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サイゾー2019年8月号の『クロサカタツヤのネオ・ビジネス・マイニング』第67回になぜか登場

yomoyomoの執筆、翻訳活動サイゾー2019年8月号を追加。

『クロサカタツヤのネオ・ビジネス・マイニング』第67回「ネット黎明期からの書き手と語る、スマホSNS以後のネットの未来」で対談相手を務めました。

まだ雑誌発売前だが、ちょうど発売の頃ウェブを更新できない可能性があるため、先走って告知させていただく。記事はいずれウェブにも公開されるので、そのときにまた告知させてもらう。

なぜワタシごときがクロサカタツヤさんの対談に登場したのか?

話は5月の Maker Faire Kyoto 2019 のときのこと。ワタシにとっては久方ぶりの Maker 関係のイベントだったのだが、このとき取材に来られていた青山祐輔さんとバッタリ会った。

どのくらい久しぶりかお互い覚えていないくらい久しぶりだったのだが、あとから青山さんが調べたところ9年ぶりとのこと。青山さんと少し話をするうちに、クロサカタツヤさんの名前が出て、サイゾーの対談いかがですかと言われた。当方は大変恐縮したのだが、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションにも、という青山さんの言葉に、当時自著の宣伝ならなんでもするマインドセットだったワタシはピクンときた。

ただ正直なところ、社交辞令だろうと思っていた。なぜなら、クロサカタツヤさんのサイゾーの対談には、ワタシの知った人も何人も登場しているが、だいたいが何かしらの分野の確固たる専門家である。ワタシのような何の専門分野も持たない半可通では、クロサカさんに失礼ではないか。だが、Maker Faire Kyoto からそう経たないうちに青山さんからメールでの打診があり、本気だったんだとワタシも日程を調整した次第である。

クロサカタツヤさんとお会いしたのは……時期は正確には思い出せないのだが(調べたところ2012年の12月らしい)、竹田茂さんの主催トークイベントのパネラーにクロサカさんが登壇されたときで、このとき「なんと頭の良い人だ」と感嘆した客のワタシは氏の出番の後で挨拶させてもらったのだが、ゆっくりお話しさせていただくのは今回が初めてであった。

ワタシなんかでよかったのだろうか? という気持ちは今もあるのだが、とても楽しいときを過ごすことができた。関係者の皆様に感謝する。あと先回りして書いておくと、タイトルにある「ネット黎明期からの書き手」というのは、パソコン通信の経験もないようなワタシにはいくらなんでも過分である。人目を惹くための文句と思っていただきたい。

クロサカタツヤさんは『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』でも二度言及される。そのあたりについての解説は、記事のウェブ版が出たときに行うが、なんといっても WirelessWire 連載最終回「ネットにしか居場所がないということ(前編後編)」は、氏の文章を読んでなければ書かれなかったものである。今回の対談の最後にクロサカさんが寄せる文章も、平民金子さんの文章と共通するところのある、なんというか遠くの景色をぼーっと見たくなるような、個人的に感慨深いものだった。

というわけで、雑誌サイゾー2019年8月号をよろしくお願いします。

ウィキペディアの共同創始者が唱えるデジタル独立宣言、並びに非中央集権型ソーシャルネットワークの原則

ウィキペディアの共同創始者として知られるラリー・サンガーだが、システム的に Wikipedia への批判を内包したオンライン百科事典 Citizendium を立ち上げるもそんなに話題にならず、近年では今度はブロックチェーン技術を活用したオンライン百科事典を手がけているようだが、多分うまくいかないと思います。

その彼が7月4日から5日にかけて、非中央集権型ソーシャルメディアの開発促進と普及を旗印に「ソーシャルメディアストライキ」を呼びかけたが、それに応じた人はさほど多くなかったのではないか。

……と書くとただ彼をけなしているようだが、彼が書く「非中央集権型ソーシャルネットワークの原則(Principles of Decentralized Social Networks)」を読むと、「デジタル独立宣言」をぶちあげる彼の問題意識は、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』での議論とも共通するものでワタシにも理解できるので、その部分だけざっと訳しておく。

  1. 我々自由な個人は、いかなる企業から許可を得る必要なしに、自分のデータを自由に公開できるべきだ。
  2. 我々は自分自身のデータを法的に所有することを宣言する。我々には、自分のデータをコントロールする法的、道徳的の両方の権利があるのだ。
  3. ソーシャルネットワーク上の投稿は、企業が独占支配するデータベースや何らかの中央保管所からではなく、電子メールやブログと同様に我々個人がコントロールするたくさんの独立サービスから提供可能であるべきだ。
  4. 並外れてよほどの事情がない限り、家庭でなされる私的な会話を盗聴する権利が誰にもないように、ユーザのプライバシー権もまた、犯罪者や企業や政府の監視から守られなくてはならない。従って、そのプロトコルは、私的なコンテンツには強力でエンドツーエンドの暗号化やその他のプライバシー慣行をサポートしなければならない。
  5. インターネットのドメイン名システムと同様に、入手できるユーザフィードのリストは技術規格やプロトコルのみに限定されるべきで、ユーザの身元やコンテンツに応じて変えてはいけない。
  6. ソーシャルメディアのアプリケーションは、ユーザ独自の判断で、まさに電子メールやブログがそうであるように、いかなるパブリッシャーも上位のネットワークにより特権を与えられることなく、共通のグローバルな規格やプロトコルに従って、他のあらゆるパブリッシャーに配信できるようにすべきだ。規格が独自なアプリケーションは、ユーザのデジタル権を侵害するものである。
  7. 結果的に、ソーシャルメディアのアプリケーションは、ユーザに決定された複数の独立したデータソースからの投稿を、ユーザの優先順位に従って統合すべきである。
  8. いかなる企業も、あるいは企業の小集団も非中央集権型ネットワークの規格やプロトコルを支配すべきではないし、中央集権化をもたらす単一のブランド、所有者、独占ソフトウェア、あるいはそれらと関連付けられたインターネット位置情報もあるべきではない。
  9. ユーザは、新しいネットワークに参加でき、また特別な技術スキルを持たなくても上で列挙した権利を享受できるべきだ。ユーザはとても簡単にプライバシーをコントロールでき、もっともプライベートなメッセージは自動的に暗号化され、技術に詳しくない人が使いやすいフィードや検索結果をコントロールするツールを利用すべきである。

ゆっくり訳文を練る時間がなかったもので、誤訳があったらすんません。

ラリー・サンガ―が標的とするのは言うまでもなく FacebookTwitter なのだけど、彼らは自身の権力を悪用し、ユーザのプライバシーと安全を侵害していると訴えている。

彼は Facebook の CEO であるマーク・ザッカーバーグに代表されるシリコンバレーの大物たちは「支配的すぎる」と批判しており、非中央集権型のソーシャルネットワークの普及を目指しているわけだ。

その実現は簡単なものではないだろうが、「もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて」を書いたとき、この議論がここまで一般的なメディアにも取り上げられるとは思わなかったね。

ネタ元は Slashdotその1その2)。

ブレット・イーストン・エリスがこんな面白いことになっているとは知らなかった

書肆侃侃房が面白い。西崎憲が編集長を務める文学ムック『たべるのがおそい』は、今年の春の第7号で終刊したが、最近も北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』のような面白い本を出して気を吐いている。

惜しいことにワタシがその存在を知ったのは(つまり『たべるのがおそい』を知ったのは)、ワタシが福岡を離れた2016年春以降で、福岡に住んでいたら「本のあるところ ajiro」とか絶対行ってるし、取材とか称して会社に押しかけたかもしれない(実際、マガジン航の取材記事「福岡の出版社、書肆侃侃房の挑戦」がある)。

それはともかく、書肆侃侃房の note でやっている「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」シリーズにおける青木耕平の文章がすこぶる面白かった。

ブレット・イーストン・エリスって、映画関係の仕事が多いこともあってツイートなんかもそっち関係のものしかワタシの観測圏内に入らず、どうしてるんだろうという感じだったのだが、こんな面白いことになっているとは。キレッキレである。

最近ポッドキャストが熱い、10年ぶりブームとか言われるが、ブレット・イーストン・エリスポッドキャストもその一端を担っているのだろうな。

それにしても、彼の新作『ホワイト』、邦訳出てほしいな!

WHITE (EXP)

WHITE (EXP)

White (English Edition)

White (English Edition)

青木耕平の文章もそうだが、ブレット・イーストン・エリスというと、現在評価は『アメリカン・サイコ』(asin:4042673015)に集中している。ワタシは彼のデビュー作『レス・ザン・ゼロ』が好きで、未だに帰省中に実家に置いている文庫本を読むことがある。

「日本の近現代文学には「病気小説」や「貧乏小説」とならんで「妊娠小説」という伝統的なジャンルがあります」という斎藤美奈子『妊娠小説』(asin:4480032819)風に書くなら、日本に限らず近現代文学には「帰省小説」という小説ジャンルがある、とワタシは以前から思っている。

その小説ジャンルの代表作というとまず浮かぶのは魯迅「故郷」だが、日本文学を代表する帰省小説は村上春樹風の歌を聴け』(asin:4062748703)だろうか。これには異論があるだろうが、ともかくエリスの『レス・ザン・ゼロ』も帰省小説の傑作だと思うのである。が、そういう風にこの小説を評価する人などワタシくらいで、今では手に取り読む人もいないのだろうな。

レス・ザン・ゼロ (中公文庫)

レス・ザン・ゼロ (中公文庫)

はてなグループの終了への対応(は特にない)

はてなダイアリーの終焉を知ったとき、はてなグループもいずれそうなると思っていたので、正直そこまで驚きはない。

はてな社内では、はてなグループは徹底的に利用されていて、技術仕様、日報、メモ書き、ミーティングアジェンダ〜議事、プレゼンテーション、社内告知、雑談、サービスアイディアのディスカッション等々、毎日のように情報を書き込んで、誰かの書いた情報を見ていた。

はてなグループ終了に寄せて - #生存戦略 、それは - subtech

とはいえ、かつてはこれほどはてな社内で使い倒されていたはてなグループであってもサービス終了を免れないのか、と嘆きたくなる気持ちはある。そのあたりを今村勇輔さんが的確に表現している。

[2019年7月16日追記]:本件について今村勇輔さんはブログも書いているので、そちらも参照いただきたい。

特に B2C 事業はもうどうでもいいというか、ユーザベースを救おうという気概も技術力もないのだろう。

さて、はてなグループの終了で、はてなユーザとしてのワタシの影響があるのかというと、ない。

ワタシがはてなグループを使っているのは、モヒカン族グループの中で犬は吠えるがモヒカンは進むをやっていたのが唯一だからだ。モヒカン族

見れば分かる通り、これがネットから失われても特に損失はないので、ワタシとしても特に何か手を打つ気はない。しかし、はてなグループを主な活動な場にしていた、ここに大事な蓄積がある人はいるはずで、そういう方々の不都合を最小限にしてほしいと願うばかりである。

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム

公開中の映画だし、この映画の場合、必然的に他作品のストーリーを前提とするので、以下ネタバレ注意と書かなければいけない。

ワタシは MCU 嫌いを公言している奇特な人間だが、『スパイダーマン:ホームカミング』が面白かったので、7月最初の金曜日のレイトショーを吹替版で観た。

話としては、やはりというべきか『アベンジャーズ/エンドゲーム』その後、親愛なる隣人、ローカルヒーローとしてのスパイダーマンの在り方と、トニー・スターク亡き後の責任との板挟みの話であり、そうなると舞台がミッドタウンの範囲に収まっては迫力に欠けるわけで、必然的にヨーロッパを舞台とした一種の観光映画になっている。

だから、本作には観光映画的散漫さがどうしてもあるが、一連の MCU 作品の中で唯一と言える青春映画としてのスパイダーマンが好きだ。今回もネッドが良い味出してたと思うし、MJ の造形にも好感を持った(そういえば、彼女を演じるゼンデイヤは「The OA」セカンドシーズンにも出てたっけ)。あと、最後にあの人が再登場するとは思わなかったな。

まぁ、本作もちゃんと楽しませてもらった。正直に書けば、これで MCU の一つのフェーズが一区切りつき(そういえば、本作からスタン・リーは登場しないのだな)、しばらくはこれから離れていられるという安堵がある……のだが、本作はフェイクニュースで続編まで引っ張る終わり方なんだよな!

あと、ワタシが観た回、レッド・ツェッペリンのネタで笑ったのは劇場でワタシだけみたいだったが、さすがにあれが分からなかった人はいない……と思いたいのだけど、そうでもないのかな。

『ブラック・ミラー』全23作をランク付けするとどうなるか?(シーズン5は……)

先月 Netflix で配信が始まった『ブラック・ミラー』シーズン5だが、早速ワタシも観た。

はっきりいって、この番組の未来の先取り的な要素ははっきり後退しており、WIRED のように「“現実”に追い越され、もはや「驚き」が見られない」という評も出るだろうなという感じだった。

ワタシの場合、Netflix で最初にシーズン4から観始め、その後シーズン3→2→1と普通と逆の順番で辿っており、やはり Netflix 製作に移ってからはっきり画面がゴージャスになったと感じるが(これはそれまでの話の舞台がイギリスが多いのがアメリカに移ったので、画面の明るさが変わったのも実は大きいだろう)、どのシーズンもそれぞれ好きな回がある。

ここまでエピソードが増えてきたら、(クリスマス・スペシャルや映画版を含め)全23作のランク付けを誰かやってるだろうと調べたら、以下の5つも出てきた。

最後の Collider というサイトは知らなかったが、他はエンタメ系、テック系などそれなりに有名なメディアである。しかし、その評点を見たら、結構ばらけている。

面白かったので、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションという本ブログの現在の趣旨を忘れて、エピソード全23作とそれに各メディアがつけた順位を表にまとめてみた。

エピソード名 Esquire WIRED UK Vulture PCMag Collider
シーズン1
国歌(The National Anthem 2 3 4 11 12
1500万メリット(Fifteen Million Merits 19 12 10 1 9
人生の軌跡のすべて(The Entire History of You 6 10 5 7 2
シーズン2
ずっと側にいて(Be Right Back 1 6 1 3 1
シロクマ(White Bear 11 21 16 5 5
時のクマ、ウォルド―(The Waldo Moment 22 19 19 19 23
クリスマス特番
ホワイト・クリスマスWhite Christmas 21 23 7 2 3
シーズン3
ランク社会(Nosedive 16 4 3 9 8
拡張現実ゲーム(Playtest 23 14 13 12 6
秘密(Shut Up and Dance 8 8 15 13 19
サン・ジュニペロ(San Junipero 3 1 6 4 4
虫けら掃討作戦(Men Against Fire 18 20 20 22 22
殺意の追跡(Hated in the Nation 5 5 9 14 17
シーズン4
宇宙船カリスター号(USS Callister 7 2 2 6 7
アークエンジェルArkangel 13 11 22 17 11
クロコダイル(Crocodile 10 9 12 23 16
HANG THE DJ(Hang the DJ 4 13 14 8 10
メタルヘッドMetalhead 12 15 8 21 21
ブラック・ミュージアムBlack Museum 20 7 17 15 18
インタラクティブ映画
ブラック・ミラー: バンダースナッチBlack Mirror: Bandersnatch 14 17 11 10 14
シーズン5
ストライキング・ヴァイパーズ(Striking Vipers 17 16 23 16 13
待つ男(Smithereens 15 22 21 18 20
アシュリー・トゥー(Rachel, Jack and Ashley Too 9 18 18 20 15

ホワイト・クリスマス」のように最高位近くと最低位近くの両方に入っているものがあったりする。

とはいえ、ほとんどの評者が高い評価をつけているもの、その逆があるもので(そうした意味で、シーズン5は苦しいですな。でも、ワタシはけなされてる「アシュリー・トゥー」嫌いじゃないよ!)、あまり意味があるとは思わないが、高評価トップ5を選ぶなら以下になる。全23作もあると、つまみ食いするにもどれから手をつけてよいか分からないという方は参考にしていただきたい。

  1. ずっと側にいて(S2E1、平均順位2.4)
  2. サン・ジュニペロ(S3E4、平均順位3.6)
  3. 宇宙船カリスター号(S4E1、平均順位4.8)
  4. 人生の軌跡のすべて(S1E3、平均順位6)
  5. 国歌(S1E1、平均順位6.4)

Rebuild宮川達彦さんが、真っ先にお勧めしていた「サン・ジュニペロ」と、へこむから最初には観ないほうがいいと言っていた「国歌」の両方がランク入りしている(笑)。

ちなみにワタシが好きなエピソードを順位をつけず選ぶなら以下のあたり。

そうそう、『ブラック・ミラー』といえば、『ネットフリックス大解剖』に収録された「ポスト・ヒューマン時代のわたしたちを映し出す漆黒の鏡」が DU BOOKS の note でためし読み公開されているので参考まで。

ネットフリックス大解剖 Beyond Netflix

ネットフリックス大解剖 Beyond Netflix

オバマ政権時代の大統領経済諮問委員会委員長も務めたアメリカを代表する経済学者の遺作『ロック経済学』

大原ケイさんからアラン・クルーガーの Rockonomics という本を教えていただいた。

ROCKONOMICS

ROCKONOMICS

正直に書くと、最初「へ?」という感じだった。

アラン・クルーガーというと、プリンストン大学教授にしてバラク・オバマ政権時には大統領経済諮問委員会の委員長を務めており、クラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞など数々の賞を受賞しているアメリカを代表する経済学者である。

そして、その彼は今年2019年3月に自殺によりこの世を去っている。

で、この Rockonomics なる本は、2019年6月、著者の死後に刊行されている。つまり、「ロック経済学」を意味するタイトルを持つこの新刊は、高名な経済学者の遺作なのである。なんでこんな面白そうな本を書いておきながら、自らこの世を去ってしまうのか……。

思えば、彼の死去時にはバラク・オバマ追悼文を書いているが、「ロックンロールの経済学を理解することでがどのようにして彼の最も深い関心事の一つ,すなわち変貌する世界において中間層を再構築するということの解決をもたらしうるかについてロックの殿堂で行ったノリに乗ったスピーチ」という、最初読んだときなんじゃそりゃ? となった個所の合点がいった(そのスピーチは見てないが)。

副題を読めば分かるように、この本は「音楽産業が経済や生活について我々に教えてくれること」を扱ったものであり、ミュージシャンやレコード会社の重役や興行関係者など音楽業界の人間に取材して書かれたもので、元々は著者がブルース・スプリングスティーンのファンで、彼のバンド(E Street Band)のドラマーであるマックス・ワインバーグと食事したことが執筆の契機になっているという。

かくしてクインシー・ジョーンズリチャード・セイラーが推薦の言葉を寄せるという稀有な本ができたわけだが、音楽産業の中心がロックではなくヒップホップでなくなって大分経つのに、タイトルに「ロック」を当然のように入れてしまうところに年代を感じてしまうのだが、70年代ロックをもっとも得意とするワタシ的には文句ない。

調べてみると、アラン・クルーガーの本は『テロの経済学』(asin:4492313915)しか邦訳が出ていないのだけど、この本は翻訳されてほしいところである。

Uberの性差別的企業文化を暴いたスーザン・ファウラーの回想録が刊行される(ただし来年3月)

既に TechCrunch で告知されていたが、Uber で受けたセクシャルハラスメントを告発し、シリコンバレーに蔓延するセクハラと差別を明らかにしてシリコンバレーに激震をもたらしたスーザン・ファウラーの回想録が刊行される。

Whistleblower: My Journey to Silicon Valley and Fight for Justice at Uber

Whistleblower: My Journey to Silicon Valley and Fight for Justice at Uber

しかし、その刊行は2020年3月なんだよね……日本のあたふたした出版事情を考えると、うらやましい話とも言えるが。

このブログでも紹介してきた、エレン・パオの『Reset』シリコンバレーの「男性ユートピア」ぶりを暴く『Brotopia』邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2017年版)で紹介したサラ・レイシー(思えば彼女も Uber を敵に回したジャーナリストだ)の本の系列に連なるものである。しかし……これらの本は未だどれも邦訳が出ていない。スーザン・ファウラーのこの本もそうなのだろうか?

なお、スーザン・ファウラーはマイクロサービスのエキスパートでそちらの著書の邦訳が出ているが、昨年テック系の論説委員として New York Times に雇用されている。

プロダクションレディマイクロサービス ―運用に強い本番対応システムの実装と標準化

プロダクションレディマイクロサービス ―運用に強い本番対応システムの実装と標準化

『山形浩生書評集─経済・ビジネス編』が出る、ということはそれに続く「編」も出るということなのか?

TOWER RECORDS ONLINE芽瑠璃堂に「山形浩生書評集─経済・ビジネス編(仮)」なる本の情報があがっている。

版元は ele-king books とのことだが、まだ情報があがってない。ele-king books はよい本を多く出しているところなのでこういうことは書きたくないのだけど、こういうところがダメなところじゃない?

この本の場合、まだ Amazon にはページができていない。しかし、なんで本来なら情報の大本を握っているはずの版元のウェブサイトに新刊情報のページが真っ先にできないのだろう。

さて、それより気になるのは、「経済・ビジネス編」と銘打つということは、山形浩生書評集のそれ以外の「編」が ele-king books から出ると考えてよいということだろうか。今後の新刊情報に期待である。

そうそう、山形浩生というと、来月には上下巻あわせて一万円を超える『ナチス 破壊の経済――1928-1945』の共訳書が出る。いやはや、すごいねぇ。

ナチス 破壊の経済――1928-1945 (上)

ナチス 破壊の経済――1928-1945 (上)

ナチス 破壊の経済――1928-1945 (下)

ナチス 破壊の経済――1928-1945 (下)

積みNetflix披露の会というアイデアはどうだろう?

Yugui さんがツイッターで辛い心情を吐露していた。

これあるよね。「積読」ならぬ「積みNetflix」という言葉がどこまで人口に膾炙しているかは分からないが、Netflix については、以前映画のラインナップが貧弱なことを書いたことがあるが、それでも観てない映画はいくらでもあり、それよりなによりドラマ、ドキュメンタリー、ライブ(音楽、コメディ)など気が付くとどんどん見たい番組が溜まっていくんだよねぇ。

そこで、である。それぞれ Netflix で見たいと思いながら見れていない番組を公表する「積みNetflix披露の会」などあるとよいのではないかと思ったりした。

ワタシの場合、ざっと思いつくだけでも以下のあたりになる。

ドラマ

ライブ(音楽、コメディ)

これは割と新作だけから選んだもので、定番もののドラマを外してこれだけ残っている。大した量じゃないと言われそうだが、ワタシの場合 Netflix は家のテレビで観ると家訓で決められており、またそれができる時間が結構限られているため、これだけ消化するのでもどれだけかかるやら。

しかし、Twitter のタイムラインを見ていると、Netflix でやってるドラマやコメディライブのおすすめが流れてきたりして、これも見たいな! となるのである。何かドラマでもドキュメンタリーでも何かおすすめがあったら、(ブックマーク)コメントなどで教えていただきたい(そうやって「積みNetflix」が増えていく)。

NETFLIX コンテンツ帝国の野望 :GAFAを超える最強IT企業

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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その23

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、今なおこの電子書籍が(わずかながら)新たな読者を獲得しているのを知るのは嬉しいことである。

実は先日、事情があって『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』紙版を旅先に持参して読み直したのだが、やはり分量あるんだなと今さら実感してしまった。すべて自分が書いた文章だから、読み直すのもすぐできると思ったら、そうはいかなかったのだ。

さて、Toshiyasu Oba さんが感想を書いてくださっている。

様々な事件があった後だけに、なおさら切実な話題が多い。現在顕在化している問題の多くが、2010年代前半から半ばにかけて、その姿を現しつつあり、それに関する、根源的な議論も既に行われていたことがよく分かる。むしろ、今こそ読まれるべき時期がきたと言えるだろう(積ん読正当化ともいう)。

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記

電子積ん読の山(?)の中から取り上げ、読んでいただけるだけでワタシとしてはありがたく思う。

他にも、中央集権的プラットフォームによるウェブのクローズド化、アルゴリズムブラックボックス化の危険性、IoTを通じたデータ収集と監視社会などなど、提示される論点どれもが現在の動向と結びついていて、読むべき人が読めばもっと興味深い議論を展開できるのだろうと思いつつ、本書と関係があるようなないような、思いついたことを2点、忘れないうちに書き残しておこうと思う。

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記

この後、「うーん、yomoyomoさんの本とほぼ関係なくなってるな」と書かれているのだが、それでよいのである。ワタシの本が触媒となり、読み手の内にある問題意識(Toshiyasu Oba さんの場合はデジタルアーカイブが果たすべき役割)に対する思索が活発化してくれれば、それで十分ワタシの文章は人の役に立っているのだから。

広告によるマネタイズと、個人の活動から得られるデータの持つ価値の囲い込みという、ウェブを覆う経済システムとその勝者による中央集権化に対して、どのような規制を持ち込むことで自由を確保できるのか、また、より当初のウェブの理想に親和的な経済システムを導入することができるのか、というのは、引き続き考えていかなければならないことなのではないかな、と思ったりした。とりあえず、思っただけだけど。

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記

同じく『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』が(電子)積ん読になっている人も、今からでも読んで感想を書いてくださってもよろしくってよ?

プロのライターの原稿執筆環境、秀丸エディタ、GitHub、そしてHagexさん

発端は安田理央さん(id:rioysd)のツイートだった。

ワタシもまったく安田理央さんと同じように思い込んでいるテキストファイル納品派だったので、「そうだったのかぁー!」と驚いたし、自分が既に老害扱いされている(?)ことに慄いてしまった。

このツイートに対する反応については、安田理央さんが Togetter にまとめているのでそちらを読まれるのがよいが、Google ドキュメントで書き手と編集者が共有するという声もいくつか聞き、そうなのかーと思う次第である。

ワタシが使用しているエディタは20年以上秀丸エディタなのだが、以前は文章書きだけでなく、Visual Studio など IDE が指定される場合を除いてコーディングすら秀丸で押し通していたくらいである(現在は、PythonVisual Studio Code で書いてます)。

さて、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションという本ブログの現在の趣旨に無理やりこじつける形で、この電子書籍の執筆・編集環境について書いておきたい。

元々の WirelessWire News 連載秀丸エディアでリンクや引用など HTML タグを入れたテキストファイルで納品していた。『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のための編集作業も当方はすべて秀丸エディアで行ったのだが、ファイル形式は達人出版会の高橋さんが用意した Markdown 記法のテキストファイルを編集する形となった。

ファイルの管理は、やはり高橋さんが用意した GitHub のプライベートレポジトリ上であり、エンジニアを名乗る人間として信じられない話だが、これがワタシの最初の本格的な GitHub 利用となった。

ところで、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションに関係して、来月以降に告知できる話があるのだが、某氏にその原稿について「ゲラは Word で出します」と言われ、そのときはそうなんだと思っただけだが、今回の話題を辿ってはじめて、そうか Word の校正機能が肝だったのか! と今さら気づいたりした。

いわゆる Office ドキュメントについては、この15年ほど OpenOffice.orgLibreOffice で対応してきたのだが、それは飽くまで閲覧が主で、ややこしい編集作業の機会はほとんどない。問題の校正機能について LibreOffice で問題なく対応できるのか、Office365 を試用したほうがいいのか不安になってきた……。

そういえば、ワタシが愛してやまない秀丸エディタについては、『執筆を効率化したい人のための秀丸エディタ実践入門』という電子書籍が出ているのを少し前に知った。

300円の電子書籍なんてと最初思ったのだが、紙の本にしておよそ500ページの分量らしく、かなり本格的な本のようだ。

久しぶりにこういう本を読んで、ひとかわむけた執筆作業を実現したいところだが、エディタで原稿を納品するライターは老害と言われてしまうと……。

思えば、同じく秀丸エディタ―を愛用していた Hagex さんお亡くなりになってちょうど一年になる(参考:福岡IT講師殺害事件)。

「Hagexを偲ぶ会」には残念ながら参加できなかったが、Hagex さんが生きていたら『執筆を効率化したい人のための秀丸エディタ実践入門』を買って読んでたんじゃないかな。

書籍の題名が長くなりつつあるのは世界的傾向なのか?

これはアメリカでの話だが、本の副題の長さがどんどん長くなっているとのこと。記事ではいろいろと実例が挙げられているが、確かに本の題名自体はシャープなのに、その後にその本の主張を説明するかのごとく長い副題がつくパターンが多い印象がある。具体的にはノンフィクション分野の本ですね。

この記事によると、Amazon は副題を含むタイトルに許容する文字数は199であり、これが歯止めになるみたい。この記事のネタ元である Slashdot も指摘しているが、説明的で長い副題は一種の SEO なのだろう。

日本の出版業界にもこの話が成り立つかは分からないが、ライトノベルでタイトルがとにかく説明的というか長いことは知られており、今年のはじめに「ラノベのタイトルが長くなったのはいつ頃か? タイトル文字数の長さを年別分布にした図表が興味深い」という記事がねとらばに掲載されている。

ラノベ分野ではもはや長いタイトルにもはや新鮮味は残っていないが、ジャンルが変わればまだ異化作用が期待できるのかもしれない。

ワタシの念頭にあるのは『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』なのだけど、この長い書名を意識した仲俣暁生さんによる取材記事「無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話」も面白かったね。

ウィリアム・バロウズとロックアイコンたちの邂逅をテーマとする本が出ていた

ウィリアム・バロウズというと没後20年以上になるが、ロック界の偉人たちの関わりに焦点を当てた本が出たそうな。

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll (English Edition)

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll (English Edition)

確かに60年代以降はバロウズ自身一種のアイコン、サブカルチャーの重要人物だったわけで、アングラ、メジャー問わず、ロック界とも親交がいろいろあった。

具体的には、表紙にバロウズとともに写っているデヴィッド・ボウイの『ダイアモンド・ドッグス』に影響を与えた話は知られているし、それこそ60年代のビートルズボブ・ディランルー・リード、70年代のイギー・ポップパティ・スミスといったところから、90年代のカート・コベイン、レディオヘッドあたりまで交友関係の名前が挙がる。そういえばこのブログでも以前、1975年のウィリアム・バロウズとジミー・ペイジの2ショット写真を取り上げたっけ。

Boing Boing で引用されているところを読むと、ディランと会ったバロウズが、ディランの才気に非常に感銘を受け、「たとえ彼の専門が数学とか私がまったく門外漢のことだったとしても、同じように才気を感じただろう」と述べたとのこと。

そういえばバロウズは、70年代にディランのローリング・サンダー・レヴューへの参加を打診されたが断ったそうで、結果ツアーにはアレン・ギンズバーグが参加しているが、マーティン・スコセッシが監督したローリング・サンダー・レヴューについてのドキュメンタリー映画Netflix で公開されているので観ないといかんな。

この本、邦訳出るといいのだが。

クリストファー・ノーランがお薦めする映画30本

2020年公開予定の新作についての情報もぼちぼちニュースになっているクリストファー・ノーランだが、その彼が映画ファンにお薦めする映画30本のリストが記事になっている。

似たようなリストを以前どこかで見たような覚えもあるが、なにせクリストファー・ノーランといえば当代最高の映像作家の一人だから気になるところ。個々の映画に具体的にどのように推薦の言葉を述べているかは原文をあたってくだされ。

たまたまリストの上に有名作が並んでいたので、観たことある映画ばかりかなと思いきや、ワタシの場合観ていたのは30作の半分に満たなかった。お恥ずかしい限りである。

リドリー・スコットスティーヴン・スピルバーグデヴィッド・リーンフリッツ・ラングテレンス・マリックの映画が複数チョイスされており、日本映画では『戦メリ』だけですな。しかし、アルフレッド・ヒッチコックオーソン・ウェルズはそれを選ぶかと思ってしまう(特に後者は、ウェルズの映画で唯一日本でディスク化されていない作品)。

このリストを見ると、『ダンケルク』をはじめとして、ノーランが映画を作る際にどういう作品を参考にしたのか分かる気がしますね。

ネタ元は kottke.org

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