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リード・ホフマン、GPT-4『ChatGPTと語る未来 AIで人間の可能性を最大限に引き出す』をご恵贈いただいた

日経BPの田島さんより、リード・ホフマンと GPT-4 の共著『ChatGPTと語る未来 AIで人間の可能性を最大限に引き出す』をご恵贈いただいた。

2023年は、生成AIが一般レベルで大ブレイクした年として記録されることになるだろう。特に ChatGPT を書名に冠した本が既に数多く出ているが、本書が他と差別化しているのは何だろうか。

やはり、「GPT-4」が著者に名前を連ねているところだろう。もちろん、今年出ている類書の多くも内容の一部を GPT-4 に依っているはずだが、本書の場合、まさに著者が GPT-4 と対話をした結果が書籍になっている。

それができるのは、著者の特権的立場ならではとも言える。例えば、同じような本の企画をワタシが出版社に持ち込んだところで、まず出版は実現しないだろう。本書の著者が、「ペイパルマフィア」の一人にして、LinkedIn 創業者、そして何より GPT-4、ChatGPT の開発元である OpenAI の出資者にして元取締役(昨年、別の AI スタートアップを創業したため、今年、役員を退任)、数々のビジネス書を共著してきたリード・ホフマンだからこそ成立する企画なのは間違いない。

そして、続けてこれを書いておかなければならないのだが、本書はただ著者のネームバリューに頼ったものではなく、また ChatGPT の技術的な解説でもないが、ChatGPT が GPT-4 の時点で、教育、AI の創造性、司法、ジャーナリズムなど多岐にわたる話題について、どの程度の対話が可能かを誇示するものになっている。

その過程でリード・ホフマンはテッド・チャン「ChatGPT はウェブのぼやけた JPEG」論に反論しているが、脅威論や規制について議論になることの多い生成 AI が、人間にとって基本的にポジティブな影響を与えるものなのを訴求する本とも言える。

それは例えば、教育分野においては「情報源としてではなく探求のためのツールとして使う」「評価のためのツールではなくフィードバックのためのツールとして使う」という言葉で GPT-4 により語られていて、ワタシもそれを妥当に思う。またジャーナリズムについての章では、元々その自動化にフォーカスするつもりが、GPT-4 との対話するなかで、これまでのウェブ検索とは違う道が見えてきた、というのも本書ならではの卓見だろう。

一方で司法制度についてリード・ホフマンは、「AIを使うことで、私たちはみずからの人間性や思いやりは知性を向上させ、より公正で優れた司法制度を作れるはずだ」と言うが、これはいかにも根拠が薄い。これについては、ブルース・シュナイアーの新刊『ハッキング思考』のほうが適切なテキストになるかもしれない。

本書でも、コンサルタント業界において若手アナリストが担っている業務の多くが AI が自動化できること、しかし、そうすると若手の成長の機会が失われてしまうジレンマについてちゃんと触れられているが、これは少なからぬ業界であてはまる構図だろう。本書は最終章において、AI 時代の人間として「ホモ・テクネ」という概念にいたっているが、誰もがそこに到達できるわけではないという懸念がワタシの中に残った。が、それはまた別の本で論じるべき話題なのだろう。

あと、こけおどしの飛ぶ道具のような第9章「知識人との対話」は蛇足以外の何物でもなかった。

オープンソースの定義にこだわるのはもう無意味なのか?

[2023年8月22日追記]松尾研究室の投稿にあるように、問題のプレスリリースは修正がなされ、「オープンソース」の記述は削除されている

weblab.t.u-tokyo.ac.jp

東京大学松尾研究室が大規模言語モデル(LLM)を公開というニュースが先週話題となったが、「商用利用不可のオープンソース」という記述に「商業利用できない」のであれば、オープンソースではないという突っ込みがすかさずあがり、佐渡秀治さんも「座視することが難しい」と意見表明している。

ワタシもこれらの意見に賛成である(事実そうした声を受けて、ITmedia などは記事の記述を改めている)。ただ、この話題にすっぽり重なる文章を少し前に見て、居心地が悪い思いをしていたので、それを紹介しておきたい。

www.infoworld.com

オープンソースのライセンス戦争は終わった」というタイトルだが、どういう文章なのか? リード文を訳してみる。

オープンソースランボーたちも戦いを止めて、開発者はライセンスの純粋さよりも、ソフトウェアのアクセスや使いやすさを重視することに同意すべきときだ。

これを書いている Matt Asay は、かつて Canonical の COO で、現在は MongoDB の DevRel をやっている人で、オープンソース界隈のベテランと言ってよい。

その彼が、Meta が公開した LLM の Llama 2 を受けて、Meta がこれを「オープンソース」と宣言しており、しかし、そのライセンスが OSI が定める「オープンソースの定義」に合致していないのを認めた上で、それにこだわるのはあんまり意味ないんじゃないと書いている。

上で引用したリード文だけでなく、本文にも Rambo(s) という言葉が何度か出てくる。これはもちろんシルベスター・スタローンが映画で演じるベトナム帰還兵ジョン・ランボーを指しているが、これを日本のネットミームにあてはめるなら、かなり古いが「モヒカン族」あたりになるだろうか。つまりは、用語の厳密な定義にこだわってマサカリを投げるのは止めようよ、という感じか。

Matt Asay は、およそ10年前に言われた「若者のコピーレフト離れ」からの流れ、そして自身の AWS 時代(つまり、クラウドですね)の経験などを説きながら、もう「オープンソース」は重要でない、つまり、ライセンスよりもソフトウェアへのアクセスや利用しやすさのほうがずっと重要であり、それは今では GitHub が担保していると主張している。

LLM の公開を巡って、日米で似た感じの議論が勃発したことになるが、これはおそらく偶然ではない。「Wikipediaをwikiって略すな」に敗北し「クリプト」がデジタル資産に乗っ取られたように「オープンソース」という言葉も変質してしまうのだろうか。

ワタシの立場は上に書いた通りで、オープンソースの定義に合致しないライセンスのものを「オープンソース」と呼ぶべきではないと考える。Matt Asay が書くように、もう「オープンソース」は重要でないというなら、結構、ならば LLM 時代のオープン性の概念のための言葉を発明し、それを使えばよかろうとしか思わない。

しかし、実は既に「なんか言葉遣いにネチネチうるさくこだわってるよ」みたいな受け取りのほうが多数派だったりするのだろうか?

ネタ元は Slashdot

ダナ・ボイドはメタバースへの誘いを丁重に断り続ける

www.zephoria.org

ワグナー・ジェームズ・アウの新刊 Making a Metaverse That Matters を献本されたダナ・ボイドが書いているこの文章を読んで、苦笑いを禁じえなかった。

この著者名にかすかに覚えがあったので調べたら、『セカンドライフ 仮想コミュニティがビジネスを創りかえる』(asin:4822246973)の邦訳があった。そして、ワタシはこの本をご恵贈いただき、「仮想現実と拡張現実〜Second Life、Sekai Camera、はてなワールド」という文章で名前を出している。

しかし、15年前(ワオ!)の自分の文章を読み直して、「「すっかり盛り下がってしまった」という印象がある中で本書が刊行されるのは、(中略)いささか気の毒に思えます」とか、率直に書いているねと懐かしい気持ちになる。

ダナ・ボイドの文章に戻ると、実は彼女もなかなか率直である。

ワグナー・ジェームズ・アウは、我々が初めて出会ったゼロ年代半ばから、私にバーチャルリアリティに引き込もうとしてきた。その繰り返しで、彼はずっとバーチャルリアリティに興奮してきた。毎回、彼は特定のブツが前よりクールで、より身近で、より魅力的だと私を説得しようとする。そのたびに私は、この方面にまったく興味がないのを丁重に説明することになる。それでも、私はジェームズのことが好きだ。それに、彼の熱意には感謝している。新しいテクノロジーを目の当たりにし、そんな風にときめきたいと思う自分もいるからだ。

つまり、ダナ・ボイドは、ワグナー・ジェームズ・アウに対して20年近く、いや、私、バーチャルリアリティにはビタイチ興味ないんで、と言い続けているというわけ。

で、実はワグナー・ジェームズ・アウも、ダナ・ボイドのバーチャルリアリティ嫌い、そしてその理由をちゃんと分かっている。そして、今回の新刊において、そのあたりもちゃんとページが割かれている。

実は、ダナ・ボイドは2014年に VR 体験の性差にフォーカスした挑発的なエッセイを書いており、ワタシも当時、それを取り上げた文章を書いている。偉いぞ、9年前のオレ。

wirelesswire.jp

ダナ・ボイド自身、かつて自分が書いたエッセイを読み直し、辛辣な余談を述べている。

(余談:Meta が Meta になる前に、自分が Oculus のメタバース性に苦言を呈したのを忘れていたので、この文章を再読して笑ってしまった。さらに余談ながら、テックブロがディストピア小説に出てくる世界を作り上げておきながら、自分なら違うものにできると思い込みたがるのに呆れを禁じえない。念のため書いておくが、これこそ狂気そのものだ)

彼女は CAVE を体験して VR 酔いで吐いた経験から、VR 体験の性差について研究するのだが、当時(およそ25年前)嫌われた「トランスジェンダー」という言葉が今では一般的で、当時好まれた「トランスセクシャル」が問題視されるようになり、今になって昔の言葉遣いをあげつらい、トランスフォビア呼ばわりする批判が来るのにうんざりするという別の余談も興味深いが、ワグナー・ジェームズ・アウの新刊に話を戻すと、彼はちゃんとダナ・ボイドの研究を踏まえ、性差の問題にきちんと言及している。

しかし、それでもダナ・ボイドにとっては、やはり現状の「メタバース」は、「テックブロがディストピア小説に出てくる世界を作り上げておきながら、自分なら違うものにできると思い込」んでる事例に過ぎないという認識のようだ。そして、ワグナー・ジェームズ・アウに感謝の言葉を述べつつも、「私はメタバースに何ら興味はありません」と改めてキッパリ宣言している。

Meta のメタバースへの取り組みについては、ワタシも「メディアとしてのメタバースのメッセージを(ニコラス・カーが底意地悪く)読み解く」で取り上げているが、2023年のテック界隈の話題の主役は完全に生成 AI になり、「メタバースは失敗」と既に決めつける人もいるのは確か。

そうした中でメタバースについての本を出したワグナー・ジェームズ・アウは今回もいささか気の毒だが、ゲーミングプラットフォーム Roblox が Meta プラットフォームに対応することで、米国の家電量販店で Meta Quest 2 が飛ぶように売れ出したという話もあり、ワタシはまだメタバースにはまだまだ伸びしろがあると思っている。

なので、ダナ・ボイドが指摘する問題点にもページが割かれたワグナー・ジェームズ・アウの新刊の邦訳が出るとよいな。

マルウェアもWikiの時代なのか(違います)

thehackernews.com

旧聞に属するし、大した話ではないのだが、セキュリティに関する記事を読んでいて、WikiLoader という見慣れない名前を見かけて気になった次第である。

最初、ワタシの知らないセキュリティ系 Wiki サイトの名前かと思ったら、そうではなく、この WikiLoader が新種のマルウェアの名前とのこと。でも、なんでそんな名前がついたのか?

WikiLoader is so named due to the malware making a request to Wikipedia and checking that the response has the string "The Free."

Cybercriminals Renting WikiLoader to Target Italian Organizations with Banking Trojan

このマルウェアは、Wikipedia にリクエストを投げて、そのレスポンスに「the free」という文字列があるかをチェックすることからこの名前がついたという。

どういうことかというと、Wikipedia 英語版のトップページの title が「Wikipedia, the free encyclopedia」なのを指しているのだと推測する。つまりは、Wikipedia 英語版のトップページにアクセスすることで、インターネットの導通を確認しているわけですね。

Malpedia(まさにこれぞマルウェアウィキペディア)や MalwareBazaar を見ても、7月半ばに登場して以来大した情報が出ていない。

少し前に icanhazip という接続元のIPアドレスを返すサイトへのアクセスの大半はマルウェア由来という話を読んだばかりだが、いずれにしても迷惑な話やで。

バービー

グレタ・ガーウィグ『フランシス・ハ』で注目し、初監督作『レディ・バード』もすごく好きだが、前作はまだ観れてない。

バーベンハイマー騒動にはうんざりさせられたが、それはグレタ・ガーウィグはじめ本作の製作者、出演者には基本的に責任のない話である。夏季休暇の帰省時に、珍しく昼に故郷のシネコンに出向いて観た。

2001年宇宙の旅』の「人類の夜明け」のパロディで始まるのは、本作が一種の「創世記」という宣言であり、間違いなく意図的だろう。

本作を観た人で「よくマテル社はこれを許可したな」みたいに何人か書いているのを事前に見ており、廃盤だったりなかったことにされてるバービーを執拗に取り上げるのは予想の範疇だったが、ここまで「マテル社」自体が物語に組み込まれていたのは確かに驚きだった。当然のようにその重役は全員男性であり、そのビルを男根に見立てる台詞があり、一般の社員が働くオフィスは、『マトリックス』でアンダーソン君が働いていたそれみたいだ。

元々は深い考えなしに作られたであろうペラッペラな商品(設定)に後付けで意味付けしてドラマを成立させるアメリカのエンタメ界のクリエイティビティについては何度か触れているが、上記のマテル社の設定を含め、それを逆手に取る形で創造主の地位と創造された側のアイデンティティを巡る不安(本作に提供されたビリー・アイリッシュの曲がまさにそうだ)について描く、ある意味宗教的と言える主題があり、そして言うまでもなく家父長制批判というフェミニズム的主題の両方が本作にある。

少なくとも前者については成功しているが、実は前者と後者の噛みは悪い。グレタ・ガーウィグの力量は確かであり、それが本作の本国での超ヒットで証明されているが、前者と後者が混同されたまま評価されているようにも思う。

マーゴット・ロビーはワタシも好きなので、『アムステルダム』と『バビロン』と主演作が続けて興行的にコケた後だっただけに、本作の成功が面目躍如となったのはよかった(彼女は本作のプロデューサーでもある)。

本作のパワーは本物だし、巧みに批判が回避もされているが、その分、終盤に明らかに展開がグダっており(『ゴッドファーザー』を使ったマウントとか、『ジャスティス・リーグ』のスナイダー・カット揶揄とか、本当に「面白い」と思った? ワタシはザック・スナイダーのこと、はっきり嫌いだけど)、それは巨大資本を象徴的に痛罵してもそれがブーメランとなるという構造があるのは理解するとして、少なくとも「男も『バービー』観て自分を見つめ直そう!」みたいなのはどうよというのが正直なところ。

それでも、「バービー人形の映画」という、トンチキに転んでもおかしくない、ある意味狂った企画をこれだけのエンターテイメント作品に昇華していること自体すごいことであり、その点でグレタ・ガーウィグマーゴット・ロビーが偉いのは強調してよい。

WirelessWire News連載更新(黒電話と『1973年に生まれて』とらくらくホン)

WirelessWire News で「黒電話と『1973年に生まれて』とらくらくホン」を公開。

今回は、この連載では珍しく、テック系以外の書籍を取り上げてみた。

出版社から何冊かご恵贈いただいている本はあるのだが、自分で買った本を優先させてもらった。この文章を書くために、速水健朗さんが出演したウェブ配信をいくつも購入したので、今回は取材費がかかっている。

元々は「50歳記念」というタイトルを考えていた。言うまでもなく、色川武大の短編のタイトルのいただきだが、さすがによそ様のサイトに出す文章にそういうタイトルはまずいかと思い直した。それは止める代わりというわけではないが、「五十歳記念」と同じく『引越貧乏』に収録されている(色川武大が50歳のときに書かれた)短編「暴飲暴食」からの引用をエピグラフとさせてもらった。

色川武大とワタシの人生を比較できるわけもないが、引用部分を文字通りにとるなら、これがワタシ自身にとっても偽らざる心境になる(最後にはそれをひっくり返しているわけですが)。

色川武大の小説からの引用をエピグラフにするのは、「ネットにしか居場所がないということ」以来になる。

そして、そこから伊藤ガビンさんの「はじめての老い」につなげてみた。

他にも「40代おじさん」の話、「50歳からの読書案内」などつなげたい話題はいくつかあったのだが、さすがにそこまではいかなかった。

余談だが、この文章の中に、他人様に迷惑をかけないよう、故意に事実でないことを書いている箇所が一つあるのを明言しておく。

ブルース・シュナイアー先生の新刊の邦訳『ハッキング思考』が出るぞ!

www.catapultsuplex.com

復活した(と言ってよいよね?)カタパルトスープレックスにおける、このブログでも何度か名前を挙げてきたブルース・シュナイアー『A Hacker's Mind』の書評である。

まだちゃんと読んでなかったのでありがたや。

ふと、気になって調べてみたら、10月にこれの邦訳が出るのに気づいた!

まだ版元にもページができておらず(何度も書いているけど、そういうところが日本の出版社はダメよねぇ……)正確なところは分からないが、Amazon のページの記述を見る限り、これは『A Hacker's Mind』の邦訳だろう。

しかし……ということは、5年前に刊行された『Click Here to Kill Everybody』の邦訳は結局出ないままということになってしまうのだろうか。

新刊につながるブルース・シュナイアーの問題意識については、主に以下の文章で取り上げさせてもらっている。

いわゆるセキュリティ破りだけでない、政治や法律へのハッキング、そして AI の利用という重要なトピックを扱っている本なので、これは必読でしょうね。

ジェフ・ジャービスの2冊(!)の新刊とベン・スミスの米ネットジャーナリズム盛衰記が面白そうだ

buzzmachine.com

ジェフ・ジャービス(ジェフ・ジャーヴィス)のブログの少し前のエントリを見ていたら、彼の新刊 The Gutenberg Parenthesis: The Age of Print and Its Lessons for the Age of the Internet が出ているのに気づく。

そうそう、これって堀正岳さんが昨年秋にツイートしていた本だな。出る頃に取り上げようとその時思ったが、すっかり忘れていた。公式サイトもできているぞ。

この新刊『グーテンベルクの括弧』は、書名にも出てくるグーテンベルクによる始まった印刷の時代が、実は歴史上の例外であることを踏まえながら、現在のデジタルインターネット時代の教訓を導き出す本で、テクノロジーと権力を巡る歴史を紐解きながら、コミュニケーションや著作権についての今日的な議論を行ってる本らしい。

ジェフ・ジャービスの本では、『グーグル的思考』asin:4569708196)、『パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ』asin:4140815132)、『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか』asin:4492762256)と邦訳が出ているが、今回の新刊はどうでしょうね。

しかし、およそ20年前のブログ時代に論客として参照していた人たちの多くは還暦を過ぎ、ジェフ・ジャービスも来年には70歳なのだから、これが最後の本かもしれないわけで……と辛気臭いことを思っていたら、彼が今年秋にズバリ Magazine という本を出す予定なのを知る。年2冊刊行とはすげぇな!

Magazine (Object Lessons)

Magazine (Object Lessons)

Amazon

この新刊(表紙デザインがまさに雑誌を模している)についてジャービスは「雑誌への挽歌」と言い切っており、アメリカにおける雑誌の終焉について書いた本なのだろう。

そうそう、そもそも最初に挙げたエントリでジェフ・ジャービスは、Politico や New York Times に寄稿し、BuzzFeed で編集長も務めたベン・スミスが、この20年あまり続いたアテンションエコノミー時代のオンラインジャーナリズムの盛衰を描いた Traffic を紹介している。

この本の主な登場人物は、Gawker のニック・デントン、HuffPost のアリアナ・ハフィントンBuzzFeedジョナ・ペレッティといった人たちで、そのメディアが「バイラル」「バズり」を巡ってしのぎを削った時代を取材し、総括する本で、何しろベン・スミスは BuzzFeed の編集長として、その当事者だったわけで、これもかなり面白そうだ。邦訳出るんじゃないですかね。

日本の「紙フィルム」の研究プロジェクトを知る

kamifirumu.scholar.bucknell.edu

Pluralistic で知ったサイトだが、サイトに掲げられているように、紙フィルムの研究プロジェクトである……えーっと、そもそも「紙フィルム」ってなんですかね?

ウィキペディアにも項目がないようだ。このサイトの日本語版ページから引用させてもらおう。

1930年代には、日本の数社の製造会社がセルロイドの代わりに紙で作られた映画を製作しました。日本紙フィルム研究プロジェクトは、現存する紙フィルムを保存し、これらの映画に関する研究を促進しています。

1932年から1938年まで、日本では主に二社が紙フィルムの市場を独占していました。 よく知られているのは、東京のレフシーと大阪の家庭トーキーです。 彼らはアニメーションや実写映画を製作し、カラー映画も製作しました。 さらになかには、映画にシンクロナイズする音源が収録された、78回転のレコードがついている作品もありました。

生産期間の短さ、紙質の違い、第二次世界大戦の厄災を考えれば、紙フィルムがほとんど残っていないのは当然です。 90年近く経った今、現存するわずかな実物は劣化し始めています。 したがって、このプロジェクトは、フィルムが完全に消えてしまう前に保存するための時間との戦いなのです。

Japanese Home – The Japanese Paper Film Project

恥ずかしながら、まったく知らなかった。つまり、1930年代の日本において紙で作られた映画をなんとか保存し、研究しようというプロジェクトというわけだ。

このサイトの URL を見れば、バックネル大学のドメインにあることが分かるが、このプロジェクトのスタッフは、Eric Faden 教授、Elizabeth Armstrong 教授をはじめ、すべてバックネル大学の人たちのようだ。どういう経緯でこの方々は日本の紙フィルムに出会い、プロジェクトを立ち上げるにいたったのだろう。

研究パートナーとして、おもちゃ映画ミュージアム板橋区立教育科学館の名前もあるが、本来なら日本の博物館、美術館がやるべき仕事に思える。しかし、衰退国家にそうした余裕はもはやないのだろうか。

ともかく、日本のネットメディアがどこか、このプロジェクトを取材してくれないものだろうか。

動画配信サービスにおける映画、ドラマの配信終了日の情報を教えてくれるサイトとかないだろうか?

少し前に、Netflix のアプリを眺めていて、映画『メッセージ』があるのに気づいてページを見たら、もうすぐ配信を終了するのに気づいて慌ててツイートしたのだが、こういうのは心臓に悪い。

これまで観たことがなく、観たいなと思っていた映画やドラマが Netflix に入っているのに気づいたら、「マイリスト」に入れるようにしているのだが、それで安堵していつの間にやら時が経ち、久しぶりにマイリストを見たら前に入れたはずの作品が消えている、つまりはその作品の Netflix での配信が終了しているのにそこで気づいて落胆することがたまさかある。

というか、「マイリスト」に入れてるんだから、それから消える前に Netflix もワタシに告知してくれよと思ってしまう。してるのに、ワタシが見逃しているだけなのか?

でも、こういうのって Netflix に限らず、動画配信サービス利用者の共通する悩みなんじゃないだろうか?

そうした意味で、Netflix やら Disney+ やら Amazon プライムビデオやらのストリーミング動画配信サービスで、配信を終了する映画やドラマの情報を教えてくれるブログとか実はすごく需要があるんじゃないかと踏んでいるのだが、そんなことないのかねぇ。

情報弱者のワタシが知らんだけで、既にそういう情報源が存在するなら教えてください。

[2023年8月9日追記]tomozo3 さんのブックマークコメントにある「Netflix (ネットフリックス) 配信終了予定カレンダー」がズバリ、ワタシが求めるもののようだ。ありがとうございます!

ウィキメディア財団のCPO兼CTOが「生成AI時代におけるWikipediaの価値」を訴える文章を訳したぞ

Technical Knockout「生成AI時代におけるWikipediaの価値」を追加。Selena Deckelmann の文章の日本語訳です。

このブログでも、ウィキペディアと AI の関係について扱ったエントリをいくつか書いている。

特に後者のエントリを読み、そしてワタシ自身、「ウェブをますます暗い森にし、人間の能力を増強する新しい仲間としての生成AI」を書いたのもあり、ウィキメディア財団の人から公式的なステートメントはないのかなと思っていたら、ウィキメディア財団の CPO 兼 CTO の人が、題名みて分かる通りズバリな文章を書いていたので訳してみた。

なんでそれを勝手に公開できるのかというと、ウィキメディア財団のブログのライセンスが CC BY-SA 4.0 だからなんですね。

公開用の翻訳自体久しぶりにやるので、思ったよりも時間がかかった。誤記、誤訳などありましたらメールなりで教えてください。

そういえば少し前に清水亮氏が「GPT以後「知識の集積地」としてのネット空間は汚染されていく。私たちはいつまでWikipediaを信用できるのか」という文章を書いていたが、果たして Selena Deckelmann の文章は、その答えになっていますでしょうか。

あと関係ないが、ウィキメディア財団といえば、およそひと月前のブログエントリで、お懐かしや Rebecca MacKinnon が現在ウィキメディア財団に属しているのを知った。

ActivityPubの原作者のEvan Prodromouは、Wikitravelの創始者でもあったんだな

scripting.com

デイヴ・ワイナーのブログで、オープンな非中央集権型のソーシャルネットワーキングプロトコル ActivityPub の原作者として Evan Prodromou の名前が挙げられており、あれ? この人の名前なんか記憶あるな……と自分のブログを検索したところ、この人、旅行ガイドを Wiki 上で作る先駆けとなった Wikitravel の共同創始者だったと思い出した。

そうそう、ワタシはこの人の「Wikitravel:旅行者の役に立つコピーレフトなコンテンツ」という文章を訳しているんだよね。偉いぞ、昔のオレ! ……って、19年以上前かよ!

その後もオープンソースのマイクロブロギングスタートアップをやってたところまでは追っていたが、この2020年代になって非中央集権型のソーシャルネットワーキングプロトコルでまた重要な仕事をしているのは天晴なり。

インターネットにおいて、一発当てるだけでもすごいことだが、ActivityPub が Evan Prodromou にとって二発目のヒットになりそうで(もうなっていると言えるか?)、これはなかなかすごいことだと思う。

オープンソース・ハードウェアの後退とメイカームーブメントのビジネス化の困難

blog.adafruit.com

Slashdot 経由で知った Adafruit Industries のブログエントリだが、かつてオープンソース・ハードウェアを謳っていた企業がこっそり(?)オープンソース・ハードウェアの看板を下ろしている事例を取り上げている。

具体的には、ArduinoSparkFun ElectronicsPrusa Research の三社である。

面白いのは、ここで取り上げた企業のうち、Prusa の創業者である Josef Průša が Adafruit からの質問に回答して、その理由と正当性を主張しているところ。

michaelweinberg.org

Adafruit のエントリ、そして Josef Průša の回答を受け、現在 Open Source Hardware Association の理事を務める Michael Weinberg が反応している。

Josef Průša が挙げているのは、競合中国メーカーに中国政府の補助金が出ていることや既存のライセンス違反、特許出願や知的財産保護の問題だが、その懸念が本当だとしても、それが製品をクローズドソースにする理由にならない、というかクローズドソースにしたから懸念が解消されるか? と Michael Weinberg は疑問を呈している。

こうしたオープンソースからの離脱については、Michael Weinberg も MakerBot の事例を挙げているが、これについてはワタシも「メイカームーブメントの幼年期の終わりと失敗の語り方」で触れている。

厳しいビジネス環境において理想を貫徹するのは難しいのは間違いないが、メイカームーブメントのビジネス化も新たな局面を迎えているのかもしれない。

そうそう、ワタシは Michael Weinberg の本を10年前(!)に訳しているので、今更だけどよろしく。

OK Go復活とダミアン・クーラッシュの映画監督デビュー

www.hotwirejapan.com

そうか、OK Go って10年近くアルバム出してなかったんだな。

しかし、ダミアン・クーラッシュがアル・ゴアの娘と結婚してるのは知らなかった。調べてみたら、映画『The Beanie Bubble』をダミアン・クーラッシュとその妻のクリスティン・ゴアで共同監督しているのな(彼女は脚本も手がけている)。

ハングオーバー』シリーズでおなじみ、ザック・ガリフィアナキスが主演か。Apple TV+ で配信ということで、観れなさそうなのは残念なり。

この映画の元となった「ビーニー・ベイビーズ」のバブル的人気については、以下の記述が参考になる。

米国では90年代の終わり頃、「ビーニー・ベイビーズ」というぬいぐるみがバブルになったことがある。手のひらサイズのこのぬいぐるみは、今でもドラッグストアなどで5ドルくらいで売られている。柔らかくて、目がウルウルして大きいのが特徴だ。

ビーニーバブルのノンフィクション本、“The Great Beanie Baby Bubble“ (Zac Bissonnette) によれば、最盛期には、ビーニーはイーベイ全出品数の1割を占め、くまの「ナンバー1 ベア」や、ロイヤルブルー生地のぞうの「ピーナッツ」などのレア物に、オークションで5000ドルの値札がついたという。

「3億円」で出品される超レア物も!「ポケモンカード」に熱狂する“巣ごもりバブル”への警鐘(小出 フィッシャー 美奈) | マネー現代 | 講談社

というか、ここで名前があがるノンフィクション本が、映画『The Beanie Bubble』の原作なんですね。

ロックミュージシャンで映画監督までやった例では、自作自演タイプを除けばクーラ・シェイカーのクリスピアン・ミルズが浮かぶが、あんまり成功したとは言えない。果たして、ダミアン・クーラッシュはどうだろうか。

この映画のために OK Go は新曲を提供しているが、うーん、まぁまぁでしょうか。

ワタシがこのバンドのことを知ったのは2006年だが、思わぬ形で一発撮りビデオが有名になったため、どんどんビデオ作りのハードルが上がり、バンドもそのプレッシャーを引き受けたのが偉いと思うが、ワタシが一番好きなのは未だ、その原点と言えるビデオのユーモアセンスなんだよな。

それが最終的にここまで行ってしまったんだからね。

ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE

本作は IMAX で観ないとしょうがないと思うのだが、二週続けて満席の劇場で映画を観るのに躊躇があり、上映時間の関係で公開初日に IMAX があるところとは別のシネコンでの轟音上映とやらの吹き替え版に行くこととなった。

何度も書いているが、このシリーズについては、段取りだけに長けた凡才ことJ・J・エイブラムスが製作にまわってから良くなったと思うのだが、本作では遂に彼が手を引いている。しかし、本作も揺るぎないトム・クルーズ映画としか言いようがない。

このシリーズでおなじみ、例によって年齢を超越したトム・クルーズが背筋を伸ばして直立のままひたすら全速力で走りまくっているし、肉弾戦、銃撃戦、カーチェイス、空からのダイビング、そんなうまく戦えるわけないだろというレベルの列車の上でのファイト、などなど無茶なアクションを全部詰め込んでいる。

前作で顕著となった、とにかくトム・クルーズがやりたい見せ場となるアクションを優先して撮影し、ストーリーが後付けの感じは本作でも濃厚だが(そんな簡単に大事な鍵スラれてんじゃねーよ!)、「人類の敵としてのAI」という本作の悪役設定が思いの外功を奏しているのは、運が良かったというべきか。

この『デッドレコニング』の制作中、トム・クルーズの現場でのブチ切れ音声が流出して問題となった。彼の気持ちは分かるが、これはアウトであるという原則論のうえで書くと、『トップガン マーヴェリック』について「君がハリウッドを救った!」とスティーヴン・スピルバーグトム・クルーズに熱っぽく賞賛の言葉を伝えていたが、ハリウッド大作の終焉をなんとか先延ばしにせんとするトム・クルーズの異様な使命感を本作にも感じるし、それには敬意を払わずにはいられない。

ワタシは以前から、このシリーズでのエスカレートする危険なアクションにトム・クルーズの自殺願望を見てきたが、最悪の場合トム・クルーズが死ぬかもしれないので危険スタントを撮影初日にやった話を知ると、使命感とともに、なんというかスレスレ感も感じるわけだが、いずれにしても来年 PART TWO を見届けたいと思う。

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