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パレードへようこそ

今年観た映画の中でダントツによい映画だった。

冒頭の歌が流れてきたところで気分が高揚し、本作が傑作であることを確信したが、本作の間中ほとんど観ながら泣いていた。あまりにぐしょぐしょに泣いてしまったため、映画が終わった後に難儀した。

本作は1984年におけるイギリスの炭鉱労働者のストライキと、彼らを支援するために立ち上がったレズビアンとゲイの活動家グループを題材とする映画であり、『リトル・ダンサー』などと同じくサッチャー政権時代の炭鉱労働者の多い地区を扱った映画の系譜に連なるものであり、ワタシが好きなイギリス映画そのものだった。

基本的に観に行くことにしている映画については、できるだけそれについて書かれた文章は読まないことにしているのだが、この映画についてはブレイディみかこさんが書いた文章を読んでしまっていた。オーウェン・ジョーンズが書くように、本作は冒頭で高らかに歌われもする solidarity(連帯)についての映画である。「社会などというものは存在しない」と言い切ったサッチャーですら殺すことができなかった英国人の連帯についての映画である。

炭鉱労働者を支援する同性愛者たちという時点で、ストーリーのつかみとなるに充分なフリクションを感じさせるが、ストーリーはベタだし、展開は少し安易かもしれないが、その摩擦が生み出す緊張とユーモアが本作をドライブさせる基点にちゃんとなっている。

自分たちの日常の価値観と相容れない存在に対したとき、柔軟なのは女性のほうなんですね。本作では、炭鉱労働者たちの妻たちがまず最初に同性愛者たちを歓迎して勇気を表に出すのだが、何より彼女たちがこれまでまったく縁のなかった人たちとの交流により、人生を楽しむ姿が活き活きと表現されているところがとてもよかった。

男性陣のほうも、パディ・コンシダインの良心的な役柄がよいし、ビル・ナイがいつもよりも口下手で朴訥とした役をやってると思ったら、彼とイメルダ・スタウントンが並んでサンドウィッチを作る場面がとてもよかった。

『Pride』という原題の映画が『パレードへようこそ』という邦題になると聞いてかなり嫌気が差したのだが、それが実は妥協の産物としてもちゃんと意味のある邦題であることは本作を最後まで観ると分かる。炭鉱労働者のストライキがどういう結末を迎えたか、我々は歴史的事実として知っている。しかし、その挫折を上回る晴れやかな本作のエンディングは格別であって、映画のストーリーが実話を基にしているというのにこれほど救われる気持ちになったことはない。

OpenStreetMapの人道的活動がネパール地震の復興支援

自由に利用可能で、利用者が共同で作り上げる OpenStreetMap のことはここでも何度も取り上げているが、OpenStreetMapHumanitarian OpenStreetMap Team という NGO を設立していて、先ごろ大地震があったネパールにおけるチームの活動を紹介している。

要は彼らが得意とする地図サービスにデータ提供を結びつけることでネパールの復興を支援しようというものである。自然災害に対する OpenStreetMap の活動については東日本大震災の後に書いた文章でも取り上げているが、やはりずっと前からの取り組みの蓄積があるからこそ、迅速な協力ができるんだろうね。

この文章では、他にも関連するプロジェクトがいくつも紹介されている。

電子フロンティア財団(EFF)が創設25周年記念パーティを来月開催

電子フロンティア財団って今年で創設25年なんやね。

25年前といえば1990年、パソコンの OS では Windows 3.0 が同年に発売になっているが、まだまだ一般ユーザのものではなかった。インターネットについては言わずもがな。ミッチ・ケイパー、ジョン・ギルモア、ジョン・ペリー・バーローという創始者の先見の明に改めて敬服せざるをえない。

もちろん創設25周年記念パーティには参加できないが(場所は Jamie Zawinski が経営者であることで知られる DNA Lounge やね)、ここ数年 EFF には寄付しており、今年もしようかね。

Aaron Swartzとエドワード・スノーデンを主人公とするインターネットの支配をテーマとするドキュメンタリー映画『Killswitch』

Aaron Swartz を主人公とするドキュメンタリー映画というと『The Internet's Own Boy』エドワード・スノーデンを主人公とするドキュメンタリー映画というと『Citizenfour』が既に作られているが、この両者を主人公とする『Killswitch』という映画が作られているようだ。

『Killswitch』は、この二人の若きハクティビストを通じてインターネットの支配を巡る闘いをテーマとしており、ティム・ウーやローレンス・レッシグなどもフィーチャーされている。

正直、既に先行する映画があるのでインパクトは薄いが、個人の伝記ではなく「インターネットの支配を巡る闘い」というテーマが重要なんでしょうな。

The Boy Who Could Change the World: The Writings of Aaron Swartz

The Boy Who Could Change the World: The Writings of Aaron Swartz

暴露:スノーデンが私に託したファイル

暴露:スノーデンが私に託したファイル

内藤國雄に30年以上前に引退を言い渡した鈴木輝彦

内藤國雄九段が昨年度末をもって半世紀以上にわたる将棋棋士としての現役生活からの引退をしたのは、将棋を知る人ならご存知だろうが、内藤國雄と引退というので面白いツイートを見かけた。

『新・対局日誌』第4集という出典から想像するに、ここで描かれる宴席(多分)はおそらく1990年前後の出来事だろうが、鈴木輝彦が内藤國雄に言ったという発言をたまたまある本を読み返していて見つけたので、記録の意味で書いておく。

その本は芹沢博文の『王より飛車が好き』という本で、昭和59年12月15日が1刷の本である。

実はこの本は id:doublecrown さんにいただいたもので、今読むといろいろ面白いところがあるのだが、それはともかく問題の箇所は以下の通りである。

 内藤得意のセリフは、
「将棋指しではワシが一番歌がうまい。歌手ではワシが一番将棋が強い」
 何と他愛のないことを言う男であろうか。最近は、「女にもてんようになったら金が余って仕様がない。みんな遠慮せんで飲めよ」と若い者達に言っているようで、すっかりその気になってご馳走になった鈴木輝彦六段に凄いことを言われ、懐に”引退届”を持って歩いていると専らの評判である。
 鈴木に、「内藤さん、名人になれると思いますか?」と聞かれ、軽い調子で、「ちょっとしんどいやろ」と言ったところ、「それなら今直ぐ引退しなさい」と言われたのである。
 人間と豚なら人間の方が数段は優れていよう。内藤と鈴木は人と豚ぐらい格に差がある。内藤は豚に馬鹿にされたと嘆くことしきりである。(12ページ)

これを読むと旧世代の棋士の名人位にかける思いいれの深さと棋士の内面の激しさを垣間見る思いである。

内藤が直球の質問に「ちょっとしんどいやろ」と思わず口走ってしまったのは、当時谷川浩司が21歳の若さで名人位を獲得していたからだろう。

実際にはこの発言があった当時、内藤は王位のタイトルホルダーであったし、その後にはA級に復帰してもいるのだが、タイトル獲得4期の棋歴を誇りながら、名人位獲得はおろか挑戦することもできなかった。これはB級1組に陥落した後だが、B級1組の最終戦で昇級候補だった富岡英作と鋭く切り合う将棋で勝った後、感想戦で安全勝ちできる手をなぜ指さなかったのか聞かれ、「そんな手は(分かっていても)指せんのや」と即座に答えたのを聞いた河口俊彦が「なぜこれほどの将棋を指す男が名人になれないのだろう」と書いていたのを思い出す。

もちろん河口俊彦も内藤國雄もその答えを知っているはずだが。

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