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2025年上半期にNetflixで観た映画の感想まとめ

yamdas.hatenablog.com

2021年以来半年ごとにやっている、Netflix で観た映画の感想まとめを2025年上半期についてもやっておく。

しかし、この上半期は、前にも増して観た映画が少ない! 昔の映画は入れず近作のみ、しかし公開から10年未満だったら近作、と基準を緩めさせてこれなのだからいかんねぇ。

セキュリティ・チェック(Netflix

2021年は『ドント・ルック・アップ』、2023年は『終わらない週末』と Netflix はその年の終わりに観るべき映画を配信していたイメージがあった。それが2024年は本作なのは、一時期のオスカー狙いの後退とともに Netflix の方向転換を象徴しているように思う。

こう書くと批判しているようだが、そういうわけではない。空港が舞台のアクションスリラー、しかもクリスマス映画という意味で『ダイ・ハード2』を連想させる本作は、Netflix が本来目指すべきエンタメプラットフォームの方向性に合致する優れた娯楽作である(ワタシは年が明けてから観ちゃったけど)。

本作は、なんといってもジェイソン・ベイトマンの悪役ぶりが見事だったね。彼に脅迫され、ひたすら振り回されながら奮闘するタロン・エガートンもよかったけど、彼の走り方は『T2』のロバート・パトリックを意識しているのかな、とちょっと思った。


オクジャ/okja(Netflix

『ミッキー17』を観たあとで、思えば自分はポン・ジュノの映画、そんなに観てないよなと思いあたって、Netflix で観れる本作を観てみた(だいぶ前に『母なる証明』を Netflix で観た気がするのだが、今はもうなくなっている)。

いや、これは面白かった。最初のほうで、これはやはりトトロの影響もあるんだろうかと観ていたが、後半スーパーピッグに関するかなりエグい描写もあるのが印象的だった。クライマックスとなるスーパーピッグコンテストを衆人環視の中やるわけないだろとか思うところもあったけど。


新幹線大爆破Netflix

正直パスしようかと思ったけど、やはり話題作であり、SNS でイヤなネタバレ踏む前に素直に観ておくほうがよかろうと判断した。のんさんが運転士役で出ているのを知ったのもある。

オリジナル(ちょうど50年前なのか)の『新幹線大爆破』はもちろん観ているが、てっきり本作はその半世紀後のリメイク、リブートと思っていたら、まさかその「続編」とは思わなかった。正直元のほうのを観たのは結構前で、忘れちゃったところも多々あるので、本作を観だしてちょっと焦ったけど、許容範囲内だった。

新幹線の速度が100km/hを下回ると爆発してしまうという『スピード』の元ネタとなった設定は同じで、手に汗握るシーンも本作にはあるが、スリラーよりも関係者の職業人としての協力に重点が置かれている。『シン・ゴジラ』にも共通するそのあたりは、両方の監督である樋口真嗣の気質だったのだなと今更思った。しかも、本作はより現場寄りであり、誰か一人にヒロイズムを託すことはしない。

観客も尾野真千子演じる議員、要潤演じる YouTuber、それぞれ良かったのだけど、正直、犯人役もその動機も、最終的な解決の仕方も出来のよくないファンタジーだよなと思ってしまう。が、森達也演じる彼女の抑圧的な父親が凄まじくクソな役を好演していて救われている。

あと、草彅剛演じる車掌の所作にちょっとそれは……と思ったシーンがあるのだけど、それを書くと過大に批判しているととられてしまいそうなので、ここには書かないでおく。


箱男公式サイトNetflix

原作は、大学一年生の夏に安部公房で初めて読んだ小説じゃないかな。

その映画化にはもちろん興味があったのだが、昨年の公開時は都合がつかず観に行けなかった。Netflix に入ったので喜んで観てみた。

安部公房石井岳龍はイメージが結びつかないが、あの実験的な小説をどのように映像化するのかと思ったら、アクション寄りの作りをかなり笑いながら観た。こういうことを書くと怒られるだろうが、本作は安部ねり氏が存命時には実現しなかった映画化だろう。

しかし、観ているうちに、これはこれで原作に忠実なのではないかと思えてくる。白本彩奈が良かった。

着地点が少しうまくいかなかった感触があるが、映画としては楽しめた。

マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版) (Netflix

恥ずかしい話だが、本作について「改訂版」でない『マイヤーウィッツ家の人々』という映画があるのかなと勘違いしていた。ノア・バームバック作品なのに観るのが遅れたのは、そのせいもある。

ニューヨークを舞台にしたウディ・アレンでも撮りそうな映画に思えるが、気難しい芸術家の父親の造形がノア・バームバックらしいと言えるのかな。

正直、その父親役のダスティン・ホフマンは10年以上まともに出演映画を観てなくて(その理由の一端については書きませんが)、そうした意味で本作は彼の晩年の主要出演作になろう。あと本作を観ても、ベン・スティラーは役者として過小評価されていると思ったりした。彼とアダム・サンドラーが親との関係、そして成功に関する価値観を巡ってぶつかり合い、どつき合う場面はやはり良かった。

クリエイティブ・コモンズのAI時代の提案「CC Signals」はお気持ち表明以上の意味を持てるか?

www.itmedia.co.jp

Creative Commons が、コンテンツを AI のトレーニングにどう利用できる/できないかを指定することを可能とするフレームワークである CC Signals を発表している。

ワタシもひと月ほど前に「AI時代の相互主義とクリエイティブ・コモンズについて」というエントリを書いているが、これは Creative Commons による AI 時代への対策というか、「相互主義」を目指した実装と言える。

なので、狙いは理解できるのだけど、これが成功するかというと難しいかもしれない。例えば、CC Signals の GitHub の Discussions をみると、「お前らの提案は根本的に間違っている。撤回しろ」とか「これはすっごく間違ってる」といった罵倒に近いタイトルのスレッドが上位にあがっており、頭を抱えてしまう。

まぁ、こういうのは極端な声が目立ちがちなものなのだけど、それだけでもないんだよね。

www.glamelab.org

これも少し前に出た報告書なのだけど、AI モデルの訓練用データセットを構築するためにボットがインターネットからデータを収集する行為が、GLAM(美術館、図書館、アーカイブ、博物館)のサーバーを過負荷状態に追い込み、場合によってはそのコレクションをオフラインに追いやっていることについて扱っている。

しかも、そうした AI ボットの多くは robots.txt をガン無視している。

今だってそういう状況なのに、CC Signals のような「提案」が尊重してもらえるのか懐疑的になるのも無理からぬ話なのである。

もちろん長年クリエイティブ・コモンズの活動を支持してきたワタシとしては、これが「お気持ち表明」以上の意味を持ってほしいと願っているが。

そうそう、この報告書の著者、ワタシがかつて訳した『3Dプリンティングと著作権を考える』の著者であり、近年も「The Anti-Ownership Ebook Economy の Introduction」とか「AI企業と大手出版社のライセンス契約はたぶんマズい」を訳している Michael Weinberg である。いい仕事しているね。

ペイドサーチの発明者がAI時代の広告モデルを開発し、AIによるインターネットの破壊を救う?

実はこのエントリは、一つ↑のエントリの続きだったりする。

battellemedia.com

お懐かしや、『ザ・サーチ』のジョン・バッテルのブログでビル・グロスを取り上げている。

……といっても今では彼について説明が必要だろう。彼は「ペイドサーチ(paid search)」と呼ばれるインターネット広告の方法を開発し、GoTo.com を起業し(後の Overture)、マイクロソフト、AOL、Yahoo! という当時の三大インターネットプラットフォームと検索収益化パートナーシップを締結した。

で、その手法を Google が借用して検索の巨人となったのはご存じの通りである。

検索技術が今日のインターネットを築き上げたわけだが、今や生成 AI が「ペイドサーチ」のビジネスモデル構造を破壊しようとしている。Google もそれを促進しているのは、ワタシも「Googleからウェブサイトへのトラフィックがゼロになる日」で一年前に書いている。

そこに「ペイドサーチ」のオリジネーターであり、『ザ・サーチ』でも一章割かれているビル・グロスProRata.ai で再度参入しようとしている。

現在のインターネットは機能不全に陥っているとグロスは主張する。インターネットサイトと検索エンジンとの「サイトをクロールさせてくれるなら、その見返りにトラフィックを送る」という取引が、AI 企業によって歪められてしまったからだ。

しかし、グロスは AI による回答エンジンを悪と考えてはおらず、むしろ ChatGPT のようなサービスは、検索を10倍改善していると評価する。しかし、新たな収益化モデルが必要である。

グロスの ProRata は、四半世紀前に Overture が検索に果たした役割を再現し、生成 AI の収益化エンジンを構築することをミッションとしている。

それは、AI クローラーがコンテンツを収集して再利用する際に、パブリッシャーに報酬が支払われる仕組みを確立し、AI の回答エンジンの文脈で機能する広告ソリューションを構築することである。それは AI が支配するインターネットで、広告がどのような形をとるべきか考え出すことでもある。

例えば、Cloudflare は AI クローラーを無限生成迷路に閉じ込める技術を開発しているが、仮にすべてのウェブサイトが AI エージェントをブロックしたら、AI サービスはサイトオーナーに金銭的報酬を提示するしかない(CC Signals はそこで機能するかもしれない)。が、AI 企業はそんな余裕はないと言う。そこでグロスの広告ソリューションが彼らの収益を三倍にしたら、支払う余裕ができるというわけだ。

そんな簡単にいくかよとツッコみたくなるが、広告がいつだってインターネットの生命線だったことは確かであり、昔「ペイドサーチ」を生み出した男が、AI 時代の広告ソリューションに取り組み、パブリッシャーと AI 企業が収益を分配する仕組みを作ろうとしているのは、『ザ・サーチ』のジョン・バッテルなら取り上げたくなるよなと思った。

……うーん、このエントリとひとつ上のエントリをまとめて WirelessWire News 連載の原稿にすればよかったかも(笑)。

ネタ元は Doc Searls Weblog

ウィキメディア財団が提唱する「ウィキペディア・テスト」とは?

wikimediafoundation.org

ウィキメディア財団のブログ記事だが、新しいインターネット規制が、あなたがもっとも愛するインターネットを守るものかどうかを簡単に確認するテストとして、「The Wikipedia Test」なるものを提唱している。それはどういうものか?

立法者は、規制を通す前に、その提案された法律が、人々がウィキペディアのようなプロジェクトの閲覧、貢献、信頼を容易にするか、それとも困難にするか自問すべきです。

つまりは、何か新たなインターネット規制の法律ができることで、ウィキペディアへのアクセスや貢献するのが阻害されたり、その信頼性が低下するようであれば、それは問題のある規制ということ。

これはウィキペディアを狙い撃ちするような法律でなければ関係ない、とはならない。最近もソーシャルメディアやオンライン上に脅威による危害を軽減しようと、営利目的のプラットフォームを規制しようとする動きが EU などであるが、それが意図しなくてもウィキペディアのような公共の利益を目的とするプロジェクトを危険にさらす可能性があることを言いたいわけですね。

このブログエントリでは表現の自由、情報アクセス、プライバシーと安全性といった観点からいくつか実例を挙げている。

まぁ、ウィキペディアの善性を当然視してないかという反発もあるかもしれないが、このシンプルなテストは確かに分かりやすいし、それだけインターネット規制は、意図せぬ副作用を考慮しながら慎重にやらなければならないということだろう。

罪人たち

本作の公開日になぜかこれをやっていない県(!)にいたため、およそ一週間遅れの鑑賞となった。またその影響で、同日公開の『メガロポリス』は映画館で観れなさそうで、とほほである。本作も IMAX で観れなかったしな。

ライアン・クーグラーの映画は『クリード チャンプを継ぐ男』や『ブラックパンサー』を観ているが、本作は(フランチャイズものでなく)オリジナルの脚本作品で見事大ヒットさせたにも関わらず、日本公開は「緊急劇場公開」とやらの限定的な形になったのはなんだかな。

本作は、前半の期待感の高まり(やはりパーティーというのは始まるまでが一番楽しいんだよな)、中盤のブルースの魔力(本物の音楽は過去と未来から霊を呼ぶからって、こんな演出ありなのか! という驚きがあった)、そして後半の吸血鬼ホラー(いやー、怖かったですね)、どれも見事だった。

本作はジャンル的には当然ホラーになるのだけど、人種差別と黒人側のそれに対する抵抗が下地にあり、そのあたり「あいつら、黒人の音楽は好きなんだよ。黒人が嫌いなだけで」といった台詞にも出ているし、吸血鬼が叫ぶ「お前たちの物語を、お前たちの歌を寄越せ!」の禍々しさにつながっている。

主人公たちを襲う吸血鬼たちがアイリッシュ系というのも当然意図的なはずで、襲う側、襲われる側、それぞれに豊かな音楽があり(吸血鬼たちの歌もよくできている)、その混合からロックンロールが生まれたという歴史をどうしても連想してしまう。

エピローグにあの人が出てくるのも、その最後もちょっとした驚きだった。

追悼ブライアン・ウィルソン――渋谷陽一が語る「いちばん好きなビーチ・ボーイズのビデオ・クリップ」

nme-jp.com

スライ・ストーンブライアン・ウィルソンとポップミュージックの世界で偉大な仕事をなした人の訃報が続いたが、二人とも82歳、自分たちが知る音楽界の偉人が寿命で亡くなるようになったのだなという感慨があった。

ビーチ・ボーイズは必ずしも得意ではないが、ブライアン・ウィルソンのソロ作は、アルバム『Imagination』あたりからリアルタイムで楽しむことができて良かった。

Facebookブライアン・ウィルソンが出ているある動画を見て、ああ、これが昔、渋谷陽一の本で読んだやつか、と記憶がよみがえった。

そういうわけで今回は、渋谷陽一浜田省吾山下達郎忌野清志郎大貫妙子仲井戸麗市遠藤ミチロウと行った対談を収録した『ロックは語れない』(新潮文庫)における、浜田省吾との対談からかなり長くなるが引用したい(pp.33-34)。

渋谷 前に桑田(佳祐)が言ってたんだけどさ、なんで世の中の連中ってのはポップ・ソングっていうと明るく楽しく元気よくって思うのか、あんな哀しいものはない、ってね。ポップ・ミュージック作るやつはみんな、自分を含めて、性格が暗くてイジケてて可哀想な連中ばっかなんだって。で、考えてみるとビートルズジョン・レノンとかさ、ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンとかさ、ほんとにみんなそうだよね。
浜田 カーペンターズの歌にいい詞があって、すぐれたラブ・ソングっていうのはいつもいつも雨の心で書かれているっていうの。
渋谷 なんか、悲しいよね。
浜田 うん。その後ろにいる、作った人たちっていうのは悲しい人が多いかもしれないよね。
渋谷 ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンも、そういう中で作ったんだろうなァって気がしますね。僕がビーチ・ボーイズのビデオ・クリップでいちばん好きなのは、ブライアン・ウィルソンビーチ・ボーイズでいながらサーフィンが大っ嫌いってのを主題にしたやつでさ、ブライアン・ウィルソンがホテルの部屋かなんかに暗ーくひとりでいるわけ。そこにブルース・ブラザーズの二人――そのころはまだマイナーだったんだけど、二人が警官のかっこして来てドンドンドンッて部屋の戸を叩くわけ。「なんだ」って、ブライアン・ウィルソンが出てくと、「おまえはまだ、カリフォルニアの新しい法律を知らないのか、カリフォルニアの住人は、一日に一回ビーチ・ボーイズを聴いてサーフィンをしなくちゃいけないんだ」って(笑)。そうじゃないと追放されるって、そう言うわけ。ブライアンが「そんなのやだ、俺、サーフィンも嫌いだし、ビーチ・ボーイズも大嫌いだ」って言うとね、「なに言ってんだ、バッキャロー」って、ヘッドホーンでむりやりビーチ・ボーイズを聴かされてさ、サーフ・ボード持たされて、ズルズルッと浜辺へ連れていかれるわけ。「俺はイヤだ、俺はイヤだ!」って言いながら、海に放り込まれるっていうね……(笑)
浜田 そんなのあるんですか!? 見たいなァ。
渋谷 それ山下達郎に話したんだよ、コレハオマエダって(笑)。コレガオマエナンダ、って。
浜田 彼もそうなんでしょ。スポーツとかは一切ダメなんでしょ。
渋谷 そ。それで考えこんじゃって、「それは優れたビデオだ……」って(笑)。笑わないんだよあいつ、感心して。だけどさ、ビーチ・ボーイズの美しさというのをあのブライアン・ウィルソンの病いが作っていたというね……。

渋谷陽一が語る「ビーチ・ボーイズのビデオ・クリップでいちばん好きなの」、観たくないですか? それではみてみましょう。

こうして本物を見ると、上で引用した渋谷の発言にいくつも事実誤認があることが分かるが、なによりこれ、「ビーチ・ボーイズのビデオ・クリップ」ではなく、テレビ番組『Saturday Night Live』のコントである。そんなの1980年代当時だってレコード会社なりに確認すれば分かる話だと思うのだが、そういうのが許される時代だったのだろう。

これは1976年のもので、当時ブライアン・ウィルソンビーチ・ボーイズのツアーに復帰し、その年リリースされたアルバム『15 Big Ones』は、「ブライアン・イズ・バック」のキャッチフレーズで大々的に宣伝されていた。SNL への出演もそのプロモーションの一環だったと思われる。

しかし、それが本当の「ブライアン・イズ・バック」ではなかったのを我々は知っている。

というか、その後のブライアン・ウィルソンは、例えばファーストソロアルバム発表時などずっと「ブライアン・ウィルソン復活!」と言われながら低空飛行を繰り返した歴史でもあった。

そのあたりについては映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』にも一部描かれている通りである。

それでもブライアン・ウィルソンは素晴らしい作品をいくつも遺した。素敵じゃないか。

アディ・オスマニによる「MCP解説四部作」と次なるオライリー主催AIコーディングイベント

wirelesswire.jp

今月のはじめに MCP(Model Context Protocol)について書かせてもらったのだが、まだひと月も経たないのに大分前のことに思えてしまう。それくらい AI の分野は話が進むのが早い。

そんなところになんだが、WirelessWire News 原稿やこのブログでもちょこっと触れている Addy Osmani の MCP 解説文書が四部作になって完結しているのを紹介しておく。

Addy Osmani のオライリーでの仕事はまだまだ続きそうである。

www.oreilly.com

ティム・オライリーとアディ・オスマニが共同ホストを務めるイベントも既に取り上げているが、好評で手ごたえをえたのか、第2回となる Coding for the Future Agentic World の9月開催が告知されている。やはり、この二人が共同ホストである。

「未来のエージェント型の世界に向けたコーディング」ですか。やはり「agentic」がポイントなんでしょうな。

トレンドマイクロによる「AIエージェントと脆弱性」シリーズが完結している

AI エージェントの脆弱性を包括的に解説したシリーズが全5回で完結している。

あまり評判になっている気配もないが、かなり包括的に AI エージェントのセキュリティリスクについて情報を網羅していると思うので、取り上げさせてもらう。

そろそろ AI 自体の脆弱性がテーマの決定的な書籍が登場してもよい頃ではないかな。

『ブルース・ブラザーズ』は永遠なり? 映画公開から45年を経て本が出る

上のブライアン・ウィルソンの追悼エントリとは関係なく、ジョン・ベルーシダン・エイクロイドによるブルース・ブラザーズの話題である。公開から40年以上経ってなお、この映画に関する本が出ているのだ。

まずは Pluralistic で知った、映画『ブルース・ブラザーズ』の制作過程をたどる The Blues Brothers: An Epic Friendship, the Rise of Improv, and the Making of an American Film Classic が昨年出ており、Amazon のエディタが選ぶ Best Books of 2024 にも選ばれている。

この映画の制作過程やトリビアについてはワタシも何度か取り上げているが(その1その2)、本にまとまったのはありがたいというか、邦訳出てくれないかな。

もう一冊は amass で知った The Blues Brothers: The Escape of Joliet Jake だが、「『ブルース・ブラザース』へのラブレターであり続編」のグラフィックノベルとな。しかも、デラックス版には未発表ライヴ・アルバム『The Lost Recordings』が付属されるというのがすごい。

Z2 Comics のサイトを見ると、¥74,778(!)のプラチナム版は既に売り切れだが、件のデラックス版が¥22,432で買える。

ドールハウス

矢口史靖の監督作は『ハッピーフライト』あたりまでは観ていたが、その後ちょっと縁がなくなっていた。といっても彼の作品が嫌いになったとかではなく、縁としか言いようがない。

彼にはやはりコメディのイメージがあるが、本作はストレートなホラー映画と聞いて、久しぶりに興味を持った次第である。

観てみると、今野浩喜安田顕田中哲司の演技に矢口監督らしいコメディ味もあるものの、110分の上映時間の間弛緩のないホラーに仕上がっている。

しかしね、日本人形でホラーって、予告編にもある存在自体のショック描写は想定できるとして、それで本当に場を持たせられるのかと訝しく思っているところもあったのね。まさか『チャイルド・プレイ』(古い……)みたいに人形が暴れまわるものじゃないだろうし……と思っていたら、ここまでしっかり日本映画における人形ホラーを成功させたのは見事だよね。

もちろん主演の長澤まさみも良かったです。

デジタル人材のためのブックレビュー(ブルース・シュナイアー『ハッキング思考』)

COMWARE PLUS の「デジタル人材のためのブックレビュー」でブルース・シュナイアー『ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか』を公開。

実を言うと、このブックレビューの話をいただいたとき、最初に浮かんだのはこの本だったりする。しかし、新野淳一氏が『情報セキュリティの敗北史』について書くのが分かっていたため、セキュリティ関係の本が続くのはどうかと2回目にシフトさせてもらった。

さて、次に取り上げる本は……実はまったく決まっていない。

Pythonの生みの親が問いかける「今でも『悪いほうが良い』と言えるのか?」

developers.slashdot.org

先月開催された今年の Python Language Summitライトニングトークに、Python の生みの親であるグイド・ヴァンロッサムが登場し、「悪いほうが良い(Worse is better)」原則は今でも通用するのか、と問いかけている。

プログラミング言語Python の開発初期、主要プラットフォームだった UNIX の「悪いほうが良い」哲学には大きな影響を受け、長年この考え方がとても有用だったとグイド・ヴァンロッサムは認める。

この考え方のおかげで3か月で何かを動作させることができたと彼は言うが、その後、年月を経て、自分が手抜きしたすべてが最終的には修正されたとも認める。「当時はテストすらなかった」と言って、彼は笑いを取る。

「あの当時、『悪い方が良い』は、言語を受け入れてもらう鍵でした。ユーザからのフィードバックや、私を称賛してくれる人たちからもらうエンドルフィンなしに、言語設計に3年取り組む余裕はありませんでした」

Python の初期リリースは、開発を始めて一年未満で実現したが、クラスを除いて問題は何ら修正されなかった。もっともそのクラスもインターンによって追加されたのだが。

Python が完璧でなかったことが、多くの人々が貢献を始めるきっかけになったのです。コードはどれもシンプルで、最適化は何ら考慮されていませんでした」「これら初期の貢献者は、言語で利益を享受したのです。Python は彼らの子供のような存在でした」

その上で、『悪い方が良い』という考え方に今でも役目はあるのだろうかと彼は問いかける。今では Python には巨大なコミュニティがあり、開発体制も初期とはまったく異なる。

グイド・ヴァンロッサムは、機能の完成度に目をつむってコミュニティに試してもらうものを提供できた昔を懐かしんでいるようだが、昔に戻すこともできないのは承知している。

彼は最後に、Python で Rust を利用するためのバインディングを提供する PyO3 についての講演を引き合いに出し、これの開発には『悪い方が良い』原則が見られると評価している。PyO3 の開発は CPython よりずっと楽しそうだと言い、「とは言え、私は個人的に Rust を学ぶつもりはない……けど、後で試してみるべきかもな」と言って会場を笑わせたそうな。

人工汎用知能(AGI)が直面する5つの重大な国家安全保障上の課題

hls.harvard.edu

アメリカのシンクタンクであるランド研究所(RAND Corporation)の Jeff AlstottJoel B. PreddCasey Dugan の3人の研究員が、ハーバード大学の Berkman Klein Center 主催で人工汎用知能(Artificial General Intelligence、AGI)が直面する5つの重大な国家安全保障上の課題をテーマに講演を行っている。

5つの重大な国家安全保障上の課題とは何か。

  1. ワンダーウェポン(決定的兵器)の登場:AGI が軍事バランスを一気に覆す兵器や能力を生み出す可能性
  2. 国家間のパワーバランスの体系的変化:AGI が産業革命のように、経済・軍事・科学力の基盤を徐々に変化させ、国家間の競争力格差が拡大する可能性
  3. 非専門家による大量破壊兵器の獲得:AGI が悪意ある非国家主体(テロリスト等)による生物兵器やサイバー兵器の開発を可能にし、リスクが拡大
  4. 制御不能・アライメント問題:AGI が自律的に行動し、人間の意図と異なる行動をとることで、人間の意思決定権が奪われ、予期せぬリスクや社会的混乱を招く可能性
  5. 不安定性の増大:AGI の開発競争が国際的な緊張や予防戦争、経済戦争を誘発する恐れがある

まぁ、AGI は核兵器と同等、あるいはそれ以上の地政学的影響をもたらし、国家の安全保障のパラダイムを変える可能性があるので、それに柔軟かつ戦略的に備える必要があるという趣旨ですね。

ここまで書いて念のために検索したら、ランド研究所のサイトで同名の論文が公開されていた。

動画じゃなくて、こっちをはじめから読んでおけばよかった……。

しかし、もうちょっとランド研究所のサイトを調べてみると、「人工汎用知能の普及がアメリカで内戦を引き起こす可能性はあるのか?」といった AGI に関する物騒な論文が公開されており、のけぞってしまう。

息子ニック・ハーカウェイが選ぶ「ジョン・ル・カレの5冊」

fivebooks.com

ここでも何度も取り上げている Five Books だが、2020年に亡くなったスパイ小説の大家ジョン・ル・カレの最高傑作5冊を選んでいる。選者はニック・ハーカウェイ……って『世界が終わってしまったあとの世界で』(asin:B00KVA42OYasin:B00KVA42QW)、『エンジェルメイカー』(asin:B00ZQHDF4U)、『タイタン・ノワール』(asin:4150124655)の邦訳がある作家にして、ジョン・ル・カレの息子さんやないか。

ワタシ自身読んだことがあるのは『寒い国から帰ってきたスパイ』だけで、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は映画『裏切りのサーカス』を観て知ってるくらいで偉そうなことは書けないが、これは貴重な企画だろう。

で、ハーカウェイが選んでいるのは、以下の5冊である。

  1. 『寒い国から帰ってきたスパイ』(asin:4150401748asin:B00B7GJ75U
  2. 『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(asin:4150412537asin:B00BN5GYDI
  3. 『シングル&シングル』(asin:408773336X
  4. ナイト・マネジャー』(asin:4150408777asin:4150408785
  5. 『繊細な真実』(asin:4150413932asin:B00RKN47RW

『寒い国から帰ってきたスパイ』は昨年舞台化されてるのね。ジェームズ・ボンドの世界の対極にある「ふつうの人」としてのスパイ、そして大英帝国が崩壊し、自分たちが「善人」ではなく「悪者」ではないかという「道徳的危機」に向かい合う作品と評しており、この「道徳的危機」は21世紀的なテーマだとハーカウェイは語る。

そして、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、『寒い国から帰ってきたスパイ』よりもル・カレのスパイの世界の構造をバロック的で曲折に富んだ形で描いていると評価している。

他にもハーカウェイは子供の頃、朝食のテーブルでル・カレが声に出して自作を読んでくれて「スマイリー」シリーズの韻律やリズムを吸収した話、ジョン・ル・カレは彼の父親デヴィッド・コーンウェルが「執筆のために着るコート」であり、ル・カレは気性が激しく過激だったが、コーンウェルは内気で傷つきやすかった話など興味深い。

ハーカウェイによると『シングル&シングル』と『ナイト・マネジャー』は対のような本で、『繊細な真実』は刊行直後にアメリカ人の登場人物が「漫画のような悪党」と評されるなど不当に過小評価された。『繊細な真実』はドナルド・トランプが大統領になる前に書かれた小説だが、2025年の現在、前述の批判は通用しないだろう、とハーカウェイは反論している。

このインタビューで知ったのだが、ハーカウェイは昨年、『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の間の期間を埋める、「スマイリー三部作」で知られるジョージ・スマイリーが主人公の Karla's Choice を書いており、高い評価を得ている。父親の十八番のシリーズを息子が書き継ぐというのはあまりないと思うが、この企画自体、それがあってこそ実現したものだろうね。

これは早川書房から邦訳を期待したいですな。

国宝

『パディントン 消えた黄金郷の秘密』を観に行った日、この日公開初日だった本作も有力候補だった。

しかし、上映時間の長い映画に対する反感がかつてないほど高まっており(当社比)、「3時間とか勘弁してくれよ」と却下となった。なのに、ワタシの観測範囲でこれを絶賛する声を複数目にすると観たくなってくるのだから現金なものである。

ワタシは金曜夜にレイトショーで映画館に行くことにしているが、先週末は出張のため金曜は出向けず、土曜夜に近場の TOHO シネマズでの鑑賞となった。なんか異様に売店が混んでいるなと思ったら、そういうことでしたか。

公開二週目で客席はかなり埋まっており、久方ぶりに両側の席をカップルに挟まれての鑑賞になり、嗚呼、だからワタシは土曜を避け、金曜夜に行くことにしてたんだったと再認識したりした。

吉田修一原作の李相日による映画化の相性が良いのは『悪人』で知っているが(『怒り』は観ていない)、正直歌舞伎の世界を舞台とする本作は、映画化可能なのかな、具体的にはこれを演じられる役者がいるのかなと思っていた。

本作の吉沢亮横浜流星はそのハードルを見事に乗り越えている。任侠の家系に生れながら歌舞伎の世界に入っていく喜久雄(花井東一郎)と、歌舞伎の名門の生まれの俊介(花井半也)の、その時々での「血筋」と「才能」をめぐる明暗が描かれる本作だが、歌舞伎の舞台をしっかり見せながら、カットバックなどを駆使する編集がうまいのか、三時間の上映時間がまったく気にならなかった。

本作に備えて餅を服用しての鑑賞だったが、飲み物を飲むのを忘れていたくらい。

吉沢亮にしろ横浜流星にしろ、歌舞伎役者の「化け物」性をよく演じており、人間国宝役の田中泯『PERFECT DAYS』に続く怪演を見せている。本作における二度目の曾根崎心中の場面は、そのディティールまで忘れられないだろう。

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