これも Slashdot で知ったのだが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化を受け、作者の故ダグラス・アダムスを知る人たちによる回顧文集が公開されている。
なんといっても嬉しいのはモンティ・パイソンのテリー・ジョーンズとラトルズでおなじみニール・イネスの文章。そして記事にはグレアム・チャップマンの名前もある。えっと思って読むと、「チャップマン氏は締め切りに間に合いませんでした」と一文あり、ちょっぴり感動。
『モンティ・パイソン・スピークス!』においてダグラス・アダムスは快くモンティ・パイソン、そして特に最も親交の厚かったグレアム・チャップマンについて率直に語っているのだが、自分が Monty Python's Flying Circus(モンティ・パイソンの空飛ぶサーカス)に深く関わったように言われることについて、それを否定しているのが面白かった。昨今は何でも自分の手柄にしたがる人間をみかけることが多いので、彼のコメントはとても清々しかった。
ハッキリさせておきたいことは、私とパイソンの関係がいかに限られたものであったかということなんだ。それは、ある意味で、私にとってどうでもよかった。でも、『ヒッチハイカー』がスタートしたとき、華々しいキャリアが皆無だった私について、ジャーナリストたちが書くネタがなかったんだ。実際、そんなささやかなパイソンとの関係でさえも、いつも大きく取り上げられてしまうほどだった。私はオロオロとうろたえるしかなかったね。パイソン・メンバーの1人か2人は、私がパイソンに貢献しているなんて記事を見て迷惑に思っているんじゃないかと思う。(229ページ)
ウェブを見てると、ダグラス・アダムスについて「モンティパイソンの構成作家だった」、「モンティパイソンのライターでもあった」といった記述を見かけることがあるが、それは正確ではない。