当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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ポール・グレアムの「Googleのはじめ方」を訳したので読んでください

Technical Knockout「Googleのはじめ方」を追加。Paul Graham の文章の日本語訳です。

ちょっと久しぶりに翻訳をやりたい気分になり、どれを訳したものかと迷ったが、久しぶりにポール・グレアムの文章を訳すことにした。先日、Google について文章を書いたので、タイトルに Google が入るものを選んだ。一応検索はかけてみたが、既に他の人が訳していたらごめんなさい。

しかし、ポール・グレアムの文章って結構長いんだよな。誤記誤訳があったら、コメントなりメールなりで教えてください。正直、注釈1の文章の訳はちゃんと意味をとれているか自信がない。

ポール・グレアムの文章を訳すのは、2015年はじめの「労働みたいに思えないものは何か?」以来になるので、ほとんど10年ぶりなんだな!

そうそう、ポール・グレアムといえば、『ハッカーと画家』が出て20年近くになるんだよな。20年かー。

イーロン・マスクによる買収後のTwitter激動の日々を日本側から見た本が出る

これまで、イーロン・マスク買収後の Twitter を取材した米国のノンフィクション本を3冊紹介してきた。いずれそれらの翻訳が出るだろうが、Twitter Japan 株式会社の代表取締役だった笹本裕氏による『イーロン・ショック 元Twitterジャパン社長が見た「破壊と創造」の215日』が8月に出るのを知る。

確かに Twitter Japan だって大混乱だったことは想像に難くないわけで、そのトップだった笹本裕氏の証言は貴重だろう。

個人的に笹本裕氏というと、「ツイッター社長に30の質問」が25回で終わってしまったようなのがずっと気になっていたのだが、今更そんなのを蒸し返すのはワタシくらいか。

それはともかく笹本裕氏は、今年2月に DAZN Japan 最高経営責任者兼アジア事業開発に就任してたのね。

優れた技術専門職になるための本格的なガイド本『スタッフエンジニアの道』が気になるぞ

arton さんの以下の投稿に心を掴まれた。

これは気になるではないか。

オライリー・ジャパン新刊・近刊情報のページにはまだ記載がないが、『スタッフエンジニアの道 ―優れた技術専門職になるためのガイド』が8月に出るとな。

キャリアアップを目指すシニアソフトウェアエンジニアには、2つの異なる道があります。一つは、管理職への道。マネジメントスキルを磨き、チームや組織を導く道です。この道については、多くの研究がなされ、スキルを向上させるための書籍も数多く存在します。もう一つは、技術専門職の道。エンジニアリングのスキルを極め、専門性を深めていく道です。近年、技術専門職のキャリアパスを用意する企業は増えてきているものの、まだ明確な指針が確立されているとは言えません。
本書は、技術専門職としてのキャリア成長に必要な考え方やスキルを詳細に解説します。上級技術専門職に求められる役割、大局的な視点を持って自らの仕事に取り組む方法、大規模プロジェクトを成功に導く手法、自身の専門性を深めながらチームメンバーの成長を支援する方法を学びます。
技術専門職としてのキャリアを目指すエンジニア必携の一冊です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814400861

この紹介文を読んでいるだけで期待が高まるわけだが、一足先にレビューを行った arton さんも「読んで納得しまくり」とのことで、これは売れるのではないか。

発酵文化をテーマにした世界旅行をまとめた『サンダー・キャッツの発酵の旅』が今月出る

makezine.jp

オライリーの本をもう一冊紹介。

ワタシも「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で取り上げた、発酵食品研究といえばこの人といえるサンダー・キャッツが、発酵カルチャーをテーマにした世界旅行をまとめた本が、『サンダー・キャッツの発酵の旅』として邦訳が今月出る。

実は「邦訳の刊行が期待される洋書」エントリを書いたときに、オライリー・ジャパンの田村さんから、邦訳を出したいという話を伺っていた。原書刊行から二年半のときを経てそれが実現したわけだが、「本文オールカラー」という気合の入った本を作るのは大変だったろう。

日本におけるメイカームーブメントの裾野を広げるのに、オライリー・ジャパンの翻訳書が大きな役割を担っているのは間違いないのだけど、特に「食」をテーマにした本を地道に出し続けているのは本当に偉い。

これは昨年、「Maker Faire Tokyo 2023に行ってきた」でも書いたことだが、この「食(料理)」は簡単に Maker Faire Tokyo で扱うことができないので、分かりやすく「回収」できないうらみがある。だから尚更、偉いと思うわけです。

サンダー・キャッツの『発酵の技法』『メタファーとしての発酵』、そして他にも『Cooking for Geeks』『家庭の低温調理』といったメイカームーブメントの「食(料理)」部門を担ってきた水原文さんが今回も翻訳を担当しており、その点でも安心感がある。

ボブ・マーリー:ONE LOVE

先月の公開時に行きそびれ、もう無理だなと諦めていたのだが、近場のシネコンでレイトショーをやってたおかげで観れた。

本作の Rotten Tomatoes を見ると、批評家の評価がはっきり低いのに対し、観客の満足度はかなり高い。この構図は『ボヘミアン・ラプソディ』を思い出すところがあり、こういう場合はだいたい一般の観客の感性のほうが正しいものである。

というわけで、本作を観て思ったのは……映画はともかく、ボブ・マーリーの音楽は偉大だなということだったりする(笑)。

ボブ・マーリー役のキングズリー・ベン=アディルも、リタ役のラシャーナ・リンチもよく演じていたし、ラスタファリの象徴としてのボブ・マーリーの描写については、ワタシにそのあたりの基礎知識がないので理解できないところもあって申し訳ないと思ってしまったが、彼とその周りのトライブ性の描き方が面白かったな。

本作は冒頭にプロデューサーを務めるジギー・マーリーからのメッセージが流れるが、彼女の母親であるリタ・マーリーもプロデューサーに名前を連ねており、正妻と長男に配慮したストーリーになっている。しかし、正妻にとって不愉快なこともちゃんと描かれている……のだが、それを理解するには注意を要する。なんでロンドンの電話ボックスからリタに電話をかけるボブ・マーリーの後ろで恨めし気に立っている女性は誰なのか、まったく説明がないし、他の女性も映像だけで短くしか描かれないので、そのあたり分かる人しか分からないところがある。

本作は、ジャマイカで無料コンサートを開催しようとするも銃撃事件を受け、その後アルバム『Exodus』の制作から欧州ツアー、そして帰国して凱旋コンサートを開催するまでの一年半弱くらいの期間を描いたもので、それ以外にも彼の人生にはもっとドラマになるところはいくらでもあるはずだが、彼のオリジナルアルバムでもっとも好きなアルバムが『Exodus』で(ライブ盤も含めれば、『Live!』がやはり一番かな)、もっとも好きな曲が "Redemption Song" であるワタシ的には文句はない。

ただ『ボヘミアン・ラプソディ』ではないけど、最後のコンサートでの演奏場面が1曲くらいしっかりあれば、なおよかったのではないか。

WirelessWire News連載更新(Googleからウェブサイトへのトラフィックがゼロになる日)

WirelessWire Newsで「Googleからウェブサイトへのトラフィックがゼロになる日」を公開。

また長いよと言われそうだし、今回も例によって数回分の内容をぶちこんでいるが、ここ数回に比べると確実に短くおさめております!

元々別のテーマを考えていたのだが、この文章にも書くように5月に入ってから「WEIRDでいこう! もしくは、我々は生成的で開かれたウェブを取り戻せるか」につながる文章をいくつか見かけ、その流れに従うことになった。

webdirections.org

それらの文章は、だいたい↑からたどることができる。本当はここで知った文章をもう少し紹介したかったのだが、それをやっているとまたとんでもない長さになってしまうため諦めた。

ただ、元々今月書くつもりだったテーマで言及しようと思っていた文章も↑に含まれるので、そうした意味でつながっているんですね。まぁ、来月になってみたら、また違ったテーマを書きたくなるかもしれないが。

この文章で最後あたりに紹介しているニレイ・パテルがサンダー・ピチャイに迫る、「インターネットに作品を公開すると、大企業がやってきて、それをタダでかっさらい、月の20ドル取る製品を作ることで、我々に価値がほとんど還元されることなく「収奪」された気持ちになる」話、前にもちょっと似た感じの話を読んだなと記憶を辿ったら、小関悠さんだった。

だけど私はもう少し現実主義者なので、そのうち人類みんなが今のイラストレーターの気持ちを理解するようになると思っている。人間の仕事を好きなようにパクられて、でもパクリ返すことは許されないという未来である。そうやって賢くなったAIに課金をして、AIの知能の一部を使わせていただくのである。なかなかの未来ではないか。

パクリの独占 - by yu koseki - たよりない話

ジェームズ・ブライドル『Ways of Being 人間以外の知性』が今月、じゃなく来月出る

一ノ瀬翔太氏の投稿で、ジェームズ・ブライドルの『ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察』asin:4757143559)に続く、Ways of Being の邦訳が出るのを知る。

で、愕然となったのだが、ワタシはこれの原書を2022年の刊行時にこのブログで取り上げた気になっていて、うっかり忘れていたようだ(とほほ……)。

ともかく、原書はブライアン・イーノ先生も推しており、「AIと認知科学を学んだアーティスト/ジャーナリストが示す自然・テクノロジー・人類の新たな生態学(エコロジー)」についての面白そうな本というんだから、これは実に今どきである。

邦訳が出るのはありがたいことだ……えっ、刊行延期? と思ったら、7月1日発売とな。

はっきりしてよかった。

アンソニー・ファウチ元米大統領首席医療顧問の回顧録が今月出る

www.nytimes.com

この記事で知ったが、2022年末に米大統領首席医療顧問を退任したアンソニー・ファウチの回顧録 On Call が今月刊行されるのを知る。

アンソニー・ファウチと言えば、米国の七代にわたる政権下で大統領に医療分野の助言をした感染症に関する第一人者だが、日本でもその名前が人口に膾炙したのは、なんといっても米国において新型コロナウイルス対策を指揮した人物としてである。

彼は、今年に受けたインタビューで以下のように語っている。

 「コロナの発生前、米国は感染症への備えが最も進んだ国だと評価されていた。しかし、実際は『世界一』ではなく『世界最悪』だった。国内の公衆衛生の基盤は弱く、連邦政府と50の州では次々と更新されるウイルスの情報などを即時に共有する仕組みが欠けていた。医療格差も大きく、必要な診療を受けられない社会的弱者の犠牲が多かった」

 「政治的な分裂が大きく影響した。(政府の干渉を嫌う)共和党が優勢な州ではワクチンの接種率が非常に低く、マスクの着用も推奨されなかった。共和党支持者の死亡率や入院率は民主党支持者よりも明らかに高かった。公衆衛生上の危機では、国として統一した対応が大切だが、分裂した米国ではできなかった」

次のパンデミック 必ず起きる…アンソニー・ファウチ氏インタビュー : 読売新聞

その彼の回顧録は、新型コロナウイルスへの対策を振り返る上で絶対欠かせないものだろう。

マイケル・ルイスの『最悪の予感: パンデミックとの戦い』(asin:4150505985)にファウチ博士が非常に影が薄く登場するのを読んでしまうと、ファウチさん、もうちょっとなんとかならなかったの? と言いたくなるのだけど、彼は飽くまで科学者であって政治家ではない。彼の功績はもちろん大きいのだけど、限界があるのは当然のことだ。

Amazon で彼の名前を検索すると、ロバート・F・ケネディ・ジュニアが書いた陰謀論本(リンクはしません)がトップに出る不健康な状態なので、早くこの本の邦訳が出てほしいところ。

ポール・ウェラーのとてもいい話、そして1990年のプリンス担当ディレクター日記

www.udiscovermusic.jp

先ごろ充実した新譜『66』が出たポール・ウェラーについて、彼が1990年代のはじめにソロとして再起を図った頃に担当 A&R を務めた佐藤淳氏が語るインタビューだが、これが実にイイ。

実は、ワタシは佐藤淳氏の文章には30年以上前から親しんでいたのだが、ポール・ウェラーの担当 A&R マンとしてではなかった。それについては後述する。

契約に携わってくれた英国の弁護士から聞いたんですけど、ロンドンのA&Rたちからは“あいつはもう終わった”と思われていたみたいです。90年代に入って、イギリスでは新しい音楽ムーヴメントがどんどん出てきていたタイミングで、80年代の存在だと見放されていたんでしょうかね。

ソロキャリアを救った日本人A&Rが語るポール・ウェラー

これは大げさな話ではない。90年代中盤以降の堂々たるキャリアしか知らないと信じられない話だが、スタイル・カウンシルが見事に失速して解散した後、ポール・ウェラーは半ば終わった人扱いだった。この当時、小さな会場をまわる再起のツアーを川崎和哉氏が取材した記事(rockin' on 1991年2月号掲載)も、「この人は終わったと思っていた」みたいな文章で始まったのを生々しく覚えている(このライブ評もよい文章なので、今回取り上げたかったのだが、残念ながら保存してなかった)。

ポールも自分もお互いにシャイで、ポニーキャニオンの会議室で人見知りの中年男ふたりが黙って向き合って座っているみたいな関係で、世間話とかはしなかったですね。僕らがあなたのためにできることはこうですと伝えて、あなたのことを信じているっていう話をしたことはおぼえています。

「我々は同い年だ、あなたは3回目の勝負に出ようとしている、自分もレコード会社を変わって勝負している、この国でふたりで勝負しようよ」というようなことを話して、信頼されているかはよくわからなかったですけど、少しずつ関係がマシになっていったような気がしました。

ソロキャリアを救った日本人A&Rが語るポール・ウェラー

ここ、佐藤淳氏の誠実な人柄と音楽への愛が伝わり、すごくイイよね。日本が率先して契約したポール・ウェラーは、その後キャリアを立て直すのである。

── 2018年に行われたEX THEATER ROPPONGIのステージ上で、ポール・ウェラーは佐藤さんに向けて感謝を伝えました。その場にいましたが、やはり誰も見向きもしなかった時代に手を差し伸べられて、再出発したことは感慨深かったんでしょうね。

ステージであんなこと言ってもらったんだから、こっちは当然アフターショウに会いにいくじゃないですか。でも挨拶に行ったら、もぬけの殻だったんですよ。そういう素っ気なさは出会った頃と変わっていない(笑)。

ソロキャリアを救った日本人A&Rが語るポール・ウェラー

ここなんか最高である。ステージで極東のレコード会社の A&R マンに対する感謝を伝える。しかし、彼と楽屋で旧交を温めるなんてことをしないダンディズムもまたウェラーらしい。

そして、この記事で一番泣かせるのは、ファンミーティングでの一コマ。

その中で、モッズスーツでばっちりきめた男の子がポール・ウェラーに「I want to be you」と一生懸命言ったら、「俺なんかになるな、お前はお前自身になれ」とポールが答えた。「来た! これだ」って、震えましたね。オリコン1位になった背景は、こういうことなんだなって。まさに生き様を目にした瞬間でした。一生忘れられない光景です。

ソロキャリアを救った日本人A&Rが語るポール・ウェラー

「お前はお前自身になれ」、これ言われた若者の座右の銘になったのではないか。

さて、ワタシは上で「佐藤淳氏の文章には今から30年以上前に親しんでいた」と書いた。それを紹介しましょう。雑誌 rockin' on の1991年3月号に掲載された佐藤淳氏の「ありがとうプリンス、さようならプリンス 最後のプリンス担当ディレクター日記」である。

これは1990年のプリンス来日公演時に、ワーナーのプリンス担当者として佐藤氏が見た地獄を振り返るものである。この時点で退社(とポニーキャニオンへの移籍)が決まっていた佐藤氏にとって、レコード会社担当者として関わる最後の仕事になる。

地獄はプリンスが来日する前から始まる。東京ドームでの来日公演初日になっても、なんとプリンス殿下が日本に到着していないのだ。調べてみると、当日の16時半に成田に着くが、普通に移動していたら、開演19時にまず間に合わない!

佐藤氏をはじめ関係者が対応を協議し、ヘリコプターを用意する(まだバブルだったんですな)。殿下がヘリに乗ってくれるか読めないので、いろんな移動パターンを想定するが、ふたを開けたら「結局、高速道路の路肩を一四〇キロで走って、プリンスは成田から直接車で入った」とのこと(おいおい!)。

その後、甲子園球場でのライブ中に佐藤氏は側近に呼ばれる。「明日朝からレコーディングしたがってるんだ。スタジオとエンジニアの手配頼むわ」とのこと。佐藤氏は公衆電話に飛びつき、東京に電話をかけまくるが、関西からなのでテレホンカードがピュンピュン死んでいく(この描写に時代を感じる)。

年末の忙しい時期に死ぬ思いでなんとかスタジオを押さえ、ステージ器材は次の公演地の札幌に送られたので楽器も必死で調達し、日本で五指に入るエンジニアにスタンバイしてもらう。そのエンジニア氏をスタジオに送り込むも、結局空調の温度をいじらされただけで出てきて、佐藤氏は「割腹というのは、こういうときするのだろう」と書いている(笑)。

東京でレコーディングされた音源は、この後1991年に出た『Diamonds and Pearls』あたりに収録されたのかな?

四都市五公演、そして五日間のレコーディングを終えて、プリンスは帰国の日を迎える。佐藤氏はホテルでお見送りをする。

ペントハウス階の廊下で待つ。大きな窓から光の束が差し込む。素晴らしい日。奥で扉の開く音がし、彼等のささやく声が近付いて来る。私にとって最後のプリンス見送りだ。上機嫌のプリンスが側近に囲まれて通過する。(最後だ)
 不思議なことに自分の口から声が飛び出た。
「カムバック・スーン」
 プリンスは一瞬目を向けると、「オーライト」答えた。私が声をかけプリンスが答えた。豊かな光がペントハウスを包み、私たちが交わした言葉を永遠に封印した。廊下の彼方、光の束の向こうへ、プリンスは消えた。
 有難う、プリンス。さようなら、プリンス。

(引用文中の『「オーライト」答えた』は、『「オーライ」と答えた』の誤植ではないかな)

これプリンスのことを知らないと分からない話だろうが、マスコミ関係者はもちろん、レコード会社の人間といえども、プリンスに気安く話しかけるのはご法度だったんですね。この時既にワーナー退社が決まっていた佐藤氏は、最後の最後にプリンスと言葉を交わせたのだ。

後に佐藤氏は、歴代のプリンス担当者の対談に登場し、このときのことを、俺はプリンスとコール&レスポンスをやった男だと自慢してた覚えがある(笑)。

66 (SHM-CD)

66 (SHM-CD)

Amazon

チャレンジャーズ

ルカ・グァダニーノの映画を観るのは、実はこれが初めて。本作の脚本のジャスティン・クリツケスは、『パスト ライブス/再会』のセリーン・ソン監督の夫であり、つまり、彼らは夫婦でそれぞれに三角関係の映画を作り、それぞれ大成功させたことになる。

本作は、ゼンデイヤ演じるタシ・ダンカンと出会った二人のテニス選手の13年間を、その二人が相まみえるニューロシェルでの小規模な大会の決勝戦、そして過去を行き来しながら描く映画だ。男二人のうち、パトリック役に見覚えがあると思ったら、Netflix の『ザ・クラウン』でチャールズ皇太子役を演じたジョシュ・オコナーだった。

ゼンデイヤの左右に男二人が座り、3P にいたる予告編を見ており、ポップなラブコメだろうと予想してたのだが、いやいや、男女の間の理不尽さをそれこそトリュフォー映画のごとく濃厚に描いている。もっとも、男二人の裸と距離の近さがフィーチャーされ、気がつくと男二人が夢中でキスをしているところがルカ・グァダニーノなのだろうが。

さて、少し前に映画にセックスシーンが登場する割合が年々減少しているという調査結果が話題になった。ワタシは基本的にこれを悪いことだと思っていない。というか、昔は安易だったり不必要なセックスシーンが多すぎたのだ。

しかし、当たり前だが人間の世界からセックスがなくなったわけではない。安易でなく映画をドライブさせるセックスをどう描くか、本作は一つの答えを出しているように思う。

本作のヒロインであるゼンデイヤは製作者にも名前を連ねており、これは彼女の主体的な選択である。文句なしにセクシーでありながら、傲慢さと腹黒さを隠さない主人公を演じているのは見事だ。

トレント・レズナーアッティカス・ロスのコンビによる音楽が、本作の高揚の基調音になっている。こんな音楽も作れるんだな。

それにしても本作のラストは、そんな感じで終わるのか!! とゼンデイヤでなくても叫びたくなったぞ(笑)。

文筆家の皆さん、以下の項目をいくつ満たしていますか?

以前、文筆家関係者が多いと思しき某所でちょっと尋ねたことがあり、そのとき挙げた項目に更に追加して、ちょうど20個の項目を用意したので、ここにも投げさせていただきたい。

今どきな文筆家の皆さん、以下の20の項目のうち、いくつを満たしていますか?

  1. 共著がある
  2. 単著がある
  3. 編著がある
  4. 訳書がある
  5. 著書/訳書が他人の著書で参考文献に挙げられた
  6. 著書/訳書が文庫化された
  7. 著書/訳書が増刷/重版した
  8. 著書/訳書がテレビ番組化された
  9. 著書/訳書がコミック化された
  10. 著書/訳書が映画化された
  11. 著書/訳書が国内の賞を受賞した
  12. 著書が海外で翻訳された
  13. 著書が海外の賞を受賞した
  14. ウェブメディアで連載したことがある
  15. 雑誌で連載したことがある
  16. 新聞で連載したことがある
  17. 本の帯コメントを書いたことがある
  18. 自分の著書/訳書以外で序文/まえがきを書いたことがある
  19. 自分の著書/訳書以外で解説を書いたことがある
  20. 文学フリマで自分が執筆した本を売ったことがある

面倒なので、ここでは著書/訳書に、紙の本か電子書籍といった条件はつけないことにする。

念のために書いておくが、当たり前だが別に満たした項目数が多いから偉いといった話ではない(ので、そういうので噛みつくのはご遠慮いただきたい)。そもそもこの20を全部満たす人はまずいないはずなので。

あと、最後に唐突に文学フリマが出てくるのは、たまたま項目を考えたのが、文学フリマ東京38に関するポッドキャストを聞きながらだったためで、それ以上の意味は特にない。

ワタシの場合、満たしているのは以下の項目になる。

単著がある

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』は、電子書籍だけでなく紙の本も作っていただいた。

そうそう、ワタシは本の執筆者として参加したことはいくつかあるが、いずれも著者にクレジットされていないので、「共著」はないことになる。

訳書がある

思えば、『デジタル音楽の行方』も来年には20周年になる。もはや現役の翻訳者とは言えないね。

著書/訳書が他人の著書で参考文献に挙げられた

直近の例は、矢吹太朗『Webのしくみ Webをいかすための12の道具』になる。

ここから10個くらい該当なしが続く。「増刷/重版」(にともなう不労所得)の経験がないのは、ワタシのもっとも大きな心残りかもしれない。

ウェブメディアで連載したことがある

今は WirelessWire News で連載している。

雑誌で連載したことがある

技術評論社Software Design の2005年8月号~2006年7月号に連載された「Wikiつまみぐい」において、毎月600字程度の小コラム「yomoyomoWikiばなし」を担当。連載内連載?

自分の著書/訳書以外で序文/まえがきを書いたことがある

『ケヴィン・ケリー著作選集 1』に序文を寄せている。

自分の著書/訳書以外で解説を書いたことがある

河口俊彦『大山康晴の晩節』に書いている(解説全文)。

というわけでワタシが満たしているのは、2、4、5、14、15、17、18、19の8個になる。場末の雑文書きとしては意外に多かった。

AIは企業のCEOにとってかわるのか

www.nytimes.com

「AI があなたの仕事をこなせるなら、あなたのとこの CEO も AI に置き換えられるかもね」という記事タイトルだが、人工知能プログラムがオフィスを揺るがし、何百万もの仕事を陳腐化する可能性があるが、それをいうなら、ニュースリリースのライターやカスタマサービス担当だけでなく、企業の CEO(最高経営責任者)だって AI に置き換えられるかもよ、という話である。

これは単なる予測ではない。AI 指導者という概念を公に実験し始めて成功している企業が少数存在する。

ホントかよ。オンライン学習プラットフォームの edX は昨年の夏に数百人もの CEO や経営幹部を対象に調査を行ったところ、調査対象の経営幹部の半数近く(47%)が CEO の役割の「ほとんど」あるいは「すべて」が完全に自動化、あるいは AI に置き換え可能なはずと回答したという。

edX の創始者のアナン・アガワルは、「最初、『従業員全員置き換わる。でも、私の仕事は違う』と直感的に思ったけど、よくよく考えると CEO の仕事の80%は AI に置き換え可能だった」と語っている。AI により、誰でも CEO になれると彼は言う。

ワタシが思い出したのは、小関悠さんの短編「ロボット上司問題」なのだが(これ9年前の作品か!)、「ロボット上司(robot-boss)」という言葉が最初に使われたのは、1939年にパルプ雑誌に書かれた短編小説らしい。その後、人間と機械の関係を描いた作品が多く作られたわけだが、アリババのジャック・マーは、現在の AI ブーム前の2017年に、30年後には「ロボットが最高の CEO として TIME 誌の表紙を飾るだろう」と予言している

最先端 AI は、30年後といわずそれを実現するのだろうか?

この記事ではいくつか実例が紹介されているが、詳しくは原文をあたってくださいな(さすがに日本の事例には触れられていない)。これまで AI が仕事を奪う話は、主に平社員というか専門性が低い側からどこまでいくかだった。しかし、企業の頂点である CEO まで置き換えの可能性が論じられるとはね。

この記事でも、「今や立場は逆転している。研究者は、経営幹部レベルの自動化が、下級労働者を助ける可能性さえあると推測している」という記述があったりするが、驚きよね。

「社交的な人間の上司を好む人もいます。しかし、コロナ禍の後では、多くの人は上司なしでも平気になってます」というエセックス大学のフィービー・V・ムーア教授の言葉で記事は締められている。

ネタ元は Slashdot

肥満率を低く抑える日本の食文化についてのヨハン・ハリの取材記事(がなんだかなー)

time.com

「オゼンピックが必要ない国」というタイトルになんじゃそりゃと思ったが、オゼンピックとは2型糖尿病の治療薬で、この記事は2023年3月に日本の医療当局が肥満症の治療薬ウゴービを認可した話から始まる。これはオゼンピックやウゴービを製造するノボ・ノルディスク社にとって、一見素晴らしいニュースに思えるが、実はあまり意味がないと書く。なぜか?

アメリカ人の42%が肥満であるのに対し、日本人の肥満率は4.5%に過ぎないからだ。つまり、「オゼンピックが必要ない国」というタイトルは日本を指してるんですね。

この記事の著者のヨハン・ハリは、『麻薬と人間 100年の物語』(asin:4861827922)、そして今年邦訳が出た『うつ病 隠された真実: 逃れるための本当の方法』(asin:4861828430)で知られる書き手だが、その彼自身数か月前からオゼンピックを服用しており、そして彼の先月出た新刊 Magic Pill のために取材を重ねた結果、オゼンピックが引き起こすという説がある鬱や自殺願望などの副作用の話に気に病んだという。

彼は日本に赴き、なんで日本人の肥満率が低いのかを探った。日本人は遺伝子的に運が良いのだろうというのが最初の見立てだったが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて日本からハワイに移住した日系ハワイアンは遺伝子的に日本人と近いはずだが、移住から100年以上経ち、日系ハワイアンの肥満率は日本人の4倍である。

そして、彼はその秘密を日本の食文化に見出す……って、あのさ、日本食の欧米で受容されるイメージを知らなかったわけじゃないだろ、そんなの日本に来る前からあらかた予想できたことじゃないか? とワタシなど思ってしまうのだが、「三角食べ」や「腹八分目」を紹介した後でヨハン・ハリはこう書いている。

私は旅行中、このような日本食だけを食べたが、三日目には希望と恥辱が奇妙に入り混じった経験をするようになった。自分がより健康で体重が軽くなったと感じたが、こうも思った――日本人は、何千年もかけて食べ物との、我々にはとうてい輸入できない、まったく異なる関係を築いてきたのだ、と。

何を大げさな……と思ったが、「日本の食文化のほとんどが、実はごく最近に発明されたものだと知って私は驚いた」という文章が続いてどっちらけである。おいおい!

その後も日本の食文化の取材が続くのだが、小学校で10歳の女の子が「ブロッコリーなど緑黄色野菜が好き」と言ったのを聞き、通訳に「これジョークだよね? オレ、かつがれてんのかな?」と思わず口走り、10歳のガキがブロッコリー好きってありえんだろと困惑する。が、その話をされた日本人のほとんどはその彼を見て困惑するのである。そりゃそうだろ。

そして、「メタボ法」を紹介した後に、年に一度の会社でやる健康診断の前に、体重の増加を気にして食べ過ぎてたジャンクフードを断ち、電車や車でなくなるだけ歩くようにしているといった話を何人もの日本人から聞かされ、「アメリカやイギリスでこんなことしたら、人々は激怒してオフィスを焼き払うだろう」と著者は言うのだが、それを聞いた日本人はやはり困惑するばかり。

従業員の体重がどうだろうと、雇用主には関係のないことだし、そんなのとんでもないプライバシーの侵害じゃないかと私は言った。それを聞いたほとんどの日本人は丁寧にうなずき、何も言わず、それでいて、こいつ少しおかしいんじゃないかという目を私を見るのだった。

そりゃそうだ。ワタシ自身日本の基準(BMI が25以上)でいえば立派な肥満で、その定期健康診断を控えているので、この記事で書かれる日本の会社員のようなことをまさに思っているところだったりする。欧米企業では従業員の定期健康診断ってないの?

日本では肥満の基準は、上記の通り BMI が25以上では、WHO 的には BMI が30以上が肥満になる。アメリカの42%はそちらでの数字なんだろうが、さすがにデブのワタシですら、BMI 値30超えの経験はない。

その後も著者の日本人の(健康)寿命が長い理由を肥満率の低さに求める取材の話が続き、肥満の危機がいかに人為的なもの、我々の生き方が作り出したものかということを痛感し、我々と日本人の間に埋めようのない溝があるように思えた、と書く。

なんだかなー、というのが正直な記事の読後の感想である。彼の日本の取材旅行は、その新刊の内容にも反映されているのだろうか。

ネタ元は Boing Boing

現代の奇書、友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』がハヤカワ文庫から来月出る

yamdas.hatenablog.com

ガブリエル・ガルシア=マルケス百年の孤独』の文庫化について少し前に書いたが、遂に今月刊行される。

それを踏まえ、満を持して……かどうかは分からないが、以前から一部で話題になっていた『『百年の孤独』を代わりに読む』がハヤカワ文庫から出るのを、著者の友田とん氏の投稿で知る。

マジか!

マジだった!

この奇書『『百年の孤独』を代わりに読む』だが、note での連載を基にした本で、その始まりは2014年の8月になるので、なんと10年越し(!)の文庫化ということになる。

こういう本が商業ルートに乗ることはすごいことだと思う。

それにしても、本家の文庫化に合わせた(?)本書の文庫版刊行を考えた早川書房の編集者は傑物としかいいようがない。あるいは(以下略)。

マッドマックス:フュリオサ

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が2015年公開だから、その9年後に作られた前日譚である。もちろん公開初日に観に行ったが、近場の IMAX シアターでレイトショー鑑賞となると、終映時間が日付過ぎた24時半くらいになってしまうので、別のシネコンに出向き、字幕版を鑑賞した。

マッドマックス 怒りのデス・ロード』でシャーリーズ・セロンが演じたフュリオサ大隊長の若き日を描く本作において、アニャ・テイラー=ジョイが主役と聞いて、目力がある彼女がピッタリだと即座に納得した。意外に子役時代の場面が長かったけど、彼女は予想通りに期待を満たしている。

本作は、フュリオサ、イモータン・ジョーに加えてディメンタスが新たな敵役としてクマちゃんのぬいぐるみとともに登場するが、クリス・ヘムズワースが好演している。

『怒りのデス・ロード』はノンストップアクションというか、行って帰って来ての爆走だけで二時間駆け抜ける映画だったが、本作はフュリオサの少女時代から、イモータン・ジョーの元から妻たちを逃亡させるまでを描いた全5章、二時間半の映画になっている。

『怒りのデス・ロード』があまりにも凄い傑作だったため、突然変異的にとらえられたところがあるが、ジョージ・ミラーはそれこそ40年以上前から狂ったアクションを撮っていた人なのだ。本作における、とんでもない角度を車がのぼっていくところなど目まいを覚えた。

今回も激しいカーチェイスが売りで、『怒りのデス・ロード』とはまた違ったアクションが見れるし、後半は『怒りのデス・ロード』だけでなく、『マッドマックス』シリーズの旧作に重ね合わせることもできる。

ただ正直に書かなければならないが、本作は間違いなく素晴らしい映画だが、『怒りのデス・ロード』ほどは良くない。これに関してはコリイ・ドクトロウと同意見で、ある意味構造的なところがある。あと、本作は登場する各地点同士の政治状況についての描写が必ずしも成功しておらず、それが作品としての集中感を少し下げている。

繰り返すが本作は素晴らしい映画である。『怒りのデス・ロード』の爆走感が特別過ぎたのだ。

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