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「Work Is a Four-Letter Word」にいただいた反応と労働について語るときにニコラス・カーの語ること

wirelesswire.jp

先週、公開された文章だが、残念ながら期待したほど読まれなかったようだ。が、これに関してはワタシの期待が誇大妄想的に大きすぎるのである。

実際にはいくつも示唆に富んだ反応をいただいており、とてもありがたいことである。代表的なものを挙げておく。

これで一部なわけで、いやいや、たくさん反応もらっているじゃないか。さて、↑の反応に共通している点にお気づきだろうか? そう、すべて Bluesky における投稿である。リンク付き投稿を差別する X では、清々しいまでに無風だった。

今回の文章は、個人的な恐怖に駆られて書かれたため、自分にしかわからない文脈に依っている。

ワタシ自身は労働は何より生計の手段であり、この文章のタイトルを嘯いている状態がデフォルトだった。2008年頃だったか、やはり職場で追い詰められる経験があり、当時「もうこうなったら教会に行って、宗教に帰依しちゃおうか」という内的なジョークを自分の中で繰り返していたものである。

時は流れ、また精神的に追い詰められた時に、ローマ教皇の回勅を読んで感じ入り、おいおい、まさか宗教者が説く労働の尊厳の話に感じ入るって、これはなんなんだ? と愕然としたところから始まった文章なのである。

なので、ただただしさんの「歴史的にも地理的にも、労働はそんなに普遍的なものではない」という指摘は正しくて、ワタシの精神状態が追い詰められ過ぎだったのだ。

さて、この文章の契機として、ニコラス・G・カーが『オートメーション・バカ』の最後に書いていた文章を思い出したからと書いているが、それを引用してみる。

カーは、この本の最終章「湿地の草をなぎ倒す愛」において、ロバート・フロストを引きながら以下のように書く。

 われわれの最も注目すべきことのひとつは、同時に、最も見落としやすいもののひとつでもある。それは、現実とぶつかるたびにわれわれは世界への理解を深め、いままで以上に世界の一部となるということだ。難題と格闘しているとき、われわれを突き動かしているのは労働の終わりへの期待であるかもしれないが、フロストの語るとおり、われわれをわれわれにしているのは労働――手段――なのである。オートメーションは目的を手段から切り離す。欲しいものがたやすく手に入るようにしてくれるが、知の労働からわれわれを遠ざける。(p.296)

そして、今回の文章を書くために読み直していて、2014年刊行(原書)の本に書かれながら、見事にワタシの文章に符合する箇所があるのも再確認した。かなり長いが引用させてもらう。

 テクノロジーのことを、慈悲深く、自己回復的で、自律した力として見るのは魅惑的な考え方だ。未来を楽観的に考えられると同時に、その未来に対する責任からも解放される。それはとりわけ、オートメーション・システムとそれを制御するコンピュータがもたらす、労働節約効果、利益集中的効果によって、莫大な富を得た人々の利害にかなっている。それはわれらの時代の新たな財閥に、彼らが主役となる英雄譚を提供してくれる。その英雄譚とはこうだ――近年の雇用喪失は不幸なことではあるが、われらが慈悲深い企業の作り出すコンピュータ奴隷による、人類の来たるべき解放のためには、それが必要悪なのだ。シリコンヴァレーの最も著名な思想家となった、実業家にして投資家のピーター・ティールは、「ロボット工学革命は、基本的に、人々の職を奪うという影響をもたらすだろう」と認めるが、急いで次のようにつけ加える。「それは人々を解放し、他の多くのことをできるようにさせるという恩恵をもたらすだろう」。解放されるという言葉は、解雇されるという言葉よりもはるかに耳障りがいい。(pp.289-290)

www.newcartographies.com

『オートメーション・バカ』の最終章「湿地の草をなぎ倒す愛」の原文は、彼のブログで公開されている。

スティーブ・イェギ、ジーン・キム『バイブコーディング』が来月出るぞ

yamdas.hatenablog.com

このエントリで、スティーブ・イェギがジーン・キムとズバリ『Vibe Coding』という本を共著していたことを紹介したのだが、来月『バイブコーディング 生成AI→チャット→エージェントによる「本番品質のソフトウェア」の未来』として邦訳が出るのを知る。

原書が出たのが昨年10月なので、一年足らずでの邦訳刊行ということになる。これはそれなりの厚さの本としては相当に速い仕事といってよいだろう。

スティーブ・イェギが書いたバイブコーディング本にそれだけセールスポテンシャルがあると判断したということだが、もうこの分野はとにかく動きが速すぎて、「バイブコーディング」という言葉の受容も昨年とはずいぶん変わったのではないかとも思う。

今では AI エージェントが猛威を奮っているからねぇ(副題に「エージェント」が入っているのもその影響か)。

しかし、邦訳が出ないより出たほうが絶対よいのだから、これはめでたい話である。

「プライバシーは死んだ」の歴史(1969年~2026年)

danielsolove.substack.com

これはちょっと笑ってしまった。

「プライバシーの死」、「プライバシーは死んだ!」、「プライバシーの終焉」を謳う記事や雑誌や書籍をダニエル・J・ソロブ先生が集めたものである。

もっとも古いものは、1969年の Jerry M. Rosenberg の『The Death of Privacy』だが、なんと Internet Archive で読めるので、興味ある方はどうぞ。

こうしてみると、半世紀以上にわたってプライバシーは死を宣告され続けたわけだが、そんなわけはないのである。これについては、ソロブ先生が『On Privacy and Technology』で書いている通りだと思うわけである。

プライバシーはまだ死んではいない……が、安泰でもない。我々は、プライバシーが死につつあるのかもしれないという恐れから逃れられないし、逃れるべきでもない。テクノロジーが発展するにつれ、プライバシーは常に危険な状態にあり続ける。我々は、危篤状態の患者を救うために必死な救急室の医者のように、プライバシーが生き続けるべく常に努力しなければならないのだ。我々には決して休息はない。プライバシーの保護は進行中のプロジェクトになることが分かっており、それは解決される問題ではないのだ。

ローリー・アンダーソンの京都賞受賞に驚く

www.kyotoprize.org

思想・芸術部門の受賞者がローリー・アンダーソンで、これには結構驚いた。

設立から40年余りとなる京都賞、過去の受賞者にはジョン・ケージなど現代音楽の人もいるが、ローリー・アンダーソンに賞を与えるような見識があるとは思ってなかった。

yamdas.hatenablog.com

偶然にも少し前にこのブログでも彼女について取り上げているが、彼女は一昨年にもアルバム出しており、収録はそれ以前だが今年にライブ盤を出しており、まだ現役である。

そういえば、先月には Tiny Desk Concert にも登場している。夫だったルー・リードの "Dirty Blvd." を原曲からかなり離れたアレンジで演奏している。

国書刊行会がこの受賞について言及している。

なるほど、音楽でなく本となると、編者である『ルー・リード 俺の太極拳』だけになるのだな。

えらいぞ、国書刊行会!

ロジャー・イーバートがゼロ点をつけた映画を全部観た記者が勧める6本の映画

movieweb.com

これはなんとも可笑しみのある記事である。

映画評論家で初めてピューリッツァー賞の批評部門を受賞した高名な映画評論家であるロジャー・イーバートについて、以前にも書いているが、その映画評に必ずしも同意するばかりではなかったが、一つの大きな柱のようなもので、間違いなくよりどころであった。

彼はシカゴ・サンタイムズや、後には RogerEbert.com で4点満点の映画評を書き続けてきたが、その最低点であるゼロ点をつけた映画が76本あるという。この記事は、その76本で現在観れるものを全部観て評価し直している労作だ。

この記事の最後に、記者の人がちゃんと自身の星をつけており、だいたいは1点以下だったりするのだが、イーバートの評価に反して、これは観る価値ある映画だよ、という作品を6本選んでいる。

  • ポール・バーテル『デス・レース2000年』(1975年)(asin:B008GGAI0M
  • J・リー・トンプソン『殺人鬼』(1983年)(asin:B000XJ5UY4
  • チャールズ・マーティン『白昼の死刑台』(1968年)
  • ラリー・ビショップ『マッド・ドッグス』(1996年)
  • ロバート・ハーモン『ヒッチャー』(1986年)(asin:B08ZZ1BXXR

あれ? これだと5本しかないな。採点を見ると、以下の2本に5点満点で4.5点を与えている。

  • ケン・ラッセル『肉体の悪魔』(1971年)(asin:B0F7CBCD25
  • デイヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(1992年)(asin:B072LTFM6J

最後の2本を除いては、新品のディスクを入手するのは難しかったり、日本盤 DVD も出てないものもある。

『ヒッチャー』についてはワタシも書いているし、デヴィッド・リンチの初期作への酷評など、イーバートは(おおざっぱにいえば)アンチモラルな映画を嫌ったのは確か。

WirelessWire News連載更新(Work Is a Four-Letter Word)

wirelesswire.jp

WirelessWire News で「Work Is a Four-Letter Word」を公開。

今回の原稿は、日曜日の夜に書き上げて送付済だったが、編集部の都合で木曜日の公開となった。体感的には、一週間近くのタイムラグを感じ、正直萎えるところがある。が、好き勝手書かせてくれる媒体は他にないのでね。

2022年5月に連載を再開して以来、今回は50回目の文章となる。よく4年以上続いたものだと思う。読めば分かるが、今回は尋常でない精神状態で書かれたもので、かなり波長の乱れたところのある文章になっている。今回はこうでもしないと書けなかった。終わりは近い。

文章のタイトルは、言うまでもなく同名曲から。もちろんジョークの意図なので怒らないでいただきたい。

この曲はスミスのオリジナルではなく、60年代にシラ・ブラックが歌った曲のカバーである。ジョニー・マーは「シラ・ブラックの曲をやるためにバンド組んだんじゃねぇ」とこの曲が大嫌いで、バンド脱退の原因のひとつとなったとも言われる。

もっともワタシの精神状態は、↓の曲が近かった。

例によって3回分の内容をぶちこんでいるが、これだけ長く書いても盛り込めなかった話はいくらでもあって、労働について書くなら、ポール・グレアムの「労働みたいに思えないものは何か?」も入れたかった。他にも「コードを書かせるためではなく、シニアにするためにジュニアを採用せよ」論とか、他にも(以下略)。

今回の文章の契機となったのは、ニコラス・G・カーが Substack で「マニフィカ・フマニタス」からワタシと同じ個所を引用しているのを見たときで、彼が『オートメーション・バカ』の最後に書いていた文章を思い出したことだった。この本の最終章からかなり長く引用したかったのだが、それまでに既に長くなりすぎていて無理だった。

昨年本家サイトのコンテンツを大幅に整理したので念のために書いておくと、ワタシ自身はカトリックの洗礼を受けているが、敬虔な信者からほど遠いことは自他共に認めるところである。

映画『ソーシャル・ネットワーク』に続く『The Social Reckoning』のトレイラー、そして内部告発者から言葉を奪うMeta

boingboing.net

映画『ソーシャル・ネットワーク』に続いてアーロン・ソーキンが脚本を手がける『The Social Reckoning』のティザートレイラーが公開されている。

『The Social Reckoning』は必ずしも『ソーシャル・ネットワーク』の続編ではなく、監督はデヴィッド・フィンチャーではなくアーロン・ソーキン自身である。

トレイラーを見て、マーク・ザッカーバーグと同じくらいフランシス・ホーゲンとジェフ・ホロヴィッツがフィーチャーされていて、「Facebookファイル」が題材の映画なのが分かる。

yamdas.hatenablog.com

フランシス・ホーゲンは Facebook について内部告発を行い、ジェフ・ホロヴィッツは「Facebookファイル」を記事にし、本も出している。

しかしなぁ、この両名の本は結局日本語訳が出なかった。これは映画『The Social Reckoning』の日本での受容にも影響するだろう。せめて『Broken Code』の邦訳が出るべきだったと今になって思う(同時期に『フェイスブックの失墜』は出たけど、これは「Facebookファイル」リーク前に原書が出たはず)。

本作でマーク・ザッカーバーグを演じているのはジェレミー・ストロングで、単純に似ている度合いだけ見ると、『ソーシャル・ネットワーク』のジェシー・アイゼンバーグより上だが、果たして映画としての出来はどうか。

www.thenerve.news

さて、Facebook の内部告発といえば、サラ・ウィン-ウィリアムズ『ケアレス・ピープル』を少し前に紹介しているが、あるイベントでサラ・ウィン-ウィリアムズにインタビューをしようとしたら、Meta の弁護士が乗り込んできたため彼女は登壇しても一切話すことができなくなり、トークイベントは「不条理劇」と化したという記事である。

「彼女の沈黙は言葉よりも雄弁だった:いかにして私が話すことを許されない Facebook の内部告発者にインタビューしたか」という記事タイトルはそういうことなのだが、恐ろしい話である。

スティーブ・ジョブズの「追放」時代に光を当てる本などの話

apple.slashdot.org

スティーブ・ジョブズの「追放」時代、つまり自らが創業した Apple を追われた後の NeXT 時代にスポットライトをあてる Steve Jobs in Exile を取り上げている。この本の著者のジェフリー・ケインは、『AI監獄ウイグル』(asin:4105072617)の邦訳がある。

スティーブ・ジョブズには既にウォルター・アイザックソンの決定的な伝記本があるが、ジョブズの試練の時期だった NeXT 時代は確かにまだ掘り甲斐がありそうだ。それに NeXT の遺産こそ、ジョブズの Apple 復帰後に OS X に活きたと言えるわけで。

ティム・バーナーズ=リーが最初に立ち上げたワールドワイドウェブのサーバが動いていたのが NeXT マシンなのはよく知られた話だが、実は NeXT の従業員はその事実をジョブズに伝えるのをためらったという話は面白い。ジョブズがウェブを「クソ」と切り捨てるのを恐れていたそうなのだ。

調べてみると、この本については、ライフハッカー・ジャパンにも記事が出ているね。

さて、上記の通り、決定的な伝記本があっても掘り甲斐があるのは NeXT 時代だけではなく、佐伯健太郎氏の『スティーブ・ジョブズ1.0の真実』など、日本人ならではの着眼点の仕事と言えるだろう。

そういえば、少し前にスティーブ・ジョブズについての言及で面白いと思った言葉がある。

速水:ジョブズは、むしろ機械音痴の感覚を持った人だったのだと思います。本当に機械音痴だったという話ではありません。ただ、彼の功績は、技術を作る側の論理だけでなく、使う人の側の違和感を持ち込んだことにあります。

便利なはずのセルフレジ、なぜ煩わしい? 速水健朗が語る、“機械音痴”から見た現代テクノロジー|Real Sound|リアルサウンド ブック

これも言われるとはっとする視点で、そうでなくても速水健朗『機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史』は面白いのでおススメです。

はじめて「CEH(認定ホワイトハッカー)」を書名に冠した本が日本でも出る

CEH(認定ホワイトハッカー)については2020年末に少し触れているが、これまでこの資格を書名に冠した本がなかった。

もっともそれに近いのが阿部ひろき『ホワイトハッカー入門 第2版』(asin:4295018953)なのだけど、資格取得を目指すジャパニーズとしては、やはりそれを書名に冠した本を参考書にしたいというのが人情だろう。

来月刊行される『徹底攻略CEH 認定ホワイトハッカー問題集』は、そうした意味でありがたい本である。なかなか値は張るが、CEH 取得を考える人がまず買う本となるだろうね。

アレックス・ジェームスが手がけたサッカーアンセム1曲の収益がブラーの全カタログを上回ったってマジか?

nme-jp.com

この記事の冒頭を読んでのけぞってしまった。

ブラーのベーシストであるアレックス・ジェームスは2024年のUEFAユーロの際に“Vindaloo”の収益がブラーの全カタログを上回ったと語っている。

ブラーのアレックス・ジェームス、自身が手掛けたサッカー・アンセム“Vindaloo”の人気について語る | NME Japan

サッカーアンセム1曲の収益がブラーの全カタログを上回ったって……さすがにこれ法螺だよね?

日本ではその“Vindaloo”を知らない人も多いのでピンとこないかな。まずビデオを見てもらう。

お若い方は、なんだこれと思われるかもしれないが、The Verve の代表曲“Bitter Sweet Symphony”のビデオのパロディーなんですね。

こういう傍若無人さを表現するビデオ、今ではまず作れないよな。

さて、“Vindaloo”の歌詞を書いているのは、ビデオにも登場するコメディアンのキース・アレンで、今では「リリー・アレンの父親」のほうが通りがいいのかもしれない。キース・アレンとサッカーアンセムといえば、彼は New Order の“World In Motion”も共作しており、やはりビデオにも出ている。この曲は、New Order 唯一の全英1位シングルじゃなかったかな。

このビデオを見ると、バーナード・サムナーをはじめとする New Order の男衆とキース・アレンが、(1990年当時の)イングランド代表と一緒に歌えて心底嬉しそうで、唯一ギリアンが「まったく、もう……」と少し呆れぎみなのが楽しい。

これは以前にも書いたが、この曲のビデオ、ゴールなど派手なシーンがなぜか一切ないところに New Order らしさを感じる。

欧米ではクリスマスソングを当てると、その印税だけで一生食っていけるという話があるが(映画『アバウト・ア・ボーイ』の主人公も父親がそういう存在という設定)、イングランドにおけるサッカーアンセムは、それ以上なのかもしれない。

クリスマスソングのような季節限定でもなく、あとは(アレックス・ジェームスも語っているように)イングランド代表の成績次第なわけで。

しかし、“Vindaloo”のようなしょうもない曲(失礼)でそれだけ稼ぐとなると、イアン・ブロディ―は“Three Lions”で1000億円くらい稼いだんじゃないか……というのはもちろん冗談だが、そういう意味で、著名サッカーアンセムを2曲も作詞しているキース・アレンもすごいな。

村上春樹が「村上RADIO」で語った面白い話、そして色川武大が直木賞受賞時に井上光晴に殴られた話

先週、radiko で「村上RADIO」を聞いてて面白い話を知ったので投稿したら、ワタシにしてはバズった。

村上春樹が『風の歌を聴け』で芥川賞候補になったのは1979年で、色川武大が『離婚』で直木賞をとったのは、その前年の1978年である。つまり作家としての活動時期が重なっているのだから、面識があっても不思議ではないのだが、年齢が20歳違いのこの二人に接点があったとは知らなかった。村上春樹は、色川武大が彼の店(ピーター・キャット)に来たのは、ジャズを好きだったからだろうと言っていたが、確かにそうだ。

「村上RADIO」はだいたい聞いているが、結構貴重な話をサラっとしていたりする。ワタシの投稿でこの番組について触れたものをいくつかはっておく。

これは番組第1回のときで、ということはこの番組は8年近く続いているんだな。

村上春樹は将棋を指さないのだろうか。

これは不謹慎ながら、聞いてて吹き出してしまった。

うぃきっぺ情報によると、2021年のこの番組で『1973年のピンボール』が『万延元年のフットボール』のもじりであることを認めているが、実は(少なくとも)昨年までこの大江健三郎の代表作を読み通してはなかった?

さて、冒頭の投稿についていろんな反応をもらったが、以下の投稿にはおっとなった。

色川武大が井上光晴に殴られた話をワタシも読んだことがあった。以下、河口俊彦『将棋界 奇々快々』に収録されている「なんと言おうが自分がいちばん」を紹介する。

確か1988年の話と思うが、将棋ペンクラブ大賞の選考を終え、河口俊彦、中原誠王座(当時)、そして色川武大ら五名ほどで新宿のなじみのバーに行くと、井上光晴が編集者と将棋を指してるところに出くわし、合流して飲むことになった。

 小さな店なので、私たちが入るといっぱいになり、井上さんが中央に座って文学論が始まった。いわく「色川武大は直木賞をとってから堕落した」「世界的な作家になる可能性があるのに、若いころの志を失っている」「ボクは、色川君が直木賞をとった夜、バーの便所へ彼を引っ張り込んで、頭をポカポカやったんだ。当人を前にして言うんだから本当の話だよ」などなど。

これはひどい(笑)。

そのうち井上光晴は、「君の対羽生戦の自戦記を読んだけど、君はなぜ負けるのかの理屈がよくわかっているんだな。わかっていながらどうして負けるの」と河口俊彦に問う。彼も言い返したいことはあるが、それができない。

 内心そうつぶやくが、声に出して反論するわけにもいかない。言うタイミングがないのである。なにしろ、井上さんは文壇三声(大声だ)の一人で、おしゃべりが途切れない。このときも、色川さんがちょっとしたすきを見つけて、「井上さんはいつもこうなんだよ。バーの知らないお客さんが帰るとき、私の肩をたたいて『あんた負けちゃだめだよ』と言ったこともある」と笑った。井上さんの隣の中原王座となれば、もう呆然としていた。

文壇三声(文壇三大音声)といえば、丸谷才一、開高健、そして井上光晴を指した。

上でこれは1988年のことだろうと書いたが、色川武大はこの年最高傑作(だとワタシは思う。「ネットにしか居場所がないということ(前編)」の冒頭で引用させてもらった)『狂人日記』を出し、翌年には心臓破裂で亡くなっている。

離婚

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「イーロン・マスク主義」は資本主義を凌駕する? 『マスキズム 新たな独占の時代』が出ていた

davekarpf.beehiiv.com

デヴィッド・カープが『Muskism』という新刊について書評を書いたよ、と紹介しているエントリである。

Muskism って何だ? どうやらイーロン・マスクについての本みたいなので、これは「マスク主義」という意味? しかし、「マスキズム」って最近、どこかで読んだことがあるな……と記憶を辿り、思い出したのが↓の文章である。

gendai.media

なるほど、『グローバリスト:帝国の終焉とネオリベラリズムの誕生』(asin:4560093989)や『破壊系資本主義――民主主義から脱出するリバタリアンたち』(asin:462209830X)の邦訳がある歴史学者クィン・スロボディアンの新刊というわけか。

これは話題になるだろうなと調べたら、なんとこの本、『マスキズム 新たな独占の時代』として先月邦訳が出ていた。

原書が4月に出た本の邦訳が5月って目茶苦茶早い仕事じゃないか! すげぇな、おい。

飛鳥新社は、よほどこれが売れると見込んで作業を進めたのだろう。

ワタシも『破壊系資本主義』の名前を「AIによる民主主義の巻き返しは可能か」で触れているが、そういえば本書のもう一人の共著者ベン・ターノフの前作『Internet for the People』のことも「ティム・バーナーズ=リーのオープンレターを起点に改めて考えるインターネットの統治」で評価してたんだよな。「人民のためのインターネット」を求めていた彼が、イーロン・マスクによる独占を題材にしなければならないのも時代の必然なのか。

テック界の名物記者がかつての希望と現在の失望をぶちまける『世界を壊したビッグテックの悪党ども』が出るぞ

新田享子氏の投稿で知ったのだが、1990年代から現在までテクノロジー企業を追い続けてきた名物記者であるカーラ・スウィッシャーの『Burn Book: A Tech Love Story』の邦訳が『世界を壊したビッグテックの悪党ども テック業界“ぼぼ”全史の取材録』としてもうすぐ出る。

カーラ・スウィッシャーというと、『AOL: 超巨大ネット・ビジネスの全貌』(asin:4152082690)の邦訳はあるが、それは大昔の話で、日本での知名度は低いと思う。

上に書いたように彼女はベテランのテック系記者で、『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』(asin:4492503021)などの著書で知られるスコット・ギャロウェイとやっているポッドキャスト Pivot で高額の契約を勝ちとった成功者なんですね。

ただそういうインサイダーとしての彼女には批判もあり、辛口テック批評で知られるエド・ジトロンは、「ロックスターとは友達になれない」で、彼女のロックスター(テック界の大物)との距離感を問題にしている。

本当の問題児は言うまでもなく、カーラ・スウィッシャーのような人だ。彼女は何よりもロックスターと友達になりたいと切望し、見事にそれを実現した。スウィッシャーの書籍プロモーションツアーでは、サム・アルトマンやリード・ホフマンにインタビューされている――恥ずべき腐敗が露呈しており、あまりに露骨で吐き気を催すもので、業界全体が彼女の功績を糾弾すべきだったはずなのに、現実には「本、良かったですよ」と言う数人以外は、概ね沈黙だった。

つまりは、スウィッシャーはテック界の取材対象に近すぎて、彼らと友好的な関係を保つために手加減するリスクが常にあるということである。

まぁ、そうなのだけど、その彼女が書いた本がこの『世界を壊したビッグテックの悪党ども』なわけで、ロックスターへの批判が十分かはこの本を読んで判断すればよい。エミコヤマさんの原書の読書記録も参考まで。

クエンティン・タランティーノが映画を語り倒した本の邦訳『おれの映画人生』が来月出る、のだが……

yamdas.hatenablog.com

およそ4年前にクエンティン・タランティーノが映画論の本を出すことを取り上げた。実際、その『Cinema Speculation』はその年の秋に刊行され、じきに邦訳も出るだろうと当然のように思っていたが、なかなか話を聞かずに不思議に思っていた。

しかし、来月『おれの映画人生』の邦題でようやく出るのを知った。

ちゃんと邦訳が出るのは喜ばしい話なのだが、タイミング悪くというべきか、タランティーノの(最後の?)新作の話は一向に聞こえてこず、というか彼は今「もう映画おもんない。本読むほうがマシ」モードになっているのはなんとも皮肉な話である。

Michael/マイケル

日曜夜に先行 IMAX 上映を観た。ご存じの通り、マイケル・ジャクソンの伝記映画であり、ネタバレがあるような種類の映画ではないが、通常の公開日まで予備知識を入れたくない方は、ご注意ください。

恥ずかしながら、アントワーン・フークアの監督作を観るのは初めてなのだが、この手の伝記映画にありがちなもっさり感がなく、シャープな作りになっていて潔かった。

幼少期のマイケルを演じるジュリアーノ・クルー・ヴァルディが見事で、ジャクソン5はモータウンからデビューとともに大成功を収めるが、70年代後半から苦しくなってくるところとかも描くのかなと思ったら、そのあたりはあっさり飛んでジャファー・ジャクソンにバトンタッチする。言うまでもなく彼も良かったのだが、やはりマイケルを演じるとなると「身内」しかその任を負えないのかもな、とも思ったりした。

1973年生まれのワタシにとって、マイケル・ジャクソンはアメリカのポップスターの代表中の代表であり、少年時代に『スリラー』、そして『BAD』、並びに彼のビデオをメディアで享受してきた。80年代、あまりに彼の存在がポピュラーだったから、ロック村の住人になると反動で当たり前のように彼のことを軽んじた時代が確実にあった(アルバム『オフ・ザ・ウォール』を買ってちゃんと聴いたのは、そのずっと後の話である)。

そうした意味でワタシは彼の良い聞き手ではなかったのだが、本作はそういう人間すら魅了する。まさにマイケルが光を放ち、世界を照らすのだ。そして、観終わった後に心に残るのは、マイケルという人に付きまとうなんとも言えない悲しさだった。これは『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観たときも感じたことだ。

昔、渋谷陽一がポップミュージックは「悲しい」ということをよく語っていたが、本作にもそれがある。マイケルという人に付きまとう悲しさと言うべきか。ファミリーの成功に固執する強権的な父親、その父親から植え付けられたコンプレックス、友達を持てない埋め合わせとしての動物愛、そしてピーター・パン願望――本作ではその歪さも描かれている。そして、いちいち台詞で説明する映画ではないので、映像のちょっとしたところで主人公の変化を描写しており、そのあたり注意が必要な映画でもある。

本作については、朝日新聞に掲載されたレビュー批判を受けた

本作は『BAD』を受けたワールドツアーの場面で終わるが、既に話が進んでいる続編では、どういうアングルから描くにせよ、性的虐待疑惑にも触れざるをえない。どうしても本作より苦く、悲しいものになると思うのだが、果たしてどうなるか。

あと、『ボヘミアン・ラプソディ』に続いてマイク・マイヤーズがレコード会社の重役を演じているのに笑ったが、これはヒット祈願のゲン担ぎだろうか。

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