何度も書いているが、ワタシは映画は金曜夜にレイトショーで観る主義で、本来なら公開初日の先週金曜に本作を観るはずが、よりにもよってその日、本作の上映館がない県にいたたま叶わなかった。余談ながら、調べてみたら47都道府県中4県がそのアリ・アスター不毛の地(という言葉はない)だった。
今週金曜夜に観に行こうと思っていたら、その日からワタシの行きつけのシネコンは、本作の上映が朝8時台、もしくは9時台に一度みたいな極端な状態になることを知り、水曜夜の鑑賞となった。客は、ワタシの他には一列後ろに座った女性ただ一人だけだった……。
以下、映画の内容にはっきり触れるので、未見の方はご注意ください。
文句なしに不快にさせるところがさすがアリ・アスターというべき映画だった。そして、その不快さの奥に確かに感じ入るところが確かにあるのだ。
彼の旧作では『ミッドサマー』を何度か連想した。いや、もちろんストーリーにまったく似たところはないが、白人を道具にカルト性を描いているところ、あと『ミッドサマー』は村に向かう途中の車が上下反転する画があり、そこから価値観が転倒することが示唆されていたが、本作では二度ビンタされた後に車を走らせる主人公が「逆走だぞ!」と声をかけられるのが、主人公が暴走し、映画がとんでもない方向に転がるキューになっている。
いやぁ、こんな展開になる映画とは思わなかったな。上記の主人公が二度ビンタされるまでのパーティの場面など適度な長回しがうまくて……みたいな話はもはやどうでもいいかな? 本作はアリ・アスターの映画で初めてホラーに分類されない作品だが、エマ・ストーンが車のライトに浮かび上がるところや、車中のホアキン・フェニックスが思わずビビる場面など、要所にホラー演出があってこの人らしいと可笑しかった。
本作は銃の映画である。スマホの映画でもある。人に向けるスマホが銃に擬せられる映画でもある。でもね、破滅性の面でやはり銃はスマホどころじゃないよね。そして、本作の作品の舞台となるエディントンに誘致されるのがデータセンターなのが実に勘所がよいのである。まるで住人たちの右往左往が、最終的にデータセンターに回収され、その開業とともに本作は幕を閉じる。
主人公の保安官のホアキン・フェニックスも問題のある人物であり、それなら彼と対立する市長のペドロ・パスカルに感情移入できるかというと彼は彼で公私ともに身勝手だし、なによりあっさり殺されてしまう。それ以外にも共感できる登場人物はほぼいない。
本作は観客を心底嫌な気持ちにさせる。2020年5月というコロナ禍が本格化した時期をテーマにしており、それによる分断が当然描かれているが、映画の核心においてもよく分からないまま銃撃戦に叩き込まれる。
本作を観て怒る人は多いだろうなと思った。ブラック・ライヴズ・マター運動もマスク強要の窮屈さもうさんくさげなインフルエンサーも描かれる。しかも映画全編を通して、薄っぺらな陰謀論がずっと背景でがなられる感じである。でも、それらの明確な賛同/アンチの立場を示して安堵させてくれはしないのである。だいたい一様に馬鹿げたものとして扱われる。しかも、しまいには陰謀論が現実になる。
今年は『ワン・バトル・アフター・アナザー』があったが、陰謀論とのかかわりで、本作もちょっとピンチョンっぽいと思ったりした。
監督の意図通り、本作に不快さを感じたし、いくつかの場面にワタシも拒否感を覚えた。それでも本作は観る価値があった。ホアキン・フェニックスのチンポコも見れたし。
あと一点、昨日書いたことの関連で、本作もウィキペディア日本語版にページができていない。アリ・アスターくらいの知名度の監督による新作ではありえない話ではないかな。
