当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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TAR/ター

いやぁ、すごい映画だった。恥ずかしながら、トッド・フィールドの監督作を観るのはこれが初めてなのだが、映画としての格からして違う感じだった。

ケイト・ブランシェットという人は、身もふたもなく言えば、現在の映画界でもっとも演技が上手い俳優である。その彼女が、天才女性指揮者、作曲家を演じ、全編にわたりほぼ出ずっぱりの本作は、「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」(EMPIRE)としか言いようがない。

そして彼女は、アカデミー賞主演女優賞をとった『ブルージャスミン』もそうだったが、観客に感情移入を安易にさせない、感じの悪い主人公を演じるのが好きな人なのだけど、本作はその点で『ブルージャスミン』をも超えている。

映画は事前情報はあまり入れずに観るワタシにしても、本作については、主人公の役柄やキャンセルカルチャーとの兼ね合いといった話はどうしても耳に入っていた。本作にもハラスメント描写はあるが、それよりも主に登場人物の微妙な視線や、主人公の不安を喚起する音、そして「時間のコントロール」を強調する主人公がコントロールを失っていく姿の表現が勝っている。

主人公の妻が言うように、その妻にしろ秘書役にしろ、彼女たちと主人公の関係は利害関係だけに依っていたのが主人公が陥る苦境ともにあらわになり、クライマックスの決定的な破綻の場面で「!!」となるわけだが、ここで映画は終わらない。

主人公は故郷の家に戻り(そこで彼女の出自が明らかになる)、レナード・バーンスタインが音楽について語る古い映像に涙する。ここで終われば、『ブルージャスミン』ではないが、『カイロの紫のバラ』のようなウディ・アレン作品にも似た感触をもって終わったかもしれない。

しかし、ここでもこの映画は終わらない。そこが実はすごい。明らかにかつてよりも格下のキャリアアドバイザーからの表層的な言葉を受け、東南アジアというこれまで彼女が上り詰めてきた西欧エスタブリッシュメントの世界とまったく別のステージに向かう。

ここで余談になるが、昔「エンディングに砂浜が出てくる映画は大体名作(大ざっぱすぎ)」という痴れ言を書いたことがあり、その後、第二弾として「主にエンディングだけに日本が出てくる洋画は大体名作」というネタを考えたことがある。これだけでピンときた人もいるだろうが、『スパイナル・タップ』『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』からの連想なのだが、あとはタワーレコードについてのドキュメンタリー映画『オール・シングス・マスト・パス』くらいしか浮かばずに断念した(他にご存じの方は教えてください)。

本作のエンディングは、普通に観れば上記の構図の逆パターン、主人公の転落のダメ押しと解釈してもよいだろうが、主人公は飽くまで「作曲家の意図の解釈」という姿勢を崩さず、「時間のコントロール」の権限を失いながらもタクトを振り続けることで、映画自体として破綻しながらも、主人公は新しいステージに立ったとも言えるのではないか。

さて、ここまで書いたので、ようやくこの映画についての文章を読むことができる。まずは、トッド・フィールド監督のインタビューから読ませてもらおう。

AIがウィキペディアを引き裂きつつある?

www.vice.com

ひと月前に「ウィキペディアはAIによって書かれるようになるかジミー・ウェールズが考察」なんてエントリを書いたのだが、既に現実には AI に生成されたコンテンツと誤情報の増加にどう対応するかを巡り、ウィキペディア編集者の間で意見が割れているとな。

AI によって生成された一見正確そうに見える文章が、よく読むとと存在しない情報源や学術論文を平気で引用してたりするハルシネーションの問題があるのは既に知られているが、それをオンライン百科事典に載せてしまっては、完全な情報の捏造になってしまう。

ウィキペディアについての著者があるジョージア工科大学教授のエイミー・ブラックマン(Amy S. Bruckman)は、結局は大規模言語モデルを使おうが事実と虚構を見分ける能力を持ってないといかんだろ、ちゃんと人間が確認しないとウィキペディアの品質を低下させる可能性があるので、とっかかりとして利用するのはいいとして、ちゃんと全部検証されなければならない、と指摘する。

ウィキメディア財団もただ手をこまねいているだけではなく、ボット生成コンテンツを特定するツール作成を検討しており、大規模言語モデルを使ったコンテンツ生成に関するポリシーの策定にも取り組んでいるとのこと。

一方で、大規模言語モデルウィキペディアのコンテンツを学習に使うのを許可すべきかについてもコミュニティで意見が分かれているようだ。オープンアクセスはウィキペディアの設計原則の基盤だが、OpenAI などの AI 企業が開かれたウェブを悪用し、自社のモデル用に閉じた商用データセットを作り上げるのを危惧する人もいる。

オープンアクセスと責任ある AI 利用のための行動制限を組み合わせたライセンスのもとで公開された大規模言語モデル BLOOM の利用も提案されているとのことだが、大規模言語モデル向けライセンスがオープンコンテンツ方面で求められているのかもしれませんね。

過去にも機械翻訳や荒らしの除去などの目的で、自動化システムはウィキペディアで既に利用されてきたが、AI 自体の利用を好ましくないと考えるウィキペディアンがいる一方で、ウィキメディア財団は AI をウィキペディアなどの傘下のプロジェクトにおけるボランティアの作業をスケールアップするのに役立たてるチャンスととらえているようだ。それでもウィキメディア財団の広報担当者は、人間の関与がもっとも重要な要素であることは変わらず、飽くまで AI は人間の作業を補強するもの、とも語っている。

最後にまたエイミー・ブラックマンによる、もはや「使うな」とは言えないのだから、使う以上はできるだけコンテンツ(が正しい引用がなされているか)をチェックするしかない、とやはり穏当なコメントで記事は締められている。

こないだ「Wikipedia公式の「不毛なWikipedia編集合戦」事例集」なんて記事を読んだが、これからは AI 同士の編集合戦ならぬ編集戦争に人間の編集者が付き合うことになり、人間による不毛な編集合戦が懐かしいよ、と思う時代がくるのかもね。

無形文化遺産を祝うWiki Loves Living Heritage(がもうすぐ終わる)

ich.unesco.org

ゴールデンウィーク前に Creative CommonsYouTube チャンネルに Ethics of Open Sharing with Creative Commons & Wiki Loves Living Heritage という動画があがっているのに気づき、「Wiki Loves~」というキャンペーンが過去にもあったので、今回もそれかと調べたら、ユネスコのサイトに告知があがっていた。

Wiki Loves Living Heritage日本語版)とは、UNESCO の無形文化遺産の保護に関する条約署名20周年を記念し、無形文化遺産への関心を促すキャンペーンだったのね。

5月4日から5月18日までということで、ほとんど終わりかけの紹介となって申し訳ないという感じではあるが。

そういえば「Wiki Loves~」のキャンペーンって他に何があったっけと調べたが、以下のあたりかな。

少なくともこれらはウィキメディア財団が関わり、成果となる画像などは Wikimedia Commons に保存される……という理解でよいですよね?

開発並びにデプロイにドキュメンテーションを統合するEtsyのDocs-as-codeの取り組み

www.etsy.com

Etsy といえば、「お母さんにも分かるWeb 2.0」などと紹介されていたのも今や昔、少し前に Netflix で『メイドの手帖』を観ていたら、Etsy の名前が当たり前のように出てきて、もうそういう存在なんだなと思った次第。

その Etsy の開発ブログで、Docs-as-code の取り組みが紹介されている。

正直、ワタシはこの Docs as Code という言葉すら知らなかったのだが、ソフトウェア業界における長年の問題であるドキュメンテーションについて、コーディングと同じツール、手順を採用することで開発にドキュメンテーションを統合する手段として出てきたのが、この docs-as-code というアプローチなんですね。

ソフトウェアのソースコードの管理と同じくらいの厳密さをもってそのドキュメントを管理することを目的とするもので、ドキュメントの作成、バージョン管理、レビュー、公開をよりスムーズで効率的に行いながら、信頼性をあげることを目指すものである。

そのためにはドキュメンテーションをコードの付属品ではなく、ソフトウェア開発プロセスにおいてコーディングと同じくらい重要視しないといけないし、バージョン管理や共同作業を考えるなら Markdown などのプレーンテキスト形式を作成しないといけないし、ドキュメントの信頼性やユーザ体験を向上させるためにワークフローはできる限り自動化しないといけない。

Etsy では Docsbuilder という Markdown ベースのツールを使っているみたい。現在、150もの Docsbuilder のプロジェクトサイトで、6200ものページがホストされているというのだから、もはや Etsy の開発並びにデプロイのプロセスに統合されていると考えてよいのだろうな。

この手の話で文芸的プログラミングの話を持ち出すのは、さすがに時代がもう違うということなのだろう。ソフトウェアが複雑になれば、ドキュメントの利便性はチームの生産性に関わる問題になるだろう。docs-as-code アプローチについての決定版となる書籍が書かれる日はくるのだろうか。

ネタ元は O'Reilly Radar

ウェス・アンダーソンが『天才マックスの世界』のスタイルで『トルーマン・ショー』『アルマゲドン』などを再演するショートムービー

kottke.org

最近、ウェス・アンダーソンのスタイルで AI により生成した『スターウォーズ』『ロード・オブ・ザ・リングス』の新作の予告編が話題になったりした。

実は、ウェス・アンダーソンはかつて、自身の監督作『天才マックスの世界』のスタイルで、『トルーマン・ショー』、『アルマゲドン』、『アウト・オブ・サイト』を再演するショートムービーを作り、1999年の MTV ムービー・アワードで放送していたとな。こんなの全然知らなかったよ!

別にこれが映画史に残るパロディーとか言うつもりはないが、このショートムービーに漂う幸福感はなんだろう。これが発表された1999年は、後に「映画史上(最後の)最高の年」と呼ばれることになったのに勝手に符合めいたものを感じてしまう。

もちろんウェス・アンダーソンをはじめとして、彼が再演した元作品を監督した人たちも今も一線で活躍している。しかし、今のアメリカ映画界には、この当時にあった幸福感はもはやない。ここでまた「映画の終焉」というフレーズが頭に浮かんでしまうのである。

ヴィタリック・ブテリン『イーサリアム 若き天才が示す暗号資産の真実と未来』を恵贈いただいた

yamdas.hatenablog.com

以前、邦訳刊行を取り上げた縁で、日経BPの田島さんからヴィタリック・ブテリン著、ネイサン・シュナイダー編『イーサリアム 若き天才が示す暗号資産の真実と未来』を恵贈いただいた。

しかし、本を読むのが致命的に遅いため、読了まで時間がかかりすぎてしまい申し訳なし。

本書は、イーサリアム創始者であるヴィタリック・ブテリンが2014年から2021年にかけて書いた文章をネイサン・シュナイダーが編集し、まとめた本である(編者のネイサン・シュナイダーによる序文)。やはりヴィタリック・ブテリンが執筆したイーサリアムホワイトペーパーも収録しており、イーサリアムについての読み物として、その最前線にいる人が書いたもっともまとまった論考といえる。

本書の邦訳作業は大変だったろうな。本書には巻末に「用語集」があり、本文中にも原注がそれなりの数ついてあるが、それだけでは分かってはもらえないと訳注にも紙幅を割かねばならない種類の本なので。ワタシ自身、普段からその界隈にどっぷり入りびたっている人間ではないので、本書を読んでいて自分がブテリンの議論を真に理解できているか自信がないところもあるのが正直なところ。

それはともかく、ビットコインに代わる優れた基盤プロトコルにして、その上に分散型アプリケーションを構築可能にすることを目指すイーサリアムについて、というか「Web3」という言葉に広げても読まれる本なのは間違いないだろう。

ただ、最近テック系の話題はすっかり生成型 AI に持っていかれ、「Web3」は随分と影が薄くなった印象がある。個人的に笑ったのは、伊藤穰一のポッドキャストで、シリコンバレーの VC の多くが Web3 から AI にシフトしてしまったこと、そして「少し前まで Web3 専門家だったのが、今では AI 専門家みたいな顔をしている」とからかったり、バカにする人がいる話をした後で、伊藤穰一が「自分もそれだなみたいな感じで――」といささか居心地悪く語っていたこと。

ワタシ自身、およそ一年前に「Web3の「魂」は何なのか?」という批判的な声にかなりの分量を割いた文章を書いているが、そうした人間からすると現状を不思議に思う気持ちは特にない。

ブロックチェーンのエコシステムは、イーサリアムも含めて、自由と非中央集権化を大切にしている。だが、そうしたブロックチェーンのうち大半の公共財エコロジーは、残念ながらいまだに権威志向が強く中央集権的だ。(p.285)

界隈の停滞の原因は、「キラーアプリ」(のなさ)の問題ではないだろう。

まず、ブロックチェーン技術に「キラーアプリ」は登場しない。理由は単純、「手の届く果実から摘まれていく」原理だ。もし仮に、現代社会のインフラストラクチャのうち相当の部分について、ブロックチェーン技術のほうが圧倒的に有利だといえる用途が本当に存在するとしたら、人はとっくにそれを声高に喧伝しているだろう。(p.88)

これについては、クリプトに早くから理解を示し、報じてきた IT ジャーナリストの星暁雄氏が書く、クリプト界隈のリバタリアニズム的で必ずしも包摂的でない姿勢が大きいとワタシも考える。

ブロックチェーンコミュニティ」という概念が、政治的な色を帯びた運動としてはそれ自体意味を持たなくなる、とブテリンは2015年に書いているが、それこそ今の生成型 AI がすべての人にリーチしているように、「すべての人がウォレットを持つ」段階をもっと早くに目指すべきだったのではないか。

本書に収録されている「ブロックチェーンがつくる都市、クリプトシティ」もそうだが、本書には活きの良いアイデアが多く含まれている。第2部「プルーフ・オブ・ワーク」に収録された「非中央集権化とは何か」など、今なお立ち返る基盤となるような文章もいくつもある。ワタシのようにクリプト界隈のかつての熱狂には距離を感じてはいるが、かつて非中央集権型のウェブに期待した人間として、現状は惜しいと思うし、「クリプトの冬」でも本書は読まれる価値があると考える。

暗号経済の研究コミュニティと、AIの安全性や新しいサイバーガバナンスや人類絶滅リスクを扱うコミュニティは、どちらも根本的には同じ問題に取り組もうとしている。我々は作られてから柔軟性を失ってしまった、ごく単純なばかダムシステムを使って、新しく登場し予測不能な特性をもつ、きわめて複雑で極めて賢いスマートなシステムを、はたして制御できるのかという疑問だ。(p.114)

アメリカでもコンピュータ雑誌は終焉を迎えようとしている

www.technologizer.com

今月のはじめ、『WEB+DB PRESS』休刊のお知らせ波紋を呼んだ

同じ技術評論社から出ている Software Design にはワタシも寄稿しているが、『WEB+DB PRESS』にはついぞその機会がなかったし、必ずしも良い読者でもなかったのだが、それでも悲しさを覚えるのは確かである。まずは編集長の稲尾尚徳さんに(まだ早いが)お疲れ様と言いたい。

そういえばアメリカにおけるコンピュータ雑誌の終焉についての記事が先月あったなと思い出した。

この記事の著者のハリー・マクラケン(Harry McCracken)は、かつて PC World の編集長だったテック系雑誌編集者のベテランである。

現存する米国のコンピュータ雑誌の中で何とか命を繋いできた最後の2誌である Maximum PC と MacLife が紙の雑誌から撤退したことで、半世紀近く(!)続いたコンピュータジャーナリズムの紙媒体時代は幕を閉じたとマクラケンは宣言している。

マクラケンが PC World に入社したのは1994年で、そのウェブサイトを開設したのと同じタイミングだったそうだ。やがて、月1回発行されるコンピュータに関する出版物というものが、少しばかりバカバカしく感じられるようになったと彼自身認めている。事実、ウェブは雑誌の収益源を支えた広告ビジネスにも打撃を与えた。

そうしてウェブが一夜にして雑誌を終焉に追い込んだ……なんてことはなく、1990年代後半は PC World がもっとも豊かな時代だったし、彼が退社した2008年においてすら、雑誌は利益の中心だったそうだ。

しかし、この時点で実は既にコンピュータ雑誌のビジネスは終わる必然にあり、『ルーニー・テューンズ』のワイリー・コヨーテが崖の先まで飛び出しているのに、自分がいずれ落下するのに気づいていないみたいな状態だったと振り返る。事実、1990年代後半から有力コンピュータ雑誌が徐々に廃刊を迎える。

PC World が紙の雑誌を止めたのは2008年で、マクラケンが退社した直後だったが、以降他の雑誌もそれに続き、マクラケンは2013年に在籍していた TIME 誌で、コンピュータ雑誌の時代は終わったと書いている。

今回紙の雑誌を終わらせる Maximum PC と MacLife は、むしろインターネットが存在しないかのようにふるまうことで存続してきたが、雑誌自体枯れ細って死ぬがごとき有様で終わりを迎えた。

我々は紙に印刷されるコンピュータ雑誌の終焉を嘆くべきか? とマクラケンは問いかけるが、彼の考えはアンビバレントだ。人々の生活に密着したテクノロジーに関する情報を提供する方法として、ウェブは紙よりもはるかに優れている。しかし、オンラインメディアは紙の雑誌のような活気に満ちたビジネスを生み出せなかったとマクラケンは指摘する(PC World には、ノートパソコンからテレビにいたるあらゆる製品のベンチマークを行う技術者を擁する広大なラボがあったという話はすごいねぇ)。

だからといって、今のコンピュータジャーナリズムを捨てて1995年に戻る魔法のスイッチがあったとしても自分はそれを使うことはない、とマクラケンは釘をさす。

コンピュータ雑誌の時代は終わったのだ――でも、なんて時代だったんだろう、とマクラケンは締めくくっている。

彼の記事の最後にもリンクがあるが、Internet ArchiveGoogle Books に昔の紙の雑誌がスキャンされて読めるのがあったりするのはすごいよね。

さて、コンピュータ雑誌の時代が終わったというのは日本でも同様だろう。そうした意味で、日本でも技術雑誌をデジタル化して復刻するプロジェクトが広がってくれないかと思う。

あと『WEB+DB PRESS』に関しては、とりあえずWEB+DB PRESSカンファレンスなど実現するといいな。

ネタ元は Slashdot

ダグラス・ラシュコフの新刊『デジタル生存競争』が来月出るぞ!

yamdas.hatenablog.com

これを書いた後に、ワタシ自身以前にお世話になったことがあるボイジャーの鎌田社長から、この本の翻訳を手がけていることを教えてもらい、喜んでいた。

で、先月、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2023年版)」を書いていたときにこの本について入れようかどうかと思っていたところに、タイミング良く邦訳刊行の情報が公開された。

www.voyager.co.jp

億万長者の危険な生き残り思想を論じる本の邦訳は、イーロン・マスクの危険性が露になった2023年に求められているものだと、ゴールデンウィーク中に以下の文章を読んだときも切実に思いましたね。

ジェフ・ベゾス、リチャード・ブランソン、イーロン・マスクなどといった億万長者たちが宇宙征服とロケットの神秘という誇大妄想に取り憑かれた。星を征服するという妄想を中心に据えて、自分でロケットカルテルをつくり、地球を搾取する独自計画を立てている。大衆に空を眺めさせ、ナチスのV-2計画を率いたヴァルター・ドルンベルガーが「いにしえから伝わる夢」と呼んだ宇宙旅行や、火星ににぎやかな植民地をつくるというSFチックな妄想に夢中にさせていれば、誰もこの退屈な地球上で起こっていることに気づかない、とでも思っているのかもしれない。ピンチョンの描いた歴史が、現実になりつつある。

人類はいまだに、トマス・ピンチョンの『重力の虹』の下で生きている | WIRED.jp

訳者は『ネット社会を生きる10ヵ条』asin:B0893HK8X9)、『チームヒューマン』(asin:B095NTWH43)に続いて堺屋七左衛門さんだ。ワオ!

電子版と紙版が6月末に同時発売されるが、両者で値段に差があるのにご注意ください。

ケヴィン・ケリーが人生のアドバイスをまとめた本を出していた

bookfreak.substack.com

Mark Frauenfelder のニュースレターで知ったが、ケヴィン・ケリーの新刊が今月出ていた。といっても以前紹介した『消えゆくアジア』ではなく、人生のアドバイス本である。

ケヴィン・ケリーは68歳の誕生日に「68個のお節介な助言」、69歳の誕生日にさらに99個のアドバイス、そして昨年の70歳の誕生日には「若いころ知っておけばよかった103のこと」をしたためている。

今回の新刊はそれらをまとめたものなんでしょう。詳しい情報は著者のサイトのページを参照くだされ。

『テクニウム』『〈インターネット〉の次に来るもの』と比べるとテクノロジー寄りでない、どちらかというと自己啓発書にも近い内容であり、この新刊に推薦の言葉を寄せている面々にダニエル・ピンクやセス・ゴーディンがいるのはそういうことなのだろう。

これまた紙の本と電子書籍では値段がかなり違うので、買うなら後者でしょうかね。

search/#サーチ2

『search/サーチ』がとても良かったので、その設定を引き継いだ続編的作品というのに惹かれ、ゴールデンウィークに入る前に観てきた。

パソコンの画面上ですべてのストーリーが展開するという設定は前作ほど徹底しておらず、最初はなんで18歳の娘の享楽的な生活を観なならんのかという気分になったが、母親が行方知れずになるとどんどん話に引き込まれる。

前作は失踪した娘を父親が捜索する話だったが、今回はそれをひっくり返して娘が失踪した母親を探す話なのだけど、前作にはなかった親側の今日的な夫婦の問題が重要な設定になっており唸らされた(それについて書くと完全にネタバレになってしまうので以下略)。

Google などの主要アカウントのハッキングが重要というのは前作と共通するが、Netflix ドキュメンタリーが枠物語(誤用?)になるあたり、前作からのネットの変化にも対応していて巧みだった。ただ、本作における機械翻訳は、いくらなんでも都合よくいきすぎだろとツッコミたくなったな。

前作は何度かイヤな展開になりそうになりながらそれが回避される構造だったが、本作は前作よりも意外な展開があるうえに、前述の問題を含め踏み込んでいるところがあるが、主人公が力を借りる異国にいる見も知らぬおっさんの存在が和みというか、緩衝材の役割を果たしていた。

あと個人的には、主人公が『It's a Shame About Ray』(asin:B09RX33XV3)のTシャツを着ていたのが気になったのだが、Z世代でレモンヘッズ人気なの?

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2023年版)

私的ゴールデンウィーク恒例企画である「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」を今年もやらせてもらう(過去回は「洋書紹介特集」カテゴリから辿れます)。

ワタシのブログの読者でも誰も気づいていないと思うが、一年前の2022年版をやった後、ワタシは本ブログにひとつの縛りを課してきた。

このブログはだいたいにおいて、(今回のようにひとつのエントリが特に長大な場合をのぞき)一度の更新で5つのエントリを公開するのだが、そのうちの最低ひとつは洋書を紹介するエントリにしてきた……と文章で書くとなんでもなさそうだが、これはなかなかに高いハードルだった。この一年、その縛りをまっとうするために洋書に関するアンテナを張ってきた感じである。

その代わりといってはなんだが、その縛りのおかげで今年の「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」は、過去エントリを紹介するだけで苦も無く30冊の洋書(プラス執筆中の書籍ひとつ)を紹介できるのである。毎年書いていることの繰り返しだが、洋書を紹介してもアフィリエイト収入にはまったくつながらない。それでも、誰かの何かしらの参考になればと思う。

こちらの調べが足らず、実は既に邦訳が出ていたり、またこれから出るという情報をご存知の方はコメントなりで教えていただけるとありがたいです。

ライアン・ノース(Ryan North)『How to Take Over the World: Practical Schemes and Scientific Solutions for the Aspiring Supervillain』

ランドール・マンローと同じく、じきに早川書房から邦訳が出ると思うが、本についての情報は公式サイトをあたってください。

ジェイミー・バートレット『The Missing Cryptoqueen: The Billion Dollar Cryptocurrency Con and the Woman Who Got Away with It』

ジェイミー・バートレットの本はだいたい邦訳が出ているのでこれも間違いないと思うが、暗号通貨とネズミ講の組み合わせによる詐欺というのは、とても教育的な効果がある事例ではないだろうか? しかし、この「クリプトの女王」、数百億円の資産でもって地中海に浮かぶ超豪華ヨットで暮らしているらしいってスゲェ話だよな。

最近ではポッドキャストもすっかりエッジを失っちゃったねという声もあるが、犯罪実録もののポッドキャストアメリカで本当に人気で、本書のようにその書籍化、ドラマ化もすっかり一般的になっている。

デヴィッド・グレーバーPirate Enlightenment, or the Real Libertalia

デヴィッド・グレーバーの本というと、昨年末に『価値論 人類学からの総合的視座の構築』(asin:4753103714)が出ているが、これも以文社から出るんじゃないかな。

Ari Ezra Waldman『Industry Unbound: The Inside Story of Privacy, Data, and Corporate Power』

著者の前著である『Privacy as Trust: Information Privacy for an Information Age』(asin:B07B7N1T8D)は、斉藤邦史氏の論文「プライバシーにおける「自律」と「信頼」」でも言及されているが、そろそろプライバシーについてのしっかりした本の邦訳がほしいところ。

本についての情報は著者のサイトの公式ページを参照ください。

クエンティン・タランティーノCinema Speculation

タランティーノといえば、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の監督みずからによる小説化の邦訳『その昔、ハリウッド』が今月出ますね。

映画本のほうもすぐに邦訳が出るかと思ったが、分量もそれなりなのでそう簡単にいかないか。

さて、かねてより最後になると告知されてきた10作目の監督作が、なんとポーリン・ケイルを主人公とする The Movie Critic になるというニュースにかなり驚いたものだ。やはりこれはポーリン・ケイルスタンリー・キューブリッククリント・イーストウッドをぶち殺してまわる映画になるんだろうか?(冗談です)

ケイト・ブランシェットが演じるという噂が実現してほしいな。

ヴェルナー・ヘルツォーク『Das Dämmern der Welt(The Twilight World)』

ヴェルナー・ヘルツォークというと、昨年『氷上旅日記』の新装版(asin:4560094551)の邦訳が出ていますね。なんといっても小野田寛郎を題材に書かれた小説ということで、来年あたり邦訳が出るのではないでしょうか。

ヘルツォークも既に80代だが、近年も日本で映画を撮ったり、昨年も雲仙岳で亡くなったクラフト夫妻を描いたドキュメンタリー映画が公開されたりと、未だ精力的で敬服してしまう。

ロバート・フリップ『The Guitar Circle』

今ではトーヤさんとの夫婦漫才シリーズがすっかり有名になってしまったし、今年の秋はそのツアーをイギリスで行うようだが、その一方で初の著書を発表するなどしっかりした仕事もやっていて侮れない……とでも思わないとやってやれないよ!

The Guitar Circle

The Guitar Circle

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マイケル・ヘラー(Michael Heller)、James Salzman『Mine!: How the Hidden Rules of Ownership Control Our Lives』

本の公式サイト。なんといっても共著者のマイケル・ヘラーは『グリッドロック経済――多すぎる所有権が市場をつぶす』(asin:4750515639)の著者なので、強すぎる所有権の弊害を説くものなのは間違いない。日本でこの二人の文章で邦訳されているのは、「イーロン・マスクは、なぜ特許の取得に無関心なのか 権利の所有が利益に直結するとは限らない」くらいかな。

ジャレド・ダイアモンドやキャス・サンスティーンなどが推薦の言葉を寄せていているが、『グリッドロック経済』からどれだけ議論を先に進めているかが邦訳が出るかのポイントでしょうかね。

デーヴィッド・マークス『Status and Culture: How Our Desire for Social Rank Creates Taste, Identity, Art, Fashion, and Constant Change』

今年に入って、NIGO代表取締役 CEO 兼クリエイティブディレクターを務めるオツモ株式会社の社外取締役選任がニュースになったが、彼の新作は『AMETORA(アメトラ) 日本がアメリカンスタイルを救った物語』(asin:4866470054)と違って日本の話ではないので、邦訳はどうでしょうかね。

アンドルー・ペティグリー(Andrew Pettegree)、Arthur der Weduwen『The Library: A Fragile History

図書館の歴史についての本というだけで、これは絶対に面白いだろ! と思うので、邦訳が出てくれるのを願うばかりである。

それはそれとして、Internet ArchiveBook Talk はワタシの興味のある分野の本を取り上げることが多いので重宝している。

コリイ・ドクトロウRebecca Giblin『Chokepoint Capitalism: How Big Tech and Big Content Captured Creative Labor Markets and How We'll Win Them Back』

コリイ・ドクトロウBoing Boing を離脱して立ち上げたブログ Pluralistic は(文章内容ではなく)ライティングスタイルがどうしても好きになれないのだが、heatwave_p2p さんの翻訳のおかげでコリイ・ドクトロウの文章を日本語で読めることが多くてありがたい。

最近も「メタクソ化するTiktok:プラットフォームが生まれ、成長し、支配し、滅びるまで」とか最高だったよね。

『チョークポイント資本主義』だが、このブログでもおなじみの人たちが推薦の言葉を寄せているが、マーガレット・アトウッドにはさすがに驚いた。

マイケル・ペイリン『Into Iraq』

マイケル・ペイリンの旅行本の邦訳は、20年以上前に『ヘミングウェイ・アドベンチャー』(asin:4916199294)が出ただけなので、本作についても邦訳は期待できないが、彼のイラク旅行のテレビ番組のほうは日本のどこかのチャンネルで見れないのだろうか?

Tara Dawson McGuinness、Hana Schank『Power to the Public: The Promise of Public Interest Technology』

日本ではまだ「公益テクノロジー」という言葉自体、人口に膾炙したとはいえないのだが、そういえば今年3月に英語版 WikipediaPublic interest technology のページができており、なかなか内容が充実している。もちろん Further reading の最初にこの本が挙げられている(『シビックテックをはじめよう』も入っているね)。

ブルース・シュナイアー『A Hacker's Mind How the Powerful Bend Society's Rules, and How to Bend them Back』

こないだ「邦訳の刊行が期待されるのに未だ出てないのが残念な洋書10冊を改めて紹介」でも書いたが、前作の邦訳が出ないうちに新作が出てしまったねぇ。

この新作の詳しい内容は著者による公式ページを参照あれ。書名からコンピュータネットワークに侵入するハッカーについての本かと思いきや、小林啓倫さんの「ChatGPTに議員宛の陳情を書かせてみたら……、民主主義をハックするAIの恐怖 短時間・低コストで世論の捏造やロビー活動も可能なAIにどう向き合うべきか」で触れられている「民主主義のハッキング」まで含む開口の広い本である。

ラルフ・マッチオ『Waxing On: The Karate Kid and Me』

↑のエントリでも書いたように、『コブラ会』はシーズン5はパスさせてもらったのだが、ドラマはまだ続いているようだし、ラルフ・マッチオMCU のようなユニバース化の可能性を語るなど好調が続いているようで何よりである。

Karen Bakker『The Sounds of Life: How Digital Technology Is Bringing Us Closer to the Worlds of Animals and Plants』

著者による公式ページ。これ面白いと思うんだよね。著者のカレン・バッカーについては、上記のエントリを書いた後で Wired に「デジタル生物音響学で自然に耳を傾け、生態系を再生する」という彼女の記事が掲載されている。

そうそう、こないだ「Googleが協力する「AIを使った動物とのコミュニケーション」を実現させる試みが進行中」という記事を読んだが、これがまさにカレン・バッカーが取材した非営利団体 Earth Species Project の話ですな。

ジェニー・オデル(Jenny Odell)『Saving Time: Discovering a Life Beyond the Clock』

ジェニー・オデルの『何もしない』は静かな衝撃作だったので、これも邦訳が出ると思うんだけど、そういえば彼女が Long Now 財団のために行った講演動画が先日公開されている。

YouTube の自動翻訳字幕でだいたい分かります。

Torie Bosch編『"You Are Not Expected to Understand This": How 26 Lines of Code Changed the World』

こういう新旧を網羅したプログラミング歴史話は需要があると思うので、邦訳が出てほしいところである。

それでは編者による紹介動画をどうぞ。

ジョン・マルコフ(John Markoff)『Whole Earth: The Many Lives of Stewart Brand』

WirelessWire News に書いた後に、あの方からこの本の邦訳についての情報を教えてもらえた。いずれ出ると思いますので、乞うご期待!

Charles Leershen『Down and Out in Paradise: The Life of Anthony Bourdain

アンソニー・ボーディンの本は日本でも何冊も出ているので、この(遺族非公認の)伝記本の邦訳も出てほしいところだが、彼の伝記映画も公開されなかったので難しいかな。

この本の記述を受けてアーシア・アルジェントが自責の念を表明したりしている。

ジェームズ・ライゼン(James Risen)『The Last Honest Man: The CIA, the FBI, the Mafia, and the Kennedys—and One Senator's Fight to Save Democracy』

昨年、NHK の「未解決事件」の「ロッキード事件」を部分的に見たが(初回放送は2016年だったのね)、未だにこの事件には謎も多いので、そうした意味でチャーチ委員会の委員長だったフランク・チャーチの伝記本の邦訳は価値がありそうなのだが、やはり難しいですかね。

マーク・クーケルバーク(Mark Coeckelbergh)『Robot Ethics』

このエントリを書くために調べものをしたところ、↑のエントリで紹介した『The Political Philosophy of AI: An Introduction』の邦訳『AIの政治哲学』が7月に出るのを知った。

これで↑のエントリで紹介した4冊中2冊の邦訳が出ることになるが、『AIの倫理学』と対になる(版元も同じ)『ロボットの倫理学』の邦訳も出てほしいところ。

James Wright『Robots Won't Save Japan: An Ethnography of Eldercare Automation』

これは題材的に来年には邦訳が絶対出ると思うが、それまで待てない方は、著者の講演動画をご覧ください。

これも YouTube の自動翻訳字幕でなんとかなる。

メレディス・ブルサード(Meredith Broussard)『More than a Glitch: Confronting Race, Gender, and Ability Bias in Tech』

これも非常に時宜を得たテーマなので翻訳が期待される本である。著者はパンデミックが始まった頃、乳がんと診断され、その診断に AI が使われたことを知った彼女は、AI ががんをどれほど正しく診断できるかをさらに明らかにするために自身で実験をしたというのはすごい話やね。

Kelly Shortridge、Aaron Rinehart『Security Chaos Engineering』

↑のエントリでは「今夏に刊行予定」と書いたが、珍しく前倒しされたようで、紙版は5月16日刊行予定、Kindle 版は……3月末に刊行されてるみたい。電子書籍のほうが先に出るというのは、洋書の世界でも珍しいことじゃないかな?

分量も値段もかなーりの感じなのが気になるが、ここはオライリー・ジャパンから邦訳が出ると信じたいところ。

本についての情報は本の公式サイトを参照ください。

グリン・ムーディ(Glyn Moody)『Walled Culture: How Big Content Uses Technology and the Law to Lock Down Culture and Keep Creators Poor』

何しろ電子版を無料で入手できる本なので邦訳は難しいかもしれないが、結構な力作なので惜しい気もする。

というか、本全体が豪気なことに CC0 ライセンスなので、どなたか訳して公開してくれないものだろうか。

Heather Ford『Writing the Revolution: Wikipedia and the Survival of Facts in the Digital Age』

著者のヘザー・フォードは、かつて iCommons 事務局長として来日していたし(参考:ニコニコも初音ミクも語られた!クリエイティブ・コモンズ)、2007年から2009年にはウィキメディア財団の Advisory Board も務めており、オープンカルチャーの専門家といえる。

2011年のエジプト革命に関するウィキペディアの記述の変化とその背景にある権力闘争についての考察という題材は地味に思えるかもしれないが、ウィキペディアのページがどのように記述編集されるかを長期的に追った本というのは貴重なので邦訳が出てほしいね。本についての詳しい情報は著者による公式ページを参照ください。

オードリー・タン、グレン・ワイル(Glen Weyl)、Plurality Community『Plurality:Technology for Collaborative Diversity and Democracy』

未だ執筆中の、果たして完成するかどうかも分からない本を取り上げるのは反則かもしれないが、期待を込めてということで。

これも CC0 ライセンスなので、書籍として刊行されなくても有志が日本語訳を公開してくれるのではないかな。

「Plurality」という単語はなじみがないかもしれないが、それについてはグレン・ワイルの「デジタル・デモクラシーによって多元主義を実現する」や、先日開催された Plurality Tokyo におけるオードリー・タンによる基調講演(日本語字幕あり)が理解の手助けになるだろう。


スチュワート・ラッセル(Stuart J. Russell)、ピーター・ノーヴィグ『Artificial Intelligence: A Modern Approach, 4th US ed.』

要は、第三版から出ていない邦訳を第四版で出してくださいよということです。

そういえばスチュワート・ラッセルといえば、「人間より“強力”な人工知能の到来を前に考えておくべきこと」というインタビュー記事がこないだ出てましたね。

ジョエル・コトキン(Joel Kotkin)『The Coming of Neo-Feudalism: A Warning to the Global Middle Class』

ネオ封建主義、デジタル封建主義、テクノ封建主義、まぁ、呼び名はいろいろあろうが、これがまさに顕在化していると思うわけですよ。

エマニュエル・トッドの記事に以下のくだりがあり、およそ10年前からジョエル・コトキンには封建主義への道が見えていたことが分かる。

2014年に刊行された予知的な作品『新たな階級紛争』の中で、カリフォルニア在住の著者ジョエル・コトキン(米国の都市研究者、1952年生まれ)は思慮深くも、シリコンバレーの起業家たち──グーグル、アマゾン、フェイスブックなどのトップたち──の内に、彼らの年齢の若さにもかかわらず、また、彼らが自らに与えているモダンで、流行の最先端にいるイメージにもかかわらず、寡頭支配者としての素質があることを見抜き、それがすでに明確な形をとりつつあることを指摘した。

エマニュエル・トッド「ピーター・ティールには人間的興味を覚える」 | イーロン・マスクやジェフ・ベゾスにはまったく関心がないが… | クーリエ・ジャポン

この一年間、ブログ更新時には必ず洋書を紹介してきたわけだが、さすがにこの縛りはここまでとしたいと思う。けれど、このようにコンスタントに洋書を紹介していると、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」をスムーズに書けるのが分かったので、今後も気になった洋書をブログで取り上げていきたいと思う。

それでは皆さん、楽しいゴールデンウィークをお過ごしください。

[追記]:

以下、ここで取り上げた本の邦訳が出たのを紹介するエントリをはりつけておく。

yamdas.hatenablog.com

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邦訳の刊行が期待されるのに未だ出てないのが残念な洋書10冊を改めて紹介

さて、ワタシのブログでは、だいたいゴールデンウィークのあたりで、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」という企画をやるのが恒例になっている(過去回は「洋書紹介特集」カテゴリから辿れます)。

よほどのことがなければ、本ブログの次回の更新はその2023年編になるのだが、過去12回(!)もこの企画をやっていると、「あの本の邦訳、結局出なかったな。なんでかなー?」と思う本が出てくる。

原書が出て数年経てば邦訳を諦めてしまうのだが、原著刊行から5年以上の時を経て邦訳が出た『マスターアルゴリズム』、さらには原著刊行から10年以上(!)の時を経て邦訳が出たばかりのデヴィッド・バーン『音楽のはたらき』を知ると、そう簡単に諦めてはいけないのかなと思ったりもする。

そういうわけで、過去12回の「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」エントリから未だ邦訳が出ていないのを残念に思う本を改めて紹介させてもらう。

原書刊行からまだ1年経過していない本は対象から除外している。こちらの調べが足らず、実は既に邦訳が出ていたり、またこれから出るという情報をご存知の方はコメントなりで教えていただけるとありがたいです。

ナイル・ロジャース『Le Freak: An Upside Down Story of Family, Disco, and Destiny』

yamdas.hatenablog.com

Chic としての70年代、ロックポップ方面のプロデューサーとして活躍した80年代、そして90年代以降も Chic の再結成、映画やゲーム音楽のサントラ、ダフト・パンクとの共演など、未だ彼が現役で活躍していることを思うと、彼の自伝の邦訳が出てないのはちょっと信じられないんだよね。

彼のロック界でのプロデュースワークは、先日リリース40周年を迎えたデヴィッド・ボウイ『Let's Dance』にしろ、ジェフ・ベックにしろ賛否あったわけだけど、それはそれとして。

こないだのコーチェラでもブロンディのライブにゲスト参加していたっけ。お元気そうで何よりである。

ブルース・シュナイアー『Click Here to Kill Everybody: Security and Survival in a Hyper-Connected World』

yamdas.hatenablog.com

とうとうブルース・シュナイアー先生の前作の邦訳が出ないうちに新作 A Hacker’s Mind が出てしまった。なんてこったい。

これはブルース・シュナイアーくらいの大物の本になると、日本では印税などで出版がペイしないということなのだろうか?

マイケル・ダイアモンド、アダム・ホロヴィッツBeastie Boys Book』

yamdas.hatenablog.com

ビースティ・ボーイズがどれくらいビッグだったかを考えると、邦訳が出ないのが信じられないのだが、日本の洋楽リスナーはそこまで減ってしまったのだろうか?

私事になるが、アダム・ヤウクが亡くなった日に個人的に忘れがたい出来事があり、以降はビースティーズを聴くと必然的にそれを思い出してしまうというのがある。

ブレット・イーストン・エリス『White』

yamdas.hatenablog.com

ブレット・イーストン・エリスって『アメリカン・サイコ』の原作者? くらいの認識なんだろうが、彼の面白さについては『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』asin:4863854315)収録の青木耕平さんの文章を読んでください。

ケイト・クロフォード『The Atlas of AI』

yamdas.hatenablog.com

そうそう、先週公開した「AIは監視資本主義とデジタル封建主義を完成させるか」で紹介したメレディス・ウィテカーと AI Now Institute と立ち上げたのがケイト・クロフォードなんですね。

彼女の研究には批判もあるのだが、彼女の本の邦訳が出て、そのあたりの議論も日本で紹介されるといいと思う。しかし、今や猫も杓子もな AI の本の邦訳が出ないとは思わなかったな。彼女の文章が掲載された本は、『未来と芸術 Future and the Arts』(asin:4568105234)くらいだったはず。

ティーブン・レヴィ『Facebook: The Inside Story』

yamdas.hatenablog.com

テック界の大物ジャーナリストであるスティーブン・レヴィが Facebook に深く取材して書いた本なのだから当然邦訳が出ると思っていたのだが、ブルース・シュナイアーと同じような理由なんだろうか?

ジル・ルポール『If Then: How the Simulmatics Corporation Invented the Future』

yamdas.hatenablog.com

これね、カタパルトスープレックス翻訳書ときどき洋書で読んだ書評が面白かったものだから、絶対邦訳が出ると確信していたのだが、難しいものですな。

ケイト・ダーリング『The New Breed: What Our History with Animals Reveals about Our Future with Robots』

yamdas.hatenablog.com

ケイト・ダーリングはサイボウズ式WIRED.jp など日本のメディアでも取材されており、これは邦訳出るのも確実やろと踏んでいたのだが。

ジョン・ルーリー『The History of Bones: A Memoir』

yamdas.hatenablog.com

ここから2冊は原書刊行からまだ2年経っていない本になり、こういうのに挙げるのはよくないかもしれないが、邦訳期待ということで入れさせてもらう。

だってねぇ、ジョン・ルーリー、1980年代の本業にしろ映画にしろとても鮮烈な存在だったわけで、すごくビターだけど面白そうな回顧録に違いないので。

トム・スタンデージ『A Brief History of Motion: From the Wheel to the Car to What Comes Next』

yamdas.hatenablog.com

トム・スタンデージの本はいくつも邦訳が出ているので、これも現在その作業中だと思いたい。

果たしてAIはどのように「規制」されるべきなのか?

www.nytimes.com

エズラ・クラインまでもが AI について書いている。彼によると AI を取材していると面白い体験をするという。ハイプまみれの若いテック業界なのに、多くの人が、歩みが遅くなってもいいから AI が規制されることを切望しているというのだ。昨今の AI をめぐる競争により、あまりに事態の進展が速くなっているのに恐れをなしたということだろうか。そして、一握りの企業だけに舵取りを任せてはおけないというか。

国もそのあたりを踏まえてか、米国政府は昨年秋に「AI 権利章典のための青写真(Blueprint for an AI Bill of Rights)」を発表しているし(参考:TECH+)、欧州や中国もそれぞれ規制のための政策を立案している。

で、エズラ・クラインは欧州、米国、そして中国政府のアプローチについて論評を加えているが、えらいと思ったのは、「AI 権利章典のための青写真」の主著者であるアロンドラ・ネルソンにしっかりインタビューしていること。ワタシもそのインタビューも読み切ってその内容も紹介したかったのだが、そこまで根気が続かなかった。

さて、エズラ・クラインは各国のアプローチを踏まえて、しかるべき規制を行うために優先的に考えるべきポイントを5つ挙げている。

  1. 解釈可能性(interpretability):次世代の原子力発電所を作るとして、炉心が爆発するか読み取る方法がないと言われたら、そんな原発作るなよとなるだろう。AI 企業は同じようなことを言ってないか? 理解できないアルゴリズムに未来を委ねるのか?
  2. セキュリティ:中国への先進的な半導体の輸出を阻止するのは可能かもしれないが、OpenAI の26歳のエンジニアがしかるべきセキュリティ対策を行っていると本気で思ってんの?
  3. 評価と監査:大規模言語モデルの安全性を評価するテストに業界全体で受け入れられているベストプラクティスはなく、現状、不透明で一貫性がない。連邦航空局が飛行機に、食品医薬品局が新薬に対して行っているように、安全でない AI を市場に出さないための監査のための投資や制度構築が必要
  4. 法的責任(liability):ソーシャルメディアにとっての通信品位法第230条みたいに AI 企業を免責するのは間違いで、自社で開発したモデルに何らかの責任を負わせないといけない
  5. 人間らしさ(もう少し良い言葉があるだろうが)

ワタシなど、先日「AIは監視資本主義とデジタル封建主義を完成させるか」でも書いたように、やはり我々には「アルゴリズムの監査機関」が必要なんじゃないかとあらためて思うわけだ。

エズラ・クラインが、「もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて」で紹介したドリース・バイテルトと同じく食品医薬品局(FDA)のアナロジーを挙げているのは、そのあたりが穏当な落としどころということなんだろうか。

ネタ元は Slashdot

ウィキペディアのどちらのページが長いかを当てる(だけの)ゲームWhichipedia

whichipedia.com

Wikipedia を使ったゲームというと、目的のページにいかに早く到達するかを競うゲーム WikiWars(Wikiracing)とかウィキペディアの項目を時系列で並べるゲーム Wikitrivia などここでもいくつか紹介してきたが、Whichipedia はもっと単純で、2つの Wikipedia のページのどちらが長い(分量が多い)かを当てるゲームである。

やってみると、これが一目でこっちだろと即断できるものもあるが、意外に当たらなかったりする。

そうそう、ウィキペディアの編集への参加自体をロールプレイングゲームとしてとらえる見方もありますな(笑)。

ネタ元は Boing Boing

速水健朗さんのポッドキャスト再開、そしてマウンティングから老人介護まで

open.spotify.com

速水健朗さんがポッドキャストを「すべてのニュースは賞味期限切れである」あらため「これはニュースではない」という小西康陽リスペクトな名前でリニューアルしている。ワオ!

再開1回目はクエストラブ『ミュージック・イズ・ヒストリー』の話だが、ワタシなど「19歳の女の子に~」というタイトルを見ただけで、スティーリー・ダンの "Hey Nineteen" のことだ! と嬉しくなってしまった。

少し前に東京大学学位記授与式の総長告辞でドナルド・フェイゲンの歌詞が引用されてなによりワタシが歓喜した話を書いたが、これまたドナルド・フェイゲンつながりですね!(強引)

"Hey Nineteen" はスティーリー・ダンの(再結成前の)ラストアルバム『Gaucho』収録のヒット曲である。スティーリー・ダンの最高傑作といえば『Aja』になるのだけど、ワタシは洗練の極みである『Gaucho』も大好きである。

さて、"Hey Nineteen" が「19歳の女の子に「アレサ・フランクリンも知らないの?」とマウンティング」している曲というのは本当なのだけど、この曲は冒頭から「いやさ、(自分が19歳だった)1967年頃は俺もイケメンでブイブイいわせてたわけよ」といきなりウザい。

つまり、19歳の女の子に「アレサ・フランクリンも知らないの?」とマウンティングするこの曲の語り手のイタさは意図的で、当時アラサーだったドナルド・フェイゲンが、10歳くらい若い女の子相手じゃダンスも踊れないし、話も全然かみ合わないけど、クエルボ・ゴールドのテキーラとコロンビア産のマリファナの力を借りて楽しもうぜというイタい語り手を演じているんですね。

ただね、言うてもアラサーの語り手が10歳違いの女の子を誘う歌は当時は全然アリだったろうし、現在でも極端に不道徳とまでは言えないだろう(女の子に酒やマリファナを強いなければ)。

しかし、"Hey Nineteen" は現在までスティーリー・ダンのライブで必ず演奏される代表曲である。リリースから40年以上経った、70歳を過ぎたフェイゲンが19歳の女の子に呼びかける歌は、当時とはまったく違った問題が出てくるのだが――というか、まさか当人もそんな長く現役を続けるなんて、曲書いてる当時は思いもしなかったろうし!

それで思い出すのは、フェイゲンの『ヒップの極意 EMINENT HIPSTERS』に収録された、マイケル・マクドナルドボズ・スキャッグスと組んだ「デュークス・オブ・セプテンバー」としての2012年のツアーを記録したツアーダイアリーにおける6月27日の以下のくだりである。

 問題はスティーリー・ダンでツアーしていても、最近は会場が縮小しているように思えることだ。むろん、今のわたしは本音を隠している。マイク、ボズ、わたしはいずれもかなりの年寄りだし、観客の大半もそうだ。それにしても今夜の客層は老いぼれて見え、わたしは思わずビンゴの番号を発表したくなった。にもかかわらずライブの終盤には、よたよたしつつも全員が立ち上がり、マイクのうたうバディ・マイルズの<ゼム・チェンジス>に合わせて、精いっぱいロックしていた。というわけでこれが今のわたしの仕事だ――老人介護。(p.162)

いかにもドナルド・フェイゲンらしい皮肉さ全開の書きぶりだが(ビンゴのくだりは、ドラマ『ベター・コール・ソウル』の老人ホームの場面を思い出そう)、それからも10年経つと少々シャレにならないところもある。最近はワタシ自身歳を取ったせいか、この「老人介護としてのロック」について考えることがよくあり、それについてはまた別の機会に書くかもしれない。

おっと、ポッドキャストの話から話が逸れまくったが、速水さん、楽しみにしてますよ!

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