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ベテランブロガーのドク・サールズが、「このブログは私のものだ」という宣言からブログエントリを始めている。
たとえ Wordpress サービス上にホストされているとしても、どこぞのプラットフォーム上にはなく、そうする必要もない。自分のサイト上でブログを公開し、RSS を配信することで、広く開かれ相互運用性に富んだパブリッシングエコシステムに身を置いている。
「ブログがエコシステムなのは、それが自然界の生態系と同様にオープンだからだ。大手ホテルのアトリウムに置かれた観葉植物ではない」とサールズは断じる。
重要なのは、「エコシステム」という言葉は、参加を歓迎する開かれたシステムにのみ適用すべきであり、特定のプラットフォームやサイロ内でしか機能しないものには別の言葉が必要だ、とサールズが考えていること。インターネット、ウェブ、ブロゴスフィア(久しぶりに見る言葉だ……)は元来開かれたシステムなので「エコシステム」だが、ビッグテックの閉鎖的で垂直統合された世界は別物というわけ。
ここで「特定のプラットフォーム」としてサールズの念頭にあるのは、ニュースレター大手の Substack だ。Substack から Ghost などに移行は可能らしく、もしそうならブロゴスフィアと呼べるだろうが、多くの点で Substack は閉鎖的に見えるとサールズは書く。
なので、「Substack はソーシャルメディアアプリである」という話を聞いたときのサールズの反応は、「は?」と「うげっ!」が入り混じったものだった。Substack はニュースレター事業を持つブログホスティングサービスだと思っていたが、Substack 自身が「ソーシャルメディアアプリ」を目指すというなら、それは大きな格下げだとサールズは嘆く。
なぜなら、我々の知るソーシャルメディアはすべてサイロ化されており、深い意味でとても不快だからだ。OpenAI が Sora でソーシャルアプリ事業に参入と聞いたときも同じ感覚をもったとサールズは吐露する。
ブログは何よりパブリッシングであり、その周りに自然に育つ何かを加えたものだ。「どこで」ではなく「どのように」行うかが重要で、それゆえに「何をするか」という本質をずっと良く保っている。そしてその本質は「ソーシャルメディアアプリ」ではない。
この「ソーシャルメディアアプリ」話を知ると、Substack でブログを書く気すら失せた、私は自由と独立を好む、とサールズは言い切る。
サールズのソーシャルメディア嫌悪は、「ソーシャルメディアは繋がりを約束したが、もたらしたのは疲労だった」と主張するソーシャルメディアの終焉話を補助線とすると分かりやすいだろう。ソーシャルメディア(日本では SNS と置き換えてよいだろう)にはウンザリ、という空気は確実にあるのだ。一方で、ユーザを自身のプラットフォーム上で囲い込むために、サイロ化されたソーシャルメディアを目指す企業側の論理もある。
さて、ワタシもブログを書いている。しかし、自分のサイト上ではなく、はてなブログというプラットフォーム上だ。株式会社はてなが個人ユーザ向け事業を半ば投げているためか、はてなブログを「ソーシャルメディアアプリ」化しようという色気を出さないだけマシかもしれないが、プラットフォームには変わりはない。
おそらく数年後に株式会社はてながはてなブログのサービス終了を発表したら、途端にワタシは途方に暮れてしまうだろう。
サールズは「人生みたいなものだ。すべては暫定的なもの。そのために最良のエコシステムとは何だろうか?」という問いかけで締めているが、その答えはワタシにはない。