忌野清志郎がこの世を去って今年で6年になるなんて信じられないが、「忌野清志郎「CMはアルバイト!」と即答」という週刊朝日の記事でちょっとはっとしたくだりがあった。
ただ危険だなと感じるのは「いま清志郎さんがいたらどうしただろう?」を考えるのは自由だけど「きっと怒っていたに違いない」などと勝手に断定してそれを利用するようなムードがあることです。そうではなく、一人ひとりが清志郎さんから受け取ったものを、どう自分の行動に変えていくか、が大事。
忌野清志郎「CMはアルバイト!」と即答 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
いるよね、こういう勝手に断定して、故人の虎の威を借る人。
同じような物言いで気になるのは、ナンシー関についての言説。「今、ナンシー関がいたら、○○を見てどういうだろうか」「ナンシー関がいたら、このもやもや状態に適切な言葉を与えてくれたんじゃないか」みたいなヤツ。
いや、言いたいことは分かるよ。ワタシだってそれ思うことあるもん。ナンシー関好きだったし。
でもさ、そういうのもう止めようよ。他人に仮託するんじゃなくて、私はこのこと(この人)に対してこう思う、と自分の言葉で書けばいいだけじゃないか。