当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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未来のプログラミングについて再考(機械学習とソフトウェア2.0、配管工プログラマ、オープンソースでは十分でない?)

昨年のエントリだが、その後現在までマイク・ルキダス(Mike Loukides、O'Reilly Media のコンテンツ戦略担当副社長)の文章を追って、これを書いていた当時ワタシが理解していなかった文脈、そしてそれに対応するニュースや問題意識が見えてきたところもあるのでつらつらと書いておきたい。

こちらは2019年末に、マイク・ルキダスが O'Reilly Media のチーフ・データサイエンティストである Ben Lorica と共に書いたエントリだが、2020年3月に開催される O'Reilly Strata Data & AI Conference に向けた露払いである。

ワタシはタイトルだけ見て、「ソフトウェア2.0? 今さら〇〇2.0は古いだろー」と思ったのだが、これは Tesla で AI 部門長を務める機械学習の専門家 Andrej Karpathy が2017年11月に公開した Software 2.0 というエントリに由来していて、当時日本圏でも話題になっていたのだが、ワタシは恥ずかしながら知らなかった。

プログラミング言語で開発が行われる従来のソフトウェアが Software 1.0 なら、機械学習を付加した新しいソフト工学の体系が Software 2.0 であり、そこではソフトウェアはニューラルネットワークの重み付けとして記述され、プログラマの仕事は(コードを書くことではなく)データを集めることなどになっていくという見立てである。

我々は未だ「パンチカード」を使っているようなもので、プログラミングはもっと視覚的なものになるべきではというマイク・ルキダスの考えの背景にはこの Software 2.0 の文脈があったのは間違いない。

この「ソフトウェア2.0への道」と題したエントリでは、ソフトウェア2.0は実現に向かっているが、まだその第一歩を踏み出した段階に過ぎないというのが現状認識である。そして、AmazonGoogle といったプラットフォーム企業をはじめとして AI、特に機械学習周りを中心とした様々な取り組みを紹介している。

個人的には、Google が買収した AppSheet などノーコード開発ツールの話題もこの文脈で重要になるのではないかと考えている。そして、そういうのも Google といったプラットフォーム企業に押さえられてしまうんだなという感慨もあるのだが。

こちらは2020年年頭のマイク・ルキダスのエントリだが、我々はプログラマの役割を再考すべきではないかと問いかけている。

ここで彼が引き合いに出すのは、以前にも紹介した「配管工」のアナロジーである。つまり、一口にプログラミングといっても、フレームワークやプラットフォームやプログラミング言語自体を作り上げる高度に訓練されたプロフェッショナルと、ディープなバックグラウンドはないがプログラム作り経験が豊富な人たちである「配管工」に分裂しているとうのだ。

ディープなコンピュータサイエンスの素養はないが優れたプログラミングスキルを有する「配管工」がプロフェッショナルのマーケットに参入する架け橋が必要だし、そうした取り組みは存在するが、一方で「なんでオレがクイックソートのプログラミングの仕方なんて学ばなきゃならないの? 何かソートしたけりゃライブラリ関数を呼ぶよ」と「配管工」プログラマが考えるのも確かなのを認めないといけない。

次にマイク・ルキダスが引き合いに出すのは Google の研究者たちによる論文 Hidden Technical Debt in Machine Learning Systems機械学習システムにおける隠れた技術的負債)で、機械学習というのはアプリケーションの比較的小さな部分に過ぎず、データパイプラインの構築やアプリのサーバインフラへの接続や監視機能の提供といった機能のほうが重要で、この地味な「配管工」向けの接続機能の実装がまずいとサービスの性能に関わってくる。これこそ半世紀の歴史がある既存のプログラミング言語ではなく、またそのパラダイムをビジュアル化しただけのビジュアルプログラミング言語でもない、「配管工」向けの視覚的なプログラミングツールがあるのではないかというのがマイク・ルキダスの見立てである。

さて、これは LWN.net で知った、デジタル・オーディオ・ワークステーションDAW)の Ardour の原作者である Paul Davis のフォーラムへの書き込みだが、ここまでの話につながる問題意識があるように思うのだ。

タイトルは「オープンソースはユーザが本当に望むものから脇にそれてないか?」という問いかけだが、彼が Ardour の開発に携わりだした頃、GPL 以外のライセンスは考えられなかったし、GPL がユーザにしかるべき自由を担保していると考えていたが、その考えが揺らいでいるという。

それはフォーラムであるユーザが、ソースコードをビルドすることなしに Ardour を拡張できるよう要望したことがきっかけである。Paul Davis は冗談だろ? とその要望を何度も却下したのだが、そのユーザも別の DAW である Reaperソースコードにアクセスしなくてもユーザ主導の拡張ができる反例として引き合いに出して折れない。

そうするうちに Paul Davis も、ほとんど誰も全体を理解できない技術インフラに立ち向かわせることでユーザに本当に自由を与えていると言えるのか、C++ のコードを書けばソフトウェアに貢献できるといっても、実際は開発者を遠ざけているのではないかと考えるようになった。

実は Ardour も、プログラムをビルドする必要なく高度な機能を書くことができる Lua API を提供している。が、Reaper などのプロプライエタリな競合にはビルドなしの拡張に関して劣る。2020年のコンピュータユーザは、リチャード・ストールマンが「フリーソフトウェア」を始めたときとは背景が異なる。当時「いじる自由(freedom to tinker)」とは、ソースコードを読み、手を入れて再ビルドする自由と同義だった。今もそれはフリーソフトウェアのコンセプトの重要な一面だが、多くのユーザはソースコードに関わるところから始めることを望んではいない。ユーザがアプリケーションを容易にカスタマイズできることこそ、大半のユーザが最重要視していることなのだ。

Paul Davis が提起する問題に対し、ソースコードに実際に触り貢献する人間が少数派だったのは今に始まった話ではないし、GPL などの自由なソフトウェアのライセンスが今も重要なのは変わりないという反論はあるだろう。Paul Davis も、フリーソフトウェアのコンセプトが今も重要であることは繰り返し書いている。一方で、アプリケーションを改良するのに、普通のユーザにコア開発者と同じように苦労しろと言えるのかという Paul Davis の問題意識も分かる。

この問題についても、プログラマと呼ばれる人種が、高度なプロフェッショナルと「配管工」に二極分化しているというマイク・ルキダスが書く話を補助線にすると見えてくるものがあるだろう。ここでも「配管工」のためのプログラミングパラダイムの必要性が浮かび上がるとワタシは思うのだ。

オライリー的には、上でも挙げた3月の O'Reilly Strata Data & AI Conference カンファレンスに加え、今月末の O’Reilly Software Architecture カンファレンスにそのあたりのヒントがありますよ、といったところだろうか。

ここまでの話とは直接は関係ないが、もうすぐオライリーから出る本では Lean AI がタイトルだけで売れそうな気がする。

Lean AI: How Innovative Startups Use Artificial Intelligence to Grow

Lean AI: How Innovative Startups Use Artificial Intelligence to Grow

  • 作者:Lomit Patel
  • 出版社/メーカー: Oreilly & Associates Inc
  • 発売日: 2020/03/17
  • メディア: ハードカバー

Lean AI: How Innovative Startups Use Artificial Intelligence to Grow (English Edition)

Lean AI: How Innovative Startups Use Artificial Intelligence to Grow (English Edition)

  • 作者:Lomit Patel
  • 出版社/メーカー: O'Reilly Media
  • 発売日: 2020/01/30
  • メディア: Kindle

Web 3.0がもたらす3つの革命

星暁雄さんのツイート経由で知った文章だが、面白かった。

正直「Web 3.0」というタームも、上で書いた「〇〇2.0」と同じくらい使い古されたものだけど、目的意識がはっきりして再度輝き出した感がある。目的意識とは何か? ズバリ、decentralization である。そうである、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』にもつながる話なのだ。

この文章は、ウェブの歴史のおさらいから始まる。

昨年ウェブは30周年を迎えた。しかし、ウェブの父ティム・バーナーズ=リーは、その現状が我々が望んだものとは思っていない。

1989年にウェブが誕生し、1995年を「Web 1.0」とすると、Web 1.0 は decentralized でありオープンソースであり(当時、その言葉は発明されてなかったが)、だからこそ GoogleAmazon が生まれる余地があったのだが、同時に read-only でもあった。

そして、その10年後の2005年が「Web 2.0」であり、ウェブは read-only から読み書き可能になった。が、同時にウェブは徐々に centralized になり、スマートフォンの普及もそれを後押しした。

ご存知の通り、「Web 2.0」という言葉は、ティム・オライリーが作ったバズワードであり、このキャッチーな言葉が広まるにつれ、「それなら Web 3.0 はどんなものになる?」というのが当時から言われた。

当時は「AI のウェブ」「VR のウェブ」を Web 3.0 と見立てる人がいたが、この文章の著者の Tony Aubé は納得しなかった。

で、昨年 Web3 Summit がベルリンで開催されたのだが、そこでのメッセージは明確だった。

Web 3.0 is about re-decentralizing the Web.(Web 3.0 はウェブを再度脱中央集権化する)

なぜ再度 decentralized にする必要があるのか。それは現在のウェブは壊れてしまったという認識があるからだ。その原因は以下の通り。

  • ウェブのデフォルトのビジネスモデルとしての広告
  • データ漏洩
  • 企業や政府による監視
  • 政府による検閲
  • データの損失(ウェブサイトの寿命は短い)

Web 3.0 はこれらの問題を解決するためにウェブの構成要素をアップデートしようという試みなのだ。Web 3.0 で何が変わるのか? 以下が Web 3.0 がもたらす3つの革命である。

  1. お金(支払い)がインターネットに元から備わる機能になる。
  2. 分散アプリケーションがユーザに新たな可能性を提供する。
  3. ユーザはデジタルアイデンティティとデータのコントロールをより握るようになる。

お金の話を可能にしたのは言うまでもなくビットコインなわけだが、それが可能にしたイノベーションを著者は Internet of Value(価値のインターネット)と呼んでいる。

分散アプリケーション、ユーザのデータのコントロールについてもブロックチェーン技術が可能にするという見立てである。

Web 3.0 により我々は仲介なしにお互いとやりとりができるようになり、それがウェブを再度脱中央集権化させると著者は宣言する。

面白いと思ったのは、Google のかつての非公式社是の「Don't be Evil」を引き合いに出し、Web 2.0 はこうした誓約に依存していたが、Web 3.0 はウェブの基盤を作り直すことで「Can't be Evil」になるという見方である。これはキャッチーだね。

これに対して、これを革命とは言い過ぎとか、見通しが楽観的過ぎるといった批判はあるだろう。しかし、かつて「もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて」を書いた人間としては読んで嬉しくなった。

それにこれを書いたのが Google AI の人というのも面白い。

アカデミー作品賞をとったのに今では相手にされることが少ない映画の代表格といえば?

さて、今年は本日2月10日にアカデミー賞が発表される。賞をとった映画だけが素晴らしいわけじゃないというのは歴史が証明しているが、とはいえ賞をとるのが名誉なのは間違いない。いろいろ言われるが、アカデミー賞にはまだそれだけの権威がある。

少し前に、アカデミー作品賞についてちょっと疑問に思ったことをツイートした。

これについていろんな声が寄せられた。そこで挙げられた映画を制作年が古い順に並べてみる。複数票の入った作品は太字にしている。

1970年代が1本、1980年代が3本、1990年代が3本、2000年代が3本、2010年代が4本、とむしろ近作のほうが多いのは面白い。単純に時間経過を考えると、もっと古い作品が多くてもおかしくないのだが、それだけ1970年代はアメリカンニューシネマ全盛で名作揃いということだろうか。

個人的にははっきり異を唱えたい作品もあるが(『アメリカン・ビューティー』とか)、こうしてみるとアカデミー賞作品賞に選ばれる作品って、投票する映画人におもねる、とまではいかなくても、彼らに好かれるというより嫌われない「無難」な映画になりがちという問題があるのかもしれない。

ここにあがってない映画で個人的に思うのは以下のあたり。

当然ながら、これにも異論があるだろう。ただ1980年代の『愛と〇〇の××』映画というだけで観たい気持ちがなくなるし、こうしてみるとワタシも kingink さんと同じくワインスタイン映画を多く挙げてるな。実はワタシは『恋におちたシェイクスピア』は好きな映画なのだが(脚本がトム・ストッパードだし)、昨年ようやく『プライベート・ライアン』を観て、これより上なんてとても思えないわけで。

さて、今日何がアカデミー作品賞を獲るのだろう。ノミネート数だけ見ると、『ジョーカー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『アイリッシュマン』になるが、特に『ジョーカー』は作品賞には危険すぎる。

そうなると『1917 命をかけた伝令』が最有力、そして全方位的に好かれている『パラサイト 半地下の家族』が対抗作ということになるのだろうか。『1917 命をかけた伝令』を授賞式の前に観れないのは残念だが、映画会社からしたら最高のタイミングでの日本公開できるのかもしれない。

ジョジョ・ラビット

『リチャード・ジュエル』と本作のどちらを観に行くか悩みに悩んだ末本作にしたのだが、これが実にチャーミングな映画でよくできていて、『リチャード・ジュエル』を観ればよかったと後悔した。

なぜか? この題材でチャーミングな映画なんか観たくなかったという心持ちになったからである。本作がニクいほどによくできていたのでなおさらそう思った。

本作は、ビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語版で始まる。これは歴史上の人物としてではなく、主人公のイマジナリーフレンドとして本作の主要な登場人物であるアドルフ・ヒトラーが、それこそビートルズのような人気を誇っていたことを示唆しているのだが、本作はそうしたポップさに満ちている。

それは登場人物にもあらわれている。ほとんど悪役らしい悪役がいない。いたとしてもガキ大将レベルであったり、スティーヴン・マーチャント演じるゲシュタポも悪辣さでなく、その存在の滑稽さで飽くまでコメディに奉仕する役柄である。サム・ロックウェル演じる大尉からして、出てきた途端に有害な人物でないのがありありとしている。

かくも本作はポップでチャーミングなのだ。主人公が顔に負う傷も客を引かせるようなレベルでなく(それって、劇中の描写を考えておかしくない?)、飽くまで彼はチャーミングだ。戦時の暗さを微塵も感じさせない主人公の母親の思考や佇まいは、まるで現代の女性のそれである。本作を日本で誉めている人は、本作の舞台を日本に置き換え、彼女のような登場人物がいたら、それをリアルだと称えるだろうか?

それにしても本作はよくできている。主人公の母親が匿うユダヤ人の少女の存在は書き割りの如くだが、主人公と彼女の関わりがそれに膨らみをもたらしている。主人公の親友役のデブもいい味出している。それにワタシは本作について何度もポップでチャーミングと書くが、戦時を描く映画として持つべき苦さもちゃんと持っている。主人公の母親役のスカーレット・ヨハンソンも良いのだけど、だらしなくとぼけた感じのサム・ロックウェルが実に良くて、彼がおいしいところをもっていく。『スリー・ビルボード』にはさすがに及ばないが、『バイス』より本作のほうがよほどアカデミー賞助演男優賞ノミネートにふさわしいと思ったくらい。

あとスティーヴン・マーチャント、『LOGAN/ローガン』のときは驚いたものだが、もう彼は怪優枠でハリウッド映画に出演して違和感がないし、ワタシは観れていないのだが、監督として『ファイティング・ファミリー』のヒットも飛ばしている。すごいじゃないか。

さて、ビートルズとともに始まった本作は、最後にあの曲とともに終わる。それを感動的と評しても良いだろう……が、ワタシはどうしても文脈的におかしい思ってしまう。本作に感じる危うさを象徴するような曲の使い方だった。

テリー・ギリアムのドン・キホーテ

公式サイトによると、「構想30年、企画頓挫9回」を乗り越えて完成された執念の一作である。その苦闘の一端は『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で観ることができるが、ワタシのようなギリアムのファンも、もうこれは呪われた企画なんだから止めておけばとずっと思っていたというのが正直なところである。つまり、「テリー・ギリアムドン・キホーテ」というより「テリー・ギリアムドン・キホーテ」が正しい。

本作はジャン・ロシュフォールジョン・ハートに捧げられているが、エンドロールの Special Thanks の筆頭に名前があがるマイケル・ペイリンを含め、何人もドン・キホーテ役をキャスティングされながら製作が果たせなかったのが結局は『未来世紀ブラジル』をはじめ、『バロン』や『ブラザーズ・グリム』でもギリアム作品にはおなじみであるジョナサン・プライスが収まっている。彼がこの役に相応しいところまで歳をとるまで時間がかかってしまったとも言えるだろう。元々はジョニー・デップだった役はアダム・ドライバーが務めており、大層ひどい目にあうのだが、彼らしい実に安定感のある演技を見せている。思えば、プライスとドライバーは、それぞれ『2人のローマ教皇』と『マリッジ・ストーリー』で今年のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされているのは面白い偶然である。

はっきりいって、当初の企画とはまったく違ったものに脚本は変質してしまっただろう。アダム・ドライバー役など行き詰った CM 監督役で、『The Man Who Killed Don Quixote』は彼が卒業制作のために撮った映画であり、それによって人生が狂わされた人たちが本作の登場人物だったりする。映画の脚本自体が、完全にこの呪われた企画に取り込まれている。

正直に書くと、『ゼロの未来』がクソつまんなくて、ワタシはテリー・ギリアムはもう終わったと思っていた。しかし、本作においてジョナサン・プライスは確かにドン・キホーテだし、本作は確かに「ドン・キホーテを殺した男」になっているし、何よりテリー・ギリアム映画の興奮を感じさせてくれる。

テリー・ギリアム映画の興奮」とは何か? それは「夢、ファンタジーの力」である。企画自体が災難続きの呪われた映画という枠組みに完全に取り込まれ、ストーリーは端的に荒唐無稽と言ってよい。それでも本作には、ドン・キホーテ(それはすなわちギリアム自身)という狂った老人のファンタジーが現実に対してみっともなくもあがいてみせる、ギリアムの代表作であり、ファンタジーが現実と真っ向勝負をする『未来世紀ブラジル』や『バロン』、完全な請負監督なのに「これをやったらテリー・ギリアムの映画になってしまう」と思いついてグランド・セントラル駅を行き交う人々にワルツを踊らせる『フィッシャー・キング』と同等とはワタシも言わないが、確かにそれに通じる想像力の力を感じるのだ。それで十分である。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その33

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、今年に入って読んでいただいた方の感想を見かけると嬉しいものである。

改めて円城塔さんに感謝しないといけない。何年後に読み始めても大丈夫な本ですよ!(言い過ぎ)

一応、書き下ろし技術コラム「インターネット、プラットフォーマー、政府、 ネット原住民」で2018年秋の状況まではカバーしております。

ありがたい推薦のお言葉である。

このボーナストラックを読み終えての「うわぁ……」な空気感こそ書き手が狙ったものだったりするのが厄介である(笑)。

ポール・グレアムの「アンチとの向き合い方」指南の納得と違和感

ポール・グレアムHaters の日本語訳である。

元々はスタートアップの創業者向けに書いた文章だが、有名になる人みんなに等しく当てはまるという彼の考えは正しい。

それは有名になるとつくファンボーイ(fanboys)とアンチ(haters)である。強迫的で無批判であり、穏やかでいられない点において、両者はコインの表と裏ということだ。

ファンのように、アンチは有名であることの自動的な結果であるように思える。誰でも十分に有名な人はアンチを得るだろう。そして、ファンのように、アンチは嫌いな人が有名になることで活気づけられる。彼らはある女性ポップシンガーの歌を聞く。彼らはそれがあまり好きではない。歌手が無名であれば、彼らはそのことについてただ忘れるだろう。その代わり、彼らは彼女の名前を聞き続け、これが一部の人たちを発狂させているように思える。みんながいつも彼女の話をし続けるが、彼女は少しも良くない! 彼女は詐欺師である! という感じだ。

この「詐欺師」という単語は重要な単語である。これは嫌悪の対象を詐欺師と見なすアンチのスペクトルな署名だ。アンチは彼らが有名であることを否定することはできない。実際には、彼らが有名であることはどちらかといえばアンチの心の中で誇張されている。歌手の名前に関するあらゆる言及がアンチを怒らすので、アンチはそのすべての言及に気づく。アンチは自分の心の中で、歌手が有名であることと彼女の才能の欠如の両方を誇張する。そして、これら2つの考えを調和させる唯一の方法は彼女がみんなをだましていると結論づけることである。

アンチとの向き合い方|Jack / マイクロ起業家|note

このあたりを読んで、ワタシはかつて自分が書いた文章を思い出した。

ワタシが WirelessWire 連載で書いた文章の中で、テック系以外の人たちにも特に多く読まれた文章のひとつで、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』におけるハイライトの一つでもある。この文章における、キャシー・シエラの以下の分析をワタシは連想した。

その一年後、彼女はブランドや製品の「アンチ」についての文章を書きます。彼女の文章の論旨は、「アンチ」は実はそのブランドや製品自体を嫌っているのではなく、それらに夢中な自分以外の人たちを嫌っているのだというものでした。そのとき彼女が使った、特定のブランド/製品がもてはやされると同時に、一部の人間の憎悪を煽る段階を指す「クールエイド・ポイント(Koolaid Point)」という言葉は(彼女のブログの元文章のタイトルでもあります)、実は人に対する「アンチ」の荒らしや嫌がらせにもあてはまることでした。

ネットで認知される女性にとってもっとも危険なのは、他の人たちの注目が「フォロー」や「いいね」や「リツイート」で可視化されるポイント、「アンチ」の荒らしにしてみれば、オーディエンスが注目に値しない女性に迎合し、「クールエイドを飲んだ」ように見えるときだとキャシー・シエラは書きます。

邪悪なものが勝利する世界において - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

ポール・グレアムは haters と trolls を同一視していないし、両者の主張はまったく同じではないが、近いものがあるだろう。

しかし、ポール・グレアムが指南する「アンチとの向き合い方」の結論が、「そのことについて考える時間を費やす理由はない。これはあなたではなく、彼らの問題である」というのは不満である。本当にそうだろうか?

キャシー・シエラは、自身の体験から、「荒らしには反応するな(don't feed the trolls)」というネットでよく言われるアドバイスに疑問を呈します。荒らしに反応しないでいたら、嫌がらせはエスカレートするばかりではないか。

そこで浮かび上がるのは、本当に「クールエイド・ポイント」に達した個人が荒らしのターゲットになったら、放置しても荒らしの勝利、無視しても嫌がらせはエスカレートして荒らしの勝ち、もちろん荒らしにやり返しても、愉快犯的な連中をエスカレートさせ、どのみち荒らしが勝利してしまうという蟻地獄のような構図です。

邪悪なものが勝利する世界において - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

ポール・グレアムは元々はスタートアップの創業者に向けて書いており、確かにそれなら創業者個人とアンチの間にスタートアップ(が提供するサービス)が挟まるからそれでよいかもしれないが(法務担当者がいる企業であればなおさら)、単に有名になった個人に「考えるだけ無駄」で済む問題かなとは思う。

アンチと議論するのは間違い、というのはワタシも賛成だが、もう少し有名になった個人がネット中傷に対して法的措置に訴えてもよいだろうという事例が散見されるのも確かなのだ。

W3CがDRM規格を認め3年経ち、もはや独立系ウェブブラウザが生き残る余地はない?

ウェブの標準化団体である W3C が、2017年にウェブに DRM 規格をもたらす Encrypted Media Extensions(EME)を認可し、それによって競争力のある独立系ウェブブラウザの終焉がもたらされた、という文章である。

この文章を知ったのは Boing Boing だが、そのエントリを書いているコリィ・ドクトロウは、W3C の EME 認可方針を2016年時点で痛烈に批判している。

現状は、当時ドクトロウが予見した通りだったとも言えるわけだ。

EMEの標準化以後に登場する新たなブラウザは、これまでとは根本的に異なった世界に産声をあげることになる。それらのブラウザがW3Cに定義されたコンテンツを受け取り、表示させるためには、CDMを作る資格を持つ一握りの企業と商業的なパートナーシップを結ばなければならない。

相互運用性とW3C:未来を現在から守るために / コリィ・ドクトロウ | P2Pとかその辺のお話R

そして、それは独立系ウェブブラウザの競争力を事実上奪ったというわけである。

しかし、なんで W3CDRMをウェブに許容したのか? ということになる。そのメリットはあったのか?

あったとは言える。Netflix や Hulu といったストリーミング映像配信サービスは、これで著作権コンテンツに保護をかけて配信できるようになった。が、それによって、そうした大企業とライセンス契約を結んだブラウザベンダに配信先が絞られることになる。

具体的には、ブラウザは暗号化されたメディアを再生するために互換性のある Content Decryption Module(CDM)を提供しなくてはならない。そして、その CDM の選択肢は実質 WidevineGoogle)、PlayReadyマイクロソフト)、FairPlayApple)という3つしかない……って、Edge ブラウザが Chromium の軍門に加わることで Widevine 支配がさらに強まるのかな(Firefox や Brave も Widevine を採用)。

でも、ちょっと待った。「開かれたウェブ」なんだから、新たに CDM を独自開発すればいいんじゃないか?

残念ながら、現実はそんな簡単ではない。CDM はウェブで DRM を実現するごく一部に過ぎない。詳しくは元エントリを読んでいただくとして、DRM の障壁が独立系ウェブブラウザにどういう影響を与えているかのリストは悲しいものがある。

イノベーションには競争が必要だし、新規参入者によりアクセス可能な余地を残すには、DRM の障壁を変える必要がある。究極的には、社会にとって最良なのは一斉に DRM を捨て、GoogleマイクロソフトApple が、腐ってしまったウェブプラットフォームを正すために立ち上がるべきだと著者は閉めている。もちろんそれが実現しそうにないことも著者は分かっているが。

「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2019年版)」で紹介した本のうち更に三冊の邦訳が出た(出る)

以前もやったが、昨年のゴールデンウィークに公開した「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2019年版)」で紹介した本の邦訳をいくつか見つけたので、まとめて取り上げておく。

まずこれは昨年秋に既に出ていたのを見逃していたのだが、映画ポスターのデザインの変遷から映画産業の発展の歴史をひも解く本の邦訳である。

時代と作品で読み解く 映画ポスターの歴史

時代と作品で読み解く 映画ポスターの歴史

続いて、「資産の独占化」の打破を訴えるラディカルな本なんだから先物買い的に邦訳が出ると面白いと書いたエリック・A・ポズナーの共著本の邦訳である。表紙が文字いっぱい(笑)

共著者のE・グレン・ワイルはマイクロソフト首席研究員で、マイクロソフトの CEO であるサティア・ナデラが推薦文を寄せている。

そして最後は、ポール・サイモンの決定的な伝記本の邦訳である。さすが DU BOOKS である。訳者も奥田祐士さんなので安心である。

ポール・サイモン the life  ソングライティングと人生(仮)

ポール・サイモン the life ソングライティングと人生(仮)

パラサイト 半地下の家族

とにかく評判が高い映画で、しかもネタバレ厳禁とのことで、日本公開翌日の土曜午後に映画館に出向くまで、その手の類を踏まないよう苦労した。これから観る人は、「韓国映画「パラサイト 半地下の家族」(『寄生虫』)をより楽しむための韓国文化キーワード7つ(ネタバレなし)」だけ読んで行くのがよいかも。

以下、映画の内容に触れるのでご注意を。

このように評判が高く、それとともに期待値が高くなりすぎると往々にして肩透かしをくらうことになりがちなのだが、本作は期待にがっちり応えてくれた。

意外にあっさり「寄生」に成功し、ここからどうなるの? まぁ、ご主人家族が急に帰ってきてドタバタはあるんだろうけど――ぐらいに思っていたところからの怒涛の展開!

これは多くの人が書いていることだが、日本の『万引き家族』アメリカの『アス』と見事に呼応した映画である。

(最新作の『家族を想うとき』は残念ながら観れていないのだが)本作と同じくカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したケン・ローチ『わたしは、ダニエル・ブレイク』もそうだけど、経済格差とそれが人心にどれだけむごい影響を与えうるか、本作はそれを見事にえぐっている。

一番その残酷さが出ていたのが、ご主人家族の奥様が言う、金持ちだから性格が良い、お金はしわを伸ばすアイロン、という言葉、そしてその正当性である。それがクライマックスとなるパーティに集まった人たちを見下ろす主人公の息子が、金持ちはこういう時でも余裕があって自然なんだね、と呟く半ば呆然とした表情に出ている。ご主人家族を単純な醜い金持ちと描いてないことが本作の成功に寄与している。そしてその一方で、主人公がいきつく「計画なんてしても無駄だ」という悟りの悲惨さ。

とにかく台詞やら小道具やらディテールに韓国社会の「経済格差」が詰め込まれている。これについてはいくらでも挙げられるだろうが、ご主人家族の住む家自体が実に良くて、世界的に共通となりつつある富裕層の暮らしぶりが打ち出されている。

洪水(雨に対する反応までが金持ち側と貧者側では反対!)でトイレがひどいことになりながら主人公の娘がクールにタバコを吸う場面など良い画がいくつも見事で、これはアジア圏の映画で異例のアカデミー賞主要賞ノミネートは不思議ではない。

ただ一点少し違和感があったのが、主人公と話す息子の台詞が丁寧語で訳されていたこと。韓国だとそんな感じなのだろうか。

さて、これを書いたので、これから本作について書かれたウェブの記事を読むことができる。それも楽しみ。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その32

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、さすがにベータ版公開から2年以上経つともう反応もなくなるだろうから、昨年末の更新でこのブログも当分休止状態になると見込んでいたのだが、いくつか反応を見かけてしまったので、そうなるとしつこく更新しますよ!

さて、年末年始に読んでくださった方がいて、そういうのは嬉しいなと思う。他にも電子積読の皆さんもどうぞ。

実際には2010年代全体は網羅できていないのだけど、こう書いてもらえるのはありがたいことである。

他にも、ワタシの窮状(?)を見かねてか、既に感想を書いてくださっている方々が再度の後押しをしてくださっている。

まったくだよ!

この10年を振り返る上で日本語圏には優れた文献がある。 yomoyomo さんによる『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だ。 分厚い内容で一気に読むと頭がクラクラするが,必読書であることは間違いないだろう。

私達の10年 — しっぽのさきっちょ | text.Baldanders.info

ワタシも同感です!

そういうわけで、更新頻度は昨年に比べるとはっきり落ちるとは思うが、2020年もよろしくお願いします。

『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』でケンブリッジ・アナリティカ(とFacebook)を告発したブリタニー・カイザーの告発本の邦訳が出る

Netflix ドキュメンタリー『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』のことは昨年夏に取り上げているが、その主人公(の一人)であるブリタニー・カイザーの告発本『Targeted』の邦訳が昨年末に出ていた。

告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

  • 作者:ブリタニー カイザー
  • 出版社/メーカー: ハーパーコリンズ・ ジャパン
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: 単行本

告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

原書が出たのが昨年秋で、それからほとんど間を置かずに邦訳が出る、つまりケンブリッジ・アナリティカと Facebook が所業がそれだけセールスポテンシャルがある話題と見られているとは思わなかった。

そうなると、同じく『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』の出演者であるクリストファー・ワイリーによる告発本『Mindf*ck』の邦訳も期待できるかな。

Mindf*ck: Cambridge Analytica and the Plot to Break America

Mindf*ck: Cambridge Analytica and the Plot to Break America

  • 作者:Christopher Wylie
  • 出版社/メーカー: Random House
  • 発売日: 2019/10/08
  • メディア: ハードカバー

Mindf*ck: Cambridge Analytica and the Plot to Break America (English Edition)

Mindf*ck: Cambridge Analytica and the Plot to Break America (English Edition)

この本について知りたい方は、翻訳書ときどき洋書の書評が参考になるでしょう。

チームのナレッジベース向けのWikiの新星Outline

Four short links で、「成長するチーム向けの最速の Wiki にしてナレッジベース。美しく、機能豊富で、Markdown 互換にしてオープンソース」を謳う Outline のことを知った。

公開されたのは2018年秋のようで、まだ若いソフトウェアと言える。高速な動作が売りだが、Markdown のサポート、Slack への対応、そしてサポートがメーリングリストでなく Spectrum なのがいまどきなのだろうか。BSD ライセンスで GitHub で公開されている。

今どき、Wiki ソフトウェアが単独で紹介されるのは珍しいし、何より『Wiki Way コラボレーションツールWiki』が初めての訳書である(今年で刊行から18年になるのか!)ワタシ的にはこの新星にやはり注目してしまうね。

出版社のnote活用事例まとめ

最近、note を使っている出版社がいくつも目についたのでまとめておく。出版社が何かしらウェブでチャレンジをやるとしたら、それにふさわしい場は note なんだろう。

ちょっと検索しただけでは出てこなかったが、こういうまとめを既にやってる人がいたら申し訳なし。漏れがあると思うので、お気づきの方はコメントください。

出版社 note 開始日 フォロワー数 関連サイト
文藝春秋 文春note部 2015/12/17 8596 文藝春秋BOOKS
リトルモア リトルモア 2017/01/16 330 リトルモア
ライツ社 ライツ社 2017/09/11 52659 @writes_p
早川書房 Hayakawa Books & Magazines(β) 2018/07/05 56362 ハヤカワ・オンライン
ポプラ社 ポプラ社一般書通信 2018/07/17 598 WEB asta
左右社 左右社 2018/10/16 119 左右社
書肆侃侃房 書肆侃侃房 web侃づめ 2019/03/12 592 書肆侃侃房
DU BOOKS DU BOOKS 2019/05/21 4025 DU BOOKS
ディスカヴァー・トゥエンティワン ディスカヴァー・トゥエンティワン 2019/07/02 214 ディスカヴァー・トゥエンティワン
森北出版 森北出版 2019/09/02 43 森北出版株式会社
柏書房 かしわもち 柏書房のwebマガジン 2019/10/30 207 柏書房
集英社 集英社文芸・公式 2019/10/31 1208 集英社 WEB文芸 RENZABURO
文藝春秋 文藝春秋digital 2019/11/07 4758 文藝春秋ホームページ
光文社 光文社新書 2019/12/17 175 光文社

単純に開始日(もっとも古いエントリの公開日)順に並べた。フォロワー数は本文執筆時点です。

ワタシのブログで、これらの note を取り上げたエントリとなると以下のあたり。

個人的には早川書房と書肆侃侃房の note が特に好きなのだが、そうした意味で後者のフォロワー数の少なさは残念に思う([追記]:その後、出版社を5社追加してみると、必ずしも少なくはないですね。申し訳ありません)。青木耕平さんという面白い書き手を知ったのもここだったし。

そうそう、早川書房海外SF作品必読フェア「ビジネス×想像力」は本日2020年1月6日までである。

先月刊行されたテッド・チャン『息吹』が話題になっているが、自分は前作を読んでないやん(映画『メッセージ』は観たけど)と慌てて電子書籍も買ったのだが、これもセール対象だった。チクショウ!(笑)

あなたの人生の物語

あなたの人生の物語

今回のセールでは、定番だけどこれまで買ってなかったものを数冊、そして昨年『三体』『折りたたみ北京』を読んだ流れで、ケン・リュウの本をポチった。

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

[2020年01月06日追記]:ライナスさん(id:soratokimitonoaidani)と pha さん(id:pha)さん、そして @ryuhdoh さんにご教示いただき4社追加した。ありがとうございます!
[2020年01月10日追記]竹田純さんにご教示いただき、また自分でも気づいたのも含めて計7社追加した。もうこれくらいでご勘弁を……。

年末年始に観た映画についてざっと書いておく

Netflix を含め、年末年始にぼちぼち映画を観たので、それについてまとめて書いておく。公開中(配信中)の映画の内容に触れるので、未見の人はご注意ください。

マリッジ・ストーリー

評判が高かったので、『ROMA/ローマ』『アイリッシュマン』がそうだったように、これは映画館で観るべき映画だという予感があったのだが、タイミングが合わず Netflix で鑑賞。

アダム・ドライバースカーレット・ヨハンソンの主役夫婦の二人の演技が素晴らしくて、弁護士役のローラ・ダーンを含め、これは絶対賞レースに絡むでしょう。

本作について『クレイマー、クレイマー』の現代版とも言われる。昔何かの文章で読んだ記憶があるが(だから記憶違いの可能性があります)、『クレイマー、クレイマー』でメリル・ストリープ演じる妻役は、原作では映画よりもキャリアウーマンで、結婚自体一種の逃避だった側面が強調されていたそうな。

そうした意味で本作は夫妻がキャリアを追求することでどうしても生じる摩擦が描かれており、夫が主催するアート系で評判はそこそこ高そうだが、でもあんまりお金にならなさげな劇団、安っぽそうな映画でおっぱい出して人気を得たのち夫と出会って劇団の看板女優にもなったが、西海岸でのキャリアを再開させるもなんだか大して面白そうでもないテレビドラマに出る妻、といったディティールの描き方がうまい。

ほとんど反則なくらい良い映画ばかりに出て、またどれもしっかり結果を出しているにも関わらず、突き詰めて書くと風貌が八木の野郎に似ているため毛嫌いするように好きになれなかったアダム・ドライバーだが、本作のクライマックスにおける泣き崩れる演技を観て、彼のことを認めざるをえないと思った年の瀬だった。2019年のトレンドワード「有害な男らしさ」を考える上で、アカデミー主演男優賞をとっても不思議ではない。

2人のローマ教皇

Netflix で鑑賞。

ワタシは一応カトリックの洗礼を受けているが、「一応」どまりな不信心な人間なので、もっとまともな(?)カトリック信者の人がこれを観てどう思うのかというのはよく分からないのだが、まさかこのテーマでこんなお爺ちゃん二人がイチャイチャする面白い映画にしてくるとは思わなかったな。

ベネディクト16世を演じるアンソニー・ホプキンスとフランシスコ教皇を演じるジョナサン・プライスの二人がうまいし、存命の実在の人物にちゃんと見えるのに、役者ってすごいよなと毎度ながら小学生のようなことを思った。

でも、単にお爺ちゃん二人の軽妙な会話で終わる映画ではなくて、ベネディクト16世は少年時代ヒトラーユーゲントにいたという過去、フランシスコ教皇独裁政権とのかかわりという過去に対する後ろめたさについて、特に後者について描かれることがこの映画にしかるべき重しになっている。

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

段取りと目配りに長けた凡才(J・J・エイブラムス)が本領を発揮した凡作。こんなものじゃないですか?

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

一足早く観た人の「これはほとんど新作と言ってよい!」という賞賛の声、「なんというか蛇足」というそれに相反する声の両方を聞いていたので行くか迷ったか、やはり『この世界の片隅に』に感銘を受けた人間として映画館に行ってきた。

ワタシはこうの史代の原作は未読で、そうした人間として『この世界の片隅に』を観たときに感じた戸惑いというか消化できなかったところが、なるほどこうなのかと納得のいく作りになっていて、3時間近いの上映時間が気にならない、いや、もっとこの作品世界にいたいと思わせる映画で、やはり涙が止まらなかった。

これから観る方は是非こちらを観てほしいとワタシは思うが、既にテレビドラマ版(こちらも未見)を見た人によると、「もうこれ見たし」という感じだったらしい。ふん!

失くした体

これも評判を小耳に挟んで Netflix で鑑賞。

切断された手(!)のストーリーと、その持ち主(と書くとヘンか?)である青年の回想が交互に進む形式だが、繊細な作りでよかったですね。ヒロインが分かりやすい美人に描かれていないのもリアルだった。音楽も良かった。

フランスのアニメ映画ってほとんど触れてなかったけど、これはまぎれもない鬱映画だよな。しかも、主人公である青年の不幸の原因が、お前に責任あるやんと言いたくなって、そんな感想を持ってしまう自分がなんか自己責任論者のように思えてもやもやしてしまったが、それも含めて制作者の狙いなのか。

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