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マルガリータの沈黙:『予告された殺人』の町で(ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』について)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

少し前にと某所で「現役で世界最高の作家は誰か?」という話題になり、ピンチョン、アップダイク、バラードとともにガブリエル・ガルシア=マルケスの名前が当然のように挙がった。

読書記録も書いたが、彼の『予告された殺人の記録』はワタシも好きな小説で、最初に読む彼の小説としては最適だと思う(次は短編集でもっとマジックリアリズム色の濃い『エレンディラ』か)。

この小説の題材となった女性についての記事が載ったので読んでみた。

期待して読んだのだが、正直「だから何が言いたいの?」という感じの文章で、一気に気持ちが萎えた。いや、書きたいことは分かる。

小説は事実ではない。だが事実から小説を仕立てる場合、配慮が必要だろう。

しかし、こんなお説教を読まされてもな。小説だけからは分からない話もいくつかあり有用ではあったが。

ガルシア・マルケスは小説の末尾に大きなうそをつけ加えた。

いやさ、だからそれを「創作」というんですがね。このくだりは『予告された殺人の記録』における感動的な部分であるが、それが「事実」か「うそ」かなんて考えた読者などいないと思うよ。だってこれは「小説」なんだから。結局お前らの記事だって彼女のプライバシーをかぎまわって商売しているだけじゃないか! ……なんて青臭いことは言いませんが。

この問題については、映画『カポーティ』のほうが参考になりそうだ。我がシーマンフィリップ・シーモア・ホフマン)の演技も良いらしいし。

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