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追悼ジェフ・ベック――1989年インタビューに見る中年の危機からの脱出

nme-jp.com

ジェフ・ベックの訃報には驚いた。昨年もジョニー・デップとの共演アルバムを出し、元気にツアーをやってたし、何より若い頃からほとんど変わらない佇まい、要はハゲもせず、太りもせず、精悍さをずっと維持していた人だから。三大ギタリスト(日本のみで流通している呼称)では絶対彼が一番長く現役でいると思い込んでいた。

それにしても自分にとって大事な人の訃報が続く。ジェフ・ベックの後には高橋幸宏の訃報に接し、個人的にはやはり幸宏さんのほうがショックが大きかったのだけど、ここはジェフ・ベック追悼をやりたいと思う。

1989年からおよそ15年読者だった雑誌 rockin' on の過去記事をとりあげる「ロック問はず語り」、今回は1989年11月号に掲載されたジェフ・ベックのインタビュー(元は Musician 誌掲載)を紹介する。なお、この号の表紙もジェフ・ベックで、彼が rockin' on の表紙を単独で飾ったのはこれが最後だと思う。

インタビューの紹介の前に少し文脈というか時代背景を説明しておきたい。

ジェフ・ベックに限らず、1960年代から活躍していた人たちは、1980年代ではっきりキャリアが下降線をたどる。ザ・フーレッド・ツェッペリンのようにメンバーの死があり解散したバンドもあるし、ストーンズも解散の危機を迎えたり、ジョージ・ハリスンのように音楽業界から一度離れてしまった人、ニール・ヤングのように「意図的に売れないアルバムを出している」とレコード会社に訴えられた人、80年代のコマーシャリズムについていけず、作品の評価もセールスも低調になった人が多かった。

ポール・サイモンの『Graceland』あたりが嚆矢だと思うが、1980年代後半になると、ルー・リードの『New York』など、吹っ切れてその人らしさを取り戻したアルバムを出すのだけど、1985年にナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、彼なりに売れ線を狙ったが外してしまった『Flash』を出したジェフ・ベックにとって、1989年に発表した『Jeff Beck's Guitar Shop』もそうした「復活」の一つに位置づけられるだろう。

新作が前作とガラッと雰囲気が変わり、また1970年代のフュージョン系とも違う印象があるが、その方向転換の理由を聞かれたジェフの言葉はとても率直である。

はっきり言ってもうあれしか手がなかったんだよ。というのは俺が弾けるような作品や、興味をそそられるものを他の誰も書いてないわけだからね。俺、結構、この何年かは現場のシーンの音を漁っててさ、クラブにも足を運んだりしてたんだよね。それでロサンジェルスで探りを入れてみて、それから遥々ニュー・ヨークくんだりまで行ってもう本当にガッカリしちゃったよ。結局、この俺が自宅で書いてるものの方がまだいいんだからさ。

明らかにコマーシャリズムを意識した前作『Flash』についてもやはり率直に語っている。この人は正直だ。

あのアルバムの時は、俺、あのまま成功へまっしぐらに進んでいくものと信じて疑わなかったよ。ナイル・ロジャースと超バカ売れLPを作って、その後には今回のようなものをやると、もう心に決めてたんだ。でも、実はナイルが俺に用意してくれた作品は全然、俺に向いてなかったわけ。材料が全て間違ってたんだね。

ただ続けて、ヤン・ハマーが書いた曲とロッド・スチュワートとの久しぶりの共演となった "People Get Ready" は例外としている。

このインタビューではロッド・スチュワートを讃えていて、「レコード1、2枚程度なら俺とまた組んでみたいといつだって感じてるはずさ」と語っているが、それは実現しなかった。

ただ、後にこうした共演は実現している。

その後でジェフが語る、80年代の音楽シーンに対する失望の話は、当時彼が感じていた孤立感をよく伝えている。

ただね、あの当時俺は音楽業界で起ってしまったことに絶望してしまったんだ。猛烈な勢いで進行するこの、終ることを知らない、凄絶な、企業集団による蹂躙を目の当りにしてもう希望も何も失ってしまっていたんだ。しかも俺のような人間には全く居場所がなかったわけだし。単に時間の無駄なんじゃねえかって思ったもんだよ。俺と繋りを持ってるような奴なんてもう誰も業界では力を失っていたし、大体、俺のレコード会社なんてニュー・ヨークを本拠地にしているのに俺はイギリスの奥地の彼方に住んでるわけだから自分がこの業界の一員だなんて実感さえ失くなっちゃってさ。

悶々としながら、彼は80年代の大半の時間を車いじりに費やしていたようだ。

俺なりにそういうことを考えながら座り込んでしまう様な時期があったんだよ。切磋琢磨を重ねながら、一日八時間も練習するだけの価値が果してあるんだろうか。実は俺もそろそろギターをケースにしまい込む時期なんじゃないかってね。

そんな時期を経て、トニー・ハイマスとテリー・ボジオとアルバム制作に入るのだが、以下のくだりは当時読んでて「オヤジくせえな」と思ったのを覚えている。

それなのに八ヶ月もかかっちゃったのは、そう、途中でチェスなんかやり始めたからだろうなあ。トニーの馬鹿がチェス盤を買ってきやがってさ。昼くらいに起きるだろう? それから二時くらいまでは脂がのらないからチェスをやるんだ。その内、何だかじじいの寄り合いみたいになっちまって。

今ではこの感覚はよくわかる。というか、今では自分は、当時の彼よりも年上になってるんだよね。

オヤジの与太話ついでに、『Jeff Beck's Guitar Shop』のレコーディングを行ったのが、ジミー・ペイジが所有するスタジオであることを聞かれてのジェフの答えがおかしいので引用しておく。

「そりゃ、やっぱり、気分良くなかった。俺が黙々と仕事をするだけであいつは懐を暖かくしていくんだぜ。それに作品を完成させて引き上げる時、俺のバイクだけ置いてきちゃったから、あいつはスタジオ代の儲けの上にバイクも一台分儲かったんだ」

●(笑)そんなの取り戻しに行きゃあ、それで済むことじゃないですか。

「いやあ、あいつのことだからもう売っ払っちまってるよォ」

そういえば『Jeff Beck's Guitar Shop』には、クイーンのブライアン・メイが「これまでレコーディングされたギター・ミュージックで最も美しいもの」と評した “Where Were You”が入っているが、この曲についてはジェフ自身は以下のように語っている。

そう、俺がアームを使って演奏をするのはかなり画期的なことだよね。ただ、弾く時の加減が凄く難しいんだ。まあ細かいことは俺の手首に訊いてくれよ(笑)

このインタビューで重要なのは、インタビュアーがジェフの自分への厳しさ、過去の作品をことさらに過小評価するところを指摘しているところ。それに対して、ジェフも率直に認めている。

いやあ、ひどいもんだよ。その辺、とてつもないんだよな、俺って。実際、その癖を直せば俺にはもっと方向性や一貫性が見えてくると思うんだけど。何か、創り上げたものをすぐにブッ壊しちゃうんだよ。

かつて「アルバムを2枚作ったらバンドをぶっ壊す病」とその悪癖をファンは嘆いたものだが、エリック・クラプトンの後釜としてバンドをブルース一辺倒から変えたヤードバーズ時代、ハードロックの先駆けとなった第一期ジェフ・ベック・グループ、よりソウルやファンクに接近した第二期ジェフ・ベック・グループ、クリーム後の最強のロックトリオだったベック・ボガート&アピス、ギターインストの頂点と言える『Blow By Blow』と『Wired』、いずれもジェフの仕事は革新的だったが、だいたいアルバム2枚出したあたりで自分の成した仕事に飽きてしまい、人間関係を含め壊してしまう。

そうして渋谷陽一も指摘するように「残した仕事は多い。ただ、その仕事に連続した物語性はなく、印象的な短編がたくさんある感じ」になったわけだが、でも、そのキャリアを通してギターの斬新さは一貫している。

Jeff Beck's Guitar Shop』で復活を遂げ、グラミー賞を受賞し、1990年代も快進撃が続いた……らよかったのだけど、現実はそうはいかず、ジェフが次に充実したアルバムを作るのは、1999年の『Who Else!』まで10年待たねばならない。その年行った来日公演はとても素晴らしかったな。

21世紀に入ってもその充実は続いたし、うすら寒い「ルーツ回帰」や「原点回帰」などせずに、エレクトロだったりハードロックだったりする音は若々しかった。

その印象が続いていたので、彼の訃報が信じられなかったわけだが、「ロック・ギタリストには2種類しかいない。ジェフ・ベックとそれ以外だ」と改めて言っておきましょう。

Guitar Shop

Guitar Shop

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Wired

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  • アーティスト:Jeff Beck
  • Sbme Special Mkts.
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TikTokの「秘伝のタレ」はAIではなくデザインにあり

knightcolumbia.org

先日書いた「インチキAIに騙されないために」でフィーチャーしたプリンストン大学教授のアーヴィンド・ナラヤナンについて、コロンビア大学のナイト研究所にて「アルゴリズムによる増幅」研究を行っていることを最後に紹介したが、ナイト研究所のブログで既に TikTok について書いている。

昨年は「ソーシャルネットワークの黄昏」話とともに、どこもかしこも TikTok に追従する話が伝えられるが、なぜ TikTok はそれほどまでに成功しているのか?

利用者が見たいものを選び出して表示する AI(アルゴリズム)が素晴らしいからと考える人は多いが、TikTokアルゴリズムが同業他社より優れているとは言えないし、TikTok のエンジニアが誰も知らないようなブレークスルーを成し遂げたというのはありえない、とナラヤナンは指摘する。

実は TikTok の強みは AI(アルゴリズム)ではなくデザインだ、というのがこの記事の趣旨である。

具体的にそのデザインのポイントとして挙げるのは以下の4点。

  1. 動画を上にスワイプして次の動画に移るのが使いやすく、推薦エンジンのまずさを覆い隠している
  2. YouTube などショート動画後追い勢と異なり)最初からスマートフォンの縦型フォーマットに適したデザイン
  3. クリエイターのフォロワーの数よりも個々の動画のバイラルの可能性を評価し、動画消費者をクリエイターに変えるクリエイター向けのツールの優秀さと参入障壁の低さ
  4. 安全重視の搾取(exploitation)型レコメンデーションよりも、リスクはあるが見返りも大きい探検(exploration)型レコメンデーションがクリエイターとニッチな視聴者を結びつける

以上を踏まえてナラヤナンは、レコメンデーションシステムは魔法のようにみなされがちだが、TikTok のレコメンデーションシステムは秘密ではなく、デザインが優れているのだと強調している。TikTok のデザインのイノベーションも周知ではあるが、他のアプリがそれを真似するのが難しいのは、それらはもともとは異なるユーザ体験のためにデザインされたアプリであり、ユーザーやクリエイターの好みによってロックオンされてしまうからで、クレイトン・クリステンセン言うところの「イノベーションのジレンマ(イノベーターのジレンマ)」だと分析している。

しかし、「ロングテール」という言葉が真面目な分析で使われるのを久しぶりに目にしたが、TikTok はそれを実現してるとな。

介護ロボットは日本の高齢者介護問題を救わない?

note.com

MIT Tech Review に掲載された「高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験」は、原文が公開された時にこれは興味深いと読んだのだが、ワタシ自身はロボット業界に通じていないので、現役のロボット開発者である安藤健氏の解説というかツッコミを読めるのはありがたかった。

高齢化が進み続ける日本において、介護を必要とする高齢者が増え続け、一方で介護職の従事者が十分な給与を得ていないことは大きな問題であり、そこで高齢者の介護をロボットに置き換えられれば、というのは多くの人が考える解決策に思える。

アラン・チューリング研究所の研究員であるジェームス・ライトの文章は、その期待に冷水をぶっかけるものである。

要するに、機械は労働を省くことができなかった。介護ロボット自体も世話をしなければならなかった。移動、メンテナンス、清掃、起動、操作、居住者への説明の繰り返し、使用中の常時監視、使用中の保管が必要だった。実際、他の研究においても、結局、ロボットは介護者の仕事をさらに増やす傾向があるというエビデンスが増えている

MIT Tech Review: 高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験

介護ロボットはどのような未来を指し示し、介護危機の「解決策」となるには何が必要なのだろうか。コストの抑制が不可欠なことを考えれば、在宅介護においてロボットを大規模に利用するための最も可能性の高いシナリオの1つは、残念ながら、よりスキルの低い人を、できるだけ安い給料で、よりたくさん雇うことなのかもしれない。

MIT Tech Review: 高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験

かなり皮肉な結論と言えるし、アラン・ウィンフィールドの「現実に、AIはすでに多くの仕事を生み出しています。これは良いニュースです。悪いニュースは、それらがほとんどくだらない仕事だということです。(中略)21世紀に人間がロボットやAIのアシスタントとして働くことは、退屈で、身体的にも心理的にも、そのどちらかだけでも危険なことは今や明らかです。(中略)そのような人々は、実際、ロボットであるかのように振る舞うことを要求されるのですから」というコメントがダメを押している(し、またしても「ゴーストワーク」の話を思い出した)。

これに対して安藤健氏は「ロボットありきで考える必要は全くないが、全体最適で考えたときにロボット技術が役に立つシーンは存在する」と反論しており、「介護の自動化」に対する違和感はワタシにも理解できる。何より介護分野へのロボットの導入はまだまだこれからである。

ただ本件と直接は関係ないが、少し前に O'Reilly Radar で Automating the Automators: Shift Change in the Robot Factory という文章を読んだときも思ったが、欧米人にとってはロボットといえばオートメーションという固定観念があるのかもなと思ったりする。

いずれにしても、介護問題においてロボットが「銀の弾丸」にはならないし、そのように語る人は信用してはならないのだろうな。

ともあれ Robots Won't Save Japan というズバリなタイトルの本が来月出るようなので楽しみだし、この題名自体、MIT Tech Review の記事にも触れている通り、日本で『ロボットが日本を救う』という本が複数刊行されているのに冷水をぶっかける英国人らしさの発露……などと書くと怒られそうだが、これは間違いなく邦訳が望まれる本でしょう。

ランドール・マンロー『ホワット・イフ?』の続編『もっとホワット・イフ』が来月出るぞ

yamdas.hatenablog.com

昨年秋にとりあげたランドール・マンロー『ホワット・イフ?』続編の話だが、今年に入って調べてみたら、『もっとホワット・イフ?──地球の1日が1秒になったらどうなるか』という邦題で来月刊行されるのを知った。

原書のサポートページを見ると、英語圏以外では、ドイツ語、オランダ語スウェーデン語に続く翻訳刊行のようだ。

さすが早川書房、仕事が早い。

モリコーネ 映画が恋した音楽家

2023年に生きる人間として、やはり『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を観に行くべきだよなと思いながらも、どうしても3時間超の上映時間に嫌気がさしてこちらに行った……って、おい、こっちも2時間半超の上映時間だぞ!

ワタシがエンニオ・モリコーネの音楽を知ったのは、1980年代後半の『アンタッチャブル』や『ニュー・シネマ・パラダイス』あたりだったため、彼の名前を聞くとまずその美しいメロディーが浮かぶのだけど、特に映画音楽のキャリアを始めた1960年代は、セルジオ・レオーネマカロニウエスタンをはじめとして、楽器でないものを楽器にするなど実験性も強かったんですね。

本作はモリコーネの映画音楽以前のキャリアにもしっかり時間をとっているが、正式に作曲の教育を受けた人間として、映画音楽の仕事を屈辱と感じ、また彼の師匠をはじめイタリアの音楽界も明らかに彼を正当に遇していなかったのな(成功した彼に対する嫉妬もあったろう)。

モリコーネ自身、何度も映画音楽から離れたいと願うが、本作の邦題ではないが、映画のほうが決してモリコーネを離さなかった。本作では日本未公開の映画もかなり多く引用されるが、本当にものすごい数の音楽をてがけたものである。それは映画にとって素晴らしいことであり、レオーネの遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でようやく音楽界も彼の仕事を認め、そして『ミッション』以降はアカデミー賞にノミネートされるようになり、しかしなかなか受賞できなかったが、2006年にアカデミー名誉賞を受賞し、『ヘイトフル・エイト』にして6度目のノミネートで念願の受賞を果たすというサクセスストーリーになっている。

スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』の音楽をモリコーネに依頼したくてセルジオ・レオーネの許可をとろうとするも彼がウソをついてまだこっちで仕事中と言ったために実現せず、モリコーネも「できなかったのを後悔している仕事はあれだけ」と語っているのはまったく知らなかったな。彼が『時計じかけのオレンジ』の音楽だったら、あの映画はどんな感じになったのだろうな。

本当に映画に愛された音楽家であり、彼のコンサートの映像がふんだんに使われ、その音楽の魅力を堪能できる作品である。本国の音楽家をはじめとして多くの人のインタビューが使われており、ブルース・スプリングスティーンをはじめとするロック畑の人も何人も登場するが、ポール・シムノンのインタビューが本当に少しだけ使われているのがちょっと謎だった(ちゃんと「音楽家(元ザ・クラッシュ)」と字幕が入っていた)。

本作の最後は、そうした人たちによるモリコーネを讃えるコメントが怒涛の如き続いて、これをカットしたら映画は10分は短くできたのではともちらと思ったが、エンニオ・モリコーネがその賞賛に値する音楽家なのは間違いなく、90歳にしてまだまだ元気だったモリコーネ自身のしっかりした証言を元に本作が作れたのは、映画にとっても素晴らしいことに違いない。

WirelessWire News連載更新(インチキAIに騙されないために)

WirelessWire News で「インチキAIに騙されないために」を公開。

WirelessWire News 連載では、昨年 Web3メタバースを取り上げているが、三題噺(?)としては、お次は AI でしょうというわけで、なぜか日本で取り上げる人のいない AI Snake Oil をネタにさせてもらった次第。

意図せず「クリストファー・アレグザンダーと知の水脈の継承」に近い終わり方になった。

それにしても「AI Snake Oil」の書籍化が楽しみなのだが、今回の文章には反発も多いのが予想される。アーヴィンド・ナラヤナンらの主張のどこがおかしいか、具体的に指摘していただけるとありがたい。

個人的には、例えば、ChatGPT についての感想は、新山祐介さんに近い。

ChatGPT でショックだったのは、あの性能 (?) ではなく、 「人間の知能というものはかくも薄っぺらいものだったのか」 という驚きである。ChatGPT はおそらく「世界で一番物知り (それが文字で表現されている限りは)」といえるだろうが、 賢いことはほとんどしていない。にもかかわらず、 (知識と知能が同じではないということは頭ではわかっているものの) あの出力を見ると、その「まともっぽさ」に衝撃を受けたし、 あの表面的な部分だけを見て「ChatGPT すげえ」と言ってる人が 多いのにも衝撃を受けた。

https://tabesugi.net/memo/2022/c.html#272338

アーヴィンド・ナラヤナンらが、ChatGPT はデタラメ製造機だが、翻訳など確かに有用な分野があると書くのは、「ChatGPTのヤバさは、論理処理が必要と思ったことが確率処理でできるとわかったこと」の話に近いのかなと解釈している。

『AIの倫理学』に続く邦訳『自己啓発の罠: AIに心を支配されないために』が出たマーク・クーケルバークの多作ぶりに舌を巻く

note.com

このエントリ経由で『自己啓発の罠: AIに心を支配されないために』という面白そうな本が昨年出ていることを知る。

この本の著者のマーク・クーケルバークという名前になにかひっかかるものがあり、試しに自分のブログを検索したら、この人『AIの倫理学』の著者やないかと気づいた。

つまり、『自己啓発の罠』は彼にとって、『AIの倫理学』に続く邦訳二冊目ということになるのだが、ここにいたってマーク・クーケルバーク(Mark Coeckelbergh)って何者なんだろうと調べて驚くことになる。彼はウィーン大学の哲学科の教授であり、邦訳された二冊の本の著者というのも不思議ではない。

ワタシが驚いたのはもちろんそこではなく、彼が昨年から今年にかけてすごい勢いで本を刊行していること。

まず2022年2月に The Political Philosophy of AI: An Introduction を出している。前作が「AIの倫理学」だったのが、こっちは「AIの政治哲学」(!)である。ケイト・クロフォードが推薦の言葉を寄せている。

続いて、2022年7月に Self-Improvement を出しており、これは『自己啓発の罠』の原著である……って、原著刊行から3か月くらいで邦訳出たのか! 青土社、仕事早いな。

そして、2022年9月には Robot Ethics を出しているのだが、版元が同じ MIT Press で、『AIの倫理学』の続編としての『ロボットの倫理学』ということだろう。

さらには、2023年はじめに Digital Technologies, Temporality, and the Politics of Co-Existence を出したばかりだったりする。やはりソーシャルメディア人工知能などのデジタルテクノロジーと我々人間との関係を哲学的に考察する本のようだ。

いやはや、昨年から今年にかけてだけ見れば、キャス・サンスティーン並みの多作といえる。それにしても一年で4冊はスゴい。

しかもその本が扱う内容が、最新テクノロジーと哲学や倫理学が交差する内容を扱う、とても時宜をえたものなので、『自己啓発の罠』に続く邦訳が期待できるんじゃないかな。

ヴァージニア・ユーバンクス『格差の自動化』がとっくに出てたのかよ。誰か教えてよぉ~

yamdas.hatenablog.com

ヴァージニア・ユーバンクス(Virginia Eubanks)の『Automating Inequality』を取り上げたのが5年近く前になる。

今回の WirelessWire 連載原稿を書くために読んだ AI Snake Oil の文章のひとつの Further reading に彼女の名前(と『Automating Inequality』)を見つけ、この人どうしているんだろうと調べたら、『Automating Inequality』が『格差の自動化』として邦訳が出ているのを知る。

正直、堤未果が解説を書いているのに「うぬぬ」となってしまうが、それよりなにより、邦訳の刊行が2021年9月というのにびっくり。一昨年の話やないか! まったく知らなかったな。誰か教えてくれよ~。

ヴァージニア・ユーバンクスというと、近年では『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』に出演したのを見たくらいで近況を知らなかったのだが、パートナーの方が暴力の被害者となり、その PTSD で彼女ともども苦しむという大変な経験をしていたんだね。

それを受けて彼女は、カート・ヴォネガット『スローターハウス5』などの本を読むことで PTSD について学ぶ PTSD Bookclub を立ち上げている。

コク味とはなんぞや? もしくはとても美味そうなサッポロ一番味噌ラーメンのアレンジ

たまたま Boing Boing で「kokumi」についてのエントリを立て続けに二つ見かけた(まぁ、同じ人が書いてるからなのだが)。

boingboing.net

そもそも「kokumi」ってなんやと思ったら、「コク味」なんですね。

しかし、ウィキペディアの日本語版、ドイツ語版、イタリア語版には項目があるが、最大のユーザ数を持つ英語版には、本文執筆時点でまだ単独で項目は立っておらず、国際的に認知されたものではまだないのかな。

ウィキペディア日本語版には「甘味・うま味・苦味・塩味・酸味の五基本味に加え、近年新たに着目、定義された第六の味覚とされる」とあるが、この Boing Boing のエントリでは、味の素グループは「コク味」を第六の味覚ではなく、味の調整剤として分類していると説明されている。そのあたりも影響してるのかな。

boingboing.net

こちらは「コク味」を増すとして、インスタントラーメンのキューピーマヨネーズによるアレンジを取り上げている。

このエントリで取り上げられている動画の元ネタは、はらぺこグリズリーさんサッポロ一番みそラーメンのアレンジ「サッポロ一番、ガリマヨ味噌ラーメン」 ですな。

いやー、夜中これを見ているだけでラーメンを食いたくなったよ(笑)。

『RRR』をようやく観たぞ!

以前からワタシの観測範囲でたいへん話題になっていた映画で、興味をひかれつつもインド映画に関して門外漢というのがあり、またやはり3時間の上映時間にたじろいでグズグズしていたら、旧年中に行く機会を逃してしまった。

もう自分が行ける時間帯には上映していないだろうと諦めかけたのだが、年明けも近場のシネコンでレイトショーをやってくれているのを知り、2023年最初に映画館で観る映画はこれになった。

同様な事情の人が実は多かったのか、結構席が埋まっていた。

上記の通り、ワタシはインド映画に関しては門外漢で、本作の監督が手がける『バーフバリ』も観ていない。この10年で観たインド映画は『きっと、うまくいく』くらいで、そのときにもインド映画をなんとなく敬遠してきた理由を書いているのでここでは繰り返さないが、要はこの方面にまったく明るくない。本作を「ボリウッド」と呼んだら「無知な言説」と怒られることも知らなかったくらい。

で、そんな性格が暗いワタシが観て楽しめるのか不安だったのだが、もう全編とんでもないテンションのアクション、ダンス、歌に言葉を失ったまま、魂と尿意をわしづかみにされてどこかに持っていかれる映画だった。もちろん VFX を駆使しているのは承知していても、いったいこれどうやって撮ったんだよ(考え付くんだよ)なアクションシーンが数十分単位で続くという狂った暴走機関車状態な映画である。

それを支える物量というか資金があるのは羨ましいが、本作はインド映画史上もっとも製作費がかかった映画なんだね。やはりこれはインド映画でも特別なのか。

特に歌の歌詞の和訳を見ていて、なんでここでこの単語なんだろうとか文脈が分からないところは上記の事情の通りいろいろあったのだけど、そういうのは気にしなくても文句なく楽しめる、というか作り手がそれを見越した国際的で普遍的な作りになっているし、本作は『イングロリアス・バスターズ』以降の「映画で史実を変える」作品の系譜に連なるものなのだろう。

そういうわけで、本作を映画館で体験できてよかったと思うわけだが、これはやはり『バーフバリ』シリーズも観たほうがいいんだろうなぁ。

2022年下半期にNetflixで観た映画の感想まとめ

2021年上半期下半期、そして2022年上半期に続いて、2022年下半期に Netflix で観た映画の感想まとめから新年を始めたい。

一応、公開年がその年マイナス3年以内の近作のみとさせてもらう。

ローリング・サンダー・レヴュー:マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説(Netflix

前から観よう観ようと思いながら、ずっと後回しになっていた。2019年公開なので、近作としてこのリストに入れさせてもらう。

出会いの時期が悪く、ボブ・ディランは基本的に苦手なのだが、昔「ワタシが愛する洋楽アルバム100選」で『Desire(欲望)』を選んだ人間として、ローリング・サンダー・レヴューにはずっと興味があった。

当時のディランの狙いというかカオスをよく拾い上げている優れたドキュメンタリーだ……と思っていたのだが、ずっと「ドキュメンタリー映画」と思って観ていたこれが、必ずしもそうでないのを知ると、いったいこれはなんなんだ! という気持ちになった。

マーティン・スコセッシもなんでそんな作りにしたのか。いや、もちろん面白かったのだが、KISS のTシャツを着てたらディランにナンパされて(?)スタッフに加わったというシャロン・ストーンの話も信じられなくなってしまったよ。

しかし、ジョーン・バエズは良い歳の取り方をしたよね。


レイマンNetflix

MCU での仕事をひと段落させたルッソ兄弟Netflix で世界を股にかけたどでかいアクション映画を作ったということで、好きなライアン・ゴズリングが主演だし、もちろん面白かったのだけど、なにか空虚な感じがあった。

いや、空虚なのはワタシの事情なのだが、結局は過去のスパイアクション映画と何が違うんだというのがよく見えなかったからだろうか。


THE GUILTY/ギルティ(Netflix

特に事前知識なしに観始めたのだが、これはデンマーク映画のリメイクだったんですね。

弱みと欠点を抱える主人公をジェイク・ジレンホールが熱演しており、最後まで見逃せない(聞き逃せない)映画に仕上がっているが、まずはオリジナルを見るべきだったなぁ、と理不尽な後悔の念をもってしまった。ごめん。


アテナ(Netflix

本作については冒頭10分の『トゥモロー・ワールド』を超えんとする、いったいどうやって撮ったんだ? なとんでもなくアクティブな長回し(どうやって撮った知りたい方は↓にはっている動画を観てください)があまりにつかみがオッケー過ぎて、その後も緊張を維持していてよくできている。

しかし、何人かの登場人物の造形に安易さを感じるところがあり、映画全体として傑作とは言えないと思った。


花束みたいな恋をした(公式サイトNetflix

これ劇場公開時は、『ノマドランド』と本作とどちらを観ようか悩んだが、その夜知人と会う約束があり、終映時間が気になって『ノマドランド』を選び、その後もタイミングが合わず観に行けなかった。

いやー、評判通りこれは脚本がよくできてるね。文化系カップルの誕生から終焉までを描いたもので、カルチャー(サブカル)好きなカップルの二人が挙げる数々の固有名詞がツボを突きまくっているし、男性のほうがイラストで食うことを諦めて就職してからそうしたカルチャー好きを維持できず、自己啓発書とパズドラ……といった話は他の人も触れているから以下略とさせてもらうが、印象的だったのは、このカップルの二人が挙げる固有名詞が映画にしろ文学にしろ、すべてドメスティックなものに占められているところ。

そうやって海外の固有名詞を出したら話が発散しやすいし、意味合いが違ってくる(例えば、マウンティングとか?)といったあたりなのだと思うが、もちろん本作が2010年代後半にフォーカスした話というのは理解した上で、過去の時代でサブカル好きの登場人物を造形しようとしたら、これはありえないと思うのよ。ドメスティックな固有名詞のみで成立するようになったとも言えるが、そのあたりの狭さも意図的なんだろうな。

二人が別れ話をするファミレスの場面の顛末についてはいろいろ解釈ができるだろうが、ワタシはスミスの "Hand in Glove" とブルース・スプリングスティーンの "Backstreets" がまったく同じことを歌っているという話を思い出したりした。

天気の子(公式サイトNetflix

『すずめの戸締まり』を観る少し前に Netflix で鑑賞。

これ最高じゃないですか。『君の名は。』より悪意があり、大人の描き方が『すずめの戸締まり』みたいに一面的でない本作が好き。

第一級の東京エクスプロイテーション映画である。

ナイブズ・アウト: グラスオニオン(Netflix

前作『ナイブズ・アウト』に続く、ダニエル・クレイグ演じるブノワ・ブランが主人公の第二弾だが、Netflix が湯水のようにお金を投資した本作は、140分の上映時間をかけて、全力でイーロン・マスクを罵倒、愚弄することを一義とするとんでもない作品になっている。

もちろん本作の撮影は公開の前年である2021年までに終わっているはずで、イーロン・マスクがこんな立ち位置になるなんて分かってなかったはずだ。そうした意味で、優れた作品は予見的であって……みたいな紋切型のまとめをしたくなるが、イーロン・マスク、じゃなかったエドワード・ノートンの周りにいる人間が、彼に金玉を握られている政治家や科学者、そしてお騒がせセレブ、インフルエンサーといったあたりできすぎだろう。ジェレミー・レナージャレッド・レトなどのハリウッドスターの名前のちりばめ方もがいかにも過ぎる。

あまりにもできすぎていると本作を受けつけない人がいるのも、まぁ、分かる。これ、数年後に観ても同じように傑作かというと分からんしね。

前作もそうだが、いったんネタが割れたかと思わせておいてからの展開がうまいんだよね。

メタバースが直面する倫理的、法的な9つの問題

www.intotheminds.com

Facebook が社名を変えてまで注力したメタバースについては、ワタシも「メディアとしてのメタバースのメッセージを(ニコラス・カーが底意地悪く)読み解く」という文章を書いているが、少なくとも Meta のメタバース事業はまだ成功の段階までは到達していない。

とはいえ、だからメタバース自体がダメということにはならないし、確かにビジネスポテンシャルがあり、これから本格的な普及期に入るのだろう。そうしたときにこの記事が指摘するような倫理面、法律面の問題が出てくるというのも間違いないのだろう。

  1. メタバースでは道徳に反する実験は許容されるのか?(ドイツの公共放送が日本のポルノ業界などに取材した動画が紹介されている)
  2. 他のアバターの身体に触れることはできるか?(やはりセクシャルハラスメントのからみですね)
  3. 許可なくバーチャルフィールドに入れるようになるか?(仮想世界での土地所有とそこへのアクセス権の問題)
  4. メタバースアバターを殺せるか?
  5. メタバースで死ぬことはできるか?(ユーザが死んだら、そのアバターはどうなるのか?)
  6. アバターはハッキング可能か?(アカウント乗っ取りとか絶対出てくるよね)
  7. メタバースではどうやって「相続」が可能か?(相続税はあるのか? NFT のキャピタルゲインには税金がかかるのか?)
  8. 一つのメタバースで複数のアバターを使い分けてもよい?
  9. アバターは人間の形をしてないといけないか?

二年前にワタシは「はやくも「AI倫理」の問題が争点となってきた(し、それをテーマとする本も刊行される)」というエントリを書いているが、メタバース界隈でも法律面、倫理面での蓄積が必要になるんだろうな。

メタバースの法的問題を扱った本となると『XR・メタバース知財法務』(asin:4502435716)があるが、倫理面を扱った本はまだないようだ。洋書でもこれが書名に入るのは、ワイリーから出ている Understanding the Metaverse: A Business and Ethical Guide くらいだった。

巨大テック企業の「最適化」イノベーションが民主主義を壊すと訴える『システム・エラー社会』が刊行されていた

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2021年秋に取り上げた本だが、昨年末に『システム・エラー社会 「最適化」至上主義の罠』というタイトルで邦訳が昨年末に出ているのを山本貴光さんのツイートで知った。

山本貴光さんのツイートはここからスレッドになっており、『システム・エラー社会』のよい内容紹介になっているので、参考まで。

帯に「破壊的イノベーションvs.民主主義」とあって、これは第3章のタイトルにもなっているが、ここでいう「破壊的イノベーション」が、クレイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ』(asin:4798100234)でいうところの「破壊的イノベーション」とイコールなのかちょっと気になった。

これは邦訳が出るべき本と思っていたので、ワタシもたまに気になって調べていたのだが、共著者の Rob Reich は「ロブ・リーシュ」という表記になると思い込んでいたので(参考:その1その2)この邦訳について気づかなかったのは不覚だった。

イーサリアムの創設者ヴィタリック・ブテリンの著書の邦訳『プルーフ・オブ・ステーク:イーサリアムを生んだ若き天才が示す暗号通貨の真実と未来』が出る

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昨年秋に書いたエントリの中で、「今頃すごい勢いでこの本の邦訳が進んでいるのではないかと推測する」と書いたのだが、実際その通りだったようで、『プルーフ・オブ・ステーク:イーサリアムを生んだ若き天才が示す暗号通貨の真実と未来』という仮題で Amazon にページができていて、来月には出るみたい。

ヴィタリック・ブテリンというと、少し前に読んだ「イーサリアムの活用法5選」も凡庸だったし、「2023年の仮想通貨業界における3つのイノベーションのチャンス」も大した話ではなかったが、デジタル資産としての「クリプト」に関するエッセイ集としては、現状もっとも有力な本なのは間違いないので、これは売れるでしょうね。

今年は遠藤周作生誕100年だが、彼の未発表作を発掘する遠藤周作文学館学芸員の仕事の尊さに思いをはせる

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遠藤周作の代表作『沈黙』の舞台になったあたりに父方のルーツがある(余談だが、昨年「ファミリーヒストリー」を見て、前川清も同様と知って驚いた)ワタシは、遠藤周作文学館にも何度も足を運んでおり、昔そこで対談をしたこともあるが、要は遠藤周作はワタシにとってとても大きな存在だったりする。

しかし、その遠藤周作も没後四半世紀が過ぎ、同世代の作家はもちろん、彼と直接仕事をしたことのある編集者たちももはや現役ではなくなっているだろう。

そうなってくると、いくら生前人気作家であっても、だんだんと話題になることが少なくなってくるものだが、遠藤周作については、ここ数年、未発表作の発見が続いている。

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まずは2020年に自伝的中編「影に対して」が発見された。

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そして、2021年には「善人たち」をはじめ未発表の戯曲が三作見つかっている。

いずれも遠藤周作文学館において発見されたものである。

平成の市町村合併で、この遠藤周作文学館の住所は今では長崎市に入っているが、それなりの僻地であり、長崎市に観光に来た人でもレンタカーなしには簡単にはアクセスできない。

上記の通り、ゆかりがあるワタシなどは遠藤周作文学館がこの地にできたのを嬉しく思う気持ちとともに、あそこに文学館作ってやっていけるのかね、と思うところもどうしてもあった。また、上で書いたように時の流れで忘れられることもあろう。

頻繁に未発表の作品を発掘して話題を絶やさないのは、そうした意味でとても尊い仕事であり、それを成し遂げた、当時まだ20代の学芸員の方はもっと讃えられてよいと思う。

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ワタシが遠藤周作文学館に最後に行ったのは2020年の8月だが、今年また行けたらと思う。

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