宮崎学の本音のコラム(85回目)10月21日付より引用。
例えば昨年他界したある人は、遺産五億円、負債が百億円という豪快な人物であったのだが、負債は全部個人で背負い、残された者に累が及ばないようにしてあった。私には実に爽快に思える例であった。
一体この話のどこが爽快なのか、ワタシには分からない。遺産よりも負債が多ければ、単に遺族が相続放棄すればよいだけの話ではないか。別に死ぬ人間が策を弄す必要はない、至極基礎的な手続きの話ではないか(もちろん生きているうちに負債をなくすのが一番だが)。違うのだろうか。ワタシが世間知らずなだけか?
先日何かのテレビ番組で、遺産が入ったと思ったら時間をおいて大きな負債があることが発覚して相続放棄もできずひどい目にあう例を放送していたが、これはそれにはあたらない。
これとは別に、最近の宮崎学の書く文章は、以前の懐の深さがない、俗情におもねる文章が目立つように思う。