yomoyomoの読書記録に侍功夫責任編集『Bootleg Vol.0』を追加。
やったぜ! 読めたぜ!
当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。
yomoyomoの読書記録に侍功夫責任編集『Bootleg Vol.0』を追加。
やったぜ! 読めたぜ!
Software Design 総集編 【2000~2009】(DVD付)
編集部に献本いただいた。そういえば少し前に収録許可を求められたんだった。
そうなのである。2000〜2009年のバックナンバーから2万4000ページ(!)もの分量を収録した DVD には、2005年8月号〜2006年7月号に連載した「Wikiつまみぐい」におけるワタシの小コラム「yomoyomoのWikiばなし」も入っているのである。ワオ!
本書には DVD だけでなく「ITエンジニアとして知っておくべきこと」という特集もあるのだが、そこで FizzBuzz 問題が取り上げられていてうけた。
なお本書は「創刊20周年記念企画第1弾」とのことで、まだ記念企画は他にもあるということか。
Wikipedia の創始者ジミー・ウェールズが TEDx カンファレンスで自分の失敗について講演したとのこと。
まず彼は、シカゴでフィナンシャルトレーダだった頃、ダウンタウンで昼飯を食う人たちとレストランを結びつけるインターネットサービスを立ち上げようとするが失敗する。「レストランのオーナーは私を火星人みたいな目で見てたね」とのこと。
その後彼は Three Apes という検索エンジンを立ち上げるが、中国のハッカーに乗っ取られて頓挫してしまう。
次に彼が手がけたのが Nupedia で、執筆者に2万5000ドル払って12の記事を書いてもらうも失敗に終わる。
その後、Nupedia を発展させた Wikipedia という "really dumb idea" を思いつき、それが大成功したのはご存知の通り。
しかし、その後また検索エンジンに手を出し失敗してしまった。現在でも失敗と無縁ではないのだ。そのウェールズが学んだ「失敗の法則」は以下の通り。
失敗を何度も繰り返せる社会は良いよね。ネタ元は Slashdot。
やっぱりね、芸能人や政治家が Twitter 始めましたとか、元々有名な人が始めて面白いですよという話はブログでも mixi でも経験があって個人的にはもうカンベンである。
一方でこういう市井のじいさんの毒舌 Twitter がコメディドラマ化というのは面白くて、こういうのが日本でも生まれてはじめて Twitter はインパクトを持ちうるんじゃないのかな。
ABC振興会ではなぜか Twitter アカウントにリンクしてない上にアカウント名を間違っているのだが、@shitmydadsays が問題のアカウントで、ウィリアム・シャトナーが主演というのもツボをついている。果たして成功するかどうか。
ワタシもずっと『Make: Technology on Your Time』日本版に参加しているというのもあり、Makers Market には成功してほしいと思う。
この分野での先駆者として Etsy があるが、Craft ならともかく Make 寄りとなるとあともうひとヒネリ必要な感じがする。そういえば日本版の最新号(asin:4873114330)の特集が「ロボット」だったが、これのビジネス化などどうだろう。
そういえば Make の編集長である Mark Frauenfelder も『Made By Hand』というまさに Make 的な新刊を出すのを Boing Boing で知った。
Made by Hand: Searching for Meaning in a Throwaway World
この映画の主要登場人物である二人の女性、白人女性であるレイと先住民族のモホーツ族のライラにはいくつかの共通点がある。何より二人とも貧しく、そして未だ幼い息子がいる。そして、この物語から二人の夫は排除されており、頼ることができない。
本作はその親しくもなかった二人が、アジア人の不法移民がカナダからアメリカに密入国するのを手助けする仕事に手を染める話である。一面雪景色の中で犯罪が行われる「白のノワール」という意味ではコーエン兄弟の『ファーゴ』をちょっと思い出したが、あの映画のような俯瞰的な視点はなく、登場人物はずっと余裕がない。
このように本作に立ち込める空気はとても重いが、編集の手際がとてもよくて、100分足らずの上映時間にコンパクトにまとまっている。本作をクエンティン・タランティーノが激賞したらしいが、お前も少しはこういう手際を参考にしろよと言いたくなる。まぁ言うだけ無駄ですけど。
本作の主人公であるレイとライラ役の女優さんがいずれも生活感のある良い顔をしていて、彼女たちの側から応援するような気持ちで息を詰めてしまうのだけど、彼女たちがやっていることは紛れもない犯罪である。劇中危惧するように、もしかしたら彼女たちは自爆テロ犯人を運ぶかもしれないし、運んだ女性たちが後でどんな目にあうか想像したくもない。
それでも生きるためなら、家族を守るためならどんなことでもしなきゃならない……本当にそうなのだろうか? 閉塞感に満ちた人生にもはややり直しは叶わないのか? 主人公が最後に行う決断は、その不幸に対する問いかけがあるからこそ否定できない重みを持つ。
Copyright (c) 2003-2024 yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)