この文章を読み始めた諸君、読むのをやめて目を閉じてほしい。 目を閉じたら思い出してほしい。 小学4年生の君たちは、プログラムとともにあったか。 今思い出した10歳当時の諸君が手にとっていたプリントアウトが、 まぶたの裏によみがえるだろうか。 それから諸君が始めて書いたスクリプトを思い出そう。 いつ、何歳くらいのとき、何を、どこで書いただろうか。 そのときのPCは何? 使ったのは秀丸か、それともEmacsか。 それを諸君はきっと覚えている。思い出すことができるはずだ。 だからいま、目を閉じてみよう。 たったいま、諸君が目の奥に発見したもの、それこそが「自分」だ。 自分とは何かがわからなくなったら、いつも目をつむるといい。 自分がこれからどこに行くのか不安になったら、そのときも目を閉じることだ。 すると君たちのまぶたの裏に、自分の姿がよみがえる。 案外オレも、わたしも、頑張って生きてきたじゃないか。−−−−そう思う。 そのとき諸君がほかの友人たちと違うとしたら、必ずあのルーチン、 あのマクロ、コメント文のセリフが、一緒によみがえることじゃないだろうか。 それに夢中になっていた、自分の姿が現れる。 そこに自分がいる。そしてその延長線上に、今の自分がいる。 昔の自分と今の自分。2つがしっかりつながって、1本の木か竹のように感じられる。 その感覚だ。それができるということが、諸君が大人になるということなのだ。 そして気づくだろう。自分はいつも、プログラムとともにあったと。 一人で読んだとき、友達と読んだとき。 わくわくしながら辿ったコード、退屈しのぎにバグを探したコード。 諸君がいまプログラムを書けるその背後には、プログラムと共に送った膨大な時間がある。 だからいま、君たちはギークになって、このキャンプのフィールドに立つことができた。 世界は確実に変わってきた。 世界を変えたもの、それは、プログラミングだ。 今、君たちは世界を変える切符を手にしている。 しているけれども、人に会っただけで、出来るようになったと思ってはいけない。 人が発する言葉に流されすぎてはいけない。 きみたちがその肩に担うのは、友達同士の友情だけではない。 諸君はIT産業の将来を切り開く、崇高なる使命を帯びている。 今はコーディングスキルを鍛えるときだ。それには最初、真似が必要だ。 好きなハッカーのコードを真似よう。 チャンスは地道な努力の結果訪れるものだ。 けれどもアイデアは借り物じゃいけない。 どっかにありそうな、誰かが思いつきそうな、アプリではつまらない。 何を書いたらいいだろう。 そのとまた目をつぶろう。このあいだの自分、半年前の自分、そこにヒントがある。 大切なのは、自分。自分の内なる声に自覚的であれ。 正しさは自分にしか分からない、その正しさは自らの手で証明すればいい。 全国から集まったギーク諸君、たぶん一生ソースコードを読んでいく伊藤直也は、 たぶんいちばんきみたちに期待している一人だ。 諸君の作品を、Sourceforgeでダウンロードする日を待っている。 科学技術庁長官 伊藤直也
思いつき一丁ででっちあげたもので、大して面白いものにはならなかった。特に深い意図はありません。これを読んで不快に思った人がいたら申し訳ない、と予め書いておきます。
10歳の少年少女が当たり前のようにプログラミングに興じる未来が来ればと思いますが、果たして2025年に Emacs や Sourceforge は残っているか。
言うまでもなく、元ネタは以下の二つの文章です。