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最近ご恵贈いただいた本の紹介(萩野正昭『おもいで 未来』、ゲイリー・マーカス『AIテックを抑え込め!』)

今月ご恵贈いただいた本について、すぐに感想を書けないまま時間が過ぎそうなので、ひとまず紹介させていただく。

まずは、ボイジャーよりご恵贈いただいた萩野正昭『おもいで 未来』

この本はボイジャーの創業者である萩野正昭さんの、1992年の創業から現在までの30年余りを振り返るものである。

萩野さんのボイジャーでの仕事は、つまりは日本におけるデジタル出版、電子出版の歴史そのものといって過言ではない。

今回、本書の紹介文を見て今更気づいたのだが、萩野さんがボイジャーを創業したのは、40代半ばなのな。当時はまだ PC にしてもインターネットにしても海のものとも山のものとも分からない時代である。そこでデジタル出版に注力するというのは、紛れもない挑戦だった。

ワタシもこの30年、折に触れボイジャー、つまりは萩野さんの仕事にはお世話になってきた。これは心して読ませていただきます。

続いては、日経 BP の田島さんからご恵贈いただいたゲイリー・マーカス『AIテックを抑え込め! 健全で役立つAIを実現するために私たちがすべきこと』

WIRED の昨年末の特集「THE WORLD IN 2025」における寄稿「生成AIはその有用性を証明しなければならない」を読んだときに原書が出たことを知ったが、おそらく今年中には出ないのではないかと思い込んでいたので、正直驚いた。

ワタシもゲイリー・マーカスの論は、「ポイント・オブ・ノーリターン:プログラミング、AGI、アメリカ」で複数参考にさせてもらっている。彼の立場については、MIT Tech Review の「AI批評家、ゲイリー・マーカスとの散歩で話したこと」や、公開されている本書の「はじめに」を読まれるのがよいだろう。

もちろんワタシも本書を読ませてもらいます。

アンドレイ・カーパシーの最新インタビューに見るAI技術の現在「AGIの実現まで10年はかかる」

(´-`).。oO( 日本ではあまり話題になってないけど,1週間前のドゥワルケシュ・パテルの番組でカーパシーが現在のAI技術の到達点を話し,現状のハイプを暴露した buff.ly/evtrZNx 回の威力がすごすぎて,今週はベイエリアはお通夜状態なんですね.さすがに日本もそろそろ気づいた方が良い… )

[image or embed]

— Yuta Kashino (@yutakashino.bsky.social) 2025年10月25日 17:36

この Yuta Kashino さんの投稿で、OpenAI の共同設立者にして Tesla の人工知能部門ディレクターを務めたりしたアンドレイ・カーパシーの最新インタビューのことを一週間遅れで知った。

なにせ2時間半近くの長さなので途方に暮れるが、ドゥワルケシュ・パテルのサイトにインタビュー全文文字起こしがあったので必死に内容を追った。けど、やはり2時間半分の分量に圧倒されめげそうに。

note.com

と思ったら、長文の日本語解説を載せている note があった。こりゃ助かった。横着して「ポイント」を引用させてもらう。

  • カルパシーはAGI実現まで約10年と予測し、現状のAIは生物的知能とは異なる「幽霊」のような存在と主張
  • 現在のLLMは認知的欠陥が多く、複雑な作業や継続的学習には不向き
  • 強化学習(RL)は非効率で欠陥が多く、「ストローで教師信号を吸い上げるよう」と批判
  • AGIは経済を急激に変えるのではなく、GDP成長率2%の延長線上で徐々に統合されると予測
  • 自動運転開発で得た経験から、AIの製品化には「ナインの行進」と呼ばれる極めて困難な過程が必要と警告
  • 将来のAIは単一の超知能ではなく、複数の自律的AIによる複雑な生態系となり、人類は徐々に制御を失うと示唆
  • 現在のAIには文化の継承能力がなく、協調進化的な知能共同体の形成には未成熟
  • 教育機関Eurekaを設立し、AI時代に人間が疎外されずに共存・進化するための「知識のスロープ」を構築することを目指す
  • 最終的な目標は、AIと共に学び、自己実現を追求する「スタートレック・アカデミー」のような教育の実現

なにせ AI の最前線に携わってきたアンドレイ・カーパシーの発言なので重みがある。

しかし、「AGIは経済を急激に変えるのではなく、GDP成長率2%の延長線上で徐々に統合される」って、要はそれは「普通の技術」ということではないのですか?

彼は出戻った OpenAI を昨年再度退職し、Eureka Labs を始めているが、なるほど、そういう AI 時代の教育機関を目指しているのね。

ニコラス・カーがGoogleの「AIによる概要」に噛みつく:「AI最適化はSEOよりも有害だ」

www.newcartographies.com

ニコラス・カー先生が Google 検索における「AIによる概要(AI Overviews)」に噛みついている。ある主題に関する権威ある文献を深く掘り下げるのでなく、最近公開された疑わしい情報源から、おおざっぱな要約を寄せ集めて作成されている、というのだ。

これでは長年 Google の検索結果の上位に検索エンジン最適化(SEO)を施したページが並んでいたのと変わりがないじゃないかというわけ。

そして、製品やサービスの購入アドバイスを検索すると、この問題はさらに深刻になる。というのも、以下の三つの情報源から抽出されたテキストのまとめになりがちだからだ。

  1. 製品やサービスを提供する企業が運営する宣伝サイト
  2. 供給元から紹介料を得ることが多いインフルエンサーのサイト
  3. コンテンツファームが運営する質が低い「ベスト」サイト(「2025年版、最高のオウムケージ10選!」みたいなヤツ)

これじゃ企業のマーケティングメッセージの再構成に過ぎない!

検索エンジン最適化(SEO)がネットの害悪だと考えるなら、人工知能最適化(AIO)はさらに悪質なものとなるだろうとカー先生は指摘する。Google の「AIによる概要」は、今や一般市民の主要な情報源となっているのに、決して公平でも客観的でもなく、驚くほど不正操作の余地が大きいからだ。

検索エンジン最適化(SEO)が検索エンジンとそれを出し抜こうとするいたちごっこだったように、AIO も同様ということですね。カー先生はそのいたちごっこを「猫とネズミのゲーム」と表現しているが、AIO では AI は猫でもありネズミでもある。

カー先生は「スロップ戦争にようこそ」と文章を締めているが、やはり、彼はソーシャルメディア批判でなく『AIバカ』という邦題のつく本を書くべきではなかったか。

イーサン・ホークが語る『その土曜日、7時58分』におけるフィリップ・シーモア・ホフマンとの緊張関係、そしてそれを意図して煽ったシドニー・ルメット

deadline.com

「今、最もアメリカ映画に影響を与えている監督」という声もあるシドニー・ルメットだが、70年代には『セルピコ』、『オリエント急行殺人事件』、『狼たちの午後』『ネットワーク』などの傑作をものにした彼も、80年代に入ると『デストラップ/死の罠』や『評決』を最後に評価を下げていく。

その彼が遺作にして評価を取り戻したのが『その土曜日、7時58分』だが、それに出演したイーサン・ホークが、彼の兄役を演じたフィリップ・シーモア・ホフマンとの緊張関係、そして意図的にそれを煽ったシドニー・ルメットについて語っている。

映画界において先にスターになったのはホークだが、この映画を撮る頃にはホークと『カポーティ』アカデミー賞主演男優賞を受賞したホフマンは、ハリウッドでの影響力が逆転していた。

ホークは当初そんなの関係ねぇと振る舞っていたが、彼はホフマンから「なんでお前は自分の役柄を理解できないのか?」と問われ、「お前はずっと『アルファ』を演じようとしてるが、俺が『アルファ』なんだ。そういうの止めろ」とズバリ指摘されたというのだ。ここでの『アルファ』とは、主導権を握るキャラクターという意味ですね。

この二人の緊張関係は、『その土曜日、7時58分』において二人が演じた兄弟の緊張関係や力関係にそのまま当てはまるもので、その指摘はこの映画における力関係を明確にするのに必要だったのだろう。ホフマンの映画に対する真摯さ、容赦のなさが伝わる。

面白いのは、監督のシドニー・ルメットが意図的に二人の緊張関係を煽っていたこと。ホークが撮影現場にいくと、ルメットは「マーロン・ブランド以来、あんな演技は見たことない」とか言って、必ずホフマンの演技をほめそやす。

ホークはずっとそれに我慢していたが、撮影終了後、ホフマンにそのことを漏らすと、ホフマンは「彼は本当にそう君に言ったのか?」と訝し気だ。なぜか? 「俺も毎日、君について同じように言われてたんだ」

二人してルメットに詰め寄ると、ルメットは「いやー、君達は本当によく演じてくれた。信じられないほどだよ」と二人の演技を讃えたという。老巨匠の老獪さですな。

イーサン・ホークが主要な出演作について語る動画は↓でどうぞ。

ハウス・オブ・ダイナマイト

www.netflix.com

キャスリン・ビグローの8年ぶりの新作だが、ワタシ的には『ゼロ・ダーク・サーティ』以来になるので楽しみだった。残念ながら都合がつかず劇場では観れなかったので、配信開始日に Netflix で観た。通常、Netflix で観た映画については半年に一度まとめて感想を書くが、本作は例外。

実に彼女らしい題材に思える。正体不明の大陸間弾道ミサイルICBM)が探知されてからアメリカ本土に着弾するまでに残された19分を三幕構成で繰り返す。

映画の粗筋からまず連想するのは、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』だが、緊急事態における海軍の面々、そして要人たちのプロトコルが現実に沿ったものに違いない本作は当然ながらコメディではなく、『博士の異常な愛情』と同時期に公開され、作品内容被りをキューブリックが気にしたと言われるシドニー・ルメットの『未知への飛行』が近いらしい。が、恥ずかしながらそちらは未見である。

映画の冒頭に何度か繰り返される「Have a Nice Day(良い一日を)」からとんでもない19分に叩き込まれるわけだが、あえてこれと視聴感覚が似た映画を挙げるなら、『ユナイテッド93』くらいか。

本作は『ユナイテッド93』と異なり、権力者の意思決定の過程が描かれる。しかし、本作に登場するイドリス・エルバ演じる大統領は、まさにステージフライト状態で力強い意思表示ができない。実際、核兵器の使用について米大統領は一通りの説明はなされるが、演習などは行わないらしく、これもまた現実に即した描写なのである。

大統領とその副補佐官の間で交わされる、「報復しないなら、それは「降伏」と同じことでは?」「報復するのは、「自殺」と同じです」というやり取りが重い。

本作の世界線は、民主党の大統領であることが配役から察せられる。理解が覚束ない大統領は、核使用について説明する海軍少佐にもう少し分かりやすい説明をしろと切れ、報復攻撃の度合いを「レア、ミディアム、ウェルダン」に喩えてみせられると「それなら分かる」と答える。

ここ、「それなら分かるんだ……」という笑えないユーモア描写なのかもしれないが、現実の世界線での大統領、しかもよく焼けたステーキが好きなあの人なら、迷わず叫ぶであろう言葉を想像し、暗澹たる気持ちになる――というのも実はウソである。

だって、一発核兵器が米国本土に撃ち込まれれば、報復攻撃の連鎖の中で、ワタシは数日以内に死ぬことになろう。それを本作は極めて端的に分からせてくれる。

今、自分はなんで生きていられるんだ? と映画を観て思ったのは初めての体験かもしれない。

本作は実にキャスリン・ビグローらしい作品である。できれば、大統領が指示を下した後まで描き切ってほしかったという気持ちはあるが、それは無茶だろうか。

本家サイトのトップページを20年ぶりに刷新し、本家サイトのコンテンツを大幅に整理した

本家サイトのトップページをおよそ20年ぶり(!)に刷新した。

そう、恐怖の Web 1.0 なテーブルレイアウトをようやく CSS で書き直したのだ。これは以前からの懸案だったが、たったそれだけの作業を行うまで20年近くかかるとは、ものぐさにもほどがある。自分で自分に呆れてしまう。

しかも、やはり自分一人の力ではできなくて、ChatGPT に大枠の HTML と CSS ファイルを作成いただき、それを少しずつ修正することでなんとか形にした。CSS ファイルに手を入れるの自体もかなり久方ぶりなので、それだけでもてこずったが(そう、今でも HTML 手書きだぜ!)。

トップページを見ていただければお分かりなように、とにかくシンプルで落ち着いたものに変えたかった。

本当はこれを機に、本家サイトのコンテンツ自体も全面的に HTML5 対応の書き直しをしたかったのだが、それをやろうとしたらどれだけ時間がかかるか分かったものではないので、トップページを優先させた。

その代わりといってはなんだが、本家サイトのコンテンツを大幅に整理した。

つまりは、本家サイトにある大半の文章の公開を終了した。

本家サイトにある文章の大半は大昔に書いたものであり、特に初期は徒手空拳でいろんな分野に手を出した関係もあり、今読むと恥ずかしいものが大半だからだ。それらはもはや何の価値もなく(書いた当時にあったかも怪しいものだが)、これから万が一それが話題になるとしたら、悪い意味でしかないのが目に見えている。

しかし、古い文章を全部削除していたら何も残らなくなるので、コンピュータ&インターネット関連の技術コラム並びに翻訳はそのまま残している。あと読書記録にも手をつけてはいない。当然ながら、著書や訳書のサポートページのコンテンツもそのままだ。それ以外は、少数の例外を除き、公開を終了させてもらった。

といっても、技術コラムや翻訳文書、あと読書記録以外に本サイトにどんなコンテンツがあったか覚えている人自体ほとんどいないでしょ? それでいいのである。

大げさに言えば、キャンセルカルチャー対策とも言えるし、一種のウェブ終活の始まりと言えるのかもしれない。

AIによる人間の訪問者数の減少と同じくらいウィキペディアを脅かすもの

www.nytimes.com

マンハッタンで開かれた WikiConference North America 2025 の基調講演中に、銃で武装して壇上に乱入した男をボランティア編集者二人が取り押さえるという事件が起きている。

この武装した男はウィキペディアのポリシーの抗議して壇上で自殺すると宣言したそうで、参加者に被害がなくて本当に良かった。

ウィキペディアに対して、トランプ政権イーロン・マスクが攻撃姿勢を強めている。ウィキメディア財団が今月、ウィキペディアに対する疑問に答えるブログ投稿をしているのは、そのあたりに応えるものだろう。今回の犯行は、そのあたりに煽られた人間によるものではないかとどうしても疑われる。

ウィキペディアといえば、その記事を学習した生成 AI チャットボットや、その内容を要約して表示する検索エンジンによる 閲覧者数の減少が話題となっている。

これは単に人間のサイト訪問者数が減るだけでなく、ボットやクローラーの過度のアクセスへの技術的な対応が必要となり、それに付随する負荷の不均衡とそのために生じる摩擦について、ワタシも今月「AIスクレイパーボットへの対策と開かれたウェブのジレンマ」に力を尽くして書いたばかりである。

ウィキメディア財団は、(Googleからウェブサイトへのトラフィックがゼロになる日という表現は極端としても)ウェキペディアを訪問する人が減ることで、そのコンテンツを成長させるボランティアや活動を支援する個人寄付者も減ることを危惧している。

しかし、今回のような暴力沙汰(未遂)は、それ以上に直接的な危険であり、ボランティアや支援者の減少につながらないとも限らない。ウィキメディア財団の関係者ではなく、ただの個人寄付者であるワタシにとってもとても腹立たしい話だ。ワタシはこれからもウィキメディア財団に寄付を続けることを明言しておく。

ドク・サールズが語る「私がSubstackでなく自分のサイトでブログを書く理由」

doc.searls.com

ベテランブロガーのドク・サールズが、「このブログは私のものだ」という宣言からブログエントリを始めている。

たとえ Wordpress サービス上にホストされているとしても、どこぞのプラットフォーム上にはなく、そうする必要もない。自分のサイト上でブログを公開し、RSS を配信することで、広く開かれ相互運用性に富んだパブリッシングエコシステムに身を置いている。

「ブログがエコシステムなのは、それが自然界の生態系と同様にオープンだからだ。大手ホテルのアトリウムに置かれた観葉植物ではない」とサールズは断じる。

重要なのは、「エコシステム」という言葉は、参加を歓迎する開かれたシステムにのみ適用すべきであり、特定のプラットフォームやサイロ内でしか機能しないものには別の言葉が必要だ、とサールズが考えていること。インターネット、ウェブ、ブロゴスフィア(久しぶりに見る言葉だ……)は元来開かれたシステムなので「エコシステム」だが、ビッグテックの閉鎖的で垂直統合された世界は別物というわけ。

ここで「特定のプラットフォーム」としてサールズの念頭にあるのは、ニュースレター大手の Substack だ。Substack から Ghost などに移行は可能らしく、もしそうならブロゴスフィアと呼べるだろうが、多くの点で Substack は閉鎖的に見えるとサールズは書く。

なので、「Substack はソーシャルメディアアプリである」という話を聞いたときのサールズの反応は、「は?」と「うげっ!」が入り混じったものだった。Substack はニュースレター事業を持つブログホスティングサービスだと思っていたが、Substack 自身が「ソーシャルメディアアプリ」を目指すというなら、それは大きな格下げだとサールズは嘆く。

なぜなら、我々の知るソーシャルメディアはすべてサイロ化されており、深い意味でとても不快だからだ。OpenAI が Sora でソーシャルアプリ事業に参入と聞いたときも同じ感覚をもったとサールズは吐露する。

ブログは何よりパブリッシングであり、その周りに自然に育つ何かを加えたものだ。「どこで」ではなく「どのように」行うかが重要で、それゆえに「何をするか」という本質をずっと良く保っている。そしてその本質は「ソーシャルメディアアプリ」ではない。

この「ソーシャルメディアアプリ」話を知ると、Substack でブログを書く気すら失せた、私は自由と独立を好む、とサールズは言い切る。

サールズのソーシャルメディア嫌悪は、「ソーシャルメディアは繋がりを約束したが、もたらしたのは疲労だった」と主張するソーシャルメディアの終焉話を補助線とすると分かりやすいだろう。ソーシャルメディア(日本では SNS と置き換えてよいだろう)にはウンザリ、という空気は確実にあるのだ。一方で、ユーザを自身のプラットフォーム上で囲い込むために、サイロ化されたソーシャルメディアを目指す企業側の論理もある。

さて、ワタシもブログを書いている。しかし、自分のサイト上ではなく、はてなブログというプラットフォーム上だ。株式会社はてなが個人ユーザ向け事業を半ば投げているためか、はてなブログを「ソーシャルメディアアプリ」化しようという色気を出さないだけマシかもしれないが、プラットフォームには変わりはない。

おそらく数年後に株式会社はてなはてなブログのサービス終了を発表したら、途端にワタシは途方に暮れてしまうだろう。

サールズは「人生みたいなものだ。すべては暫定的なもの。そのために最良のエコシステムとは何だろうか?」という問いかけで締めているが、その答えはワタシにはない。

太陽が世界のエネルギーを賄うときが来たが、それに背を向けるアメリカ

wired.jp

このブログで太陽光発電の価格が過去10年で9割近く下落している話を取り上げたのがおよそ5年前だが、ついに太陽光発電が世界のエネルギーを賄うときが来たとのこと。

しかし、それに背を向ける国がある。米国だ。

paulkrugman.substack.com

ポール・クルーグマンが、トランプ大統領再生可能エネルギーに対する憎悪とバイデン前大領領の政策への復讐心が、エネルギー政策で中国が米国を追い抜くことを許したと論じている。

そういえば、ワタシも「今こそ「弁護士国家」米国は「エンジニア国家」中国に学ぶべきなのか?」において、「中国がエネルギー技術で飛躍的に先行すれば、世界各国は米国よりも中国の勢力圏に引き込まれる可能性が高い」というヘンリー・ファレルの見解を紹介していた。

クルーグマンは、科学と専門知識への敵意が常にアメリカの伝統の一部であったこと、そして、反科学主義が宗教右派に広く浸透しており、MAGA の重要な要素を形成していることを指摘する。

過去数十年間、人文主義と科学的探究の勢力が反科学主義に打ち勝ってきたが、これはアメリカの科学が国家安全保障と国家の繁栄に不可欠であるという認識が優勢だったからである。しかし、科学超大国としてのアメリカは終焉を迎えようとしている

クルーグマンの結論は極めて悲観的である。

アメリカは世界の覇権をめぐる中国との競争に負けつつあるということなのだろうか? いや、その競争は実質的に終わってしまったと私は考えている。たとえトランプと妨害工作員が2028年に権力を失ったとしても、私が見る限り、それまでにアメリカは大きく後れを取っており、追いつくのはほぼ不可能だろう。

ちょうど少し前に Pluralistic で『ディープエコノミー 生命を育む経済へ』(asin:4862760295)や『自然の終焉: 環境破壊の現在と近未来』(asin:4309250505)などの邦訳がある環境保護活動家のビル・マッキベンの新刊 Here Comes the Sun の書評を読んだが、これも近年の太陽光発電の目覚ましい進歩について書かれた本のようだ。

太陽光発電に必要な材料費がかかりすぎて割に合わないという従来の通説はもはや通用しないことを説いており、太陽と風力によるエネルギーは今や地球上で最も安価な電力となり、歴史上どのエネルギー源よりも急速に成長しているとのことだが、風力もそう言っていいんかねぇ?

それはともかく、マッキベンの主張通り、太陽光発電が気候変動危機から地球を救う道であり、世界をより健全で人道的な基盤の上に再編成する基盤となるなら、上記の通り、アメリカの現政権はそれに背を向けているわけだ。

そして、日本も再生可能エネルギーを巡る状況は明るくない。ソール・グリフィス『すべてを電化せよ!』について書いたときも触れたが、メガソーラーにしろ風力発電にしろ自然破壊やら汚職やらネガティブな話題として取りざたされることが多く、イメージがよくないのがなんとも。

www.technologyreview.jp

そうそう、ビル・ゲイツも MIT Tech Review にこの問題に関連する寄稿をしてたね。

しかし私は、これを悲観的になるべき理由だとは考えていない。むしろ、楽観的になれる理由だと考えている。なぜなら、人間は物事を発明するのがとても得意だからだ。実際、人類はすでに排出量削減に寄与する多くのツールを生み出してきた。エネルギー関連のブレークスルーにより、このわずか10年間で、2040年の世界の排出量の予測は40%も下方修正された。つまり、人類が持つイノベーション能力のおかげで、たとえ他に何も変わらなかったとしても、2040年までに排出量を大幅に削減する道を順調に歩んでいるのである。

MIT Tech Review: ビル・ゲイツ特別寄稿: それでも気候変動対策に私が投資し続ける理由

ビル・ゲイツの自伝(第一弾)について昨年末に取り上げているが、今年の末に邦訳が出る

ジョイ・ディヴィジョンの全映像、そしてさまざまな「セレモニー」

www.openculture.com

ジョイ・ディヴィジョンのテレビ出演、撮影されたライブ映像を全部まとめた動画が紹介されている。おそらくは権利者の許可は得てないものだろうから、ここには動画を埋め込みしないので↑のページから閲覧ください。

彼らの最初のテレビ出演でバンドを紹介するのは、もちろん『24アワー・パーティ・ピープル』でおなじみトニー・ウィルソンである。

英国放送協会で放送された偉大な音楽パフォーマンス100選で4位に選ばれた「トランスミッション」の映像ももちろん含まれる。

www.nejimakiblog.com

さて、映画『遠い山なみの光』について、この映画がニュー・オーダーの「セレモニー」で始まり、終わることを書いたが、その点について触れる人が少なかった印象がある。今ではこの曲を知る人も少ないのだろうか?

それも悲しいので、いろんなバージョンの「セレモニー」を紹介しておきたい。まずは、ニュー・オーダーの原曲から。

次にニュー・オーダーの1981年のマンチェスターでのライブから。

1986年のやはりマンチェスターでのニュー・オーダーのライブに、エコー&バニーメンのイアン・マッカロクが参加したものは、音も映像もかなり質が悪いが、この気合いの入った客演をエコバニの公式チャンネルに今年になって掲載した気持ちは分かる気がする。

この曲のカバーでは、やはりギャラクシー500のスローなバージョンが知られる。というか、ワタシが初めて聴いた「セレモニー」は多分これ。

ギャラクシー500のディーン・ウェアハムは、2014年の KEXP でのスタジオライブでもこの曲を披露しており、本当に好きなのが伝わる。例によってスローで、厳かですらある。

KEXP のスタジオライブでは、デイ・ウェーブもこの曲を披露している。原曲に忠実なカバーである。

ワタシは知らなかったが、These Quiet Colours というバンドもこれをカバーしている。女性ボーカルの声質により、コクトー・ツインズニュー・オーダーをカバーしたような趣である。

レディオヘッドも2007年にこの曲をカバーしている。これだけは公式チャンネルには掲載されてなかった。

「セレモニー」のクレジットにイアン・カーティスも入っていることから分かるように、これはジョイ・ディヴィジョン時代に作られた曲で、ライブ盤『Still』にジョイ・ディヴィジョンによるバージョンが収録されている。

しかし、映画における選曲の理由が、ねじまきさんが書くように、イアン・カーティスと景子の共通点に起因するというのは思い当たらなかったな。

WirelessWire News連載更新(AIスクレイパーボットへの対策と開かれたウェブのジレンマ)

WirelessWire Newsで「AIスクレイパーボットへの対策と開かれたウェブのジレンマ」を公開。

いやー、今回はタイトルが凡庸でダメですね。

その理由は単純で、文章を書き終わるまでに、もう何か気の利いたタイトルを考えるエネルギーを使い果たしてしまっていたのである。

数か月前、ある方から Cloudflare の Pay per Crawl について書いてほしいというリクエストを受けたことがあり、その時は、いやー、それはないなと思っただけだったが、時間を置いてそれが実現した。もっとも、この文章はその方の期待する内容ではまったくないだろうが。

今回の文章の着想は、実は Creative Commons が先月公開しているリーディングリストだったりする。

それで文章の構想が浮かんだところで、CCJP のシンポジウム「生成AIの学習における著作物の無断利用をめぐって」のことを知り、これは良いタイミング! と喜んだのだが、ちょうど当日スティングのライブがと重なったために視聴できず、シンポジウムの内容を文章に取り込むことができなかった。残念なり。

ここ数回は(ワタシにしては)少し短く文章をまとめていたのだが、今回は長くなってしまった。しかし、これだけ書いても入れられなかったと後になって悔やむ話題がいくつもあるから困ったものだ。例えば、Perplexity の AI ブラウザの話とか。

さて、今回の文章は最後にティム・バーナーズ=リーを引き合いに出しているが、彼の新刊 This Is for Everyone が先月出たばかりなんですね。

ワタシはまだエミコヤマさんの読書記録しか読んでないが、以下のくだりは笑った。

そういえばAIが人類にもたらす影響について悲観的な人たち(doomer)と楽観的な人たち(boomer)という分類について著者はあまり意味を持たないとして、「doomerと言ってもAIの悪い面しか見ていない人は一人もいないし、boomerと言ってもAIの利点しか考えていない人は…一人だけいた、マーク・アンドリーセンだ」って本書には書いてあったりと、全体を通してアンドリーセンが悪役として大活躍している。

Tim Berners-Lee著「This Is for Everyone: The Unfinished Story of the World Wide Web」 – 読書記録。 by @emigrl

ティム・バーナーズ=リーというと、彼の『Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか』が長らく絶版なのを残念に思っていたが、この新刊の邦訳が出てくれればそれでいいわね。

AIを生産性向上ではなく賃金抑制のためのツールと考えてみると

www.bloodinthemachine.com

ブライアン・マーチャントが Why We Fear AI の共著者である Hagen Blix にインタビューしているのだが、これがすごく面白いので紹介しておきたい。

彼が指摘するのは、「AIが人間の労働を全て自動化する」という AI 企業の奇妙な約束である。そんなわけないのに、どうして AI 企業はそれを売り込むのか? それが経営者層の受けが良いからだ。

これはワタシも「生成されたAIビジネス、OpenAIと「AGIというナラティブ」」「「AIファースト」と「人間ファースト」は両立しうるか?」などで取り上げたテーマだが、Hagen Blix は以下のように語る。

そして、我々は明確に理解するわけだけど、これは第一に生産性の問題じゃないんだ。一部はそうかもしれない、多分ね。多くの研究が、生産性の向上は起こらないと言っている。でもね、我々が今も目にしているのは、AI が仕事を奪うというより、人々の仕事がどんどんクソみたくなってきているということ、だろ?

例えば、翻訳者。翻訳者がいなくなったわけじゃない。我々はクソみたいな翻訳を生み出す機械を作ったんだ。使い物にならないほどクソじゃないけど、翻訳者が求める水準には達していない。今ではそれが安く作れるようになり、翻訳者はこういうものと競争しなきゃならなくなった。その結果、AI 翻訳を修正する翻訳者なんて、今やギグワーカーに近い存在だ。だって彼らもこれと競争しなくちゃならないんだから。クソみたいなヤツの供給量が膨大すぎて、全体の価格も賃金も押し下げるんだ。

AI を生産性を向上するツールではなく、賃金を抑制するツールととらえれば、実際には生産性は向上していないという研究を並べて、AI ブームが終わると期待するのは時期尚早だと分かるだろう。

これを読むと、このエントリの「AI は賃金への上からの攻撃だ」というタイトルの意味が分かりますね。

つまり、一部の(と一応書いておくが)経営者層が求めるのは、生産性の向上ではなくて、人間の賃金の抑制であり、AI は何よりそのための道具ということ。これからがその本番ですよ。

その後も、「あらゆるもののプロレタリア化、それが目的だ」とか「メタクソ化による階級闘争」といった面白ワードが飛び交う楽しいものになっている。Hagen Blix らの本も邦訳出ないかな。

将棋倶楽部24が今年末にサービス終了のニュースに途方に暮れる

automaton-media.com

将棋倶楽部24の今年末の終了は、個人的には今年もっともショックを受けたニュースのひとつかもしれない。

要は、ワタシはここを主戦場にしてたんですね、ずっと。自室の PC で将棋倶楽部24でネット上の対戦相手と将棋をするのが、およそ20年毎日続いてきたわけで。そう、旅行とか出張で家を空けない限りは、毎日数局指してきたのだ。

今ではユーザ数では将棋ウォーズのほうが多いのだろうが、ワタシは将棋倶楽部24の落ち着いた雰囲気のほうが好きで、ここ一辺倒である。

正直、このまま下手すれば死ぬまでここを利用するんだろうと当然のように考えていたので、そこがもうあと数か月で無くなると言われても、頭が追い付かない。

なんといってもここで将棋を指していたおかげで、羽生善治永世七冠達成時、また藤井聡太八冠達成時にタイミング良く免状を取得できたわけで、本当にお世話になった。

今からでもどこか将棋倶楽部24を引き取って継続運営してくれないかと思ったりするが、そんな声は席主も承知した上での発表なのだから、もう無理なのだろう。

そうなると、将棋ウォーズなりに乗り換えるしかないのだろうが、早指し2(秒読み30秒 猶予持ち時間1分)に慣れてしまった頭と指が果たして順応できるか。

これから、当たり前のように続くと思い込んで頼り切っていたネットサービスの終わりに呆然となるのを他でも体験するのだろうな。例えば、はてなブログとか。

2025年秋に刊行されるモンティ・パイソン関係の本

調べものをしていて、この秋にモンティ・パイソン関係の本が数冊刊行されるのを知ったので、紹介しておく。

まず、今ではコメディアンとしてより旅行番組のプレゼンターとして知られる、というのが決まり文句になっているマイケル・ペイリンの新作旅行番組の行先はベネゼエラである。

昨年のナイジェリアに続いてハードな旅行先を選んだものだ。80歳過ぎてすごいねぇ。

マイケルによると、ベネゼエラが100か国目の渡航先だったとのこと。すごいねぇ。

例によってテレビ番組に合わせて同名の本が刊行されている。

続いては、ジョン・クリーズが、『フォルティ・タワーズ』番組開始50周年を受けた本を11月に出す。

フォルティ・タワーズ』といえば、ワタシも「人間と人間でないものを分かつ一線、そして「エンパシー」について」で言及したが、未だに史上最高のシットコムの一つと言われる。

そういえば2023年にジョン・クリーズ続編を作ると宣言したが、現在まで形にはなっていない。この本にはその辺の話も含まれるのかな?

そして、2020年に惜しくも亡くなったテリー・ジョーンズの伝記本が11月に刊行される。

『Seriously Silly』という書名がいかにもパイソンのメンバーらしい。著者のロバート・ロスピーター・セラーズなどの伝記本を手がけている人なので安心だろう。

モンティ・パイソンと言えば、エリック・アイドルが、現在モンティ・パイソン関係のマネージメントを手がけるテリー・ギリアムの娘を突如糾弾し、経済的苦境を訴えて、他のパイソンズと距離ができているのは残念である。が、アイドルとクリーズは過去金銭問題で険悪だった時期もあったわけで、まぁ、元気で生きててくれればファンとしてはもうそれだけでよいですよ。

ワン・バトル・アフター・アナザー

ポール・トーマス・アンダーソンの新作となれば映画館にかけつける一手であり、ワタシの場合、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以降、ずっとそうしている。

が、彼の映画は必ずしもワタシの体質に合うとは限らない。彼の作品はだいたい観ているが、彼の映画から三つ選ぶなら『ブギーナイツ』、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、そして『インヒアレント・ヴァイス』になり、このチョイスをする人間は(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以外は)希少かもしれない。

本作は PTA の映画と思えないほどアクション満載であり、また予算が彼の映画では最大規模と聞き、大丈夫なのかという不安もあり、『インヒアレント・ヴァイス』に続いてトマス・ピンチョン原作というのに面白くなりそうだという期待もあった(と言いつつ、『ヴァインランド』未読なんだけど)。

映画が始まってすぐ、アクションの迫力の圧倒的さと裏腹に、「あー、これ、ワタシの苦手なタイプの映画だー!」と確信するところがあった。その理由を説明すると、間違いなく怒られが発生するので書かないが、一気に時間が飛んで空手をやる主人公の娘のバックで流れる、スティーリー・ダンの「ダーティ・ワーク」のエモさに前述の印象はかなり反転した。良かった。

「ダーティ・ワーク」は、ドナルド・フェイゲンがメインボーカルでないスティーリー・ダンの唯一の代表曲だが、この曲が映画で使われているのを聴いたのは『アメリカン・ハッスル』以来かな。

本作はレオナルド・ディカプリオが主演だが、ひたすらハッパやっててガウン姿のままヨタヨタやっていて、『ビッグ・リボウスキ』のデュードを思わせる。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』もそうだけど、ディカプリオってスマートでなく、ヘタすれば頭が弱かったりする主人公を演じるのを厭わないのがいいよね。

主人公の娘役のチェイス・インフィニティは初めて観る人だが、彼女がとても良くて、だらしない父親と好対照をなしている。

そして、本作ではベニチオ・デル・トロが、やはり主人公とコントラストを成す頼りになる男をやっているが、『コブラ会』以降、「Sensei」は英語として本格的に定着したんですかね(笑)。

主人公らは移民を手助けする極左暴力革命グループに属するが、そのあたりの設定をもって本作をトランプ政権批判の枠でとらえるのはどうかと思う。上で書いた「苦手なタイプ」と書いたのは、その「フレンチ75」の佇まいも一因だったりするのだが、一方で本作では白人至上主義の秘密結社「クリスマスの冒険者クラブ」も登場し、そのイビツさも描かれている。

本作の見どころはいろいろあって、電話で主人公がブチ切れる場面はやはり笑ったし、なんといってもクライマックスとなる、あんな高低差のある道(まさにセンセイが言うところの「大洋の波」のごときうねり!)でのカーチェイスの思いも寄らない迫力がとどめを刺す。そこにかぶさるジョニー・グリーンウッドの音楽もユニークで効果的で、なるほど、PTA は見事にアクションをものにしていた。

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