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インヒアレント・ヴァイス

新作が出たら映画館で観ようと決めている監督の一人であるポール・トーマス・アンダーソンだが、前作『ザ・マスター』が飲み込みの悪いワタシには手に余るというか、ついていけないところのある映画で、正直今回は新作を観るのちょっと恐れがあった。

なにせ本作の原作はトマス・ピンチョンで(彼の小説がちゃんと映画化されるのは、もしかしてこれが初めて?)、前作以上に手に余るというか、何がなんだか分からずおいてけぼり、みたいな感想になったら悲しいし。

で、観たのだが、本作がどこまで優れた映画なのかはワタシにはよく分からんし、傑作とか力説するつもりはないが、とにかくワタシには面白かった。

長回しを要所で使いながらもかつてのような流麗な感じではなく、また『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以降の画の作り方とも違い、クローズアップが中心だったのが印象的だった。あと腰をおろした人物のところに立ったままの人物が最初顔が映らないまま入ってくる構図が何度も使われていたな。

例によって原作は未読なので、本作がどこまでそれに忠実な映画化かは分からないのだが、主人公が私立探偵ということもあり、意外にもレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を連想したりした。

そういえば『長いお別れ』を1970年代に舞台を置き換えて映画化したのはロバート・アルトマンだが、本作の舞台は1970年だったな。アルトマンというと、本作でもオーエン・ウィルソンを中心にして「あの名画」の構図になりかけるのだが、これはもちろんアルトマンの『M★A★S★H マッシュ』のオマージュでもあるのだろうね。

本作の主人公はハッパ大好きなヒッピー崩れの私立探偵だが、これはホアキン・フェニックスがピッタリ。話はピンチョンらしく陰謀論というかパラノイアとぞろぞろ名前が出てきてはつながっていく登場人物が混沌を増していくわけだが(彼の小説のタイトルを借りるなら「エントロピー」ですか)、出てくる女性登場人物を(意図的だろうけど)美しく撮ろうとしないという欠点を補って余りある映画だった。

本作もジョニー・グリーンウッドが音楽を手がけていて、既存曲のチョイスが良かった。本作の舞台となる1970年には未だリリースされてないニール・ヤングの曲が使われているのはご愛嬌。

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