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YAMDAS更新

Noras の「お話聞きました」でなぜかワタクシ yomoyomo が登場しております。

まあ、内容的にはこれまで通りともいえますが、これまで書かなかったこともいくつかゲロってます。

「お話聞きました」の前回音楽配信メモの津田さんと P2Ptoday ダブルスラッシュの横田さんなわけで、ワシでええんかね? と聞いたんですがね。

気がつけば何と五年間も飽きもせず個人サイトを、開設当初のフォーマットのまま続けてきたわけである。先日テキストサイト関連年表を見たら YAMDAS Project も名前が出ていて驚いたわけだが、これの元となったばるぼらさんの「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ」には載っていなかった。認知度が上がったのは間違いないわけだが、単に長く続けただけでいつのまにか「古参」になっていたのであれば、バカ、と言われても仕方ないだろう。

いったいいつまで続くのだろうなと思うところもある。以前は「サイト閉鎖」というのをよく考えていた(これもウェブログ以前の古いメンタリティですな)。今でもときどき考える。しかしそうでなくても、事故のように、案外一つの事件が契機であっさり閉鎖になるような気が最近するのである。そろそろ公私の折り合いがつかなくなってきたようだ。

まあ、それまではぼちぼちやりましょう。『2001年宇宙の旅』HAL9000も言っているじゃないですか。

はい、故障するまでは正常に動作します。

Blogは書かされているのか?

イラク関係の文章を書いているウェブロを見て回って思ったのは、この感覚である。自然発生的情報共有・意見形成ネットワークのはずなのに、RSS により集約され並列されたエントリの何とまあなんというか……もちろんワタシも大したことは書いていないのだから他人をあげつらうことはできないが。

これは「お話聞きました」の後半にも出てくる話にも関係するのだが、RSS により人単位でなくエントリ単位に扱われ、メタサイトで云々……という話が出て、その流れは分かるのだけど、やっぱりワタシは未だに「人単位」で選別している。はっきり言えば、そうしたサイトであれ、TrackBackを辿ることすら稀になってしまった。時間がないのだ。

「TrackBackは宣伝媒体に過ぎないのか」といった文章を読むとその辺暗澹たる気持ちになる。少し前の文章であれば、Why your Movable Type blog must die日本語訳)あたりが参考になるだろう。

「孤独な惑星 -- lonely planet」展

本題とは関係なく(おいおい)、The The の最高傑作『Dusk』のラストを飾る名曲「孤独な惑星」の歌詞が引用されていることに興奮した。

……が、ここでの訳はちょっとニュアンスが違うと思うのね。山形浩生が大嫌いな「さ」の使い方はともかく(笑)、この曲は、「世界を変えられないのなら、まずお前自身を変えてみろ」というマット・ジョンソンの力強い問いかけなわけ。で、リフレインの最後の最後に「でも自分を変えられないなら……じゃあ世界を変えてみたら」という、ユーモアを出したのだと思うのよ。

『Dusk』について山下えりかは「嵐の夜があけ、一筋の光が差し込むまで」と評した。一曲目で「真の自由とは、欲望から自由になること」とものすごいことを正面から宣言し(だって我々にこれ可能か?)、二曲目は死去した弟に捧げる「愛は死よりも強し」というレクイエム……というように、この作品は恐るべき真面目に貫かれている。ふにゃけたユーモアという名の逃げは一切なし。まさしく全編ガチンコ勝負。嵐の夜。

しかし、解放感に満ちた「孤独な惑星」が、一筋の光になる。そして前述の最後のふっと力が抜けるユーモアに聞き手はほっとする。そして最後に歌われる言葉とともに青空が広がるのだ。

世界は大きすぎ、人生は短すぎる。独りで生きるには

盛り上がるねぇ。The The について文章を書いてから四年近くになるんやねー。

検索エンジンの歴史

検索エンジンの世界は非常に動きがめまぐるしいので、こうした年表は歴史的な流れを確かめたりするのに便利である。

四月から CNET に二つの blog が招かれたわけだが、いずれも今のところホントつまんないね……というのを書きたいわけではなく、その一つがエッセンシャル・サーチエンジンというのは象徴的なことなんでしょうな。

ワタシも今のように誰もが GoogleGoogle 言うようになる前に(三年前か!) Google 賛歌を書いたわけだが、あの頃とは Google の立ち位置も変わった……真の強さが見えてきたというか。今のところは健全な成長、と一応言えるのだろうが、三年後どうなっているかは誰もわからない。恐ろしいことだと思う。

岡田斗司夫、萌えについて語る

モノマガジン4月16日号の「岡田斗司夫の新オタク日記」の3月12日分から引用。

(前略)「萌え〜」と言うのは「ナウい」と同じだ。自分の心の中の、いま突出している感情をとりあえず言いたくて、その正当性は社会から与えてくれる、という怠惰な姿勢。それが思考停止フレーズである。
 長くなったけど、だから僕には「萌え」がわからない。でも、「萌え」と言ってなにかを言ったつもりになっている人たちの心持ちはイヤになるぐらいわかるのである。

「萌え」というのは、ワタシも極力使わないようにしている言葉です。

少林サッカー

DVDジャケット

劇場公開時に観に行こうと思いつつ行けず、DVD を借りよう借りようと思いつつその機会を逸していたのだが、ようやくテレビで観れた。

うん、すげえバカ。げはげは笑えた。かなり楽しめた。でも、一回で十分かも。

これは既に出ている話だったと思うが、つくづく悪役はやしきたかじんで、主役は津田寛治だよなぁ。

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