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別れる決心

本作と『BLUE GIANT』と『ワース 命の値段』のどれに行くか悩んだ末、Twitter で珍しく投票機能を使ってしまったが、自分が行くシネコンでのレイトショーの上映時間の関係で本作となった。

今回は珍しく同行者がいたので、観終わった後感想を聞いたら、一言「寝てた」と言われてしまった。このスリリングなサスペンス映画でなんで寝れるんや! と呆れたが、かく言うワタシも、この場面の後になんでこうなるの? みたいにストーリー的に分かっていないところが多々あるくらいなので、人にとやかく言う資格はない。

パク・チャヌクの作品は『お嬢さん』しか観ていないが、本作は彼の作品では暴力もセックスも抑制されているようだ。

ヒッチコックっぽいという事前情報があったが、刑事が容疑者である女性の生活を覗くところ『裏窓』みたいだと思っていたら、後半になって『めまい』だったのかと納得した(偶然だが、この2作とも3月に BS プレミアムで放送されます)。

サスペンスロマンスとしてとても濃厚な映画なのだが、かなりヘンなところもあって、執拗にスマホのロックを解除する描写が出るところもそうだし、本作ではスマホによる中国語⇔韓国語の翻訳が重要な役割を果たすが、予告編にも入っている「心」と訳すべきところを「心臓」と訳したがために生まれるギョッとする感じは分かりやすいが、翻訳機能や文法的な間違いが多用されたメッセージなどかなり注意が必要で、ワタシが理解し損ねているポイントがたんまりありそう。

そして重要なのは、2022年に作られる映画として上記に加えて、当然ながらカメラやマップなども含め、スマートフォンというテクノロジーの結集がごく自然に作品の中核に関わりながら、作中 SNS が一切登場しないところも本作の美点のひとつかもしれない。

本作は、刑事が容疑者の女性の生活を覗きながら彼女に寄り添う描写が多用されるが、一例をあげると彼女が泣いていると見せかけて笑っているように見えるところなど、実は観客が見たのは主人公の想像、つまりはミスリードもあるに違いないのでやはりそれにも注意が要る。

というわけで、ワタシ的にはかなり面白かったのだけど、上で書いた通り、文脈を分かっていないところが多すぎるので、これから町山智浩のアメリカ特電を購入して解説を聞きたいと思う。

Web3のキラーアプリは何か?

……って、まだないんですか? などと煽ってはいけません。

www.oreilly.com

Block & Mortar という web3 を扱うニュースレターをやっており、『バッドデータハンドブック』asin:4873116406)の邦訳もある Q McCallum の文章だが、彼は「キラーアプリ」という言葉がドットコムビジネスやら bro culture を連想させるので好きではないとお断りしつつ、web3 という言葉を聞いて「それ何?」よりも「それ何に使えるの?」と言われるようになったのはよい傾向だと認める。

ただ、「web3 のキラーアプリは何か?」という質問に答えるのは難しくて、その理由を四つあげている。

  1. 「web3」という言葉が「AI」と同じく、複数の異なる概念のアンブレラタームで曖昧なこと
  2. テクノロジーというものは、大抵あることを行うために作られ(るが中途半端な成果にしかならず)、他の誰かがそれが別の分野で革命をもたらすことに気づく、つまり、後にならないとキラーアプリが何か分からない構図がある
  3. web3 のユースケースの話になると、大抵「それ既にあるよ」「それにクリプトを使ったら今よりひどくなる」という反応が返ってきて、実際それはだいたい正しいのだけど、新しいものは今とは異なる便利さを提供するもので……という『イノベーションのジレンマ』な話
  4. 多くの人が「web3」と「クリプト」を同じ意味で使っているがフェアじゃないし、「クリプト」、つまり暗号通貨に関する最近のニュースが、フィッシング詐欺やらトークンのメルトダウンやらファンドの破綻やら「犯罪」と隣り合わせ、しかもクリプトの採掘が環境に与える影響の話など悪い印象ばかりが前にくる

web3 が犯罪者にとってとても有益なのは確かで、そのキラーアプリは人々からお金を奪うことなんて主張もあるくらいだが、飽くまで大衆にアピールできる合法的なユースケースとして Q McCallum が挙げるのは、ファッション分野とポイントプログラム(Loyalty program)の二つである。

うーん、そうなのか。具体的にこの二つがどう web3 に合っており、キラーアプリになれるのかは原文をあたってくだされ。

その後に引用されている「自分がブロックチェーンを使っているのを気づかないままブロックチェーンを構築できた人が勝者になると思う」というマイク・ルキダスの言葉はワタシも正しいと思う。確かに消費者は、自分が好きなアプリがどんな技術で動いているかなんてほとんど気にしないし、便利に使えればそれでよいのだ。しかも、web3 には上にも書いた評判の問題もあるのでなおさらである。

そして、Web 2.0キラーアプリだったアドテクが AI のエコシステムにどれだけ還元されたかを考えると、web3 のキラーアプリが生まれたら、その構築と収益化に対する関心が、基盤となるテクノロジーの改良を促し、そしてそれが他の分野にも応用されるだろうという予言もやはり正しいでしょうね。

ワタシ自身は「Web3の「魂」は何なのか?」において、「Web3というコンセプトに厳密に従ったサービスだから成功するのではなく、今後成功を収めたサービスが自然とWeb3の代表格と見なされる」と書いたが、果たしてどうなりますでしょうか。

たまたま『イーサリアム 若き天才が示す暗号資産の真実と未来』を恵贈いただいたので、とりあえずこれを読むところから理解を深めていきましょう(「web3」と「クリプト」を混同するなと Q McCallum に怒られそうだが)。

ピーター・ティール、イーロン・マスクら「ペイパルマフィア」を今一度論じる本の邦訳が出る

yamdas.hatenablog.com

ジミー・ソニの『The Founders』のことは、ほぼ一年前に取り上げているが、その邦訳のページが Amazon にできている。4月初旬に発売されるようだ。

最初 Amazon のページに気づいたときは、『勇者たち イーロン・マスクとピーター・ティール 世界一のリスクテイカーの薄氷の伝説』というタイトルだったが、本文執筆時点ではタイトル未定になっている。

どうせなら「勇者たち」と書いて「そうぎょうしゃたち」と読ませてみてはどうだろう(笑)。

2022年は「イーロン・マスク本」の年だったわけだが、この本はもう少し広くシリコンバレーリバタリアニズムを知るのによさそうな本に思える。

[2023年03月04日追記]Amazon のページを見ると、書名が『創始者たち イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』になっていた。発売日は5月前半に変わったようである。

イーサン・ザッカーマンが序文を書いている本が2冊出るので紹介

何か面白い洋書を知りたい人全般におススメできるかは分からないが、自分が信頼する人が序文を書いている本という切り口はあるかもしれない。普通の推薦文でもよいのだけど、正直それだと濫発している人もいるのでねぇ。

イーサン・ザッカーマンといえば、彼の本を取り上げた「「閉じこもるインターネット」に対するセレンディピティの有効性」を書いたのがおよそ10年近く前になるんやね。

最近では「世界を変えた26行のコード」の本にも寄稿しているが、最近、彼が2冊の本に序文を書いているのに気づいたので、それを紹介しておきたい。

まずはヘザー・フォードWriting the Revolution。これは昨年秋に出ていた。

ウィキペディアにおけるエジプト革命に関する記述(の10年に及ぶ変化)を調査取材することで、ウィキペディアの内容が「デジタル時代における事実の定義そのものをめぐる長引く権力闘争の結果」であることを批判的に考察したもので、歴史は今やアルゴリズムによって書かれるのかという疑問に答えるものみたい。

本の情報については著者によるページも参照くだされ。

Wikipediaエジプト革命の関係については、ワタシも「ネットにしか居場所がないということ(前編後編)」で取り上げているが(特に前編)、Wikipedia について論じた本は久しぶりな印象があるのでとても気になるが、これはさすがに邦訳は難しいだろうな。

もう一冊はレスリー・ステビンズBuilding Back Truth in an Age of Misinformation。こちらは来月出る。

どうすればネットに真実と信頼を取り戻せるのかについて、やはりソーシャルメディア・プラットフォームを批判的に考察した本みたい。プラットフォーム企業が公共の利益を優先し、ジャーナリズムを修復し、信頼できるコンテンツを促進し、新たに健全なデジタル公共広場を作るべくキュレーションを強化することを謳っている。

今年に入って著者が Salon に寄稿した記事が本の内容なのだろう。

そういえばここで取り上げた本の著者はいずれも女性だが、イーサン・ザッカーマンはそういうフックアップを自分の役割と課しているのかもしれない。

ブリュースター・ケールの書籍版『Walled Culture』序文を訳してみた

Technical Knockout書籍版『Walled Culture』序文を追加。Brewster Kahle の文章の日本語訳です。

こないだ「ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ」を書いたのだが、期待したほどの注目を得られなくて残念だったので、ブリュースター・ケールによる書籍版『Walled Culture』の序文を訳してみた。

すごく短いし、驚くような内容でもないのだが、ブリュースター・ケールの文章もひとつ訳してみたかったので、ちょうどよい機会だった(彼のインタビューはマガジン航でひとつやっているが)。

彼の文章では、Our Digital History Is at Risk を訳したかったのだが、Internet Archive のブログって、以前は CC ライセンスが明示されてたような気がするのだが、それが見当たらないのよね。

何しろ書籍版『Walled Culture』のライセンスは CC0 のパブリックドメインだからねぇ。ところで、今回これを訳すためにライセンスの記述を確認したところ、

This worked is licensed under a Creative Commons CC0 1.0 Universal (CC0 1.0) Public Domain Dedication license.

とあったのだが、「worked」って「work」の誤植じゃなかろうか。

こないだも書いたように、Walled Culture のサイトで、書籍版の PDF、ePub、mobi ファイルをダウンロードできますので。

「機械の中の幽霊」ならぬ「AIの中の幻覚」? AIの「ハルシネーション」について考える

xtech.nikkei.com

中田敦さんが厳しい論調の文章を書いている。

これに対して、楠正憲さんが「自動運転と違って人命に関わる訳でもなく」と反応しているが、正直これには驚いた。楠正憲さんも2016年の WELQ 騒動を知らないわけはあるまい。検索結果は人命にかかわると言えるのではないか。

この騒動を機に、医師会やジャーナリスト団体が主催する「検索に関する勉強会」に講師として呼ばれる機会がとても増えました。そのとき、「検索エンジンにあがっている誤った情報を患者が信じ込んでしまい、こんなに大変なことが起きている」と、苦しんでいる当事者を目の当たりにしたんです。まるで私がGoogleの中の人間かのように非難を浴びたこともありました。

辻正浩氏が語る、SEOに携わる者の責務と未来 - Marketeer(マーケティア)

ワタシの意見は、「この問題を過小評価している人が多すぎる」という星暁雄さんに近い。

「この問題」とは AI が間違った事実をでっちあげる「ハルシネーション(hallucination、幻覚)」のことである。ワタシ自身の立場は上に書いた通りなのだけど、この「ハルシネーション」についての少し違った角度の意見も紹介しておきたい。

www.oreilly.com

オライリー・メディアのコンテンツ戦略のバイスプレジデントを務め、ワタシもこれまで何度も文章を紹介してきたマイク・ルキダスが、ズバリこの「AIのハルシネーション」をタイトルに冠した文章を書いている。

ルキダスは、自分が AI 生成のアートに批判的だったのは、それが派生物、二次創作(derivative)だったからという話から始める。AI は既にレオナルド・ダ・ヴィンチみたいな絵、バッハみたいな音楽は作れる。しかし、「~みたいな」作品は本家があれば十分であって、自分が求めるのは既存の音楽と異なる、それこそ音楽業界を恐怖に陥れるような破壊的なものであり、これまでの生成 AI にそういうものを感じたことはなかった。

そこで出てきたのが ChatGPT。まだ「創造性」とは言えないが、その可能性を感じる、とルキダスはあるエピソードを紹介する。

ある人が、他の人が書いたソースコードがよく分からなくて、ChatGPT に説明を求めた。「インチキAIに騙されないために」にも書いたが、史上最高の「デタラメ製造機(bullshit generator)」と ChatGPT を断じるアーヴィンド・ナラヤナンらも「コード生成とデバッグ」には使えるとお墨付きを与えている。この場合も ChatGPT は実に見事な説明をしてくれたという。

……が、どうもおかしい。なぜか? ChatGPT が説明してくれた機能は、元のソフトウェアには存在しなかったのだ!

しかし、確かに ChatGPT の説明自体は理に適っている感じで、その機能は実装できそうなものだった。

これについてルキダスは、そのでっちあげられた機能は AI の「ハルシネーション」なのだが、これは創造性ではないかと書く。確かに人間の創造性とは異なるが、それでも創造性には違いない。

そしてルキダスは、AI の「ハルシネーション」を創造性の予兆と考えたらどうだろうと挑発する。AI の「ハルシネーション」、つまり AI がでっちあげたものだが、存在しないものを作ることこそが芸術の本質ではないか。

ただここで注意しなければならないのは、ランダムに「新しい」ものを作り出せばいいというのではないこと。人間の芸術は、その芸術分野の歴史と密接に結びついている。

ChatGPT のような AI を訓練して、「ハルシネーション」を間違いとして潰すのではなく、よりよい「幻覚」を見せるように最適化したらどうなるだろう、とルキダスは書く。文学のスタイルを理解し、そのスタイルの限界に挑戦し、新しいものへと突き進むモデルを構築することは可能だろうか。それと同じことを他の芸術分野でもできるだろうか。

ルキダスは、数か月前なら自分はその問いを否定しただろうが、今は考えを変えているという。ニュース記事を作成するアプリが作り話をしたらそれはバグだろうが、作り話は人間の創造性には欠かせない。ChatGPT のハルシネーションは、「人工的な創造性(artificial creativity)」の頭金なのかもね、とルキダスは締めている。

うーん、正直その発想はなかった。ヤン・ルカンが書くように「LLMはでっち上げをしたり、近似的な回答をしたりする」「LLMの欠点は人間のフィードバックによって軽減できるが、修正はできない」なら、その「でっち上げ」が活きる分野に最適化してみては、というのは面白い視点といえる。

AIが生む新たな非正規雇用と貧困の「ゴーストワーク」についての本の邦訳がようやく出る

yamdas.hatenablog.com

メアリー・グレイとシド・スリの『Ghost Work』については3年近く前に取り上げているが、GAFA に代表される巨大テック企業の人工知能の「魔法」のような機能を実現する裏で、膨大な量の学習データをひたすらラベル付けする安月給の人間のホワイトカラー非正規労働者が、日常的にサービス残業を強いられ、労働条件に対する要求が繰り返し退けられてきた話は、現在もなくなってはいない。

そう、少し前に書いた「インチキAIに騙されないために」でも、アーヴィンド・ナラヤナンらは「AI報道で気をつけるべき18の落とし穴」として、AI ツールの技術的進歩を持ち上げる一方で人間の労働を軽視する、この「ゴーストワーク」の問題を挙げている。

さて、調べ物をしていて、この本の邦訳が4月に晶文社から出るのを知った。

原書が出たのが2019年春なので、およそ4年のタイムラグだが、これは今なお価値のある邦訳刊行に違いない。

マリアナ・マッツカートの新刊はコンサルタント業界をぶった斬る

マリアナ・マッツカートというと、新年に放送された「欲望の資本主義2023 逆転のトライアングルに賭ける時」にも出演していたが、来月に共著の新刊 The Big Con が出ることを知る。

「大きな詐欺」という書名、そして「いかにコンサルティング業界がビジネスを弱体化し、政府を無力化し、我々の経済を歪めているか」という副題から明らかなように、1980年代以降の新自由主義の波に乗ったコンサル業界の悪を糾弾するものである。

これは山形浩生への意趣返しでしょうか(冗談です)。

ステファニー・ケルトンなどが推薦の言葉を寄せていますな。

詳しい情報は、マリアナ・マッツカートのサイトのページを参照ください。共著者は、マッツカートが博士号の指導教官を務めた教え子みたい。

ライブ用耳栓を使うのが失礼もなにも、ミック・ジャガーも使ってるぞ

www.j-cast.com

旧聞に属する記事だが、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインみたいにライブの客に耳栓を配る話を知る者としては、「ライブ用耳栓を使うのは失礼」ってどういう価値観なんだと不思議に思ってしまう。

まぁ、マイブラはちょっと特異かもしれないが、これで思い出した話があるので、1989年からおよそ15年読者だった雑誌 rockin' on の過去記事をとりあげる「ロック問はず語り」、今回は1990年2月号に掲載されたローリング・ストーンズのツアー取材記事を紹介させてもらう。

この記事は、ストーンズとの交流も長いジャーナリストのリサ・ロビンソン(この記事における、彼女が目撃した1970年代中盤のストーンズのツアーにおけるラリラリぶりについての記述も興味深い)が1989年の久方ぶりのストーンズの全米ツアーを取材したものであり、この号が発売されてまもなく1990年の初来日公演が実現している。

この記事の中で、ミック・ジャガー(この号の表紙も彼)がライブ用耳栓について言及しているくだりがある(引用中の「M」はもちろんミックのこと)。

 楽屋裏に戻るとチャーリーはコーヒーをすすり、キースは玉を突き、キースのマネージャーが新しく買ってきた耳栓をいじっている。
「俺もこういう耳栓を使ってるんだぜ。この人の雇主のせいでな」と言いながらミックはキースのマネージャーを指差す。
M「全く音がでか過ぎるってんだよ。この間なんか少し音量を下げてくれたもんだから、俺もつい嬉しくなって駆け寄って思いっきりキスしてやったんだ。案の定、キースは何のことやらさっぱりわからず目を丸くしてたけどね」

ライブ用耳栓を使うのが失礼もなにも、お前、ミック・ジャガーにも同じこと言えるの? という話だった。彼が耳栓を使うのは、単純に「キースのギターの音がでかいから」というのは笑える。具体的には忘れたが、この後にもミックが耳栓についてインタビューで言及したのを読んだ覚えがあり(キースのギターの音がでかいので、彼がいる側だけ耳栓をつけていると語っていたような)、その使用はこのときだけではなかったはず。

そうそう、ストーンズといえば、豪華ゲストを招いた2012年のライヴを収録した『GRRRライヴ!』が出たばかりですな。結成50周年ツアーというのもこないだの話みたいに思えるが、思えばもう10年以上前の話なんだな。

WirelessWire News連載更新(ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ)

WirelessWire News で「ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ」を公開。

今回は Walled Culture 並びにグリン・ムーディをフィーチャーしている。昨年秋に PDF ファイルをダウンロードしてままになっていた書籍版『Walled Culture』を年明け読み、よしこれをネタにしようと決めたのだが、そのうちP2Pとかその辺のお話Rheatwave_p2p さん(通称、熱波ちゃん)による Walled Culture のエントリの日本語訳がばんばん続いたため、これ幸いと文中で執拗にリンクさせてもらった。

熱波ちゃん、ありがとう!

Amazon では Kindle 版も99円で売っているが、Walled Culture のサイトで PDF、ePub、mobi 形式で無料でダウンロードできるので、紙版がほしい人でなければ、公式サイトから入手しましょう。

さて、昨年夏に WirelessWire News 連載を再開させ、今回で10回書いたことになる。実は、昨年のうちに10回分の原稿料を前払いでいただいていたのだが、今回でノルマを果たし、これで借りがなくなったことになる。

ここで300回分くらい原稿料を前払いしていただき、プレッシャーでワタシを押しつぶしていただきたいですな!(冗談です)

カオスエンジニアリングの情報セキュリティへの適用がテーマの本が夏に出る

カオスエンジニアリングとは何か? ご本尊にある定義は以下の通り。

カオスエンジニアリングは、システムが本番環境における不安定な状態に耐える能力へ自信を持つためにシステム上で実験を行う訓練方法です。

カオスエンジニアリングの原則 - Principles of chaos engineering

もう少しかみ砕いた定義は以下のあたりか。

カオスエンジニアリングはわざと本番システムの一部に障害(サーバーダウンや応答遅延)を起こしてすぐ自動復旧させることを繰り返し、本当の障害発生に備える運用方法である。

3分でわかる カオスエンジニアリング | 日経クロステック(xTECH)

現実の事例で言えば、Netflix がこの手法で Amazon Web ServicesAWS)の大規模障害を乗り切ったことで知られる。これについては「AWS大規模障害を乗り越えたNetflixが語る「障害発生ツールは変化に対応できる勇気を与えてくれる」」を参照いただきたい。

本番システムで実際に障害を起こして自動復旧を繰り返すという手法は、常に攻撃にさらされた中で安全なシステムを設計、構築、運用することを求められる情報セキュリティ分野にこそ有用ではないかと以前からぼんやり思っていた。ワタシの他にもそう考える人が多かったのか、オライリー本家から Security Chaos Engineering という本が今夏に刊行予定なのを知る。

円安は昨日今日に始まった話ではないが、これの価格には言葉を失った……。

オライリー・ジャパンからは昨年『カオスエンジニアリング』というズバリな本が出ているが、来年には上記の本の邦訳『セキュリティ・カオスエンジニアリング』が出てほしいところ。

アンリ・ベルクソンは熱狂的な女性ファンを集めた最初の哲学者だった?

aeon.co

20世紀のはじめ、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは世界的な有名人だった。彼の名声は著書『創造的進化』で一気に高まり、世界的なベストセラーになったのだが、彼がパリのコレージュ・ド・フランスで講義を行うたびに大変な騒動になったらしい。講義室には収容人数のおよそ倍の700人もの人が押し寄せたとのこと。

彼の名声は世界的で、ロンドンで行った講義も大入り満員の大歓声で迎えられ、ニューヨークを訪れた際にはブロードウェイで初の交通渋滞を引き起こした……ってマジかよ!

ベルクソンがそんな「セレブリティ」だったとは知らなかったな。さらに驚くのは、彼の聴衆のほとんどが女性だったこと。ベルクソンの講演会場は大変な熱気で、何人もの若い女性が体調を崩して会場外に連れ出されたそうだが、まるでアイドルのライブの話みたい。フランスの新聞は、ベルクソンの哲学講義の厳粛さとそのファンの女性たちの軽薄さを対比させ、ベルクソンの女性ファンを「カイエット」(小鳥の一種、軽薄なおしゃべり女の意味)とか「スノビネット」(哲学を学ぶより流行りの場に行くのに関心がある無知な社交家の意味)とか呼んで面白おかしく書きたてたそうな。

そうして、ベルクソンの哲学自体だけでなく、「なんでベルクソンはそんなに女性に人気なのか?」「ベルクソンの哲学は女性的なのか?」も当時議論されたようだが、ワタシに哲学に関する知識が欠けているため、このあたり正しく説明できる自信がないのではしょらせてもらう。

このあたりベルクソンに対する反ユダヤ主義的な攻撃もあいまって、「女々しい」「女性的ロマン主義」などとベルクソン自身、そして女性の信奉者ともども攻撃されたとのこと。

彼の名声が高まったのは、女性参政権が議論された時期とも重なる。1913年、ベルクソンは欧州や米国でのフェミニズム運動について見解を問われた。彼は男性と女性にレベルの違いはないと述べたが、同時にすべての女性に一気に選挙権を与えることへの懸念も表明した。

結局、なんでベルクソンは特に女性に人気があったのか? 彼の講義のスタイルなどいろんな要素があったに違いないが、彼の講義が堅苦しいソルボンヌ大学の外で行われたこと、そして後のフランスでサルトルボーヴォワールの哲学が受けたのと同じく、大きな変化が可能だと信じる人たちのシンボルだったということのようだ。

ネタ元は kottke.org

今では英語圏でも映画鑑賞に字幕が必要な理由

www.openculture.com

この記事で紹介されている Vox の動画が面白い。

今では我々皆、映画鑑賞には字幕が必要だよねという内容なのだが、その理由としてなんとも皮肉な状況が浮かび上がる。

映画制作における録音や編集の技術はかつてより大きく向上しているのに、いや、むしろその結果、映画やテレビドラマの台詞は明瞭さが低下しているという現実である。

そう、この話題については、ワタシも一年以上前にエントリを書いている。

yamdas.hatenablog.com

かつてのように俳優はセットに隠されたマイクに向かって台詞を明瞭に叫ばなくても、音を拾ってもらえる。しかし、それにより「より自然な演技」も可能になり、その結果俳優がなんと言っているか分かりにくくもなっちゃった。

Vox の動画でもやり玉にあがっているのが、俳優ではトム・ハーディ、監督ではクリストファー・ノーランというのがワタシのエントリと共通するが、考えることは皆同じなんだろうね。

Dolby Atmos など新しい立体音響技術が開発される一方で、動画コンテンツの視聴は映画館にとどまらず、テレビ、パソコン、タブレットスマートフォンと多様化しているのも問題である。

この動画で最後に挙げられるアドバイスは以下の3点。

  1. 良いスピーカーを買う(さもなくば、音の良い映画館に行く)
  2. 鎮静剤を飲む
  3. 字幕を常にオンにする

というのがオチになってるわけだが、この映画鑑賞に字幕が求められることの副次的な効果として、アメリカ人が外国語映画を字幕で観ることへの抵抗感が減ったことがあるのではないか。

『パラサイト 半地下の家族』で非英語作品で初めてアカデミー賞作品賞を受賞したポン・ジュノが言うところの「字幕という1インチの壁」アメリカ人が乗り越えるのに結果的に貢献していると思うのだが、どうだろう。

「オールナイトニッポンPremium~高橋幸宏さんを偲んで」が楽しみだ

www.allnightnippon.com

高橋幸宏さんの訃報は、新年早々のとても悲しいニュースだったが、これは嬉しいなぁ。

YMO が音楽の原体験のひとつであるワタシにとって、オールナイトニッポンと言えば、「高橋幸宏のオールナイトニッポン」だったりする。

もっともこれを放送していたおよそ40年前、ワタシは夜にはめっぽう弱く、リアルタイムではなく兄がカセットテープに録音した音源を聞いていたんだけど。

YMO とお笑いというとスネークマンショーがまず浮かび、また「高橋幸宏オールナイトニッポン」でも出演していた大久保林清(景山民夫)との比較で、ワタシの周りでスーパー・エキセントリック・シアターのことをほめる人は見たことないのだが、当時小学校低学年、中学年だったワタシは、割と素直に笑っていました。

高橋幸宏オールナイトニッポン」の最終回である散開ライブスペシャルは、それこそカセットテープが擦り切れるほど聞いて、これも随分昔になるがミヤノさんに MD に落としてもらい感動してまた聞いたものである。

その散開ライブスペシャルだが、日本武道館での散開ライブでの録音はもちろん、坂本龍一細野晴臣矢野顕子鈴木慶一立花ハジメといった豪華メンバーが(電話)出演していたが、開演前、武道館の楽屋にいたピーター・バラカン高橋幸宏が「おかまのピーターさん」と呼びかけたり、坂本龍一がインクスティックで立花ハジメをぶん殴った話を高橋幸宏が暴露して、立花ハジメにその時の感想を聞いたり(立花ハジメ曰く、「痛かったですよ……」)、今ではありえないような内容のですね――(昔話が続く)

幸宏さんの追悼番組は他にもあるが、「高橋幸宏オールナイトニッポン」がまた聞けるのは特に嬉しい。大久保林清のトークもフィーチャーしてくれると特に嬉しいのだが。

ギャル電、山崎雅夫、秋田純一、鈴木涼太、高須正和『感電上等! ガジェット分解のススメ HYPER』を恵贈いただいた

高須正和さんより『感電上等! ガジェット分解のススメ HYPER』を恵贈いただいた。

表紙に著者5名のイラストが躍っているが、本の中でもキャラ化している著者たちが暴れまくっており(と表現したくなる)、楽しく読める。以下、引用部にはその部分が誰の文章かをカッコ書きする(敬称略)。

本書はガジェットの「分解」についての本であり、メイカームーブメントの範疇に分類されるだろう。「分解」と聞いてワタシが連想するのは「修理する権利」だが、本書が扱う「分解」は「修理」に限定されるものではまったくない。

分解のゴールは修理だけじゃなくて、単純にケースを開けて中身を見て「なんか思ったよりも部品が全然入ってないなー」とか、逆に「なんでこんな部品入ってるの?」って、正解じゃなかったとしても、仕組みを自分で考えてみるのは超楽しい。(ギャル電)

大事なのは、「正気に戻る前に作り終える」こと。「これって何の役に立つのかな」とか「将来に対する漠然とした不安」とか考え出す前に「これとこれくっつけたら最高楽しそう!いえーい!!」って気持ちのまま作り上げるのがポイントだよ。(ギャル電)

「将来に対する漠然とした不安」という表現がイイな。芥川龍之介みたいで(あちらは「将来に対する唯ぼんやりした不安」でした)。

とにかく分解は楽しいから始めようよ、その結果をシェアしようよという姿勢に本書は貫かれており、本の構成的にも分解を始める敷居を下げる配慮がされている。「100円ショップのコスメコーナーは宝の山(秋田純一)」といったお役立ちな情報に事欠かないし、それには本書に盛り込まれている危険なポイントを察知する話、大げさではない失敗談も含まれる。

そうして「「仕組みがわかる快感」「自分の力で答えを見つける快感」こそが、分解のバイブス(高須正和)」とか「分解は人生を楽しむための自然な方法(アンドリュー・"バニー"・ファン)」といった名言の境地までたどり着いているわけだが、それは読者も到達可能なのだ。

本書は何より実用的な本だが、それだけではなくて、「世界の電気街探検」みたいな話までぶち込んでいるところは、巻末の付録「中国語技術用語集」なども含め、高須さんの面目躍如というべきか。

前記の通り、本書では5人の著者が一種の戦隊もののようにキャラ化されているが、その中でもっとも常識人の真人間のよう描かれている秋田純一金沢大学教授が、チップの中まで油で揚げてバーナーで炙って攻めまくる話を別にしても、時にもっとも発言がクレイジーだったりするのも面白いところである。

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