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デレク・シバースが語る「私はいかにして坂本龍一のツアーギタリストになったか」

独立系ミュージシャンのサバイバルを助ける本物の漢デレク・シバースが、自分が坂本龍一のツアーギタリストを務めたときの話をよく聞かれるので、その話でもしようやと昔話をしている。

デレク・シバースというと CDBaby の創業者だが、「プログラミングはソングライティングに似ている」という文章を書いているくらいで、ミュージシャンだったのは知ってたが、坂本龍一のバックやったことがあるのは知らなかったな。

さかのぼること1991年、弱冠22歳のとき、彼はプロのミュージシャンになろうとニューヨークに住んでいた。

彼のルームメイト Hoover Li が当時『Heartbeat』をレコーディングしていた教授のアシスタントエンジニアだったのだが、当時来たる日本ツアーのギタリストが決まってなかった(ドラムはManu Katche!)。

Hoover Li が「俺のルームメイトが上手いギタリストなんだけど」とデレクを推薦した。デレクも当然坂本龍一のことは知っており、前のアルバム『Beauty』のファンだった。

リリース前の『Heartbeat』の DAT(ギターパートが入ってない)を渡されたデレクは徹夜してそれにギターパートを付け足した DAT を録音し、ミキシングし、元の DAT とともに渡した。

結局、彼が採用されるのだが、22歳にして坂本龍一のツアーに同行し、日本武道館のステージに立ったのは当然忘れ難い経験だったようだ。そして、バンドの中で一番若かったため、他のメンバーから「可愛がり」の対象にもなったそうだ(笑)

この経験から得た教訓として、物事の中心地に身をおくべし(ニューヨークにいたからチャンスに恵まれた)、素晴らしいことは知り合いを通じてもたらされる(彼の場合、ルームメイト)、これがチャンスと思ったら死に物狂いに全身全霊努力してそれを掴むべし、とかそれっぽいことを書いているが、一番インパクトがあったのは、文章の最後に添えられた写真で、見事に髪がふさふさしている!(笑)

いや、笑っちゃいけないのだが、およそ20年前だもんね。正に紅顔の美少年。案の定コメント欄でもその点に言及が集中している(笑)

Heartbeat

Heartbeat

あと関係ないが、アニリール・セルカンが語る「私はいかにして相川七瀬のツアーギタリストになったか」という文章はどうだろう。

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