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村上春樹が「村上RADIO」で語った面白い話、そして色川武大が直木賞受賞時に井上光晴に殴られた話

先週、radiko で「村上RADIO」を聞いてて面白い話を知ったので投稿したら、ワタシにしてはバズった。

村上春樹が『風の歌を聴け』で芥川賞候補になったのは1979年で、色川武大が『離婚』で直木賞をとったのは、その前年の1978年である。つまり作家としての活動時期が重なっているのだから、面識があっても不思議ではないのだが、年齢が20歳違いのこの二人に接点があったとは知らなかった。村上春樹は、色川武大が彼の店(ピーター・キャット)に来たのは、ジャズを好きだったからだろうと言っていたが、確かにそうだ。

「村上RADIO」はだいたい聞いているが、結構貴重な話をサラっとしていたりする。ワタシの投稿でこの番組について触れたものをいくつかはっておく。

これは番組第1回のときで、ということはこの番組は8年近く続いているんだな。

村上春樹は将棋を指さないのだろうか。

これは不謹慎ながら、聞いてて吹き出してしまった。

うぃきっぺ情報によると、2021年のこの番組で『1973年のピンボール』が『万延元年のフットボール』のもじりであることを認めているが、実は(少なくとも)昨年までこの大江健三郎の代表作を読み通してはなかった?

さて、冒頭の投稿についていろんな反応をもらったが、以下の投稿にはおっとなった。

色川武大が井上光晴に殴られた話をワタシも読んだことがあった。以下、河口俊彦『将棋界 奇々快々』に収録されている「なんと言おうが自分がいちばん」を紹介する。

確か1988年の話と思うが、将棋ペンクラブ大賞の選考を終え、河口俊彦、中原誠王座(当時)、そして色川武大ら五名ほどで新宿のなじみのバーに行くと、井上光晴が編集者と将棋を指してるところに出くわし、合流して飲むことになった。

 小さな店なので、私たちが入るといっぱいになり、井上さんが中央に座って文学論が始まった。いわく「色川武大は直木賞をとってから堕落した」「世界的な作家になる可能性があるのに、若いころの志を失っている」「ボクは、色川君が直木賞をとった夜、バーの便所へ彼を引っ張り込んで、頭をポカポカやったんだ。当人を前にして言うんだから本当の話だよ」などなど。

これはひどい(笑)。

そのうち井上光晴は、「君の対羽生戦の自戦記を読んだけど、君はなぜ負けるのかの理屈がよくわかっているんだな。わかっていながらどうして負けるの」と河口俊彦に問う。彼も言い返したいことはあるが、それができない。

 内心そうつぶやくが、声に出して反論するわけにもいかない。言うタイミングがないのである。なにしろ、井上さんは文壇三声(大声だ)の一人で、おしゃべりが途切れない。このときも、色川さんがちょっとしたすきを見つけて、「井上さんはいつもこうなんだよ。バーの知らないお客さんが帰るとき、私の肩をたたいて『あんた負けちゃだめだよ』と言ったこともある」と笑った。井上さんの隣の中原王座となれば、もう呆然としていた。

文壇三声(文壇三大音声)といえば、丸谷才一、開高健、そして井上光晴を指した。

上でこれは1988年のことだろうと書いたが、色川武大はこの年最高傑作(だとワタシは思う。「ネットにしか居場所がないということ(前編)」の冒頭で引用させてもらった)『狂人日記』を出し、翌年には心臓破裂で亡くなっている。

離婚

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