当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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21世紀最初の20年にリリースされたワタシが愛する洋楽アルバム40選

yamdas.hatenablog.com

今から13年前に公開したエントリだが、見直すと頭を抱えてしまうところがある。今選定をするなら、どう考えても10枚以上は入れ替えになるに違いないからだ。

なんでそれを今更持ち出すのかというと、少し前に課金するストリーミング音楽配信サービスを Apple Music から Spotify に変更したのだが、その際に自分の好みの音楽を配信サービスに分かってもらうのにどうしたらよいかと思ったところで、このエントリを見直す機会があったからだ。

そして、これ以降の21世紀に入ってからのアルバムから選んだらどうなるだろう? と考えたのわけだ。前回は1951~2000年の20世紀後半の50年間で100枚選んだので、2001~2020年までの20年間なら40枚ということになろうか。それを言うなら、もう5年以上待って25年間で50枚選んだほうがよりキリが良いように思える。しかし、アルバム原理主義者のワタシですら、プレイリスト単位で曲を聴く機会が明らかに増えており、悠長に待っていたらアルバム単位のリストが作れなくなるのではないかという危惧がある。

選定基準はワタシが愛する洋楽のアルバムというだけである。とはいえ、前回のリスト作成時は、どうしても「名盤リスト」を作るという意識がなかったとは言えない。今回は、とにかく自分が聴いた記憶を優先したので、一般的にははっきり評価が低かったものや、他で絶対誰もこの手のリストに入れないような作品も入っている。

以下、発表順。

アーティスト アルバム 発表年 国内盤 輸入盤 Spotify Apple Music
Arab Strap The Red Thread 2001 Amazon Amazon Spotify Apple
The Strokes Is This It 2001 Amazon Amazon Spotify Apple
Maroon 5 Songs About Jane 2002 Amazon Amazon Spotify Apple
Red Hot Chili Peppers By the Way 2002 Amazon Amazon Spotify Apple
Steely Dan Everything Must Go 2003 Amazon Amazon Spotify Apple
Morrissey You Are the Quarry 2004 Amazon Amazon Spotify Apple
U2 How to Dismantle an Atomic Bomb 2004 Amazon Amazon Spotify Apple
Kanye West Late Registration 2005 Amazon Amazon Spotify Apple
Amy Weinhouse Back to Black 2006 Amazon Amazon Spotify Apple
White Light Riot Atomism 2007 - Amazon Spotify -
Stars of the Lid And Their Refinement of the Decline 2007 - Amazon Spotify Apple
Radiohead In Rainbows 2007 Amazon Amazon Spotify Apple
Nick Cave and the Bad Seeds Dig, Lazarus, Dig!!! 2008 Amazon Amazon Spotify Apple
The Roots How I Got Over 2010 Amazon Amazon Spotify Apple
Arcade Fire The Suburbs 2010 Amazon Amazon Spotify Apple
Adele 21 2011 Amazon Amazon Spotify Apple
Frank Ocean Channel Orange 2012 Amazon Amazon Spotify Apple
Daft Punk Random Access Memories 2013 Amazon Amazon Spotify Apple
D'Angelo and the Vanguard Black Messiah 2014 Amazon Amazon Spotify Apple
Kendrick Lamar To Pimp a Butterfly 2015 Amazon Amazon Spotify Apple
Kamasi Washington The Epic 2015 Amazon Amazon Spotify Apple
David Bowie Blackstar 2016 Amazon Amazon Spotify Apple
Anderson .Paak Malibu 2016 Amazon Amazon Spotify Apple
Chance the Rapper Coloring Book 2016 - - Spotify Apple
Bon Iver 22, A Million 2016 Amazon Amazon Spotify Apple
Solange A Seat at the Table 2016 Amazon Amazon Spotify Apple
Leonard Cohen You Want It Darker 2016 Amazon Amazon Spotify Apple
Lorde Melodrama 2017 Amazon Amazon Spotify Apple
Calvin Harris Funk Wav Bounces Vol. 1 2017 Amazon Amazon Spotify Apple
Courtney Barnett and Kurt Vile Lotta Sea Lice 2017 Amazon Amazon Spotify Apple
Charles Lloyd, The Marvels, and Lucinda Williams Vanished Gardens 2018 - Amazon Spotify Apple
Mitski Be the Cowboy 2018 Amazon Amazon Spotify Apple
The Magic Lantern To The Islands 2018 - Amazon Spotify Apple
Loyle Carner Not Waving, but Drowning 2019 Amazon Amazon Spotify Apple
Jamila Woods Legacy! Legacy! 2019 Amazon Amazon Spotify Apple
Michael Kiwanuka Kiwanuka 2019 - Amazon Spotify Apple
Dua Lipa Future Nostalgia 2020 Amazon Amazon Spotify Apple
Haim Women in Music Pt. III 2020 Amazon Amazon Spotify Apple
Fleet Foxes Shore 2020 Amazon Amazon Spotify Apple
Bruce Springsteen Letter to You 2020 Amazon Amazon Spotify Apple

正直に書くと、100選で漏れてしまったのでこちらで入れた人のアルバムは確かにある。いつの日かそうしたしがらみをすべて取っ払ったリストを作るべきなのかもしれないが、それができる日まで自分がブログやってるとは思えない。

あと発表年が偏らないようにしたところはある。ニック・ケイヴは本当は『Skeleton Tree』にするつもりだったが、なぜか2016年のアルバムが異様に多かったため、(ミック・ハーヴェイに対する敬意もこめて)変えさせてもらった。

これも後になって、なんでこれを入れた/入れなかったと後悔するに決まっているが、現時点で愛聴した記憶を優先した。

「新たなウィキリークス」としてのデータリークサイトDDoSecrets

newrepublic.com

DDoSecrets の略称で知られる Distributed Denial of Secrets 自体について取り上げる記事は初めて読んだかも。

記事タイトルが「新たなウィキリークス」で、サブタイトルが「透明性の共同体 DDoSecrets はいかにしてジュリアン・アサンジを凌駕したか」なのに明らかだが、DDoSecrets は WikiLeaks の後継と見られているわけですね。

実際 DDoSecrets は、Wikileaksジュリアン・アサンジのエゴ(と彼のトラブル)のために残念な感じになり、データ公開を実質止めた2018年12月に、それと入れ替わるように立ち上がり、以降透明性の追求を担ってきた。

japan.zdnet.com

ワタシが DDoSecrets の名前を意識したのは、アメリカの警察や法執行機関の270GBもの機密文書が大量に漏洩した BlueLeaks 事件が最初だったと思う。

gigazine.net

今年に入り、1月にアメリ連邦議会議事堂の占拠事件の後、極右に人気の Gab の漏洩データを公開して注目を集めた。

wired.jp

そして今年夏のアメリカのインフラ企業に大きな被害をもたらしたランサムウェア攻撃に関しても、「公衆の精査を受けるに値すると考えられるデータを暴露するというミッションの一環として」「潜在的にセンシティヴな可能性のあるソフトウェアデータとコードについては、慎重に編集を加え」た上で流出データを公開している。

BLM 運動や議会議事堂襲撃事件へのシンクロなど、リークするデータもタイムリーだが、Wikileaks がダメになっても、その意志を継ぐ動きが出てくるところが面白い。

If the work of DDoSecrets has the whiff of the illicit, it’s because official secrecy, mass surveillance, threats of prosecution, and big tech’s cooperation with censorious authorities have impeded the ability of journalists and publishers of leaked data alike to operate.

DDoSecrets Is the New WikiLeaks | The New Republic

DDoSecrets の活動に不正の匂いがするなら、それは公務上の機密、大量監視、訴追の脅威、そして検閲当局に協力するビッグテックが、ジャーナリストや漏洩データの発信者の力を妨げているからだ、ということか。

この記事の最後にあるように、「世界はもはや、ハクティビストやリークティビスト(leaktivists)を排除できない。人々がそれを望む限りは」ということであり、DDoSecrets もいずれは Wikileaks みたいに失速する可能性も高いのだけど、それに代わる存在はこれからも生まれるということだろう。

ネタ元は Slashdot

携帯電話の位置情報プライバシーを高めるPretty Good Phone Privacy

www.wired.com

携帯電話の位置情報が携帯電話事業者に渡るというのは仕組み上当たり前で、これをどうこうするのは無理だとばかり思い込んでいたのだが、そうでもないらしい。

プリンストン大学Paul Schmitt南カリフォルニア大学Barath Raghavan が発表した Pretty Good Phone Privacy(リンク先 PDF ファイル)という方式によれば、端末側の簡単なソフトウェアの改修で、携帯事業者の技術インフラには手をつけることなく携帯電話の位置情報プライバシーを高められるという。もちろん 5G にも適用可能である。

この Pretty Good Phone Privacy(PGPP)という名称は、実は今年が誕生30周年である Pretty Good Privacy(PGP) を踏まえているのは言うまでもない。

その詳しい実現方法は論文を読んでいただくのがよいが、携帯電話は今や誰もが持っているわけで、この PGPP が採用されれば、それこそ30年前に PGP がもたらした以上のインパクトを持ちうるのではないか。

ネタ元は Slashdot

ロバート・クワインの貴重なインタビューに見るルー・リードとの関係

どういう経緯だったか忘れたが、ロバート・クワインの貴重なインタビューの日本語訳が公開されているのを知り、興味深く読んだ。

www.yamdas.org

ロバート・クワインについてはワタシも文章を書いているが、やはり、ルー・リードとの関係性については気になるところである。

note.com

1997年のインタビューだが、ロバート・クワインの音楽的な志向、そして彼がニューヨークパンクにヴェルヴェット・アンダーグラウンドに通じるものを感じたのが分かる。

ニューヨークパンクについては、昨年20周年版増補を加えて復刊されたレッグス・マクニール&ジリアン・マッケイン『プリーズ・キル・ミー』がもっとも優れた証言集で、この本にもクワインの発言は収録されている。

クワインは、ルー・リードとの演奏について聞かれ、以下のように答えている。

音楽的には、4年間の中で最初の1週間半は本当に素晴らしかった。『The Blue Mask』をやったんだ。本当に誇りに思うレコードだよ。リハーサルもオーバーダブもなく、ミスのためのパンチインもなかった。ヴォイドイズとは正反対だ。俺は彼を鼓舞し、またギターを弾くように励ました。彼と一緒に楽しむことはできなかったけど、少なくともそれは音源に残ってるし、それを誇りに思うよ。

ロバート・クワイン ロングインタヴュー(November 1997)|kido hideaki|note

ルー・リードの復活作『The Blue Mask』は、クワインの存在なしにはありえなかった。

クワインルー・リードの人間評はとても興味深いし、おそらくは正しいのだろう。

どんな個人的な問題があっても我慢してたけど、いまだに残念ではある。でも、彼はいい人じゃない。ある意味では、彼は私を尊敬していた。怒鳴られたら、怒鳴り返すし、俺は率直で、人をバカにしない。彼の問題は、彼に媚びる「イエス」の男性に囲まれるのが好きなくせに、彼は頭がいいからそのこと(媚を)知っていて、そのために彼らを嫌うという問題だな。だから彼はたくさんのハックミュージシャンのうちの一人で終わってしまうということだ。

ロバート・クワイン ロングインタヴュー(November 1997)|kido hideaki|note

ルー・リードのライブ盤の中でもっとも優れていると思う『Live in Italy』クワインが評価していないのは残念だが、その前段で書かれるリードの非道な仕打ちの悪印象が影響していないわけはない。

note.com

こちらは友人だった音楽評論家のレスター・バングスについてロバート・クワインが語るインタビューだが、最初を読むだけでクワインの気難しさ、というかプライベートに踏み込む人間に対する容赦なさがよく伝わる。

インタビュアーは Jim DeRogatisWikipedia)で、この人がライアン・アダムスのライブに厳しい評を書いたところ、ライアン・アダムスが彼の留守番電話に怒りのメッセージを残した一件でワタシはその名前を認知したっけ(なお、その留守電はリンクはしないが YouTube で今も聞ける)。

このインタビューで触れられるレスター・バングスの伝記は、以下の本ですね。

レスター・バングスもある意味伝説的な人物だが、映画『あの頃ペニー・レインと』フィリップ・シーモア・ホフマンが演じたことで知られる。

レスター・バングスもルー・リードとはひと悶着もふた悶着もあったのだが、そのあたりはこのインタビューを読んでも分かるだろう。

『The Blue Mask』をバングスが死ぬ直前に聴き、素晴らしいと思っていた話は知らなかった。

ルー・リードとはこの時点ではまだ仲が良かった。『ザ・ブルー・マスク』をやっている間は、実はしばらく友達だったんだ。それは大きな勘違いだったんだけどさ。

「俺は愛すべき天才なんだ!」友人レスター・バングスについてロバート・クワインが語る|kido hideaki|note

クワインルー・リードについて語る言葉にはどうしても苦々しさが残る。

だからレスターが亡くなる半年ほど前にルー・リードと友達になっていて、なんとか二人を会わせようとしていたんだけど、レスターはちょっとばかし羨ましがっていた。レスターは俺がルーと突然映画を見に行ったり、食事に行ったりしていることをね。でも俺は本当にバカだったよ。君が聴くことができない『ブル-・マスク』の最初のヴァージョンはもっと良かったんだ。同じレコードなんだけど、彼のヴォーカルが生々しくて、クロングをしようとしていないし、レイプのこととかにふれた「The Gun」は迫力があって、本当にヘビーな猥褻表現を使っているんだ。彼はその多くをきれいに取り払った。当時は俺の疑り深い友人への忠誠心があったから、俺はレスターに聴かせてあげれなかった。けど、やっとルーは感謝祭の時に、レスターにミックスを聴かせてもいいと言ってくれたんだ。彼はヘッドフォンをつけてそこに座っていて、(作品を)気に入ってくれた。ルー・リードがどう思うかと聞いてきたので、俺は「彼は本当に気に入ってくれたけど、歌詞が弱いと言っていた」と答えたんだ。それはおそらく最悪のことを言ったんだと思う。俺のヒーローである彼と一緒にいられることでのぼせていたんだ。彼とは良いレコードを作ったんだけどね。

「俺は愛すべき天才なんだ!」友人レスター・バングスについてロバート・クワインが語る|kido hideaki|note

この『The Blue Mask』の「最初のヴァージョン」が公になる日は来るのだろうか? 来年あたり、40周年記念盤にボーナスとして収録されたりしないものか。

偶然だが、ルー・リードとの友情はレスターの死で終わった。前置きは省略するが、金曜の夜、レスターが死んだとのニュースを聞いた。次の日、俺はショックを受けて朦朧としていたんだ。(中略)それからルー・リードの家に行った。レスターが死んだと話した時、彼は俺を信じなかった。それがルー・リードとの友情の終わりとなったんだ。彼は「お友達は気の毒に」と言いやがった。それから奴はレスターを45分間も攻撃した。彼は自己中心的で、それが友達がいない理由なんだ。もしあなたがイエスマンでなければ、あなたは彼の友人ではない。彼は俺がイエスマンじゃないことを尊重してくれていたが、最終的には俺は去るしかなかった。

「俺は愛すべき天才なんだ!」友人レスター・バングスについてロバート・クワインが語る|kido hideaki|note

これも読んでてなんとも哀しい気持ちになる。クワインはその後でリードのことを asshole とまで罵っているが、その率直さこそがパンクであり、まただからこそイエスマンを好む(多かれ少なかれロックスターはそうなのだろうが)リードには耐えられなかった。

人は死に、音は残る。若き日のリードの演奏をクワインが録音した『The Quine Tapes』、そしてリードとクワインがタッグを組んだ『The Blue Mask』は不滅である。

Blue Mask

Blue Mask

  • アーティスト:Reed, Lou
  • Sbme Special Mkts.
Amazon

デジタル時代の音楽著作権についてのガイド本が来月出る

調べものをしていて、Music Copyright: An Essential Guide for the Digital Age(音楽著作権:デジタル時代の必須ガイド)というズバリなタイトルの本が9月に刊行されるのを知る。

著者の Casey Rae は現在 Sirius XM の音楽ライセンス部門のディレクターで、Future of Music Coalition の CEO も務めていた人で、なるほど、それならば音楽著作権に精通しているわけだが、彼は著述家としても活動しており……おいおい、ワタシは彼の本を一昨年にブログで紹介してたやないか。

yamdas.hatenablog.com

ウィリアム・バロウズとロックスターとの関係を本にしていた人か。というかこの人、ワタシよりも若いのな。

ページ数の割に値が張る本なので、前著に続いて邦訳は難しいだろうが、音楽著作権について最新の認識をインプットするにはこういう本を読んでおかなくてはならんのだろうな。

ワタシがNetflixで観たドラマをまとめておく(2019年秋~2021年夏編)

yamdas.hatenablog.com

思えば Netflix で観たドラマまとめを書いておよそ2年経つのに気づき、そろそろフォローアップを書いたほうがよいと思った次第。まぁ、夏休みに Netflix で観るドラマを決める一助にでもなれば、と。

例によって Netflix 制作でないドラマも含むし、前回名前を出したドラマは、その後のシーズンを観ていても原則取り上げないものとする。あと便宜上、ウィキペディア日本語版にページがあるものはそちらにリンクしているが、情報が古くダメダメなことが多いので、英語版にあたったほうがよいです。

ミンスキー・メソッド(NetflixWikipedia

マイケル・ダグラスアラン・アーキンという2人の芸達者のイチャイチャ大好き!

本当に最高だったが、今年放送されたファイナルのシーズン3はアラン・アーキンが出ていない。これにはかなりがっかりしたが、思えば彼はワタシの父親と同い年である。いつまでもあると思うな親とアーキン。

さて、そのファイナルシーズンではアーキンの代わりに(マイケル・ダグラスと1980年代何度も共演している)キャスリーン・ターナーが元妻役にして相棒役を務めている。その80年代の映画で印象が固定化されていたワタシ的には、現在の彼女はなかなかインパクトがあったが、その彼女が主人公の元妻を演じる重みは確かにあった。

Giri / Haji(NetflixWikipedia

平岳大も(国際的な作品では『沈黙 -サイレンス-』に続き)窪塚洋介も好演しており、これはもっと日本で評判になってしかるべきだったと思う。

あと男娼役のウィル・シャープも良くて、彼の「ダークよりもさらに暗い、真っ黒な笑い」Netflix で観れるようにならんかな。

ジ・エディ(NetflixWikipedia

『セッション』『ラ・ラ・ランド』に続くデイミアン・チャゼルの作品鑑賞だった。

彼の作品で使われる音楽については批判も多いが、その彼がパリのジャズクラブを舞台にしたドラマを作ったのに手強さを感じる。もちろん彼にもアメリカ人らしいパリに対する憧れはあるに違いないが、例えば『ミッドナイト・イン・パリ』のような打ち出し方ではなく、16mm フィルムでジョン・カサヴェテスを思わせる現代劇を撮ったのが面白い。

イントゥ・ザ・ナイト(NetflixWikipedia

ツイッターのタイムラインで名前を知ったんだったか。Netflix で観たドラマで(日本のものを除いて)英語圏以外で作られたものを初めて観たのがこれか。長すぎないコンパクトな作りがよかった。

太陽光線に曝されると死んでしまうため、飛行機で飛び続けるしかないという設定が強力で、その飛行機に乗り合わせた人たちの人間ドラマも面白いのだけど、ひと段落ついたところでシーズン1が終わり、さて、これからどんな展開があるのか。記憶がなくなる前にシーズン2が始まってほしいところ。

呪怨:呪いの家(NetflixWikipedia

呪怨最初のビデオ版「ホラー映画ベストテン」に入るほどで、最初の映画化までは観ているが、それ以降は興味をなくしてまったく追ってなかった。

今回のドラマ化は、少し違った気合の入り方を感じたので観た。本作は1980年代後半以降の日本の凶悪事件を取り込んでおり、もはや伽椰子も俊雄も出てこないのに確かに『呪怨』な「イヤー」感があるし、一部もはや SF じゃないかと思わせるぶっ飛び方もあるのも面白い。しかし……やはり伽椰子がいないとなぁ。

ホームランドNetflixWikipedia

以前から観たかったドラマだったので、Netflix に入ってるのを知ってこれ幸いと観てみた。クレア・デインズがうまい役者というのはもちろん知っていたが、いや、確かにこれはすごいね。

ただ、こういう長く続くドラマを追うと、費やす時間も大変なものになるし、また特に本作のような作品は精神的な疲労もあるので、シーズン2まで観て打ち止めとした。

5シーズンを超えてアメリカのドラマを追うなかれ、を家訓にすべきか。

ロシアン・ドール: 謎のタイムループ(NetflixWikipedia

イムループものはもはや定番化しつつあるが、本作は『パーム・スプリングス』に先んじて、同じ日を繰り返す人が複数という設定を持ち込み、成功している。

ドラッグ絡みの私生活の問題からの低迷から復帰したナターシャ・リオンが、そうしたバックグラウンドも思わせるあけすけな主人公を演じている。

シーズン2の制作も発表されているが、これ続きはありうるの? 観るかはまだ分からない。

コブラ会(NetflixWikipedia

元は YouTube でやっているのを横目で見ていたが、Netflix 配信に変わってめでたく最初から観れるようになった。

あの映画『ベスト・キッド』シリーズ(asin:B00OH4UK1Y)の続編で、主人公だったダニエル・ラルーソーもしっかり出ているが、あの第一作の敗者だったジョニー・ロレンスを主人公としているのがポイントで、その後イケてない人生を送ってきた(彼の絶頂期だった80年代の音楽愛好がいかにもらしい)彼が空手道場を立ち上げることで立ち直れるかをテーマとしている。

本作を観て感心するのは、深い考えなしに作られたであろう『ベスト・キッド』シリーズのペラッペラな設定や登場人物を、過去映像含めてしっかり活かしてドラマを成立させるアメリカのエンタメ界のクリエイティビティの在り方である(ジョン・クリースの憎々しさと言ったら!)。

この種のクリエイティビティはスターウォーズ新三部作でも最大限利用されているが、結局あちらは悲惨としか言いようがなかったのに、本作は若者パートの魅力も大きいけど、笑って楽しめる。シーズン3まで観終えたが、これは新シリーズも観ますよ。

クイーンズ・ギャンビット(NetflixWikipedia

yamdas.hatenablog.com

ザ・ホーンティング・オブ・ブライマナー(NetflixWikipedia

2年前のエントリで「近年もっとも衝撃を受けたドラマ」と激賞した『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』と同じくマイク・フラナガンが手がけており、こちらの原作はヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』である。

それほど評価したドラマの続編的作品だし(主役をはじめ、『ヒルハウス』に続いて出演のキャストが何人もいる)、マイク・フラナガンの映画は『ドクター・スリープ』Netflix に入っている『サイレント』、そして『ジェラルドのゲーム』(しまった! これは今年はじめに観たのに2021年上半期にNetflixで観た映画の感想まとめに入れるの忘れてた……)と彼が手がけたホラー映画は観ている。

そうして期待が高まりすぎたのもあり、楽しめはしたけど、本作はさすがに『ヒルハウス』には及ばなかった。前作みたいにマイク・フラナガンが全エピソード監督してくれたら違ったのかもしれないが、それを求めるのは酷だ。

原作以上に主人公の同性愛にフォーカスしているのが今どきか。ホラーとして『ヒルハウス』の衝撃はないが、「忘却」というものの怖さを描いていること、そしてそれが最終的なトリックになっているのは前作になかったところか。

ダッシュ&リリー(NetflixWikipedia

これは町山智浩さんが「赤江珠緒たまむすび」で紹介していて知ったドラマで、主役2人がキュートなクリスマスシーズンにぴったりなロマンティック・コメディ作品なので、観てない人は今年の終わり頃に観てみるといいですよ。

現代のクリスマスな作品なので当然ポーグスの「ニューヨークの夢(Fairytale of New York)」も出てくるが、主人公の男のほうがジョニ・ミッチェルの「River」を歌うシーンに驚いた。この曲もクリスマスの歌というのをまったく意識してなかったからだ。

ブルックリン・ナイン-ナイン(NetflixWikipedia

他の人の『パーム・スプリングス』の感想で、主人公のアンディ・サムバーグの佇まいが本作のままというのを知り、興味を持ったシットコム

Netflix で刺激の強い作りのドラマや映画をたて続けに見てると疲れるので、息抜き的にちょうどよいかと思ったら本当にその通りで、気楽に楽しめている。

今年放送のシーズン8で終わりらしいが、ワタシは今シーズン2を観ている途中で、シーズン3まで観ようかどうしようか。

運命の12人(NetflixWikipedia

昨年のうちに米光一成さんの文章で知ったドラマだが、今年になってようやく観れた。

ベルギーのドラマは初めてだったが、裁判制度の日本との違いが興味深かった。というか、20年近く時を隔てて行われた2件の殺人事件について同一の被告人に対して同時に裁判を行うってアリなのか? これはドラマだからかもしれないけど、事件の関係者にして重要証人もずっと裁判に参加しっぱなしだし。

タイトルからどうしても『十二人の怒れる男』を連想してしまうが、あれよりもさらに陪審員それぞれに事情があり、それに被告人や重要な関係者がそれぞれにウソをついていたり信頼できなくて、明らかに間違った(ネタバレなので中略)なのになんとも言えない気持ちになった。

本作の本筋とはまったく別のところで日本人(でも演じているのは多分日本人ではない)が登場し、暴力的なまでのいたたまれなさを発揮していたが、これはディスコミュニケーションのドラマとも言える。

瞳の奥に(NetflixWikipedia

これも米光一成さんの文章で知り、しかも「一切情報をいれずに観たほうがいい」とのことだったので、米光さんの文章自体もタイトル以外一切読まずに観た(今、初めて読んだ)。

いやー、これはエグいですね。主人公のシングルマザーがちょっといい感じの男性と知り合ったと思ったら、実は自分の新しい上司の弁護士であり、しかもその妻とも知り合いになってしまい、果たして彼らとの関係はどういう結末に……と思ってたら、うひゃー!

弁護士のなんとも曲者な妻のアデル役を演じるイヴ・ヒューソンは初めて観るが、えらく妖しい雰囲気のある女優さんだと思ったら、U2 のボノの娘なのか。

ラストは「世にも奇妙な物語」で名作とされるあるエピソードを思わせる展開で、そうなると全6話のうち5話をかけて見せてきたアデルが漂わせる不気味さの意味が一気に分かるのだが、ちょっとそれはないだろと思ったのも正直なところ。

マスター・オブ・ゼロ: シーズン3(NetflixWikipedia

本エントリの最初で「前回名前を出したドラマは、その後のシーズンを観ていても原則取り上げない」と書いたが、本作だけは例外として書いておきたい。

なぜかというと、このシーズンは過去2シーズンとはまったく違うからだ。

2年前のエントリで、アジズ・アンサリが行き過ぎたセクハラの嫌疑をかけられ、キャンセルカルチャーの被害にあったことに触れているが、このドラマのシーズン2の終わり、デフの共演相手がセクハラで失脚するという展開だったことを知る人間として、現実はとてもバツが悪く、果たしてこのドラマにどういう新機軸がありうるのか想像もできなかった。

何より本シーズンの主人公はアジズ・アンサリ演じるデフじゃない! 彼も少し登場するが、その友人のデニースが主人公である。デフがニューヨークで闊達に、しかし、ある意味普通に生きる面白さのドラマではない。デニースにしても、発表した小説が思わぬ成功を収め、郊外の一軒家でパートナーと暮らしている設定だ。複数の映画へのオマージュが見られるのは過去シーズンと共通するが、本シーズンの参照は、それこそ小津安二郎など家庭映画が多く、一種の映像的跳躍の役割を果たすものではない。

これは前シーズンまでのファンが期待した展開ではないだろう。前2シーズンほどでないとはいえ批評家の評価は高いが、本シーズンは Rotten Tomatoes の Audience Score がバツグンに低いのはその表れだろう。

しかし、本シーズンにワタシはアジズ・アンサリの誠実さを見るし、このシーズン3を心から支持する。そして、その支持は、ただ彼が誠実だからではない。何よりこのシーズンが現代のドラマとして優れているからだ。

このシーズンに垣間見られるデフの暮らしぶりはなかなか悲しい(しかも、パートナーはシーズン2のフランチェスカではない)。それは、アンサリが現実に負った傷と無関係とは言えないだろう。それでも次シーズンがあれば、今度はデフを主人公として復帰させてほしい。

ライン・オブ・デューティ(NetflixWikipedia

これは最終シーズンのフィナーレについて報じる記事を読んで、イギリスで大人気の警察ドラマというのに興味を持ったら、Netflix にあったのでこれ幸いと観た次第。シーズン1を完走したが、次シーズンも観るやろね。

警察ものといっても、警察組織内部の汚職特捜班が主役というのがポイントで、警察内部を半ば敵にしながら、その操作対象が追う事件を汚職特捜班も追うことになるところが面白い。警察組織の内部を描きながら、一種の酷薄さを感じるところに、古いがヘレン・ミレン出世作である『第一容疑者』を思い出したりした。

レミング役の人ってどこかで観たことがあるなと思ったら、『THIS IS ENGLAND』のロル役の人か!

カトラ(NetflixWikipedia

これも米光一成さんが「予備知識なしで観るのがベスト」と書いているところまで読んで止め、素直に観始めたドラマである。昨夜完走した。

アイスランドの火山近くの孤絶した町が舞台だが(タイトルの「カトラ」は火山の名前)、思えばアイスランドと聞いても、ビョークシガー・ロスくらいしか連想するものがなかったりする。本作は火山周りの自然が圧倒的な存在感を示す場面が多いが、どこまで CG なんだろう?

それにしてもこれは衝撃的で物騒なドラマである。内容に触れるとどうしてもネタバレにつながっちゃう。最初灰まみれの人物が登場するだけでかなり画的にヤバいのだが、それに慣れて油断していると、後半に本作の怖さの在り方にかなりやられる。

惑星ソラリス』を連想する人もいるだろうが、ワタシはどうしてもスティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』と『アス』、あと少しだけ『アナザー プラネット』を思い出した。

このドラマも最終回になってかなりショッキングな展開がある。クライマックスとなるアレでどちらが死んだのか、意図的に混乱させるカット割りになっていて、これは解釈の分かれるところなんだろうな。ワタシの中でも、どっちもありえて答えは出ていない。

Facebook内幕暴露本『An Ugly Truth』について日本のメディアで取り上げられる/取り上げられない話題

www.businessinsider.com.au

先月の話題になってしまうが、New York Times の記者2人が書いた Facebook の内幕を描く An Ugly Truth の内容がニュースになった。そこで話題となったのは、つまりは以下のような話である。

この手の話って昔は Google もあって、それが露見して社員のデータへのアクセスが厳しくなったのは有名……と過去形で語ってはいけないのかもしれない。今月になって、Google でもデータの悪用が理由で社員が解雇された話がニュースになっているからだ。

www.vice.com

正直、今の Google でもそれあるのかと思ってしまうが、それだけ普遍的な、誘惑の多い問題なのだろう(日本のテック企業は、さてどうでしょう?)。この手のニュースには前のめりになってしまうが、それはワタシがゲスだからではない(と思いたい)。

しかし、この Facebook 内幕暴露本『An Ugly Truth』について日本のニュースメディアで話題になっているのは、以下のようなシェリル・サンドバーグに関する話ばかりなんですよね。

japan.cnet.com

forbesjapan.com

シェリル・サンドバーグは世界有数のテック企業の COO なんだから、そりゃ彼女に関する話は重要だけど、この本ではもっと報じるべき身近な話題があるんじゃない? とも思ってしまうのよね。まぁ、ワタシの調べが足らないだけの可能性もあるけど。

www.nytimes.com

そんな話題ばかりの本ではないことを示すために、New York Times に掲載された書評もリンクしておこう(執筆者は『インスタグラム:野望の果ての真実』の著者のサラ・フライヤーだ)。この本の刊行に Facebook 側もかなり神経質になってるようだが、それだけいろいろ暴露されている本ということだろう。

この書評にもある通り、ロジャー・マクナミー『Zucked』シヴァ・ヴァイディアナサン『アンチソーシャルメディア』スティーブン・レヴィ『Facebook: The Inside Story』など Facebook 本は事欠かないが、これは邦訳が出るべき本だと思いますね。

インターネット・アーカイブのFMラジオ番組アーカイブでライブ音源がいくらでも聴ける

archive.org

八田真行さんのツイートで知ったのだが、Internet Archive は、FMラジオ番組のアーカイブ FM Radio Archive Collection も作っていたんだね。

しかし……これ、アーティスト側の許諾取ってないよね? Internet Archive って、結構こういう権利的にアウトなんじゃね、と思うものに手を出しているのが面白い。

それにしてもこれはすごい。これで有名バンド(やはりアメリカ勢が強い)のライブ音源をいくらでも聴ける。ワタシのようなロートル洋楽リスナーには天国のようなサービスで、適当にバンド名で検索しては聴いている。

ただなぁ、Internet Archive の音楽プレイヤーって、ブラウザで再生タブをトップに持ってきてないと次の曲に行かないという致命的な欠点があるのが玉に瑕でなので(これは Firefox だけの現象かもしれんが)、何か見つけては mp3 ファイルをダウンロードしている。

yamdas.hatenablog.com

思えばワタシも Internet Archive で公開されている音楽についてのエントリを書いているが、これが9年前か!

これにも書いているが、元からグレイトフル・デッドのライブ音源など大量にあるのだけど、上で紹介したアーカイブは元がラジオ番組なので、かっちりした構成というか適度なボリュームになっているのがありがたい。

バンド名だけでなく NHK-FM で検索したりして、マーヴィン・ゲイの1979年の武道館ライブを聴けたりする。ワオ!

当時彼の活動は低迷しており、このライブも後半駆け足だが(これは編集の問題か)、彼の歌声の美しさに変わりはない。

他にもボブ・ディランとニール・ヤングが1975年に共演したライブロバート・フリップがギターを弾くピーター・ガブリエルのソロ初期ライブなど貴重な音源も探すと出てくるので、ロートル洋楽リスナーの夏休みのお供にどうぞ。

ジャパニーズ・ブレックファストのKEXPライブが良かったので新譜を聴いた

Japanese Breakfast の新譜は聴いてなかったのだが、KEXPYouTube チャンネルで公開されているスタジオライブを試しに聴いてみたらとても良かった。

15分くらいのスタジオライブだと楽に聴けていいよね。というわけで、初めてアルバムを聴いてみた。またひとつ、新しい音を知れた。

これくらいの長さのスタジオライブというと、NPR の Tiny Desk がよく知られているが、KEXP のライブもなかなか良いものがある。

yamdas.hatenablog.com

そうそう、半年くらい前にネットラジオについての記事を紹介したんだった。そうした意味で、Worldwide FMSoho Radio など YouTube チャンネルでスタジオライブの映像を公開しているところは他にもある。

新しい音のきっかけは本当にいくらでもあるんですな。

アーシュラ・K・ル=グウィンが晩年に書いたブログと新刊『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』

boingboing.net

アーシュラ・K・ル=グウィンは2010年、81歳(!)でブログを始めた。そのブログはネットから削除されていたのだが、今回オンラインに戻ったとのこと。

アーシュラ・K・ル=グウィンが晩年も人気が衰えず、若いファンも獲得していたのは、このブログなど彼女が晩年も精力的に活動を続けてきたことが大きかったはずだ(彼女の死後に何冊も邦訳が出ていることもその反映だろう)。

おっと、ブログを読みたいが英語は苦手という人もご安心あれ。彼女のブログの一部は、昨年邦訳が出た『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』に収録されている。

www.kaminotane.com

ル=グウィンというと、今月新刊『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』が出たばかりだが、訳者の大久保ゆうさんの解説がオンライン公開されている。

これが訳者の細やかな目配りが伝わるとても良い文章で、ご一読をお勧めする。

訳者についてワタシは、今年のはじめに実は2020年は大久保ゆうさんの年だったと書いているが、2021年の仕事もお見事である。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その45

このブログの読者でも、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の宣伝エントリはもうたくさん、と思われているかもしれないが、この電子書籍の宣伝こそがこのブログの存在意義なのでねぇ。

というわけで、先週末からの巷の話題を完全スルーして自著の宣伝に勤しむことにするが、河村書店に取り上げられるだけで嬉しかったですね。

このツイートで取り上げられているのは Kindle 版ですね。

この電子書籍の複数のバージョンの相違については過去エントリを参照ください。

その意思表示だけで嬉しいです! 今年のお盆の読書にいかがでしょうか。

もちろん買っていただいたほうがずっと嬉しいのは言うまでもないわけで。

もし読まれたら、感想もよろしくお願いします!

ロクサーヌ・ゲイが書く「なぜ人はオンラインではひどく不愉快なのか」

www.nytimes.com

作家のロクサーヌ・ゲイNew York Times に寄稿している文章が面白い。

彼女が Twitter を始めた14年前(つまり、2007年……ということはワタシと同じだ)にはミシガン州のアッパー半島に住んで大学院に通っていたが、彼女が住んでいた人口4000人ほどの町では、(彼女と同じ属性の)有色人種、クイア、物書きは少なく、大学院以外ではオンラインこそが彼女にとってのコミュニティだった。そこでフォローした新進気鋭の作家たちは今でも大切な友達だし、意見を交換したり、ミームに参加したりいろいろすることで、いわゆる集団的な興奮というものを味わったと振り返る。

しかし、根本的に何かが変わってしまったと彼女は書く。大方のソーシャルメディアはもう楽しめない。しばらく前からそう感じていたのだが、認めたくなかったのだ。

オンラインへの関わりが、多くの人たちが世界の現状や日々の生活で直面する問題に感じる絶望が、燃料になっていると彼女は指摘する。そしてオンライン空間には、不正は正されるという希望に満ちたフィクションがあって、そのせいで Twitter では、各々が小さな力を行使して、不正に報復し、悪人を罰し、心の純粋さを高める懲罰的な空気がある。

しかし、正義を追い求めるあまり、我々はバランスと基準を失ってしまったと彼女は書く。何か不正が明らかになったら、それこそ戦争犯罪人のように責められる。現実世界では、我々は全能のゴリアテを前に恐怖にすくむダビデだが、オンラインでは、我々は皆いきなりゴリアテ側になってしまうのだ。

オンラインで自分に影響力なり力があると認めるのは気まずいと前置きしてから、彼女は本を何冊も発表する過程で何十万人もの Twitter のフォロワーを獲得したことを書く。そうしたフォロワーの大半は彼女の仕事を評価してくれているが、その中には彼女を憎み、またその憎しみを裏付け、強化する証拠を見つけるためにフォローしているアンチもいる。何かしら理由をつけては彼女に嫌がらせする人もいる。

そのように当たり前のようにアンチから攻撃を受ける環境にいると、すべてが攻撃に感じられるようになるまで批判に敏感になってしまう。善意に基づく批判といちゃもんや残酷な攻撃の区別が難しくなる。かくして、かつては魅力的で楽しかった体験が、ストレスでひどく不愉快になる。我々は釘を探すハンマー、つまり叩けるものを探しては叩いて回るようになってしまった、と彼女は書く。

つまり、手段と目的を取り違えてしまっている状態ということだが、そのせいで元発言に対する誤解や拡大解釈から生まれるクソリプやら、十年以上前の戯言を持ち出しての攻撃やら……まぁ、皆さんご存知の話だらけになってしまう。

特にロクサーヌ・ゲイのような著名人はその傾向が強い。ソーシャルメディアでのクリックがあたかもその人全体のイデオロギーを代表するかのように「いいね」が執拗に分析されるし、何か間違いを犯せば、それはすぐさま救いようのない証拠になってしまう。しかし、その糾弾が間違っていたら、今度はミスの責任を問われた人が、「キャンセルカルチャー」の非人間性を断罪しながら、その窮地にある人の服を引き裂くような大合唱が起こる。

一方で、プラットフォームからほぼ制限されることなく怒りの対象を標的とする人種差別主義者、ホモフォビア、トランスフォビア、外国人嫌いがおり、しかもそれに加えて嬉々として混乱を巻き起こす真正の荒らしがいる。

長年インターネットを利用し、実際いろんなバカげた議論や対話に関わった経験から、オンラインでの怒りや敵意の原動力は、オフラインでの我々の無力感ではないか、とロクサーヌ・ゲイは分析する。オンラインでは善人でありたい、善いことをしたいと思ってはいるが、人間的な優しさはおろか、寛大さや忍耐力はほとんど持ち合わせていない。一方で、感情的安全性(emotional safety、心理的安全性と同じようなもの?)に対する抜き差しならない渇望がある。

それはつまり、自分が完璧で、他人も同じく完璧であれば困ったことはなくなるという絶望的な望みなわけで、それ自体は腹立たしいが、完全に理解もできると彼女は書く。少なくともオンラインでは、自分の主張を伝えることができ、それが誰かに聞いてもらえているという自覚を持てる。

オンラインにコントロールと正義を求めること、オンラインへの関わりが急激に悪化しがちなこと、そしてそれに疲れてしまう人がいることのいずれも不思議はないということだ。

ソーシャルメディアに費やした時間を後悔していない、とロクサーヌ・ゲイは書く。バーチャルな関係がきっかけとなって現実世界で冒険したこともあるし、自分自身に挑戦し、人間として成長する勇気を得た。

しかし、自分はもう以前とは違う。妻をはじめ家族もいて、仕事も忙しい。(『飢える私』で書かれる減量を経て)体が動くようになったので、積極的に外に出るようになった。今では、大半の時間を過ごすのはあまりネットを利用しない人たちで、インターネットでの奇妙だったりイラつかされる出来事について話すと、まるで自分が遠い国の外国語を話しているかのような顔をされがちだという。そして、ロクサーヌ・ゲイは、まあ、そうだよね(And, I suppose, I am.)、と締めている。

折角なので自分の文章に引き寄せると、どうしても以下の文章を思い出してしまう。

wirelesswire.jp

wirelesswire.jp

wirelesswire.jp

この文章のタイトル「なぜ人はオンラインではかくもひどいのか」の答えは「オフラインでの我々の無力感」ということなのだと思うが、やはり現実生活を充実させ、ネットから距離を取れる人間関係が重要という話になるのでしょうな。

ネタ元は kottke.org

オープンソースの終焉? ではなく次代の(技術、ガバナンス)モデルに移るべきという話

techcrunch.com

オープンソースの終焉?」という不穏なタイトルを掲げている文章だが、TechCrunch Japan ではなぜか翻訳されていないようだ。

このエントリは、今年の春にミネソタ大の研究者が研究のためとして Linux カーネルに意図的に脆弱性コードをコミットしようとし、Linux コミュニティが出禁措置を言い渡したのを受けてミネソタ大学がおわびの公開書簡を発表するにいたった Hypocrite Commits(偽善者のコミット)騒動の話から始まる。

この問題はオープンソースのエコシステムとそのユーザを脅かすもので、このエコシステムはいわゆる FOSS があらゆる人間の事業にますます重要になっているという問題と格闘してきた――と続くのだが、うーん、あの騒動はパッチ主の態度にかなり問題があったと思うのよね。

ともかく Mirantis の CTO でもある Shaun O’Meara は、現在メジャーなオープンソースプロジェクトは巨大化しており、その複雑さや開発速度は、従来の「コモンズ」アプローチや、もう少し進化したガバナンスモデルが対応できる規模をも超えていること、一部の営利団体が従来の FOSS 参加パターンを歪め始めている一方で、FOSS への参加者数は減少しているように見えること、また OSS のプロジェクトやエコシステムは多様で、営利組織が参加したりそれで利益を上げるのが難しい場合があるという問題を指摘する。

このあたり、昨年書いた「2020年においてもオープンソースの持続可能性、そしてビジネスモデルは一筋縄にはいかない」話を思い出した。

さて、一方でオープンソースへの脅威は進化し続けている。攻撃者はより大規模に、より賢く、より素早く、より忍耐強くなっているし、OSS が重要な分野に入っていることの裏返しで攻撃はこれまで以上に経済的、政治的利益をもたらす。Linux カーネルの規模と重要性を考えると、こういった脅威モデルと戦う準備ができていない。具体的には、これまで堅牢で安全なカーネルリリースにうまく機能してきた信頼システムの「インサイダー」モデルが悪用されてエクスプロイトコードがコミットされる危険である。

それに対応する策として、著者が挙げる方策は以下の通り。

  • モノカルチャーの広がりを制限する。オープンソースであるというだけでなく、技術的多様性(technical diversity)の導入が重要
  • プロジェクトのガバナンス、組織、資金を見直し、特定の人に完全に依存しないようにしながら、営利企業が専門知識などのリソースを提供する動機付けを行う
  • スタックを単純化し、コンポーネントを検証してコモディティ化を促進。セキュリティ面のしかるべき責任をアプリケーション層に押し上げる

ここまで書いていて、「オープンソースの終焉?」というタイトルはいくらなんでも釣りだと呆れてしまうが、技術的な多様性も重要なんだろうね。しかし、それにはオープンソースをこれまで支えてきた貢献者の文化をある程度変える必要もあるわけで、それができないと本当に「オープンソースの終焉」につながるんだろうかとも思った。

例によって端折っているところは多いし、ワタシが意味を取り違えているところもあるかもしれないので、詳しくは原文を読んでくだされ。

ネタ元は Slashdot

ソフトバンク幹部だったゲーリー・ギンズバーグによる米大統領とその親友についての本が面白そう

avc.com

フレッド・ウィルソンのブログで紹介されていた First Friends という新刊が面白そうである。

「我々の大統領を方向付けた強力で、脚光を浴びない(しかも選挙で選ばれていない)人たち」という副題を見ると分かるが、アメリカの歴代大統領とその親友との関係性にスポットライトをあてた本である。

この本で取り上げられる大統領とその友人の組み合わせは以下の通り。

おっと、他にもリチャード・ニクソンビル・クリントン(とその親友たち)の章もあるよ。

日本語版ウィキペディアにページがあるのは一人だけだが、デイヴィッド・オーンズビー=ゴアについては、JFK の死後、ジャクリーン夫人にプロポーズし、それを断る手紙が競売にかけられたのが数年前にニュースになっていたっけ。

あと、フランクリン・ルーズベルトとマーガレット・サックリーの関係については、十年くらい前に映画になってような。

で、ここまで書いていて、この本の著者 Gary Ginsberg の名前になんか覚えがあるなと引っかかったのだが、この人2018年にソフトバンクグループのグローバル広報担当で常務執行役員に就任し、今年春に退社したことが報じられたゲーリーギンズバーグじゃないですか。

50代後半になり、企業重役職もひと段落ということで本でも書いてみたというところだろうか。

本の話に戻ると、日本の首相で、影響を与えた(政治家でない)友人って誰かいるだろうか? 吉田茂白洲次郎? それもちょっと違うよな。

スチュアート・ブランドのドキュメンタリー映画『We Are as Gods』が完成していた

スチュアート・ブランドというと、現在では『ホール・アース・カタログ(Whole Earth Catalog)』創始者としてもっとも知られているが、ワタシも彼が立ち上げた Long Now 財団『How Buildings Learn』など彼の仕事を取り上げてきた。

彼のおそらくは最後の著書の邦訳が出て10年になるんやね。

blog.longnow.org

今更その Long Now 財団の4月のブログエントリを読んで知ったのだが、そのスチュアート・ブランドのドキュメンタリー映画『We Are As Gods』が作られているんですね。SXSW でプレミア上映されたとのこと。

「彼はまるでキルロイだ。重要なものが起こるたびにその背後に彼の姿がある」というコメントが印象的である。

このエントリでは、この映画の監督2人とブランド自身、そして彼の盟友ブライアン・イーノが対談を行っており、文字起こしもあるので、映画に興味のある方は見るとよいでしょう(あんまり言いたくないが、映画の日本公開は難しいだろうし)。

そのスチュアート・ブランドについては昨年 Wired に「スチュアート・ブランドは人工呼吸器を拒否することにした」という不穏なタイトルの記事が掲載されていたが、彼ももう80歳を過ぎている。生きてるうちにこのような伝記映画が作られたのは良いことである。

ブランド本人やイーノ(彼の曲も使われている)をはじめ、ダニエル・ヒリスケヴィン・ケリーなど彼と仕事をしてきた人たちがインタビューに答えている。

さて、調べてみると、やはり『We Are As Gods』に出演しており、近年では『人工知能は敵か味方か』(asin:4822251411)の邦訳があるジョン・マルコフによるスチュアート・ブランドの伝記本が来年春に出るみたい。こちらは是非邦訳が出てほしいところ。

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