AI によって生成された一見正確そうに見える文章が、よく読むとと存在しない情報源や学術論文を平気で引用してたりするハルシネーションの問題があるのは既に知られているが、それをオンライン百科事典に載せてしまっては、完全な情報の捏造になってしまう。
ウィキペディアについての著者があるジョージア工科大学教授のエイミー・ブラックマン(Amy S. Bruckman)は、結局は大規模言語モデルを使おうが事実と虚構を見分ける能力を持ってないといかんだろ、ちゃんと人間が確認しないとウィキペディアの品質を低下させる可能性があるので、とっかかりとして利用するのはいいとして、ちゃんと全部検証されなければならない、と指摘する。
一方で、大規模言語モデルがウィキペディアのコンテンツを学習に使うのを許可すべきかについてもコミュニティで意見が分かれているようだ。オープンアクセスはウィキペディアの設計原則の基盤だが、OpenAI などの AI 企業が開かれたウェブを悪用し、自社のモデル用に閉じた商用データセットを作り上げるのを危惧する人もいる。
過去にも機械翻訳や荒らしの除去などの目的で、自動化システムはウィキペディアで既に利用されてきたが、AI 自体の利用を好ましくないと考えるウィキペディアンがいる一方で、ウィキメディア財団は AI をウィキペディアなどの傘下のプロジェクトにおけるボランティアの作業をスケールアップするのに役立たてるチャンスととらえているようだ。それでもウィキメディア財団の広報担当者は、人間の関与がもっとも重要な要素であることは変わらず、飽くまで AI は人間の作業を補強するもの、とも語っている。
ただ、最近テック系の話題はすっかり生成型 AI に持っていかれ、「Web3」は随分と影が薄くなった印象がある。個人的に笑ったのは、伊藤穰一のポッドキャストで、シリコンバレーの VC の多くが Web3 から AI にシフトしてしまったこと、そして「少し前まで Web3 専門家だったのが、今では AI 専門家みたいな顔をしている」とからかったり、バカにする人がいる話をした後で、伊藤穰一が「自分もそれだなみたいな感じで――」といささか居心地悪く語っていたこと。
現存する米国のコンピュータ雑誌の中で何とか命を繋いできた最後の2誌である Maximum PC と MacLife が紙の雑誌から撤退したことで、半世紀近く(!)続いたコンピュータジャーナリズムの紙媒体時代は幕を閉じたとマクラケンは宣言している。
マクラケンが PC World に入社したのは1994年で、そのウェブサイトを開設したのと同じタイミングだったそうだ。やがて、月1回発行されるコンピュータに関する出版物というものが、少しばかりバカバカしく感じられるようになったと彼自身認めている。事実、ウェブは雑誌の収益源を支えた広告ビジネスにも打撃を与えた。
そうしてウェブが一夜にして雑誌を終焉に追い込んだ……なんてことはなく、1990年代後半は PC World がもっとも豊かな時代だったし、彼が退社した2008年においてすら、雑誌は利益の中心だったそうだ。
PC World が紙の雑誌を止めたのは2008年で、マクラケンが退社した直後だったが、以降他の雑誌もそれに続き、マクラケンは2013年に在籍していた TIME 誌で、コンピュータ雑誌の時代は終わったと書いている。
今回紙の雑誌を終わらせる Maximum PC と MacLife は、むしろインターネットが存在しないかのようにふるまうことで存続してきたが、雑誌自体枯れ細って死ぬがごとき有様で終わりを迎えた。
我々は紙に印刷されるコンピュータ雑誌の終焉を嘆くべきか? とマクラケンは問いかけるが、彼の考えはアンビバレントだ。人々の生活に密着したテクノロジーに関する情報を提供する方法として、ウェブは紙よりもはるかに優れている。しかし、オンラインメディアは紙の雑誌のような活気に満ちたビジネスを生み出せなかったとマクラケンは指摘する(PC World には、ノートパソコンからテレビにいたるあらゆる製品のベンチマークを行う技術者を擁する広大なラボがあったという話はすごいねぇ)。
著者の前著である『Privacy as Trust: Information Privacy for an Information Age』(asin:B07B7N1T8D)は、斉藤邦史氏の論文「プライバシーにおける「自律」と「信頼」」でも言及されているが、そろそろプライバシーについてのしっかりした本の邦訳がほしいところ。
マリアナ・マッツカート(Mariana Mazzucato)、Rosie Collington『The Big Con: How the Consulting Industry Weakens Our Businesses, Infantilizes Our Governments, and Warps Our Economies』
彼女の研究には批判もあるのだが、彼女の本の邦訳が出て、そのあたりの議論も日本で紹介されるといいと思う。しかし、今や猫も杓子もな AI の本の邦訳が出ないとは思わなかったな。彼女の文章が掲載された本は、『未来と芸術 Future and the Arts』(asin:4568105234)くらいだったはず。
エズラ・クラインまでもが AI について書いている。彼によると AI を取材していると面白い体験をするという。ハイプまみれの若いテック業界なのに、多くの人が、歩みが遅くなってもいいから AI が規制されることを切望しているというのだ。昨今の AI をめぐる競争により、あまりに事態の進展が速くなっているのに恐れをなしたということだろうか。そして、一握りの企業だけに舵取りを任せてはおけないというか。