当方は大学時代に本格的にフリーソフトウェアを使い始めたのだが(つまり Emacs とかです)、それらについて意識的になったのは、1997年以降、つまり ESR 主導のオープンソース運動の始まりと重なる。だから、「オープンソースの定義」を準拠枠とすることについて何の抵抗もない……というか、実際そうしてきた。
今回の論争(のレベルになっていないと思うが)については、各人の文章にそれぞれいろいろ思うところはあるが、当方の立場は上に書いた通りで、それ以上の何かを特に力説するつもりはない。以上。
さて、以下は愚痴である。当方は過去オープンソース関係の雑文を勝手に翻訳してきたわけだけど、いってみればこういうときに参考資料にならねばどうするよという思いがある。でも、ほとんど誰も参照してくれないんだよねぇ。
例えば「オープンソース」という言葉の起源、オープンソース運動の戦略性となると狩野宏樹さんも挙げていた「「オープンソース」の起源」(「ハッカーの復讐」収録)あたりが適当なんだけど、どうして当方が訳した、「Free as in Freedom」の第11章「オープンソース」を挙げてくれんのかなと思うわけである。これなんか、「オープンソース」という用語が採用される過程を考える場合に貴重な資料だと思うのだけど。
まあ、「Free as in Freedom」だと翻訳プロジェクト自体停滞しているとか、他にも翻訳の問題とかあるのかもしれませんが。そうそう、唯一(多分)例外は、今野さんが取り上げてくださっていた。ほら、こうして光が当たると、翻訳が古いとか問題が明らかになるでしょ(笑)。そうでしたか。いずれ最新版に追従します。