いや、今更何がどうしたというわけではなく、先日調べ物をしていたら、当方のメールアドレスが載っていて一瞬驚いたもので。
でも、記憶を辿ると、ああ、一度なぜかワタシにもメールが転送されたことがあったなと思い出した。当方は松田新平氏とはまったく親交はなかったが、さすがに氏の名前は(晩年の評判とセットにして)知っていた。
彼の名前をぐぐれば、今でもすぐにいくつかの追悼文を読むことができる。しかし、その死から一年経ったとき、改めて彼について書かれた文章は、小笠原陽介氏の「ネットから消えた友人について」ぐらいしか見かけなかった。
去るものは日々に疎しというべきか、人は死してURLを残す、もしくは墓としてのWWWというべきか。
さて、以上の話とはまったく関係なく、その小笠原陽介氏の「ITニューリッチを見て思うこと」を読み、思うところがあった文章を引用しておく。
成功への階段を上り詰められたかどうかはともかく、少なくともそれに挑める場所にいた。挑戦すらしなかった、できなかったのは自分自身だ。言い訳のできない同時代を過ごして、自分の才覚のなさ、勇気のなさを、身に沁みて思い知らされる。それはチャンスに恵まれなかったよりも残酷なのかも知れない。