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リコリス・ピザ

多忙によりひと月以上映画館に行けなかったのだが(そのため WirelessWire 連載も……)、ようやくひと段落したので、以前から楽しみだったポール・トーマス・アンダーソンの新作を観に行った。

タイトルからピザ屋が主要な舞台なのかと思ったら、全然違った。「リコリス・ピザ」とは、レコードチェーンの名前らしい(が、劇中その店は出てきたっけ?)。本作は1973年のロサンゼルスが舞台となっており(1973年のピンボール!)、主人公である高校生のゲイリー・ヴァレンタインは、年齢設定上、ポール・トーマス・アンダーソン当人とは10歳以上差があるが、舞台設定からしてパーソナルな作品なのは間違いない。

そのゲイリーを演じるクーパー・ホフマンは、もう一人の主人公であるアラナ・ケインを演じるアラナ・ハイムが20代半ばでもおかしくないのに対して、10代半ばには見えなくて個人的には違和感があったが、鑑賞後調べてみたら彼はまだ10代で、撮影時期を考えたら全然おかしくなかった。すいません。

ポール・トーマス・アンダーソンとハイムと言えば、Summer Girl のビデオでもとても良い感触があったが、本作はとにかくアラナ・ハイムの演技が素晴らしくて(しかし、ハイム一家全員登場とは思わなかったな)、彼女の演技の魅力が作品の魅力に直結している。

一方でクーパー・ホフマンには、ワタシはどうしても点が辛くなってしまうところがあり、それは彼の父親であるフィリップ・シーモア・ホフマンがワタシにとって大きな存在であることの裏返しでもある。本作は今どき珍しいくらいの「ボーイ・ミーツ・ガール」映画だが、主人公であるゲイリーのイヤなところも描かれており、それをちゃんと見せているのはクーパー・ホフマンの貢献なのだろう。

しかし、何度も書くが、本作はアラナ・ハイムが素晴らしい映画である。

本作には、明らかにウィリアム・ホールデンを模した人物をショーン・ペンが演じており、そこに現れる映画監督役のトム・ウェイツのいかにもらしい曲者ぶりとあわせて当時の男性性のはた迷惑ぶりを体現しているが、そうした故人を一応は架空の人物にしている一方で、存命のジョン・ピーターズは実名で、しかも当時の彼のパートナーであるバーブラ・ストライサンドの名前に執拗に言及する必然性がワタシには正直よく分からんかった。

そうした登場人物の佇まいもあるし、1970年代前半の描写が見事な作品である。音楽もとても気持ちがよいのだが(ある場面で、えっ、これ "Breathless"? と思ったら、やはりトッド・ラングレンで嬉しくなった)、本作をみていて思い出したのは、少し前に書いた以下のエントリである。

yamdas.hatenablog.com

なんというか『アベンジャーズ/エンドゲーム』とは違った意味で、「アメリカ映画」の黄昏、ひとつの終わりの季節みたいなものを感じてしまった。

あと本作について、日本人の英語をバカにしている場面が問題になっているという話を小耳に挟んでいたが、もうそういう難癖やめろよな。

それにしても本作は、主人公二人が走る場面が多い。「主人公が走る画がよく撮られた映画に悪いのはない」とワタシも昔書いており、それは本作にも当てはまるが、主人公二人の恋愛って、かなり吊り橋効果的と思ってしまったところもある。

エルヴィス

本作の予告編を映画館で観たとき、「今更エルヴィス・プレスリーの伝記映画?」と思ってしまったところがあり、しかも監督がバズ・ラーマンというので、これは観に行くことはないなと決めつけていた。

バズ・ラーマンというと、とにかく装飾過多のイメージがあり、彼の出世作『ロミオ+ジュリエット』は割と好きなのに(クレア・デーンズが主役なので)、なぜかその後の彼の映画はすべてパスしてきた。まさに食わず嫌いですね。

しかし、「宇野維正のMOVIE DRIVER」第2回を見て、これは観るべきかと考え直し、『リコリス・ピザ』の翌日に出向いた。

本作はエルヴィス・プレスリーの黒人音楽との関わり、特にブルースのダイナミズムがちゃんと描かれており、BGM で当たり前のようにラップも入るあたり巧みだし、何より選曲がとてもよく考えられており、音楽映画としてしかるべき迫力がある。

宇野さんが言及する、プレスリーを糾弾したパブリック・エナミーの "Fight the Power" のリリックについては、ワタシ自身は当時もそれはあまり真に受けてなかった。ただエルヴィスが歌った曲の原作者がしかるべき報酬を得なかったというのはずっと引っかかっていたし、個人的にはオーティス・ブラックウェルの『These Are My Songs!』(asin:B001LIM9EA)を初めて聴いた時のショックは忘れられない(このタイトルが何を意味しているかは言うまでもないですよね?)。

ただ、それってエルヴィス個人が悪いんじゃないのよね。本作にはエルヴィスの黒人音楽へのリスペクト、というかそれをいかに自然に体現したかが描かれている。「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれるのに対して、「彼こそが本当はそうなんだよ」とファッツ・ドミノに言うシーンは、他の黒人ミュージシャンの描写と比べて言い訳的にも見えたけど。

そうした意味で、エルヴィスの人生における「搾取」を体現するのがトム・パーカー大佐なのだが、この悪役をトム・ハンクスが見事に演じていて、さすがとしか言いようがない。

本作のエルヴィスは割と一貫して悩みを抱えているように感じたが、母親とのくだりは少し前に観た『jeen-yuhs』第一部のカニエ・ウエストにドンダさんが語りかける場面を思い出したりした。

最後の最後にエルヴィス本人を晩年の映像に頼ってしまうところに弱さを感じたが、それでも21世紀の今によくぞこれだけエルヴィスについて正面から映画を作ったものだとは思った。

シャノン・マターン『都市はコンピュータではない』はやはり邦訳が出るべきではないか

opensource.com

夏休みに読む本をお勧めする、よくあるサマーリーディングリスト企画を Opensource.com がやっているのだが、意外にもオープンソースに直接関係ない本も多い。

個人的には以前もここで取り上げたシャノン・マターンの A City Is Not a Computer がリスト入りしているのが目をひいた。

yamdas.hatenablog.com

これをお勧めしている Scott Nesbitt は、近頃なんでもスマート化と言われ、それが都市にも及んでいるが、スマートシティは市民によりよいサービスを提供するのが目的なはずなのに、市民が都市の統治に積極的に参加するのを推奨するのでなしに、「テクノクラート的管理主義と公共サービスを融合し、市民を「消費者」や「ユーザ」として再プログラムするのを目的としている」と書いている。

これはやはり邦訳が出るべき本だと思いますね。話が既にどこぞの版元で進んでいればいいのだけど。

このリストでは7冊の本が挙げられているが、邦訳があるのはトレイシー・キダー『超マシン誕生』くらいかな? これは文句なしに今でもワタシもおススメします。

他には、Kevlin Henney による『プログラマが知るべき97のこと』の続編といえる 97 Things Every Java Programmer Should Know がおよそ2年前に出ているのを知った。これはさすがに邦訳出るんじゃないかな。

他には、『グリッドロック経済』(asin:4750515639)の邦訳があるマイケル・ヘラーの新刊(共著)Mine!: How the Hidden Rules of Ownership Control Our Lives が出ているのもこれで知った。

ジミー・ウェールズが立ち上げた広告モデルに依存しないSNSが苦境にあるようだ

tech.slashdot.org

Wikipedia の共同創始者であるジミー・ウェールズが立ち上げた WT.Social(WikiTribune Social)は広告モデルに依存しない SNS を掲げているが、資金が大幅に不足しているとユーザに寄付を求めている。

ふーん、そんなのやってたんだ……と念のため、自分のブログを検索したら、2019年の立ち上げ時にワタシも取り上げてましたね。

yamdas.hatenablog.com

まだ3年も経たないのに忘れるとはひどい話だが、その後、ほとんどネットで話題にもなってないみたいだし、それもむべなるかなというのが正直なところ。

立ち上げ当初は、「当然、私が望んでいるのは5万人でも50万人でもなく、5000万人、5億人だ」とジミー・ウェールズも強気にぶちあげていたが、現在のユーザ数は50万人足らずで、全然足りてない。

www.wired.co.uk

SNS をスイッチするのは国境をこえるのよりも難しい、という問題がここでも大きな壁になっているわけだ。

だからこそ、上場以降も大して利益をあげてない Twitterイーロン・マスクが買収すると言っただけで大騒ぎになる。現実は、さんざんかき回した挙句、イーロン・マスクTwitter に買収合意打ち切りを通告したが、マスクのテスラ株売却の隠れ蓑にされただけという話がおそらくは当たっているのではないか。Twitterリストラを断行したりスパムアカウント削除に努めたのに残念でした。

それはともかく WT.Social は飽くまでジミー・ウェールズのプロジェクトであり、ウィキメディア財団が手がけるプロジェクトには含まれないが、それらのプロジェクトを支える広告フリーで寄付に頼るモデルは、SNS に適用するにはまだ難しすぎるのだろうな。

ロバート・フリップの初の著書『The Guitar Circle』が9月に刊行される

www.dgmlive.com

ロバート・フリップ御大が初の著書 The Guitar Circle を刊行する。

The Guitar Circle

The Guitar Circle

Amazon

彼のファンならそのタイトルを見ただけでピンとくるだろうが、この本はロバート・フリップが90年代から取り組んできたギター教室である Guitar CraftWikipedia)についての本である。

書名の The Guitar Circle は、Guitar Craft の現在の名前なんですね。今年も8月に開催予定である。

Guitar Craft からは、後にキング・クリムゾンのメンバーにもなるトレイ・ガンカリフォルニア・ギター・トリオを輩出している。これに参加すると、ギター初心者でもコースが終わる頃にはロバフリの変則チューニングでロバフリ奏法ができるようになるという話を昔のロキノンで読んだ覚えがある。

ロバート・フリップ並びにギター・クラフトに取材した本ではエリック・タム『ロバート・フリップキング・クリムゾンからギター・クラフトまで』(asin:479660653X)があるが、やはり御大自身による本となると決定版といえる。

しかし、フリップ先生もトーヤさんと夫婦漫談シリーズをやるだけでなく、真面目な仕事にも取り組んでいたんだなと再確認できるが、一方でトーヤさんとその夫婦漫談シリーズ「Sunday Lunch」のツアーを来年開催とのことで、さすがにワタシもこのニュースには頭を抱えてしまった。日本にも来るんだろうか……。

2022年上半期にNetflixなどで観た映画の感想まとめ

2021年上半期下半期Netflix で観た映画の感想まとめをやったので、今年の上半期もまとめて書いておきたい(まだ数日残っているが)。

今回、「Netflixなど」となっているのには理由があるが、それについては後述する。

jeen-yuhs カニエ・ウェスト3部作(公式サイトNetflix

この計4時間半に及ぶ三部作を「映画」ととらえていいのか正直分からないのだが、まぁ、ドキュメンタリー映画ということで。ワタシは必ずしもカニエ・ウェストの熱狂的なリスナーではないが、『Donda』まで結局ずっと作品は聴いてきたわけで。

三部作ということで、こってり彼のキャリアを追ったものかと思いきや、第一部はラッパーとしてレコード契約を果たすまで、第二部はデビューして『The College Dropout』が成功を収め、グラミー賞受賞まで、そして第三部はそれ以降、という単純にキャリアを三分割したものではまったくない。でも、それがいい。

その理由は、まぁ、観て下さいとしかいいようがないのだけど、ワタシはヒップホップの世界を分かってないからだが、売れっ子トラックメイカーでプロデューサーでも軽くみられるので、とにかくカニエがラッパーとしてのデビューを必死に目指すあたりにそんなものなんだ、と思ったりした。

第一部では彼の母親のドンダさんが地に足のついた言葉で温かくカニエを諭す場面がすごい説得力で、彼女を喪ったカニエの迷走をみるにつけ、彼女に代わって彼にそうした言葉をかけられる人間はいないんだろうなと思ってしまった。

第二部の最後あたりに既にその兆候があるが、第三部にいたって、本作の監督であるクーディと乱気流ライフの色を濃くしていくカニエの間にどんどん距離ができるあたりの描写がなんとも切ないものがある。

第二部あたりまでがとにかく濃密というか、とにかく21世紀のヒップホップ史に残る映像というか、歴史的な面々が当たり前のようにさらっと映り、カニエと軽口を交わしてたりしてるんだよな。すごいよね。


ようこそ映画音響の世界へ(公式サイトNetflix

これはコロナ禍のために映画館で観れなかったので、Netflix に入っていると知って喜んで観た。

が、実はワタシはこれを「映画音楽」についての映画だと勘違いしていた。飽くまで「映画音響」の映画なんですね。

まぁ、ためになったのは間違いないのでよしとする。映画における「音」は、Voice、Sound Effects、Music の三つからなるわけだが、その信頼の輪の重要さを再確認。

もっとも近年は役者の台詞が聞き取りづらいというのも言われるが、映画におけるより良い「音」の追求も進んでほしいですな。


パワー・オブ・ザ・ドッグ(Netflix

オスカー最有力と言われながら、みんな大好き『Coda コーダ あいのうた』にもっていかれちゃった映画である。

しかし、Netflix はなんで『ROMA/ローマ』といい、『アイリッシュマン』といい、本作といい、映画館で観るべき、しかし、あんまり好感度の高くない映画ばかり力を入れるのか。

本作には嫁入り苦労譚なのだが、映画的にはベネディクト・カンバーバッチとコディ・スミット=マクフィーの絡みがすべてというか、キルスティン・ダンストはすっこんでろとしか思えなくて、本作はあまり高く評価できない。のだけど、同性愛の色濃い文芸映画かと思ったら、サイコパスによる殺人の完遂をみせられるだけという肩透かし加減は面白く感じた。


私ときどきレッサーパンダ公式ページディズニープラス

事情があって、ひと月だけディズニープラスに加入した。が、『ザ・ビートルズ:Get Back』を観るだけでほとんど時間切れになり、慌てて最新のピクサー映画を観た次第である。

本作もコロナ禍のため映画館に観に行けなかった作品だが、正直まったく面白くなかった。

ピクサーには多大な信頼の蓄積があり、初めてアジア系の主人公というのにも興味があったのに、びっくりするくらいワタシには刺さらなかった。世評は非常に高いので、ワタシの感性がおかしいのだろうが、主人公やその家族にイライラしてしまってどうしようもなかった。

サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)(公式ページ

これも例によってコロナ禍のため、映画館で観れなかったので、ディズニープラスの契約期間終了間際に慌てて観た。

スティーヴィー・ワンダー、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ニーナ・シモンB.B.キング、グラディス・ナイト、ステイプル・シンガーズ……と書いていくだけでスゴい面々が参加したハーレム・カルチュラル・フェスティバルの映像が、同時期に開催されたウッドストック・フェスティバルと正反対に半世紀ほぼお蔵入り状態だったというのが信じられない。

参加したアクトそれぞれに立ち位置の違いがあり、スティーヴィー・ワンダーデヴィッド・ラフィンのようなアイドル期を終えたモータウン組、白人向け視されてたためこうしたフェスに出れたのがとにかく嬉しそうなフィフス・ディメンション、当時はまだグイグイ盛り上げるスライ&ザ・ファミリー・ストーン(しかし、この時点でもうドタキャンもおかしくない存在だったんだな)、そして明確に好戦的で攻撃的なニーナ・シモンが共存しているのが面白い。

この映像をまとめあげたクエストラヴに感謝したいが、よりにもよってアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞というそのクラマックスといえる晴れの舞台を、クリス・ロックに台無しにされたのがひたすら気の毒でならない。


アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャーNetflix

リチャード・リンクレイターの新作ということで、これは観ないわけにはいかない! と意気込んで観たら……彼のアニメーション映画では『スキャナー・ダークリー』以来になるが、あれほどの痛切さはない。

タイトルからアポロ計画が絡むことは予想でき、それにフェリーニの『8 1/2』な捻りがあるんだろうと期待していたら、じきに宇宙の話は後ろに退き、それよりなによりリンクレイターの子供時代の描写が主眼の映画だった。ワタシはこうした昔のアメリカの少年時代を描いた作品とか好物なので、そうした意味で本作は楽しめたのだけど、本当に淡々とし過ぎなんだよな。

『スクール・オブ・ロック』『バーニー みんなが愛した殺人者』以来のジャック・ブラックの起用だが、声芸を発揮するチャンスもほぼない、ひたすら徹頭徹尾淡々としたナレーションで、言われなければ彼と気づかないくらい。

ジョン・ハンケが語るWeb3、ティム・バーナーズ=リーが懐疑的なブロックチェーン

www.techno-edge.net

さきごろ創刊したテクノエッジの最初の目玉コンテンツと言える Niantic のジョン・ハンケのインタビューだが、ワタシは IngressポケモンGOもまったくたしなまないという奇特な人間なので、そちら方面の話題には実は興味がなく、「メタバースはディストピアの悪夢です。より良い現実の構築に焦点を当てましょう。」の話も、まぁ、そうでしょうなという感じだった。

それならなぜこのインタビューを取り上げているのかというと、今月はじめに「Web3の「魂」は何なのか?」という文章を公開したワタシ的には、彼が Web3 についてコメントしているからだ。

彼はまず「わたしにとっては、Web3はすなわちブロックチェーン技術という意味です」と明確に語っており、オレオレ Web3 定義をかますことはないあたりさすがである。

もうひとつは、ウェブを非集権化 / 分散化すること。現在のウェブは、決済やアイデンティフィケーションについてとても集権化しています。App StoreGoogleログイン、Facebookログインのような、ごく少数のサービスに依存する仕組みです。

ブロックチェーン技術で決済を分散化する、つまり暗号通貨を使うのは分かりやすい例ですが、もうひとつ、いわゆるSSI (Self Sovereign Identity、 自己主権型ID)を可能にする使い方もあります。

Niantic創業CEOジョン・ハンケ氏インタビュー:『メタバースは悪夢』の真意とWeb3の可能性(後編) | TechnoEdge テクノエッジ

そしてやはり decentrization なんですよね。これもまた明快であり、ズレてない。そして、以下のくだりが個人的には最も興味深かった。

現在のようにGoogleFacebookなどにログインやアイデンティフィケーションを依存すると、多くの場合は行動履歴が収集・集約されることになり、プライバシーにとって良いとはいえません。現在の集権化したログインの仕組みでは、オンラインの活動を監視したり、履歴を蓄積してどんな人物かプロファイルを作ることができてしまう。SSIを使うことで、ユーザーはどの企業にどの情報を渡すか自分でコントロールできるようになります。

Niantic創業CEOジョン・ハンケ氏インタビュー:『メタバースは悪夢』の真意とWeb3の可能性(後編) | TechnoEdge テクノエッジ

当たり前のこと言ってるだけじゃん、と思われるかもしれないが、ジョン・ハンケはショシャナ・ズボフ『監視資本主義』において、「監視資本主義」の重要人物として糾弾に近い書かれ方をしていて、その彼が行動履歴とプライバシーの関係を語っているのが興味深かった。

ここで『監視資本主義』の書名をジョン・ハンケにぶつけたらさらに貴重なインタビューになったはずだが、日本のジャーナリストにそれができる人はいないか。

thenextweb.com

いっぽうで World Wide Web の発明者ティム・バーナーズ=リーは Web3 をこきおろしている。彼もビッグテックから人々の手にデータを取り戻すというビジョンは共有していて、それは例えば彼の以下の文章を読んでも分かるだろう(と翻訳の宣伝)。

しかし、彼はブロックチェーン技術には懐疑的だ。彼が推す Solid のプラットフォームなら、うまく機能しないブロックチェーンなしでも脱中央集権化したインターネットは可能だよ、というわけ。

ティム・バーナーズ=リーは偉大な発明者だが、近年手がけるものは Solid を含め成功と言えるものはないので、そうした意味では彼の未来予測の精度は高いとは言えないのだけど、加藤和良さんが「Re: Web3の「魂」は何なのか?」で紹介していた、ティム・ブレイ、ミゲル・デ・イカザ、コリィ・ドクトロウ、ブルース・シュナイアーといった錚々たる面々が署名した Letter in Support of Responsible Fintech Policy に彼の立場も近いのだろうな。

遂にLinuxカーネルにRust言語のコードが取り込まれるとな

venturebeat.com

Linux をてがけて30年経った今なお、リーナス・トーバルズは自身が作ったオープンソースオペレーティングシステムとそれがこれからもたらすイノベーションの見通しに夢中である」という文章で始まる記事だが、先日開催された Open Source Summit North America を取材した記事である。

いろいろ読みどころはあるだろうが、やはりもっとも目を惹くのは、「Rust is coming to Linux」の見出しである。

実は、ワタシもこの話題を何度かこのブログで取り上げている。

どうやら2022年が Linux カーネルにおける Rust 元年になりそうだ。

www.phoronix.com

こちらはその話題にフォーカスした記事である。2020年のときと同様、おなじみ Dirk Hohndel との対談でリーナス・トーバルズが、もう直近のリリース、つまりはバージョン5.20で Rust のインフラストラクチャが Linux カーネルにマージされるだろうよと語っている。

news.mynavi.jp

これまた先日公開された Stack Overflow の開発者調査でも、Rust はもっとも開発者に愛されるプログラミング言語、もっとも使いたい言語に選ばれており、Linux カーネルが受け入れるのも自然な時の流れなのだろうか。

ロバート・スキデルスキー『経済学のどこが問題なのか』が出ていた

yamdas.hatenablog.com

実に2年以上前にロバート・スキデルスキーの新刊を取り上げていたのだが、調べものをしていて、この邦訳『経済学のどこが問題なのか』が今月出ていたのを知る。

正直、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」で取り上げた本の邦訳が今頃出るとは思わなかったねぇ。

allreviews.jp

ALL REVIEWS で訳者あとがきを読めます。それで知ったが、彼の前作は今年文庫入りしてるんだね。

ヴェルナー・ヘルツォークが小野田寛郎を題材に小説を書いていた

www.openculture.com

恥ずかしながらワタシはこの記事で知ったのだが、ドイツを代表する映画監督であるヴェルナー・ヘルツォークが、初めての小説 The Twilight World を書いてたんですね。ドイツ語版から翻訳された英語版が出ていた。

近年もドキュメンタリーを撮ったり映画制作のオンライン講座で教鞭をとったり、精力的に活動しているのは知っているが、それでも80歳近くにして初めての小説とはすごいねぇと素直に思う。

で、気になるのは、この小説が「降伏を拒否した有名な第二次世界大戦日本兵」を扱ったものであること、そう、小野田寛郎のことである。

なんでもヘルツォークは1997年にオペラ(おそらく『忠臣蔵』だろう)の演出のため東京に滞在していたのだが、そこで会いたい人は誰かいるかと問われ、即座に小野田寛郎の名前を挙げたという(そのときはまだ彼は存命だったんだな!)。この小説自体、長年温めていた題材なのかもしれない。

小野田寛郎というと、昨年『ONODA 一万夜を越えて』という映画が公開されている。

小野田寛郎はいろいろと論議のある人物であり、なんで今彼なのかというのは思ったりするが、ヴェルナー・ヘルツォークの小説となればさすがに邦訳が出ると思うので、楽しみではある。

「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」を見てきた

ambientkyoto.com

ブライアン・イーノによる音と光の展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」のことを知ったときは、これは行きたいぞ! という気持ちと、その頃コロナがどうなってるかねぇという気持ちが交錯したが、これに行かずして、何のための人生か! と自らを鼓舞してチケットをおさえた。

ワタシはこうしたヴィジュアルアートを賢しらに語る語彙を持たない人間なので、とりあえず行ったぞ、と写真だけはってお茶を濁させてもらう。ちゃんとした情報を欲しい方は Tokyo Art Beat のレポートなどをどうぞ。

京都中央信用金庫 旧厚生センターに来たのは初めてである。建物ごとイーノ展という趣向には唸った。もちろん、もっとでかい建物でもっといろいろ見たかった、という気持ちもあるが。

ワタシの iPhone では、なんとも茫洋とした写真しか撮れず、申し訳ない。これは「Light Boxes」だが、あとになって「77 Million Paintings」の写真を一枚も撮ってないのに気づいて頭を抱えた。

おおっ、これもイーノ先生の作品か! と思わず写真を撮ったが、冷静に考えて、そんなわけはない。

「Face to Face」が一番面白くて、実在する21名の人物の顔を、特殊なソフトウェアを使い、別の顔へとゆっくりと変化させていくもの。この変化時に顔が微妙にホラーっぽくなったり、さっきまで女性と思ってたものが男性に変わっていたりする。

左側がちょっとホラーっぽいでしょ。あと、中央はイーノ先生だよね?

「The Ship」は他と違い、ライティングがほぼない部屋で音と向き合うことになる。ワタシが入室して間もなくイーノ先生が歌うヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカバー「I'm Set Free」が流れたので、もう一度「I'm Set Free」を聴くまで部屋で音に浸っていたら、一時間ほど経っていた。

こういう機会はそうそうない、と貧乏人のワタシも奮発してカタログを購入したが、「アーティストの希望で、袋はありません」と言われ、この日文字通り手ぶらで会場に来たワタシは、カタログを手で持ったまま移動することになり参った(笑)。

ここには写真を載せられないが、そのカタログの中に女性のヌードがあり、これが昔、渋谷陽一が『ロック―ベスト・アルバム・セレクション』で書いていた、イーノのビデオに延々女性の裸が写し出されるものがあるってのはこれのことか! という感慨があった(何も調べずに書いているので、違ってたらすいません)。

偶然にも個人的な事情が重なったのもあり、思い出深い機会となった。

ダニエル・J・ソローヴ先生が選ぶプライバシーについての本5冊

shepherd.com

ワタシも「社会的価値としてのプライバシー(後編)」で取り上げ、『プライバシーの新理論―― 概念と法の再考』(asin:4622077655)、『プライバシーなんていらない!?: 情報社会における自由と安全』(asin:4326451106)の邦訳もあるダニエル・J・ソローヴ先生が、プライバシーについての本を5冊選んでいる。

最近出た本では、まずは Neil Richards の Why Privacy Matters がある。

ソローヴ先生はこの本について、プライバシーは死につつあるとか不気味なものといった俗説を斥け、プライバシーが我々のアイデンティティや自由にいかに重要かを論じていることを評価している。

あともう一冊、Ari Ezra Waldman の Industry Unbound も昨年出た本である。

ソローヴ先生はこの本について、プライバシー法がどんどん可決され、企業によるプライバシープログラムが広まり、我々は一見プライバシーの黄金時代に生きているように錯覚するが、実はそうしたプライバシープログラムは骨抜きにされており、無意味な紙の記録を作るだけで、お粗末な現実の表面を覆い隠しているだけなのを論じていることを評価している。

ソローヴ先生が選んだ5冊の中で既に邦訳があるのは、ダニエル・キーツ・シトロンの『サイバーハラスメント』だけかな。

今年がカート・ヴォネガット生誕100周年なのを新刊情報で思い出した

というわけで、フィルムアート社からカート・ヴォネガット『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』が今月出るのを知ったわけだが、「生誕100年を記念し、待望の邦訳!」と書いているのをみて、今年がカート・ヴォネガットの生誕100年なのを思い出した。

カート・ヴォネガットといえば、彼の伝記映画『Kurt Vonnegut: Unstuck in Time』を昨年取り上げたが、生誕100年ということで、これの日本公開も実現しないかねぇ。

クエンティン・タランティーノの新作は映画ではなく今年10月に出る本

www.indiewire.com

クエンティン・タランティーノは以前より、10本映画を作ったら監督は引退と公言しており、果たして10作目となる次作は何なのか気になるわけだが、その前に Cinema Speculation という本が10月に出るのを知る。新作は映画ではなく本というわけだ。

当代もっとも有名な映画監督というだけでなく、最大の映画愛好家としても知られるタランティーノの本なので、(少年時代の彼が観た)1970年代の主要なアメリカ映画を中心に構成された、映画批評、映画理論、ルポルタージュ、そして個人史でもある本ということで、彼が愛する映画について語り倒す、つまりは彼のファンが彼に書いてほしいと思っていた本ということで間違いなさそう。

来年には邦訳も出てほしいところ。

ジョン・ライドンと結婚しそこねたクリッシー・ハインドの話など

kingink.biz

ティーヴ・ジョーンズの自伝を原作とし、ダニー・ボイルが監督した(そして、ジョン・ライドンが訴訟を起こしたりして揉めた)Pistol をワタシは観ていないのだが、このドラマ評で「ヒロイン(?)役として登場するのがなんとクリッシー・ハインド」というくだりで思い出した話がある。そう、彼女もセックス・ピストルズ関係者の一人だったんだよな。

というわけで、1989年から2004年まで読者だった雑誌 rockin' on のバックナンバーから記事を紹介する「ロック問はず語り」、今回紹介するのは、1992年4月号(表紙はティン・マシーンのデヴィッド・ボウイ)に掲載されたジョン・ライドンのインタビューである。

このインタビューは、確か NME の記者のインタビューを受けるにあたり、ジョン・ライドンが君の部屋でやろうと言い出して本当に記者の部屋で大量のビールを飲みながら行われたものである。その放言だらけのインタビューの中でクリッシー・ハインドの名前も出てくる。

「クリッシー・ハインド! ひっひっひ!」(中略)
「全く強い女だよな、クリッシーは。おまけに結婚してやらなかったもんだから今でも俺につらく当たるんだよ。っていうのはまぁ、セックス・ピストルズをやっている時分に出会ってね、イギリスに住みたいって言うから、永住権を手に入れられるように結婚してやらぁってことになったんだ。でも、当日になったらやっぱり嫌んなっちゃってきてさ、それですっぽかしてシド・ヴィシャスを代わりに行かせたわけ。『シド、こりゃあやっぱり俺にはできんわ。ひとつよろしく頼むよ』って言ったら、あいつも『おう、まぁいいけど、俺着るもん持ってねぇよ』って言われて、それで俺が服借りてきてやったんだよ」

そんなことを友人、しかもシド・ヴィシャスに頼むって……しかも、シドもそれを軽く受けるなよ!

なお、クリッシー・ハインドの希望でジョン・ライドンと結婚しかけた話は本当らしいが、彼女側の証言とはかなり状況が異なるので、飽くまでジョンの話ということでご理解いただきたい。

この話を聞いた記者の感想も奮っている。

 それにしてもすごい話ではないだろうか。教会(というより役所)で花嫁が花婿の到着を待っていても現れないのである。でも、待てよ、鼻を鳴らしながら足を引きずってこちらに来るあの変なのは誰だ? シド・ヴィシャスだ!
 このあくどい企みの張本人はこの思い出に思い切り耳障りな笑い声を上げる。「かわいそうなシドニー!」と叫ぶその声はかつて世代をひとつまるごとひっくるめて震撼させたあの当時のままである。

このインタビューで、セックス・ピストルズを再結成すれば、短期間で大金を稼げるし、そのオファーも多いだろうに、と水を向けられたジョン・ライドンの発言は以下の通りである。

「それは徹底的に恐ろしく、シニカルで、低劣で、俺はきっと地獄のような罪悪感にさいなまれ、きっと鏡で自分の顔さえ凝視できなくなるだろうよ。それは俺の感情を破滅に招くようなことだよ。そういうわけだから、俺はもう誰のためにもあのジョニー"悲喜劇"ロットンっていうキャラクターを演じるつもりはないんだ」

しかし、現実にはご存知の通り、セックス・ピストルズは再結成した。ワタシとしては、上に引用したジョンの発言も理解できるし、これまで搾取された金を取り戻すために再結成した。パンクだから清貧なんておかしいだろ、という再結成時のジョンのコメントもやはり理解できるのである。

そういえば、樫原辰郎さんはこのピストルズの再結成を以下のように評している。

つまり、セックス・ピストルズの再結成とは、セックス・ピストルズの完全否定だったわけである。ロックの歴史上、ここまで完璧に伏線回収したバンドはおそらくない。見事である。歴史上、ロックは死んだという発言をした人は何人かいるのだが、ライドンは具体的にロックが死ぬところを演劇的に再現し、それをワールドツアーで公演して回ったのである。

第15回 文明化と道徳化のロックンロール – 晶文社スクラップブック

それからも時が流れ、ジョン・ライドン「アナーキーはひどい考えだ」、スティーヴ・ジョーンズが「俺はスティーリー・ダンが好きなんだ。悪いか?」と語るのも、時の流れを感じる。

このインタビューは後に『ROCK GIANTS 80’S』という本にも収録されたが、当然ながらそちらも絶版である。ジョン・ライドンの自伝は読んでいないので、クリッシー・ハインドの件がどう書かれているのかは知らない。

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