遠藤利明さんにお目にかかったとき、「いつか自分が取り上げられるのではと不安…」ともらしていた「ロック問はず語り」だが、今回はその特別編。
仲俣暁生さんが「横浜国大「編集と批評」講義メモ[その1]」の中でロッキング・オンについて触れていたので、ロキノンと聞いて飛んできました! とワタシが少しだけ補足しておく。
いま81年頃の『ロッキング・オン』を読みかえすと、個々の評論の内容より、「陽一さんのもしもし編集室」のマンガの上に寄稿者の一覧とそれぞれの住所が載っていることに驚く。
そうそう、これは今思えばすごい話である。ワタシも15年間のロキノン読者時代の初期、血気盛んな頃に読者投稿でもして、それが掲載されてたら今頃頭を抱えていたんじゃないかと怖くなる。
あと「陽一さんのもしもし編集室」! これ元々佐々木容子さんという方が勝手に送ってくる渋谷陽一をネタにしたマンガが面白いということで連載になったんじゃかったかしら。
たまたま手元にある「ロッキング・オン」1996年7月号を見てみると、やはりこの寄稿者の住所が掲載されていた。つまり、少なくとも90年代中盤まで続いていたわけだが、ロキノン社員でなくても「編集部気付」を選択できるようになっていて、少しはプライバシーが配慮されるようになっていたようだ。
もう一つ気付くのはページ数の少なさで、広告を入れても96ページ、巻末の広告を除くとノンブルは77までしかない。
渋谷陽一の本(記憶が間違ってなければ『ロック微分法』)にロキノンを値上げしたときの編集長としての文章が収録されており、それを読むと渋谷は「ロッキング・オン」の値段の安さを重視しており、そのために値上げにつながる拡張を何度もはねつけたことがあったと書いている。ページ数の少なさは、それも関係していたのかもしれない。
[追記]:コメントで指摘をいただいたが、『ロック微分法』でなく『ロックはどうして時代から逃れられないのか』に収録されていた文章のようです。
関係ないが、いつか「被差別文化としてのロキノン」という文章を書いてみたいものだ。