この文章は、1969年にトロントの高校を出たばかりの、特に人生の目標もなかったトーマスの話から始まる。彼の父親は大工だったが、あいにく彼は不器用ときた。そこで母親が彼に新奇なものを勧めた。「コンピュータプログラミング……とかどう?」
トーマスはカナダの大きな銀行に入行し、1978年にプログラマーとしてのキャリアをスタートした。彼は常にパズルを解いているようでプログラミングが好きだった。彼はコードを書いては「パンチカード・オペレータ」に渡した。日に二度カードを銀行の巨大な「メインフレーム」コンピュータに食わせるが、そのコードが正しく動いているか分かるには数時間かかった。ヘマをやらかしたら、トーマスはエラー文を凝視して、COBOL のコードを書き直してやりなおしだ。
数年のうちにトーマスは COBOL が得意になり、かけがえのない何千行ものコードを書いた。銀行が支払いを行うのは彼のコードだ。70年代、80年代、90年代とトーマスと同僚のコーダーは数千万行もの COBOL のコードを書いた。彼が特に誇りに思うのは、1日に300万~500万ものトランザクションを処理可能な非常に高速なプログラムである。彼がそのプログラムを最初に書いたのは1988年だった。そして、そのコードは今なお走り続けている。
トーマスは2007年に60歳で退職したが、銀行は彼が書いた、その時点で20年もののシステムに依存していた。実際、彼と同僚の書いたコードは、今なお銀行の業務になくてはならないものだと彼は信じている。というのも、リタイアしたトーマスのもとに銀行から彼のプログラムのことで電話があるのだ。銀行にはトーマスほど COBOL を理解している従業員がもはやいない。今なお銀行の重要なシステムを担うコードを書いた人たちは、トーマス同様皆引退している。一方で、ほこりくさい、50年もののコンピュータ言語を学びたいと思う若いコーダーはいない。
なのでこの大銀行は、今や73歳のトーマスのような人にいまだ頼り、新しい機能や改良を依頼すらしている。COBOL はあなたよりも長生きするだろうかと問われ、トーマスは答える。
「だろうね」
――ああ、こういう文章楽しいねぇ。これを書いているのは、少し前に『Coders(コーダーズ)凄腕ソフトウェア開発者が新しい世界をビルドする』が出たクライブ・トンプソン(Clive Thompson)である。
Coders(コーダーズ) 凄腕ソフトウェア開発者が新しい世界をビルドする
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- 発売日: 2020/09/30
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アメリカの金融機関で行われるトランザクションの80%超が COBOL で動いており、銀行のカードでお金を引き出すときにかかる時間の95%に COBOL が関わっているそうな。正確なところは誰にも分からないが、2400億行もの COBOL のコードが、我々の日々の生活のもっとも重要なところを静かに担っていると推定されるらしい。「アメリカで石油に続いて二番目に価値がある資源は、この2400億行もの COBOL のコードなんです」と語る人もいる。
COBOL が今なおバリバリ現役で、重要な役割を担っていることは分かった。新しいものが尊ばれるようにみえるテック業界の常識を超越した話だが、ここに COBOL のパラドックスがある。COBOL があまりにも安定して動いているものだから、何か変えたいと思っても、それをやるのは危険すぎるのだ。しかし、金融機関の顧客が期待するものとの乖離も出てくるわけで――このあたりから COBOL についての文章らしく、ワタシには退屈になって読み通す意欲が急激に失われてしまうのだが(笑)、まぁ、お時間のある方は読んでみてくださいな。
「COBOL が死にかけているという噂が業界全体でありました」と COBOL を開発したグレース・ホッパーは1981年に回想している。しかし、幸か不幸か言語の誕生から60年経った今現在も COBOL は世界を回している。
ネタ元は Boing Boing。
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世界をみちびいた知られざる女性たち (3) グレース・ホッパー プログラミングの女王
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