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メールマガジン週刊ビジスタニュースの終焉

既にアナウンスが出ていたが、週刊ビジスタニュースの最終号「最後の挨拶」が今夜送信された。遂にこの日が来てしまった……

先日文学フリマで担当者の上林さんにお会いし、一通り想いは述べさせてもらったが、ワタシにとって何年も水曜夜の楽しみであった週刊ビジスタニュースがなくなるのは寂しさを禁じえない(バックナンバーのブログへの掲載は続くのだろうか?)。

上林さんにはじめてお会いしたのは4年以上前になる。その直後に原稿依頼があったのだが、正直に書くと、誰かと間違えてんじゃないかと思ったものだ。仕方がないので、自分は適任でなく、こんな文章しか書けないと送ったところ、それが掲載されたのである(笑)

ビジスタには合計4度寄稿させてもらった。

文章の書き手として尊敬していた方々と同じメルマガに名前を連ねることができたのはただただ嬉しかった。最後に寄稿したのが3年以上前で、上林さんにずっとよくしていただいたことを思うと、氏の些細な欠点を文章にし、怒りを買ったりした自分がひどい恩知らずに思えてくる。ビジスタの素晴らしさについて上林さんに力説し、それなら原稿を書けよと叱られたのは良い思い出である。

思えば先日の文学フリマで、松永英明さん(id:matsunaga)、近藤正高さん(id:d-sakamata)、真魚八重子さん(id:anutpanna)、深町秋生さん(id:FUKAMACHI)、円堂都司昭さん(id:ending)、そして速水健朗さん(id:gotanda6)といった方々にお目にかかったが、皆ビジスタの寄稿者であり、実は我々は上林さんをドンとするビジスタファミリーだったのだ(笑)

上林さんが週刊ビジスタニュースを廃刊したのは、上のようなくだらない微温的言説を嫌ったところもあるのかもしれない。最終号でオバタカズユキさんも書いているが、メルマガ廃刊は考え抜いた末の決断だったようだ。ビジスタがあろうがなかろうがお忙しいことにそう変わりはないようで、感傷的になる必要はないのだろう。

何でメルマガを廃刊してからビジスタニュースの名前で Twitter を始めるのかといったよく分からないところはあるが、ひとまずお疲れ様、今まで面白いメルマガをありがとうと言わせてもらう。

デレク・シバースが語る「私はいかにして坂本龍一のツアーギタリストになったか」

独立系ミュージシャンのサバイバルを助ける本物の漢デレク・シバースが、自分が坂本龍一のツアーギタリストを務めたときの話をよく聞かれるので、その話でもしようやと昔話をしている。

デレク・シバースというと CDBaby の創業者だが、「プログラミングはソングライティングに似ている」という文章を書いているくらいで、ミュージシャンだったのは知ってたが、坂本龍一のバックやったことがあるのは知らなかったな。

さかのぼること1991年、弱冠22歳のとき、彼はプロのミュージシャンになろうとニューヨークに住んでいた。

彼のルームメイト Hoover Li が当時『Heartbeat』をレコーディングしていた教授のアシスタントエンジニアだったのだが、当時来たる日本ツアーのギタリストが決まってなかった(ドラムはManu Katche!)。

Hoover Li が「俺のルームメイトが上手いギタリストなんだけど」とデレクを推薦した。デレクも当然坂本龍一のことは知っており、前のアルバム『Beauty』のファンだった。

リリース前の『Heartbeat』の DAT(ギターパートが入ってない)を渡されたデレクは徹夜してそれにギターパートを付け足した DAT を録音し、ミキシングし、元の DAT とともに渡した。

結局、彼が採用されるのだが、22歳にして坂本龍一のツアーに同行し、日本武道館のステージに立ったのは当然忘れ難い経験だったようだ。そして、バンドの中で一番若かったため、他のメンバーから「可愛がり」の対象にもなったそうだ(笑)

この経験から得た教訓として、物事の中心地に身をおくべし(ニューヨークにいたからチャンスに恵まれた)、素晴らしいことは知り合いを通じてもたらされる(彼の場合、ルームメイト)、これがチャンスと思ったら死に物狂いに全身全霊努力してそれを掴むべし、とかそれっぽいことを書いているが、一番インパクトがあったのは、文章の最後に添えられた写真で、見事に髪がふさふさしている!(笑)

いや、笑っちゃいけないのだが、およそ20年前だもんね。正に紅顔の美少年。案の定コメント欄でもその点に言及が集中している(笑)

Heartbeat

Heartbeat

あと関係ないが、アニリール・セルカンが語る「私はいかにして相川七瀬のツアーギタリストになったか」という文章はどうだろう。

ローリング・ストーンズからロン・ウッドが脱退?

『メインストリートのならず者』の再発盤が16年ぶりの全英チャート1位を獲得したストーンズだが、ミック・ジャガーが精力的にプロモーションしている。

『メインストリートのならず者』についてのドキュメンタリー映画の上映にあわせてカンヌ映画祭を訪れ、「あのころ僕らは若くて愚かだった。今は愚かなだけだけれど」と言ったのも笑ったが、シリコンバレー101で紹介されている話も面白い。かなり長めに引用させてもらう。

ネットと音楽の問題ついて、インターネットに限らず歴史的に音楽とテクノロジは切っても切れない関係にあったとしながら、今のレコード/CDモデルの論争や、音楽販売の議論は複雑な割につまらないとばっさり。ストーンズがデビューした頃はレコードからまったく収入がなく(売れなかったのではなく、レコード会社が支払わなかった)、1970年になってようやく印税が入るようになり、それから1997年まではミュージシャンにとって天国だったという。しかし、それも違法ファイル共有や違法ダウンロードでつぶれてしまった。ただ過去100年の音楽の歴史を振り返れば、ミュージシャンが経済的に非常に潤った時期は約25年間だけで、その期間のビジネスモデルを音楽業界のあるべき姿としてこだわるのはいかがなものか……という口ぶりだ。

http://journal.mycom.co.jp/column/svalley/367/index.html

さすが商売人にして現実主義者のミック・ジャガーらしい割り切りの良さ。

さて、ストーンズについては明るい話ばかりじゃなくて、またチャーリー・ワッツの脱退話が浮上したのに加え、以前からアル中問題、家庭問題が燻っていたロン・ウッドがストーンズ公式サイト上で前メンバー扱いされていたらしい。

昔キースは、「自分、ミック、そしてチャーリーの誰かが欠けてもストーンズは終わり」と逆説的にロニーを交換可能要員と言明していたわけだが、それでも30年以上(!)メンバー(正式メンバーとしてはおよそ20年)なんだからねぇ。

あと話を戻すと、ワタシは『メインストリートのならず者』がそこまで好きじゃないんだよね。『Let It Bleed』や『Sticky Fingers』のほうがアルバムの出来は上だと思う。

Exile on Main Street

Exile on Main Street

メイン・ストリートのならず者<デラックス・エディション>

メイン・ストリートのならず者<デラックス・エディション>

(日本語字幕入)ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実 [DVD]

(日本語字幕入)ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実 [DVD]

日本のマンホールの蓋の写真集『Drainspotting』が発売される

Boing Boing で知ったのだが、日本のマンホールの蓋の写真を集めた本『Drainspotting』が来月刊行されるとな。

Drainspotting: Japanese Manhole Covers

Drainspotting: Japanese Manhole Covers

これは同名のブログを元にしたもののようだが、目の付け所が面白いね。

調べてみたらこれの著者である Remo Camerota は、これまた日本の「メンコ」についての本も来月刊行されるのを知り驚いた。ほぼ同時期に日本関係のすさまじくニッチなテーマで二冊とは。

Menko: Art of the Japanese Game Card

Menko: Art of the Japanese Game Card

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