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この記事タイトルには苦笑してしまった。ジャーニーを「「産業ロック」呼ばわり」って、それやったの、お前のとこの社長(現在は会長)だろが!
というわけで、渋谷陽一の著書などからの引用を今月もやらせてもらう。今回は、彼が「週刊FM」1982年12号に寄稿した「産業ロックへの挑戦状」を紹介する(『ロック微分法』収録)。
FM ラジオ専門の週刊誌があったなんて、若い世代の人にしてみれば信じられないかもしれないが、それはともかく、この文章の「産業ロック」というお題は、編集部サイドから与えられたものらしい。
この"産業ロック"、僕が勝手につけた名称で、アメリカで売れまくるフォリナー、ジャーニー、スティックス、REO・スピードワゴンといった一連のグループを指す言葉である。アメリカではこういうグループを"ダイナソー・ロック(恐竜ロック)"と呼ぶらしい。つまり巨大で古めかしいというわけだ。
やはり「産業ロック」という呼称は、渋谷陽一の発案のものらしい。そして、その範疇にジャーニーも入る。それでは、産業ロックとは何なのか。
産業ロックの特徴としてあげられるのは、まずメンバーのほとんどが長髪である事。そしてウス汚れたGパンにTシャツといった服装が多い。
なんだそれ、当時のロックバンドの半分くらい当てはまるじゃないかと言いたくなるが、この後渋谷は、ヤクザ、サーファー、ファッション関係者がそれぞれ似通った、独自のファッション美意識を持つ話を続ける。彼ら/彼女らの美意識は、その発想、イデオロギーと深くかかわりあっているからで、それはロックにも同じことが言えると渋谷は続ける。
ロックにとって音楽のスタイルはファッションと深いつながりがある。新しい音楽スタイルは常に新しいファッションやヴィジュアルを伴っていたといっていいくらいだ。その最大のものがパンクだった。あのスリー・コードのビート・ミュージックには、長髪とベルボトムのジーンズはふさわしくない。これは動かしがたい事実として、僕等の目に映った。
逆に言うと、長髪とウス汚れたGパンにTシャツという工夫のないファッションは、渋谷にとって、試行錯誤しながら進んできたロックの歴史を元に戻してしまう敵に思えるということだ。
さて産業ロックの次なる特徴、それは音楽的に全くアヴァンギャルドでない事。
情緒的で類型的なメロディ、大仰なアレンジ、やたら厚い音、歌いあげるような唱法。日本のシンガーでいうならアリス、あれに近いものがある。
アリス、というかチンペイとばっちり。
ひとつひとつのアヴァンギャルドな試みが積み重なって音楽は進んでいく。そんな努力がない限り、音楽は動脈硬化するだけである。僕にとって産業ロックとは、その動脈硬化なのである。シュガー・コーティングのみが巧妙な、やたら甘いだけのケーキ。そればかり食べているとコレステロール過剰になり、そのうち死んでしまう。そんな感じなのだ。
やはり、これがもっとも大きなポイントでしょうな。
次の特徴はマネージメントがしっかりしている事。これはいい事である。今やマネージメントがしっかりしていないバンドは生き残っていけない。
ただ、ジャーニーのようにマネージャーがヴォーカリストを選定したり、バンドの基本的方針を決定するようになると、問題も出て来るのではないだろうか。ローリング・ストーン誌に掲載されたジャーニーのインタビューでは、メンバーよりもマネージャーの発言の方がメインにフィーチャーされ、そのマネージメント・システムの見事さが称賛されていた。
ヴォーカリストの選定とは、スティーヴ・ペリーの加入を指しており、それによりジャーニーはトップバンドにのしあがったのは間違いない。ただ、渋谷自身、会社のマネージメント側の人間であり、これについては何が悪いと断罪できず、歯切れが悪い。
ロン・ウッドが加入後10年以上「非正規雇用」扱いだったローリング・ストーンズ、メンバーの権利は当初全員平等だったはずなのに、一人また一人と放逐され、その後に加わったジョー・ウォルシュやティモシー・B・シュミットにはその権利が与えられなかったイーグルスの例をみても、渋谷がこの文章を書いた時点で既に、ロック産業は相当冷酷にシステム化されていたとも言えるかもしれない。
「どうも枚数が足りないので、中途半端にしか書けず」と言い訳しているが、渋谷陽一が出している結論は以下の通り。
とにかく、僕が過剰なほど産業ロックに反応するのは一種の危機感からなのだ。ロックがこれまでジタバタしながらも進んで来た試行錯誤の歴史を全て御破算にしてしまうような不安を産業ロックは僕に与える。何か非常に実もフタもない、という気がするのだ。ジョン・ライドンならずとも「ロックは終わった。」と言ってみたくなるのである。
本文執筆時点で Wikipedia 日本語版に「産業ロック」の項目はないが、「スタジアム・ロック」が意味合い的に最も近いと思われる(Wikipedia 英語版では「Arena rock」)。
そういえばこれも昔の話だが、兵庫慎司が確かボン・ジョヴィのアルバム評で、「かつてロッキング・オンは恐怖だった。自分が好きで聴いているジャーニーを誌面のみならずラジオでも『あれはゴミですね』とつるし上げ、同じ気持ちで好きでいられなくするのだ」といったことを書いていた覚えがあり、子供の頃に兄の影響でジャーニーのアルバムをよく聴き、特に "Separate Ways (Worlds Apart)" が大好きだったワタシもそうだったっけ、と思ったものである。
この曲のビデオは超絶的にダサいことで逆に歴史に残っている。
ワタシがこのブログでジャーニーについて書いたのは、10年以上の「何故ゼロ年代やたらと映画やテレビで"Don't Stop Believin'"が使われたのか問題」くらいかな。