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新聞社にまつわるトリビア、並びに道具考

「オールドメディアの世界」の中の一文に注目。

ちなみに昭和四十年代までは、伝書鳩を使って原稿や写真を送っていたという。

20へぇ……と言いたいところだが、調べてみたら、本家トリビアの泉にも約一年前に取り上げられていたんですな。

新しい道具が出現すると、その道具自体に反感を持つ人も出るし、その道具を使うことの意義を(後からすれば失笑せざるをえないほど)力を込めて語る人も出てくるものである。

昔は、小説家がワープロを使うということ自体が一大事だった。例えば安部公房『死に急ぐ鯨たち』に収録されているインタビューは、当時大家に属する作家の中ではいち早く使い始めたワープロの話にそこそこ割かれており、隔世の感がある。もっとも安部公房の娘であるねりさんのインタビューを読むと、安部公房ワープロを使うようになって想像力が枯渇したといった意見が著名な文芸記者から出たということだが。

件のインタビューでは結構冷めた口調だったが、安部公房ワープロの効用を熱心に説いていた。これは以前にも書いた話だが、それなのに彼は、使っているワープロの機種の話になると途端に口が重くなった。しつこく尋ねると、「言うけど、笑うなよ」と釘を刺してから、「実は『文豪』って言うんだ」と照れながら言ったそうである。

以上、/.J「文豪 ひっそりと終わる」というストーリーを見て思い出した話。

さて、書く道具が万年筆からワープロ(パソコン)に変わり、書く内容は変わるのか。もちろん変わる。例えば坂口安吾の「ジロリの女」だったか、戦時中彼が映画会社に雇われていたことを書いているのだが、自分はショクタクだったが、嘱託という漢字が書けないくらいのショクタクで……といった言い回しがあったと思う。IME を通すようになれば、こういった語り口は成立しなくなる。かといって、それが本質的な変化かと言われれば、そんなことはないんじゃないのと言うだろう。

ただ逆にあんまりそういうのが言われなくなったように思えるだけに、その辺りを突いた評論があると、その突き方によっては実は面白いものになるのではないかと思うことがある。例えば、綿矢りさが手書きで小説を書いているかそうでないかというのを主題にした評論などまずないだろうし(実はあるのか?)。

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