先週、公開された文章だが、残念ながら期待したほど読まれなかったようだ。が、これに関してはワタシの期待が誇大妄想的に大きすぎるのである。
実際にはいくつも示唆に富んだ反応をいただいており、とてもありがたいことである。代表的なものを挙げておく。
- 世の中の論者や物書きが主語の大きい話をしがちなのは,こういうリアルに刺さる話は書いてても読んでててもストレスがかかるからなのかな,と思ったり
- よいギュられ記事。ユニバーサル・ベーシックインカムに意味はなくAIに重税を課すしかないのはおもしろい話である。
- 全体に真面目さ溢れるよい文章です。
- 利己的な資本主義の前では1セントの価値も持たない人間個々の「尊厳」をどのように尊重していくかという社会システムの変革が求められているように思います。
- 個人にとっては、技術と市場だけでなく、政策について、異議申し立てについて、考えるべき時期なのではないか。
- AIの発展に関する社会的影響(の予測や議論)に関する良いまとめになっているように思います。それら資料を前提に筆者がどう考えるかみたいな部分がもっと欲しくはある。
- 最後のところの労働の尊厳については、(資本主義体制下での)反-労働的な立場の方々からは異論もあるかもだけど。
- 「労働」じゃなくても「活動」に手応えがあればいい気もするけど、労働の対価以外でもらえるお金をあてにできるかというのはあって、市場の評価に耐えるだけの能力が自分にはあるって認識は、自分の能力で生きていけるという安心感につながるよね。
- yomoyomoさんの新作、暗すぎて笑ってしまった。
- 人類が自らが作り出した人工知能に労働を奪われつつある現状は、経済的なフランケンシュタイン・コンプレックスっぽい。
- そしてそうなるとこれは「雇用」や「AI」の話ですらなく「神も科学も金も絶対性を失った現代において人間は何を『実存』(アイデンティティ)とするか」という話ではないか
- 新たな労働運動というか、生存権とともに「社会と関わって誰かの役に立とうとすることは人間の本質的尊厳の一部であり尊重されねばならない」という一線を守る動きが今のうちに必要なのかも。
- 今の株式市場が労働の動きから離れつつあること、労働を限られた人のものにすることで格差社会の正当化に使える可能性もあるよなあなどと思ったりなどした
- でも、AIで労働そのものが消えるというより、AIと一緒に働いて楽しくなる方向もあると思うのよね。
- AI ウォッシングという指摘は短期的には事実でありつつ、いち企業の最適化失敗の話という尺度より、組織構造の転換を迫られている長期的命題が本質そう。
- 私は、意識と身体を持った人間の知性に、それでもなお期待したい。
これで一部なわけで、いやいや、たくさん反応もらっているじゃないか。さて、↑の反応に共通している点にお気づきだろうか? そう、すべて Bluesky における投稿である。リンク付き投稿を差別する X では、清々しいまでに無風だった。
今回の文章は、個人的な恐怖に駆られて書かれたため、自分にしかわからない文脈に依っている。
ワタシ自身は労働は何より生計の手段であり、この文章のタイトルを嘯いている状態がデフォルトだった。2008年頃だったか、やはり職場で追い詰められる経験があり、当時「もうこうなったら教会に行って、宗教に帰依しちゃおうか」という内的なジョークを自分の中で繰り返していたものである。
時は流れ、また精神的に追い詰められた時に、ローマ教皇の回勅を読んで感じ入り、おいおい、まさか宗教者が説く労働の尊厳の話に感じ入るって、これはなんなんだ? と愕然としたところから始まった文章なのである。
なので、ただただしさんの「歴史的にも地理的にも、労働はそんなに普遍的なものではない」という指摘は正しくて、ワタシの精神状態が追い詰められ過ぎだったのだ。
さて、この文章の契機として、ニコラス・G・カーが『オートメーション・バカ』の最後に書いていた文章を思い出したからと書いているが、それを引用してみる。
カーは、この本の最終章「湿地の草をなぎ倒す愛」において、ロバート・フロストを引きながら以下のように書く。
われわれの最も注目すべきことのひとつは、同時に、最も見落としやすいもののひとつでもある。それは、現実とぶつかるたびにわれわれは世界への理解を深め、いままで以上に世界の一部となるということだ。難題と格闘しているとき、われわれを突き動かしているのは労働の終わりへの期待であるかもしれないが、フロストの語るとおり、われわれをわれわれにしているのは労働――手段――なのである。オートメーションは目的を手段から切り離す。欲しいものがたやすく手に入るようにしてくれるが、知の労働からわれわれを遠ざける。(p.296)
そして、今回の文章を書くために読み直していて、2014年刊行(原書)の本に書かれながら、見事にワタシの文章に符合する箇所があるのも再確認した。かなり長いが引用させてもらう。
テクノロジーのことを、慈悲深く、自己回復的で、自律した力として見るのは魅惑的な考え方だ。未来を楽観的に考えられると同時に、その未来に対する責任からも解放される。それはとりわけ、オートメーション・システムとそれを制御するコンピュータがもたらす、労働節約効果、利益集中的効果によって、莫大な富を得た人々の利害にかなっている。それはわれらの時代の新たな財閥に、彼らが主役となる英雄譚を提供してくれる。その英雄譚とはこうだ――近年の雇用喪失は不幸なことではあるが、われらが慈悲深い企業の作り出すコンピュータ奴隷による、人類の来たるべき解放のためには、それが必要悪なのだ。シリコンヴァレーの最も著名な思想家となった、実業家にして投資家のピーター・ティールは、「ロボット工学革命は、基本的に、人々の職を奪うという影響をもたらすだろう」と認めるが、急いで次のようにつけ加える。「それは人々を解放し、他の多くのことをできるようにさせるという恩恵をもたらすだろう」。解放されるという言葉は、解雇されるという言葉よりもはるかに耳障りがいい。(pp.289-290)
『オートメーション・バカ』の最終章「湿地の草をなぎ倒す愛」の原文は、彼のブログで公開されている。



























