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YAMDAS更新、もしくはパスポートにRFIDチップ?

Technical Knockout無線パスポートというダメなアイデアを追加。Edward W. Felten の文章の日本語訳です。

少し前の文章だし、それに内容的にはリンクされている WIRED の記事とほとんど変わらないのだが、どうして訳したのかというと、一つには Ed Felten 教授、並びにブログ Freedom to Tinker に興味があり、以前から何か訳してみようと思っていたこと。気軽にそれができるのは、このブログがクリエイティブ・コモンズ(の帰属・非営利)ライセンス指定だったから……といつもの展開です。

しかし、それ以上に大きかったのは、パスポートに RFID チップが付くという話が全然話題にならなかったという印象があり、もう少し知られてもよいかなと思ったというのがある。

アメリカの現在の動きは、Lessig Blog でゲストブログ(けっ、気取った言葉だぜ。代打日記と言いなさい)を務めた Geoffrey Stone 教授が「ようこそ危難の時代へ」で書いた、

アメリカ合衆国は、戦時に市民的自由を不当に制限するという長く一貫した傾向を持っている。

を反映したものだろう。最近の話では、「米政府、「国家的危機」時にGPSを遮断する計画を検討」なんかもそんな感じですな。

そしてその流れは、アメリカだけのものとは言えないと思うのである。

レッシグ『CODE』のWiki公開とバージョン2執筆

おなじみ Lessig Blog によると、著書『Code』を Wiki 上に公開してアップデートを行い、それを踏まえて Code v2 を完成させるとのこと。

Wiki といっても誰でも好き勝手に修正できるものではなく、「チャプター・キャプテン」の監督がつくというのは正しいやり方だと思う。この試みが成功すれば、Wiki の認知の一助にもなるに違いない。

しかし刊行から数年経った書籍のアップデートとなると、「チャプター・キャプテン」の責任は重いですな。

「できちゃった結婚」="shotgun wedding"

ワタシもてっきり「命中させちゃったから」そう言うのだと思っていたが、語源は違うとのこと。勉強させてもらいました。

試しに "shotgun wedding" で検索して辿りついた石山宏一研究室のページに面白い日本語→英語の例が載っていたのでいくつか引用させてもらう。

ゆとり教育
education with latitude, relaxed education
裁量行政
discretionary administration
ペイオフ
an insured account up to 10 million yen
キレる
go berserk

山形浩生の朝日Be連載

著者のサイトにまとめてアップロードされている。今一気に読むと、いささか自家中毒ぎみな(ワタシの勝手な印象)サイゾー連載に比べ、トピカルな話題をすっきりと扱っているように思う。そういえば、「著作権の「危機」って何だ」は、主要メディアに掲載された、輸入権問題を扱った最初の文章ではなかったか。

連載時には、朝日新聞「自由には必ず責任伴う」をはじめとした狂犬山形浩生の controversial な文章を許容することでいくらか変わろうとしているのかと思ったものだが、冒頭の担当編集者のトホホな実態を読むと、それが単なる買いかぶりだったことが分かる。

ただ最終回である「天下りは悪くないかも」にはやはり賛同できない。天下りに「公共側に役人を踏みとどまらせるニンジン」効果があるというのはその通りだが、公務員の職務内容に応じた給与水準の底上げ、そして著者も書く恩給制度という正攻法のニンジンが先に徹底して論じられるべきだろうに。

最後に書いている年寄りをもっと働かせるための方策という方向性は確かに有望だが、「年寄りは保守的で頑固とされているけれど、やり方次第では(どうせ先は短いんだし)結構大胆なばくちを打てるようになるんじゃないか」というのは根拠が薄すぎる。そうなる余地があるなら、ここまで天下りが問題視されることもなかろうし、それにそういう「大胆なばくち」こそ、年寄りの天下り役人ではなく、ちゃんと責任の取れる地位にある働き盛りの人間がやるべきじゃないのか。

スミスの歌詞についての与太話

さて、その山形さんから引用した歌詞について突っ込みがあったが、以前から疑問に思っていたのが正にその点だったりする。スミスのアルバムのブックレットに掲載されている歌詞が、実際にモリッシーが歌っている言葉と一致していないものが多いのである。それも微妙に違うとかいうのではなく、"Frankly, Mr Shankly" のようにキメとなる最後のラインが載ってないとかいうのがいくつかある。

例えば、ワタシがコメントに "There is a light that never goes out" という一文を書いているが、これもスミスの曲タイトルである("Frankly, Mr Shankly" と同じく『The Queen Is Dead』収録)が、同じくブックレットには曲の最後にリフレインされるこの美しいフレーズ(というか曲タイトルやで)がなぜか載っていないのだ。

さらにいえばワタシが注釈で引用している歌詞は、"Stop me if you think you've heard this one before" のアルバム『Strangeways Here We Come』のブックレットからの引用だが、これも実際の歌と明らかに違うのは、この曲を聴いたことのある人ならご存知の通り。

それこそ「サーペンス・アルバム」に書いた、今より遥かに熱心に一つのアルバムと向かい合ってた頃には(残念ながらスミスはリアルタイムには聴けなかったが)、こういったこと一つにも、「モリッシーは歌詞を一つの作品として考えているからだろうか」「この省略には何か意味があるのだろうか」などと勝手に深読みしたりしたわけだが、こういう深読みって当人に聞くと、大抵「ん? 知らない」「別に意味はないけど」だったりするんだよな(笑)

そういうわけでこの話にオチはないのだが、クリスマスイブに書いた半ばイヤガラセ的文章が、「クリスマス・アンド・ニート」というタイトルで紹介されているのを見たときは、さすがに苦笑いせずにはおれなかった。

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