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マッドマックス 怒りのデス・ロード

これは何度も書いているが、ワタシは自分が観に行くと決めている映画については、実際に観て感想を書くまで、それについて書かれた文章は、ニュース記事以外はなるだけ読まないことにしている。

しかし本作については、日本公開されて一週間の間に観測範囲でも何人も文章を書いているし、Twitter なども加えると視界をフィルタするのがすごく大変だった! 久しぶりだよ、こういう映画。

いくらフィルタしてもやたらと絶賛されているのは伝わるのだが、正直不安もあった。ワタシはこのシリーズでは傑作とされる『マッドマックス2』しか観たことなく、それにしても後のいろんな作品に影響を与えたことは分かるものの、映画単体としてそこまですごい映画か? と拍子抜けしたからである。本作もそんな感じで悲しかったらどうしよう……。

で、本作だが、このシリーズ特有の世紀末的「ヒャッハー」感を十二分に満たしながら、120分間有無を言わせぬ興奮状態に観客を叩き込むすごい映画だった。

本作は元々旧作同様メル・ギブソン主演で構想されていたが、製作費の問題で長らく棚上げになっていたプロジェクトと聞く。最初その話を耳にしたときは、『マッドマックス』なんて低予算映画の極みだろうに、と少し訝しく思ったものだ。

しかし、本作を観ると、確かにお金をかけないとリアリティが出せない物語なのが分かる。そして、そのリアリティは飽くまで映画的なリアリティであり、核戦争後の科学的なリアリティとははっきり別である。だって、石油が何より貴重な世界なのに、本作に登場する車はどれも燃費が悪そうだし、第一、そんな貴重なガソリン使って太鼓を叩きまくる一団を車に乗せる意味はない。ましてはギターが火を噴くなんて愚の極み――

いやいや、そうではないのだ。本作のエキサイトメントには太鼓も要るし、火を噴くギターも要る。本作のウォーボーイズに代表されるいかにも頭の悪そうな意匠に騙されそうになるが、物語としては三幕ものの極めてオーソドックスな作りであり、カーチェイスのアクションで盛大な破壊を尽くしながら、本作は120分1カットたりとも無駄がないという意味で奇跡的な映画に仕上がっている。

監督のジョージ・ミラー(この人が『ベイブ』の脚本も書いてたのを知ったときはひっくりかえったものだ)が、本作について日本人が字幕なしでも分かるストーリーを目指したとか言っているのを読んだ覚えがある。それはバカでも分かる映画という意味ではなく、行動がすべてを語る映画ということだ。

本作は『マッドマックス』らしく台詞が少ない。その代わり映像ですべてを見せる。それは近年多い、画面あたりの情報量が多い画というのではなく、主人公から女たちからウォーボーイズから悪役まで皆が行動でその意志をすべて表現している。それが上述の太鼓や火を噴くギターとあいまり、荒廃の神話というべき作品に結実している。

役者では何よりシャーリーズ・セロンがよかった。主役のトム・ハーディは実は少しも「マッド」でなく、むしろ「PTSD マックス」なのだが、メル・ギブソンだと少し酷薄というか容赦ない感じになった気がするので、自由を求める女たちの解放というテーマの本作においては彼が主役でよかったように思う。

最初、逃げ出そうとする主人公に対して群がるウォーボーイズが、山海塾というかゾンビとか『アイ・アム・レジェンド』のダークシーカーみたいに見えたのだが、そのウォーボーイズの中にもきちんと人間として描かれている者もいて何かと思ったら、ちゃんとそれにも意味があるんですね。

本作は事情により IMAX 3D 字幕版で観たかったのだが、上映時間の関係で 2D 字幕版しか選択肢がなかった。でも、ワタシ 3D 大嫌い人間なのでそれは後悔していないが、これほど良い映画なのにエンドロールとともにすぐに席を立った人が(ワタシ以外にも)かなりいた。宣伝戦略的にこれでよいのだろうか?

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