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ポール・オースターとルー・リードが1995年に行った対談をはじめて読んだ

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先月末、米国を代表する小説家であるポール・オースターが亡くなった

その追悼として、ポール・オースタールー・リードが1995年に行った対談記事が公開されていたので読んでみた。

正確にはポール・オースターニュージャージーの生まれ育ちらしいが、二人とも生粋のニューヨーカーのイメージがある。年齢ではルー・リードのほうが5歳年長で、彼は2013年に亡くなっている

この二人の最大の接点というと、オースターが脚本を書いた映画『スモーク』の続編というか姉妹編の、彼が共同監督を務めた『ブルー・イン・ザ・フェイス』にリードが出演し(役名は「ヘンな眼鏡の男」)、アドリブで独特のニューヨーカー哲学(?)を滔々と語っていることになる。

対談だが、まずオースターが「一生かけて音楽をやることになると思ったのは高校時代?」と聞くと、ルードが「違うね! 俺は君みたいなことがしたかったんだよ。作家になりたかったんだ。ちゃんとした作家だ」と答えていて微笑ましい。

その後、若い頃に生活費を稼ぐためにやっていた仕事の話になり、オースターは数えきれないほどの仕事をやったが、「キャリア」と呼べるものは何もなかったと述懐している。若い頃にやった仕事で興味深いものとして、1970年にハーレムで国勢調査員の仕事をしたときのことを挙げているが、そのときの体験が『スモーク』(というか、その元である「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」)のエセルおばあちゃんの元になっていることに数日前に気づいたという。

オースターが国勢調査員としてドアをノックすると、ほぼ盲目の老婦人が部屋に入れてくれた。彼女は部屋の明かりを消したままだったが、人を中に入れたので明かりをつけ、「あなた、黒人じゃないじゃない!」と声をあげた。そのときオースターは、自分がこの部屋に初めて入った白人なのを悟ったという。

その後も貧乏暮らしの話の流れで、オースターが1970年代後半に深刻な危機にあったことを語ると、リードもやはり70年代の半ばから後半にひどい危機に直面した話をしている。もっともその時点でリードは「ロックスター」だったわけだが、マネージャーと金のことで揉めて裁判沙汰になった件で、これに彼はかなりダメージをくらったらしい。

もちろんその後二人とも貧乏からは離れたが、そうなるとこれから不運に見舞われるのではないかと不安になることをオースターが話すと、やはりリードも同調する。スターリング・モリソンの死もあり、(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの)ロックンロールの殿堂入り後に同じような心境になったという。パティ・スミスにそのことを打ち明けたら、「その場に入れない人の分も、あなたには倍楽しむ義務がある。それは大変なことだけどね!」とアドバイスをもらったと語っている。

このように紹介しているときりがないが、最後にポール・オースターが語るハーヴェイ・カイテル評だけ紹介しておく。

ハーヴェイ・カイテルはセルアウトしていない数少ない有名俳優だ。彼が出演している映画が皆良いというわけではない。けれども、彼はそれでよいと思っているし、心から楽しそうに映画に取り組む。私は彼のそうした決断をとてもリスペクトしている。

カイテルは、『スモーク』、『ブルー・イン・ザ・フェイス』、そして後にオースターが監督した映画『ルル・オン・ザ・ブリッジ』のすべてで主演を務めている。上の引用の最後の「決断」とは、映画も役柄も気に入らないからと、カイテルが300万ドルの出演料の仕事を断ったことを指している。

さて、個人的にはポール・オースターといえば、最初に読んだ『幽霊たち』と『鍵のかかった部屋』がとにかく鮮烈だったが(『ガラスの街』は柴田元幸の翻訳で読めるのを待ったので、同時期には読んでいない)、一番好きなのはやはり『ムーン・パレス』だろうな。

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