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最近ご恵贈いただいた本の紹介

ワタシのような場末の雑文書きも編集者や著者のご厚意で本をご恵贈いただくことがあり、近年はその度にこのブログに感想をしたためてきたが、ありがたいことに最近何冊もいただくこととなり、そうなるとそれぞれ読書記録を書くこともままならないので、ひとまずまとめて紹介させてもらう。

まずは、日経 BP の田島さんからご恵贈いただいたブルース・シュナイアー『ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか』

邦訳刊行を取り上げた際にも書いたように、ブルース・シュナイアー先生の論考は、このブログや WirelessWire News 連載でも何度も取り上げさせてもらっている。

今、第4部「法システムのハッキング」を読んでいるところだが、ここからが本番という感じで、またいずれネタにさせていただきたいところ。

そして、共立出版の大越さんから2冊もご恵贈いただいた。

まず一冊目は、Ken Steiglitz『なぜ世界はデジタルになったのか マシーンの離散的な魅力』

とりあえず第3章「信号の標準化」まで読んだのだが、この本を読み始めて驚いた。

なぜかというと、この本は今年5月に刊行されているが、偶然にも同時期に刊行されたジョージ・ダイソン『アナロジア AIの次に来るもの』と内容が重なっているからだ。

本書の書名に「デジタル」とあるが、アナログコンピュータにもちゃんと記述を割いている。もちろん本の結論は『アナロジア』とは異なる(というか多分相反する)だろうが、実は『アナロジア』を読む際にも本書のしっかりした歴史的記述は役に立つはずである。

そして、もう一冊は Beena Ammanath『信頼できるAIへのアプローチ AI活用で踏まえておきたい9つのチェックポイント』である。

少し前に「AIを信頼するには、それがオープンで透明性がないといけない。以上。」という文章を訳しているが、この本が掲げる「信頼できるAI(Trustworthy AI)」は今とても求められているものである。

目次を見ているだけでも、公平性、中立性、堅牢性、信頼性、透明性、説明可能性、セキュリティ、安全性、プライバシー、アカウンタビリティの文字があり、これは読んでおくべき本だろう。

主要な生成AIの基盤モデルの透明性を評価した指数を一覧できるサイト

crfm.stanford.edu

Llama2、GPT-4、Stable Diffusion 2、Claude 2 といった生成 AI の基盤モデルについて、100もの指標で透明性を評価した結果が一覧できるサイトが、スタンフォード大学の基盤モデル研究センター(Stanford CRFM)にできている。

ここでもワタシが訳した「AIを信頼するには、それがオープンで透明性がないといけない。以上。」を引き合いに出させてもらうが、やはり「透明性(Transparency)」人工知能を評価する上で重要な要素である。

さて、AI の基盤モデルをオープンにすべきかクローズドにすべきかという論争があるが、透明性を評価すると、やはりオープンモデルがクローズドモデルよりも高いスコアとなるようで、これは直感通りの結果と言える。

今年のはじめに「インチキAIに騙されないために」で取り上げたサヤッシュ・カプールが、このサイトの作者と論文の著者に名前を連ねている。その彼もこのサイトについて解説を書いているので参考まで。

藤井聡太八冠誕生で思い出す、かつて羽生善治を負かしてみせると宣言して本当に負かした棋士の話

togetter.com

先週は「証言者バラエティ アンタウォッチマン!緊急特番! おめでとう藤井聡太八冠 強さの秘密を徹底検証2時間SP!」なんてのもあったが、羽生善治が七冠達成したときもそんなテレビ特番なかったはずで、驚きである。

藤井聡太八冠に注目が集まるのは仕方ないとして、上でリンクした Togetter で言われている話は将棋ファンとしてワタシも思うところである。が、ワタシはもう少し他の棋士、特に若手棋士を辛辣に見ている。

かつて、谷川浩司十七世名人の「20代、30代の棋士たちに『君たち悔しくないのか』と言いたい気持ちもあります」という若手に対する叱咤があったが、こうなるもっと前に、藤井聡太に勝ってやる! という気持ちを公言して挑むような棋士がほとんどいなかったのが不甲斐ないと思うのだ。今だって、それこそ羽生善治が七冠独占したときの森下卓のように「屈辱以外の何ものでもない」くらいのことを言う人がいないのはどうかと思った。

クローズアップ現代の藤井聡太特集で、最後に桑子真帆アナに「これから藤井八冠とどう戦っていきますか?」と聞かれ、渡辺明九段が「さぁ」と答えていて大笑いしてしまったが、本当にその時不機嫌で言ってしまったとのこと。不機嫌、大いに結構。渡辺明九段には、憤懣をぜひ盤上で藤井聡太相手に存分にぶちまけていただきたい。

www.nankagun.com

白鳥士郎による優れた考察を読み、藤井聡太八冠以外の棋士がどのように考えているか大分分かったのだけど、いささか物分かりが良すぎると思うところも残る。

でも、羽生善治が中学生でプロデビューして勝ちまくったときも今と同じような感じじゃなかったの? と言われるかもしれない。

そうではなかったのだ。羽生善治が初めてのタイトル戦に出るあたり、つまり彼が文句なしの第一人者になろうとするところで、猛然と突っ張って見せ、そして結果を出した棋士がいたのだ。

河口俊彦『一局の将棋 一回の人生』に収録されている「日浦五段の突っ張り」から、長くなるが引用する。

 竜王戦の挑戦者になってから、すこし様子がおかしく、よく負ける。にもかかわらず、羽生が実力は一番、の評価はますます高まりつつある。
 そこへ、「そんなことはない。羽生君に八割以上も勝たせるのはおかしいんじゃないか」と言う若者が現われた。日浦市郎五段だが、さしたる実績もなく、羽生に負かされていながら、そんなことを言いだしたのだから、仲間は呆れた。
(中略)
 つまり、将来は名人、近く竜王になろうかという羽生を、負かしてみせる、と言うのは大変な勇気がいる。日浦はそう言ったあと、王座戦、新人王戦と二度対戦し、どちらも勝ってしまった。これにはみんなビックリ。(中略)
 なんで日浦が勝てるのかといえば、負け犬根性がないからだろう。獣が牙をむいたように、負かしてやる、の気持ちをあらわにする。対局前も、早く着いてさっさと上座に坐り、当り前という顔だったそうだ。
「相手が強いと思うと辛抱できない。辛抱しても最後には負かされると思えば、ついつい暴走してしまう。羽生君に負かされている人はみんなそうです。むしろ嫌がらせをするぐらいの気持でないと勝てない」
 対談でそんなことを言っているが、羽生も、こういう相手とぶつかったのははじめてだろう。そのせいか、二度とも終盤でひっくり返された。気圧されるものがあったに違いない。

その後は、日浦市郎という人の当時の若手棋士と少し異なる妥協を許さない人柄が紹介され、「公約通り羽生を負かして男を上げた日浦は、すっかり自信をつけて、その直後、新人王戦で優勝した」という文で終わっている。

今読むと、日浦五段(当時)が語る「辛抱しても最後には負かされると思えば、ついつい暴走してしまう」というのが、渡辺明九段の「対藤井戦においては、つい自爆してしまうような負け方もありました」という言葉に重なるようにも思える。

上で引用した話は良いなと以前から思っていて、それこそ藤井聡太八冠がタイトルを総取りするより前に紹介しようと機会をうかがっていた。しかし、そのタイミングを逃してしまった。なぜか?

日浦市郎(現八段)その人が、コロナ禍における臨時対局規定に立て続けに違反してマスク着用を拒否し、対局停止3ヵ月の懲戒処分を受け、現在まで裁判沙汰になるなど、妥協を許さない人柄が発揮されすぎたため、取り上げる気持ちが萎えたためだ。またこの書きぶりから分かると思うが、この件でワタシ自身は日浦市郎八段の反マスクの姿勢に賛同しないからというのもある。

しかし、某所にこの話を漏らしたところ、やはりブログに書くべきと勧められたので、時宜を逸しすぎたが書いてみた。

タイトル戦に加えてトーナメント棋戦をもすべて優勝してしまう藤井聡太八冠の圧倒的な勝ちぶりを見ると、羽生善治九段が最初に獲得した竜王位を翌年奪い、王将戦で一度七冠達成を阻止し、七冠達成されてしまった後にも竜王、名人の二大タイトルを羽生から奪取した谷川浩司十七世名人がいかに天才かが逆説的に分かる。

谷川浩司十七世名人の不幸は、大山康晴に対する升田幸三中原誠に対する米長邦雄のような年の差5歳以内のライバルがいなかったことがある。羽生善治九段は、逆に「羽生世代」と言われるほど近い歳の実力者が何人もおり、その全盛期を長くしたと言えるかもしれない。

渡辺明九段についても同じ不幸が言われるが、藤井聡太八冠の場合、そのあたりこれからどうなるのだろうか。そうした意味で、竜王戦で彼に挑戦している伊藤匠七段の頑張りに期待したい。

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

前作『アイリッシュマン』に続く約3時間半の映画と聞いたときはいい加減にしろよと思ったが、前作のように自分が契約しているストリーミング配信サービスでの視聴とはいかないので公開初日に行ってきた。

ワタシの中では煮ても焼いても食う気が盛り上がらない種類のスコセッシ映画だったのだけど、彼のマフィア映画よりも軽く、唐突な殺人が説明なく重なり、先にさっさと進むうちに時間感覚がおかしくなる感じ、確かに3時間半かけるだけの作品には違いなかった。今さらワタシが書くまでもないが、やはり彼はすごい。

スコセッシ映画には、悪人/狂人/苦労人が出てくるという定説があるが、本作では主人公のレオナルド・ディカプリオが苦労人、その叔父のロバート・デ・ニーロが悪人なのだが、狂人に欠けている……異様な迫力を誇示してもはや笑えるブレンダン・フレイザーがその枠か? しかし、レオナルド・ディカプリオがちょっと頭の弱い、とにかくかっこ悪い主人公をやっていて、少しも気持ちよくなれない映画なのだが、それがスコセッシの意図なのである。

これだけ長い時間をかけた映画の最後、殺人が白人の娯楽コンテンツとして享受される様を描きながら(参考:ネイティブ・アメリカンの富の最大の泥棒は米国政府だった)、その最後の最後に登場する人の顔を見て、具体的に何とはとてもここに書けないが決意のようなものを感じ、震えた。

ザ・クリエイター/創造者

午後に『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を観た後、レイトショーで本作を観た。映画のはしごなど普段まずしないのだが、本作はなんといっても『GODZILLA ゴジラ』や『ローグ・ワン』(なんでこの映画の感想をこのブログに書いてないんだ? と自分でも不思議だったが、2016年末に活動無期限停止した時期に公開が重なったせいだった)のギャレス・エドワーズの復帰作なので見逃せない。

思えば今年2023年は、ニール・ブロムカンプとギャレス・エドワーズがメジャーの長編映画に復帰した年となった。ニール・ブロムカンプの『グランツーリスモ』は雇われ監督としての仕事と思われるが、本作はギャレス・エドワーズのオリジナル企画で、これにかける彼の気迫が伝わる作品だった。「気になる映画があったら、どうか映画館に出かけてください。大スクリーンで応援してください」という彼の言葉に応えようではないか。

人間と人工知能による戦争というのは、もはや古典的なテーマとすら言える。本作が面白いのは、AI(というかロボット)が支配側ではなくレジスタンス側として描かれること。そうした意味でかなり挑戦的な作品なのだが、そのストーリー構図に『アバター』に近いものも感じてしまった。そこで本作の主役がジョン・デヴィッド・ワシントンなのが機能している。あとハンス・ジマーお得意の圧迫感のある音とは趣向が異なる音楽もやはり機能している。

本作は、西側社会とニューアジアが戦っているという構図で、冒頭「ニューアジアと戦争状態というわけではない」と語られるが、ノマドがあんな爆撃やっているってひどい話で、米軍とベトナム戦争のアナロジーでしょうか。ニューアジアの場面はアジア各国でロケが行われているが、渡辺謙が出演しているだけでなく、車が右ハンドルだったり、これは日本じゃないのか。電光掲示板に「オリックス 5×0 ソフトバンク」と出るあたり、こんな状態で野球を普通にやってるのかよ! となるが、そのあたりにヒリヒリするものをまったく感じないのは、もはや日本は米国にとっての脅威ではなく、カルチャーの参照先であるという立ち位置が本作を観ても分かる。

しかし、エンドクレジットのアレはさすがに全世界共通ではなく、日本版だけだよね?

Maker Faire Tokyo 2023に行ってきた

makezine.jp

個人的な事情がいくつも重なり、10月14日に東京日帰りというとち狂ったスケジュールで Maker Faire Tokyo 2023 に急遽参加した。同日についてのちゃんとしたレポートは、青山祐輔さんによる↑を読んでください。

以下、写真の並びは文章と一切関係ありません。

Maker Faire Tokyo に参加するのは恐ろしく久しぶりで、どれくらい久しぶりかと調べてみたら、なんと2014年以来だった。10年近く行ってなかったのか!

ご存じない人も多いと思うが、ワタシは2006年から2012年まで刊行された『Make: Technology on Your Time』日本版にずっと翻訳者として参加していたため、現在も招待状が届くのである。

WirelessWire 連載に「メイカームーブメントの幼年期の終わりと失敗の語り方」を書いたのも7年以上前になり、長らくメイカームーブメントの現場から離れてしまっていた。

以前は MFT に合わせて東京に遊びに行く予定をでっちあげていたのだが、2016年に福岡を追われて転居した後は、距離的には近くなったはずなのに、逆にそういう上京の機会を作れなくなっていた。2020年以降は、ご存じの通りコロナ禍もあった。

10年近くぶりの参加となれば、前回以前の記憶はもはや昔話なのだが、そこまで極端に浦島太郎状態になることはなかった。やはり変わらぬところも多々あった。

それは出展者にも言えることであり、それを停滞ととることもできるかもしれないが、ワタシにはある意味安心を与えてくれた。それに新しい風も確かに感じることができた。

むしろ変わったのは客層かもしれない。もちろん昔からご家族での参加を歓迎していたが、以前にも増してお子さん連れが多く、それは本当に良いことだと思う。未来は彼ら、彼女らのものなのだから。

そして、以前よりも海外からの参加者がすごく増えている。それはお客さんもそうだし、出展者側もそうだ。Maker Faire といえばこの人、高須正和さんが、中国系の出展者とビシバシ中国語でコミュニケーションをとっているらしいのを小耳に挟み、この人のバイタリティの一端に久方ぶりに触れることができた。

ワタシはほぼ12時の開場とともに入場……するつもりが、最初からかなりの混雑で、これだけうろついていれば知り合いと遭遇するはずという甘い予想が成り立たないのが察せられた。

入場するなり『雑に作る』の写真を撮られている森山和道さんをお見かけし、声をかけようと思ったが、かなり久しぶりなので人違いだったらいかんよなと声をかけそびれてしまった。あれはやはり森山和道さんだった……。

森山さんの他にも、レポート記事を書いている青山祐輔さん、あと wakatono さんも会場におられたはずだが、遭遇しませんでした。

これはいかんと、何度か遭遇する野尻抱介さんと思しき方に思い切って「野尻先生!」と声をかけたら、やはり野尻先生だった。野尻抱介先生も MFT といえば必ず参加されている常連中の常連なのである。

何年も現場に来てないのでそう思うのだろうが、最高位のスポンサーにオーム社や Switch Science と並び SONY の名前があるのに少し驚いたし、その次の位のスポンサーに日テレの名前があり、当然ながらブースを出しているのにも意外さを感じた。

結局17時過ぎまでひたすら会場を徘徊し続け、今年50歳になるワタシ的にはそれなりの疲労だったが、その価値は十分にあった。

なぜなら、こうした現場に出向き、メイカーの皆さんの成果を見ることで、エネルギーが充填される感覚が確かにあったからだ。これはとても大事なことである。

それがすぐに例えば WirelessWire 連載のネタになるとかいう単純な話ではないのだが、やはり真剣に面白いことをやっている人たちを目の当たりにできるのは尊いことである。

あとやはり時代の流れか「AI」を冠した展示がいくつもありましたね。「AIでRCカーを走らせよう!」あたりが気になったが、AI とメイカームーブメントの関わりはこれからどんな感じなんでしょうね。

しかし、それにしても多数の来場者だった。コロナ禍以降、こんな人のいる会場で過ごしたのは初めてだったな。田村さんはお見かけしなかったが、裏方で激務をこなしていたに違いない。

何しろロボット、電子工作、段ボール工作、クラフト、音楽、そしてお子さん向けメイカー教育などが一同に会しているのだからカオスとも言えるのだが、だからこその Maker Faire である。

会場に Make 分野のブックカタログが配布しているのでパラパラと眺めていて、『雑に作る』と『かがくを料理する』あたりで、いわゆる Make 分野の本が(『Make: Technology on Your Time』日本版を除いても)50冊を超えるのに気づく。

ここまで来たんだね。そういえば Make 本の内容では、料理に関する展示は MFT にはないのだが、さすがに料理まで持ち込むことは(火器の扱いや万一の食中毒を考えると)無理だよね。

17時45分発の羽田空港行きのバスで会場のビッグサイトを後にしたのだが、とても気分が良かった。これで明日以降、コロナやインフルエンザが発症しないとよいのだが……。

来年も MFT に参加できると良いのだが、来年の事を言えば鬼が笑うわけで、まずは何より生き延びたいものです。

この段ボールをかぶったお子さんがたと化けわらじらが練り歩くのは、ちょっと百鬼夜行味があってよかった(笑)。

かの『Whole Earth Catalog』がほぼ完全にオンライン公開されている

wholeearth.info

いやぁ、驚いたねぇ。スチュアート・ブランドが手がけ、後にスティーブ・ジョブズスタンフォード大学での卒業式スピーチの最後に言及して以降、多くの人に知られるようになった『Whole Earth Catalog』だが、派生シリーズを含めて各号がスキャンされてほぼすべてオンライン公開されている。

先週、「テクノ楽観主義者からラッダイトまで」でダグラス・ラシュコフによるスチュアート・ブランド批判を取り上げたが、ワタシ自身は「風上の人、スチュアート・ブランドの数奇な人生」も書いており、スチュアート・ブランドを偉人だと思っている。

ジョン・マルコフによる彼の伝記『Whole Earth』の邦訳がもう少ししたら出ると思うので、意図せずその前祝いとなるニュースだと思う。

ネタ元は Boing Boing

SAPPORO POSSE氏のZINE『HYPERTEXT #1:カウンターカルチャーと陰謀論』が楽しみだ

camp-fire.jp

このクラウドファンディング立ち上げの報せは、界隈に静かな激震をもたらした。SAPPORO POSSE 氏が昨年発売した伝説の ZINE『HYPERTEXT Vol.0(創刊準備号)』を購入し損ねたワタシにとって、この機会を絶対逃せない。

すかさずワタシもこのクラウドファンディング支援者に名乗り出たが、ワタシの知る人だけでも、以下の方々がこのプロジェクトへの支援を公表している(敬称略)。

他の人は知らないが、ワタシがこれを逃せなかったのは、SAPPORO POSSE という人が、カウンターカルチャー、パソコン・インターネット文化、陰謀論といったワタシの興味範囲について、ワタシにはできないアプローチで文章を書けるからなんですよ。

支援金額は見事目標に達したので、今は SAPPORO POSSE さんの作業の完了を静かに待ちたいと思う。

ウィルコのジェフ・トゥイーディーが3冊目の著書『World Within a Song』を来月出す

ウィルコというと、先月新作『Cousin』を発表し、来年3月には来日公演も行われるが、フロントマンのジェフ・トゥイーディーの3冊目の著書となる World Within a Song が来月出る。

ジェフ・トゥイーディーの本というと、『ジェフ・トゥイーディー自伝』(asin:4401647211)は邦訳が出ているが、その次に出した How to Write One Song に続く本になる。

今回の新作は、人生を変えた50の曲、それぞれの曲にまつわる実体験を通じて音楽と人生がどのように絡み合い、高め合うのかについての本とのことで、「僕の人生を変えた音楽と僕の音楽を変えた人生」という副題はそのあたりを言っているのだろう。やはり、一種の回顧録でしょうな。

彼の「人生を変えた50曲」には、リプレイスメンツ、メイヴィス・ステイプルズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドジョニ・ミッチェルオーティス・レディングドリー・パートン、ビリー・アイリッシュらの曲が入っているが、彼がビリー・アイリッシュの曲をどう論じるのかは興味あるね。

そうそう、ステージで共演もしていたミシェル・ザウナー(ジャパニーズ・ブレックファスト)も推薦の言葉を寄せている。

スティーヴ・クーガンがなんとスタンリー・キューブリックの名作『博士の異常な愛情』を舞台化

www.theguardian.com

『ロスト・キング 500年越しの運命』で製作、脚本、助演を務め、BBC のドラマ『The Reckoning』で人気テレビ司会者にして「英国史上最も多くの罪を重ねた性犯罪者」とも言われ、日本におけるジャニー喜多川による性加害問題を論じる上で引き合いに出されるジミー・サヴィルを演じ、そして彼がプロデュースする新作映画はキャリー・マリガンが主演など活躍著しいスティーヴ・クーガンだが、来年の10月になんとスタンリー・キューブリックのブラックコメディの名作『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』を舞台化するという(公式サイト)。

脚本を手がけるのは、スティーヴ・クーガンの代表作『アラン・パートリッジ』シリーズを手がけた盟友アーマンド・イアヌッチで、そういえば『スターリンの葬送狂騒曲』も彼の作品だったな。

スタンリー・キューブリックの映画では、ピーター・セラーズがストレンジラヴ博士、マンドレイク大佐、そして米国大統領を演じたが、舞台版でもクーガンが「極めて対照的な役」を演じるとのこと。舞台ではストレンジラヴ博士と米国大統領を同時に演じるのは不可能なので、おそらくは少なくともストレンジラヴ博士とマンドレイク大佐、あと(映画でも当初セラーズが演ずる予定だった)コング少佐を演じるのかな。

WirelessWire News連載更新(テクノ楽観主義者からラッダイトまで)

WirelessWire Newsで「テクノ楽観主義者からラッダイトまで」を公開。

またしても、3回分の内容を1回にぶちこんでしまった(頭がまともなら、「TESCREAL」で1回、『デジタル生存競争』で1回、そして『Blood in the Machine』で1回書くだろう)。

ブライアン・マーチャントは確かに『THE ONE DEVICE ザ・ワン・デバイス iPhoneという奇跡の“生態系"はいかに誕生したか』(asin:4478104395)の時点で、「現在2冊目の本を執筆中。オートメーションへの反発から機械を破壊した1800年代の「ラッダイト運動」と、その現代版がテーマ」とのことだったが、本当に書くとはと驚いて取り上げた。

今回、ジョナサン・タプリンの新刊『The End of Reality』を取り上げているが、実は彼の名前は、「風上の人、スチュアート・ブランドの数奇な人生」にも出てくる。これは重要な伏線で、次回以降そのあたりを踏まえた文章を書くかもしれない。

WirelessWire News連載更新(先鋭化する大富豪の白人男性たち、警告する女性たち) - YAMDAS現更新履歴

もはや覚えている人はいないだろうが、今回がその文章なのである。

次回は今回の3分の1とは言わないが、半分くらいの分量におさめたい……。あまりに長くなったため、少しでも短くしようと八田真行さんの名前を出す際に、「人間的な好き嫌いは別としてその仕事に敬意を払っている」という枕詞すらオミットしなくてはいけなかった。

それはそうと、前回に続いて文章を書く契機となったので、八田真行さんに深く感謝する。

これはたまたまだが、今回の文章は WIRED の記事を特に多く参照している。そうした意味で、WIRED の日本版編集長である松島倫明氏にも感謝する。

一応利害関係を開示しておくと、今回の文章で取り上げた本では、『チームヒューマン』のみボイジャーの鎌田社長からご恵贈いただいている。

デイヴ・ワイナーのポエム(?):「開かれたウェブ」とは冗長表現なり

デイヴ・ワイナーがポエムを書いていて感じ入るものがあったので訳しておこう(言うまでもないが、ここでの「ポエム」はバカにしているのではないからな)。

「開かれたウェブ(open web)」が冗長表現なのに気づいた。
「独立したウェブ(indie web)」という表現もまた然り。
ウェブは開かれている。そのユーザは独立している。
そしてウェブは、自己保身に長けたテック企業に乗っ取られるにはかけがえがなさすぎる。

まったくその通りと書きたいところだが、今もウェブは開かれており、そのユーザは独立していて当然と言えるだろうか。もちろんデイヴ・ワイナーもその現状を承知しながら、あえて書いたのだろう。

それは彼が書く通り、ウェブは例えばイーロン・マスクのおもちゃになるにはあまりにもかけげえのないものだから。

今「封建主義」がアツい!? ヤニス・バルファキスの新刊『Technofeudalism(テクノ封建主義)』が出た

www.themonthly.com.au

日本でも『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』、『黒い匣 (はこ) 密室の権力者たちが狂わせる世界の運命――元財相バルファキスが語る「ギリシャの春」鎮圧の深層』、『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』などの邦訳が出ているギリシャの元財務相ヤニス・バルファキスの新刊 Technofeudalism: What Killed Capitalism が出たのを知る。

ヤニス・バルファキスは以前から「Technofeudalism(テクノ封建主義)」という言葉を使っており、ダイヤモンド・オンラインにも「資本主義を覆すテクノロジー封建主義、アマゾンやフェイスブックは今や荘園」という邦訳が掲載されている。

そして、ワタシもこれに触発されて、「AIは監視資本主義とデジタル封建主義を完成させるか」を書いている。

そういえばバルファキスは昨年も「ツイッター騒動に隠れたマスク氏の野望、テクノロジー封建領主への道」という文章を書いていた。我々は既に、「デジタル荘園(digital estate)」をせっせと耕す「クラウド農奴(cloud serf)」というわけですね。

少し前にジョエル・コトキン『新しい封建制がやってくる』が来月出ることを取り上げたが、今新たなる「封建主義」がアツいということなのだろう。バルファキスの新刊も来年あたり邦訳が期待できるでしょうな。

米国でもっとも問題視されている本トップ10(13冊)

www.ala.org

danah boyd のブログで知ったのだが、先週は Banned Books Week だったらしい。

Banned Books Week celebrates the freedom to read and spotlights current and historical attempts to censor books in libraries and schools.
(「禁書週間」とは、読書の自由を祝福し、図書館や学校での現在および歴史的な検閲の試みにスポットライトを当てるものです)

Banned Books Week (October 1 - 7, 2023) | Advocacy, Legislation & Issues

なんで「禁書」にスポットライトを当てるのかというと、それだけ特に米国における禁書運動が苛烈だということなのだけど、そのあたりについては「人種差別やジェンダーなど関連本の禁書運動、自由の国アメリカで深刻化 一体何が?」あたりを読まれるとよいでしょう。

そして同じく米国図書館協会のサイトで、現在もっとも Challenged Books(問題視されている本)が13冊選ばれている(10位タイが3冊)。要は保守的な州の図書館などで禁書扱いされているということですね。

1位のマイア・コベイブGender Queer については、翻訳出版を目指すクラウドファンディングが立ち上がっている。

2位のジョージ・M・ジョンソンの All Boys Aren't Blue については、一書一会のエントリが参考になる。

……と紹介していくとキリがないが、上記のページにはなぜこれらの本が問題視されるのか理由も書かれており、1位も2位もそうだが、LGBTQ 絡みが多い印象。

邦訳が出ているのは、3位のトニ・モリスン『青い眼が欲しい』、5位のジョン・グリーン『アラスカを追いかけて』、6位のスティーヴン・チョボウスキー『ウォールフラワー』、8位のシャーマン・アレクシー『はみだしインディアンのホントにホントの物語』あたりかな。

『ウォールフラワー』はスティーヴン・チョボウスキー自身の監督・脚本で映画化されているんだね。

10位のジェシー・アンドリューズ『Me and Earl and the Dying Girl』も映画化されている。

ロスト・キング 500年越しの運命

自分でも理由が分からないのだが、映画館で映画を観ていて、ずっと泣いてしまう映画がある。以前では、『パレードへようこそ』がそうだった。そして、本作もワタシにとってそういう映画だった。大好きなサリー・ホーキンスが出てきただけでもう泣いていた。最後までほぼ泣いていた。

本作は、アマチュア歴史家のフィリッパ・ラングレーが指揮を執り、500年以上行方不明だったリチャード三世の遺骨をある駐車場で発掘した驚きの実話を基にしているが、本作はその最後で主人公が語るように、人生で正当な評価を得られず、真価を発揮できずにいた人の物語である。それはリチャード三世だけでなく、主人公も指している。

物語は、慢性疲労症候群(字幕では「筋痛性脳脊髄炎」になっており、それが正式な学名なのだろうが、こちらのほうが伝わりやすくないか)を患い、職場で正当な評価を与えられず、夫と別居しながら2人の息子の子育てをする主人公が、舞台『リチャード三世』を観劇し、そこで描かれる甥殺しの冷酷非情な王に疑問を感じるところから動き出す。

本作が驚きの実話を基にしているのは間違いないのだけど、主人公が「主婦」であることを強調するのは少し違うように思う。これについては、「『主婦』ということで私のステイタスを上げようとしているのなら、主婦でない人にも主婦にも失礼ではないか」という小林カツ代の言葉をどうしても思い出してしまう。

それでも彼女がアマチュア歴史家だから、女性だから軽んじられたのは間違いなく、後者については感情を出すなとアドバイスされるあたりによく出ている。一方で彼女は自身の直感と信念を捨てず、強情さを貫いたからこその発見であったことも描かれているが、最終的には信じる心となると共依存陰謀論につながる話になり、難しいところもある。

ワタシが本作を観に行ったのは、主演がサリー・ホーキンスだからというのもあるが、製作、脚本、助演がスティーヴ・クーガンだからなのが大きい。つまり、本作は『あなたを抱きしめる日まで』と同じ体制で作られた映画なのだが、いずれも芯の強い女性を描いて成功している。

かつて『24アワー・パーティ・ピープル』トニー・ウィルソン役がクーガンと知ったピーター・フックが、「マンチャスターいちのうつけ者を、マンチェスターで二番目のうつけ者が演じる」と軽口を叩いたが、クーガンは素晴らしい映画人になった。

主人公が大発見をすると、すかさずレスター大学がしゃしゃり出てきて、あからさまに手柄を彼女から奪い去る。そのあたりをちゃんと描き、単純なハッピーエンドにしなかったのも良かったと思う。最後に主人公が語る、この文章の最初で引用した苦みのある言葉は、主人公の揺るがなかった信念を浮き上がらせている。

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