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葉石かおり著、浅部伸一監修『名医が教える飲酒の科学 一生健康で飲むための必修講義』を恵贈いただいた

日経BPの竹内さんから、葉石かおり著、浅部伸一監修『名医が教える飲酒の科学 一生健康で飲むための必修講義』を恵贈いただいた。

例によって Kindle 版もあるでよ。

本書の著者、監修者のタッグによる本は、2018年に『酒好き医師が教える最高の飲み方』(asin:B077XSYW2T)を買って読んでおり、これがとても良かった記憶がある。

酒飲みである著者が感じるお酒と健康にまつわる普遍的な疑問を、監修者をはじめとする専門家に素直にぶつけ、専門家たちも分かっていること/分かっていないことをちゃんと開示しながら(例えば、久里浜医療センター院長の樋口進氏によると、二日酔いの原因やメカニズムは、驚くほど分かっていないそうだ)筋道だった答えを返しているところは、『酒好き医師が教える最高の飲み方』同様、本書の美点でもある。

内容的にどうしても前著と重複するところはあったが、だから本書をいきなり読んでも問題ないし、また本書は「コロナ禍における飲酒」という重要なテーマを含んでおり、要は酒飲み皆に文句なしに今一読をおススメできる本である。

「はじめに」で、著者がコロナ禍にネット通販で5リットルの業務用ウイスキー(竹内さん、ここ「業務用ウイルスキー」になってますが、誤植ですよね?)を買ったという話がいきなり出てきて「おいおい!」と思うが、これは他人事ではない。

ここまで読めばお分かりだろうがワタシ自身も酒飲みであり(お酒は好きだが、大して強くはない)、2020年振り返りの文章で書いているように、コロナ禍で精神的不安などあって酒量が明確に増え、それに伴って摂取するツマミの量も増え、蟄居生活による慢性的な運動不足と重なり、元からデブなのが目もあてられないデブにまで太ってしまった。その年の健康診断が「決壊」を思わせる結果となったのに反省して酒量を減らし、また室内での運動を心がけ、なんとか翌年の健康診断の結果全般をその2年前の結果まで戻している。

飲酒と健康の関係について最新の研究結果による知見が得られる本書の内容は、酒飲みである著者をもってしても、一言で言えばシビアとしか言いようがない。ほぼ全方位的に飲酒が健康に良くないのは、もう結論が出ている(ただ本書には、「酒をよく飲む人は風邪をひきにくい」という著者の経験則が、実際の研究結果と合致する話があって驚くのだが、酒をよく飲む人は新型コロナウイルスのワクチン接種時に抗体価が上がりにくいという話がすぐ後に続き、甘やかさない仕掛けである)。

今のところワタシ自身は酒を断つつもりはないが、本書を読んでも暗い気持ちにはならなかった。それは『酒好き医師が教える最高の飲み方』を読んだときも同様で、著者の筆致の誠実さもあるし、リスクを承知した上で、できればお酒と付き合っていこうという気持ちにさせてくれる本である。

ただ飲酒スクリーニングテスト(AUDIT)の結果は、ローリスク飲酒群、ハイリスク飲酒群、依存症予備軍、依存症群という四つの区分のうち、なんとかハイリスク飲酒群に収まっているくらいで、年齢的にも50代に近づくのだから、もう無茶な飲み方はしないよう心がけないといけない。

テック企業(の強烈な個性の創業者)の隆盛と凋落がたて続けにドラマ化されている

個別にはドラマ化の話を既にこのブログでも取り上げているが、テック企業の創業物語、並びにそれらの強烈な創業者を題材とするテレビドラマが、ちょうどこの2月から3月にかけて始まっているので、まとめて取り上げておきたい。

Super Pumped(Uberのトラヴィス・カラニック)

www.sho.com

これは昨年末に邦訳が出たマイク・アイザック『ウーバー戦記』を原作としている。ドラマを日本で観れれば本のほうも相乗効果で売れるかもしれないが、果たしてどのチャンネルで観れるようになるのか。

Uber の創業者トラヴィス・カラニックをジョセフ・ゴードン=レヴィットを演じており、他にもカイル・チャンドラーエリザベス・シューユマ・サーマンといった映画スターが共演、しかもナレーションがクエンティン・タランティーノってなんだ!?

しかし、今のところ評価はあんまり芳しくない感じ。

KingInK で「しかしベンチャー企業の成功と失敗の話なんて、みんなそんなに目にしたいかね?」と書いているが、今回取り上げるように、そんなのが3作同時期に放送(配信)開始ということは、確かに需要があるんですよ。というか、(飽くまでテレビ業界から見て)今はテック企業が題材としてホットなんでしょう。


The Dropout(Theranosのエリザベス・ホームズ)

www.hulu.com

「シリコンバレーの小保方晴子」ことセラノスのエリザベス・ホームズをアマンダ・サイフリッドが演じている。残念ながら Hulu なのでワタシは未見である。『ドロップアウトシリコンバレーを騙した女』が邦題みたいね。

セラノス並びにエリザベス・ホームズについては、昨年邦訳が出た『Bad Blood』が詳しいが、こちらはそれでなくドラマと同名のポッドキャストが原作である。

『Bad Blood』がアダム・マッケイ監督、ジェニファー・ローレンス主演で映画化されるというニュースが昨年あったが、まだ本格制作には入ってない模様で、『The Dropout』の評価が今のところかなり高いのがどう影響するか。


WeCrashed(WeWorkのアダム・ニューマン)

tv.apple.com

Apple TV+ なので、やはりワタシは観れない(本文執筆時点では第1回の配信もまだ)。

上の Dropout 同様、本作もドラマと同名のポッドキャストを原作としており、またしても KingInK を引き合いに出させてもらうが、ここ数年アメリカで実録(犯罪)もののポッドキャストが大流行りなのを反映してるわけです。

このドラマについては「(ソフトバンクの意外な復活と)WeWork創業者アダム・ニューマークの隆盛と没落を描く本とテレビドラマ」でも取り上げているが、アダム・ニューマン役をジャレッド・レトレベッカ・ニューマン役をアン・ハサウェイ、と豪華な配役である。

個人的に、孫正義を誰が演じるか興味があったのだが、キム・ウィソンですか。

さて、テック企業の起業物語のドラマ化というと、ニック・ビルトン『ツイッター業物語』を思い出す。これがドラマ化決定! という話は日本経済新聞出版のこの本の個別ページにも明記されているが、その後話を聞かない。

IMDb のページも未だ具体的な情報が一切なしなので、話が流れてしまったものと思われるが、上で取り上げた三作に刺激を受け、制作が本格化しないかな。

それとは(多分)関係なく、『ツイッター業物語』の著者ニック・ビルトンは、テック絡みのドキュメンタリーの作り手に軸足を移している。

やはりセラノス(のエリザベス・ホームズ)についてのドキュメンタリー映画 The Inventor: Out for Blood in Silicon Valley をプロデュースし、昨年は Fake Famous というドキュメンタリーを監督し(参考:偽のインフルエンサーをでっち上げるドキュメンタリー映画が浮き彫りにした、「有名である」ことの意味)、Netflix が手がけるビットコインのボニー&クライド「Bitfinexスキャンダル」を描いたドキュメンタリーの製作総指揮を務める模様。

こういうテック系のドラマやドキュメンタリーを作れる、テクノロジーと映像の両方の理解に長けた人って日本にいますかね?

ドキュメンタリー映画『In the Court of the Crimson King』とキング・クリムゾンの最期をとらえた映像

variety.com

キング・クリムゾンドキュメンタリー映画『In the Court of the Crimson King』が今年の SXSW でプレミア上映され、映画評がいくつかあがっている。

これは元メンバーの証言からバンドの歴史を辿りながら、2018~2019年のツアーを追うもので、やはりこれはビル・リーフリンの最期をとらえた映画とも言える。ロバート・フリップは、彼が「キング・クリムゾンに加入した中で唯一の個人的な友人」だったことを明かしている。

やはりフリップの独特の流儀というか偏屈なユーモアが存分に見れるようだが、まずまず良い評価なので、早く日本での上映が決まってほしいところ。

www.theguardian.com

Guardian によるロバート・フリップのインタビュー(並びに映画評)も面白い。

彼によると、キング・クリムゾンについてのドキュメンタリー映画のオファーはこれまでにもあったようで、「何人かのとても優れた、プロの音楽ドキュメンタリーの作り手からアプローチされましたよ。ナイスで、型にはまっていて、中身を何も思い出せないようなドキュメンタリーを作る人達からね」とのことで、Toby Amies を選んだのは、彼がバンドと何の接点もなかったから。「これが私には理想的だった」とフリップ先生は語る。彼の映画に期待したのは、「キング・クリムゾンの何たるかを私に教えてくれるような」映画……ってなにげにすごいハードルである。

その期待が満たされたかは記事を読んでいただきたいが、この映画の第一の目的は「ロバート・フリップこそキング・クリムゾンであるという(フリップ考えるところの)非常識な考えを捨てさせる」ことであり、「キング・クリムゾンはアンサンブル」だと彼は強調するが、元メンバーたちの証言とは食い違うわけである(笑)。

このインタビューでも、「君は詩人に詩を散文で説明しろと言うのか?」など、フリップ節は絶好調である。

さて、これは旧聞に属するが、クリエイティブマンの公式 YouTube チャンネルにおいて、キング・クリムゾンの昨年12月8日の東京公演における "Starless" の映像が公開されている。

この映像には特別な意味がある。

このライブは昨年の来日ツアーの最終日であり、しかも "Starless" は最後に演奏された曲であり、それはつまりキング・クリムゾンの最後のライブにおける最終曲であることを意味する。

この曲の演奏後、メンバーがステージから去る中、いったんステージ袖に向かったように見えたロバート・フリップがステージ前方までやってきて、客席に向かって深々とお辞儀をした(後、自撮りをやりだした)のもファンの間で話題になったが、それが公式の映像として残されたのは意義のあることだと思う。

ワタシが観た大阪公演でもこの曲がラストだったし、円堂都司昭さんも書いているが、ワタシもこの曲を初めて聴いた高校時代を思い出し、胸が熱くなるものがあった。そして、改めてトニー・レヴィンは素晴らしいベーシストと思った。

しかし、この映像はどういう経緯で撮影されたものだろうか。しかも、その映像が公開されたのが、キング・クリムゾンの公式チャンネルではないのはなぜなのか。(今回のツアーではさほどでもなかったが)ライブ中の撮影については強迫的に禁止のメッセージを流すバンドなので、適当に撮ってみたというのはありえない。もしかしたら、この最後のライブ映像が作品化されるのかもしれない。というか、そうなってほしい。

この映像について、ロバート・フリップFacebook で以下のようにコメントしている。

RF: This, the final piece of the final performance of King Crimson's two completion tours of 2021. At 1'06" tears came to my eyes, and at 12'13 sound moved to silence.

Facebook

「1分6秒のところで私の目に涙が浮かんだ」とまで言っている。トーヤさんとの夫婦漫才シリーズをやる前までは、ロック界随一の偏屈男視されていたロバフリの目にも涙である……とか書くと怒られそうだが、本当にキング・クリムゾンは「完結」したんだなと感慨にふけってしまう。

そうそう、あとロバート・フリップと言えば、1979年は発表された彼のソロとしての代表作である『Exposure』の32枚組というとんでもないボリュームのボックスセットも発売になる。

1974年にキング・クリムゾンを解散させた後は半ば引退状態にあったのが、ピーター・ガブリエルのアルバムとツアーに参加したのを契機に、ピーガブやダリル・ホールのアルバムのプロデュース、デヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズとの共演ニューヨークパンク~ニュー・ウェイヴ勢との絡みなどを経て、1981年にキング・クリムゾンを再結成するにいたる1970年代末から1980年代はじめあたりまでの活動を網羅しているようだ。

Exposures

Exposures

Amazon

タイミング良く(?)MeToo運動に火をつけた本の邦訳が出る

bunshun.jp

榊英雄の監督作品は観たことがなく、本件について特に感慨はないのだけど、こうやって性加害が可視化されるとかなりキツいものがあるし、カメラマンの早坂伸氏による「榊英雄氏の報道について」を引き合いに出すまでもなく、明らかに対応を間違ってしまっているわけで……もう少しなんとかならなかったのか?

yamdas.hatenablog.com

アメリカにおいて #MeToo 運動に火をつけ、ハリウッドの大物プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタインを失脚に追い込んだローナン・ファローの『Catch and Kill』を取り上げたのは2019年夏で、あれから2年半が経つ。

まだ邦訳は出ないのだろうかと調べたら、『キャッチ・アンド・キル』として4月に刊行されるのを知る。

これをタイミングが良い、と書くのは不謹慎と言われそうなので先に謝っておく。

ようやく出るのかというか、なんで今まで出なかったのかとも思うが、出ないよりは良いに違いない。

ドライブ・マイ・カー

例によっての事情でなかなか観に行けなかったが、今月末のアカデミー賞発表後にまた客が戻ってくることが容易に予想できることと、近場のシネコンで仕事後に行ける時間帯に上映しているのを知ったのがあり、観に行った。

ほぼ3時間の上映時間ということで(たまたまこれを観た日に公開された『ザ・バットマン』もそうですな)、ゆっくりとしか時間が進まない映画で眠くなったらどうしようと危惧していたのだが、そんなことを心配する必要のまったくない、冗長であったり明らかな無駄なカットはなく3時間、じっくり映画を観させてもらったという満足感のある作品だった。

ワタシはシネフィルではないので、濱口竜介の映画は Netflix に入っていた『寝ても覚めても』(asin:B07MD8QVVY)しか観ておらず、こちらについては「2時間まったく緊張が解けることがないホラー映画の傑作」と評価している。

本作はどうかと言えば、「3時間まったく緊張が解けることがないホラー映画の傑作」だった。いや、マジで。

寝ても覚めても』における東出昌大の役割を本作で担っているのは、雰囲気がサイコパスっぽい岡田将生である。彼と西島秀俊演じる主人公が車の後部座席で語り合う場面の岡田将生のカットなんて、完全にホラー映画の文法で撮られてましたよ。そして、その決定的な場面の後、主人公と運転手の2人がサンルーフを開けて煙草を吸う印象的な画が続くわけだが、あのときの2人の表情は完全にセックスの後の一服の表情ですよ。そして、それは単なるセックスではなくて、その直前の話を考えればネクロフィリアですよ! ……えーっと、これ以上続けると、いろんな人に刺されそうなので、ここまでとする。

本作については、ベンジャミン・クリッツァーさんが「いつも思うのだが、世のクリエイターは女の不倫に甘過ぎる」と吐き捨てているのを大分前に読んで、思わず爆笑してしまったのだけど、本作を観ると確かにそれを許容する方向に誘導されるのを感じて、これが監督の力量なのかと感服した。そうした意味で、本作の成功には、村上春樹の小説の映画化として奇跡的に「都合の良い」存在である西島秀俊を主役に据えたことが大きく貢献している。

しかし、上述の後部座席で語り合う場面の岡田将生の最後のお説教のごとき台詞にしろ、いろんな人がここぞとばかりに引用している「正しく傷つくべきだった」という最後の主人公の台詞にしろ、ここまで直接的な、スローガンのごとき言葉にして口にしないといけないのか? という疑問は確かにある。

本作について猿渡由紀が「この映画はアメリカ全土でうけているというより、アメリカの「映画業界人」にうけている」と指摘しているが、広島国際演劇祭におけるチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の上演が一種の劇中劇になっているのもポイントではないか。そうした意味で本作には(映画のタイプは全然違うが)『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』に近い感触もあったので、そうした意味でアカデミー賞は国際長編映画賞以外も有望に思えたりする。

しかし、『ワーニャ伯父さん』が発語なしで演じられるクライマックスが見事だったのに、そこで映画が終わらず、とってつけたような最後の場面は、結局、運転手が主人公の車を一人で運転し、そこに犬がいる画でありさえすれば良かったはずなのに、はーい、ここは日本ではありませんよー、そして今はコロナ禍ですよー、と盛り込んでくるところにあざとい目くばせを感じた。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』を技術書典やAmazonで買われた方に改めてお知らせ

久方ぶりに『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の話題だが、しかし、このブログの存在意義は飽くまでこの本の宣伝なのである。

少し前に以下のようなツイートを見かけた。

技術書典で販売された紙版の特別版を買われた方で、「追加のエッセイ」とは、ボーナストラック「グッドバイ・ルック」のことに違いない。

これを入手するには、確かに達人出版会から電子書籍版を購入してもよいのだが、これは以前にも書いた……けどそれからもだいぶ経つので改めて書いておくと、Kindle 版や紙版を購入された方で、ボーナストラックのエッセイ「グッドバイ・ルック」を読みたい方は、購入されたものの写真かキャプチャ画像をメールでワタシに送ってくれたら、無償で「グッドバイ・ルック」のファイルを送付させていただきます!

これも以前に書いているが、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』は紙版と電子書籍版で複数のバージョンが存在するので、収録章数、ボーナストラック「グッドバイ・ルック」、2018年秋に執筆した付録「インターネット、プラットフォーマー、政府、ネット原住民」の収録一見表を再度はっておきます。

バージョン 媒体 収録章数 ボーナストラック 付録 価格(税込)
達人出版会本家版 電書 50 770円
Kindle 電書 50 × 770円
技術書典5特別版 42 × 1000円

発売開始から何年も経った『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』において、文章の性質上セールスポテンシャルを落としていないのが件のボーナストラックのエッセイ「グッドバイ・ルック」で、これについての小関悠さんの評を再度はっておく。

小関悠さんが引用しているワタシのツイートにも書いているが、尋常でないネタバレ要素というか驚きのある文章で、「グッドバイ・ルック」単体を note に公開するなり、Gumroad を利用するなりして数百円課金してもよいのだけど、というかそれを勧めてくれる人もいたのだけど、いくつか理由があってそれをやるつもりはない。

ただ、せっかく紙版や Kindle 版で『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』を買ってくれた方も「グッドバイ・ルック」を読む権利があると思うわけです(実際、これまで何人もの申し出を受けており、そのたびにファイルを送付している)。

もちろん、まだまだこの本の感想を待ってますよ!

デジタル世界における信頼構築のために今考えるべき「新たなサイバー社会契約」

www.foreignaffairs.com

Schneier on Security で知った文章だが、共著者のクリス・イングリス(John C. Inglis)はかつてアメリカ国家安全保障局NSA)の副長官、今は米国の国家サイバー局長と、国家安全、サイバーセキュリティの要職を務めてきた人である。

ブルース・シュナイアー先生も書いているようにこれは読む価値のある文章なので、ざっと要約をしてみたい。

まず著者たちが引き合いに出すのは、2021年春のロシアを拠点とするサイバー犯罪集団による米国最大の燃料パイプラインに対するランサムウェア攻撃で、これは米国のデジタルエコシステムがいかに脆弱かを物語っているという。

サイバーエコシステムのリスクの高まりは認識されているが、システムの危険性を軽減するための責任は十分には分散されておらず、リスク軽減のためのコストは、それに対処するリソースや専門知識がない利用者に押し付けられる傾向がずっと続いている。多要素認証やパスワード管理ツールは不可欠だが、それだけでは十分ではない。抜本的な解決策として、上記のリスクを弱いところに負わせるのでなく、政府や大企業が今より大きな負担を背負わなければならないし、それを前提とする集団的で協調的な防御が必要だ。

つまり著者たちは、公共部門と民間部門の関係を有意義な形に変化させ、それぞれに新たな義務を提示するデジタル時代の「新たな社会契約」を米国は必要としていると訴える。経済やテクノロジーの重要な変化を受け、官民で重要な調整を行ってきた過去の例として、1963年に制定された大気浄化法などが挙げられる。

サイバー領域で同じように革新的な転換を行うため、民間部門はデジタルエコシステムに長期的な投資を行いサイバー防衛の負担を負い、一方で政府は脅威情報をよりタイムリーかつ包括的に提供し、産業界を重要なパートナーとして扱わなければならない。また官民両セクターが真に協力してサイバーインシデントの防止、対策、回復のための組織に(人的)資源を提供する必要がある。そうすれば、この「新たな社会契約」から得られるメリットは非常に大きい。

繰り延べされた夢

インターネットは民主主義と人権を支えるだけでなく、進歩と平等主義の本質的な力として機能するという黎明期の楽観主義を思うと、現在のサイバー脅威はその悲劇的な裏切りと言える。

中国はインターネットを手なずけ、サイバースペースを利用してデジタル革命をデジタルのディストピアに変えてしまい、今や北京は権威主義を、それを求める世界中の人に輸出せんとしているし、ロシアは偽情報、デジタル操作、サイバーによる地政学的恐喝の名手だ。

市場の利益は少数の大企業に偏っており、個人や中小企業は平等なデジタル経済を享受できない一方で、デジタル犯罪のアンダーグラウンドは、ハッキングツールが用意に入手でき、サイバー犯罪者が重要インフラを人質にとれるという意味で、皮肉にもずっと民主的だったりする。

このためサイバー政策の多くが犯罪者に主導権を与えてしまうし、セキュリティ事故ひとつの範囲や規模がとても大きく、不正なリンクをクリックしたり、ソフトウェアのパッチ適用を怠るのが、地政学的な問題に発展しかねないのがサイバースペースにおけるセキュリティ課題となっている。しかし、セキュリティは物理的な世界でそうなように、サイバースペースでも繁栄の必須条件なのだ。

新たな社会契約

政府が民間部門を協力すれば、現在の市場の偏ったインセンティブもサイバー脅威も変えられるし、これは米国の価値観に完全に合致している。まずは米国政府内の協力体制を強化し、官民を横断した協力に向けた明確な枠組みを作る。前者は進んでいるが、後者の共通理解はまだほとんどない。サイバー攻撃に対する防御側で官民が協力するには、すべてのステークホルダーが、自分たちの役割の位置づけや、どんな状況下で支援を行う必要があるか理解していないといけない。

サイバースペースがすべての利害関係者に公平にサービスを提供するには、市場の力だけでは不十分だ。サイバースペースは、圧倒的に私的な要素で構成されるが、計り知れない公共的な価値があるので、民間企業は(投資家の求めに反しても)ハードウェア製造とソフトウェア開発の両方で、セキュリティやレジリエンスを今より優先させる必要がある。政府もそれを後押しすべく、基準の設定や情報提供などで積極的な役割を果たさないといけない。

官民が今までにない協力のヴィジョンを持つことで、サイバーインシデントに対するレジリエンスを構築し、各組織が単体で活動するよりもはるかに効果的に脅威を特定して対処できる。ジョー・バイデン大統領が2021年5月に発表した、米国のサイバーセキュリティの向上に関する大統領令は、この新しいパラダイムの重要な要素である。この大統領令は、情報技術の標準を強化し、既知の脆弱性からネットワークを防御することで、弾力的なソフトウェアのサプライチェーンの育成を目的としている。

連邦政府は、自身のデジタルシステム構築でその模範を示す必要がある。2022年1月に発表された、政府全体でゼロトラスト・アーキテクチャーを導入する戦略を発表したのもそのひとつだが、このレベルの変革を民間企業に体系的に求めるのは困難なので、だからこそ政府と産業界が前例のないレベルで協力することが必要。バイデン政権が、国家運輸安全委員会をモデルとし、重大なサイバーセキュリティ事故を分析し、将来の危機を回避するための具体的な提言を行うサイバー安全審査委員会を新設したのはその手始め。民間企業が脅威情報を当局と共有することの妨げとなる契約上の障壁を緩和し、データ侵害を連邦政府機関に通知するよう義務付けることも検討されている。

このレベルの協力には、CISA(サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁)が各危機の対応の責任を持つ機関を特定し、アメリカ国家安全保障会議がサイバーセキュリティが地政学的な問題となった際には調整機関になる必要がある。(2021年1月に設置された)国家サイバー長官室(ONCD)は、米国のサイバー政策全体に一貫性を持たせて推進し、民間セクターの協議して政府の翻訳者の役割を果たし、(サイバースペースは国内問題に収まらないので)国務省国家安全保障会議と協力して米国のパートナーと学びを共有するといういろいろ果たす仕事が多い。

その立ち上げに立ち会う

レジリエンスへの投資、新しい形の情報共有、官民協働を軸とするサイバースペースに関する「新たな社会契約」によって、米国はデジタル時代の幕開けにあった希望を取り戻せる。サイバースペースが究極的に誰のため、何のためにあるのかの理解を改めることで、米国は計り知れない社会的、経済的、地政学的利益を得る態勢を整えることができる。ハイテク産業は、既にイノベーションと成長の重要なエンジンとなっており、米国の経済生産の10%近くを占めている。米国で最も収益性の高い企業10社のうち7社が、テクノロジーテレコミュニケーション、ソフトウェアの企業なのだ。

デジタル接続テクノロジーは、政府、科学者、企業が COVID-19 のパンデミックを管理し、最終的に終息させるのにも欠かせないが、COVID-19 後に他の分野で同じように高性能、高信頼性の枠組みで達成できることを米国はほとんど理解してない。生物医学の研究と同様に、安定した安全なインターネットに必要な政策や技術は、スピードの足を引っ張るのでなく、イノベーターがより迅速かつ自信を持って構想を展開するのを可能にする。米国は差し迫った脅威だけにとらわれるのでなく、その先にある可能性まで見据え、デジタル技術を駆使した世界をより明確に打ち出して、それを現実にしていこうじゃないか。

明るい未来

デジタルとコラボレーションの理想的な未来は予測不可能だが、その幅広いメリットは明らか。科学者、イノベーター、政府、そして個人が自信を持ってサイバースペースで今より素早く行動できる世界なら、未来が明るい。

ここで著者たちは、最も有望かつ緊急な可能性として再生可能エネルギーへの移行、宇宙経済、自動走行車あたりを挙げている。が、その話はワタシの関心であるサイバーセキュリティと少し離れるので、そのあたりの話は端折らせてもらう。まぁ、そこでも安全で弾力性のあるデジタル基盤は重要と言ってます。

最後に著者たちは、上記の「明るい未来」が地政学にも及んでいる、と再度セキュリティに話を戻す。つまりは、米国と同盟国のネットワークが、中国やロシアといった国家が支援するハッキングに対して回復力を持つことの重要性である。そして、中国がスパイ行為や知的財産の盗難を行い、米国人の膨大な個人データを吸い上げ、デジタル経済の活力源たる個人情報を武器にする能力を高めていることを強調した上で、耐久性があり安全なデジタルエコシステムはその回避策になると示唆している。

そして最後に、データがより安全になる世界では、データプライバシーがより強制力を持つことを著者たちは指摘する。米国のデータセキュリティとプライバシー環境の方向性が定まれば、日本や EU など21世紀のデータ法の基礎をすでに築き始めている国との相互運用性や商業交流を深められる、つまりはそれが同盟国との関係を強化する外交政策ツールになり、そしてそれは北京やモスクワの監視技術やデジタル権威主義の蔓延を抑制できると訴えている。

さてさて、以上がワタシなりのざっとした要約だが、この文章で強調される官民の密接な協力を前提とする「新たなサイバー社会契約」の必要性、その背景となる中国とロシアにサイバー分野でやられっぱなしで、このままではデジタル権威主義をゴリ押しされるぞという危機意識を肌で感じるに、この文章が公開されたのは2月21日だが、ご存知の通りその3日後に始まったロシアのウクライナ侵攻を米国の国家サイバー局長であるクリス・イングリスはどこまで把握していたのか少し勘繰りたくもなる(笑)。

ここまで政府にもできることがあると強調するのに、ワタシなどマリアナ・マッツカートの『企業家としての国家』論(asin:4840813159)、国×企業で「新しい資本主義」をつくる『ミッション・エコノミー』論(asin:4910063196)を連想したが、注意すべきは官民の協力を何度も唱えながら、民間に協力や情報提供を強いるのを微妙に織り込んでいるところが匠の技で、ブルース・シュナイアー先生が真っ先に「The devil is in the details, of course」と評し、そしてこの文章で「規制(regulation)」という言葉が注意深く、つまりは意図的に避けられていることを指摘しているのは、そのあたりを指しているのだと思うね。

ウィキリークスのジュリアン・アサンジの裁判についての本が出ている

テリー・ギリアムの Facebook 投稿で、The Trial of Julian Assange という本が出ているのを知った。

ギリアムは「衝撃的だ。とても感動的でもある。クライムスリラーのような読み応えがあり、まったくもって捨てがたい」と書いているが、ウィキリークスが2010年に Afghan War Diary を公開し、それから間もなくジュリアン・アサンジに性的暴行の容疑がかけられ、ロンドンのエクアドル大使館に逃げ込み7年粘るも2019年にエクアドルはイギリスにアサンジを引き渡し、即時の彼の引き渡しを要求したアメリカが175年の禁固刑を科すと脅したあたりで、国連の拷問に関する特別報告者である著者ニルス・メルツァー(Nils Melzer)が刑務所のアサンジと面会して関わりを持ち、その後の調査を受けて書かれたのが本書になる。

本書はこの10年あまりのジュリアン・アサンジの受難(本書によると、アサンジが長期にわたる精神的拷問を受けていることを証明する医学的証拠も集められたとのこと)を辿りながら、歯止めのない権力がいかに西洋の民主主義と法の支配を消滅させかねないかを訴える本のようだ。

しかし……こうしてジュリアン・アサンジについて書いていて、なにか居心地の悪さを感じるところがある。

もう忘れた人も多いだろうが、2011年には Wikileaks 本が日本でもバンバン出た。かく言うワタシも『日本人が知らないウィキリークス』『ウィキリークスの衝撃 世界を揺るがす機密漏洩の正体』の二冊を献本いただいて読書記録を書いているが、ジュリアン・アサンジの「非公認自伝」の邦訳を最後に、ぱったりとウィキリークスに関する本はなくなってしまう。

yamdas.hatenablog.com

それは何よりジュリアン・アサンジが身動き取れないのが大きかったが、Wikileaks 自体の変質というか、ジュリアン・アサンジの私物化というか(主にヒラリー・クリントン憎しによる)露骨に党派的な姿勢があり、これを書いた2016年の時点で、残念になっちゃったねという認識が広まってしまったというのがある。分裂騒動もあったっけ。

www.dailydot.com

ウクライナ侵攻に対するカウンターとしてロシアに対するハクティビズムの機運が高まっているが、Wikileaks はその受け皿には全然期待できないという記事を見たばかりである。もう駄目かもしれんね。

yamdas.hatenablog.com

Wikileaks が先鞭をつけたリーク・ジャーナリズム自体は、Distributed Denial of Secrets(DDoSecrets)のような後釜も育っており、もう Wikileaks ではなくそっちに期待すべきなのだろう。

だから、ジュリアン・アサンジの裁判についての本と言われても、邦訳は期待できないなと思ってしまうのだが、それはそれとして上記の通り、今とてもきな臭い国際情勢の今だからこそ、彼が(主に)英国、米国から受けた迫害(メルツァー言うところの精神的拷問)についてちゃんと知るべきではないかとも思うのだ。

秘密主義、免責、そして決定的なのは、世間の無関心によって、歯止めのない権力がいかに西洋の民主主義と法の支配を消滅させる危険性があるかを訴えるこの本の主題は、とても今どきだろう。

ブライアン・イーノ先生、エドワード・スノーデン、ダニエル・エルズバーグといった人達が推薦の言葉を寄せている。

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

新型コロナウイルス第6波の影響もあり、しばらく映画館から足が遠のいていたが、ワクチンのブースター接種から2週間以上経ち、そろそろよかろうと久方ぶりに足を運んだ。1日1回の上映になっていた金曜夜に観に行き、10人程度での鑑賞だった。前作『犬ヶ島』からおよそ4年ぶりか。

カラーコーディネートなど強力なヴィジュアルコントロールによる画面の構成美、その中で遊びまわるかのごとき左右上下のカメラ移動、オーウェン・ウィルソンビル・マーレイをはじめとする常連俳優によるオールスターキャスト――とこれまで何度も書いてきたことを繰り返すことになる、とにかくウェス・アンダーソンらしいウェス・アンダーソン映画としか言いようがない作品だった。

圧倒的な箱庭的映像世界というか、もはや舞台劇の映画化ならぬ映画サイズの舞台劇と評したくなる域に達している。しかも、本作は舞台がパリである。ウェス・アンダーソンとパリって、いかにもらしい組み合わせではないか(本作では白黒が多用されるが、それも彼が愛するフランス映画の反映だろうか)。

映画として全編を覆う悲しみがあった『グランド・ブダペスト・ホテル』には劣るが、観たいものをしっかりみせてくれたという意味で満足だった。

実は、その週の仕事の疲れの蓄積もあり、本作を観ながら何度かうつらうつらしてしまった。と書くと、本作が退屈でつまらなかったと思われそうだが、それは違う。

およそ2時間近く尿意に耐えながら震えていた『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は極端な例だが、上記の事情があってなかなか落ち着いて映画館で映画を観れる環境になかった、というか今もない。それでも、本作はある種の安らぎというか身を委ねられる安心感があった。

Coda コーダ あいのうた

町山智浩さんの紹介山崎まどかさんの文章で興味を持った映画だが、近場のシネコンでの終映日になんとか観に行けた。

いやぁ、良かったですね。この映画はフランス映画のリメイクらしいが、そちらは未見なので比較はできないのだけど、聾唖者家族による多分に性的な内容を含むユーモアは元映画から引き継がれたものなんだろうな。

家族の中で唯一聾唖者でない主人公を演じるエミリア・ジョーンズを観るのは本作が初めてだったが、歌も演技もとても良かった。

障がいを持つ家族の中で必然的にケアを担当せざるを得ないが、歌唱力というその家族が理解できない才能を持ってしまった娘に対して、その父親、母親、兄がそれぞれに思いやり、認識を改めたり、家族の愛情を示すところが良かった。またこの映画自体、恥ずかしいと思う者が立場が変わるとそうでなかったりするなど、人間の多面的な描き方ができているのも良い。

ドラマ『glee』の成功の最大の功績は、何より歌うということ自体のドラマ上の意義というか、極端に言えばそこで歌う曲がイケてる必要なんかまったくないということだが、そうした意味で本作も歌うこと自体の効用をちゃんと描いていた。

主人公がクライマックスで歌うジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」はとても良いチョイスなのだけど、個人的にはバークリー音楽大学ってあんな一芸入試なのかと疑問だったし、「オーディション」という字幕に、えっ、これってそうなの? と混乱したし、本作のおけるヴィラロボス先生はとても良かったのだけど、あそこに飛び入りするのはいくらなんでもやりすぎに思えたり、そこだけが少し作為的過ぎるように感じられてマイナスだった。

しかし、主人公のデュエット相手、ボーイフレンドとなる男の子がキング・クリムゾンの『Discipline』Tシャツを着ていたのはいったいどういう意味があるんだろう(笑)。

アカデミー賞にひとつもノミネートされなかった名作映画の数々

toyokeizai.net

ご存知の通り、来月発表される第94回アカデミー賞において、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が作品部門を含む4部門でノミネートされたことが話題となっている。

ワタシ自身は本文執筆時点で『ドライブ・マイ・カー』を観ていないのでコメントできないが、日本映画が作品賞と脚色賞にノミネートされるのは初めてだし、国際長編映画賞の受賞はかなり有力、脚色賞もそこそこ有力らしく、期待が高まるのも当然よねと思う。

今回のアカデミー賞に関する報道を見ていて、そういえばアカデミー賞にまったくノミネートされなかった名作を集めた記事とかあったなと思い出し、調べてみたら以下の3つが出てきた。

  1. 50 Great Movies That Were Not Nominated For Any Oscars | IndieWire
  2. 32 Great Movies That Received Zero Oscar Nominations (Photos)
  3. 47 brilliant movies that somehow never won a single Oscar nomination | The Independent

1は2015年の記事だが古い映画に偏りがちで21世紀に公開された映画では1本しか入っていないのがマイナス、2は2021年の記事でその点バランスが良い、そして3の記事は確か北村紗衣さんの Twitter 経由で知ったと記憶するが、記事公開は(記載と異なり)昨年だったような。

ともかく、この3つすべてに入る作品なら、「アカデミー賞にまったくノミネートされなかった名画」認定して差し支えなかろう。それは以下の13作品になる(公開年順)。

考えてみれば、非英語圏(特にアジア)の名作映画の多くが当たり前のように「アカデミー賞ノミネートなし」なわけで、そういう作品ばかりだったらどうかと思ったら、こうして条件に合うものを選んでみると、そんな感じではない。非英語圏の作品はゴダールの『勝手にしやがれ』だけで、これはワタシも熱烈に好きだが、20年以上観ていないので、今観るとどうだろう……。

(今となっては)有名監督の作品が並んでいるが、ハワード・ホークススタンリー・キューブリックの映画がそれぞれ複数入っていますね。こうしてリストにしてみると、観てない映画の存在が胸にチクチクくる。キューブリックの『突撃』とスコセッシの『ミーン・ストリート』は、いずれも敬愛する監督の作品なのに観てないし。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』なんて10年以上前に DVD 買ったのに未だ観てないんだよな。『ゾディアック』も Netflix のマイリストに入れてるのになかなか手が伸びず……。いかんなぁ。

ついでなので、3つのリストのうち2つに入っている作品も公開年順に並べてみる。

こちらにはニコラス・ローグの作品が2つ入っている。小津の『東京物語』も入っているが、敗戦から10年も経ってない頃に作られた日本の映画がアカデミー賞にノミネートなど現実的な話ではなかったと思うね。

ミラーズ・クロッシング』(実はコーエン兄弟の映画で一番好き)や『花様年華』などワタシも好きな作品もあるけど、疑問を感じるものもある。『アメリカン・サイコ』は今やカルト映画の定番扱いで、クリスチャン・ベールはノミネートされるべきだったかもしれないが(名刺自慢合戦やヒューイ・ルイスの素晴らしさを熱弁しながらの惨殺場面!)、あの映画エンディングとかまったく記憶に残ってないんだよな……。

リストを作っていて気になったのは、1990年代以降の近作のいくつかが、DVD で新品を入手できないこと(Amazon マーケットプレイスの価格がとんでもないことになってたりする)。クロエ・ジャオ『ザ・ライダー』はもはやディスクが発売されていないが、それを含めどのストリーミング配信サービスでも観れるわけではない。そんな中、長らく品切れ状態だった『天才マックスの世界』の DVD 廉価版が4月に出るのは朗報か。

あと一つのサイトでしかランク入りしてなかったけどワタシも同意する映画となると、IndieWire のリストでは『我輩はカモである』(1933年)、The Wrap のリストでは『ヘレディタリー/継承』(2018年)、Independent のリストでは『ミッドナイトクロス』(1981年)あたりでしょうか。特に『ヘレディタリー/継承』のトニ・コレットがノミネートされなかったのは、個人的に許しがたい。

アカデミー作品賞をとったのに今では相手にされることが少ない映画もいくつもあり、アカデミー賞のノミネートがなんぼのもんじゃいという意見もあろうし、過小評価された映画はいつの世にあると言ってしまえばそれまでだろうが、何か観たい映画を探している人にちょっとよい情報かと思いまとめてみた次第である。

10年生きのびたGumroadの創業者が起業本を書いて(起業塾を始めて)いた

少し前に、ネット上でデジタルコンテンツを販売できる決済サービス Gumroad のことを調べることがあった。

ascii.jp

サービスが正式にスタートしたのが2012年2月で、つまりはちょうど10年前だ! その翌月には日本でも話題となり創業者の Sahil Lavingia がインタビューを受けているが、この時彼はまだ19歳(!)だった。

で、それから10年の時を経て、今も Gumroad は生き残っているが、iTunes 越えはさすがに達成されていないし、当初話題となった日本語対応もとっくになくなっている(よね?)。

Gumroad のサバイバルはなかなかの苦難の道のりだったようだ。

gigazine.net

Pinterest の2番目の社員だった Sahil Lavingia が週末プロジェクトとしては始めた Gumroad はいきなり注目を集め、資金調達も当初は快調だったが、そのうち成長が止まり、社員を解雇せざるを得なくなり、やがてはサンフランシスコを離れ、個人企業の域に戻ってしまう。

しかし、10億ドル企業を作るという起業当初の成功基準は満たせなかったが、Gumroad を回し続け、彼なりのポジションをつかんだと言える。

gigazine.net

gigazine.net

Gumroad は個人企業であれば問題ない着実な成長を続けており、Sahil Lavingia も「元祖クリエイターエコノミー」、「オレ流ワークスタイル」をアピールできる余裕がでてきた感じである。

www.minimalistentrepreneur.com

昨年、彼は The Minimalist Entrepreneur といういかにも彼らしい名前のサイトで6週間のオンライン講座からなる起業塾を主催しており、同名の書籍を昨年秋に出していた。

「優れた創業者は、いかにして少ない人数で多くのことを成し遂げるか」という副題に、個人企業に戻りながらも Gumroad を10年持続させてきた Sahil Lavingia の矜持を感じさせる。

とにかく起業すればビッグになれる! な煽り本よりも、これくらいのスケール感の起業本が今の日本でもリアルなのかもしれませんな。日本のウェブメディアも今の彼を取材してみてはいかがでしょうか。

Facebookの「醜い真実」を描いたノンフィクションの邦訳『フェイスブックの失墜』が来月出る

yamdas.hatenablog.com

Facebook の(元)社員など数多くの関係者に取材して、その「醜い真実」を描いたノンフィクションについては昨年夏の原書刊行時に取り上げているが、調べものをしていて、その邦訳『フェイスブックの失墜』が来月発売になるのを知る。

原書から一年足らずでの邦訳刊行というのは素早い。版元は早川書房で、以前にも書いたが、本当に仕事が早いな!

しかし、こうして早川書房の迅速な仕事を知ると、原書がおよそ2年前に出てから今なお邦訳が出ないスティーブン・レヴィの『Facebook: The Inside Story』はどうなってるのか? と心配になってくる。話が進んでいればいいのだけど。

黒人や多様な歴史に光を当てるウィキメディア財団のコラボプロジェクトWiki Unseen

wikimediafoundation.org

ウィキメディア財団Wiki Unseen というプロジェクトを立ち上げている。

これは2月が黒人歴史月間なのを受けたもので、Wikipedia をはじめとする Wikimedia 財団が手がけるプロジェクトにおける BIPOC(黒人、先住民、有色人種)の(ヴィジュアル)コンテンツを拡大し、知識の公平性のギャップを埋めることを目的としている。

手始めに AfroCrowd.org とのコラボレーションで、アフリカ系の著名アーティストに依頼して、Wikimedia Commons にコンテンツがない偉人の肖像画を制作するという。

要は、黒人など BIPOC な人達の(ヴィジュアル)コンテンツが、白人と比べて少なく Unseen になっているという反省を踏まえ、「世界中の人たちがあらゆる人類の知識の総和を共有できるようにする」とウィキペディアのヴィジョンの実現を目指して、そちらの拡充を意識的に目指すものですね。

www.yamdas.org

これは昨年ワタシが訳した文章だが、これも知識の公平性の面で「ウィキペディアにはバイアスの問題がある」という問題意識に基づくという意味で、今回の取り組みにつながるものである。

この文章でも、「ウィキペディアは、圧倒的に西洋のシスジェンダーの男性の主張、意見、そしてバイアスを具現化した」過去があり、「出版された資料から得られる知識は偏っている。資料に出てくる人や知識も、主に白人の男性である」と主張されている。

ただ訳しておいてなんだが、Jackie Koerner の意見には正直賛同できないところがあり、上記のバイアスは確かにあるだろうが、百科事典が百科事典である根本を支える「信頼できる情報源の方針」を「出版された資料から得られる知識は偏っている。資料に出てくる人や知識も、主に白人の男性である」と斥けかねないところに危うさを感じた。

そうした意味で、今回の Wiki Unseen の取り組みは、明らかに現状足らないものを補うものであり、良い取り組みだと思う。

メイカー×音楽の祭典Maker Music Festivalが5月に開催される

www.makermusicfestival.com

Adafruit Industries のブログ経由で、Maker Music Festival というイベントを初めて知った。

これはまさに音楽分野のメイカーの祭典だけど、2018年に最初のフェスティバルが開かれていたようだ。で、昨年からコロナ禍を受けてバーチャルイベントになったようで、毎年開催としては今年が2回目らしく、今年は5月14日、15日に開催とな。

www.makermusicfestival.com

ざっとサイトを見たけど、昨年のフェスで日本からの参加者は、Tetsuji Katsuda さんの、楽器の演奏でロボットを動かしてレースをするゲーム Music Derby くらいだった。

公式 YouTube チャンネルの動画を探したら Tetsuji Katsuda さんの動画があったが、見てみるといきなり出てくるのが高須正和さん! なんだ、高須さんも参加してたのか。さすがやね。

思えば、Maker Faire Tokyo でも音楽の部はあったと思うが、オライリー・ジャパンから出ている Make 関連本で音楽をメインテーマにしたものって Make: Analog Synthesizers くらいじゃないかな。このメイカー×音楽分野で面白い本が今後他にも出るといいのだが。

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