先週は "Sir" アーサー・C・クラークの訃報が世界を駆け巡った。Slashdot Japan などわざわざ二本ストーリーを立てるほどの力の入れようだった。
かつて山形浩生が罰当たりなことを書いていた。
遠からず、あの『2001 年宇宙の旅』原作者であるアーサー・C・クラークも他界するだろう。そのとき、今の SF の求心性は決定的に失われる。 SF ファンのぼくは、その日を楽しみにしている。
http://cruel.org/cityroad/croff.html#2
これが書かれて15年以上生きたのだから、見事な大往生である。
興味深かったのは Boing Boing で知った IEEE Spectrum におけるインタビュー。これがどうやら最後のインタビューのようだ(ポッドキャストも公開されている!)。
アーサー・C・クラークというと、『20世紀SF(3) 1960年代 砂の檻』の著者解説でも、通信衛星のアイデアを思いついていたのに特許申請しなかったため一財産築き損ねたと後悔していた話が出ている。WIRED VISION に掲載された感動的な弔辞「成長を止めない精神:40年来の友人によるアーサー・C・クラークへの弔辞」にも同様の話がでてくる。
ただこのラストインタビューでは、少し違うアングルからの答えになっている。
どうして通信衛星のアイデアを特許化しようとしなかったのかとよく聞かれる。私の答えはいつもこうだ。「特許というのは実のところ訴訟のライセンス(license to be sued)なんだよ」
この答えも素敵じゃない?
クラークのインタビューというと、大森望さんが1999年に行ったインタビューをウェブに公開している。