2021年上半期、下半期、そして2022年上半期に続いて、2022年下半期に Netflix で観た映画の感想まとめから新年を始めたい。
一応、公開年がその年マイナス3年以内の近作のみとさせてもらう。
ローリング・サンダー・レヴュー:マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説(Netflix)
前から観よう観ようと思いながら、ずっと後回しになっていた。2019年公開なので、近作としてこのリストに入れさせてもらう。
出会いの時期が悪く、ボブ・ディランは基本的に苦手なのだが、昔「ワタシが愛する洋楽アルバム100選」で『Desire(欲望)』を選んだ人間として、ローリング・サンダー・レヴューにはずっと興味があった。
当時のディランの狙いというかカオスをよく拾い上げている優れたドキュメンタリーだ……と思っていたのだが、ずっと「ドキュメンタリー映画」と思って観ていたこれが、必ずしもそうでないのを知ると、いったいこれはなんなんだ! という気持ちになった。
マーティン・スコセッシもなんでそんな作りにしたのか。いや、もちろん面白かったのだが、KISS のTシャツを着てたらディランにナンパされて(?)スタッフに加わったというシャロン・ストーンの話も信じられなくなってしまったよ。
しかし、ジョーン・バエズは良い歳の取り方をしたよね。
グレイマン(Netflix)
MCU での仕事をひと段落させたルッソ兄弟が Netflix で世界を股にかけたどでかいアクション映画を作ったということで、好きなライアン・ゴズリングが主演だし、もちろん面白かったのだけど、なにか空虚な感じがあった。
いや、空虚なのはワタシの事情なのだが、結局は過去のスパイアクション映画と何が違うんだというのがよく見えなかったからだろうか。
THE GUILTY/ギルティ(Netflix)
特に事前知識なしに観始めたのだが、これはデンマーク映画のリメイクだったんですね。
弱みと欠点を抱える主人公をジェイク・ジレンホールが熱演しており、最後まで見逃せない(聞き逃せない)映画に仕上がっているが、まずはオリジナルを見るべきだったなぁ、と理不尽な後悔の念をもってしまった。ごめん。
アテナ(Netflix)
本作については冒頭10分の『トゥモロー・ワールド』を超えんとする、いったいどうやって撮ったんだ? なとんでもなくアクティブな長回し(どうやって撮った知りたい方は↓にはっている動画を観てください)があまりにつかみがオッケー過ぎて、その後も緊張を維持していてよくできている。
しかし、何人かの登場人物の造形に安易さを感じるところがあり、映画全体として傑作とは言えないと思った。
花束みたいな恋をした(公式サイト、Netflix)
これ劇場公開時は、『ノマドランド』と本作とどちらを観ようか悩んだが、その夜知人と会う約束があり、終映時間が気になって『ノマドランド』を選び、その後もタイミングが合わず観に行けなかった。
いやー、評判通りこれは脚本がよくできてるね。文化系カップルの誕生から終焉までを描いたもので、カルチャー(サブカル)好きなカップルの二人が挙げる数々の固有名詞がツボを突きまくっているし、男性のほうがイラストで食うことを諦めて就職してからそうしたカルチャー好きを維持できず、自己啓発書とパズドラ……といった話は他の人も触れているから以下略とさせてもらうが、印象的だったのは、このカップルの二人が挙げる固有名詞が映画にしろ文学にしろ、すべてドメスティックなものに占められているところ。
そうやって海外の固有名詞を出したら話が発散しやすいし、意味合いが違ってくる(例えば、マウンティングとか?)といったあたりなのだと思うが、もちろん本作が2010年代後半にフォーカスした話というのは理解した上で、過去の時代でサブカル好きの登場人物を造形しようとしたら、これはありえないと思うのよ。ドメスティックな固有名詞のみで成立するようになったとも言えるが、そのあたりの狭さも意図的なんだろうな。
二人が別れ話をするファミレスの場面の顛末についてはいろいろ解釈ができるだろうが、ワタシはスミスの "Hand in Glove" とブルース・スプリングスティーンの "Backstreets" がまったく同じことを歌っているという話を思い出したりした。
天気の子(公式サイト、Netflix)
『すずめの戸締まり』を観る少し前に Netflix で鑑賞。
これ最高じゃないですか。『君の名は。』より悪意があり、大人の描き方が『すずめの戸締まり』みたいに一面的でない本作が好き。
第一級の東京エクスプロイテーション映画である。
ナイブズ・アウト: グラスオニオン(Netflix)
前作『ナイブズ・アウト』に続く、ダニエル・クレイグ演じるブノワ・ブランが主人公の第二弾だが、Netflix が湯水のようにお金を投資した本作は、140分の上映時間をかけて、全力でイーロン・マスクを罵倒、愚弄することを一義とするとんでもない作品になっている。
もちろん本作の撮影は公開の前年である2021年までに終わっているはずで、イーロン・マスクがこんな立ち位置になるなんて分かってなかったはずだ。そうした意味で、優れた作品は予見的であって……みたいな紋切型のまとめをしたくなるが、イーロン・マスク、じゃなかったエドワード・ノートンの周りにいる人間が、彼に金玉を握られている政治家や科学者、そしてお騒がせセレブ、インフルエンサーといったあたりできすぎだろう。ジェレミー・レナー、ジャレッド・レトなどのハリウッドスターの名前のちりばめ方もがいかにも過ぎる。
あまりにもできすぎていると本作を受けつけない人がいるのも、まぁ、分かる。これ、数年後に観ても同じように傑作かというと分からんしね。
前作もそうだが、いったんネタが割れたかと思わせておいてからの展開がうまいんだよね。