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YAMDAS更新、もしくは読書記録の再開

yomoyomoの読書記録Paul Graham『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』を追加。

予告通り、ポール・グレアムの本で読書記録再開。簡単に書けるかと思ったらえらく時間がかかってしまった。おかげで全然 blosxom やフレーバーに手を入れることができなかった。今週中にはもう少し見た目を整備して、LOVELOG のほうに手を入れないと。

しかしなぁ、entry_index プラグインがちゃんと働いてくれないんだよなぁ。まあ、おいおい調べるか。

これから新しく読んだ本と、昨年後半からこれまで読書記録を書いてなかった本の文章を交互に公開することになると思う。

Wikipedia が Google 陣営に

対象となるのは Wikimedia 財団のコンテンツすべてに及ぶようだが、やはり一番インパクトがあるのは Wikipedia だろう。でも個人的には、Google News と競合する可能性のある Wikinews の行方が気になる。

このサイトでも何度か取り上げている Angela Beesley のサイトで GoogleWikipedia のコンテンツを利用する Answers.com を採用という話を読んだ時点では、この展開は予想がつかなかった。

Google もいくつか企業買収はやっていると思うが、「コンテンツ」を買ったというのははじめてじゃないかな。違うのかな?

この件については、Slashdot 本家にストーリーができている。また Jimmy Wales とディナーをともにした Dan Gillmor のコメントもご参考まで紹介。

スタートレックの情報集積WikiプロジェクトMemory Alpha

2003年に開設された Star Trek の情報集積サイト Memory Alphaホスティングを Wikia が行うことが Wikicities ブログで告知されている。トレッキーな方は一度ご覧になってはいかがでしょうか。

こうした情報集積サイトに Wiki が適しているのは言うまでもなく、またクリエイティブ・コモンズのライセンスが適用されるので情報の再利用しやすくなる。

折田先生を讃える会

言わずと知れた有名ページだが、ひらばやしさんのところから辿って久しぶりに見てみた。気分をリフレッシュさせるために定期的に見るとよいウェブページであることを再確認。

ワタシはその七を今回はじめてみたのだが、これは昨年三月の「作品」とのことで、ということは間もなく有志による新作が発表される……のか?

おれカネゴン文体

同じくひらばやしさんのところで、おれカネゴンさんの算数記において魔術的なパワーを発揮するおれカネゴン文体についてまとめた Wiki ページができている。ワタシもこの文体を時折パクらせてもらってます!

個人的にこれまで一番受けたのは、2003年2月28日における、

後から来たのに追い越され【泣くのがいやならおれカネゴン】。

だろうか。素晴らしきご先祖様とのコール&レスポンス!

筒井康隆によるハードボイルドの本質についての解説

週末実家に帰った折、『筒井康隆の文藝時評』河出文庫)を再読した。以前にも書いたことがあるが、これは本当に面白い本で、断筆宣言により四回で連載が終了したのが残念でならない。せめて本にまとめられた分量の倍あれば、筒井康隆による現代日本文学の批評として全方位性をもったものになったと思うのだが。

今回再読したのは、この本の中で筒井康隆がハードボイルドについて解説したところがあったことを覚えていて、以前レイモンド・チャンドラーについて書いたときからその内容が気になっていたためである。以下、『筒井康隆の文藝時評』からの引用。

言うまでもなく「ハードボイルド」は、ただ私立探偵が出てくるというだけの小説ということではない。(中略)また「ハードボイルド」は暴力がテーマであるとか、主人公がタフであるとか、非情であるとか、やさしさを持っているとかいったことにも本質的には関係がない。「ハードボイルド」の本質はそのパースペクティブにある。(93ページ)

そして筒井康隆は、小説を四つのタイプに分類する。

  1. 語り手が物語世界の外にいて、主観的に物語る小説
  2. 語り手が主人公または登場人物のひとりで、主観的に物語る小説
  3. 語り手が物語世界の外にいて、客観的に物語る小説
  4. 物語世界の中にいる語り手が客観的に物語る小説

さらに分類すると前二つが内的焦点化、後二つが外的焦点化ということになるのだが、この外的焦点化こそがハードボイルド本来のパースペクティブとのこと。

ハードボイルドは特に第四のかたち、つまり語り手が主人公であることが多く、そうでなくても語り手の視点が主人公に密着しているのでより非情さが効果的に表現される。このため、ともすればハードボイルドの主人公=非情と思われやすいが、そうでなく、非情なのは作者のパースペクティブなのだ。(95-96ページ)

『富豪刑事』映像化にみる筒井康隆の自意識の変化

筒井康隆の文藝時評』を読んだついでに実家にある彼の他の本も読んだのだが、「噂の真相」における断筆宣言までの連載をまとめた『笑犬樓よりの眺望』を読み、いささか暗い気持ちになった。

1987年、今から18年前に彼は「『富豪刑事』はなぜ映画化されなかったか」という文章を書いている。『エレンディア』と『蜘蛛女のキス』の映画版を例に、その原作への忠実さ、つまりは原作の中の「ことば」への忠実さを賞賛し、一方で日本映画の現状を腐している。そして『富豪刑事』ショーケン主演で映画化する話があったが、原作を使わぬ海外ロケの作品になり、いろいろと希望を出したもののすべて拒否され、ノベライゼーションを出すよう要請され、映画化を拒否した話を明かしている。

その文章で彼が書いていることはもっともなのだが、それなら現在テレビドラマ化されている『富豪刑事』はありゃ一体なんなのですか、原作のことばに忠実どころじゃないですぜ、と言うのは野暮なのだろうか。

ワタシは深田恭子に興味がないのでこのドラマ版は見ていない(というか、ほとんどテレビドラマは見なくなって久しい)ので、その出来について一切論評はできない。しかし、それに原作者自身が出演しているという話を聞き、なお嫌な気分になったのは確かだ。

役者としての筒井康隆については、以前岡田斗司夫が、素人芸の域を出ていないじゃないかいう意味のことを書いていたが、正直ワタシもそう思う。

一貫して演技者志向がある作家であるし、実際役者を志したこともあったわけで、役者として出演するのは別に良い。しかし役者としての自身の評価について、昔のエッセイなどを読むと謙虚なのに対し、断筆解除後の「噂の真相」の連載を読むと随分と増長した印象を受け、何か勘違いしているのではないかと思ってしまう。

長年の愛読者としてこういうことは書きたくはないが、筒井康隆ほどの人でも、歳を取ると自分を客観的に見れなくなるのか。

ショーケンも逮捕されたしな(←関係ないって)。

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