当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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Feedlyでnoteのサイトの更新が取得できない問題について

もともとブログを更新する予定はなかったのだが、困った問題が起きているため、この場で共有させていただきたい。

少し前に Twitter で話題になったブログがあり、ワタシはそのブログを RSS リーダ(Feedly)に登録しているはずなのに、更新があがっていない? と気づいて、Feedly 上で直接そのブログを見ようとしたところ、以下の表示が出て更新が取得できない。

しかし、そのブログが死んだわけではなく、その URL にアクセスすると問題なく閲覧できる。なんだこれ?

そのブログは note を使用したところだったのだが、調べてみたらところ、Feedly にで登録された note のサイトが他にも更新を取得できていないことに気づいた。

Organize Sources を表示すると以下のようになる。

32ものサイトが Unreachable になっているのに今更気づいた。調べてみたら、その大半が note を使用したところだった。

ワタシに購読されていると知って不愉快に思われる人がいないとも限らないので、モザイクをかけさせてもらった。Unreachable の一覧を見て、加野瀬未友さんの「ARTIFACT―人口事実―」や津田大介さんの「音楽配信メモ」といったサイトがもはや生きてないことに気づいたりもしたが、上述の通り、大半は note である。さすがにここまで偏ると偶然ではないだろう。

よく分からないことに、note のブログすべて Unreachable かというとそうでもなく、少数の例外も存在する。

いずれにしろ購読している note の更新を Feedly で取得できない状態が続いており、端的に困っている。これの解決策はあるのだろうか?

アクセスしたときに出るエラーメッセージ+Feedly で検索をかけるといくつか同じような現象を報告するブログが見つかるが、ワタシと同じ現象そのものではないようだ。

ポイントは以下の3点だろうか。

  1. Feedly の他ユーザのところでも note のサイト更新が取得できない現象は出ているか?
  2. この現象の原因は Feedly にあるのか、それとも note(が出力するRSS)か?
  3. (2の答えを踏まえて)現状を改善する方法はあるか?

もうナウなヤングが RSS リーダーなど使わなくなっていると聞いて久しいが、もしこのブログを読んでいる Feedly ユーザの方がいたら、状況を教えていただきたい(同じく RSS リーダの Inoreader ではこの現象は出ていない模様)。もちろん即効で問題が解決する方法をご存知の方もよろしくお願いします。

この現象が一時的なもので、放っておいてもじきに解決するのであればよいのだが……。

[2021年12月15日追記]:当方では特に何もしていないのだが、本エントリ公開後 note で Unreachable のサイトが徐々に減っていき、先ほど確認するとゼロになっていたので、本件は解決したものと思われる。

使用料無料で何千もの曲を公開し続ける知られざる音楽家ケヴィン・マクロード

皆さん、ケヴィン・マクロード(Kevin MacLeod)という音楽家をご存知だろうか?

恥ずかしながらワタシは知らなかった。そのケヴィン・マクロードのドキュメンタリー映画 Royalty Free: The Music of Kevin MacLeod が作られている。

このトレーラーの冒頭、ケヴィン・マクロードは「インターネットの聖マーティン」と称えられている。彼は何者なのか?

このドキュメンタリー映画の宣伝文句は、「一人の音楽家、何千もの曲、何百万もの動画、そして何十億もの閲覧数についてのドキュメンタリー」である。それだけケヴィン・マクロードは多産な音楽家であり、その音楽は広く利用されている。

しかし、彼の名前を知る人は少ない。なぜか? 映画のタイトルの通り、彼の音楽は「著作権使用料無料」であり、彼は自分が作った音楽から巨万の富を得たわけではないからだ。

ウェブ黎明期の1996年、作曲に興味があったソフトウェアプログラマのケヴィン・マクロードは、incompetech というウェブサイトを立ち上げた。仕事で作った音楽がボツをくらったため、誰かに聞いて使ってもらいたいと無料で利用できるよう音楽をウェブサイトに公開するようになった。そうか、彼はワタシと一歳違いで同年代なんだな。

それから20年の時が経ち、彼が作り、クリエイティブ・コモンズの(もっとも利用に関する条件が緩く、きちんとクレジットすれば商業利用も改変も可能な)表示ライセンスの元で無料で公開される楽曲は何千にもなり、そしてそれは数多くの動画で使用されるまでになった。

彼の作品は人気ゲームやハリウッド映画やテレビ番組などいろんなもので使われており、実はバッハやモーツァルトベートーヴェンと並んでもっとも音楽がかかる場所で聞かれているらしい。

また彼は FreePD.com というパブリックドメインCC0)の音楽を集積するサイトも作っている。筋金入りですな。

いやはや、このブログの読者ならご存知のように、ワタシはこれまで Creative Commons 関係のニュースを好んで紹介しており、その過程でケヴィン・マクロードの名前にも音楽にも触れているはずだが、恥ずかしながらいずれも認識してなかった。

ただ「マクロード」という苗字には何か覚えがあり、ブログを検索してみたら、『表現の自由vs知的財産権著作権が自由を殺す?』(asin:4791762045)の著者がケンブリュー・マクロード(Kembrew McLeod)だった(参考:『表現の自由vs知的財産権』の著者がデジタルサンプリングの困難をテーマにした『Creative License』)。問題意識も近そうだが、親類というわけではないんだろうな。

手っ取り早く彼の音楽を聴きたい人は、彼の YouTube チャンネルからどうぞ。

ネタ元は Boing Boing

米国のクリーンエネルギー移行に現実的なヴィジョンを示すソール・グリフィス『Electrify』

doctorow.medium.com

コリイ・ドクトロウの書評で知ったが、Rewiring America の共同創始者として知られる発明家、起業家ソール・グリフィス(Saul Griffith)が Electrify という本を出していた。

タイトルの "electrify"は、「電力を供給する」の他に「あっと驚かせる」という意味もあり、おそらくはそのダブルミーニングを狙ったものでしょう。気候変動と戦う楽観主義的な、しかし同時に現実的で地に足のついた行動計画を示しながら、新たな雇用とより健全な環境を創出しながらすべてを電化していこうというわけですね。

今年はとにかく気候変動や、それに起因するエネルギー問題についての報道を目にすることが多かった。その潮流を受けた科学本は既にいくつも出ているが、本書は我々が抱える問題の技術的なパラメータやいろんな解決策を提示し、妥当っぽいものからバカげたものまでを選別し、その中で最良の提案を達成する実用的なプランを明確にする工学書だとコリイ・ドクトロウは評価している。

yamdas.hatenablog.com

ワタシのブログでグリフィスの名前が出てくるエントリとなるとこれで、要は彼はティム・オライリーの義理の息子になるんですね。「今後20年間に生まれる気候変動億万長者は、インターネットブームで生まれた億万長者よりも多いだろう」と予言するオライリーのエネルギー分野のブレーンなんだろうな。

以下、ティム・オライリー『WTF経済』の426-427ページから引用する。

 これは工学や材料科でも成り立つ。ソール・グリフィスの発言を思い出そう。「我々は物質を数学に置きかえるんだ」。ソールの会社のひとつ、サンフォールディング(Sunfolding)社は、大規模ソーラーファームに太陽追尾システムを販売している。これは鋼鉄、モーター、歯車を、ペットボトルと同じ産業グレードの材料から作られた重量も費用もはるかに小さい空気圧システムで置きかえるものだ。別のプロジェクトは、天然ガス備蓄用の巨大なカーボンタンクを小さなプラスチック細管からできた腸管のようなものに置きかえ、天然ガスのタンクをどんな形にもできるようにして、タンク全体が一気に破裂するリスクも減らす。物理学をきちんと理解するなら、確かに物質を数学に置きかえることは可能なのだ。

このあたりを読むと、確かに理論的、工学的な裏付けのある本を書ける人だろうなと思う。

マリアナ・マッツカートやケヴィン・ケリーといったこのブログでもなじみのある人も推薦している。

ただまぁ、当然ではあるけれども、この本の議論は基本的にアメリカを対象としており、極東の島国の状況とは前提から規模から違う話が多いから、そのまま翻訳しても難しいかもしれない。

この翻訳家がすごい! 2021年版

今年ブログで新刊本を取り上げていて、この本もこの人が訳しているのかと思うことが何度かあり、まとめておこうと思った次第。

翻訳数が多いだけではなく、自分のアンテナにひっかかる本が多い、というのがポイントになる。ワタシの場合、どうしてもフィクションよりもノンフィクションになるので、例えば海外文学好きの人が選べば、また違ったチョイスになるだろう。

これだけの仕事量をこなすとはすごいなぁ、と素直に驚いたから取り上げるだけで、別に数が多ければ偉いと言いたいわけではないので念のため。

関美和さん

本ブログで取り上げただけでもジョン・キャリールー『Bad Blood』ジェフ・ベゾス『Invent & Wander』を手がけているが、それを含めて今年刊行された本では、なんと6冊に(共)訳者として名前を連ねている。

今年最後に刊行されるのはマリアナ・マッツカートだが、ワタシが3年近く前に取り上げた『The Value of Everything』ではなく、その次作の翻訳か。ローマ教皇が推薦の言葉ってマジかよ!

千葉敏生さん

本ブログで取り上げただけでもスコット・バークン『デザインはどのように世界をつくるのか』ジャネル・シェイン『おバカな答えもAIしてる』グレッチェン・マカロック『インターネットは言葉をどう変えたか』を手がけているが、それを含めて今年刊行された本では5冊手がけており、しかもすべて訳者としてのクレジットは千葉さんお一人!

さらには来年の2月には早くも2冊の訳書の刊行が予告されている。どんだけの仕事を平行してこなされているんだ……。

野中モモさん

やはり広義のテック関係の本の紹介が多い本ブログでは取りこぼしがちなのだけど、野中モモさんが今年3冊の訳書を刊行するのに目を見張る。訳された本のテーマも50人の女性シリーズをはじめ一貫していて、それにも野中さんの強い意志を感じる。

野中さんとワタシは同年だが、それこそ自分がウェブサイトを始めた頃からずっとあこがれの存在なので、多くの女性たちをエンパワーするであろう野中さんの仕事を称える機会を持てること自体嬉しい。

ラストナイト・イン・ソーホー

以下、公開中の作品の結末まで触れているので、ネタバレを気にする人はご注意ください。

エドガー・ライトの新作というだけでも観に行く理由になるが、主演が『ジョジョ・ラビット』のトーマサイン・マッケンジー『クイーンズ・ギャンビット』のアニャ・テイラー=ジョイということでとても楽しみで、公開初日に観に行った。

やはり、この主役二人がとても素敵だったなぁ。彼女たちの対比が絶妙というか。トーマサイン・マッケンジーは後半ほぼタヌキメイク状態になっちゃって少し損しているが美しいし、アニャ・テイラー=ジョイという人のユニークな容姿は本作でも力を発揮している。ワタシが最初に観たこの人の出演作は『スプリット』のはずで、その時点でとてもうまい役者だったと思い当たるが、本作でも強い目力で60年代の歌姫を目指す役柄をものにしている。

エドガー・ライトの前作『ベイビー・ドライバー』は車×音楽映画としては文句なしだったが、主人公の恋愛に関する筋立てが好みでないのが個人的にマイナスだった。彼の作品ではやはり、サイモン・ペグ×ニック・フロストと組んだ『SPACED 〜俺たちルームシェアリング〜』並びに「スリー・フレーバー・コルネット3部作」が好きで、コメディの作り手というイメージがある。

60年代のスウィンギング・ロンドンの光と闇が主人公の現実に侵食する本作は、サイコホラーに分類されるのだろうが、ライトの映画オタクとしての引き出しの多さがいかんなく発揮されていて、目覚ましを使った恐怖描写など楽しんで演出したんだろうなと想像する。本作はいささかとってつけたようなハッピーエンドで終わるが、これも彼の考える「ホラー映画的ハッピーエンド」の型なのかもしれない。

また本作でも音楽の使い方がうまくて、というか60年代ポップ鳴りっぱなしなのだけど(アニャ・テイラー=ジョイによるペトラ・クラーク「恋のダウンタウン」のアカペラも素晴らしい!)、そういえばジョージ・ハリスンがカバーして全米1位のヒットとなった「セット・オン・ユー」の原曲を映画で聴けるとは思わなかったな。クライマックスで使われるのがダスティ・スプリングフィールドというのがポイントなんでしょうな。

またそれとも関連する意味で、夢を抱く女性を食い物にする男たちが本作のホラーの源泉となるのも時宜を得ており、無駄なカットが一切なく、2時間弱にまとめているのも良い。クライムアクションの『ベイビー・ドライバー』で商業的に大成功した後に、映像作家として幅を見せつけるサイコホラーの本作をものにしたことで、エドガー・ライトは当代を代表する名監督のリストに仲間入りしたのではないか。

キング・クリムゾン最後の大阪公演を観た

(細かい異同はあるがほぼ)現在のラインナップでは、2015年12月2018年12月に続くライブとなった。

こうして書くと、きっちり3年ごとに来日公演が実現していることに気づくが、今年夏に年末の来日公演が発表されたとき、正直行くかどうかかなり迷った。なにより当時コロナ禍の第5波最盛期で、個人的にはライブに行くとか考えられない精神状態だったし、告知されている時期に状況がどうなっているかまったく読めないのもあった。

しかし、これを逃したら絶対に後悔することは分かっており、気持ちを奮い立たせて高いチケットを購入した。

今回のツアーがキング・クリムゾンとしての最後のツアーになることはトニー・レヴィンなどメンバーも明言しており、ロバート・フリップ御大も今回の来日公演が「日本での集大成となるツアー」になると書いている。キング・クリムゾンというバンドが「完結」に向かっているのは間違いない。

前回、前々回と2回続けてチケット購入をうっかり忘れ、いずれも後方の席しか取れなかったのに対し、今回は(やはり発売開始当初は躊躇した人が多かったのか)8列目という前方の席が確保できた。会場に入るとジャッコ・ジャクジクがほぼ前に来る位置で、つまりはフリップ先生側になる。それだけで気分がアガるのを感じた。

www.setlist.fm

ドラムキット3つが前列に並ぶ構成にも、もはや違和感を覚えなくなっている。今ではトーヤさんとのはじけた夫婦漫才そのユーモアセンスが知られることとなったフリップ先生による陽気なアナウンスが流れてメンバーが登場し、『アイランド』の例の SE が流れる中、軽く音出しをして演奏に入る流れももはやおなじみである。

結論から書けば、ライブ体験そのものとしては、2018年の来日公演が勝った。前回は第1部が80分、20分の休憩、そしてその後アンコール含め80分の第2部で全体で3時間だったのが、今回は第1部から代表曲がバンバン演奏されながら全体で2時間20分で、単純にやる曲数が減ったのもある。

「21世紀の精神異常者」において、メル・コリンズが呑気に「A列車で行こう」を吹いていると、フリップ先生がヒステリックなギターをかき鳴らして割り込むような音の演出も欠けていた。逆に言うとバンドの音に余剰がなくなったというか、タイトになっていたと言える。前回より曲数は減ったとはいえ、最後の「スターレス」まで聴きたい曲は大方聴けた。それで満足である。

あと全体的にジャッコの声はよく出ていたが、彼が弾き出した「ディシプリン」のイントロが貧相でガクッとなったな。

今回はこれまでよりも圧倒的に前列で観れたのもあり、フリップ先生の姿を目に焼き付けたが、「クリムゾン・キングの宮殿」のあの音はフリップ先生が鍵盤を腕で押さえて出していたんだ、といった発見もあった(あの曲ではトニー・レヴィンも左手でベースを弾き、右手で鍵盤を押さえていた時があったような)。

これは以前も書いたことだが、思い入れのあるミュージシャンはたくさんいるが、ワタシの場合、突き詰めればルー・リードロバート・フリップの二人に行き着く(もし3人選ぶなら、ドナルド・フェイゲンが入るだろう)。ロバート・フリップは、つまりはキング・クリムゾンは、ワタシにとって特別な存在なのである。

高校2年生の夏休みに『太陽と戦慄』の CD をレンタルして聴き、人生最大のショックを受けてから30年以上の年月が流れたが、その間に6回の来日公演を観れた。特に現行のラインナップになってからは、今回を含めその歴史を総括するライブを見せてくれた。

コロナ禍がまだ世界的に続く中、真っ先に来日公演を実現してくれた(デヴィッド・シングルトンも書くように、これが少しでも遅ければ来日自体できてなかった!)キング・クリムゾンに心から感謝したいし、その「完結」の一端に立ち会えてよかった。

ありがとう、フリップ先生。

「ウィキ」がペディアに乗っ取られたように「クリプト」はデジタル資産に乗っ取られるのか

www.wikiart.org

Scripting News 経由で WikiArt.org を今更知る。

はてなブックマークを見ると、2012年には既に話題になっているので、今まで知らなかったのが恥ずかしいレベルかもしれない。

たまたまエドワード・ホッパーの画が引用されていたので、ワタシも彼の作品でもっとも有名な Nighthawks のページなどを見たが、まだパブリックドメイン入りしていない彼の作品も Fair Use の掲示の元に公開されている。

「Visual Art Encyclopedia」を謳っており、要はアート分野におけるウィキペディアを目指したもので、確かに絵画ごとにそのスタイル、現物が収蔵されている場所など各種情報などの情報がしっかりしている。

しかし……このサイトは編集可能な Wiki ではないのだから、サイト名称は WikiArt ではなく Artpedia でよかったのではないだろうか?

yamdas.hatenablog.com

Wikipediawikiって略すな」の戦いは既に敗北が決定しており、例えば Twitter で「ウィキ(Wiki)」という単語を見かけたら、それはたいていウィキペディアを指している。

この問題の副次的な影響として、WikiArt のように百科事典的サイトの名称に Wiki が冠せられる場合があることかもしれない。この話は、10年以上前にも書いているが。

text.baldanders.info

少し前から気になっていたが、「Crypto」という言葉が暗号通貨などデジタル資産関係のサービス方面の名称に多用されている現状に暗号技術関係者が不満を表明しているとのこと。

ワタシが「ウィキ&ペディア」という文章を書いたのも今や昔、「クリプト&カレンシー」というか、デジタル資産方面の用語に「クリプト」が多用される現状は、百科事典的サイトの名称に Wiki が冠せられる現象に似たものなのかもしれない。

技術雑誌をデジタル化して復刻するプロジェクトを応援したい

www.techmag.jp

佐渡秀治さんのツイート経由で TechMag.jp のことを遅ればせながら知った。

1960年代から2000年にかけて、日本の半導体やコンピュータ技術は飛躍的に進歩し、技術雑誌がそれに貢献しました。  デジタル化して絶版をなくし、誰もの手に届く所に置き、後世に伝えることが、本プロジェクトの目的です。

技術雑誌|電子復刻|TechMag

これは素晴らしい。確かに技術雑誌がそのまま失われるのは文化的な損失である。技術雑誌であれ、Software Design 誌のように定期的に総集編を DVD にしてくれるところは少ない。海外ならインターネット・アーカイブがやっている企画だが、さすがに日本の技術雑誌までカバーするのは期待できないわけで。

公共電子図書館や個人への販売まで射程に入れた電子復刻の試みは有意義だし、何かしら応援できたらと思うが、今個人にできることは既に販売されている電子版を購入することだろうな。

既にコンピュータサイエンス誌『bit』の電子復刻が進んでいるが、思えばワタシは bit 誌の休刊を惜しんで「a little bit...」という、今読めば死ぬほど拙い文章を書いているが、それが2001年、つまりは bit 誌休刊から今年で20年になるんですね。

ダニエル・カーネマン、キャス・サンスティーンらの最新作『NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか?』が早くも出た……のだが

www.hayakawabooks.com

キャス・サンスティーン『入門・行動科学と公共政策』を取り上げたとき、『NOISE』について「来年あたり邦訳が出るに決まっている」と書いたが、2021年中に出るとは! さすが早川書房、仕事が早い。

水野祐さんが書くように「認知心理学、行動経済学、法学のスターが集結」した本である。これは売れるに違いない。

しかし……2021年にカーネマンやサンスティーンの新作の邦訳を迎えるにあたり、なんというかいささか気まずい感じを禁じ得ないというのも正直なところである。

今年、「行動経済学の死」騒動があったためだ。

note.com

note.com

最初に燃えたのはダン・アリエリーで、彼の『予想どおりに不合理』、『ずる』の2冊を読んで感銘を受けていたワタシにしてもショックが大きかった(まさか『ずる』を書くにあたりズルをやってたとしたら、それはなんというか……)。

そして、その延焼が『ファスト&スロー』が私的オールマイベストの1冊であるカーネマンの仕事や、サンスティーンの代名詞的な「ナッジ」にも及ぶ話を聞き、なんとも困惑させられた。

まぁ、ワタシの困惑などどうでもよいのだが、行動経済学の成果を持ち上げるかわりに一部の学問について切り捨てるような主張を行ってきた論者(具体名は挙げませんが)はちょっと困ったことになったのではないかしら。

そうしてみると、早川書房による「行動経済学はついにここまできた!」という煽り文句も勝手に皮肉に思えてくるくらいだし、というかこのエントリで名前を出した本はすべて早川書房から出ているのだが、そういう穿った見方を置いておき、新刊を評価すべきなんだろう。

なんで最近の映画は役者の台詞が聞き取りづらいのか(ヒント:クリストファー・ノーラン)

www.slashfilm.com

かつてはハリウッド映画の台詞の99%が理解できた。しかし、この10年ほどの間に、その割合は著しく低下しているのに気づいた。映画館で映画を観てて、台詞がまったく分からないことすらある。家で映画を観るときには、ストーリーの重要な部分を逃さないように、字幕をつけるのが習慣になっていると嘆くこの記者は、この原因を知ろうとハリウッド大作を手がけ、オスカーを受賞したことのある音響関係者に連絡をとったが、オフレコですらコメントを拒否する人もいた。

そこで、その謎を解くべくアマゾンのジャングルに向かった……というのはウソだが、ここまで読んだ時点でワタシの頭に浮かんだのは――

ハンス・ジマーの音楽の圧が強すぎるから!

さすがにそれが一番の理由に挙げられてはなかったが、映画音響のミキシングは簡単な仕事ではなく、これは単純な問題ではないというエチケットペーパーを敷いた上で、最初にやり玉にあがっているのがクリストファー・ノーランで笑ってしまった。だいたい合ってるじゃん(言い過ぎです)。

つまり、当代最高の映画監督の一人であるクリストファー・ノーランは、そのパワーを行使して意図的にサウンドデザインの限界に挑戦しているという。意図的にやっているのだから、ノーランはその件で苦情を言われようが(実際、言われているらしい)意に介していないと思われる。

次に理由として挙げられているのは役者の演技の問題。具体的には時に台詞が解読不能トム・ハーディがやり玉にあがっているが、『ダークナイト ライジング』で台詞が聞き取りずらかったのはマスクのせい、というかこれもクリストファー・ノーランのせいだが、自然な演技スタイルを追求する役者が増えたのは、後始末をする音響関係者には地獄らしい。

その次には、映画がより視覚的にエキサイティングになりカメラチームが大事にされる一方で、音響チームが映画の撮影現場で十分リスペクトされていないのが挙げられている。音より画が重視され、(予算の関係もあるが)音が理由の撮り直しは許されず、後処理でなんとかする、となりがちとな。

そして最後に挙げられているのは、テクノロジーの進化。昔の映画にあった音響の問題は忘れられ、デジタル技術が進化した今ではサウンドエディターに期待されるものも多くなってしまった。また、昔よりも現在は映画の中での音楽の量が増えており、監督が音楽に頼りすぎて、結果音楽と台詞のせめぎ合いが起きていると見る音響関係者もいる。

この4つの原因は撮影現場の問題だが、それに隠れた問題もあり、それは慣れの問題。映画製作にはとても時間がかかるので、撮影の繰り返しのうちに台詞の不明瞭さが現場で分からなくなってしまう。

そして、この記者が今回の取材でもっとも興味深いかったこととして挙げるのは、ミキシングの段階での映画の音と、シネコンで上映されるときの音は品質の差が生じるということ。これは別に今始まった話ではないが、フィルムからデジタルへの移行と、シネコンなどの映画館にサウンドに熟知した従業員がいなくなったことがあいまって、シネコンで上映される音響の質が低下したという話も出てくる。

さらには、劇場用のサウンドミキシングも大変だが、ストリーミング配信用のサウンドミキシングにも苦労があるという話が出てくる。データ圧縮の問題があるのは想像がつく。やはり音響にこだわるなら、ストリーミングよりも物理ディスクというのは分かるが、ストリーミング用のオーディオを測定する方法には業界標準がないらしいのは困ったものだ。

そして、ストリーミング全盛、そしてコロナ禍もあり、映画が映画館で観るものから家のホームシアターで観るものに変われば、求められる音響も変わるところがあるのは間違いないが、少なくとも現状ではそれに最適化されたミキシングは行われていない。

それならどうやって現状を正すことができるかという話になるが、この文章では明快な解決策は示されていないというのがワタシが感想である。

ネタ元は Slashdot

ヤン・ルカン『ディープラーニング 学習する機械 ヤン・ルカン、人工知能を語る』を恵贈いただいた

講談社サイエンティフィクの横山さんから『ディープラーニング 学習する機械~ヤン・ルカン、人工知能を語る~』を恵贈いただいた。

著者のヤン・ルカンは、ディープラーニングの第一人者であり、特に畳み込みニューラルネットワーク創始者の一人として知られる、2018年のチューリング賞を受賞した世界的な計算機科学者である。その彼が人工知能ディープラーニングについて包括的に書いた本が本書である。

また本書の監訳者は松尾豊氏で、ワタシも氏の『人工知能は人間を超えるか』(asin:B00UAAK07S)を読んでいるが、彼が監訳者なら日本語版の内容は問題ないだろうという安心感がある。

本書は書名から一般向けに書かれた AI の概説書で、この分野の世界的な成功者である著者の研究者人生の回顧が主な本かと勝手に思って少し軽い気持ちで読み始めたら、それを最初のほうに一章設けて書いているが(第2章「AIならびに私の小史」)、本領はその後の学習機械、ニューラルネットワークディープラーニングについてずんずん解説していくところにあり、そこでは必然性をもって数式も Python のコードも避けることなく出てきて、事前の見立てよりも読了に時間がかかる読み応えのある本だった。

本書は、著者が終章においてさらっと書いている通りの本である。

適度なハイキングを楽しむというより、険しい山道を駆け足で突き進むようなものだったかと思う。コースの途中には数々の難所があったが、迂回する気はさらさらなかった。なるべく歩きやすうように配慮はしてみたが、この新しい世界になじみの薄い人には、かなりの難関だったかもしれない。(p.369)

これが10万部売れた(著者の本国)フランスはすごいな! とも思うが、読者を甘く見た浅い内容のハウツー本ではなく、本書は一般向けの本ながら、間違いなくこれからも話題の中心となる人工知能分野について、折に触れ再読に耐える本である。

人工知能分野を包括的に解説しながら、当然のようにそこで当然のように自身の研究成果が言及されるところに著者の自負が伝わる。チューリング賞の受賞という、研究者人生の最大のハイライトと言えるトピックについて書く際も、「私の受賞理由はすでに古びた研究によるもので、過去5年間の研究成果はそこに含まれてなかった。(p.293)」と書いてしまう現役意識もチャーミングだ。

著者は、本書の最初で「人工知能は、経済や通信、医療、交通など、あらゆる分野を掌握しつつある。(p.16)」と高らかに宣言しているが、その研究者人生は、いわゆる「AI冬の時代」を乗り越える苦闘とも言える。本書には「タブー視されるニューラルネットワーク」というフレーズがあったりするが、著者たちはニューラルネットワーク研究をバカにされた時代に「ディープラーニング」という新語をひねり出し、なんとか科学コミュニティに居場所を作ってきた話など本当に面白いし(参考:「チューリング賞」が贈られるAI研究の先駆者たちは、“時代遅れ”の研究に固執した異端児だった)、そういう時代にニューラルネットワーク研究を諦めなかった「異端の過激派」として数理工学者の甘利俊一福島邦彦の名前が挙げられているのも日本の読者には示唆的だろう。

著者は2010年代には成功者として Facebook に迎えられ、Facebook人工知能研究所(FAIR)を立ち上げる。本書を読むと、そのあたりの大企業における AI 研究所の運営と変化についての記述もなかなか読めるものではなく興味深い。そしてまた本書を読むと、この分野の主要研究者はだいたい FacebookGoogle に行くんだなと思ってしまう。

著者はマーク・ザッカーバーグが興味ある分野は論文を読み、深く考える人物であることを書いた上で、「何か興味をもったら、いつもそんな風にするらしい。バーチャルリアリティについても同じようにするだろうし、Facebookの民主主義への影響についてもそうするだろう。(p.270)」と少し軽口めいて書いているが、その後まさかここまで Facebook が民主主義の敵、社会の害悪として指弾されることになるとは著者も予想できなかったのだろう。

本書で語られるディープラーニングの成果は、それこそ Facebook のようなもはや巨大プラットフォームがそれなしに機能しないところまで来ていることからも明らかである。一方で、うまく書けないのだが、次の「AI冬の時代」もいずれまた来るのだろうな、ということを思ったりした。

科学コミュニティの一部では、この種の強化学習こそが人間並みのAIを設計するためのカギになると考えられていた。DeepMindの大物のひとりにしてAlphaGoの立役者デイヴィッド・シルヴァーは、「強化学習こそが知能の本質である」と口癖のように言っていた。だが、われわれはその信念に与せず、予言者カサンドラの役割を演じてきた。(p.303)

さて、以下は余談。以前にも書いているが、最近は索引がない本が多く、これは良くない傾向である。電子書籍ならもう索引は必要ないということなのかもしれないが、ワタシが読んでいるのは紙の本なのだ。少しでも出版コストを下げるためなのかもしれないが、出版社のサイトで索引を PDF ファイルで公開してほしいところ。

あと第1章の「偏在するAI」は、「遍在するAI」が正しいのではないか(自分が『デジタル音楽の行方』でやらかした間違いを思い出した)。

CNN主任医療特派員サンジェイ・グプタの『World War C』はコロナ禍の教訓と次のパンデミックへの準備を説く

Talks at Google に、CNN の新型コロナウイルス報道に出ずっぱりだった印象があるサンジェイ・グプタが登場している。

彼が出演したニュース映像は CNN のサイトで見れるし、CNN のポッドキャスト Chasing LifeCoronavirus: Fact vs. Fiction ニュースレターでも知られる(けど、さすがにそちらはワタシは追ってない)。日本語版 CNN のサイトを検索しても、「屋外でのマスク、まだ必要? 専門家が答える」くらいしかヒットしないな(余談だが、この記事における著者のアドバイス通りなら、そりゃ米国は新規感染者数が減らないよなと思ってしまいました!)。

彼は World War C という本を出したばかりで(Kristen Loberg との共著)、要は新刊のプロモーションですね。

この書名は言うまでもなく映画『ワールド・ウォーZ』を受けたものだが、COVID-19 の文脈でこのフレーズを使ったのは、ポール・クルーグマンが最初……と思ったら、今回調べて、それより前の事例に気づいた。まぁ、割と連想しやすいフレーズですかね。

COVID-19 については既にたくさん本が出ているが、ちゃんとした医療の専門家によって科学的データを踏まえ、一般にも分かりやすい言葉で明晰に書かれたコロナ禍の概観が求められているはずで、この本はその需要を満たすものだろう。本書の場合、未来にコロナとはまた別のパンデミックが来たときに社会の回復力を重視しているようだ。

共著者のクリスティン・ロバーグは、神経科医のデイビッド・パールマターと共著で『「腸の力」であなたは変わる:一生病気にならない、脳と体が強くなる食事法』(asin:4837957633)、『「いつものパン」があなたを殺す:脳を一生、老化させない食事』(asin:4837958036)、生物科学研究者のジェームズ・W・クレメントとの共著で『SWITCH(スイッチ)オートファジーで手に入れる究極の健康長寿』(asin:429600008X)を出しており、要は医療や健康の専門家が一般向けに本を出す際に重宝するライターと思われる(個人的には、デイビッド・パールマターの主張はちょっと問題多いんじゃないの、と思っているのは書いておく)。

そうした意味で、本書を推薦しているのがウォルター・アイザックソン、映画『コンテイジョン』の脚本家スコット・Z・バーンズ、そしてフランシス・フォード・コッポラというのは、この本のストーリーテリングがそれだけ優れているということでしょうな。

サンジェイ・グプタの本では、『マンデー・モーニング』(asin:4760145540)に続く邦訳がこれは出るんじゃないだろうか。

ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳――学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える』が楽しみだ

davitrice.hatenadiary.jp

Twitter の検索機能を使って調べたところ、自分がベンジャミン・クリッツァーさんの存在を認識したのは2017年のようだが、意識して読むようになったのは2019年以降である。

特に印象に残っているのは、例えばマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』でも多分にかませ犬みたいな役割を担わされた功利主義について、説得力のある擁護をしていたこと。

以来、ベンジャミン・クリッツァーさんのブログを好きで読んでいるが、その論旨に同意しないこともある。ついでに書くと、映画の好みも異なる。しかし、それを含め、氏のしっかりした芯のある文章は簡単に一蹴できるものではなく、自分の中でなんとなくで片付けている問題、思い込みのままに済ませていた評価について考えてみる契機を何度か与えてくれた。

そうした意味で、氏のブログを基にして、初の著書『21世紀の道徳――学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える』が出るのを喜ばしく思う。何より『21世紀の道徳』という書名の正面切った、堂々たる感じ、「正解」を引き受けようではないかという自負が素晴らしい。

1989年生まれということは、例えば樋口恭介さんと同年か。自分からすれば、1989年生まれと聞くと若いなぁと思ってしまうのだが、それでも、何も知らない若者の年齢ではもはやない。それだけ自分が歳を取ったということだが、とにかくこの本が売れて、著者が文筆業により時間を割けるようになることを願うばかりである。

どん底からの脱出――将棋のA級順位戦で1勝4敗というのはどういうことか

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将棋の名人戦の挑戦者を決めるA級順位戦が、5回戦まで終了し、斎藤慎太郎八段が負けなしの5連勝で、昨年に続く2年連続の名人戦挑戦に向けて快調である。

さて、最初にA級順位戦について「名人戦の挑戦者を決める」と書いたが、誰が名人の挑戦するかを決める戦いであるとともに、誰がA級、つまりは将棋界における「一流」の地位から落ちるかを決める戦いという厳しい側面もある。というか、将棋ファンは前者と同じくらい、年によってはそれ以上に後者に注目する。

今年も誰が落ちるかが密かに注目されている。羽生善治九段が1勝4敗だからだ。特に彼の今年の順位は8位で下位のため、それも不利に働く(最終戦を終えて同じ勝ち数の場合、順位が下位の棋士から降級になるため)。

「A級順位戦で1勝4敗」というので思い出した文章があるので書いておきたい。

それは河口俊彦の「どん底からの脱出」というタイトルの文章だったと思う。おい、「と思う」とはどういうことだと言われそうだが、その文章を収録した新潮文庫が実家にあり、手元にないため、以下の内容はすべてワタシの記憶に依る。もっとも、ワタシはその著者の河口俊彦自身から、「オレ、アンタみたいにオレの文章読んでる人嫌いなんだよ」と面と向かって言われた人間なので、内容に大きな相違はないはずである。

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河口俊彦が「どん底からの脱出」で書いたのは、昭和60年度のA級順位戦における米長邦雄永世棋聖の戦いである。

当時、米長邦雄は全盛期にあった。十段、棋聖棋王、王将のタイトルを獲得し四冠王となり、「世界一将棋が強い男」とも称された。だいたい20代前半で最初のピークを迎える将棋界において、40歳前後でそれを迎えた米長邦雄という人の特異さに気づかされるが、ともかくそこからの転落も早かった。

すぐに宿敵中原誠に王将位、それまでカモ筋にしていた桐山清澄に棋王位を奪われて二冠に後退した。特にひどかったのはA級順位戦で、5回戦まで終えて1勝4敗、特にこの年度は、その前年度に大山康晴十五世名人が癌手術のため休場していた影響で定員が一人多く、降級枠も一名多い3名のため、なおさら厳しい状況にあった。

その頃のある日、河口俊彦米長邦雄将棋会館で顔を合わせた。お互い対局を終えた後だったと思うが、せっかくなので食事でも、と同じく会館にいた若手棋士2人とともに新宿のステーキ屋に出向いた。

店で席に着くと、米長は若手棋士が将棋新聞(週刊将棋)を持っているのに目を留めた。その見出しに「米長1勝4敗、降級赤ランプ」とデカデカと書かれている。当時は今よりそういうのに遠慮がなかったのだろう。

「これは本当のことかね?」と米長は独り言のように尋ねた。河口は仕方なく「その星じゃあね」と正直に答えた。

すると米長は、数十分ワイングラスを手にして紙面を見つめたままでステーキに手を付けず、「みんな楽しんでるな」と言って店を出た。その後、休みと分かっているバーに何度も行こうとしたりして、河口は「正直、米長は頭がおかしくなったかと思った」とその夜のことを述懐している。

将棋や囲碁の世界には、「負けて強くなれ」といった言い回しがある。河口俊彦は、それをウソと断じる。棋士は勝てば勝つほど強くなるもので、負けて強くなることはない。強い人は勝つことしか知らないからこそ、負けたときの屈辱感が我々常人には計り知れないほど強く、だから一層頑張り、より勝てるようになるという。

少し前に、NHK杯深浦康市九段に完敗した藤井聡太三冠(その後四冠)が机に突っ伏しうなだれる様子が話題になったが、それを見ると河口俊彦の説も分かる気がする。彼は、米長邦雄という将棋史に残る天才が、人生の悪い流れで負け続けてしまったときの有り様を書いたのだ。

話を現在に戻そう。

羽生善治九段は、史上最強の棋士である。そして、そのように書くときに、その彼と同時代人であることをワタシは誇らしくすら感じる。その羽生善治が絶対強者な時代をあまりに長く過ごしてきたため、その彼が降級の危機にあるのが受け入れがたいというのが正直な気持ちだ。

ワタシのような凡人が史上最強の棋士の胸中を想像するなどおこがましいのだけど、羽生善治九段はまだまだやれると思っているはずだし、闘志を失っていないだろう。もはや最強者ではないにしろ、活躍は十分に可能だとワタシは今でも思う。

さて、前述のような有り様だった米長邦雄はその後どうなったか。A級順位戦で有吉道夫九段との勝負で必敗の将棋をひっくり返して逆転勝ちしたことで立ち直り、以後は連戦連勝。棋聖戦を防衛、名将戦で谷川浩司九段を破り優勝、十段戦でもフルセットの末中原誠を破り防衛を果たした。順位戦は1勝4敗の後に5連勝で、加藤一二三九段や大山康晴十五世名人が後半戦で星を落としたため、降級どころか挑戦者のプレーオフまで進んだ。

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そのプレーオフで誰が勝ったかは、ワタシが解説を書いた河口俊彦大山康晴の晩節』を読んでいただきたいところだけど(ネットで調べれば一発ですが)、その後タイトルをすべて失うも50歳名人位を達成した米長邦雄永世棋聖、そして、60代後半にしてより深刻な状況からのA級残留を続けた大山康晴十五世名人の偉大さを思う。

羽生善治九段にもA級順位戦後半戦の巻き返し、そしてタイトル獲得100期の達成を心から願う。

リスペクト

生前のアレサ・フランクリン(アリーサ・フランクリン)が、伝記映画で自身をハル・ベリーが演じるのを希望しているという話を何かで読み、それはないだろうと思ったものだが、その死後、ジェニファー・ハドソン主演で映画が作られると聞き、『ドリームガールズ』での歌が見事だった彼女ならいけるのではと期待を持った。

しかし、予想通りジェニファー・ハドソンの歌は見事だが、伝記映画としては凡庸という評を耳にし、なんかもっさりした映画をみせられそうで気持ちが萎えかけた。ただ、いつまた映画館に足を運べなくなるか分かったものではないし、近場のシネコンで観たい映画が他になかったので、当初の予定通り本作を観に行った。

なんだよ、面白いじゃないの。

今年のロックの殿堂のセレモニーにおいて、個人として殿堂入りを果たしたキャロル・キングが、女性シンガーとして初めて殿堂入りしたアレサ・フランクリンの功績を称えていたが、彼女は言うまでもなく「ソウルの女王」であり、一方で波乱続きの人生を送った人で、何より著名な牧師の娘に生まれながら、10代で2人も子供を産み、未婚の母となっているなど、エグく描ける要素がある人でもある。

「百万ドルの声」をもつ男と呼ばれ、アレサの歌手としてのキャリアを後押ししながらも強権的で抑圧的な父親、やはり横暴だった彼女の夫にしてマネージャーのテッド・ホワイトなど、アレサの人生を巡る問題となる男性がそのように描かれるのは避けられない。

古くはビリー・ホリデイもそうだし、今年ようやく Netflix で観たニーナ・シモンの伝記映画もそうだったし、近年ではエイミー・ワインハウスも浮かぶが、どうして素晴らしい女性シンガーは、暴力的だったりヤク中だったり抑圧的だったりする、彼女たちのキャリアの問題となるような男性ばかりに惹かれるのだろうかと思ってしまう。しかし、本作の場合、アレサの被害者性を強調するものでなく、彼女の強さを打ち出しているところが後味をよくしている。

本作では「貴方だけを愛して」や「リスペクト」といった彼女の代表曲ができる過程を描きながら、町山智浩さんが解説している通り、そうしたろくでもない男性とのラブソングが夫のテッド・ホワイトに向けたものであり、一方で(前述のキャロル・キングの曲である)「ナチュラル・ウーマン」のような崇高さを感じる曲が歌う対象が神であるという見立てがうまく働いている。

本作は冒頭はじめ、何度かあるパーティの場面がなかなかに情報量が多く、逆に言うとブルース、R&B、ソウルの歴史に詳しくない人が見てもピンとこないかもしれない。そうしたパーティの場面にスモーキー・ロビンソンがいたが、そういえばアレサはデトロイト育ちだったんだね。父親が有力者すぎたからありえない話だが、彼女がモータウンからデビューしていたら、ソウルミュージックの歴史はどう変わっただろう。

本作を観る前にピーター・バラカン『魂(ソウル)のゆくえ』を読んでおくと、実力がありながら音楽的な焦点が定まらず中途半端だった彼女が、飛躍を果たすマッスル・ショールズでのレコーディングにおけるフェイム・スタジオのリック・ホールの癇癪持ちの頑固者ぶり、そして彼女が預けられるアトランティックのジェリー・ウェクスラーのねちっこいユダヤ人ビジネスマンぶりの描写がなかなか笑える。

本作はテッド・ホワイトとの離婚後、アルコール依存の問題を抱えながら、ゴスペルライブアルバム『Amazing Grace』で再起を果たすところで終わる。そうして終わってみれば、本作はデビューから10年程度しかカバーしていないのに思い当たる。個人的には、1971年のフィルモア・ウェストでのライブも入れてほしかったし、もう少し後、『ブルース・ブラザーズ』の時代あたりまでカバーしてほしかったが、そうするとアレサの人気低迷も描くことになり、映画として間違いなく後半退屈さを増すだろうから、これくらいで良いのかもしれない。

本作は2時間半近くの上映時間だが、上記の通り、名曲が生まれる過程をしっかり描いていて、本作はミュージカル映画ではないが、ジェニファー・ハドソンが歌っている時間がかなり長く、それだけに尿意を忘れる出来だった。

このようにジェニファー・ハドソンのパフォーマンスを称えたいのだけど、本作のエンドロールでアレサ本人による「ナチュラル・ウーマン」の映像が流れると、それがたとえ彼女の晩年のものであってもやはり凄いものがあり、少し残酷に思えた。

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