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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その15

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、@heartfield さんからありがたい感想をいただいた。

「久しぶりに人の真剣な文章を読んだ気がする」って言っていただけると嬉しい。それだけで書いた甲斐があるというものである。

あと、@heartfield さんが書いているこの話は、ワタシも疑問に思っていたことだったりする。

レスポンスにも書いたが、正直これについてはワタシも正解が分からなくて、BiB/i を使ってブラウザで読んでいるのだが、パソコン(WindowsMac)/スマホiOSAndroid)で答えは変わるのだろうな。

ティム・ウーの新刊『大企業の呪い:新たな金ぴか時代における独占禁止法』が今秋出る

「ネットワーク中立性」という言葉の発明者として知られるティム・ウーの本は、2年前に取り上げているが、結局邦訳は出ないのかな。

さて、前作から2年で新作が出ることを調べものをしていて知った。

The Curse of Bigness: Antitrust in the New Gilded Age

The Curse of Bigness: Antitrust in the New Gilded Age

今回はページ数が170ページということで、これまでよりも分量が少ない。気になるのは『大企業の呪い:新たな金ぴか時代における独占禁止法』という本のタイトルである。

「金ぴか時代」とはアメリカにおいて資本主義が急速に発展を遂げた1870〜1880年代あたりを指し、ウィキペディアによると、「拝金主義に染まった成金趣味の時代として扱われることが多く、政治腐敗や資本家の台頭、経済格差の拡大を皮肉った文学者、マーク・トウェインらによる同名の共著小説に由来する」とのこと。つまり、現在を新たな「政治腐敗や資本家が台頭し、経済格差が拡大する時代」とウーはみなしているわけですな。

また「大企業の呪い(The Curse of Bigness)」という題名は、独占禁止などの合憲性を主張し、労働者の基本的権利を守り、合衆国最高裁判所判事となったルイス・ブランダイスの同名の著作に由来する。

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2018年版)で、巨大テック企業の脅威を訴えるフランクリン・フォア『World Without Mind: The Existential Threat of Big Tech』にティム・ウーが推薦の言葉を寄せていることを紹介したが、彼の新刊も GAFA をターゲットとしているに違いない。遂に彼も巨大プラットフォームを握るテック企業を批判するトレンドに乗るのか。

こうした巨大テック企業の独占を民主主義の危機ととらえる視座は、ジョナサン・タプリンの Google 分割論、並びに彼の著作にもつながりそうな話である。

Move Fast and Break Things: How Facebook, Google, and Amazon Cornered Culture and Undermined Democracy

Move Fast and Break Things: How Facebook, Google, and Amazon Cornered Culture and Undermined Democracy

ティム・ウーはスタンフォード大学で、ルイス・ブランダイスの『The Curse of Bigness』についての講義を行っており、それはつまり彼の新刊のタイトルでもあるので、その内容もこれを聞けばだいたい分かるだろう。英語の得意な方は、字幕付きで挑戦してみてください。

「シリコンバレーの小保方晴子」ことエリザベス・ホームズが新会社を立ち上げようとしているらしい

「『彼女は間違いなく社会病質者傾向がある』:エリザベス・ホームズがなんと新会社を立ち上げようとしている!」という記事タイトルに笑ってしまったが、書いているのはニック・ビルトンか。関係ないが、彼の『American Kingpin』は、結局邦訳出ないのかねぇ。

一時は時価総額が9000億円だかに達したが、後にそのインチキがバレた Theranos の創業者にして、「自力でビリオネアになった最年少の女性」とも言われたエリザベス・ホームズの隆盛と凋落については、同じくニック・ビルトンが Vanity Fair に書いた記事の邦訳「ジョブズになり損ねた女:DNA検査の寵児、エリザベス・ホームズの墜落」に詳しい。

TechCrunchForbes の記事にあるように、今年に入って米証券取引委員会(SEC)は Theranos を「巧妙大規模な詐欺」として告発している。

エリザベス・ホームズについては、ピューリッツァー賞も受賞したことのある調査報道記者にして、Theranos の詐欺行為を最初に暴いた調査報道で2015年のジョージ・ポルク賞を受賞している John Carreyrou が、彼女並びに Theranos についての本を出したばかりで、この記事もそれを踏まえたものである。

Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup

Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup

Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup (English Edition)

Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup (English Edition)

エリザベス・ホームズを「シリコンバレー小保方晴子」という人もいるが、投資額や時価総額を考えれば、経済に与えた影響は小保方晴子の比ではないだろう。エリザベス・ホームズの恐るべきしぶとさについては昨年瀧口範子さんも記事にしているが、彼女はまったくめげてないようだ。John Carreyrou の話を聞いたニック・ビルトンは、ホームズの虚言の悪質さとそのエスカレーションに半ば呆れ、以下のように書いている。

そんな風にふるまう人を見て、しかも彼女は自身の行動が他者の生活を破壊することを完全に無視しているわけで、まず頭に浮かぶ疑問は「彼女ってソシオパス(社会病質者)なのか?」である。

そこでこの記事のタイトルになるわけだが、つまりは John Carreyrou も、エリザベス・ホームズにソシオパス傾向があると見ているわけですね(彼女はまったく反省していないどころか、Theranos の元従業員の話によると、すっかり殉教者きどりらしい)。しかも彼女は現在シリコンバレーの投資家行脚中で、新たなスタートアップのアイデアを売り込んでいるとのこと。いやはや、おぞましい話である。

John Carreyrou の本の邦訳が待たれるところ。ネタ元は Slashdot

スタンリー・キューブリックのカメラマン時代の写真を集めた本が出たとな

こないだ『2001年宇宙の旅』のHAL 9000の声についての逸話を取り上げたが、今年生誕90周年だったりするスタンリー・キューブリックが、映画監督になる前に Look 誌でカメラマンやってた話は知られている。その当時に彼が撮影した写真を集めた『Stanley Kubrick Photographs: Through a Different Lens』という本が今月出たとな。

Stanley Kubrick Photographs: Through a Different Lens

Stanley Kubrick Photographs: Through a Different Lens

彼が雑誌のスタッフになったのは17歳(!)だったそうだが、それから5年間に撮影した写真が収録されているようだ。

ニューヨーク市立博物館において、同名の展覧会が10月28日まで開催されているが、ニューヨーク市立博物館の YouTube チャンネルにあがっている動画で、写真の一部を閲覧できる。

我々はキューブリックが後になした仕事を知っているから、この時代の写真まで格調高く見えるところがあるが、邦訳も出てほしいねぇ。

あとこれも kottke.org 経由で知った話だが、『2001年宇宙の旅』において宇宙船でクルーが食事に使用したカトラリーはアルネ・ヤコブセンがデザインしたものだが、それが Amazon で買えるんだって。

高いな! 『時計じかけのオレンジ』に出てくる「あのオブジェ」ほどのインパクトはないが、Amazon でこんなものまで買えるんやね。

そうそう、スタンリー・キューブリックについては、5年前に彼が好きだった映画約80本のリストも作っているので、キューブリックに興味のある方にご一読をお勧めする。

スタンリー・キューブリック コレクション [Blu-ray]

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デッドプール2

前作は吹き替え版を観たが、今回はレイトショーをやってたのが字幕版だったので、そちらになった。字幕担当者も大変な苦労があったようだが、本作のように台詞の情報量の多い映画は吹き替えのほうがよかったかもしれない。

いずれにしても前作以上に楽しめました。本作では、例のメタな作りがさらに冴えている。特にラストで、主人公の(というか、もはやライアン・レイノルズの)修理したアレの使い方には笑ってしまった。

本作では、ライアン・レイノルズが主演と製作に加え脚本にも参画しているが、本当に彼はすごいキャラクターをものにしたもんだと思う。デッドプールの不死身という設定は、それじゃ結局誰と戦っても勝つじゃないと観客に冷静になられると終わりなわけで、本作の展開はそのあたりもうまく考えられている。

本作では「ダブステップ」という言葉が何度か出てくるが、一方で本作の音楽は(最近の映画に多いが)80年代推しだったりする。『フラッシュダンス』のようなちょっとした笑いどころとしての意匠の利用、『SPACED 〜俺たちルームシェアリング〜』でもやっていた家の外から流す曲がピーガブだったりするのをはじめ、何より「テイク・オン・ミー」の使い方は、あの曲のビデオを知る人にとっては冗談抜きで感動的ですらあった。

なお、本作にあの人とあの人がカメオ出演しているのをうっかりネットの書き込みで読んでしまっていた。あの人の出演場面については、その人について「君、もっとヘタレ役をやりなさい」と昔書いていたワタシ的には、『バーン・アフター・リーディング』以来の良さがあったぞ!

本作は冒頭で「ファミリー映画」だと宣言される。バシバシ主人公が人を殺す血まみれな映画だが、本当に「ファミリー映画」なのである。それは、とんでもなく不謹慎で下品な主人公が暴れまくるこの映画が、包摂と多様性を実現していることとつながっている。

さて、最後にこの映画自体の感想から少し離れるのだが、アメリカの映画やドラマで、車を運転していて、助手席に座る人との会話で運転者が結構な時間はっきり横を向くシーンがワタシは苦手である。危ないだろが! とイライラするのだ。実際そのせいで事故る場合もあるし、そうでない展開もあるが、前向けよ! と怒りすら覚え、その作品自体への悪印象にすらつながる。

教えてもらったところによると、『アメリ』の主人公も「嫌いなのは昔のアメリカ映画で脇見運転するところ」と言ってるらしいが、「昔の」だけではないんですね。『デッドプール2』にもそういうシーンがあって、この映画の場合、それで事故にはつながらないのだが、その場面は観ていてソワソワ、イライラし、疲れてしまった。作品の展開として必然性がなければ、こういう演出もう止めてくれないかなぁ。基本、普通に運転手が前を見て運転し、助手席の人間と話せばいいだけじゃないのか。

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