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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その45

このブログの読者でも、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の宣伝エントリはもうたくさん、と思われているかもしれないが、この電子書籍の宣伝こそがこのブログの存在意義なのでねぇ。

というわけで、先週末からの巷の話題を完全スルーして自著の宣伝に勤しむことにするが、河村書店に取り上げられるだけで嬉しかったですね。

このツイートで取り上げられているのは Kindle 版ですね。

この電子書籍の複数のバージョンの相違については過去エントリを参照ください。

その意思表示だけで嬉しいです! 今年のお盆の読書にいかがでしょうか。

もちろん買っていただいたほうがずっと嬉しいのは言うまでもないわけで。

もし読まれたら、感想もよろしくお願いします!

ロクサーヌ・ゲイが書く「なぜ人はオンラインではひどく不愉快なのか」

www.nytimes.com

作家のロクサーヌ・ゲイNew York Times に寄稿している文章が面白い。

彼女が Twitter を始めた14年前(つまり、2007年……ということはワタシと同じだ)にはミシガン州のアッパー半島に住んで大学院に通っていたが、彼女が住んでいた人口4000人ほどの町では、(彼女と同じ属性の)有色人種、クイア、物書きは少なく、大学院以外ではオンラインこそが彼女にとってのコミュニティだった。そこでフォローした新進気鋭の作家たちは今でも大切な友達だし、意見を交換したり、ミームに参加したりいろいろすることで、いわゆる集団的な興奮というものを味わったと振り返る。

しかし、根本的に何かが変わってしまったと彼女は書く。大方のソーシャルメディアはもう楽しめない。しばらく前からそう感じていたのだが、認めたくなかったのだ。

オンラインへの関わりが、多くの人たちが世界の現状や日々の生活で直面する問題に感じる絶望が、燃料になっていると彼女は指摘する。そしてオンライン空間には、不正は正されるという希望に満ちたフィクションがあって、そのせいで Twitter では、各々が小さな力を行使して、不正に報復し、悪人を罰し、心の純粋さを高める懲罰的な空気がある。

しかし、正義を追い求めるあまり、我々はバランスと基準を失ってしまったと彼女は書く。何か不正が明らかになったら、それこそ戦争犯罪人のように責められる。現実世界では、我々は全能のゴリアテを前に恐怖にすくむダビデだが、オンラインでは、我々は皆いきなりゴリアテ側になってしまうのだ。

オンラインで自分に影響力なり力があると認めるのは気まずいと前置きしてから、彼女は本を何冊も発表する過程で何十万人もの Twitter のフォロワーを獲得したことを書く。そうしたフォロワーの大半は彼女の仕事を評価してくれているが、その中には彼女を憎み、またその憎しみを裏付け、強化する証拠を見つけるためにフォローしているアンチもいる。何かしら理由をつけては彼女に嫌がらせする人もいる。

そのように当たり前のようにアンチから攻撃を受ける環境にいると、すべてが攻撃に感じられるようになるまで批判に敏感になってしまう。善意に基づく批判といちゃもんや残酷な攻撃の区別が難しくなる。かくして、かつては魅力的で楽しかった体験が、ストレスでひどく不愉快になる。我々は釘を探すハンマー、つまり叩けるものを探しては叩いて回るようになってしまった、と彼女は書く。

つまり、手段と目的を取り違えてしまっている状態ということだが、そのせいで元発言に対する誤解や拡大解釈から生まれるクソリプやら、十年以上前の戯言を持ち出しての攻撃やら……まぁ、皆さんご存知の話だらけになってしまう。

特にロクサーヌ・ゲイのような著名人はその傾向が強い。ソーシャルメディアでのクリックがあたかもその人全体のイデオロギーを代表するかのように「いいね」が執拗に分析されるし、何か間違いを犯せば、それはすぐさま救いようのない証拠になってしまう。しかし、その糾弾が間違っていたら、今度はミスの責任を問われた人が、「キャンセルカルチャー」の非人間性を断罪しながら、その窮地にある人の服を引き裂くような大合唱が起こる。

一方で、プラットフォームからほぼ制限されることなく怒りの対象を標的とする人種差別主義者、ホモフォビア、トランスフォビア、外国人嫌いがおり、しかもそれに加えて嬉々として混乱を巻き起こす真正の荒らしがいる。

長年インターネットを利用し、実際いろんなバカげた議論や対話に関わった経験から、オンラインでの怒りや敵意の原動力は、オフラインでの我々の無力感ではないか、とロクサーヌ・ゲイは分析する。オンラインでは善人でありたい、善いことをしたいと思ってはいるが、人間的な優しさはおろか、寛大さや忍耐力はほとんど持ち合わせていない。一方で、感情的安全性(emotional safety、心理的安全性と同じようなもの?)に対する抜き差しならない渇望がある。

それはつまり、自分が完璧で、他人も同じく完璧であれば困ったことはなくなるという絶望的な望みなわけで、それ自体は腹立たしいが、完全に理解もできると彼女は書く。少なくともオンラインでは、自分の主張を伝えることができ、それが誰かに聞いてもらえているという自覚を持てる。

オンラインにコントロールと正義を求めること、オンラインへの関わりが急激に悪化しがちなこと、そしてそれに疲れてしまう人がいることのいずれも不思議はないということだ。

ソーシャルメディアに費やした時間を後悔していない、とロクサーヌ・ゲイは書く。バーチャルな関係がきっかけとなって現実世界で冒険したこともあるし、自分自身に挑戦し、人間として成長する勇気を得た。

しかし、自分はもう以前とは違う。妻をはじめ家族もいて、仕事も忙しい。(『飢える私』で書かれる減量を経て)体が動くようになったので、積極的に外に出るようになった。今では、大半の時間を過ごすのはあまりネットを利用しない人たちで、インターネットでの奇妙だったりイラつかされる出来事について話すと、まるで自分が遠い国の外国語を話しているかのような顔をされがちだという。そして、ロクサーヌ・ゲイは、まあ、そうだよね(And, I suppose, I am.)、と締めている。

折角なので自分の文章に引き寄せると、どうしても以下の文章を思い出してしまう。

wirelesswire.jp

wirelesswire.jp

wirelesswire.jp

この文章のタイトル「なぜ人はオンラインではかくもひどいのか」の答えは「オフラインでの我々の無力感」ということなのだと思うが、やはり現実生活を充実させ、ネットから距離を取れる人間関係が重要という話になるのでしょうな。

ネタ元は kottke.org

オープンソースの終焉? ではなく次代の(技術、ガバナンス)モデルに移るべきという話

techcrunch.com

オープンソースの終焉?」という不穏なタイトルを掲げている文章だが、TechCrunch Japan ではなぜか翻訳されていないようだ。

このエントリは、今年の春にミネソタ大の研究者が研究のためとして Linux カーネルに意図的に脆弱性コードをコミットしようとし、Linux コミュニティが出禁措置を言い渡したのを受けてミネソタ大学がおわびの公開書簡を発表するにいたった Hypocrite Commits(偽善者のコミット)騒動の話から始まる。

この問題はオープンソースのエコシステムとそのユーザを脅かすもので、このエコシステムはいわゆる FOSS があらゆる人間の事業にますます重要になっているという問題と格闘してきた――と続くのだが、うーん、あの騒動はパッチ主の態度にかなり問題があったと思うのよね。

ともかく Mirantis の CTO でもある Shaun O’Meara は、現在メジャーなオープンソースプロジェクトは巨大化しており、その複雑さや開発速度は、従来の「コモンズ」アプローチや、もう少し進化したガバナンスモデルが対応できる規模をも超えていること、一部の営利団体が従来の FOSS 参加パターンを歪め始めている一方で、FOSS への参加者数は減少しているように見えること、また OSS のプロジェクトやエコシステムは多様で、営利組織が参加したりそれで利益を上げるのが難しい場合があるという問題を指摘する。

このあたり、昨年書いた「2020年においてもオープンソースの持続可能性、そしてビジネスモデルは一筋縄にはいかない」話を思い出した。

さて、一方でオープンソースへの脅威は進化し続けている。攻撃者はより大規模に、より賢く、より素早く、より忍耐強くなっているし、OSS が重要な分野に入っていることの裏返しで攻撃はこれまで以上に経済的、政治的利益をもたらす。Linux カーネルの規模と重要性を考えると、こういった脅威モデルと戦う準備ができていない。具体的には、これまで堅牢で安全なカーネルリリースにうまく機能してきた信頼システムの「インサイダー」モデルが悪用されてエクスプロイトコードがコミットされる危険である。

それに対応する策として、著者が挙げる方策は以下の通り。

  • モノカルチャーの広がりを制限する。オープンソースであるというだけでなく、技術的多様性(technical diversity)の導入が重要
  • プロジェクトのガバナンス、組織、資金を見直し、特定の人に完全に依存しないようにしながら、営利企業が専門知識などのリソースを提供する動機付けを行う
  • スタックを単純化し、コンポーネントを検証してコモディティ化を促進。セキュリティ面のしかるべき責任をアプリケーション層に押し上げる

ここまで書いていて、「オープンソースの終焉?」というタイトルはいくらなんでも釣りだと呆れてしまうが、技術的な多様性も重要なんだろうね。しかし、それにはオープンソースをこれまで支えてきた貢献者の文化をある程度変える必要もあるわけで、それができないと本当に「オープンソースの終焉」につながるんだろうかとも思った。

例によって端折っているところは多いし、ワタシが意味を取り違えているところもあるかもしれないので、詳しくは原文を読んでくだされ。

ネタ元は Slashdot

ソフトバンク幹部だったゲーリー・ギンズバーグによる米大統領とその親友についての本が面白そう

avc.com

フレッド・ウィルソンのブログで紹介されていた First Friends という新刊が面白そうである。

「我々の大統領を方向付けた強力で、脚光を浴びない(しかも選挙で選ばれていない)人たち」という副題を見ると分かるが、アメリカの歴代大統領とその親友との関係性にスポットライトをあてた本である。

この本で取り上げられる大統領とその友人の組み合わせは以下の通り。

おっと、他にもリチャード・ニクソンビル・クリントン(とその親友たち)の章もあるよ。

日本語版ウィキペディアにページがあるのは一人だけだが、デイヴィッド・オーンズビー=ゴアについては、JFK の死後、ジャクリーン夫人にプロポーズし、それを断る手紙が競売にかけられたのが数年前にニュースになっていたっけ。

あと、フランクリン・ルーズベルトとマーガレット・サックリーの関係については、十年くらい前に映画になってような。

で、ここまで書いていて、この本の著者 Gary Ginsberg の名前になんか覚えがあるなと引っかかったのだが、この人2018年にソフトバンクグループのグローバル広報担当で常務執行役員に就任し、今年春に退社したことが報じられたゲーリーギンズバーグじゃないですか。

50代後半になり、企業重役職もひと段落ということで本でも書いてみたというところだろうか。

本の話に戻ると、日本の首相で、影響を与えた(政治家でない)友人って誰かいるだろうか? 吉田茂白洲次郎? それもちょっと違うよな。

スチュアート・ブランドのドキュメンタリー映画『We Are as Gods』が完成していた

スチュアート・ブランドというと、現在では『ホール・アース・カタログ(Whole Earth Catalog)』創始者としてもっとも知られているが、ワタシも彼が立ち上げた Long Now 財団『How Buildings Learn』など彼の仕事を取り上げてきた。

彼のおそらくは最後の著書の邦訳が出て10年になるんやね。

blog.longnow.org

今更その Long Now 財団の4月のブログエントリを読んで知ったのだが、そのスチュアート・ブランドのドキュメンタリー映画『We Are As Gods』が作られているんですね。SXSW でプレミア上映されたとのこと。

「彼はまるでキルロイだ。重要なものが起こるたびにその背後に彼の姿がある」というコメントが印象的である。

このエントリでは、この映画の監督2人とブランド自身、そして彼の盟友ブライアン・イーノが対談を行っており、文字起こしもあるので、映画に興味のある方は見るとよいでしょう(あんまり言いたくないが、映画の日本公開は難しいだろうし)。

そのスチュアート・ブランドについては昨年 Wired に「スチュアート・ブランドは人工呼吸器を拒否することにした」という不穏なタイトルの記事が掲載されていたが、彼ももう80歳を過ぎている。生きてるうちにこのような伝記映画が作られたのは良いことである。

ブランド本人やイーノ(彼の曲も使われている)をはじめ、ダニエル・ヒリスケヴィン・ケリーなど彼と仕事をしてきた人たちがインタビューに答えている。

さて、調べてみると、やはり『We Are As Gods』に出演しており、近年では『人工知能は敵か味方か』(asin:4822251411)の邦訳があるジョン・マルコフによるスチュアート・ブランドの伝記本が来年春に出るみたい。こちらは是非邦訳が出てほしいところ。

ティム・オライリーの経済指南「なんでイーロン・マスクはそんなにリッチなのか」

www.oreilly.com

ティム・オライリー御大が O'Reilly Radar ブログに長文エントリを寄稿している。URL を見れば分かるが、当初のタイトルは「なんでイーロン・マスクはそんなにリッチなのか」だったが、ちょっと釣りタイトル過ぎると反省したのか、穏当なタイトルに変わっている。性格が悪いワタシは、その当初のタイトルを改めて掲げて、その内容を大まかにまとめてみたい。

今年のはじめ、短い間ながらもイーロン・マスクは世界でもっともリッチな人になった。彼の会社テスラの株価が上がったおかげで、一時は2000億ドルを超えた彼の純資産は、今では「たった」1550億ドルばかしに落ち着いている。

こんなことをもたらす経済の仕組み、具体的には何がよくて何が危険か理解するのが、我々の社会を引き裂かんとする激しい不平等に対処するのに欠かせないとオライリーは考えているわけだ。

賭博経済(betting economy)対事業経済(operating economy)

イーロン・マスクが資産をむちゃんこ増やしたニュースを受け、バーニー・サンダースは「2020年3月18日、イーロン・マスクの資産は245億ドル。2021年1月9日、イーロン・マスクの資産は2090億ドル。一方、アメリカの最低賃金は2009年も2021年も時給7.25ドル」とイヤミをツイートした。

1979年以降の生産性向上を反映するなら最低賃金は現在24ドルになってるはずで、最低賃金が上がってないのに怒るバーニー・サンダースは正しいが、イーロン・マスクの富がテスラの労働者を食い物にした結果と見るのは間違っているとオライリーは予防線を張る。

イーロン・マスクはテスラの利益を搾取するぼったくり男爵ではない。というか、テスラはずっと利益を出してなかったし、2020年にしても7.21億ドルの利益は、売上高の2%強に過ぎず、全然大したものじゃない。

マスクが勝ったのは株式市場における美人投票なのだ。理論的には、株価は継続的な利益とキャッシュフローを生み出す企業価値の反映だが、実際にはその企業の現状と無関係に乱高下することがある。

なんでイーロン・マスクはそんなにリッチなのか? それは人々が彼に賭けているからだ。しかも宝くじなど一般の賭けと違い、株式市場ではレースが終わる前に賞金を現金化できてしまう。

これがアメリカにおける不平等の最大の要因の一つであり、コロナ禍で(庶民が苦しむ一方で)金持ちが大いに資産を増やした理由でもある。

yamdas.hatenablog.com

ここまで読んで、どうしても以前解説したオライリーの文章を思い出してしまう。betting economy と operating economy の対比はこの文章にも出てくるが、このエントリに対する反応にも以下のようなものがあった。

ティム・オライリーが「シリコンバレーの終焉」について長文を書いていたのでまとめておく - YAMDAS現更新履歴

イーロン・マスクを気候変動億万長者の例としてあげてるようだけど、テスラはbetting economyの代表株だと思うのだが。

2021/04/21 00:42

イーロン・マスクを気候変動億万長者の例としてあげてるようだけど、テスラはbetting economyの代表株だと思うのだが。 - doas1999 のブックマーク / はてなブックマーク

確かにワタシは、この文章でオライリーはテスラを operating economy と見なしていると読んだのだが、上に引用したように反対だろと見る人もいるだろうし、今回の文章をここまで読んだだけでは、オライリーもテスラ(というかイーロン・マスク)を betting economy そのものと思ってるんじゃないのと読めてしまう。どうなのか?

確率はどれくらい?

株式市場がレース中に賭け金を現金化できるものなら、それなら何をもってレースは終了なのか? 起業家や初期ステージの投資家にとっては株式公開が一種のゴールだし、買収や事業停止もまたしかり。一方で、企業の利益で投資を回収する時点をもって「レースの終わり」とも言える。

例えば、100万ドルかけて会社を買い、その会社が年間10万ドルの利益を出すなら、投資額は10年で回収できる。もちろん、今日得られる1ドルと10年後、20年後に得られる1ドルは同価値ではないが、単純化してしまえば、株とはその会社の将来の利益と現在の価値に対する請求権と言える。

成長率も企業価値に影響を与える。株を買ったときにその企業のライフサイクルのどの段階にあるかでその所有価値は決まる。例えば、今の Apple などビッグテックが5万ドルの利益しかあげてなかったころに運よく株を買えたなら、わずかな投資であっても長期保有で億万長者になれるかもしれない。テスラもそうした企業になれるかもしれないが、既にテスラの株式市場での評価は十分高いので、その「未来を買う」チャンスは過ぎ去っている可能性が高い。

テスラの PER(株価収益率)1396で(注意:リンク先の数字は、当然オライリーが原文を書いたときとかなり異なる)、今テスラの株を買ったら、その資金を利益分配で取り戻すのに1400年近くかかることになる。最近テスラの収益は上がり、また株価もかなり下がっているので、今ならおよそ600年待つだけで済むよ。

もちろんテスラが自動車産業で圧倒的な強さを発揮して利益を増やす可能性はあるが、Big Market Delusion: Electric Vehicles という分析によると、電気自動車メーカーは売上も利益も少ない上に、将来的に競争が激化する可能性があるにもかかわらず、既に既存の自動車産業とほぼ同等の評価を受けている。

ならなんで投資家はテスラの株を買うのか? 簡単に言えば、テスラ株はもっと高い値段で誰かに売れると考えるからだ。17世紀のオランダのチューリップ・バブルを引き合いに出すまでもなく、そうしたバブルはいずれは崩壊する。

この賭博経済は、合理的な範囲内であれば良いもので、未来への投機的投資はいろんな新製品、生産性や生活水準の向上をもたらす。テスラは再生可能エネルギーのゴールドラッシュをもたらしたが、これは気候変動の問題を考える上で重要なことだ。賭博の熱狂は(インターネットの構築がそうだったように)有益な集団的フィクションとなりえるし、革命的な新技術が受け入れられるサイクルでバブルは自然な現象である。

ここでオライリーは賭博経済が道を踏み外した例として、WeWork と Clubhouse を挙げていて、シリコンバレーには、利益も出さず、ビジネスモデルも機能せず、収益への道筋もないのに時価総額が数十億ドルの企業が溢れている、と苦言を呈している。オライリーさん、Clubhouse は評価できませんか(笑)。関係ないですが、ワタシも先月末に Clubhouse のアカウントを削除しました。

そしてオライリーは、前回同様ケインズの『一般理論』から、「事業の安定した流れがあれば、その上のあぶくとして投機家がいても害はありません。でも事業のほうが投機の大渦におけるあぶくになってしまうと、その立場は深刻なものです。ある国の資本発展がカジノ活動の副産物になってしまったら、その仕事はたぶんまずい出来となるでしょう」のくだりを引用し、ここ数十年、ドットコムの崩壊、サブプライムローンの崩壊、現在のシリコンバレーの「ユニコーン」バブル、と経済全体が投機の渦に巻き込まれるのを目の当たりにしてきたと書く。

なぜバブルが重要なのか

賭博経済のプレイヤーは不釣り合いに裕福なので、負けることを恐れていない。株式市場の価値の半分以上をアメリカ人の上位1%が保有している。アメリカ人の下位50%は、株式市場のたった0.7%しか保有していないのにね。

地元の個人経営の会社なら、1ドルの利益はそのまま1ドルの価値だが、テスラは1ドルの利益で600ドルの株式市場価値を引き出す。このバブルこそが、現代の経済において、金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏になる理由の一つである。金持ちと貧乏人は、現実には別のルールで仕切られる別の経済に生きているのだ。金持ちの多くは、資産が金融化され、賭博経済に参加でき、何十年分もの将来の収益を反映した株価で評価される、つまり未来から無利子の巨額融資を受けられる「スーパーマネー」の世界に住んでいるのだ。

さて、ここまで読んだところで、オライリーが改題したタイトル「Two economies. Two sets of rules.」の意味、そして、その下に添えられた「イーロン・マスクはスーパーマンではない。だけど彼には「スーパーマネー」がある」という文の意味が分かるわけですな。

イーロン・マスクは世界を変える会社を二つも作り上げた(テスラとスペースX)。でもいくらなんでも富が多すぎやしないか? バーニー・サンダースが「億万長者は存在すべきではない」と言ったとき、マーク・ザッカーバーグは蓄積される富の中には理不尽なものもあると認めたが、何十億ドルもの報酬がないと起業家がイノベーションを起こさなくなるという考え方は、悪質な幻想である。

ならばどうすべきか

富裕層に税金を課し、その富を再分配すれば問題は解決すると思うかもしれない。実際、1970年代まで、つまりはレーガノミクス登場前は、所得税累進課税率が90%に達していたため、富の再分配と幅広い中産階級の形成がうまくいった。オライリーはそれはそれとして、幻の富を生み出している「賭博経済」にも歯止めをかける必要があるのではないかと訴える。

不平等を解消するには、「スーパーマネー」が経済で果たしている役割を認識しないといけない。それなしに増税しても効果は薄いというわけ。

しかし、政府がスーパーマネーに甘いという現実がある。世界中の中央銀行は、インフレを引き起こさずに成長率を維持するため、サブプライムローン問題以降、刷ったお金を世界中にばらまく「量的緩和」によってこれを実現しようとしている。それにより金利は低く保たれ、理論的には実体経済への投資が活発になり、雇用や工場やインフラに資金が供給されるはずだった。が、現実はそうはならず、あまりにも多くのお金が賭博経済に費やされてしまった。

株式市場が経済の中心となってしまい、株価が下がるような政策をとった政府は失敗したとみなされる。これは公共政策や投資判断の誤りにつながる。

ここでオライリーは、ワシントンポストのコラムニスト Steven Pearlstein2020年に書いた記事から、「FRB連邦準備銀行)は市場が活況なときには手綱を締めず、市場が下降線となるや、市場は合理的でないと大量の融資を行う。つまりは FRB は株価に床を与えるが、天井は与えない」というくだりを引用する。

中央銀行がやるべきこととして、オライリーが主張するのは以下の3点。

  • 最初は小幅に、そして時間をかけて積極的に金利を上げる。それでバブルは崩壊するかもしれないが、投資の裏付けを合理的に判断するようになり、市場は資本の配分をより適切に行えるようになる。
  • 金利を上げるかわりに、より大きなインフレ率の上昇を受け入れる手もある。トマ・ピケティが『21世紀の資本』で論じたように、インフレは不平等を減少させる主要な力のひとつだ。
  • 賭博経済における株価上昇ではなく、事業経済(operating economy)における中小企業の起業、雇用、収益を目指す。

税制も重要だ。ここでオライリーは、税制に関するアイデアをいくつか紹介している。

ここでオライリーは、税金の抜け穴をソフトウェア企業にとってのゼロデイ脆弱性にたとえている。つまりは、気づいた時点でさっさと穴をふさぐべきだし、バックドアをシステムに組み込むべきでもないのだ。

そしてオライリーは、税制とソフトウェア企業のアナロジーを敷衍し、FacebookGoogleアルゴリズムを変更しないで、誤報やスパムで市場を混乱させることが許されないように、税制をもっとダイナミックに変えられるようにすべきという本文においてもっともラディカルなアイデアを披露している。Facebookアルゴリズムに責任を持たせることが可能なんだから、政府にも同じことができるんじゃないか? というわけ。

つまり、我々の社会や市場を設計する「アルゴリズム」は、我々の意図するものになっているか? という問いかけですね。

正直、ケイザイに明るくないワタシにはオライリーの提案の妥当性について偉そうに評価はできないが(そのせいで文意を取り違えているところがあればご指摘ください)、金利を上げるよりはインフレ率の上昇を受け入れるほうが良いかと思いますね。最後の税制に関するアイデアはワタシも大賛成です!

しかし、オライリーイーロン・マスクに対する評価には、なんともねじれたものを感じる。オライリーは彼のテスラとスペースXを「世界を変える会社」と評価する。しかし、テスラの株価は事業収益に見合ったものではまったくなく、まぎれもなくバブルだし、イーロン・マスクがリッチなのは、企業の PER に合致しない「スーパーマネー」を彼が株式市場から得ているからと断じる。けど、バブルが一概に悪いというのではなく、賭博経済が新製品や生産性向上の原動力になることもあるし、ただし、現在のバブルが合理的な範囲内かというと――と話が蛇行する感がある。

wirelesswire.jp

5年以上前に書いた文章だが、ティム・オライリーリバタリアンであるポール・グレアムの経済的不平等論を斬っていたが、ワタシはグレアムが経済的不平等を論じるのにトマ・ピケティ『21世紀の資本』を引き合いに出さないのはおかしいだろと思ったので(そう書いている)、オライリーがちゃんと『21世紀の資本』を援用していてそうだよな! と思ったものだが、そうした意味でオライリーの視座は一貫していると言えるだろうか。

とはいえ、リバタリアンの最後の拠りどころであるシリコンバレーのスタートアップを支持してきたオライリーが、前回の文章に続いて見せるシリコンバレーの賭博経済に対する強い嫌悪には少しギョッともしてしまう。

そういえば、そろそろピケティの新刊の邦訳も出る頃ですかね。

あと文中引き合いに出される Steven Pearlstein の新刊も、書名からしオライリーの主張と親和性が高そうだ。しかし、この人の本って邦訳出てないな。

元祖ウィキペディア構想? H.G.ウェルズの埋もれた作品『World Brain(世界の頭脳)』の新装版が出る

調べものをしていて、『タイム・マシン』、『宇宙戦争』、『透明人間』、『モロー博士の島』など近年まで何度も映画化されている SF の古典の作者で、「SFの父」とも呼ばれるハーバート・ジョージ・ウェルズH.G.ウェルズ)の『World Brain(世界の頭脳)』が来月再発されるのを知る。

World Brain

World Brain

Amazon

H.G.ウェルズというと、今年は没後75年で、そういえば英国の2021年記念硬貨にH.G.ウェルズ記念デザインが入り……おい、ちょっとおかしいぞ! というのが少し話題になったが、それだけで上に挙げた SF の古典に比べれば知名度が低い『世界の頭脳』の新装版が出るのか不思議になる。

これは、サイバーパンクの代表的存在であり、またハッカー文化サイバースペースにも造詣の深いブルース・スターリング(ワタシも『Make: Technology on Your Time』日本版で彼の文章をいくつも訳しました!)が「まえがき」、『Good Faith Collaboration: The Culture of Wikipedia(善意にもとづく共同作業:ウィキペディアの文化)』の著者であり、『Wikipedia @ 20: Stories of an Incomplete Revolution』の共編者であるジョゼフ・リーグルが「序論」を寄稿しているのがポイントなのだろう。

Of course, as Bruce Sterling points out in the foreword to this edition of Wells's work, the World Brain didn't happen; the internet did. And yet, Wells anticipated aspects of the internet, envisioning the World Brain as a technical system of networked knowledge (in Sterling's words, a “hypothetical super-gadget”). Wells's optimism about the power of information might strike readers today as naïvely utopian, but possibly also inspirational.

World Brain | The MIT Press

つまり、H.G.ウェルズの『世界の頭脳』で書かれる「世界百科事典」の構想は、ウィキペディア(というかインターネットそのもの?)の元祖とも言えるもの、という視座からの再評価なのだろう。もちろん今の目で読めば、ウェルズの構想がユートピアすぎるという見方はあるだろうが。

当然『世界の頭脳』にも既存の邦訳はあるが、1980年代に出たものでとっくに絶版なので(Amazon マーケットプレイスですごい値段がついている)、今回の新装版の邦訳は意味あると思うのだが難しいですかねぇ。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドキュメンタリーがカンヌでお披露目され、賞賛されている模様

variety.com

ベルベット・ゴールドマイン』や『アイム・ノット・ゼア』といった一癖あるミュージシャンの伝記的な映画をものにしているトッド・ヘインズがてがけるヴェルヴェット・アンダーグラウンドドキュメンタリー映画のことは、2019年5月に取り上げているが、それから2年余り経って、その『The Velvet Underground』というそのものズバリなタイトルの映画はカンヌ国際映画祭でお披露目された。

遺されたアーカイブ映像、そしてジョン・ケイルをはじめとする生存するメンバーへのインタビューが使われているのはまぁ当たり前だけど、ルー・リードの妹さんもインタビューを受けてるとな。

出ている評を見る限りだいたい好意的で、このバンドをこよなく愛するワタシ的にも嬉しい話だが、この Variety の記事における、トッド・ヘインズジョン・ケイルをバンドにおける純粋さのメタファーと見ているのではないか、モーリン・タッカーにインタビューしてるけどなんで彼女の革命的なドラミングについて触れないんだ、ヴェルヴェッツの音楽の素晴らしさと謎を語る批評家の意見を含んでいないのはトッド・ヘインズは重要な間違いを犯してると思うぞ、という感想は興味深い。

variety.com

同じ Variety の記事だが、こちらは「いかにしてトッド・ヘインズはドキュメンタリーでルー・リードを生き返らせたか」というタイトルで、監督にとってはそれが最大の課題だったようだ。

この記事を読むと痛感するのはアーカイブの重要性で、ワタシもルー・リードアーカイブについてはこのブログで何度か取り上げている。

そして、最後に引用されているトッド・ヘインズの発言、「この映画はこのバンドだけではなく、多分にニューヨーク・シティ肖像画でもあるんだ」という発言も奮っているね。

しかし……この映画は Apple TV+ でのストリーミング配信が決まっており、Netflix しか契約していないワタシは観れないのが残念である。

フー・ファイターズがマディソン・スクウェア・ガーデン公演でデイヴ・シャペルと演った「クリープ」の珍しいカバー

nme-jp.com

マディソン・スクウェア・ガーデンが公開した動画を見ると、フー・ファイターズのマディソン・スクウェア・ガーデン公演は、単にロックバンドの公演というだけでなく、ニューヨークにライブが戻ってくる! という感動が伝わってくるものになっている。

片や大観衆で満員のライブが再開できるところもあれば、一方日本では……とどうしても思ってしまうが、この話題をしだすと、どうしようもかく腹立たしくなってしまうのでここで止めておこう。

このライブ自体特別感があったようで、NME の記事にも「コンサートではコメディアンのデイヴ・シャペルがゲスト参加してレディオヘッドの“Creep”のカヴァーも披露されている」という記述があるが、この映像も紹介しておこう。

フー・ファイターズがこの曲をライブでカバーなんて通常では考えられないわけで、これはアメリカを代表するコメディアンであるデイヴ・シャペルの希望なんだろうが、なんでまたよりにもよってデイヴ・シャペルがこの曲を望んだのかすごく不思議というかヘンだけど、すごく盛り上がっている。

関係ないが、デイヴ・シャペルってワタシと同い年なんだよな。彼がプロデュースし、ミシェル・ゴンドリーが監督した『Dave Chappelle's Block Party』の DVD は絶版なのかぁ。

nme-jp.com

そうそう、フー・ファイターズといえば、デイヴ・グロールが少し前に面白い話を披露していたが、今年出た新譜も結構ダンサブルで良かったよね。

2021年上半期にNetflixで観た映画の感想まとめ

今年も昨年に続いて映画館に足を運ぶ機会がなかなか持てず、というか上半期で5本しか映画館で観れず哀しい限りである。

その代わりといってはなんだが、Netflix で映画を観たのでその感想をまとめておく。昨年もそうしたエントリを書いたが、一年分をまとめて書くと、ワタシもジジイのため思い出せなかったりして情けなくなるので、上半期で一度まとめておきたい。

基本的に観た映画でも新作、もしくはそれに近いものだけにさせてもらう。飽くまで Netflix で観た映画ということで、Netflix 制作に限らない。

この茫漠たる荒野で(Netflix

『キャプテン・フィリップス』以来のポール・グリーングラス監督、トム・ハンクス主演の映画である。

News of the World という原題が、新聞のニュースの読み聞かせをして各地を渡り歩く主人公の立ち位置を表していることを考えると、この邦題が損なっているものもあるが、「茫漠」という単語が邦題に入る映画を他に知らないので、このユニークな西部劇を表現するものとしては悪くない。

ポール・グリーングラスは本作でも器用に西部劇をものにしているし、トム・ハンクスが主人公なので安定感があって、はからずも旅を一緒にすることになる少女との関係を安心して観ていられる。


マ・レイニーのブラックボトム(Netflix

本作でチャドウィック・ボーズマンアカデミー賞主演男優賞は堅いと言われていたが、蓋を開けたら『ファーザー』アンソニー・ホプキンスがとってしまい、そのまま放送事故のような中継番組のエンディングを迎えるという不幸があった。

『ファーザー』も本作も舞台劇を元にしており、本作はバンドの控室とレコーディングスタジオのいずれかでだいたい話が展開するが、チャドウィック・ボーズマンは熱演で映画をドライブさせている。マ・レイニーを演じるヴィオラ・デイヴィスも負けておらず、個人的にはむしろ彼女がアカデミー賞で主演女優賞をとれなかったのが悔しかったくらい。

本作は音楽劇だけど、音楽はブランフォード・マルサリスが担当してるんですね。


メーキング・オブ・モータウンNetflix公式サイト

yamdas.hatenablog.com

AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは(Netflix

yamdas.hatenablog.com

愛してるって言っておくね(Netflix

『隔たる世界の2人』も短編だったが、こっちは12分とさらに短く、アカデミー賞短編アニメ賞を受賞している。

痛ましい実際の事件に材をとっているが、その事件そのものではなく、その悲劇がある夫婦にもたらした拭い難く深い傷が簡潔に表現されている。これはワタシがどうこう書いてもしょうがない種類の作品で、10分ちょっとなんだから観れる人は観ろとしか言いようがない。

ラブ&モンスターズ(Netflix

この映画はまったくノーマークだったのだが、真実一郎さんのツイートを見て、特に The The のあの名曲で始まると知って、俄然観たくなった。

真実一郎さんが書く通り青年の成長物語であり、壊れたロボットと交流の場面で流れるあの曲(タイトルを書けない)にオマージュにグッときたりするが、それならその後の場面で主人公は××に血を吸われているべきだろ、と演出が惜しいと思ったりもした。が、この映画でそれをやるとヤバいということだろうか(なにしろ生物が巨大化しているので)。

離れ離れになった恋人に会いたくて危険を顧みずに旅に出た青年が、果たして彼女に会えたら――だいたい見当がつくんですね。しかし、ここからの展開、そして最後の主人公の選択が良いんですよ。


オクトパスの神秘: 海の賢者は語る(Netflix

評判になっていたドキュメンタリー映画で、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したことで、ワタシも観てみようかと思った次第である。

確かにこれはよくできている。ワタシはもっぱらタコは食べるほうの専門だが、そんなワタシにも確かに主人公とタコの関係性の不思議さを感じさせてくれた。

しかし……こんなことを思うのはワタシが性格が悪くからに違いないが、ある意味世捨て人的に海に潜りだした傷心の主人公を、なんで最初からこんなしっかり撮ってるんだ? 特に本作のクライマックスであるタコとサメの攻防はどういう体制で撮影したんだろう、本作はどこまでドキュメンタリーなんだろう? とか思ってしまった。

はてな出身の文筆家をもう40人ざっと挙げてみる(主に2016年以降)

[2021年7月6日追記はじまり]

はてなブックマークコメントや Twitter でのご教示を受け、10人追加させてもらました(エントリタイトルや記述も一部変更しました)。

一部反応についてはリストに含めない理由を直接ご説明させていただきました。これでもまだ足りないと思いますが、一応ここまでとさせてください。なお、アカウントを削除されている方はそれ自体意思表示であり、こうしたリストに含めるべきではないと考えます。

[2021年7月6日追記おわり]

yamdas.hatenablog.com

pha さんの「結局みんなキャッキャウフフしたかっただけなのか」にリンクされたおかげで、このエントリのはてなブックマークが今になってぐっと伸びたのだけど、これは2015年末、今から5年前以上にまとめたエントリである。そこで自然と以下の疑問が浮かぶ。

これについて pha さんをはじめリプライをいただき、また前回のリストに入るべきだったのにワタシが見逃していた方を調べなおし、2016年以降編をまとめてみた(タイトルに「40人」と書いているが、実際には41人である。その意味は読んでいただければ分かると思う)。

リスト入りの条件は、だいたい前回と同様の「初めての著書を出す前からはてなブログはてなダイアリーをメインのブログとして利用していた人」とさせてもらう。ここでの「著書」は一般の出版社から刊行された紙の本の単著とさせてもらい、共著や編著、また電子書籍のみはカウントしないものとする(これも含めちゃうとワタシすら入っちゃうので)。また条件に合っているだろうと思っても、はてなのアカウントを削除済だと情報の特定が難しいので除いている。

前回のリストについて「卒業名簿みたい」という声があったが、今回にしても note などに移られた方が何人もおり、卒業名簿の気配はやはりある。前回30人、今回40人、合計70人を選ぶことで、極私的「はてな葬送の儀」を行ったとも言えるのかもしれない。

以下、あいうえお順。一部、敬称略。

ARuFa(id:arufaTwitterWikipedia

現在はオモコロ並びにそこでの匿名ラジオの更新が主になっているが、この方こそネットでとにかく面白いことをやり続けていたらそれが書籍につながった見本と言えるだろう。

石井あらた(id:banashi1Twitter

ご本人のブックマークコメントを受けて追加。この方の「山奥ニート」生活についてはスーモジャーナルのインタビューに詳しい。

石井てる美id:gotoshin_terumiTwitterWikipedia

前回のリストには、この方を「文筆家」として入れるのはおかしいと思って入れなかったのかもしれないが(正直記憶が不確か……)、10年以上前からはてなダイアリーをやられていた方であり、そういうこだわりはもういいでしょうと今回入れさせてもらう。

原千尋水辺遍路Twitter

全国の9000あまりの池をめぐるというライフワークを記録するブログについては、週刊はてなブログへの寄稿に詳しい。ご本人は「ブログらしくない使い方」と書かれているが、ここまで蓄積されたときにものすごいデータベースになるという見本だろう。

ワタシも故郷の西山ダム本河内高部ダム本河内低部ダムのエントリを見て、おおっ! と盛り上がった覚えがある。

井中カエル(id:monogatarukamTwitter

映画、アニメ、漫画のレビューブログはある意味定番なのかもしれないが、この方の場合カエルと主の対話形式というフォーマットがかっちり決まっているのが個性になっている。

尾登雄平(id:titioyaTwitter

世界史ブログというとワタシも「歴ログ」が好きなのだけど、この方の週刊はてなブログへの寄稿を読むと、それを支えているのは毎日の勉強なのだなと頭が下がる思いである。

紙屋高雪id:kamiyakenkyujoTwitterWikipedia

マンガ評論の分野で著名な方であり、ワタシも昔から名前を存じていたため、リストに入らないと思い込んでいた。申し訳ありません。近年は町内会についての著書も書かれており、2018年の福岡市長選への立候補も話題となった。

月山もも(id:happydustTwitter

この方は「つきやま」だと思っていたのだが、NHKラジオの記事で「がっさん」なのを知った([2021年7月6日追記]:ご本人より「つきやま」で合っているとのコメントをいただきました。失礼しました)。毎回写真のクオリティが高い「山好きの女子による温泉ブログ」だが、車の運転免許を持っていないので、基本的に公共交通機関を利用というのに驚いた覚えがある。日常の記録は note のほうにある。

亀田恭平(id:kkamedevTwitter

公式サイト。ネイチャーエンジニアを自称するこの方は、「自然×IT」という軸が定まっており、最近は電子書籍やアプリも多数公開されているが、ブログの更新頻度がまったく落ちていないのはすごい。

北村紗衣(id:saebouTwitterWikipedia

さえぼう(さえぼー)先生の呼称でも知られるフェミニスト批評の強力な書き手であり、ウィキペディアンとしての活動も知られる(参考:特別企画「ウィキペディアとフェミニスト批評」)。この方の意見に常に賛同するというわけではないが、だからこそ氏の書くものには本当に教えられることが多い。

くどうれいん(工藤玲音)(id:eyezonTwitter

既にはてなブログを閉鎖し、完全に公式サイトに移行されており、このリストに含めるのは違うのかもしれないが、ご本人がそのブログ「水中で口笛」の意義と閉鎖の理由について書かれている文章を読み、どうしても入れたくなった。

群像4月号に発表した「氷柱の声」は、第165回芥川龍之介賞の候補作になっている。藤野可織さんに続くはてなユーザの芥川賞受賞が実現してほしいところ。

gemomoge(id:gemomogeさっさっさっと毎日のごはんTwitter

レシピブログもワタシの守備範囲外なのだが、この方の週刊はてなブログの寄稿は、料理写真の撮り方のとても参考になるものだと思う。

佐々木拓郎(id:dkfjTwitter

ご本人のツイートを受けて追加。AWS を中心としたクラウド技術の活用についての本を多く執筆している。

柴那典(id:shiba-710TwitterWikipedia

かつてほぼ毎月購入していた雑誌 rockin' on のバックナンバーを取り上げるコーナー「ロック問はず語り」をやってたワタシ的には、この方の名前は約20年前からなじんでいたわけで、こういうリストに入れるのはとてもヘンに感じてしまう。というか、最初の著書が出たのは2014年なのだから、前回のリストに入れるべきだった。失礼しました。

Yahoo!個人をはじめ、CINRA.NET現代ビジネスなどに寄稿されているが、最近では「無力感の中で」を読んで感じ入るところがあった。

ジニ(id:arcadia11Twitter

現在は note に軸足を移されている。FINDERS で連載「ゲームジャーナル・クロッシング」、他にも 4Gamerリアルサウンドなどに寄稿している。

杉田俊介id:sugitasyunsukeTwitterWikipedia

雑誌「対抗言論」を立ち上げ、昨年末に刊行された『人志とたけし』も話題になった著者だが、思えば氏の初の単著『フリーターにとって「自由」とは何か』(asin:4409240722)を出された2005年は、はてなダイアリーの更新がもっとも活発であった時期でもあり、この方も前回のリストに含めるべきだった。

砂義出雲(id:sunagiTwitterWikipedia

砂義出雲先生(公式サイト)も前回のリストに入るべき方だった。本当に申し訳ありません。

はてなブログは近年は年数回の更新ながら、今年はゲーム『Outer Wilds』についてのエントリを二つバズらせており(その1その2)、素晴らしいことだと思う。

辰巳JUNK(id:outceptionTwitter

この方も note に移行しつつあるが、アメリカのエンタメ関係におけるワタシの情報源の一つである。昨年までは文春オンライン、その後も CINRA.NETRolling Stone Japan に寄稿されている。

たぱぞう(id:tapazouTwitter

ワタシ自身は投資関係は未だ門外漢に近いので、氏については週刊はてなブログへの寄稿を読んでもらうのがよいと思うのだが、今年6月に2冊新刊が出ておりすごいと思った。

斗比主閲子(id:topisyuTwitter

今回の特集の契機になった pha さんの文章を受けて、トピシュさんも「今から3年前の6月にHagexさんが亡くなられてから、ネットで誰かと接点を持つことが極端に減りました」を書かれている。それを読み、ワタシも Hagex さんが亡くなられたとき書いた文章を思い出したりした。

名取宏(id:natromTwitterWikipedia

2004年以来の言わずと知れたベテランユーザである NATROM 先生も本来なら前回のリストに含めるべきだった方であるが、やはり「文筆家」はおかしいと入れなかったのか。いずれにしても申し訳なし。

さすがに2010年代以降は更新頻度が下がっているが、コロナ禍においても変わらず有意義な情報発信をされていることに感謝したい。

乗代雄介(id:norishiro7TwitterWikipedia

2015年に「十七八より」で群像新人文学賞を受賞してデビューし、2018年に『本物の読書家』で野間文芸新人賞を受賞、そして今年2021年に『旅する練習』で三島由紀夫賞を受賞と小説家としてのキャリアを着実に積まれている氏だが、そのデビュー時点ではてなブロガーとしての長いキャリアがあり、ブログ名を冠した『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』が昨年書籍化されている。

速水螺旋人id:rasenjinTwitterWikipedia

ソビエト連邦/ロシアを舞台とする作品で知られる漫画家で、最初の単行本が出る前年の2007年からはてなダイアリーを使われていたのでリスト入りすべきだった。

昨年も安倍首相辞任を受けたエントリが評判になった。

はらぺこグリズリー(はらぺこグリズリーの料理ブログTwitter

料理ブロガーとして知られ、『世界一美味しい煮卵の作り方 家メシ食堂 ひとりぶん100レシピ』は第4回料理レシピ本大賞 in Japan の大賞を受賞している。

藤井太洋id:t_traceTwitterWikipedia

2012年に公式サイトに移管されているが、2003年から2008年まではてなダイアリーのヘビーユーザーだったのだからこのリストにも含めないのはおかしかった。今や日本を代表するSF作家であり、『オービタル・クラウド』で日本SF大賞、『ハロー・ワールド』で吉川英治文学新人賞を受賞している。

ふろむだ(分裂勘違い君劇場 by ふろむだid:fromdusktildawnTwitter

この方の「分裂勘違い君劇場」があまりに長く人気ブログだったので、2018年まで著書がなかったというほうが不思議に思えて仕方ないくらだい。

平民金子id:heiminTwitter

現時点で、はてなブログが非公開なのは残念だが、朝日新聞「神戸の、その向こう」を連載されている。

平民さんには一昨年にお会いする機会があり嬉しかったが、それよりもお互いのことをネットでそれとなく認知しながら、長らく同じ時間を別々に生きてきたこと、そちらの方が重要だったのだ。

ぼのこ(id:rmtnTwitter

正直、週刊はてなブログへの寄稿を読むまで、この方のサイトがはてなブログでできているのにも気づかなかったくらいである。漫画ブログ自体は珍しくないが、この方の場合、YouTube も同時展開しているのは特色と言えるだろう。

ネムラコーヒー(id:minemuracoffeeTwitter

ご本人のツイートを受けて追加。昨年カクヨムで多くの人を震撼させた衝撃の作品の書籍化『転生したらスプレッドシートだった件』については KAI-YOU.net の記事に詳しい。

山下泰平(id:cocolog-niftyTwitterWikipedia

公式サイト。この方の異才はゼロ年代からとんでもないもので、ワタシも2008年に一度お会いしたときに失礼なことを口走った話は以前にも書いたが、その異能がようやく書籍の枠に収まるところまで環境が整ったというべきなのかもしれない。

山田耕史(id:yamada0221Twitter

はてなブログで著名なファッションブログをやっているとなるとこの方しか浮かばない。現在ワークマンオンラインストアブログにも寄稿されている。

YUKIKAWA(ハングルマスターTwitter

韓国語の勉強というコンテンツが書籍化という夢の実現につながった方だが、一昨年は毎月100本、昨年は毎月80本、そして今年も毎月40本とずっと一定のペースでブログ記事を量産されているのはすごい。

なんでマイクロソフトは死ななかったのか?

www.nytimes.com

マイクロソフトは長年大きな失敗を犯したが、今ではまたテック界のスーパースターに返り咲いていることについての記事だが、これはかつて↓という文章を訳したワタシ的には取り上げないといけないでしょうね。

www.yamdas.org

ポール・グレアムが原文を書いたのは2007年だが、確かに当時マイクロソフトは明らかにイケてなかった。「悪の帝国」イメージも健在だったし、この記事ではマイクロソフトの暗黒時代をゼロ年代半ばから2014年までとしているが、「ジョークのオチに成り下がった」という表現が感じをつかんでいる。

しかし、今では再びテック界のスーパースターなわけで、ほとんどすべてに失敗しても企業再生は可能ということなのか、それとも独占企業というものはかくも殺しにくいものなのか(あるいはその両方か)。

これは現在いろいろと憎悪の対象になっている(日本でのみ GAFA と呼称される)ビッグテックについて考える上で、マイクロソフトから学ぶことはないかという話ですね。

マイクロソフトの暗黒時代、実は企業業績はそんなに悪くはなかったのだが(スティーブ・バルマーが CEO を半ば退任させられた2013年でさえ270億ドルを超える利益をあげている)、当時、検索エンジンスマートフォンへの参入に失敗したのは確かである。

マイクロソフトの再生には、クラウドコンピューティングへの取り組みとそれに伴う企業文化の変化に成功したのが大きい。思えば、ワタシも2008年に「改めてさらばわれらがビル・ゲイツ、もしくはマイクロソフトのクラウドOSへの遠い道のり」という文章を書いているが、「クラウドOS」なんてマイクロソフトの企業文化では実現は難しかろうと正直思っていた。

そしてこの記事では、マイクロソフトの顧客が個人ではなく企業であり、企業向けのプロダクトは必ずしも技術的に優れていなくても勝てる。それが GAFA との違いと分析している。

となると、たとえ新技術に対応できずに中途半端な製品を作り、官僚主義に悩まされたとしても、既に規模がでかくてマーケティングが巧みであれば成功を維持できるということにならないかと疑問を投げかけており、強力な企業が勝ち続けるのに偉大である必要はなく、それに取って代わるものがないだけかもしれないというのがこの記事の締めなのだが、これはいくらなんでもマイクロソフトの企業努力に対して失礼だとワタシは思う。

サティア・ナデラ CEO による相互運用性を高めるアプローチは、明らかにマイクロソフトの製品力とイメージの両方を高めた。今では Windows OS 上で Ubuntu が走るのは当たり前、Windows 11 では Android アプリが動きWindows 版 iMessage も歓迎というところまできている。これはビル・ゲイツスティーブ・バルマー体制の頃には夢にも思わなかった話である。

yamdas.hatenablog.com

(現在の)マイクロソフトを未だかつての「悪の帝国」イメージのまま語り、ズレている人をネットでたまに見かけるが、現在その「悪の帝国」は GAFA の側である。企業の Windows ユーザをつかんで離さずに Office のクラウド版を実現した強かさを現在のビッグテックは(マイクロソフトと同様に独占禁止法の適用を逃れながら)学べるだろうか?

ネタ元は Slashdot

まぁ、今ではマイクロソフト低迷の元凶扱いのスティーブ・バルマーさんもワタシ未だ憎めないんですけどね。

南極の昭和基地では、料理の情報共有にWikiが使われていた

80c.jp

ワタシは南極には行ったことはないし、おそらくはこれからの人生で行くこともないだろう。つまり、自分とは縁のない土地なのだけど、一方で南極の話というだけで未だ何か心惹かれるものがあるのも確かである。

この記事は、第61次南極越冬隊の調理担当だった、南極炒飯こと依田隆宏さんのインタビューだけど、南極料理人ならではの工夫の話をはじめとして、全編とにかく面白く、読ませる。

個人的には、ちょっと他の人と異なるポイントで盛り上がってしまった。

―食べたい料理のリクエストもありましたか?

たまにありました。僕は基本的に1週間単位で献立を考えていて、最初は昭和基地にある『昭和Wiki』と呼ばれる情報共有システムにメニューをアップしていました。仕込み中に変えることもありましたけどね。

南極で炒飯を!昭和基地で中華を作る|依田隆宏さんインタビュー | 80C - Part 2

昭和Wiki昭和基地の情報共有には Wiki が使われているのか!

依田隆宏さんは「最初は」と言っているので、今は違っている可能性も高いが、それでも「昭和基地Wiki が使われているか!」と色めき立ってしまった。

冷静に考えてみれば、情報共有に Wiki が使われているからって当たり前の話で、南極だったら何が違うんだという話なのだが、Wiki エンジンは何が使われているのだろうか、PukiWiki だろうか? とか、記事の本筋から離れたところで想像を膨らませたりした。

以前紹介した洋書の邦訳刊行情報(新ジャポニズム産業史 1945-2020、世界を変えた「海賊」の物語、アルゴリズムの時代)

調べものをしていて、以前本ブログで紹介した洋書の邦訳が出る話を複数知ったので、まとめて紹介させてもらう。

yamdas.hatenablog.com

およそ一年前に取り上げたマット・アルトの日本のポップカルチャー論だが、村井章子さんの翻訳で邦訳が今月出る。

「日本のクリエーターと消費者は単なるトレンドセッターではなかった。先進国が迎えた晩期資本主義世界で、彼らは未知の領域のすこし先を歩いていたのである」という視座は興味深い。

ティーブン・ジョンソンというと少し前に人類の偉大な成果としての「余生」がテーマな新刊について書いているが、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」で取り上げた海賊についての本の邦訳が今月出る。

「海賊」は時にロマンティックな思い入れの対象にもなっているが、「現代のグローバル資本主義の誕生について語ろうとすると、「海賊」はもっとも重要な存在のひとつ」なのが、この本が書かれた現代的意義なのだろう。

ティーブン・ジョンソンは2020年版の洋書特集で取り上げたものだが、2019年版で取り上げたハンナ・フライの本が『アルゴリズムの時代 機械が決定する世界をどう生きるか』として来月出る。

さて、今回3冊取り上げたが、版元のウェブサイトに個別ページができていたのは、本文執筆時点で刊行がもっとも先の本だけだった。

またこのツイートを引き合いに出さなくてはいけないのだが、Amazon に情報を出せるのだから、版元のウェブサイトに個別ページを作れないはずはない。上記の通り、今回取り上げた本で個別ページができていたのはもっとも刊行が先の本だったというのは、要は版元にやる気があるかないか、それを重視しているかしてないかの違いでしかないのだろう。

Mr.ノーバディ

コロナ禍において、観に行きたくても諸事情により行けない映画が出てくる。『アメリカン・ユートピア』がそうで都合がつかず、フラストレーションが溜まっていたこともあり、都合がついた本作を観に行った。終映近く一日一回の上映になっており、客は少ないかと思いきや、座席が一つ空けとはいえほぼ埋まっていた。

ワタシはアメリカのコメディ番組には特に詳しくないので、ボブ・オデンカークのことをちゃんと認知したのは『ブレイキング・バッド』になるが、今ではそのスピンオフ『ベター・コール・ソウル』が、史上最高のドラマと言われた『ブレイキング・バッド』より自分の中で上になっており、果たして次シーズンで有終の美を見せてくれるかが楽しみであり、怖くもある。

そうした意味でオデンカークは、50台にキャリアの頂点に達した珍しい存在であり、『ブレイキング・バッド』でのブレイク後、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』など映画でも彼を観る機会が増えたが、主演作を観るのは初めてである。

『ジョン・ウィック』の制作スタッフによる映画ということで、あの映画のシリアスだけどその実ちょっとバカというか、少し抜けた感覚がオデンカークのとぼけた佇まいと合っていた。監督は Hagex さんが好きだったイリヤ・ナイシュラーで、彼が撮るのだからアクションも十分見ごたえがあり、ワタシの感じていたフラストレーションも少しは晴れた。

ジョン・ウィック』がそうだったように、本作の悪役も近年ハリウッド映画で遠慮容赦なく悪く描いてオッケーなロシア人(マフィア)なわけだが、そのあたりやはりロシア人であるイリヤ・ナイシュラーは思うところはなかったのだろうか。

本作は、自宅に侵入した空き巣犯に抵抗せず、周りからも家族からも弱腰と失望された主人公が暴力性を解き放つ話だが、ワタシ自身は主人公が実は(中略)ではなく、本当に平凡な中年男が爆発する映画のほうを見たかった。それでも本作のアクション(肉弾戦が特に良かった)と、それとともに強まるコメディ感覚は楽しめた。

本作の設定自体が「男性性」をあくまで映画のなかのファンタジーとして閉じ込めておくアイデア、と見る伊藤聡さんの評を読んで、なるほどと思うとともにタイヘンなものだとも思ったが、そのファンタジークリストファー・ロイドが貢献しているのも面白かった。

正直、本作に「気晴らし」以上のものを求めるのは違うと思うが、暴力のエキサイティングさがちゃんと描けており、これはこれで十分だった。

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