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何もしない人ほど批評家になるのか?

個人的には、引き合いに出されている文章が単に「批評家」という言葉を取り違えているというか、他の言葉が適切だろうにと思うだけなのだが、せっかくなので「批評の神様」と言われたらしい小林くんちの秀雄ちゃんを引用させてもらいましょう。以下、『考えるヒント』収録の「批評」より。

そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊な技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは、批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。

文章の節々に性格の悪さを滲ませる小生であるが、実はこれに近いことを感じる。自分の文章で出来の良いものは、他人への賛辞であることが多いように思う。それに気付いてからは、できるだけ他人の仕事を格調高く誉めるように心がけている。ただまあ、それがすべてだとはさすがに思わんわね。実際、小林の文章は以下のように続く。

 そう言うと、あるいは逆説的言辞と取られるかも知れない。批評家と言えば、悪口にたけた人と一般に考えられているから。また、そう考えるのが、全く間違っているとも言えない。

続きは書店で(笑)。

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