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責任逃れの道具としてのアルゴリズム、そしてAI

youkoseki.substack.com

昨日読んだ小関悠さんの文章に深く感じ入るところがあった。

だとすると、そんな恣意的で流動的な仕組みのことをアルゴリズムと言っていいのだろうか? と情報学専攻の端くれとしては思うのである。それってただの経営戦略では? スーパーが週末にセールの日用品を店頭に並べることをアルゴリズムとは言わない。だったらYouTubeが縦型ショートばかり押し出すのも、アルゴリズムとは言わないのではないか。そうした仕組みは経営戦略と呼ぶべきだと私は思う。誰が主導して、誰に責任があるかを明確にするために。

アルゴリズムではない - by 小関悠 - たよりない話

これをシェアしたところ、クリストファー・ノーランも似たことを言っていると教えてもらった。

「この15年間、アルゴリズムなどという言葉を乱発する企業が増えたが、その意味を真剣に理解しているわけではない。これらの人々はアルゴリズムが何を意味するのか知りません」「私の業界の人々がそれについて話すとき、彼らは単にそのアルゴリズムが何をしているのかに対して、責任を負いたくないのです」とノーラン監督はコメントし、「AIに適用すれば、それは恐ろしい可能性なのです」と続けた。

映画『オッペンハイマー』クリストファー・ノーラン監督、人工知能へ警戒心「AI分野の第一線の研究者たちと話すと・・」 - tvgroove

いずれも「責任逃れとしてのアルゴリズム論」だが、ノーランはそれを AI につなげている。

そうなるとやはり連想するのは、テッド・チャンの「AIは新しいマッキンゼーになるのか?」である。

大企業の経営陣が AI を歓迎するのは、それが労働者の賃金を抑制しクビにするツールだから、という側面があるのは否定できないだろう。

小関悠さんの文章に戻ると、X でリンク入りの投稿がアルゴリズムにまったく評価されない話が出てくる。ワタシは以前から X と Bluesky と Threads にマルチポストしているが、本当にそれを実感する。

ワタシをフォローしてる人が数分の一の Bluesky のほうが X よりも何倍も反応が良いのは、もはや日常的なことである(下手すれば、さらにフォローしてる人が少ないはずの Threads のほうが反応が良いことすらある)。しかし、自分が面白いと思ったウェブページをシェアするという極めて単純で原始的な楽しみを遠慮するつもりはない。いくら X から最下層扱いされようが、リンク付き投稿を止めるつもりはない。

それはそうと、テッド・チャンが New Yorker などに寄稿している社会批評を書籍にまとめる出版社はないのだろうか?

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