地震が起きたとき、品川駅の中央改札口で友人を待っていた。今は困る! と必死に念じた。もっともそのとき山手線の車中にいた友人は特に揺れを感じなかったようだが。
会うのはおよそ一年ぶりになるが、もう二度と会うことはないと思っていた。可能性を見切られ、切り捨てられたと考えていたのは、自他ともに認める当方の強度の被害者意識のなせるわざであるが、もはや当方の存在が相手に必要とされていないという点については違いはない。しかし、それは当方がおかした失敗の代償の一部である。
どういうわけか、この友人と会うとき、ほぼ必ずといって良いほど雨になる。この日もそうだった。しかし、そのことに気付いたのは翌日帰りの飛行機を降り立ち、東京とうってかわった晴天の空を見上げたときだった。お前はいつもそうなのだと思い至り、昼食を済ませた後、駅で友人を見送った際に感じた不甲斐なさを再度味わうこととなった。