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ミスティック・リバー

DVDジャケット

間違いなくクリント・イーストウッドの晩年の傑作に挙げられる作品であり、クラシックとして残る風格を備えた映画である。しかし、後味の悪い映画である。

本作は俳優陣の演技が素晴らしい。本作の演技によりショーン・ペンティム・ロビンスがオスカーを獲ったが、それぞれの妻役であるローラ・リニーマーシャ・ゲイ・ハーデンの存在があってこそだったのは間違いない。特にマーシャ・ゲイ・ハーデンの怯えた目とその生活感を漂わせる貧相さ、特に暗い室内におけるティム・ロビンスとの絡みは絶品である。ローラ・リニーも最後の最後になって、実に恐ろしい言葉とともに存在感を示す。

本作については、その思想性、政治的意図が論議されたようだ。当方はまだ観ていないがいずれ観るつもりでいる映画については、あまり映画評、感想の類は読まないようにしており、本作についても同様だったのだが、実際に観て、なるほど、これはそうした意見が出るのも仕方ないなと思った。つまりは力を持つ者が自分の信じる正義を暴力として行使し、結果的にそれが誤った力の行使であってもその罪は見逃される、これは現在のアメリカを肯定する思想そのものではないか、というものだろう(未だに映画評はほとんど読んでないので違うかもしれませんが)。

そうした声については当の出演者も承知していたようで、ケヴィン・ベーコンとロビンスによる音声解説では、シェークスピアを引き合いに出したり、決して主人公が許されたとは思わない、結局暴力は暴力を連鎖し破滅に向かうだろうといった意見を述べて本作の結末を擁護している。

しかし、殺人者にとっての赦しを描いた『デッドマン・ウォーキング』において、それぞれ監督と主演を務めたロビンスとペンが、本作のような形で対峙するのはどうなんだろうと思ったのも事実である。当方の考えはまだまとまっていないが、一つだけ言えるのは、当方はどうしても弱き者、裏切られる者に感情移入してしまうということ。本作でいえば、一人だけ正直だったために拭いがたい傷を背負うことになり、以後嘘を重ねるようになり、最終的にやはり嘘をついて殺される人間に対してである。

本当は『フューネラル〜流血の街〜』におけるマフィアのファミリーに対する忠誠と神に対する忠誠の破綻と本作を比較した文章を書きかけていたのだが、上に書いたように当方の考えはどうにもまとまらないのでうまく書けない。無理はしないでおく。

しかし、答えは意外なところにあるのかもしれない。音声解説において、本作を自分の子どもに見せたかという話題が出るのだが、ロビンスはそれはできないと言う。特に自分がこんな目に遭う映画では、と。しかし、ペンは自分の子どもに見せたよと言ったらしい。ロビンスは言う。「そりゃ君が殺す側だからだよ」

殺される側になるくらいなら殺す側に回るべきというのは、これはもうどうにも変えようのない真理なのだろうか。

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