今日の更新は、ゴールデンウィーク中に観た映画の話が主になる。いずれの作品についてもその内容に触れるので、未見の方はご注意ください、と予め書いておく。
『プラダを着た悪魔』はもちろん観ているが、映画館ではなく、後に地上波テレビで放送されたときだった。ワタシが一人でバンバン映画館に行くようになったのは、2007~2008年あたりのはずで、『プラダを着た悪魔』はその前の映画である。
しかし、前作から20年経って、主要キャスト4人が誰一人欠けることなく揃ったのはお見事だし、それ以上に見事なのは、その4人のキャラクターを掴みながらも、しかるべき変化を見せる脚本である。
そして何より、映画としてシャープなのが良かった。メリル・ストリープ演じるミランダや、アン・ハサウェイ演じるアンディをはじめとする主役陣に忖度したもっさり感がない。スタンリー・トゥッチの安定感は変わらず、そして本作では立場が変わり、出番が少ないかと思われたが、存在感のある助演を見せるエミリー・ブラントも偉い(だって彼女、今や大作で主役張るクラスの俳優なんだから)。
本作が単なる自己模倣に陥っていないのは、雑誌文化の終焉やラグジュアリー産業としてのファッション業界におけるミラノ(イタリア)の位置づけといった本作の題材が時宜を得ているからだろう。いずれは雑誌は終わる。しかし、それは今日ではないと自らの引き際と戦うミランダの姿に、前作とは少し異なる悲哀と奥行を感じる。
ミランダのモデルが、昨年まで長年『ヴォーグ』の編集長だったアナ・ウィンターなのは基礎知識だが、本作には明らかにジェフ・ベゾスとマッケンジー・スコットがモデルと思われる登場人物が配されており、このあたりも今日的なのだけど、雑誌の広告モデルからパトロンモデルへの移行が可能かはどうだろう。しかし、それは雑誌というものが直面している難しさを強調しているのも確か。
本作をこどもの日に観たが、ワタシが住む地方都市のシネコン、しかもレイトショーにもかかわらず、客席はかなり埋まっていた。こんな風に埋まった客席で洋画を観たのっていつぶりだろう。どうして本作がそういう位置にあるのか、根本的にファッションというものに疎いワタシは不思議にも思った。
