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村上元三、筒井康隆、直木賞、流行作家

先日村上元三が死去したが、流行作家の常というべきか現在彼の小説を読んでいる人はかなり少ないだろう。もちろんワタシも読んだことはない(笑)

彼の名前を見て思い出したのは、筒井康隆が『噂の真相』の連載で書いていた文章である。以下、『笑犬樓よりの眺望』(asin:410117136X)の208〜209ページより引用。

...「オール讀物」誌上で、直木賞選考委員全員が、ヴェテラン作家阿部牧郎の受賞が話題になったことを契機として座談会をやっているのだが、ある大家が「受賞には運不運がある」うんぬんと発言しているのである。これで頭に血がのぼった。落選した者が自分を慰さめるためにそう言うのならよろしい。とことん議論を尽し、その運不運がないようにと懸命の努力をするのが選考委員の務めではないか。この発言から決定的に欠落しているのは文学史的責任感である。おれが三回落されたことだけを言っているのではない。(中略)現在世界的にその要素なくしては純文学はおろか映画や社会現象をさえ語れなくなっているSFに対してひとつも賞をあたえないでおいて不運だとのみ言い、よく夜間眠れるものである。
 これは何も選考委員すべてに対して怒っているいるのではない。現在の委員はほとんど新たに就任した人であり、過去の大罪を背負ったままでまだやっている人は前述の発言をした大家ひとりだけである。武士の情で特に名は秘すが、村上元三という人である。

これは1988年に書かれた「殺さば殺せ、三島賞選考委員の覚悟」の中に出てくる文章だが、こうした文学賞の当落に関する話として思い出すのは、筒井康隆も件の文章で名前を出している『大いなる助走』(asin:4167181037)である。この小説は直木賞選考委員を次々と殺していくショッキングな後半の筋をもって語られることが多いが、それよりも作家を目指す田舎文士達の生態の描写が主眼の小説だと思う。

さて、公正を期すために付け加えておくと、『笑犬樓よりの眺望』にはもう一箇所村上元三の名前が登場する。それは『朝のガスパール』(asin:4101171343)連載に際して書かれた「新聞小説ははたして不要か」という文章で、太平洋戦争後新聞小説の連載が再開されると多くの人が熱心に読んだことの例として、村上元三の『佐々木小次郎』の連載中、小次郎を殺さないでくれという嘆願の投書が山積みされたことを挙げている。

そういう時代もあったのだね。

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