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iNTERNET magazine 2005年6月号

編集長による PUBLISHER'S NOTE の冒頭を引用する。

 かつて家庭のリビングルームの主役はパソコンなのかテレビなのか、という論争があった。いま思えば、その答えはどちらでもなく、主役はネットなのではないかと思える。もっと具体的に言えば、それはネットから提供されるコンテンツであり、サービスではないだろうか。

とのことで、今一度 IP ネットワーク技術の仕組みについての特集なのだが、単なる入門記事ではない。特に37ページの「IPネットワーク接続俯瞰図」のようなものこそ重要だと思った。もっともこれでもかなりはしょってるのだけど、「電波でデジタルデータが送れる仕組み」など知ったような顔をして分かってない話がいくつかありありがたかった。

そして5月号のとき注目した連載「インターネットの論点」、今回のお題は「P2Pにおける匿名性と違法ファイル交換」で、岩田真一アリエル・ネットワーク株式会社プロダクト・マネージャが「技術の可能性」、園田寿甲南大学法科大学院教授が「法の視点」の立場から寄稿している。

多くの人と異なり、個人的には「匿名性」について一番興味があるのだが、岩田氏が、

ビジネスにおいては、匿名性は不要なもので、むしろあってはならない。

一方、園田氏が、

現代の日本では、自由な情報の流れというものが根底にあり、その上にさまざまな制度が成り立っている。それを支えるものの1つが匿名性だ。それが崩れると民主主義そのものが危うくなる。

と書いているのが興味深かった。

ネット検閲がもたらす究極の監視社会

さて、今号のインターネットマガジンでも IPv6 Summit in China 2005 のニュースが報じられている。

中国(政府)が IPv6 に本気であるというのは以前から伝えられてきたことで、確かにあの人口だから v6 がいいわな、とは漠然と思っていた。しかし、今回の反日運動絡みで中国のとんでもないネット検閲の一端に触れ(市民運動な方々は、こうした検閲には反対しないんですかぁ?)、IPv6 への取り組みというのがどこまで本気なのかちょっと図りかねない感じがしてきた。

IPv6 の特徴として挙げられる end-to-end 通信の理念を中国政府が容認するのだろうか。メディア探究のエントリを読むと、そのあたりの意図が謎に思えてくる。

別に IPv6 でなくとも IPsecVPN をはるという対抗手段はあるはずだが、IPv6 ネットワークでは NAT 越えの問題がないだけ IPsec をやりやすくなる。そのあたり中国政府はどのような対抗手段を考えているのだろうか。

そういえば中国で販売する暗号を含む製品って必ず中国で開発製造しなくちゃいけないんだったよね? さては、それを義務付けているのは、中国政府が専用バックドア(以下、陰謀論につき自主規制)

SHISA; The new KAME Mobile IPv6 / NEMO stack

これもインターネットマガジンの砂原秀樹氏の文章で知ったのだが、IPv6 における Mobile IP サポートについて規定した RFC3775日本語訳)を BSD 系 OS 用 IPv6 スタックである KAME に実装するプロジェクトが立ち上がっていたんやね。

Mobile IP は、昨年まで仕様が RFC 化されなかったというのを言い訳にしてちーとも勉強しなかったのだが、ちゃんと調べてみる必要があるのかも。

参考:救急車をMobile IPv6で接続、患者の画像を病院へ配信INTERNET Watch

何を伝えたいか

ウェブログの心理学』サポートウェブログにおいて、当方の読書記録について言及いただいた。正直言って、『ウェブログの心理学』に限らず、読書記録を公開した後に、あれは誉めすぎじゃないかとか、いやあれもこれも書き忘れたとかくよくよ考えてしまうことが多く、そう気に病むのでは読書記録の意味がないじゃないかと思うのだが、このようにコメントいただけると拙文を書いた甲斐はあったのかなと思うのだから現金なものである。

さて、最後にリクエストされている「別の文章」なのだが、近頃またブログ論のようなものがいくつか書かれており、そのいくつかを叩きまくってやろうかと思っていたら、ユリイカのイベントを巡ってあれこれがあり、そうこうしているうちにいろんな反応が各所から出てきて、今更何か書くのが億劫になり……といういつものダメパターンである。

そうこうするうち、『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』が届いて、良い意味でも悪い意味でも何も書けなくなりそうな予感。

amazonでランキング1位になった本を淡々と記録するブログ

moriyama.com : 探書ノートで知ったブログ……というか、これも森山さんが作られてるんですな。

いや、これはすごくうまいと思う。企画としても、アフェリエイト的にも。

5年後くらいに見ると面白いかもしれません。

というのもなるほどと思うのだが、考えてみれば Seesaa が5年後もブログサービスをやっているのかというのに興味がある。それを言うならはてなダイアリーもかなり怪しいものだが、実際5年後どこのブログサービスが残っているのだろうか。

プリンストン大学でファイル交換についての討論会が開かれる

Freedom to Tinker によると、5月6日に Fear-to-Peer at Princeton: A Debate about Filesharing on Campus と題した討論会がプリンストン大学が開かれる。

注目すべきはパネラーで、MPAA で海賊行為の取り締まりに従事する Dean Garfield と EFF の Wendy Seltzer(と Ed Felton)が参加すること。

この人たちのガチの議論なら見てみたいところだし、こういう場にちゃんと出てくる MPAA の人にワタシは敬意を感じる。

MediaWiki 1.5アルファ版リリース

Wikicities blog で知ったのだが、Wikipedia をはじめとする WikiMedia 財団のプロジェクト、並びに Wikicities で採用されている MediaWiki のバージョン1.5のアルファ版がリリースされている。

注目すべきは新機能で、リリースノートを見ると、Permalinks とか Page move log あたりが気になるね。

日本での利用者は少ないが、何しろ上に挙げたプロジェクトみんなで使われてるんだから影響範囲は大きい。

死の王

死の王 [DVD]

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最低映画館(閉館の知らせに涙にくれたものだが、新館ができつつあるので一安心)で岸田裁月さんが書いているのを見て以来いつか観てみたいと思っていた映画だが、先日レンタル屋でビデオを見つけて驚喜した。

タイトルバックからボカシが入るのに脱力しちゃったから書くわけではないが(でも一箇所、「ボカシありでよかった!」と珍しく思うシーンがある)、映画総体としてはたいしたものじゃない。月曜から日曜までいろいろなシチュエーションで自殺していく人たちを描くというアイデアが良くて何とか乗り切れているが、各々の描写は稚拙だし、腐乱死体を観て楽しむ趣味はないもので。

あとこれは「ホラー映画」ではない。一箇所画質の不具合で映像と音声がおかしくなる場面があり、それが『呪怨』的に怖かったりはしたが。

でも、土曜日にあたる大量殺人者のところは抜群に良く、以下、殺人者となる女が娘に読ませて聞かせる文章を全文引用させてもらう。権利的にまずかろうが、せっかく朝の4時にビデオを止めてメモしたので、見逃してくだされ(既に2ちゃんねるにも転載されてるみたいだし)。

大量殺人者は標的をランダムに選ぶ場合がある
殺人行為によって無名性や性的不能を埋め合わせるのだ
20世紀 人間は我慢しないことを覚えた
不幸や災難を じっと堪え忍んだりはしない
誰もが正当な扱いと正義を求めている
それゆえ人生に厭んだ者も静かな退場はしない
死に方によって人生に意味を与えようとする
その欲求不満は復讐の形で現れる
大量殺人者は自分を無視した者を狙って復讐する
初めて自分が歴史を創るのだ
死んだ生から 生きている死へ
少なくとも数日間は世間の注目を集めるのだから
このバカげた希望は 非存在の全人生よりはるかに濃密だ
無動機殺人者はポストモダニズムの殉教者である

ちなみにこの映画の字幕翻訳は、柳下毅一郎氏。ドイツ語もできたのか。

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