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『富豪刑事』映像化にみる筒井康隆の自意識の変化

筒井康隆の文藝時評』を読んだついでに実家にある彼の他の本も読んだのだが、「噂の真相」における断筆宣言までの連載をまとめた『笑犬樓よりの眺望』を読み、いささか暗い気持ちになった。

1987年、今から18年前に彼は「『富豪刑事』はなぜ映画化されなかったか」という文章を書いている。『エレンディア』と『蜘蛛女のキス』の映画版を例に、その原作への忠実さ、つまりは原作の中の「ことば」への忠実さを賞賛し、一方で日本映画の現状を腐している。そして『富豪刑事』ショーケン主演で映画化する話があったが、原作を使わぬ海外ロケの作品になり、いろいろと希望を出したもののすべて拒否され、ノベライゼーションを出すよう要請され、映画化を拒否した話を明かしている。

その文章で彼が書いていることはもっともなのだが、それなら現在テレビドラマ化されている『富豪刑事』はありゃ一体なんなのですか、原作のことばに忠実どころじゃないですぜ、と言うのは野暮なのだろうか。

ワタシは深田恭子に興味がないのでこのドラマ版は見ていない(というか、ほとんどテレビドラマは見なくなって久しい)ので、その出来について一切論評はできない。しかし、それに原作者自身が出演しているという話を聞き、なお嫌な気分になったのは確かだ。

役者としての筒井康隆については、以前岡田斗司夫が、素人芸の域を出ていないじゃないかいう意味のことを書いていたが、正直ワタシもそう思う。

一貫して演技者志向がある作家であるし、実際役者を志したこともあったわけで、役者として出演するのは別に良い。しかし役者としての自身の評価について、昔のエッセイなどを読むと謙虚なのに対し、断筆解除後の「噂の真相」の連載を読むと随分と増長した印象を受け、何か勘違いしているのではないかと思ってしまう。

長年の愛読者としてこういうことは書きたくはないが、筒井康隆ほどの人でも、歳を取ると自分を客観的に見れなくなるのか。

ショーケンも逮捕されたしな(←関係ないって)。

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