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YAMDAS更新

コラムライブラリshape of my site を追加。

さて本文の中でも書いている仕事がなくなった件だが、それについて自分に対して腹が立ったこともある。この間、事前のアンケートで行くと見得を切った鉤屋のイベントに行かなかったり、『Wiki Way』翻訳のときに大変お世話になったことを鑑みれば真っ先に手を挙げるべき Shiro Kawai さんの査読者募集に協力しなかったりといくつか不義理があったという意識があるからだ。

R30::マーケティング社会時評について

最近面白いエントリを立て続けにものにしているブログだが、「プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その2」『We The Media』の Introduction の翻訳、そして「プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その3」Rebecca Blood の「参加型メディア時代におけるウェブログとジャーナリズム」がリンクされていて、驚くと同時にやはりすごく嬉しかった。

このブログの副題は「きまぐれ偏拾帖リターンズ」で、その前身ブログ時のエントリも読んでいたのだが、ワタシは当時の文章と現在の文章が結びつかず、先日 yuco さんにそれを指摘されて大層驚いたものである。ワタシの場合、その前身とは切り離された形で「ニートになりたい僕たち」を知り、巡回先に追加していたのだ。

あとワタシはそこまで気にならないのだが、このサイトについては文字色と背景色の組み合わせが読みづらいとの声があることを書いておく。文字サイズについても同様だが、これはこのサイトに限った話ではないし、ワタシはもう諦めてブラウザの最低文字サイズ設定を近眼に合った値に設定させてもらっている。

「博客」と呼ばないで!中国ブロガー「博客」呼称騒動――博客中国 vs CNBlog

先日取り上げた中国人ブロガーの呼称問題について、松永さんが例によって長尺の、網羅的なエントリを書いている。

これを読めば、当方の取り上げ方がいかに皮相的だったかということも含め、問題の全体像が掴めると思うので、是非読んでくだされ。

何より「ボケ」ではなく「ボーカー」ということで一つよろしく。

男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない

加野瀬さんの文章を読んで思い出したのが、坂口安吾島崎藤村(の『新生』)を激しく批判したエッセイ「デカダン文学論」である。以下、角川文庫版『堕落論』から引用。

 彼がどうして姪という肉親の小娘と情欲を結ぶに至るかというと、彼みたいに心にもない取り澄まし方をしていると、知らない女の人を口説く手掛かりがつかめなくなる。彼が取り澄ませば女の方はよけい取り澄まして応じるものであるから、彼は自分のポーズを突きぬけて失敗するかもしれぬと口説にのりだすだけの勇気がないのだ。肉親の女にはその障壁がないので藤村はポーズを崩す恐れなしにかなり自由にまた自然にポーズから情欲へ移行することができやすかったのだと思う。

加野瀬さんも戦前の鈴木庫三の話を引き合いに出しているが、「仲良くなるための手間を面倒くさがる」、「心にもない取り澄まし」って普遍的な話なんでしょうな、と自分自身を鑑みても思う。

Nintendo DSでオーケストラ演奏動画

BoingBoing「Rhapsody in Nintendo」として取り上げられてますな。

これで思い出したのが、オペレータのおっさんがキーボードで熱いロックンロールドラムを披露する動画

どっちも全然ミュージシャンに見えない(実際ミュージシャンでない)東洋人がいきなり音楽を演奏するのが面白い。

日本人女性が望むもの。それは西洋人の夫

日本人女性の晩婚化と結婚についての記事が Christian Science Monitor に載っている。またぞろ「韓流」「ヨン様」絡みの記事かと思いきやちょっと違った。

この記事に書かれるような western husband を望む日本人女性ってどの程度いるんでしょうかね。ネタ元は rebecca's pocket

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