The Smiths のラストアルバム『Strangeways, Here We Come』の一曲目、"A Rush And A Push And The Land Is Ours" はこんな歌詞で始まる。
なぜオライリーウェブログを翻訳するのか
最近オライリーウェブログを翻訳することが多い、というより翻訳はほとんどそれからになってしまっている。これにはいくつか理由がある。
まず文章自体短くまとまっているものが多いのは大きい。読者にしてもこれぐらいが読みやすいサイズなのだろうし、当方の加齢による体力の衰えもある。一方でエントリの時事性、というのはあまりなかったりする。そういうのに関係なく、自分に興味のある分野について書かれたエントリを選ぶからだ。
それでも、オライリーウェブログに執筆するような人を紹介できればとは少し思う。例えば、前回翻訳した Gordon Mohr は、Internet Archive の Chief Technologist であるし、今回翻訳した Ethan Cerami は、「Webサービス エッセンシャルズ」の著者だったりする。そういう人達の文章を訳せるのは、こちらとしても刺激になる。
しかし、忘れてならないのは、オライリーウェブログのコンテンツが Creative Commons の Attribution-NonCommercial-ShareAlike ライセンス下にあることだ。これは前にも書いたことだが、これのおかげで、こちらがやってよいことが明確になる。つまり、いちいち許諾を取らなくても、翻訳を公開できるわけだ。企業サイトに置かれたコンテンツについて、ワタシのような何のバックも持たない一介の雑文書きが、相手(著者、企業担当者)に話を付けてお墨付きを得て翻訳を公開するのは難儀なことなのだ。
こうした翻訳は、「クリエイティヴ・コモンズに関する悲観的な見解」において指摘される「世のクリエイティヴ・コモンズが適用された著作物の大半は、いわゆるblogの類」という現状にのっかった、マクロで見ればたいした価値のない派生仕事に過ぎないのかもしれない。しかし、CC ライセンスのおかげでワタシの行動の自由が広がったにも確かなのだ。
そして最後にあまり楽しくない理由を挙げておくと、以前はフリーソフトウェア/オープンソース関係の雑文を好んで訳してきたが、当時感じたような興奮を感じる文章がこの分野に少なくなった印象がある。もちろんそれはこっちの事情に過ぎず、それをもってオープンソースの現状がどうこう言うつもりは毛頭ない(言えるわけがない)。しかし考えてみると、山形浩生も以前よりオープンソース関係の翻訳が少なくなった印象があるが、もしかしたら氏も同じような停滞感を感じている…なんてことはないか。あの人の場合、手をつけている仕事の範囲が多岐にわたっており、絶対量が桁違いだからね。
O'Reilly Hacks Series
最近そのオライリーから出ているハックシリーズのサイト。こんなにたくさん出ていたんやねー。eBay Hacks とか TiVo Hacks なんてのまで出ているのは驚き。TiVo についての書籍については以前も書いたが(本のタイトルも似ている)、ちょうど ZDNet に「DVRの“事実上の標準”になるか――全米を虜にした「TiVo」の秘密」という小寺信良氏による記事が出たばかりですな。
梅田望夫氏も blog で何度か Tivo を取り上げており、タイトルに登場するものだけ挙げても以下の三つがある。
The Freenet Project Japan
さて、ここからはしばらく前からウェブで見かけてきた URL をクリッピング(おおっ、ウェブロだ)。
長らく P2P 関係の情報をおっかけるのをサボっていたのだが、気がつくと立派にサイトが整備されていた。思想に関する FAQ ページとか論文「分散匿名情報の保管と検索システム」日本語訳とか。
えーと、この日本語サイトは誰が運営しているのかしら?
DQN = Dumbly Qualified Negligence
このたざきさんの定義は応用範囲が広く、言葉の鉱脈を探し当てましたな、という感じ。
他にも AFO = Aggregated Feedback of Oddity なんてのもある。
この人昔から嫌いなんですよね〜
まあ、少なくとも林雄司さんのインタビューが他の二人のそれより百倍すがすがしいものだったことは確か。
御用学者呼ばわりして何か意味があるのか
最近、そこが知りたい!検索エンジンの裏側なども書かれている佐々木俊尚氏の blog より。
日本で FUD を使うのは企業スポークスマンではなく、むしろ専門家ではないかという山根信二さんの指摘は、環境保護運動を巡る状況にもあてはまるのかもしれない。しかし、「反対の意見を言われると、相手を御用学者呼ばわりして抵抗するぐらいしか他に術がない」という正にレッテル貼りのレベルでは、レッテル貼り返しされても文句は言えないだろうなとも思う。
「環境危機をあおってはいけない」のような本が(どういう陣営からであれ)FUD に利用されるのでなく、正当に評価、批判されることを望む。