当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

Netflixの「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」で一番グッときたのはこんまりさんの通訳の飯田まりえさんだったという話

2019年に入って世界で話題の「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」、ワタシは2話見て番組にそこまでときめきは感じなかったのだが、それはともかく以下のような感想をツイートした。

そんな意見はワタシだけかと思っていたらそうではないようで、早速通訳の方を取材した記事が出ていた。これが面白かったので、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の宣伝という趣旨とは関係なく、ブログを更新させてもらおう!

近藤麻理恵さんの通訳をしているのは Marie Iida(飯田まりえ)さんという方なのね。彼女はもちろん通訳者、翻訳者なのだが、脚本や映画評やヤングアダルト小説の書き手でもあるとな。

記事の後半は、飯田まりえさんへのインタビューなのだが、質問も基本的ながら日本のメディアもこれくらいの質問はしてほしいというエッセンシャルなものだったので、受け答えをごく簡単にまとめておく。

今回の番組の前に二週間リサーチをやったそうですが、近藤麻理恵のためにどんな準備をしました?
彼女の本を全部読み、彼女のインタビューをたくさん読み、彼女の話し方やスタイルを感じ取れるよう彼女のレクチャー動画も調査した、という当たり前の答えだが、そこでこんまりの本の英訳者 Cathy Hirano の名前をちゃんと挙げてるのがえらい
番組で持ち歩いているノートには何を書いてるんですか?
もちろんキーワードをメモしているのだが、徐々にノートが安全毛布(security blanket)というか、まさに幸運のお守り(good luck charm)みたいになったと言う言葉が印象的
あなたはこんまりの言葉を忠実に翻訳してますか? それとも一部の視聴者が指摘するように、いくらか不機嫌な(snarky)発言をソフトにしてるのか?
こんまり(の発言)は snarky ではない、と何度も否定。こんまりはクライアントにもその持ち物にもリスペクトを払っているし、彼女はとても楽しい人だ、とフォロー
あなたとこんまりの間にある符合は神秘的だ。名前が同じ「まりえ」というところが特に。番組のプロデューサーは、あなたの服装について指示しました? こんまりと同じような髪型にしろとか?
夫(コミックライターで映画監督の Dennis Liu)も、二人が同じまりえという名前で同じ背丈なのが面白いっていつも言うんですよ! とのこと。番組で名乗るときは、相手を混乱させないよう「Iida」と名乗るし、不必要に出しゃばらないようにしている、とプロらしい発言
現在のこんまりとの関係をどう思ってます?
番組の撮影中、お互い励まし合っていた。移動の車を降り、相手の家族の家に向かう前、お互いに「よろしくお願いします」と必ず言い合っていた話など、こんまりの礼儀正しさを称えている
こんまりと彼女の哲学について、もっとも大きく誤解されてることって何でしょう? こんまりは本当に我々に本を捨てろと言ってるのでしょうか?
これは一部で批判があった、こんまりの「本は30冊以内に収めるのが理想」という主張についてだが、飯田さんはすかさずそれを否定し、彼女自身読書が好きだし、それは自分にとって重要なことをこんまりに話すと、「それに愛情があるのなら、家には確信を持って愛しているものを置いておくべきです」と言われた話をしてフォロー
あなたは自分の家でこんまりメソッドを実践してます?
いつもきちんと整理してますが、箪笥の中を見たら、衣服を彼女にメソッドに従って畳んでるのが分かりますよ
片付け以外で、近藤麻理恵から学んだ一番重要なことって何でしょう?
自分の背が低いことが、アメリカで仕事をする上で不利益だと思ってきたが、彼女の自身への自信と正直さには勇気づけられる。日本とアメリカの両方で暮らした経験から、人々の違いや翻訳できないものに目が行きがちだが、麻理恵がいろんな家族や多様な製作クルーとやりとりするのを見て、いかに彼女が世界中で共通するものに集中しているか理解する助けになった

通訳者としてのプロ意識を感じさせながら、仕事相手の近藤麻理恵に敬意を払い、しっかり立てているところに、さらに飯田まりえさんに好感を持ったね!

あの番組を見てると分かるのだが、相手の家族もこんまりだけでなく通訳の飯田まりえさんを温かく迎えリスペクトしているのが分かる。それは彼女の仕事の確かさがあってのことだろう。

Netflix の番組の世界的反響を受けていろいろ文章が書かれているが、個人的には渡辺由佳里さんの文章がもっとも網羅的だと思う。以下のくだりも飯田まりえさんの発言と重なるところがある。

近藤が「英語がうまくなる努力をしていない」とは言わない。それどころか、彼女の発音を聴くと、努力を積み重ねていることがわかる。近藤がことに優れているのは、「英語が完璧ではない」ということで臆病になったり、卑下したりせず、「片付けのプロ」としての自分の価値をしっかりと見極めたうえで、上から目線でもなく、同じ人間としてアメリカ人のクライアントと感情レベルで繋がっているところだ。

賛否両論の中でも「こんまりの片づけ」が世界中で大ブレイクする理由【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(10)|FINDERS

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing (The Life Changing Magic of Tidying Up)

The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing (The Life Changing Magic of Tidying Up)

ハーバードビジネススクールのショシャナ・ズボフ名誉教授の『監視資本主義』が刊行された

ここでも何度も取り上げているが、ハーバードビジネススクールのショシャナ・ズボフ(Shoshana Zuboff)名誉教授の新刊『The Age of Surveillance Capitalism: The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power』が出たのを、ニコラス・カー先生の書評経由で知った。

The Age of Surveillance Capitalism: The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power

The Age of Surveillance Capitalism: The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power

なぜか紙版のほうは品切れ状態だが、Kindle 版が7割以上の値引きをやっている。

ロバート・B・ライシュ元米労働長官、ナオミ・クラインといった著名人に加え、ドク・サールズアンドリュー・キーン、Frank Pasquale といったこのブログでもおなじみな面々が推薦の言葉を寄せている。

監視資本主義(Surveillance capitalism)という言葉は、ショシャナ・ズボフが2014年に書いた文章で初めて使ったもので(日本語圏の記事で、最初にこの言葉に言及しているのは、2017年末の AERA「世界はまるで「監視資本主義」 横田や三沢、沖縄には監視設備も」あたりだろう)、つまりはこの言葉の発明者による渾身の本ということになる。

それに応えたのか、ニコラス・カー先生の書評も長文で、「経験の盗賊たち:GoogleFacebook はいかにして資本主義を腐敗させたか」というタイトルから、ショシャナ・ズボフ、そしてニコラス・カーの立ち位置が推察できると思う。

Google によって開拓され、Facebook によって完成され、今や経済全体に広まっている監視資本主義は、人の命を原材料として利用する。我々の日々の体験は、データに蒸留され、我々の行動を予測し型にはめるのに利用される私有の事業資産になってしまった。

インターネット巨大企業へのズボフの猛烈な非難は、プライバシーの侵害や独占的ビジネス慣行へのよくある非難に留まらない。彼女にとって、そうした批判はもっと深刻な危険への我々の判断力を奪う余興、気を散らすものでしかない。その利益に沿って経済や社会を再設計することで、GoogleFacebook は個人の自由を弱体化し、民主主義をむしばむ形で資本主義を悪用しているのだ。

似た問題意識の本として、ジェイミー・バートレット『操られる民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』あたりが挙げられるが、本作についても邦訳が出てほしいところ。

ティム・オライリーの『WTF』の邦訳が出るぞ! そして今年もまた「月刊山形浩生」状態が実現されそうな恐怖……

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2017年版)で取り上げたティム・オライリーWTF? What's the Future and Why It’s Up to Us だが、2018年1月に山形浩生が邦訳を手がけるらしいと書いたにもかかわらず、その後話を聞かないのでどうしたんだろうなと思っていたら、2月末に邦訳が出るぞ!

原著は自分の会社から出さなかったのに、邦訳はオライリージャパンから出るというのは、少し不思議な感じがする……のはいいとして、Amazon のページの宣伝文句に「テクノロジーの世界のビジョナリー、Tim O’Reillyの初の著作!」とあるが、共著なら何冊も出しとるわい! それをオライリージャパンが間違ってどうするよ。「初の単著」なら正しいけどね。もうティム・オライリーに「単著もないのに」とは言わせない(誰も言わないって)。

ティム・オライリーが「WTF」を押し出すようになった頃に、ワタシもそれを取り上げた「『羅生門』としてのUber、そしてシェアエコノミー、ギグエコノミー、オンデマンドエコノミー、1099エコノミー(どれやねん)」という文章を書いたのが2015年だったか。

そういえば、山形浩生は2019年も快調に訳書を出していて、『WTF』が2019年3冊目だったりする。

ピケティ以後: 経済と不平等のためのアジェンダ

ピケティ以後: 経済と不平等のためのアジェンダ

マネージング・イン・ザ・グレー ビジネスの難問を解く5つの質問

マネージング・イン・ザ・グレー ビジネスの難問を解く5つの質問

これは今年も「月刊山形浩生」が達成されそうである(2018年もそうだった)。恐ろしい話である。

マリアナ・マッツカートの「資本主義再考」講義は経済学版「ファインマン物理学」なのか

コリィ・ドクトロウが、現在ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの教授であるマリアナ・マッツカート(Mariana Mazzucato)の Rethinking Capitalism と題した講義を、現在はオンライン公開もされている『ファインマン物理学』の元となった、リチャード・ファインマンカルテックで行った講義の経済学版だと激賞している。

ワタシは経済学については未だダメダメなので、それについてどうこう言えないのだけど、「資本主義再考」というコンセプトがいまどきなのは間違いないでしょうな。

企業家としての国家 -イノベーション力で官は民に劣るという神話-

企業家としての国家 -イノベーション力で官は民に劣るという神話-

マリアナ・マッツカートについては、その主著の邦訳が出ていて、そんなの読んでいられないという人には、その要約版といえる TED 講演をお勧めします。

彼女が本当に経済学版「ファインマン物理学」といえるものをものにしたのなら、昨年出た彼女の新刊の邦訳も期待されるわけですな。

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy (English Edition)

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy (English Edition)

クリード 炎の宿敵

昨年末から『アリー/スター誕生』を観ようと思いながらタイミングを逃すうちに年を越してしまい、本作が2019年最初の映画館で観る最初の映画になった。

『ロッキー4』(asin:B079VYHBPK)はワタシにとって思い出の映画である。ロッキーシリーズで、はじめて映画館で観た映画だからだ。当時小学生だったと思ったが、今調べたらこれの日本公開は1986年夏なので、当時ワタシは中学一年生だったことになる。

ロッキーシリーズとして考えた場合、『ロッキー4』を傑作とは誰も言わんだろうし、80年代的な政治プロパガンダ性うんぬんとけなしてもよいのだけど、それまでのロッキーシリーズを実家の小さなテレビで観たのと違い、映画館の大スクリーンで観た『ロッキー4』は、とにかくドラゴのパンチが大迫力というか怖かったのが印象に残っている。

『クリード チャンプを継ぐ男』は良い映画だったけど、続編ではドラゴの息子と戦うと聞いたときは、かんべんしてくれよというのが正直なところだった。

しかし、本作はアメリカ対ロシアといった構図は薄いし、そうでなく人生泥まみれになったドラゴがよく描かれており、ドラゴの元妻(というかスタローンの元妻でもある!)まで出てきて、まぁ、よくやったものである。

中盤に早くもクリードとドラゴの息子の対戦が実現し、どうなるんだろうと思ったら、なるほど、そういう持っていき方をするのかと感心した。そうした意味で満足行く映画にはなっていたが、『クリード チャンプを継ぐ男』にあったマジックはなかった。残念ながら。

『ロッキー・ザ・ファイナル』あたりから、このシリーズのスタローンを見るとなんか不思議な気持ちになる。本作の劇中でも、かの有名な Rocky Steps の脇にあるロッキーの銅像に観光客が集まる場面が出てくる。ロッキーの銅像は、現実に存在し、現実に観光客が集まるスポットである。しかし、本作でのロッキーは、フィラデルフィアで街灯が何年も消えたままになった地区に住む裕福でない架空のキャラクターであり、この映画はフィクションなのだ。

架空のキャラクターの銅像が他にないわけではなかろう。しかし、それまでも当たり前のように物語の中に取り込まれる映画シリーズというのはなんとも不思議である。本作の脚本はシルヴェスター・スタローンも参加しているが、正直本作は設定の大枠を別とすればロッキーがロッキーたる必然性が薄い。それでもクライマックスの後にロッキーが最後に言う台詞にスタローンなりの誠意を感じた。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その18

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、実はずっと待っていた(笑)Spiegel さんから感想をいただいた。

個人的にはこの本についてもっとブログに書かれた感想や書評を読みたい! とずっと思っているのだけど、「50章は(長いとか多いとかじゃなくて)デカい! 読み終わった直後はクラクラしたですよ(笑)」と言われると、確かに分量はあるよねぇ、と今さらながら思ってしまう。

Wired Vision 連載を電子書籍化した『情報共有の未来』のときは連載から落とした文章がいくつかあったはずだが、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』では WirelessWire 連載から落ちた文章は一本だけだからね(それが落とされたのは質的な問題ではなく、YouTube 動画へのリンクを多用する、電子書籍向けでないのが理由)。

なお,ボーナストラックの感想は書かない(多分)。 こちらは一言「泣ける!」とだけ記しておこう。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』を読む(ボーナストラック以外) — しっぽのさきっちょ | text.Baldanders.info

以前、ボーナストラックについて「テリー・レノックスの側から書いた『長いお別れ』」というアイデア、という言葉で表現したことがあり、それはこの文章の語り手の "Deacon Blues" 性について言ったものである。が、今にして思えばただそれだけではなく、「エモい文章」と言われるものにはとにかくしたくないという気持ちがあり、外的焦点化のパースペクティブを選択したという意味もあった。それを「泣ける!」と言われるのは、書き手としては不思議であるし、面白くもある。

書籍として『続・情報共有の未来』を読み通して最初に感じたのは「私ってインターネットを信用していないんだなぁ」ということだった。

私から見て初期インターネットの背景にはヒッピー文化があると思うが,結果としてその文化は市場経済に塗りつぶされた。 でも初期インターネットを夢想する「老害」たちは当時の「黄金時代」を忘れられず,かといって「ネットのテレビ化」も止められないという状況に陥っている。

これがこの本を読んで感じたインターネットに対する印象だ。 もしインターネットが「幼年期」を抜けて generativity に象徴される「成年期」に向かおうというのなら「開かれたウェブ」が「もうすぐ絶滅する」というのは,ひょっとしたら(痛みは伴うとしても)歓迎すべき事態なのかも知れない。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』を読む(ボーナストラック以外) — しっぽのさきっちょ | text.Baldanders.info

「初期インターネットを夢想する「老害」たちは当時の「黄金時代」を忘れられず,かといって「ネットのテレビ化」も止められないという状況」とは、ズバリと言われたものだなぁ(笑)。

さて、C++ などの著書でも知られる矢吹太朗さんには、大江健三郎やエミール=オーギュスト・シャルティエの本と並び(!)2018年の5冊に選んでいただいた。

矢吹太朗さんに国会図書館への納本を勧められ、調べてみるとワタシの本でも可能そうなので、特別版(紙版)を国会図書館に送ろうと思う。

新反動主義が本当に今アツい? それと関連して気になるマーク・フィッシャーの著書の邦訳

2018年最後の更新で木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』の話題から新反動主義について触れたのだが、落合陽一と古市憲寿の対談並びにそれに関する議論で、この新反動主義という言葉への言及をいくつか見かけ、もしかして2019年、日本でも「新反動主義」が来るのだろうか? といささか頭を抱えたくなる。

さて、前回も取り上げた「オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義」の中で、ワタシが「えっ?」と思ったのは、マーク・フィッシャー(Mark Fisher)への言及があったこと。

というのも、恥ずかしながらワタシは彼のことを音楽批評の仕事でしか知らなかったから。彼がニック・ランドの元教え子であることはもちろん、資本主義批評家としての彼の仕事はおろか、2017年に自殺していたことすら知らなかった。

気になって彼のことを調べたら、偶然にも彼の主著の邦訳が昨年出ており、そして今月も新たに邦訳が出ることを知った。

資本主義リアリズム

資本主義リアリズム

わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来 (仮) (ele-king books)

わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来 (仮) (ele-king books)

彼は「左派加速主義」あたりに分類されるようだが、厄介な「新反動主義」が注目される中で彼の著作の邦訳が揃うのは、タイミングがよいのかもしれませんね。

アンドリュー・キーン『ネット階級社会: GAFAが牛耳る新世界のルール』といういかにもな本が出るそうなのだが……

調べものをしていて、反インターネット論者の代表的存在であるアンドリュー・キーンの新刊が2月に出るのを知る。

ネット階級社会: GAFAが牛耳る新世界のルール (ハヤカワ文庫NF)

ネット階級社会: GAFAが牛耳る新世界のルール (ハヤカワ文庫NF)

副題に「GAFA」が入るあたり、いかにもな感じである。しかし、アンドリュー・キーンの現時点での「新刊」って、邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2017年版)で紹介した、昨年刊行の How to Fix the Future のはずである。

How to Fix the Future: Staying Human in the Digital Age

How to Fix the Future: Staying Human in the Digital Age

How to Fix the Future: Staying Human in the Digital Age (English Edition)

How to Fix the Future: Staying Human in the Digital Age (English Edition)

けれども、『未来の修復の仕方:デジタル時代に人間らしくいる』という原題の本が『ネット階級社会: GAFAが牛耳る新世界のルール』になるのは、なんかヘンだ。

それで新刊についての情報を見直して、これが「文庫」であるのに気づいた。

ということは、もしかしてこれは、2017年夏に刊行された『インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴』の文庫化なのだろうか? 訳者が同じだし。

しかし、それにしてもちょっと題名が変わりすぎていてしっくりこないし、ちょっとあざといんじゃないと思ったりする。しかし、まさか2012年に刊行された未邦訳の彼にとっての2作目の邦訳ということはないだろうし、上記の文庫化なんだろうな。

キング・クリムゾン50周年を祝して、ロバート・フリップの10の名言(迷言?)を訳してみる

今年はキング・クリムゾン結成50周年ということで、毎週1曲ずつレア曲を公開する企画「キング・クリムゾン50」が始まり、精力的なツアーや再発が告知されている。

昨年末にはキング・クリムゾンの来日公演に2日行き、我がキング・クリムゾン人生に悔いはなしの思いを強くしたものだが、ワタシも何か協力(?)したいということで、たまたま見つけたロバート・フリップの10の名言(迷言?)を訳してみることにする。

元ページには出典がなく、ワタシも横着して一切それを調べなかったので、文脈を取り違えた、あるいはロバート・フリップ先生のウィットを解し損ねた誤訳があると思うので申し訳ない、と予め書いておきます。

社会について

40年経って何が変わったって? とても簡単だよ。40年前は市場経済があった。それが今日では市場社会だ。今では、倫理を含むあらゆるものに値段がついている。

これだけは出典が分かる。Financial Times のインタビューですね。

失敗について

失敗はいつだって許せるものだが、言い訳がたつことはめったにないし、いずれにしても受け入れられない。

音楽について

人はたいてい、音楽家が音楽を作ると考えるが、現実には音楽こそが音楽家を作り上げるのだ。

これはロバート・フリップの言葉の中でワタシも特に好きなもので、作品と作家の関係全般にも言えると思う。

私はギター・クラフトの生徒に、どうしてもというのでなければプロのミュージシャンになるのを勧めない。「音楽を愛するのなら、電気掃除機を売るなり、配管工になることだ。人生で役に立つことをしたまえ」と言ってるよ。

音楽とは沈黙のワインが入ったカップだ。音がそのカップだが、中身は空だ。ノイズもカップになりうるが、それだと割れている。

音楽は決してなくなることはない。音楽はいつだって利用できるが、我々が必ずしも音楽の手の届くところにあるとは限らない。

音楽は、ときに思いもよらない人に発言権を与えるべく聞かれるのを特に望む。

音楽ビジネスについて

プロのミュージシャンになるからといって、一日12時間音楽を演奏するようにはならない。一日12時間をビジネスの面倒を見て、君の利益を盗もうとするいろんな人たちからの訴訟を処理し、バンドの前のメンバーからの敵対的な告訴をかわすのに費やすというのが正しい。

パーティについて

私と本の関係はパーティのようなものだ。そこに一杯のコーヒーが加わると、さしずめ乱交パーティだね。

幸運について

ビギナーズラックは、初心者にこそふさわしい。

ロバート・フリップのファンならご存知のように、この人はいかにもイギリス人らしいねじれたユーモアのある人なのだが、その片鱗がうかがえるだろうか。

Meltdown: King Crimson, Live In Mexico (3CD+Blu-Ray)

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遂にはてなダイアリーからはてなブログに移転した

昨年末の更新時に宣言した通り、はてなブログに移行した。

さすがに15年以上の蓄積があったためか、移行には数日を要したが、システム上は無事完了した(はずである)。

正直、どこまでちゃんとインポートできているか自信がない。というか、はてなダイアリー利用初期に多用していた、エントリタイトルにそのままリンクを入れる形式は、エントリタイトル自体がリンクになるため全滅というか意味が分からないものになってしまっているのに気づいたが(意味分かってもらえますかね?)、そのあたりはもう仕方ないのだろう。

あと過去日付におけるエントリの順番がこちらの意図と完全に逆になっているのもなんだかなぁと思ってしまうのだが、これも仕方ない……んですかね?

インポートしたエントリの表示などおかしなことになっていることに気づいた方がいましたら、指摘していただけるとありがたいです。対応できるか保証はないのですが……。

さて、ほぼ初めてはてなブログを更新するわけだが、はてなダイアリー時代のように、(はてな記法で)テキストファイルに複数のエントリを書いて保存し、それを一度に編集欄にはりつけて更新することができないため(これをやる方法はないですよね? ご存知の方はぜひ教えていただきたい)、ワタシのような一度の複数のエントリを更新していたスタイルの書き手には正直かなり苦痛である。

詳細設定において、「記事URL」でダイアリー(はてなダイアリー風のフォーマット)を選択したため、ダイアリーからインポートした過去エントリに関しては、yamdas.hatenablog.com/entry/(日付)/(はてなダイアリーで指定したエントリ名) になっているのだが、新規エントリで「カスタムURL」を選ぶと上記 URL 形式における(日付)が入らない? ダイアリー時代は一日に更新するエントリ内でエントリ名(URL)をユニークにすればよかったのだが、はてなブログではすべてのエントリでユニークにしないといけないのか……ああ、書いてるうちにどんどん不満点が頭をもたげてきた。

また、はてなダイアリー時代と同じくらいにはブログの外観をコントロールしたいと思うのだが、今はもっとも標準的なテーマをほぼそのまま使っているだけという体たらくである。また「はてなキーワードの下線を消す CSS の設定」について検索するところからひとつひとつやらなければならないのかと考えると気が遠くなるが、さすがにコントロールできないわけはないだろうから、小さなことからこつこつやっていきたい。

それでもブログカード形式のはりつけなど、はてなダイアリーではできず、はてなブログで可能になった機能などぼちぼち取り入れていきたいと思う。

まだこのブログ自体、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションのために更新する基本活動停止状態なのだが、そういえば特別版(紙版)のために書いた新作文書を電子書籍のほうに取り込んだアップデートを行いたい。それがあったらもちろんここで告知させてもらう。

映画『2001年宇宙の旅』本の決定版『2001:キューブリック、クラーク』が遂に発売

映画『2001年宇宙の旅』は、今年公開50周年ということで、ワタシも少し前に IMAX 版を観て、オールタイムベストの一本にも関わらず、新たな感動を体験できた。

この映画については既にいろんな本が作られているが、その決定版といえる『2001:キューブリック、クラーク』が発売になった。

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

600ページ超の文句なしの分量である(価格も五千円)。監修者を務めた添野知生氏のあとがきを読むだけでも多くの関係者の仕事をとらえた厚みのある本であることが分かるが、特に以下のくだりがぐっときた。

 そして、SFファンの多くが長年おそらくそうであろうと思っていた、アーサー・C・クラークセクシャリティについて、ここで明確に書かれたことも大きい。アラン・チューリングの死が、クラークがセイロンへの移住を考えるきっかけになったという証言は重く、クラークの楽天性を支えたものが何だったのか、もう一度考えたくなる。
 スタンリー・キューブリックもまた『2001年』のあと、生まれ育ったニューヨーク市と永遠に訣別してイギリスに移住した。本書を読むと、それは『2001年』のプレミア上映でニューヨークが彼にした仕打ちと無関係ではないように思える。クラークとキューブリックの物語は、やはり二人の国外移住者の物語だったのかもしれない。

https://www.hayakawabooks.com/n/na813ed5a9e22

今年アメリカで発売された表紙カバーが優れた本(で日本人の著者のもの)

2018年に発売された本で表紙の装丁が優れた本を識者から募ったものだが、2007年2009年に取り上げたブログとは違うところだね。

ともかく、75冊選ばれたものの中に日本人が著者の本が4冊取り上げられている。

Amazon | The Frolic of the Beasts (Vintage International) | Yukio Mishima | Self-Help & Psychology

三島由紀夫の『獣の戯れ』(asin:4101050120)ですね。

On Haiku

On Haiku

佐藤紘彰の本なのは間違いないが、俳句の本となると……『英語俳句―ある詩形の広がり』(asin:4377507648)の英訳?

The Emissary

The Emissary

多和田葉子『献灯使』asin:406293728X)の英訳で、この本は今年の全米図書賞において翻訳文学部門を受賞している。

あと村上春樹の『騎士団長殺し』の UK スペシャルエディションもリスト入りしているのだが、Amazon のリンクを見つけることができなかった。

正直、これだけ見ているとどこが優れているの? と思うブックカバーもあったりするが、そのあたりの感覚の日本人との違いも面白いところである。

ネタ元は Boing Boing

将棋と文学研究会が気になる

将棋と日本文学の関係について幅広い観点から明らかにしていくことを目指す将棋と文学研究会なるものがあるのを今さら知った。来年1月5日、6日に「将棋と文学シンポジウム」を開催するとのこと。

第159回芥川龍之介賞を受賞した高橋弘希のインタビュー「小説と将棋は似ているかもしれない」あたりがシンポジウムの一つの起点なのかなと思うが、高橋弘希の対談参加も予定されている。

将棋と文学の関わりというと、昔は作家の多くが将棋の観戦記を書き、実際新聞の将棋欄も今よりずっとスペースがあったため健筆を奮い――という話が個人的にはまず浮かぶ。今でも新聞の将棋欄で作家がタイトル戦の観戦記を書くことはそれほど珍しくないが、昔は山口瞳名人戦の第一局の観戦記を書くことが通例だったわけで、そこまで将棋界に深く関わる作家は現在いない。

ここで横道にそれるが、河口俊彦老師に一度だけお目にかかった際、米長邦雄名人戦に初めて挑戦者になったとき、山口瞳の観戦を一度拒否した理由について、『血涙十番勝負』を読んでも山口瞳が米長のことを大いに買っていることは明らかで(それにこの本の文庫解説を書いているのは米長なのだ)、そのあたりについて米長の説明を読んでも理由がよく分からないという話をワタシがして、老師にそのあたり解説していただいたことがある。

将棋と文学研究会もそうした将棋界と文人の関わりの話もカバーするのだろうが、カバーする内容はそれにとどまらない。

シンポジウムで配布予定の論集『将棋と文学スタディーズ』の目次・巻頭言「文学と将棋は似ているか?」(pdf)と小谷瑛輔「日本の近代小説は将棋から始まった?」(pdf)が公開されていて、後者の大それたタイトルに最初のけぞったが、東京朝日新聞が将棋の棋譜を初めて掲載した日は、夏目漱石が『彼岸過迄』を連載するにあたり、漱石の挨拶(序文)が掲載された日でもあり、それだけでなく両者は同じページの上二段を占めるように掲載されたなんて知らなかったな。後半の坂口安吾に関する話も、安吾ファンとしては嬉しかった。

ワタシは地方在住のためシンポジウムに参加できないのは残念なのだが。

送り火

送り火

木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』がかなり禍々しい本みたいで楽しみだ

ワタシも Facebook柳下毅一郎さんが紹介してなければ存在自体知らなかった本なのだが、木澤佐登志氏の『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』という本が来年のはじめに刊行される。

この本の書名だけ見ただけなら、ワタシはあまり興味を持たなかったろう。しかし、この本の著者が「オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義」を書いた人と知ると、途端に前のめりになった。

「ダークウェブ」をテーマにした本となると、『闇ウェブ』(asin:4166610864)という優れた先行者があるが、ワタシは新反動主義周りの話が入っているのではと目次を見てみるとちゃんと入っていて(第5章 新反動主義の台頭)、俄然期待が高まる。

新反動主義の話を最初に知ったのは八田真行の文章が最初だが、この話を「ダークウェブ」を冠した本にぶちこんでくるところにこの著者らしさがあるように思う。

実はワタシも『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』特別版に収録した書き下ろし技術コラム「インターネット、プラットフォーマー、政府、ネット原住民」で、新反動主義の話を援用させてもらった。

新反動主義の親玉というとニック・ランドだが、現代思想2019年1月号で「加速主義/新反動主義」が取り上げられるようで、ニック・ランドの文章の翻訳が載るみたい。

現代思想 2019年1月号 総特集=現代思想の総展望2019 ―ポスト・ヒューマニティーズ―

現代思想 2019年1月号 総特集=現代思想の総展望2019 ―ポスト・ヒューマニティーズ―

現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019――ポスト・ヒューマニティーズ

現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019――ポスト・ヒューマニティーズ

ワタシ自身はまったく肩入れする気はないが、「新反動主義」が2019年日本でも注目されたりするんだろうか。

2018年、そしてはてなダイアリー最後の更新

2019年春にはてなダイアリーが終了とのことで本ブログの対応について既に書いているが、今回の更新、つまり2018年最後の更新をもって本はてなダイアリーの更新を最後とさせてもらう。

移転先として、正直 note や Medium なども考えたのだが、ワタシのように一回の更新で5個前後のエントリをどぱっと公開するタイプのブログには向かないように見え、そうなるとはてなブログに移転するのが無難に思える。

そういうわけで、おそらくは2019年に入ってはてなブログへの移転を開始し、2019年最初の更新はそちらからになると思う。ただ、そのための準備はまったくしていないので、はてなブログへの統合スケジュールにバッティングしないようにしたいものだ。

ただこのブログが基本的に無期限活動停止であり、更新は『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』関係などのトピックがあるときのみという方針に変わりはない。

あと書くのが遅れたが、せっかく2018年最後の更新なので、特に意味なく今年撮った写真の中で個人的に印象深いものを載せさせてもらった。

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