日本でのみ GAFA と呼称される)ビッグテックについて考える上で、マイクロソフトから学ぶことはないかという話ですね。

マイクロソフトの暗黒時代、実は企業業績はそんなに悪くはなかったのだが(スティーブ・バルマーが CEO を半ば退任させられた2013年でさえ270億ドルを超える利益をあげている)、当時、検索エンジンスマートフォンへの参入に失敗したのは確かである。

マイクロソフトの再生には、クラウドコンピューティングへの取り組みとそれに伴う企業文化の変化に成功したのが大きい。思えば、ワタシも2008年に「改めてさらばわれらがビル・ゲイツ、もしくはマイクロソフトのクラウドOSへの遠い道のり」という文章を書いているが、「クラウドOS」なんてマイクロソフトの企業文化では実現は難しかろうと正直思っていた。

そしてこの記事では、マイクロソフトの顧客が個人ではなく企業であり、企業向けのプロダクトは必ずしも技術的に優れていなくても勝てる。それが GAFA との違いと分析している。

となると、たとえ新技術に対応できずに中途半端な製品を作り、官僚主義に悩まされたとしても、既に規模がでかくてマーケティングが巧みであれば成功を維持できるということにならないかと疑問を投げかけており、強力な企業が勝ち続けるのに偉大である必要はなく、それに取って代わるものがないだけかもしれないというのがこの記事の締めなのだが、これはいくらなんでもマイクロソフトの企業努力に対して失礼だとワタシは思う。

サティア・ナデラ CEO による相互運用性を高めるアプローチは、明らかにマイクロソフトの製品力とイメージの両方を高めた。今では Windows OS 上で Ubuntu が走るのは当たり前、Windows 11 では Android アプリが動きWindows 版 iMessage も歓迎というところまできている。これはビル・ゲイツスティーブ・バルマー体制の頃には夢にも思わなかった話である。

yamdas.hatenablog.com

(現在の)マイクロソフトを未だかつての「悪の帝国」イメージのまま語り、ズレている人をネットでたまに見かけるが、現在その「悪の帝国」は GAFA の側である。企業の Windows ユーザをつかんで離さずに Office のクラウド版を実現した強かさを現在のビッグテックは(マイクロソフトと同様に独占禁止法の適用を逃れながら)学べるだろうか?

ネタ元は Slashdot

まぁ、今ではマイクロソフト低迷の元凶扱いのスティーブ・バルマーさんもワタシ未だ憎めないんですけどね。

南極の昭和基地では、料理の情報共有にWikiが使われていた

80c.jp

ワタシは南極には行ったことはないし、おそらくはこれからの人生で行くこともないだろう。つまり、自分とは縁のない土地なのだけど、一方で南極の話というだけで未だ何か心惹かれるものがあるのも確かである。

この記事は、第61次南極越冬隊の調理担当だった、南極炒飯こと依田隆宏さんのインタビューだけど、南極料理人ならではの工夫の話をはじめとして、全編とにかく面白く、読ませる。

個人的には、ちょっと他の人と異なるポイントで盛り上がってしまった。

―食べたい料理のリクエストもありましたか?

たまにありました。僕は基本的に1週間単位で献立を考えていて、最初は昭和基地にある『昭和Wiki』と呼ばれる情報共有システムにメニューをアップしていました。仕込み中に変えることもありましたけどね。

南極で炒飯を!昭和基地で中華を作る|依田隆宏さんインタビュー | 80C - Part 2

昭和Wiki昭和基地の情報共有には Wiki が使われているのか!

依田隆宏さんは「最初は」と言っているので、今は違っている可能性も高いが、それでも「昭和基地Wiki が使われているか!」と色めき立ってしまった。

冷静に考えてみれば、情報共有に Wiki が使われているからって当たり前の話で、南極だったら何が違うんだという話なのだが、Wiki エンジンは何が使われているのだろうか、PukiWiki だろうか? とか、記事の本筋から離れたところで想像を膨らませたりした。

以前紹介した洋書の邦訳刊行情報(新ジャポニズム産業史 1945-2020、世界を変えた「海賊」の物語、アルゴリズムの時代)

調べものをしていて、以前本ブログで紹介した洋書の邦訳が出る話を複数知ったので、まとめて紹介させてもらう。

yamdas.hatenablog.com

およそ一年前に取り上げたマット・アルトの日本のポップカルチャー論だが、村井章子さんの翻訳で邦訳が今月出る。

「日本のクリエーターと消費者は単なるトレンドセッターではなかった。先進国が迎えた晩期資本主義世界で、彼らは未知の領域のすこし先を歩いていたのである」という視座は興味深い。

ティーブン・ジョンソンというと少し前に人類の偉大な成果としての「余生」がテーマな新刊について書いているが、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」で取り上げた海賊についての本の邦訳が今月出る。

「海賊」は時にロマンティックな思い入れの対象にもなっているが、「現代のグローバル資本主義の誕生について語ろうとすると、「海賊」はもっとも重要な存在のひとつ」なのが、この本が書かれた現代的意義なのだろう。

ティーブン・ジョンソンは2020年版の洋書特集で取り上げたものだが、2019年版で取り上げたハンナ・フライの本が『アルゴリズムの時代 機械が決定する世界をどう生きるか』として来月出る。

さて、今回3冊取り上げたが、版元のウェブサイトに個別ページができていたのは、本文執筆時点で刊行がもっとも先の本だけだった。

またこのツイートを引き合いに出さなくてはいけないのだが、Amazon に情報を出せるのだから、版元のウェブサイトに個別ページを作れないはずはない。上記の通り、今回取り上げた本で個別ページができていたのはもっとも刊行が先の本だったというのは、要は版元にやる気があるかないか、それを重視しているかしてないかの違いでしかないのだろう。

Mr.ノーバディ

コロナ禍において、観に行きたくても諸事情により行けない映画が出てくる。『アメリカン・ユートピア』がそうで都合がつかず、フラストレーションが溜まっていたこともあり、都合がついた本作を観に行った。終映近く一日一回の上映になっており、客は少ないかと思いきや、座席が一つ空けとはいえほぼ埋まっていた。

ワタシはアメリカのコメディ番組には特に詳しくないので、ボブ・オデンカークのことをちゃんと認知したのは『ブレイキング・バッド』になるが、今ではそのスピンオフ『ベター・コール・ソウル』が、史上最高のドラマと言われた『ブレイキング・バッド』より自分の中で上になっており、果たして次シーズンで有終の美を見せてくれるかが楽しみであり、怖くもある。

そうした意味でオデンカークは、50台にキャリアの頂点に達した珍しい存在であり、『ブレイキング・バッド』でのブレイク後、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』など映画でも彼を観る機会が増えたが、主演作を観るのは初めてである。

『ジョン・ウィック』の制作スタッフによる映画ということで、あの映画のシリアスだけどその実ちょっとバカというか、少し抜けた感覚がオデンカークのとぼけた佇まいと合っていた。監督は Hagex さんが好きだったイリヤ・ナイシュラーで、彼が撮るのだからアクションも十分見ごたえがあり、ワタシの感じていたフラストレーションも少しは晴れた。

ジョン・ウィック』がそうだったように、本作の悪役も近年ハリウッド映画で遠慮容赦なく悪く描いてオッケーなロシア人(マフィア)なわけだが、そのあたりやはりロシア人であるイリヤ・ナイシュラーは思うところはなかったのだろうか。

本作は、自宅に侵入した空き巣犯に抵抗せず、周りからも家族からも弱腰と失望された主人公が暴力性を解き放つ話だが、ワタシ自身は主人公が実は(中略)ではなく、本当に平凡な中年男が爆発する映画のほうを見たかった。それでも本作のアクション(肉弾戦が特に良かった)と、それとともに強まるコメディ感覚は楽しめた。

本作の設定自体が「男性性」をあくまで映画のなかのファンタジーとして閉じ込めておくアイデア、と見る伊藤聡さんの評を読んで、なるほどと思うとともにタイヘンなものだとも思ったが、そのファンタジークリストファー・ロイドが貢献しているのも面白かった。

正直、本作に「気晴らし」以上のものを求めるのは違うと思うが、暴力のエキサイティングさがちゃんと描けており、これはこれで十分だった。

榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』を読んで、ジム・グリフィンと『デジタル音楽の行方』の蹉跌に思いを馳せる

yamdas.hatenablog.com

遅ればせながら、榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』を読了した。ワタシが読んだのは紙版だが、全体で600ページ超のずっしりくる、読み応えのある本だった。それだけの分量なので索引が割愛されているのだろうが、これはよくない傾向だと思うし、できれば DU BOOKS のサイトで PDF ファイルでもよいので提供してほしいところ。

著者の文章の面白さについてはワタシは何度も書いているが、とにかくストーリーテリングが強力で、歴史話を生き生きと読ませるし、その面白さが著者が思い描く「ポスト・サブスク」モデルにおける音楽産業の復活の話に結実する構成に力強さを感じる。

本書は1920年代、それこそエジソンの時代から現在までのおよそ100年間における音楽産業の隆盛と凋落の歴史を辿る。これを「〈危機〉を〈好機〉に変えた賢者の歴史」と読むこともできるだろうが、注目なのはその歴史に何人もの日本人、日本企業が名前を連ねているところで、これには著者の明確な意思を感じる。

つまり本書は「いやぁ、海外に比べて日本は遅れてますねぇ」的なイヤミを垂れ流すような本ではなくて、日本企業は音楽産業においてイノベーションに貢献してきたし、それは今も可能だという意思というかアジテーションが本書の最終章にあるわけだ。

アジテーション」という言葉を使ってしまったが、著者の現状認識は冷静だし、例えば「「ウェブ1.0はブラウザ中心の閲覧の時代、2.0はSNS中心のコミュニケーションの時代、3.0はブロックチェーンで中央集権解体と個人情報保護の時代」という論は、願望的予測のきらいがある。(p.589)」といった分析にもそれが伝わる。

著者がアジテートする「ポスト・サブスク」のフレームワーク、具体的には「定額制配信+都度課金」がどんなものかは、本書を読んでその真価をご判断くださいとしか言いようがないのだけど、やはりワタシを含め多くの人は、自分が若いときになじんだビジネスモデルこそが「正統(正当)」とどうしても思いがちなのに、ワタシと同世代の著者はその陥穽に落ちていない。

さて以下は、本書の内容から少し離れたワタシ個人の繰り言みたいなものである。

 「インターネットが普及すれば、音源のコピーを販売するビジネスモデルは崩壊する。だからダウンロード販売も上手くいかない」
 かつて定額制配信を提唱したジム・グリフィンはそう予言した。デジタルデータが無数の端末に複写されていくのがインターネットの技術的な本質だからだ。iTunesもCDも、実は根本的なビジネスモデルに変わりはなかった。楽曲のデジタルコピーを売ることでは同じだったからだ。iTunesが救世主とならなかった本当の理由は、まさにそれだった。
 iTunesミュージックストアが起こした革命は、音楽会社の流通を物流から通信に変えたことであり、エジソンが創始したビジネスモデルの根本は変わってなかったのだ。ダウンロード配信の失敗を予言したグリフィン。定額制ストリーミングの失敗を予言したジョブズ。まずジョブズの予言が当たり、やがてグリフィンの予言が当たるというのが、この二十年間だった。(pp.333-334)

このあたりにグッときてしまった。ワタシは2005年に『デジタル音楽の行方』を訳しているのだけど、ゲフィンレコードの CTO、ワーナーミュージックグループの社長など音楽業界の要職を歴任した、米レコード産業で思想的リーダーだった(『デジタル音楽の行方』では、当時 CEO を務めていた社名とともに「チェリー・レーン・デジタルの音楽未来思想家」と紹介されている)ジム・グリフィンは、『デジタル音楽の行方』にも謝辞に名前を挙げられており、その内容にも当然影響を与えている。そもそも『デジタル音楽の行方』が実現を訴える「水のような音楽」モデルは、端的にいえば定額制音楽配信サブスクリプションモデルとも言えるわけだ(が、それは現在の Spotify と同じではない。詳しくは後述)。

www.musicbusinessworldwide.com

そのジム・グリフィンは今年デジタルライツのテクノロジープラットフォーム Pex のデジタルライツ部門の VP に就任している。まだまだ現役ですね。

『デジタル音楽の行方』の本文にジム・グリフィンは2回登場しており、第1章の最初でアメリカのテレビ放送システムが広告収入に完全に依存しながら「資金プール」を作り出していることを指摘する彼の発言が引用されており、そして第7章でもその「資金プール」に関して彼の名前が再び引き合いに出される。

 デジタルネットワークの音楽に適用する自発的集合ライセンスが特に注意深く立案されれば、オンラインのファイル交換により生まれる大きな「資金プール」を作り出し、その後資金を分配する公平な手段を決めるだけで前述の問題を解決するかもしれない。レコード会社や出版社には自発的にそうした許諾システムを整備し、消費者がデジタル形式で欲しい音楽を容易に入手できるようにするチャンスが十分にあったことを考えると、彼らが自発的に行動するとはとても思えない。今となってはおなじみの理由からである。つまり、そうすると自分達がコントロールできないからというわけだ。しかし、ジム・グリフィンが非常に簡潔に延べる通りなのだ。「統制を行なう度に我々は敗北している。そのままにしておけば、必ずかつて戦った相手が我々に利益を与えてくれるようになる。我々には無秩序をお金に結びつける手段が必要だ」。(『デジタル音楽の行方』pp.200-201)

最初はサブスクリプションモデル、定額制ストリーミング配信を推すジム・グリフィンの予言は外れ、そのかわりにスティーブ・ジョブズiTunes ミュージックストアにおけるダウンロード販売が(海外では)成功した。そのまっただなかである2005年に(原書、邦訳とも)刊行された『デジタル音楽の行方』は、サブスクリプションどころかその前の iPod+iTunes モデルにすら乗り遅れまくっていた日本でまったく売れなかったのも仕方ない、と今更ながら自分をなぐさめたくなる。

しかし、である。iPodiTunes モデルに乗り遅れたことそのものを悪と短絡できないということは『音楽が未来を連れてくる』にも書かれており、問題の「資金プール」を作り出す手法において『デジタル音楽の行方』(とジム・グリフィン)は外していたことは正直に認めなくてはならない。『デジタル音楽の行方』が訴えた「水のような音楽」モデルは、イコール Spotify(や Apple Music)ではないのだ。

『デジタル音楽の行方』において、ジム・グリフィンの名前は自発的集合ライセンスによる「資金プール」の創出の文脈で名前が出てくる。もう一つ「資金プール」の創出法として『デジタル音楽の行方』には(機械的に徴収する)強制ライセンスも提案されており、ジム・グリフィンは「ISP 税」としてこの方式もアリなのではないかと提案し、電子フロンティア財団に批判されている。しかし、現実には「自発的集合ライセンス」とも「強制ライセンス」とも違った形で現在のサブスクリプションモデルは実現している。

だから、『デジタル音楽の行方』が「水のような音楽」で想定したほど安価ではないが、Spotify をはじめ(有料版は)各社月1000円前後という現実的な線で定額制音楽配信が実現している……が、それを「現実的」な値ごろ感と思うのはワタシが主に洋楽リスナーだからであって、日本の音楽産業ではまた話が違うというのは『音楽が未来を連れてくる』でも丁寧に説明されていることであり、そうした意味でワタシはこの本を読まれることをお勧めします。

wirelesswire.jp

ここからまた繰り言になるが、初代 iPhone が発売される2年以上前の段階で、2015年時点の「スマートフォン」の在り方を「ユニバーサル・モバイル・デバイスUMD)」としてかなりな精度で予測し、「水のような音楽」モデルを提唱した『デジタル音楽の行方』の売り上げがとても低調だったのは、訳者として残念でならない。もっと早くに安価な Kindle 版でも出ていれば少しは再評価が……とか未練がましいことを思ってしまう。

数年前、故郷の行きつけのバーで飲んでいて、何かの流れで佐野元春の話になり、うっかり「好きだし、恩義もある」と口走ったらすかさずマスターに聞きとがめられ、「恩義ってなんだよ。友達かよwww」と笑われてしまった。これは実生活で会う人でワタシが yomoyomo なことを知る人はほぼいないため起きる現象なのだが、ここでの「恩義」とは『デジタル音楽の行方』の表紙に佐野元春さんがコメントを寄せてくださったことに対するものである。佐野元春さんに限らず、この本に関してお世話になった方々に対する感謝の気持ちは、刊行から15年以上経った今も変わらない。

前回の更新時に『ウェブログ・ハンドブック』を久しぶりに取り上げて懐かしくなった流れで、『デジタル音楽の行方』も成仏(?)させたくて、取り上げさせてもらった。

コンピューター不正行為防止法の適用範囲を狭める米連邦最高裁の判断とアーロン・スワーツの名誉回復

security.srad.jp

取り上げるのが遅くなってしまったが、コンピューター不正行為防止法(Computer Fraud and Abuse Act、CFAA)の適用範囲を狭める判断を米連邦最高裁が行ったことの意義について、日本語圏で報道を見ないので今更ながら取り上げておく。

さて、その意義とは何か? 今回の最高裁の判断を受け、ローレンス・レッシグが以下のようにツイートしている。

すごい。これぞ本当のバースデイプレゼントだ。最高裁(バレット判事)はコンピューター不正行為防止法――アーロン・スワーツが犯したとされる法律――の適用範囲を根本的に狭めた。バレット判事の解釈を適用すれば、アーロンはまったく法を犯してなかったことになる。

2013年のはじめ、26歳の若さでこの世を去った Aaron Swartz の名誉回復(という言葉の使い方はおかしいかもしれないが)につながるということだ。余談だが、ツイート中の「バースデイプレゼント」とは、レッシグ教授がこのツイートをした前日に60歳の誕生日を迎えたことを指している……って、レッシグさん、還暦か!

wirelesswire.jp

ローレンス・レッシグが語るアーロン・スワーツについては、ワタシの文章が参考になるだろう。

「我々の多くは、アーロンを守るために何かできたのではないかと思いながら残りの人生を過ごすことになるだろう。それこそがあらゆる自殺がいたるところでもたらす残酷な帰結なのだ」というレッシグの言葉は、今なお涙なしには読めない。

wirelesswire.jp

アーロン・スワーツについてはこちらも参考まで。彼関係の本の邦訳は結局出なかったなぁ。

例によって、この二つの文章(の加筆修正版+追記)を含む電子書籍も宣伝させてください。

www.eff.org

この件を取り上げている電子フロンティア財団(EFF)のブログからも該当箇所を引用しておく。

EFF は CFAA などの不明瞭で危険なコンピュータ犯罪法を正すべく長年戦ってきました。本日最高裁が、CFAA の広すぎる適用範囲が、恣意的なサービス利用規約によってほとんどどのインターネットユーザをも犯罪者に仕立てる危険があることを認めたのを嬉しく思います。我々はアーロン・スワーツなど CFAA の濫用による悲劇的で不当な結果を忘れませんし、コンピュータ犯罪法がセキュリティ研究、ジャーナリズム、そしてそれ以外にも最終的に我々皆に恩恵をもたらすテクノロジーの今までにない、相互運用可能な利用を殺すことがなくなるよう戦い続けます。

他にもコリイ・ドクトロウPluralistic も参考までリンクしておく。

www.schneier.com

電子フロンティア財団は、最高裁の判断のセキュリティ研究への影響について触れているが、ブルース・シュナイアーも今回は良い判決で、セキュリティ研究者に恩恵をもたらすものと見ているが、ちょっと気になる点が残っているのに触れているのに注意が必要かもしれない。

キャス・サンスティーン並びに「ナッジ」の入門書となるであろう『入門・行動科学と公共政策』が来月刊行

yamdas.hatenablog.com

昨年秋にキャス・サンスティーンの新刊が期間限定で無料公開されていることを取り上げた。「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」では、「薄い本なので邦訳は出ないだろう」と書いちゃったけど、来月勁草書房から『入門・行動科学と公共政策』という本が出るのを知る。書名といい、200ページ足らずの分量といい、これはワタシが取り上げた本の邦訳じゃないですかね。

何度も書いているが、ワタシにとってキャス・サンスティーンの重要な仕事は『#リパブリック』方面なのだけど、一般にはそれより「ナッジ」の人だろう。コロナ禍において「行動科学と公共政策」はまぎれもなく重要なテーマなわけで、書名に「入門」の文字があるが、これはサンスティーン並びにナッジの入門書と言えるんじゃないかな。

courrier.jp

何度も書くようにサンスティーンは多作な人で、今彼の本で話題になっているのは『ファスト&スロー』のダニエル・カーネマンらとの共著だけど、これも来年あたり邦訳が出るに決まっている。

この本の元となったカーネマンの論文は、実は既に邦訳が電子書籍になってるのね。

TED-Edに「羅生門効果」についての動画があがっている(が、例によって日本語字幕がまだない)

kottke.org

少し前に「アマチュア天文家から世界的な太陽観測者となった小山ひさ子は日本版『Hidden Figures』なのか?」という文章を書いたが、そのときと同じく kottke.org 経由で TED-Ed 講演動画の紹介である。

そして、今回も日本が関係しているコンテンツなのに、やはり日本語字幕がついていないというのも共通している(涙)。本文執筆時点で5か国語の字幕がついているが、その中に日本語はない。そういえば、小山ひさ子さんの動画についている字幕は11か国語まで増えているが、未だ日本語はない。

さて、今回紹介する動画は、「羅生門効果(The Rashomon Effect)」についての文章である。「羅生門効果」とは何か?

yamdas.hatenablog.com

実はワタシはこれについて2009年に取り上げているのである。この当時はまだなかった Wikipedia 日本語版項目から引用しよう。

羅生門効果(らしょうもんこうか、英: Rashomon effect)とは、ひとつの出来事において、人々がそれぞれに見解を主張すると矛盾してしまう現象のことであり、心理学、犯罪学、社会学などの社会科学で使われることがある。

羅生門効果 - Wikipedia

もちろん黒澤明の映画『羅生門』に由来するわけだが、上の動画は、芥川龍之介の「藪の中」にちゃんと触れているのが好感度が高い。「藪の中」では、見つかった男の死体についての当事者の証言が異なる話だが、『羅生門』ではそれぞれの証言の虚実の描き方、さらには原作には登場しない(よね?)志村喬演じる杣売りによる真相の証言がポイントなわけである。

BS プレミアムは近年、一年に一度は黒澤明の代表作をだいたい放送してくれるおかげで、ワタシ自身は『羅生門』を一昨年だかに初めてちゃんと観たのだけど、酒を飲みながらの鑑賞だったため、映画の終わり方については記憶がかなりあやふやになっている(笑)。

そうそう、はてなダイアリーからはてなブログへの移行時に消えてしまったようだが、上で取り上げた2009年のエントリには、ユーゴスラビアでは(やはり黒澤明の映画が由来で)Rashomon というと「出羽亀」の意味になっているという山形浩生のコメントがあったっけ。

www.studiobinder.com

こちらも今年書かれた「羅生門効果」についての文章だが、映画でこの効果を表現する上でのポイントとして以下の3つが挙げられている。

  1. 見解の不一致(例:クエンティン・タランティーノレザボア・ドッグス』)
  2. 信頼できない語り手(例:『デヴィッド・フィンチャー『ゴーン・ガール』
  3. 不明瞭なエンディング

早く TED-Ed 動画に日本語字幕がつけばよいなと思います。

今日、ピーター・フォークが亡くなって10年になる……

yamdas.hatenablog.com

ピーター・フォークの死を受けて書いた文章だが、彼が亡くなったのは2011年6月23日、つまり今日で彼の没後10年ということになる。10年か……。

ピーター・フォークというとなんといっても『刑事コロンボ』なわけだが、「日本版コロンボ」とも言われた古畑任三郎を演じた田村正和も今年亡くなっている。みんな死んでいくんだなぁ。

yamdas.hatenablog.com

ありがたいことに『刑事コロンボ』は今も NHK BS などで観られるので、あえてコロンボ以外のピーター・フォークの代表的な仕事で、廉価なディスクが出ているものを紹介しておきたい。

いろんなジャンルの映画を手堅く撮っているためか、逆になかなか大きく再評価されてないようにみえるロバート・アルドリッチ女子プロレスを題材にした遺作『カリフォルニア・ドールズ』がまずは浮かぶ。

続いては名探偵による推理もののパロディー『名探偵登場』

トルーマン・カポーティの出演が印象的な作品だが、そうでなくても豪華キャストが楽しい。この映画の脚本はニール・サイモンだが、彼の代表作『サンシャイン・ボーイズ』をフォークとウディ・アレンが主役コンビを演じたテレビ映画版(asin:B00005H6IP)もワタシは好きだったりする。が、これは DVD 化されてないようで残念。

そして、フォークが主に1970年代に何度もタッグを組んだジョン・カサヴェテスの映画では、『こわれゆく女』でしょうか。この映画でジーナ・ローランズが、ゴールデングローブ賞最優秀主演女優賞を受賞している。

そういえばジョン・カサヴェテスというと、今年に入って5枚組 Blu-ray BOX が再発されており、これを書いている時点で二割引きなので、お好きな方はどうぞ。これにも『こわれゆく女』は入っている。

もちろん『ベルリン・天使の詩』も彼の代表作の一つだが、廉価なディスクはないのが残念。それを含め、この文章で名前を挙げたピーター・フォークの代表作が(Amazon Prime Video だけじゃなく)Netflix にも入ったら個人的に嬉しいのだけど。

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