先週、radiko で「村上RADIO」を聞いてて面白い話を知ったので投稿したら、ワタシにしてはバズった。
村上RADIOを聞いていたら、村上春樹が『風の歌を聴け』で芥川賞候補になったが取れなかったとき、色川武大が春樹の経営するジャズバーにやってきて、「君ねぇ、大きな文学賞を取るには、ぼくくらい禿げてこないとダメだよ」と慰めて(?)くれた話をして、心優しい人だったと色川武大を回顧してて驚いた
— yomoyomo (@yomoyomo) June 1, 2026
村上春樹が『風の歌を聴け』で芥川賞候補になったのは1979年で、色川武大が『離婚』で直木賞をとったのは、その前年の1978年である。つまり作家としての活動時期が重なっているのだから、面識があっても不思議ではないのだが、年齢が20歳違いのこの二人に接点があったとは知らなかった。村上春樹は、色川武大が彼の店(ピーター・キャット)に来たのは、ジャズを好きだったからだろうと言っていたが、確かにそうだ。
「村上RADIO」はだいたい聞いているが、結構貴重な話をサラっとしていたりする。ワタシの投稿でこの番組について触れたものをいくつかはっておく。
村上RADIO、(世界中から寄せられたらしい)リスナーからの質問、一問目は「自身の葬儀にかけてほしい曲は?」いきなりそれを聞くか! 村上春樹の答えはビージーズの「ナイトフィーバー」(もちろん冗談です)
— yomoyomo (@yomoyomo) August 5, 2018
これは番組第1回のときで、ということはこの番組は8年近く続いているんだな。
Radikoで村上RADIOをようやく聞いているが、ジャズバーをやってた頃、千駄ヶ谷の将棋会館にときどき足を運んで王将弁当を食べていた、最近は藤井聡太君のおかげで、テレビのニュースに将棋会館が登場するが、けっこう懐かしい、という話をしていて、将棋(会館)とそんな縁があったの知らなかったな!
— yomoyomo (@yomoyomo) August 30, 2021
村上春樹は将棋を指さないのだろうか。
radikoで村上RADIOを聴いているが、村上春樹がパティ・スミスとベルリンで食事した時にこの曲の話になり、あるライブでスミスがRock N Roll Niggerを歌ったら、最前列にいた黒人のおっさんがすごく難しい顔をしてスミスを睨んでいて、よくみたらジェームス・ブラウンだったという逸話を紹介していた https://t.co/vyEZjRff2v
— yomoyomo (@yomoyomo) October 31, 2022
これは不謹慎ながら、聞いてて吹き出してしまった。
続けて村上春樹は、三島由紀夫『金閣寺』、太宰治『斜陽』、志賀直哉『暗夜行路』をまだ読んでない、川端康成の小説もほとんど読んでない、そして、夏目漱石『こころ』は途中で放棄したことを語っていて、これも自己演出に違いないが、呑気な語り口に笑ってしまった
— yomoyomo (@yomoyomo) July 29, 2025
うぃきっぺ情報によると、2021年のこの番組で『1973年のピンボール』が『万延元年のフットボール』のもじりであることを認めているが、実は(少なくとも)昨年までこの大江健三郎の代表作を読み通してはなかった?
さて、冒頭の投稿についていろんな反応をもらったが、以下の投稿にはおっとなった。
直木賞を取ったらバーのトイレで井上光晴にぶん殴られた色川武大が言ったと思うと、なんだか余計に味がする話だなあ。この言い草もいかにも色川武大的だ https://t.co/C1GwggMHwC
— がっさん (@Gassan_Carnegie) June 2, 2026
色川武大が井上光晴に殴られた話をワタシも読んだことがあった。以下、河口俊彦『将棋界 奇々快々』に収録されている「なんと言おうが自分がいちばん」を紹介する。
確か1988年の話と思うが、将棋ペンクラブ大賞の選考を終え、河口俊彦、中原誠王座(当時)、そして色川武大ら五名ほどで新宿のなじみのバーに行くと、井上光晴が編集者と将棋を指してるところに出くわし、合流して飲むことになった。
小さな店なので、私たちが入るといっぱいになり、井上さんが中央に座って文学論が始まった。いわく「色川武大は直木賞をとってから堕落した」「世界的な作家になる可能性があるのに、若いころの志を失っている」「ボクは、色川君が直木賞をとった夜、バーの便所へ彼を引っ張り込んで、頭をポカポカやったんだ。当人を前にして言うんだから本当の話だよ」などなど。
これはひどい(笑)。
そのうち井上光晴は、「君の対羽生戦の自戦記を読んだけど、君はなぜ負けるのかの理屈がよくわかっているんだな。わかっていながらどうして負けるの」と河口俊彦に問う。彼も言い返したいことはあるが、それができない。
内心そうつぶやくが、声に出して反論するわけにもいかない。言うタイミングがないのである。なにしろ、井上さんは文壇三声(大声だ)の一人で、おしゃべりが途切れない。このときも、色川さんがちょっとしたすきを見つけて、「井上さんはいつもこうなんだよ。バーの知らないお客さんが帰るとき、私の肩をたたいて『あんた負けちゃだめだよ』と言ったこともある」と笑った。井上さんの隣の中原王座となれば、もう呆然としていた。
文壇三声(文壇三大音声)といえば、丸谷才一、開高健、そして井上光晴を指した。
上でこれは1988年のことだろうと書いたが、色川武大はこの年最高傑作(だとワタシは思う。「ネットにしか居場所がないということ(前編)」の冒頭で引用させてもらった)『狂人日記』を出し、翌年には心臓破裂で亡くなっている。




















