週末実家に帰った折、『筒井康隆の文藝時評』(河出文庫)を再読した。以前にも書いたことがあるが、これは本当に面白い本で、断筆宣言により四回で連載が終了したのが残念でならない。せめて本にまとめられた分量の倍あれば、筒井康隆による現代日本文学の批評として全方位性をもったものになったと思うのだが。
今回再読したのは、この本の中で筒井康隆がハードボイルドについて解説したところがあったことを覚えていて、以前レイモンド・チャンドラーについて書いたときからその内容が気になっていたためである。以下、『筒井康隆の文藝時評』からの引用。
言うまでもなく「ハードボイルド」は、ただ私立探偵が出てくるというだけの小説ということではない。(中略)また「ハードボイルド」は暴力がテーマであるとか、主人公がタフであるとか、非情であるとか、やさしさを持っているとかいったことにも本質的には関係がない。「ハードボイルド」の本質はそのパースペクティブにある。(93ページ)
そして筒井康隆は、小説を四つのタイプに分類する。
- 語り手が物語世界の外にいて、主観的に物語る小説
- 語り手が主人公または登場人物のひとりで、主観的に物語る小説
- 語り手が物語世界の外にいて、客観的に物語る小説
- 物語世界の中にいる語り手が客観的に物語る小説
さらに分類すると前二つが内的焦点化、後二つが外的焦点化ということになるのだが、この外的焦点化こそがハードボイルド本来のパースペクティブとのこと。
ハードボイルドは特に第四のかたち、つまり語り手が主人公であることが多く、そうでなくても語り手の視点が主人公に密着しているのでより非情さが効果的に表現される。このため、ともすればハードボイルドの主人公=非情と思われやすいが、そうでなく、非情なのは作者のパースペクティブなのだ。(95-96ページ)