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フィリップ・マーロウのすべってる話

実に二年以上のブランクを破っての「世界文学全集」第三回目は、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』である。

この作品に関しては何度も(裏表紙にあるように)「畢生の傑作」と書いてきたので今更こんなことを書くと意外に思われるかもしれないが、畢生の傑作である。ロバート・アルトマンによる映画版は、原作を見事に崩した佳作でこちらもお勧め。

さて、チャンドラーの文体には気取ってるといった批判があり、それに対してはワタシはむきになって反論するわけだが、「章の終わりごとに警句じみた一文をひねり出そうとする」というのは、例えば以下のようなものを指しているのだろう(515ページ)。

 私たちは別れの挨拶をかわした。車が角をまがるのを見送ってから、階段をのぼって、すぐ寝室に行き、ベッドをつくりなおした。枕の上にまっくろな長い髪が一本残っていた。腹の底に鉛のかたまりをのみこんだような気持ちだった。
 こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。
 さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。

でも、常にこうではないのだ。リンダ・ローリングから彼女の父親である億万長者のハーロン・ポッターに会うよう要請される場面では、以下のように章が終わる(311ページ)。

 私は立ち上がって、デスクごしにからだをのり出した。「あなたはときどき、とても可愛くなる。ほんとですよ。ピストルを持っていって、かまいませんか」
「としよりが怖いんですか」
「怖がってはいけないんですか。あなたは怖いんでしょう」
 彼女は深い呼吸(いき)を吐いた。「ええ、怖いわ。むかしから怖かったわ。どんなことをするか、わからないんですもの」
「ピストルを二挺持ってった方がよさそうだ」と、私はいった。そして、いわなければよかったと思った。

おおっと、余計なことを喋ってしまって後悔している。マーロウがすべってしまっている!

これは確かに珍しい事態だが、何もチャンドラーは気まぐれでマーロウをすべらしているのではあるまい。やくざ者や警官を相手にするのは慣れているが、謎な億万長者という自分に縁のない存在にマーロウが感じる緊張を思わず喋り過ぎさせることで表現しているのだ。

こうしてみると、通常営業時においてもチャンドラーは「警句じみた一文をひねり出そうとしている」わけでなく、それは探偵という後ろ暗い稼業と折り合いをつけるためにマーロウが必要とする内的迂回を言葉で表現しているのだとワタシは思うわけである。

以上が、前回「次回はもう少しマジメに書きます」と書いたとき大体頭の中にあった文章なのだが、それを完成させるまで二年以上かかるなんて頭がおかしいに違いない。

あと、この『長いお別れ』が村上春樹訳で出るというのは本当だろうか?(追記:本当です

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