『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、今なおこの電子書籍が(わずかながら)新たな読者を獲得しているのを知るのは嬉しいことである。
今日は久しぶりに挨拶出来なかった大学の教授とお話して、Webの技術を教える前にもっとバックグラウンド知るべきだなと思って長そうだけど頑張って読んでみます。https://t.co/sh8iZhBfhW
— Kenichi Odo (@kenichi_odo) June 18, 2019
実は先日、事情があって『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』紙版を旅先に持参して読み直したのだが、やはり分量あるんだなと今さら実感してしまった。すべて自分が書いた文章だから、読み直すのもすぐできると思ったら、そうはいかなかったのだ。
さて、Toshiyasu Oba さんが感想を書いてくださっている。
様々な事件があった後だけに、なおさら切実な話題が多い。現在顕在化している問題の多くが、2010年代前半から半ばにかけて、その姿を現しつつあり、それに関する、根源的な議論も既に行われていたことがよく分かる。むしろ、今こそ読まれるべき時期がきたと言えるだろう(積ん読正当化ともいう)。
yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記
電子積ん読の山(?)の中から取り上げ、読んでいただけるだけでワタシとしてはありがたく思う。
他にも、中央集権的プラットフォームによるウェブのクローズド化、アルゴリズムのブラックボックス化の危険性、IoTを通じたデータ収集と監視社会などなど、提示される論点どれもが現在の動向と結びついていて、読むべき人が読めばもっと興味深い議論を展開できるのだろうと思いつつ、本書と関係があるようなないような、思いついたことを2点、忘れないうちに書き残しておこうと思う。
yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記
この後、「うーん、yomoyomoさんの本とほぼ関係なくなってるな」と書かれているのだが、それでよいのである。ワタシの本が触媒となり、読み手の内にある問題意識(Toshiyasu Oba さんの場合はデジタルアーカイブが果たすべき役割)に対する思索が活発化してくれれば、それで十分ワタシの文章は人の役に立っているのだから。
広告によるマネタイズと、個人の活動から得られるデータの持つ価値の囲い込みという、ウェブを覆う経済システムとその勝者による中央集権化に対して、どのような規制を持ち込むことで自由を確保できるのか、また、より当初のウェブの理想に親和的な経済システムを導入することができるのか、というのは、引き続き考えていかなければならないことなのではないかな、と思ったりした。とりあえず、思っただけだけど。
yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記
同じく『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』が(電子)積ん読になっている人も、今からでも読んで感想を書いてくださってもよろしくってよ?